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久しぶりに自分の作品と向き合うことになった
https://youtu.be/F2zTd_YwTvo?t=14
The Tango - Scent of a Woman (4/8) Movie CLIP (1992) HD 数日前にブログに書いたように、精神科医である三男から相談を受け、精神に病を持つお孫さんを育てた高齢の女性を紹介された。原稿はまだ最終稿に至っておらず、そのやりとりだけでも心の中の強い葛藤を感じている。 自分史や自叙伝の類の出版はお引き受けしないことに決めていたのだが、やはり一人で人生の葛藤と向き合う方に対しては、出来る限り寄り添うべきだと考え方を変えている。 日本の出版業界は、アマゾンの日本進出以来、年々衰退の道をたどっているように見える。全国の書店件数も前年比でずっとマイナスを続けているようだ。 出版取次会社も、どうやらかつては業界トップだったトーハンが、今ではトップの座を日販に譲っているようだ。出版社にとっても新刊本を出しにくい環境になってしまっている。 わが社も、この20年間は赤ちゃんの名入り絵本である「グリーティング絵本」に集中して営業活動を続けている。しかし、数年前から自分が書きためた短編作品を出版したいと思うようになっている。しかも、多言語出版を考えている。 日本語では普通に紙に印刷した書籍と電子書籍の両方を視野に入れている。外国語は英語とスペイン語を想定し、電子出版に特化して考えている。理由はともかくとして、ウイグル、チベット、内モンゴルの人たちには、現地の言葉に翻訳して紙の書籍を出版し、寄贈したいと考えている。 三男から相談を受けた高齢女性の出版と向き合ううちに、改めて発行人としての出版に対する基本理念について考えている。 一言で言えば「心に届く、心に残るメッセージ」を出版物として形にしたいのだと思う。まだ具体的な企画提案書として出来上がっていないが、三男にも相談し、精神科医仲間の先生たちの協力も得て精神世界、心の領域をテーマにした出版を目指したいと、明確な印象を心に感じた。 多言語出版を考えるようになった時、過去のブログで公開していた自作の短編作品を、Evernoteに全てコピーして保存している。久しぶりにそれらに目を通してみた。明確に記憶に残っているストーリーもあったが、読み始めてもこれが自分の作品なのか、全然記憶にないものもあった。 記憶になく、かつストーリーの結末を全く覚えていない作品があった。ストーリーのタイトルは(創作スケッチ Scent of woman〜「父の香り」) となっていた。Scent of woman なのだから、当然「女性の香り」なのに、なぜそれが「父の香り」になっているのだろうかと、不思議に思いながら読み進んだ。 読み始めると、そのストーリーの世界にどんどん引き込まれた。次第に一体、どのような結末になるかのだろうかと興味が募った。しかし文末には「未完成」とだけ書かれていた。文字数のオーバーで全てをEvernoteのノートに収録できなかったのだろうか、と思った。 もしまだブログに残っている作品であれば、読んでみたいと思いと思い検索してみたところ、見つけることができた。 2012年3月14日の日付だった。なんと、10年前の作品である。そして文末には以下の記述が残されていた。 【ブログ記事からの転載】 *転載開始 今日は、ここまでにします。自分でも、仕事中だというのに、なんてアホなことをと深く反省しています。 今朝、まだ若い年齢の男性が、緊急手術を受けたとの連絡が入りました。新婚夫婦で、奥さんは来月出産というのに脳出血で緊急手術をし、さらに朝から再手術だそうです。よく知っている夫婦なので、あれこれ気がかりで。 そうこうするうちに、あるシーンが思い浮かびました。その知人の手術とはなんの関係もないのですがかなり、具体的なイメージでしたので忘れないうちに、書き留めておこうと思い仕事をほっぽり出しているのです。 この先の展開は、一応あるにはあるのですがまるで韓流ドラマのように思えるのでまだためらいがあります。続きは気が向いたときに書くことにします。 こうしてストーリーが、実際に見た夢のように具体的に思い浮かぶなんて相当、病的な状態だと思いますが、まあ、同居するしかないでしょうね。 ちなみに冒頭の動画は、映画「Scent of woman」の一シーンです。目の見えないアル・パチーノが、離れた席に座る女性の香水の香りを感じて、図々しくもダンスに誘うシーンです。 以前、読んだ飛行機の機内誌にダリの言葉が紹介されていました。「音楽も香りも過去の思い出に結びついている」と。 このストーリーも、本来は香水を遠慮すべき場でごく僅かの香水を使用している女性が登場し、その理由は最後に分かる、という構成なので、香水がキーワードの、この映画を思い出しました。ただそれだけのことです。 *転載終了 せっかくの機会なので、少々長文になってしまうが興味が終わりになったら、どのような作品なのかお読みいただきたい。ただし、収録文字数の関係で、保存ができない可能性はある。そのときは別の方法を考えたい。 【10年ぶりに記憶から蘇った短編作品】 (創作スケッチ Scent of woman〜「父の香り」) *転載開始 生前の父の希望により、葬儀は質素なものだった。父には兄弟がいないので、親族は喪主である、娘の私だけ。 教会は父の希望を受け容れ、葬儀を執り行ってくれた。司式者の方が、聖典からの言葉を引用し、生前の父の善行を讃美している。 私は何歳まで、父と一緒にこの教会に通っただろうか。毎週日曜日に教会に行くことが、徐々につまらなく思え、いつしか足を運ばなくなってしまった。罪悪感がなかったといえば嘘になるが、申し訳なく思うほど、父は寛容だった。 献花が始まるらしく、十数人の参列者が並び始めた。一人ずつ観察してみたが、どの顔を見ても父とどういう関係の人なのか、皆目分からない。喪主である私に黙礼し、私は機械的に答礼する。少しの感情も入り込む余地がないのが、不思議だった。 献花の順番が進む。 少し、後ろの方の、うつむき加減の女性が目に入った。父よりは少し若い気がする。髪は引き詰められており、顔立ちのはっきりした女性だ。教会の関係者なのだろう。 その女性が、黙礼し献花台に立ったとき、ほんの微かだが、香水の匂いが漂った。葬儀に香水?となじる感情よりも前に鮮明なシーンが甦った。 小さい頃から、母のいない生活だったので子どもながらも、父の世話の真似事をしていた。 中学生になった頃だろうか。帰宅した父の洋服をハンガーに掛けようとしたとき香水の匂いがしたのを覚えている。父はタバコを吸わなかったので、いつも何も匂いはしなかった。だから、そのとき香水の匂いを感じたことはとても意外だったのだけれど、さして気には留めなかった。 中学生の私は、香水になんて全然興味がなかったものの、強烈な印象としてどこかに残っていたように思う。今、この年齢になっても相変わらず香水に興味が持てない。 献花中のこの女性から漂う香水の特長ある香りは、あのときの父の上着についていたのと同じものだ。不思議なもので、20数年経った今でも鮮明に覚えていることに、かえって驚きを感じた。 人生って不思議なものだと、改めて思った。偶然のちょっとした取り合わせが、すっかり忘れ去っていた過去の遠い思い出を、突然目の前に再現するのだから。 聞いてはいけない質問だということは子ども心にも、なんとなく分かっていた。でも、一度だけ父に聞いたことがある。 お母さんはどこにいるの?事情があって、遠くに行ってしまい 一緒に暮らせなくなった・・・そう聞いていたので、でも、会ってみたい気持ちが募ったときがあった。あのとき父は、まだ会える状態ではないと、曖昧な言葉で説明し、私もそれ以上聞いてはいけないという雰囲気を感じてその質問はもう、それっきりにした。 この女性が今日、参列していなければ、そして、よりによってこの香水をつけていなければ、濃い靄に包まれて忘れ去られようとしていた父の陰が、浮き上がることはなかったように思う。 * * * * * * * * * * * * * * * * * 教会の墓地は、秩父の山の麓にあった。質素な、正方形の灰色の石蓋の下に納骨し父に簡単な別れの言葉を告げると、そのまま関越自動車道を練馬インターに向かって車を走らせた。 これで正真正銘、私は天涯孤独な身となった。幸いに専門職なので、失業の心配はないだろう。だが、独りで生活したことがないためか漠然と将来に不安を感じていた。こんなことは初めてだった。 帰宅して、緊張感が解け、同時に虚脱感に襲われた。ふと、テーブルの上の会葬名簿が目に入った。同じ文面だとしても、せめて会葬の礼状を出さなくては。いなくなってみて、かえって父の不在が重く感じられあまりにも事務的に過ごした、この1週間への反省の気持ちが生じた。せめて、会葬者と父との関係を確認し 一筆添えるぐらいのことはしなくては。 教会の関係者の方に連絡を取り一人ずつ名前を伝えて、父との関わりを確認した。教会の関係者ではない三人の名前のうち二人の男性は、よく父から名前を聞いていたのでかつての勤務先の同僚であることは分かった。定年後も、時々一緒に会っていたようだ。 最後に一人の名前が残ってしまった。どうやら、あの香水の女性なのではないだろうか。なんとなくそんな気がした。住所は、逗子になっている。事務的に礼状を出しても、決して非礼なことではない。そして、父が生きていた痕跡も、これで完全に消滅してしまうのだ。 今まで気にも留めなかった「人生」という現実そのものなのに視界に入らなかった概念が突如、姿を現したかのように、戸惑いを感じた。 私が結婚相手に会ってほしいと伝えたとき、一瞬の間を置き、いつ?どこで?と父は、まるで商談のスケジュールを調整するかのような事務的な口調だった。 いつ?どこで?・・・どうして「誰なの?どんな人?」って聞かなかったのだろうか。少し意外だった。この年齢になって、そのときの父の気持ちが少しは理解できるようになったような気がする。 いろいろ考えたんだけど、私、離婚することに決めました。戻って来てもいい? 思い切って父に打ち明けたときも、父は以前と同じ口調で、いつ?荷物は?・・・だった。理由はなかったが、突然涙があふれ出て止まらなかった。人間は、理由がなくても決意したり感情が溢れてくる生き物なのかもしれない。 逗子に行ってみよう。思いがけず、会葬名簿に書かれた逗子の住所を訪ねてみようという考えが頭の中を占めた。理由はなかったが、これまで知らなかった父の一面に接することができるのではないかという漠然とした動機を感じていた。 * * * * * * * * * * * * * * * * * まだ有休が残っていたので翌日、第三京浜と横浜・横須賀道路を走り午後の早い時間に、逗子マリーナを目指した。カーナビのない車なので、初めての場所は分かりにくかった。 海を背にして、坂を上り、何度か迷ったがようやく目指す住所を見つけた。小さな旧式の一軒家で、小さな門と木戸がある平屋建てだった。表札にはあの女性の名前だけが書かれている、 さすがにため息をつき、そのまま戻ろうと決めた。なんて馬鹿なことをしようとしていたんだろう。私立探偵でもあるまいに。 自嘲気味にそう考えると運転席に戻り、エンジンをかけようとした。そのとき、ルームミラーに人影を感じ、手を止めた。 なんてこった。思わず舌打ちをした。春とはいえ、今日は肌寒い日だ。彼女はベージュ色のコートで、髪は下ろしている。葬儀の時とは、印象が違う。 そんなことより、このままやり過ごそう。彼女が家に入ってから、車を出そう。とっさにそう考え、何か探し物をしているように顔を下に向けて、外の気配を探った。 木戸を開け、彼女は中に入ろうとしている。だが、彼女はそこで突然振り向きこちらの様子を窺っているようだ。最悪の状況になるかもしれない。いや、なってしまったようだ。 「わざわざ?どうかなさったんですか?」 「いえ、ちょうど鎌倉に用事がありまして、ご住所が逗子と書かれてあったのを思い出したものですから、なんとなくちょっと・・・」 最悪の間だ。 「お入りになりませんか?せっかくですから」 通されたのは、6畳ぐらいの洋間だった。 「先日は、遠くまでお越しくださって 有難うございました」 「いいえ、そちらこそお疲れ様でした」 *転載終了 転載作業の途中で、おぼろげながら思い出したシーンがある。 通された部屋の家具の上にCDが何枚か置かれており、それらは全てピアソラの作品だった。父が大好きでいつも聴いていたピアソラの作品だった。 もしかしたらどこかに結末を書いているのかもしれない。一応探してみるがどのように終わらせたか、記憶に残っていない。であれば、再度頭の中であれこれ想像を巡らして、最後のシーンを仕上げたいと思っている。 長文にお付き合いくださり、お礼を申し上げる。
by hirune-neko
| 2022-11-17 01:10
| 心の中のできごと
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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