昼寝ネコの雑記帳

昼間からもらい泣きをしてしまった

Astor Piazzolla - Tristeza, Separación
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 私の短編作品を、スペイン語とポルトガル語に翻訳してくれる予定の男性から、頼みがあると言われた。聞くと、南米出身の男性が、市役所に提出する書類が日本語のため、説明してほしいという依頼だった。

 三人でテーブルを囲み、書類が並べられた。見ると、退職金支払申請書と書かれていた。当の男性は日本語をほとんど理解せず、スペイン語が母国語だという。そこで、まず私が記入項目の内容を英語で翻訳家に説明し、翻訳家が彼にスペイン語で説明するという図式になった。彼の推定年齢は、70歳近くだと思う。・・・げっ!では、ほとんど同世代ではないか。
 
 最初は訳が分からなかったのだが、やりとりをするうちに、少しずつ状況が理解できた。

 日本人の奥様が、昨年10月に亡くなり、退職金などを申請するための書類だった。個人的なことなので、なるべく立ち入ったことは訊かないよう努めた。それでも、彼がペルー出身であること、亡くなられた奥様とは、30年以上一緒に暮らしたことなどが分かった。

 英語でしか私の気持ちを表現できなかったが、翻訳家がスペイン語で私のお悔やみの言葉を伝えてくれた。彼は俯きながら言葉を発したが、途中で目頭を押さえ嗚咽し始めた。長い間二人で暮らしたが、何も諍いはなく、幸せだった、と翻訳家が彼の言葉を日本語にしてくれた。

 私自身は嗚咽しなかったが、心の中で痛いほど気持ちが理解でき、悲痛な悲しみが伝わってきた。

 ペルー出身だと聞いたので、ピアソラが作曲した映画の内容を説明した。

 記憶は定かではないが、母親と再婚した男性との同居生活に耐えられなくなった思春期の男の子が、離婚した父親から随分前に届いた手紙の住所を頼りに、ペルーを縦断して父親を探しに行くというストーリーだ。

 ところが映画の原題が SUR (南)だったのと、ピアソラが作曲したことしか思い出せなかった。監督はソラナスで、邦題は「スール その先は愛」あるいは「ラテンアメリカ光と影の詩」だった。かなり長期間、ピアソラが好きで聴いている、と言ったら、再度名前を言うよう促されたが、知らないとのことだった。

 お子さんがペルーで待っているので、諸々の処理が終わったら離日するという。お子さんは36歳だというので、どうも計算が合わない。まあ、どうでもいいことだ。30年以上の結婚生活を日本で過ごしたのなら、彼はもう少し日本語が理解できるはずだ。もしかしたら、かなりの期間をペルーか南米のどこかで過ごしたのかもしれない。

 私には何もしてやれないが、せめてペルーに旅立つまでは、必要な手伝いがあれば協力したいと思っている。

 帰宅して、その映画の音楽アルバムを聴いてみた。その中の1曲は、冒頭のTristeza, Separaciónで、「別離の悲しみ」と訳せるのではないだろうか。

 人生の晩年に、異国の地で独り残された男性。せめてこの曲を聴きながら、彼の未来に希望と生きる気力が甦るよう、祈る気持ちである。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-01-28 00:53 | 心の中のできごと | Comments(0)

私は本当に、現実世界で生きているのだろうか

Bill Evans - Like Someone in Love
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

 
 処理作業に追われて脳内が飽和状態のときは、まったく意識しないのだが、今日のように土曜日で電話も少なく、仕事場の整理をしているときには、身体は忙しいが脳内には空洞ができる。その空洞に、いろいろなイメージや視点が忽然と現れることが多い。

 歩いて5分ほどの所に、間口2間ほどの小さな果物屋さんがある。申し訳程度に一部に野菜も置いている。ご主人は高齢の男性で、つい最近まで体調が悪く、店には出ていなかった。何度か買いに行き、雑談を重ねるうちに、ご主人も私のことを憶えてくれるようになった。

 今日はミカン2袋と、サツマイモ芋2袋を買った。サツマイモの煮たのは、義母の常食なのだが、ちょうど切らしてしまったので買いに行った。「今日のリンゴは甘くて美味しいよ、福嶋産だけど」と勧められた。「ちょうど福嶋のリンゴ園から取り寄せて、まだ残ってるから、無くなったら買いに来ます」と答えた。心なしか嬉しそうな表情を感じた。もしかしてご主人は福島の出身で、原発事故の風評被害で苦労している、福島の農家の皆さんを応援しているのかもしれない、という気がした。

 会計の時、小さな箱に饅頭が6個ばかり置いてあるのが目に留まった。「あら、果物屋さんで饅頭も売ってるんですか?」思わず、そのような言葉が出てしまった。なんでも、市場に出ていたので仕入れたという。どこの製造なのか訊いたら、福島だという。「私はこしあんしか食べないので」といい、茶饅頭のような色のをひとつ購入した。

 買ったものをリュックに詰め、店を後にした。そのとき、福島や岩手など太平洋岸の農家の皆さんのことが目に浮かんだ。土にまみれ、丹精込めて作物を育てている、純朴な人柄の人たち。・・・出来上がった生産物は、すべて農協が買い取ってくれるのだろうか。それとも、自ら販売努力をすることが必要なのだろうか。農作物の生産と販売営業。いかにも相容れない感じがする。

 世界中、もちろん日本も含めてマーケティングは、IT技術が全盛である。インターネットで簡単に注文でき、一般価格より安く、迅速に配達までしてもらえる。いわゆる、高度にグローバル化された販売ネットワークである。

 1年ちょっと前に他界された、岩手県の冷凍和菓子メーカーの社長の事を思い出した。頑固一徹な方で、地元の穀類を主原料にした和菓子を作っている会社だ。 全国のほとんどの生協に販売をしていると聞いている。文字通り、地元の農家の皆さんと密接な関係を築き、長年にわたって特色ある製品を開発・販売してきた。その社長とは、かれこれ40年ほど前からの付き合いだった。何度か会社にお邪魔したことがあるし、ご夫婦で東京出張の折は三人で歓談したものだ。

 いつか、非常時に備えた備蓄用の製品を一緒に作りましょう、という話をしていた。私自身の構想である、みるとす会員向けに提供したいという考えがあるからだ。一昨年、喪中の葉書が来たので、常務である奥様に電話をした。その時に、社長と一緒にこのような計画を話し合っていたんですよ、と伝えた。すると、即座に息子さんが跡を継いでいるので、よろしくお願いしますと言われた。

 これまでの長い間、仕事で北海道から沖縄まで訪れている。もちろん、全都道府県をくまなく訪れてはいないが、考えてみると東北地方に足を運んだ回数が断然多い。東日本大震災の後、絵本の寄贈プロジェクトを告知していただくをお願いで、北海道から青森、岩手、宮城、福島までの地方新聞社を回った。

 最終的には、岩手県大船渡市にある東海新報社に、最も多くお邪魔した。そのご縁で、津波の被害が甚大だった気仙地方のみなさんに、励ましの目的で気仙オリジナル版の絵本の寄贈を継続することにしている。予算の関係もあり、まだ実現していないが、もう少しお待ちいただきたいと思っている。そういえば、一時期、日本将棋連盟の大船渡支部が主催する、ちびっこ将棋大会に参加賞のノートを提供させていただいた。震災直後の大変な時期の頃だ。必要であれば、またお手伝いをさせていただきたいと思っている。

 東海新報社の役員の方には、みるとすの構想を簡単に説明している。何年も前からブログに書いているが、 会員制のファミリー・インテリジェンスサービスである。もう少し具体性が高まったら、取材をお願いし記事にしていただくことになっている。その時に、地元気仙地方の農業生産者の皆さんの状況や、加工食品メーカーの様子も聞いてみたい。三陸地方はリアス式海岸で、漁業も盛んなところである。農産物と海産物、それと加工食品の生産力があれば、何らかの形で提携できればいいなと希望している。

 自分の構想を客観的に見てみると、現在主流となっているウェブマーケティングなど、一連のグローバル化指向とは180度真逆の方向に進んでいると思う。長期的に見るなら、その方向が正しいという確信を持っている。つまり、人生観や価値観を共有し、人的な交流を束ねてお互いに、有意義な事業を構築していく・・・仮に逆風が吹くときであっても、お互いの信頼関係と、共に助け合う精神で乗り越えて行けると思うからだ。

 長いものに巻かれず、周りの空気を読まず、相手の地位や権力に臆せず、至ってマイペースな考えて生きている。

 そのような自分の生き方を客観的に見たときに、もしかしたら私はすでに他界しており、地上の価値観や風潮に惑わされず、あの世の視点から物事を考えているのではないか、と思うことがある。早世の家系に生まれ、早死にを覚悟してずっと生きてきている。いや、もしかしたら途中で寿命が尽きていたのだが、まだまだ地上での苦労と修行が足りないという理由で、あの世に受け入れてもらえず、 何度も地上に送り返されているのではないだろうか。つまり、何度もこの世とあの世を往来しているのではないか、という感じを持つことがある。

 そんなことが時々あるので、自分が本当に現実世界で生きているのか、あるいは、あの世でいろいろな訓練と指導を受け、少しは世の中の人のためになることをして成長し、あの世で受け入れられるようなレベルになって戻ってきなさい、と言われているのではないだろうか。そのような荒唐無稽な考えが浮かんでしまう。
 
 こうしていても、自分が本当に生身の人間なのか、あるいは異空間との往来を続けている変種人間なのか、はたまた昭和生まれの人間なのか、あるいは実際に紀元前1000年ごろに生まれ、できが悪いのでなかなかあの世に受け入れてもらえないため、ずるずると3世紀も生きているのか、自信と確信を持って判断することができないでいる。

 そんな行き場の無い私を、どうか憐れんでやっていただきたい。それだけがせめてもの救いである。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-01-27 01:37 | 心の中のできごと | Comments(0)

これでは毎日が真夜中のカウボーイ状津だ

John Barry (1933-2011) - The Midnight Cowboy Theme
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

 
 自分本来の仕事に手を付ける前に、即対応の必要がある案件が飛び込んでくる。最近は、断続的というより連続する傾向が目立っている。さすがに集中力を維持するのに苦心し、横から世間話をされても、申し訳ないが無視する状態だ。ネコだってエサを食べている最中に手を出したら、引っかかれるだろう。私もかなり殺気立って仕事をしている。

 真夜中のカウボーイという映画は、高校生の時に映画館で観た。確か学校を抜け出し、一人で観たのだが、なぜこの映画を選んだか記憶に無い。大体、半世紀も前のことなので映画といえば、映画館で観るしか選択肢が無かった。しかも、映画館は町に数軒しか無かったのだから、選ぶこともできない時代だった。

 その点、今は無料映画サイトだけでも、いくつもある。かつての映画館主は、どのような状態になったのだろうか。ひと頃は全盛を誇っていたビデオレンタルショップも、徐々に閉店傾向にあるようだ。時代と共に、成り立たなくなる業態があるものだと、感慨深く思っている。

 ここ数日、ブログ・余命3年時事日記がアクセスできない状態になっている。かかる事態を想定し、別サイトを用意していると書かれていたが、もしご存知の方がいらっしゃったら、教えていただきたい。

 時間を確認したら、午前2時である。せっかく早寝を目指していたのに、元の木阿弥である。しかし、今はそのような時期なので、つまり多少無理をしてでも一定の環境を、早急に作らなくてはならないので、楽をしてはいられない。

 いつか将来になって振り返り、ずいぶん無茶をした時期があったな、と懐かしく思い出せるときが来るといいなと、楽しみにしている。

 現実の仕事の渦中にあると、なかなか創作ストーリーが思い浮かばない。やはり第一線から退けられるように、スタッフを揃えて訓練し、徐々に海の近くに住まいを移したいという希望を持っている。

 創作活動は、唯一自分の世界に浸りきり、脳内に自由な空間を創ることができる。今は、そこに至るための上り坂だと考え、引き続き努力するようにしよう。

 しかし一方で、国家の安全については常に視野に入れたいと考えている。とくに、最近の東アジア情勢には注目している。とりわけ、日韓関係がどのような展開になるのか・・・まさに過去最悪の関係なのではないだろうか。北主導の半島統一はあるのだろうか。

 いずれにしても、素人目にも特亜三国が窮地に追いつめられているのは事実だと思う。果たしてどのような陰謀が実行に移されようとしているのだろうか。

 私は国家機関とはなんの関係も無いので、あくまでも想像と推測を巡らせるだけだが、非常事態に備えた個人的な備蓄は、今後も勧め続けようと思っている。また、できるだけ実態を反映した情報源を確保し、他国や他国情報機関の情報工作に振り回されないよう、知恵を絞って警告したいと思う。言うだけなら簡単なのだが、仕事上いろいろな思想信条の方々と接触するので、賢明な戦術・戦略で進めなくてはならない。目下、その基本方針を検討中である。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-01-26 02:32 | 心の中のできごと | Comments(0)

ちょっとしたひと言で、心が軽くなってくれれば嬉しい

Onde Anda Você - Vinicius de Moraes e Toquinho │2R Studio Sessions (Melyssa Amorim)
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

 
 絵本の製作申し込みは、郵送、ファックス、インターネットの3種類だ。アルバムページ用の写真は郵送で、画像はインターネットから送られてくる。いずれも、インターネット経由のものは私が処理している。自分の作業の最中に着信すると、手を止めて製作依頼内容を確認し、印刷する。画像が着信した場合は、製作担当者と共有しているドロップボックスにアップロードし、お客様には到着報告のメールを送信する。基本的には同じ内容の文章なので、名前だけを差し替え、送信する。決して煩雑な作業ではなく、どちらかというと単純な作業である。

 しかし、問題は自分の作業を中断することになるため、何をどこまで進めていたかを見失ってしまうことがある。あるいは、集中力を欠き、何かを飛ばしてしまうこともあり得る。したがって、忘れないように集中しながら作業を中断している。

 昨日インターネットから、同じ名前で2冊の申し込みがあった。誤って二度送信することもあるし、郵送申し込みをしたのに、改めてインターネットから再度申し込む人もいる。こちらも、それなりの数をこなしているので、いちいち名前を記憶に留めることは不可能だ。そこで、毎週1回、重複チェックを在宅アルバイトの方にお願いしている。

 昨日は、また二重注文かと思い、ご両親とお子さんの名前を確認したところ、お子さんの名前が異なり、出生日が一緒なので双子であることが分かった。画像もそれぞれに添付されていたので、定型文で着信報告をしようとした。そのときふと、まるで大音響のステレオのように、二人の赤ちゃんが同時に泣きわめく情景が目に浮かんだ。

 そこで、余計なこととは思いつつも、定型フォームには無い、以下の数行を付け加えて送信した。

「双子のお子さんなんですね。
戦争状態だと思いますが、なんとか
乗り切ってください。」

 今朝メールを開いたら、普段は目にしない表現の文章が目に留まったので、読み進んだ。以下のように書かれていた。

「おはようございます。
まさかあんなにご丁寧な返信をいただけるとは思わず
びっくりしてしまいました!
おっしゃる通りただ今戦争状態です。大変ではありますが、
娘たちの寝顔を見ると全て吹き飛んでしまいます。
本当にかわいいです。」

 読みながら、私の心もほっこりした。赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんなのではなく、いずれは笑い、片言の言葉を話すようになる。ハイハイし、ヨチヨチ歩きをするようになる。反抗期を迎えるだろうし、思わぬ病気やケガを経験するかもしれない。ただただ、健康・安全・順調に成長することを願うばかりである。

 ほんの数行ではあったが、お母さんの苦労をねぎらって、ひと言お送りして良かったと思う。

 そのような思いと共に、脳裏に浮かんだのは、最近の例だが、シングルマザーの方が出産し、赤ちゃんが数日後に天使になってしまったケースだった。どのような事情があるのか知る由もないが、女手ひとつでわが子を育てようと決意し、出産したのだろうと思う。子どもの成長を人生の生き甲斐にしようと、あれこれの人生設計を思い描いたのだろうと思う。

 息をしていないわが子の姿に接し、どれほどの悲しみと失望に包まれただろうか。想像することもできない。

 そのお母さんは、いずれ天使版の絵本を手にすることになる。これまでの経験から想像すると、おそらく嗚咽と涙で読み進めなくなるだろう。何度も何度も中断するだろう。悲しみの涙が心の中から溢れ出れば出るほど、心は少しずつ軽くなるはずだ。父親のいない家庭に迎えることになってしまった、悔悟の気持ち。赤ちゃんの父親との最初の出会いから、今この瞬間に至るまでの出来事と、心の軌跡を一瞬のうちに思い巡らすだろう。

 何日か、そして何度か嗚咽し涙を流すことで、やがて視線を前方に向け、微かな希望と生きる気力が心の中で蘇生するのを感じることだろう。・・・そうなることを願っている。もしできれば、励ましの言葉をかけてあげたいという思いがある。

 そうだ。今までそんなことをしたことはないのだが、このブログ記事をそのまま印刷し、絵本と一緒にそっと入れて上げることが思い浮かんだ。

 おそらくは孤立感、絶望感、罪悪感に苛まれている心理状態のときに、誰かが親身に案じ、励ましたいと思ってくれている・・・そう思えるだけでも、少しは心の救いと支えになるのではないだろうか。自分自身を、自分独りで支えなければならないのだから。

 私は鈍感な人間なので、女性の心理は理解できない。しかし、純粋に心からの心配と寛容な気持ちで、これからの人生を歩み始める方の心に寄り添いたい。そのような私の気持ちをお伝えしたいと、心から思うようになっている。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-01-25 02:09 | 心の中のできごと | Comments(0)

消耗品のような私だが、使い捨てられないようにしよう

ANTONIO CARLOS JOBIM (1967) - Triste [wave]
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 処理作業が連続すると、ついつい集中してしまい、気がついたら脳内がすっかり消耗してしまっていた。

 昨年末までに、資料請求のあった自治体6カ所かに、グリーティング絵本活用の提案書を送付した。現在の私は、産婦人科向けの提案書を仕上げなければならないのだが、紹介者なしで自治体にコンタクトしたらどんな様子かと思い、昨日は地元の高津区役所に電話してみた。どうやら区では現場仕事に終始している印象で、長期的・戦略的取り組みは、市役所のようだという印象を受けた。

 そこで、市役所に電話し交換台の方に主旨を説明したところ、担当部署と思われる方につないでくれた。電話に出た方に詳細な説明をさせていただいたら、相談して折り返し電話します、ということになった。すでに夕方近くだったので、今日に持ち越した。

 川崎市には「こども未来局」という部署があり、今日、そこの担当者の方から電話をいただいた。絵本を起点として、地域住民の皆さんに対する、読み聞かせ、読書サークル、同人創作活動、創作コンクールなど、文化的なサポートを、専用サイトを提供してお手伝いさせていただきます、という主旨を説明した。なかなか理解力のある方だという印象が、受話器の向こうから伝わってきた。

 上記のような全体構想は、すぐに思い浮かんだ訳ではない。頭の中で必死に考え、想像し、難産の末にようやくイメージが固定化した。とくに、自治体専用の読書活動支援サイトを寄贈する、などというのは最初のメニューには無かった。

 サイト制作ソフトの使用規約には、他事業者のためにサイトを製作する場合は、その都度ライセンス使用料を支払うという項目がある。それを最終的には、読書活動支援の非営利の行為であると認定し、無料使用することを認めてもらった。レンタルサーバー内の設置ドメイン数にも制限があるし、サイトに不可欠のフォームだって上限数がある。それらをすべて確認し、なんとか無償提供することが可能な水準に到達した次第だ。更新費用の問題は残るものの、在宅でできる作業なので、なんとか人材は確保できると思っている。

 私はこれまでに、新規サイトを数十種類作っている。今にして思うと外注予算が無く、ゼロから独学して習得したのだが、その経験がなければ、自治体に対するサイトの無償提供などという考えは、まったく出てこなかっただろうと思う。誰だって、目の前の苦労は辛いものだ。しかし、辛抱して努力していれば、活路を見出す可能性が高まるのではないだろうか。

 始まったばかりなので、まだ具体例はないものの、単にグリーティング絵本の採用をお願いするだけの営業展開ではなく、自治体が本来的に持つ地域住民への支援、とくに少子化が顕著な現代にあっては、経済的・物質的支援とは別に、堅固な家庭、精神領域、感性、洞察力、疑似体験、知恵、知識などを包括的に涵養する読書活動に焦点を絞ることになった。なんとか説得力が増幅されてほしいものだ。
 
 今日までに資料を郵送した自治体は8カ所になった。各自治体の年間出生数はまちまちである。8年程前に調査したときの古いデータによれば、8自治体のうち、最大の出生数の市は年間約1万4千人、つまり毎月1200人ほどである。大変な製作冊数になる。

 一方、最小の出生数の村は、年間6人だった。もしこの村が、グリーティング絵本を採用するが、村民の皆さんの読書支援のために、専用サイトを活用したいと希望された場合、私はためらわずにお引き受けしようと思っている。完全に赤字なのは目に見えている。しかし、おそらくは熱心に読書活動の支援に取り組まれると思う。その結果、私たちは使命感に加えて、達成感をいただける結果を見ることになると思っている。仕事だけでなく、人生にあっても達成感を感じるというのは、お金で買えない貴重な体験だと思っている。

 もちろん、そのような規模の村だけが100カ所まとまってしまったら、会社が存続できなくなる危険性が高まるかもしれない。でもまあ、きっとどこかで辻褄が合うことになるだろうと、楽観的に考えている。至って呑気なものである。

 同じ状況であっても、視点や見方が違えば、ずいぶん異なる眺望になるのではないだろうか。同時に、見えるものだけを見て判断するのではなく、目に見えないことをどこまで見ることができるか、それはとても重要なのではないだろうか。そんあ風に考えることがある。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-01-23 23:57 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
causalさん ..
by 昼寝ネコ at 12:53
おはようございます。 ..
by causal at 07:32
ヨモギさん コメン..
by hirune-neko at 18:43
yomogiさん ..
by hirune-neko at 18:42
昼寝ネコ様 今日は..
by ヨモギ at 16:15
記事ランキング
以前の記事
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ