人気ブログランキング |

昼寝ネコの雑記帳

今日は異常に眠い日だ。思考がさっぱり焦点を結ばない。

Gidon Kremer - Astor Piazzolla: El Tango (1997) [8/11] Los Mareados
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 夜中から朝方まで、すっかり頭が冴えてしまい、まったく眠くならないのは不安で不気味なものだ。しかし、今日のようにずっと睡魔に襲われているのも困ったものだ。文字通り、思考が焦点を結ばなくなっている。

 そのような状態でも、何か書こうという意識はあるので、こうしてキーボード叩いている。

 昨日の孫娘の発表会の感想をブログに書いた。リー・サロンガと森尚子さんの動画も掲載したので、歌を勉強している孫娘に読んでほしいと思った。母親に電話をして主旨を伝えたのだが、夜になって、その孫娘からメールが届いた。ブログを読んだという。

 一人でも自分に関心を持ってくれる人がいれば、嬉しいのではないだろうか。普通は誰でもそうだと思う。

 日本で声楽家が教えている発声法が、果たして正しいのか疑問に思うことがある。いわゆるクラシックは頭声、ミュージカルは胸声と言われているようだ。知人の男性声楽家は、国立音大の声楽科を主席で卒業し、フランスとイタリアに留学した。帰国後は劇団四季の舞台で歌っていた。独自の発声法を生み出し、実践している。

 別の男性声楽家は、東京芸大を卒業し、ウィーンに留学した。オペラと歌曲を歌い、コーラスグループの指導もしている。

 ここで中断し、英語のスカイプレッスンを受けた。睡魔はすっかろ消え去ってしまった。今日は、なんのはずみか、我が家の子どもたちが何をしているか訊かれ、結局は1時間のほとんどを、私の身の上話で費やしてしまった。日本語ならスラスラ言えることでも、英語となった途端、言葉に詰まってしまうことが多い。東日本大震災の津波で、と言いかけて、洪水はfloodだけど、津波は英語ではなんと表現するのか言葉が出てこなかったので質問すると、tsunamiで通用するそうだが、英語では tidal waveだそうだ。


 さて、本題に戻りたいと思う・・・。

 声の良さに拘るのは分かる。しかし、そのような視点で見ると、ロベルト・ゴジェネチェの歌は論外になるのではないだろうか。レオ・フェレだってどのように評価されるか分からない。しかし、声の良さだけに酔い痴れる人もいるだろうけれど、音楽の本質は心に感動や癒し、平安や慰めを与えることにあるのではないだろうか。あるいは励ましを受けることもあるだろうし、何かに共鳴することに安堵を感じるかもしれない。つまり、感性と感覚が心の中、精神領域に何かを覚醒させるような力が働くのではないかと感じている。


 身の上話の中で、東日本大震災後に、江戸時代を舞台にした「気仙しぐれ雪」を書き初めていることに触れた。伊達政宗公の名前を口にしたら、以前東北に住んでいたことがあり、伊達政宗公ゆかりの建物に行ったことがあると言っていた。

 今日もそろそろ深夜である。連日、実務作業に追われてしまい、なかなか思うように自分自身の業務が進まない。なんとか粘り続け、大きな歯車が回転し出すところまで、踏ん張りたいと思う。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-08-29 00:19 | 心の中のできごと | Comments(0)

小学5年生の孫娘の、歌の発表会に行ってきた

Lea Salonga - On My Own (Les Misérables) [720p]
19,395,045 回視聴

 小田急線の鶴川駅は、初めて訪れたのではないだろうか。ホールの名には和光大学の名前が冠されており、300席という大きさだった。

 いわゆる声楽の発表会だったが、出演者は10人ほど。文字通り老若男女が次々とステージで、日頃の練習の成果を披露した。小5の孫娘が最年少で、70歳代と思われる男性、女性も生徒さんだった。中には、ボニージャックスのリーダーかと思わせるような、なかなかの美声の持ち主の高齢男性もいらっしゃった。明らかに私より年長だと思う。

 もし私が今、ステージに立ったら、果たしてどの程度声が出るだろうかと想像してみた。かなり高齢者の皆さんが歌われる姿を目にし、つい良からぬ想像をしてしまった。とてもこれ以上、何かにチャレンジする余裕は無い。にもかかわらず、ついついイメージが湧いてしまった。

 思わず笑ってしまったのだが、最初は一人一人が文部省唱歌のメドレーを歌った。次は同様に一人一人が日本の流行歌を歌う。そしてミュージカルのナンバー、さらにはシャンソン・カンツォーネで第1部が終わった。

 孫娘は、決してひいき目ではなくても、良く通るなかなかいい声をしている。それと滑舌がいいので歌詞がちゃんと聞き取れる。才能と可能性に恵まれていると思った。

 声楽を趣味で留めるのか、あるいは職業として目指すのか、どうなるかは分からない。しかし、いずれにしても音楽を職業としようとすると、なかなか険しい道のりなのではないかと思う。

 今日の発表会で、中学1年生の女の子だったと記憶しているが、ミュージカルの部で、レ・ミゼラブルの曲を歌った。冒頭に紹介した「On My Own」だ。歌っているのはリー・サロンガで、以前記事で触れた、ミュージカル「ミス・サイゴン」の主役・キムを演じた女性だ。フィリピンではアイドル歌手だそうだ。なんと、再生回数は2千万回近くになっている、驚異的な数字だ。

 ロンドンに初めて行った頃、地下鉄の切符の買い方も分からず、日本のJCBデスクに電話して、ガイドをお願いすることにした。待ち合わせ場所にやってきたのは女性で、電車の中で話すうちに、ロンドンが発祥のミュージカル「ミス・サイゴン」を話題にした。すると彼女は、そのミュージカルに出演していたと言った。へぇ〜、何の役だったの?と訊いてみた。酒場で働く女性が何人も登場していたのを思い出したからだ。

 すると彼女は「キム」です、と答えた。私は思わず、ぎぇーっ!と声を上げた。主役のキム?彼女は頷いた。その彼女の名前を思い出そうとしたのだが、なかなか思い出せない。もっとも、20年以上も音沙汰が無くなっているので、やむを得ないと思うが、最近は言葉がなかなか出ないことが増えている。困ったものだ。・・・5分ほどして思いだした、森尚子(もり・なおこ)さんだった。

 このやり取りは何年も前に書いた記憶がある。当時の私は、サロンコンサートを月に一度主催していたので、いつか日本に来ることがあったら、是非出演してください、とお願いし、それが実現した。

 そのコンサートに、NHKのプロデューサーだった知人を招待した。それがご縁で彼女は、NHKの単独番組で紹介されることになった。もしかして、その番組がYouTube動画になっていないか調べたが、残念ながら見つけられなかった。

 前回もご紹介したのと同じ動画だが、テレビ番組に出演し、ミス・サイゴンの曲の一節を歌うシーンがまだ残っていたので、以下にご紹介する。さて、彼女は今頃どこで何をしているのだろうか。何人かのお孫さんに囲まれているのだろうか。

 改めて、私自身の無軌道で無鉄砲だった頃のことを,懐かしく思い出している。よく無事に、これまで生きながらえてきたものだと、感慨深く思っている。

 今の私はさすがにおとなしく、温厚になっていると思う。しかし、年齢の割には多少はまだ、無軌道で無鉄砲なところがあるかもしれない。あったとしてもそれは単なる昔の名残り、日の名残りなのではないだろうか。つまり、人間の本性は、そんなに簡単に変えられないものだと思うからだ。

【森尚子さん〜英国のテレビ番組に出演】
John Barrowman & Naoko Mori Sing The Last Night of the World

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-08-28 00:56 | 心の中のできごと | Comments(0)

緊張感が無くなった生活を想像してみた

Astor Piazzolla - Marejadilla
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 何かをしながら、これが終わったら、あれを片付けようと考えていることが多い。ひとつかふたつ程度なら、記憶に留めておくことはできる。しかし、間断のない電話やメールで作業が中断され、しかもその電話やメールのほとんどは、調べたり処理したり、説明したりなど、即対応しなければならないケースばかりなので、全ての案件を記憶に頼っていると危険になってしまう。理想的には、タスク管理ソフトにちゃんと入力すれば万全なのだろうが、とてもそのような余裕は無い。最も迅速・確実に記録を残せるのは、正方形のポストイットにメモし、目の前のモニター画面の下に貼っておく方法だ。それとて、終了した案件はくずかごに捨てないと、貼るスペースが無くなってしまう。

 なぜ、こんなに必死になっているのだろうか。ひと息ついたとき、少しでも余裕があると、そう自問することがある。

 いつかはきっとすっかり落ち着いて、もしかしたら海外へも取材旅行に行けるのではないだろうか。好きなだけ水平線を眺める時間があり、電話も来訪者も無い静かで平安な時間を過ごせるようになることを夢みて、今はそのために必死なのだ・・・というのが一応の答えである。

 しかし、今の生活パターンと較べてみると、ほぼ完璧に時間速度の観念を喪失し、外部からの刺激も少ない生活に埋没してしまうと、起き上がることすらも億劫になってしまうのではないだろうか。まるで生ける屍のような存在になってしまい、逆に自分自身の存在価値を見出せないという、悲壮感に包まれるのではないだろうか。

 心身共にしんどい話ではあるが、私はこのまま突っ走り、倒れるまで自分の鼻先に人参をぶら下げて生き続けるのが、おそらくは性に合っているのだろうという気がしている。

 視界不良の中でも、あれこれもがいていると、少しずつ周りの景色が見えてきて、進むべき方向の暗示を受けるようになると期待している。年齢的には、体力・気力面で徐々に厳しさを増すだろう。

 物質的なものが最終目標であれば、それは数値で表すことができる。しかし、私が目指しているのは・・・勿論経済的な基盤はあるに越したことはないが・・・数値に換算できない何かを、模索しながら探求しているようなものなのではないだろうか。

 気力と集中力を維持しながら、さらには自分なりの使命感と正義感を失わないよう、逆風に立ち向かおうと思ったとき、改めてピアソラの作品の持つ力を感じている。私にとっては、ときどき見失いそうになる自分の原点を支えてくれる、不思議な力を湛えた音楽世界である。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-08-26 23:33 | 心の中のできごと | Comments(0)

作業が終わってみたら、午前3時だった

Astor Piazzolla - Oblivion
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 受注システム改善のため、作業を実体験しようと考えた。そこで、週末に溜まった受注データを全て、Excelbookに入力した。手書きの申し込み書は約40枚あったため、拡大鏡で一項目ごとを確認しながらの手入力だった。休み無しでも、7時間程度はかかったように思う。

 結論としては、やはり手書きの申し込み書は受け付けず、サイトからの申し込みフォームに一本化すべき、というところに落ち着いた。しかも、産婦人科や自治体個々の申し込みフォームを設置するのではなく、統一フォームにすべきだと確信した。営業が本格化する今後の展開を考えると、統一フォームは譲れないラインになる。協力してくれない相手は、こちらから取引を辞退させていただくつもりだ。

 それにしても、この時間まで仕事をするのは、間違いなく身体に良くない。そんなことは百も承知である。仕事をしていれば、ときには限界を超えて無理をしなければならないこともあるだろう。


 昨日、久しぶりに未完の大作の資料を開いてみた。昨日の記事でご紹介したピアソラのRemembrance(思い出)は、幕開けの最初の舞いで使う予定だ。

 今日ご紹介するのは、ラストシーンで使いたいと思っている、同じくピアソラの作品で、Oblivion(忘却)である。ピアソラの作品の中では、最も好きな曲だ。

 改めてストーリー全体の流れを、頭の中で反芻してみたが、それだけでも深い感動の気持ちを味わうことができた。

 連日、私にとっては厳しいスケジュールが続いてるものの、定期的に時間を確保して、とりあえずは脚本を仕上げたいなと思い始めている。

 ピアソラの曲を、どのように使わせてもらうのがいいのかが、課題になりそうだ。私個人としては、各作品のメロディーを演奏するだけでは、ピアソラの音楽的な立体感を舞台上で再現できるとは考えていない。

 ピアソラ自身が演奏した音源を、そのまま使う方法を検討するか、あるいはたとえ無名であっても、感性のいい演奏家を探すか、迷うところである。

 さてさて、そんな呑気なことを考えている場合ではない。いくらなんでも、もう布団に入ろうと思う。

 いつまで経っても、やれやれの生活パターンである。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-08-26 03:42 | 創作への道 | Comments(0)

久しぶりに未完の大作?「気仙しぐれ雪」を思い出した

Suite remembrance: Remembrance
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 資料を確認したら、具体的な発案そのものは、2012年だった。

 東日本大震災は2011年だったので、その翌年である。多くの方が津波で落命し、悲惨な状況だった。福祉団体の依頼で助成を受け、子や親を亡くされた方のための文章を作成して寄贈した。北海道から青森、岩手、宮城、福島を回り、新聞社に告知記事のお願いをした。十数社は訪問したと思う。

 何かのご縁だったと思うのだが、岩手県大船渡市の東海新報社には、何度もお邪魔することになった。海岸線を車で走りながら、入り組んだ湾の静謐で神秘的な暗緑色の水面に、強い印象を受けた。

 気仙地方を何度かお邪魔するうちに、無言のまま死を余儀なくされた方々の、魂の囁きが聞こえたように感じた。イメージは膨らみ、江戸城築城の手伝いを伊達政宗公に命じられた家族と、男勝りのやんちゃな娘が思い浮かんだ。

 その娘もやがて成長し、年頃になる。江戸で知り合った男性に恋心を抱くが、ある日、父親の上司によって勝手に決められた縁談が持ち込まれる。娘は苦渋の決断で、病を装って自害する。

 その娘が、霊界から現世を訪れ、無念の気持ちを舞で表現する。そして、決して口には出せなかった苦しい胸の内を明かし、舞台上から観客に向かって語りかける。つまり、別れを告げることもできずに、地上を後にした無念の思い、残された家族に対する気持ちを語る・・・という設定である。

 当初は「気仙に還る〜望郷の舞い」というタイトルで考えていたのだが、「気仙雪しぐれ」、そして現時点では「気仙しぐれ雪」と考えている。

 残念ながら、筆が一向に進まない。しかし、全体のプロットはその頃にまとめてある。

 舞台上では、婆やのナレーションと、他界した娘の舞が交互に展開する。そして、舞に使用するのは、もちろん全てピアソラの曲である。冒頭で紹介したのは「Remembrance」で、思い出という意味のようだ。この曲を冒頭のシーンで使う予定だ。

 ラストシーンでは、「Oblivion」を使うことに決めている。忘却という意味である。

 会場は、大船渡市のリアスホールをお借りし、地元の皆さんをご招待したいと考えている。婆やは独身時代からの演劇仲間にお願いしている。私の作品に何度か付き合ってくれている女性だが、すでにお孫さんが何人もいて、そのままで適役である。

 主役の舞う女性は、我が娘に平身低頭してお願いしようと思っている。もう何年も前のことだが、川崎市民劇で、枡形城主の妻役で使っていただき、そのときの舞う姿が、ずっと印象に残っている。

 課題は音楽である。どうしてもピアソラの演奏が強く印象に残っているため、現役の演奏家にお願いすることに違和感を感じている。著作権の問題があるので、どのようにクリアするか、まだ出口が見えない状況だ。

 早く仕事を落ち着かせ、脚本を仕上げたいと思っているのだが、さて、あとどの程度の時間がかかるだろうか。そのうち、しびれを切らした霊界の皆さんが、夢に現れて「何をモタモタしてるの?ずっと待ってるのに」と、催促されそうな気がする。当日は観客席のどこかで、一緒に見守ってくれるのではないかと想像している。

 気仙の皆さんから送っていただいた、大船渡銘菓のカモメの玉子、生のサンマなどを懐かしく思い出している。

 依然として、不義理中の昼寝ネコである。大変申し訳ない。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

# by hirune-neko | 2019-08-25 01:19 | 創作への道 | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 10:02
昼寝ネコ様、お早うござい..
by ちはや at 08:42
> ちはやさん コ..
by hirune-neko at 08:47
昼寝ネコ様へ 貴重..
by ちはや at 07:41
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 02:55
記事ランキング
以前の記事
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ