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昼寝ネコの雑記帳

全面広告〜グリーティング絵本です

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(クリックすれば、原寸大になりますよ)
仙台で発行され、東北六県に流通されている「河北新報」という名門新聞社があります。その子会社の「河北仙販」は、仙台市内15万世帯に「河北新報」を届けている販売会社です。新聞と一緒に、毎月1回「ひまわりクラブ」というタブロイド新聞を届けており、今日の新聞に全面広告で「グリーティング絵本・大切なわが子へ」が紹介されました。出版元のクロスロード(http://www.crossroads.co.jp)と販売提携したもので、仙台市内の産婦人科などにも営業するそうです。

「グリーティング絵本・大切なわが子へ」の文章は昼寝ネコが担当しており、カスタマイズの要請があった場合、ご希望に添った文章を作らせていただいています。担当者の方のお話では、仙台の方はインターネットを利用する方が少ないということでしたが、すでに何冊か注文が入っており、嬉しい限りです。少しでも多くの方にこの絵本を知っていただき、親子の絆を温めていただければ嬉しく思います。

そんな訳で、今日は全面広告とさせていただきました。広告をクリックすると原寸大になります。ただ、原稿段階のデータですので「税込」が「税別」になっていたり、誤字があります。

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昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
# by hirune-neko | 2007-08-26 15:44 | 創作への道 | Comments(2)

映画と音楽と天才たち

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http://www.youtube.com/watch?v=pG1FYAvOe5A

 昨晩、本当に久しぶりで映画(ビデオ)を観たんです。家にあったものですが、観た記憶がないのと、ちょっと時間がとれたものですから・・・で、その感想をmixiに書いたのですが、とてもいい映画でしたので、ブログにもそのまま掲載させていただきます。是非、youtubeの方もご覧になってください。

 改めて見ると、ビデオはずいぶん場所を占有するものだ。一番下の段の見慣れないパッケージが目に入り、タイトルを確認してみた。「a beautiful mind」で、聞いたことはあるが観た記憶がない。誰が買ってきたのだろう。多分、次男か三男なのだろう。「レナードの朝」とか「カッコーの巣の上で」、「レインマン」などなど、考えてみればアメリカ映画にも「心を病む」人をテーマにした映画がかなりあるのではないだろうか。確かに、アメリカでの日常生活にはある種の根本的な矛盾の上に構築されているような、危うさがあるように思う。満足の上限を知らない金銭欲や物欲・名誉欲、あるいは世俗性を否定する宗教的な安定。そのいずれかがなければ、かなりマニアックに自分独自の世界を構築する以外に、不安感を払拭するのは難しいのではないだろうか。

 「a beautiful mind」は、天才数学者の生涯を・・・詳細は確認していないが、おそらく実在の人物をドキュメンタリー風になぞった作品になっている。「病的な幻覚」がひとつのテーマなのだが、それよりも驚いたのは、音楽がまったく印象に残っていないことだ。
 以前、知人から紹介された「五線譜のラブレター」は、音楽家コール・ポーターの生涯を映画化しているので、当然のことだが彼の作品が流れる。so in love、night and day・・・確かに懐かしく思え、「音楽の主張」が確固として映画の中に存在する。ほとんどの映画がそうではないだろうか。サウンドトラックとして販売されているCDで欲しいのはたくさんある。
 だがしかし、この「a beautiful mind」を見終わっても、ただの一曲も印象に残っていない。ひょっとして、音楽を使っていなかったのだろうか?いや、そんなはずはない。youtubeで検索してみたら、表題の一編を見つけた。背景にはこの映画で使われた音楽が流れ、「音楽制作」に関わった人たちがコメントしている。ああ、オーケストラの演奏だったんだ・・・そういえば「日の名残り」(the remains of the day)はオーケストラによるドラマチックな演奏に圧倒される曲想だった。クロード・ルルーシュとフランシス・レイの作品だって、一度聴いたら絶対に忘れない印象的な音楽ではないか。「シンドラーのリスト」だって、イツァーク・パールマンの演奏するテーマは衝撃的だったし、「ニューシネマ・パラダイス」だって、エンニオ・モリコーネの曲は「ネコにまたたび」状態だった・・・挙げればきりがない。

 では、なぜ「a beautiful mind」で使われた音楽が印象に残っていないのか?理由はいくつか考えられる・・・もしひどいできの音楽だったら、それこそ耳障りで聴くに耐えないので、そういう理由ではない。

 第一に、プロットが非常に良くできているので、その筋立てに全神経が引き込まれ、音楽に注意を向ける余裕がなかった。

 第二に、登場人物の演技がリアルであり、注意がそこに集中してしまった。「五線譜のラブレター」では、ケビン・クラインが若い頃から老境までのコール・ポーターを、特殊メイクで独りで演じる。「a beautiful mind」でも、ラッセル・クロウが天才数学者の学生時代から老け込んだ年齢までを、独りで演じている。当然のことだが、わずかの違和感を感じる。しかし、奥さん役のジェニファー・コネリーと個人的に好きな渋い俳優であるエド・ハリス。そして脇の名優に支えられた秀逸なキャスティングだには脱帽だ。見せて魅せる俳優陣の魅力が大きく、増幅されたリアリティの陰に、音楽が隠れてしまったのではないだろうか。

 さて、思い当たる第三の理由だが、音楽を担当したジェームズ・ホーナーと彼のスタッフが、天才的にしかも情熱的な才能を緻密に、いかんなく発揮し、映画そのものが持つ本質を引き立て、配慮することを優先した結果ではないだろうか。「自分たちの作品」という立場を捨てて、映画という作品を軸に、映画そのものを敬愛して創作した結果なのではないだろうかと思えてならない。住宅には、外観とインテリア、家具、空間と導線など、いろいろな要素が考えられるが、インテリアデザイナーや家具デザイナーが、建物のコンセプトを無視して自分の作品を目立たせようと主張するなら、その家は台無しになってしまうと思う。
 映画とて同じことではないだろうか。youtubeからのこの一編は、あいにく英語なので彼らの話している内容を正確には把握できないが、表情とバックに流れる音楽、フラッシュバックされる映画のシーンをご覧いただき、改めて天才たちの努力と人格によって佳き作品が生まれた、その片鱗を共有していただければ幸甚に思う。

 今一度、佳き作品を「創作する」方々に、賞賛の拍手を送りたいと思った秀作だった。

 ちなみに、私自身は幻覚は見ないものの、脳内ではかなりのイメージが具体的に像を結ぶので・・・もちろん数学とは無縁だし鈍才ではあるが・・・その意味で少し病的なのかなと、幾分不安になったのが正直な気持ちだ。いつかアメリカに行く機会があったら、舞台になったプリンストン大学とやらのキャンバスに行ってみたいと思う。

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# by hirune-neko | 2007-08-25 15:09 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)

暑中、お詫び申し上げます

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ここ最近は、営業のまとめに追われて、
何かを創作する心のゆとりがありませんでした。
暑い中、せっかく
昼寝ネコのブログにお越しいただいたのに
開店休業状態で、大変申し訳ありませんでした。
改めて、暑中お詫びを申し上げます。

今日、つくばまで行ってきました。
9月1日から新規開業する
「なないろレディースクリニック」という名の
産婦人科に行き、最終打ち合わせと
契約書の捺印を済ませました。
ほぼ完成したクリニックは、
透明なガラスによる大きな開口部が特長で
病室も、それぞれ微妙に
インテリアの色彩が異なり、
モダンで清新なイメージです。
なかなか快適そうなクリニックです。
あっ、別に入院を勧めているわけではありません。
ですが、院長先生は著名な産婦人科で
研鑽を積まれた、
ウデの確かな先生のようです。
たまたま私が文章を書いたグリーティング絵本
「大切なわが子へ」を退院祝いに
採用してくださることになり、
導入のお手伝いをしました。
もし私がつくば周辺に住んでいたら、
安心してお任せできる先生なので、
お世話になりたいところなんですが・・・
本当に好きな雰囲気の建物でもあるし
周りは田んぼで遠くはつくば山という、
自然に包まれた場所ですので・・・
でも、残念ながら遠いので無理ですよね。

さて、一般庶民の皆さんはこぞって
夏休みも終わりました・・・と思います。
私は結局、夏休みをとることができませんでした。
もう一カ所、東京23区内で11月に
開業予定の産婦人科があります。
先週、グリーティング絵本
「大切なわが子へ」の説明を
開業準備ミーティングでさせていただきました。
院長先生や看護師さん、
開業コンサルタントの方々を前に、
熱心にプレゼンさせていただきました。
「前向きに採用を検討する」とお考えのようで、
9月の準備ミーティングに
再度伺うことになるらしいです。
多くのご両親が感動を胸に、
お子さまとの絆作りをスタートされているのを
目の当たりにしていますので、
是非ご採用を決めていただきたいと
期待しています。

それと、今度の日曜日にある
地方新聞の子会社が発行する
無料のタブロイド新聞に
グリーティング絵本「大切なわが子へ」の
全面広告が掲載されます。
なんと15万世帯に配布されます。
その会社は、さらに支店数店舗に
見本ディスプレイまで設置してくださり、
さらには市内の産婦人科や幼稚園など、
顧客開拓までしてくださるそうなんです。
いやあ、担当課長さんの熱意は相当なものなんです。
どの程度の製作依頼があるかは、
蓋を開けてみないとわかりませんが、
担当してくださっている方の熱意が、
すごいパワーですから、
根を下ろせるプロジェクトになるのではないかと
期待しています。

拙著、昼寝ネコの雑記帳を読み返してみました。
最後に、空いたページを埋めるため、半日で書き終えた
創作「サミュエル・フレンチの恋人たち」が、
なかなかいいなと・・・
自分で自分の作品を
褒めてはいけないんでしょうけど、
しっくりくる内容だなと、改めて思った次第です。
でも、あれで終わらせてはいけないなとも思いました。
悲しい別離を経験しましたが、
しばらく経って二人は再会します。
お互いに、心の中には相手に対する想いが・・・
一度心を開いた相手ですから、
やはりいい思い出として残っていました。
そんなある日、メルビンから
メリリーンに連絡があります。
・・・二人は久しぶりにレストランの
テーブルを挟んで向かい合い、
・・・どんな会話かは、大体見えているのですが、
まだ時間が十分にとれないんです。
睡眠時間を確保しないと
仕事に支障が出ますので、つらいところです。
来週早々、新聞社の子会社を訪ねて、
東北のある都市を訪ねようと
メールを送ったところなんです。

まあ、そんな訳で近況報告みたいな
雑文になってしまいましたが、
お許しください、構想はいろいろ考えていますので、
小出しで申し訳ありませんが、
またご報告させていただきます。

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# by hirune-neko | 2007-08-24 01:01 | 創作への道 | Comments(4)

こんな人生ってあるんだろうか?

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ようやく妻の葬儀が終わった。
そんなにたくさんの参列者もなく、静かなものだった。
改めて、妻の親族が少ないことに気づかされた。
係累のはっきりしない男性たちが数人だけだった。

考えてみたら、妻とはずいぶん長いつきあいだった。
子どもたちはそれぞれ独立し、
夫婦だけの生活になって10年は経っただろうか。
愛情とか理解、いたわりを感じさせてくれた
よき妻だったと思う。
子どもたちは、どういうわけか私を避けるようだったが、
妻との関係は良好で、それで十分だと思っていた。

妻と出会ったのは、もう30年以上前のことだ。
私がジャーナリストとして不遇の生活を送っていた頃、
誰ともなく紹介されて、ずいぶん知識の豊富な女性だと思った。
私の仕事をよく理解してくれて、原稿整理だけでなく
調査や情報収集まで引き受けてくれた。
ときには鋭い意見をいうこともあった。
とくに国際情勢に関しては、熱心な持論を展開したものだ。

本当は私の方が先に逝くはずだったのに・・・
健康な妻のことだから、私を看取ってもらえるものと
お互いにそう信じていたのに・・・
交通事故じゃあ仕方がない。
しかも脳死状態で何年も入院するとは予想もできなかった。

妻の遺品を整理することになるとは・・・億劫なものだ。
しかしどうしても腑に落ちない。
パスポートを取得していたのは知らなかった。
しかも、中国を何度も往復している。
乱数表か暗号表のようなものも出てきた。
日記帳とは別に、まるで私の行動を監視していたかのような
内容のノートも出てきた。
辻褄の合わないことが多く、砂をかむような違和感だらけの
隠れていた事実が次々と出てくる。

あれこれ考えるうちに、いつの間にか眠りに落ちてしまった。

夢の中の情景・・・記憶の彼方の人物や出来事が
鮮明に再現されて・・・
はっと我に返ると同時に、すべてが露呈した気がした。
心の中にわき上がった疑念が次第に大きくなり、
酷暑の日に、炎天下で氷の固まりが急速に融け出すように、
永年隠蔽されていた疑念の実態がその姿を現し始めた。

妻は確か、自分の四分の一か八分の一が
中国の血だといったことがある。
妻が中国語を話すのを聞いたことはない・・・いやそういえば、
一度だけ、珍しく早く帰宅した私に気づかず、電話口で
早口の中国語を話していた・・・そのときは不思議に思ったが
さして気にも留めなかった。

遺品を整理するうちに、私の心の中には
言葉にできない戦慄と同時に、取り戻せない時間に対する
徒労感が色濃く沈殿していった。

反中国の論調を徐々に親中・反日にするよう妻は進言した。
間接的な知人の紹介だといって、中国人を何人か
紹介されたこともある。あれは私の品定めだったに違いない。
つまり、私は妻に監視されていたのだ。
そう考えれば、すべての辻褄が合うではないか。
なんということだろう。
おそらく、これは偽装結婚だったのだろう。
私が再び、反中国の情報を発信しないよう、
コントロールされていたのだ。
決して被害妄想ではなく、事実がすべてを物語っている。

(ジャック・ウィンチェスター著「スパイよさらば」より翻案)

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# by hirune-neko | 2007-08-11 23:58 | 創作への道 | Comments(4)

暗い日曜日・・・Sombre Dimanche

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日曜日って仕事が休みなんです。前日までの仕事の緊張感が解けて、なにもしないでボーッとしています。するとポコンと泡がはじけるように、すっかり忘れていたことが突然、記憶の中から浮かび上がってくることがあるんです。私の仕事?カスタマーサービス兼ゼネラルマネージャーの秘書です。アメリカ本社の健康食品会社の、いわゆるネットワークビジネスで一気に業績を上げた会社なんですが、全国に点在している代理店のサポート業務も任されています。各都市で開かれる説明会の日程調整、クレーム対応、それとパンフレット類の製作や、法律関係のチェック。ほとんどが薬事法がらみの調査なんですね。

高校を卒業後、語学学校に通いながらアルバイトをしてお金を貯め、夢見ていたアメリカ留学に行ったんです。オレゴン州のポートランド。派手さはないけど、落ち着いたいい街でした・・・といっても、あちこちに行ったわけではなく、学校とモグリのアルバイトに明け暮れました。母と二人っきりの生活が長かったんですが、息が詰まっていて、高校を卒業したら家を出ようと決心していたんです。ちょっと時間がかかりましたが、実現したわけです。

私、生まれたときから父親を知らないんです。一度母を真剣に問い詰めたんだけど、父親が誰なのか分からないって言うんだもの。は?父親が誰か分からない?!心当たりは複数なので、名乗っていっても相手に迷惑がかかるだけだから、お前には言わない?アンタ一体どーゆー生活してたのさ。じゃあ私は歓迎されない子どもだったって言うの?なんで産んだのさ。冗談じゃないよ!・・・それが母と交わした最後の会話らしい会話でした。中学3年生の終わり頃のお話なんです。

保育園も小学校も、父母会だって運動会だって母親だけしか来ないなんて、ウチだけでした。こんな行事ない方がいいのに。いつもそう思っていました。その点、アメリカは自由でした。誰も生い立ちを詮索しないし、おとなしくせず自分の意見を言える・・・ようやく深呼吸できる環境になったんです。語学力?自分で言うのもなんですが、けっこういい成績だったんですよ。耳がいいって言われました。発音はとても日本人と思えないって。ちょっと得意な気分でした。アメリカでの生活に慣れた頃、日本に新規進出する健康食品販売会社から誘われました。ちょうど、アメリカ社会の「実態」が徐々に見えてきて、自信がぐらついていたときだったのと、条件が良かったので帰国しました。日本に帰ったことを母には知らせず、自活生活が始まりました。アメリカ人がトップで、基本的な会話は日本語でできるんですが、大事なミーティングでは、常に通訳として同席させられましたので、朝から深夜まで働きました。そんなある日、ちょうどクリスマス休暇が始まろうとしていたとき・・・もう2年になりますね。母の妹から会社に電話がありました。ずいぶんあちこちを探したようなんです。母が肺炎で亡くなり、葬儀は済ませけど遺品があるから届けたい、という内容でした。ああ、母が死んだんだ・・・きっと独りでひっそりと死んだんだろう。悲しみは何もなく、ある種の解放感・・・つまり私の過去を知る唯一の人間がいなくなった・・・そんな思いの方に心が傾きました。

恋愛?・・・何度か機会はありましたが、自分の核心に迫られるとどうしても警戒心が先に立ち、自分を守る壁を崩すことができなかったんです。相手に完全に重心を移すことはできませんでした。そう、私はキャリア・ウーマンで一生を終わるんです。ちゃんと資産を形成し、老後の備えを万全にしてゆっくり暮らしたい。それが私の望みなんです。せいぜいネコを一匹飼うぐらい、それで十分というのが私の人生設計なんですよ。

会社の業績は順調で、ようやく私的な時間をとれるようになってきました。明日の月曜日は祝日でゆっくりできる。久々の解放感です。そうそう、それでクローゼットの奥にしまいこんで、2年もそのままにしておいた衣装箱のことを、突然思い出したんです。叔母が届けてくれた衣装箱で、母の遺品が入っているんですが、捨てようと思ったけど捨てられず、かといって中を開けてみる気にもなれず、もうずっとほったらかしにしていました。しょうがないな。一応中を確認してから捨てることにしよう。衣装箱を引っ張り出して、居間の床の上で開けてみました。ほんのかすかに、かび臭い匂いがしました。

へえ、私の描いた画だ。幼稚園、小学校・・・こんなものをとっておいたんだ。へっ?貯金通帳だ。5冊もあるよ。印鑑とキャッシュカードも・・・会計事務所のパートをやってたのに、よく貯金なんてできたもんだ。ノート?日記かな?

それは日記というより、私への母の思いが折々につづられたものでした。若い頃、母は左翼系のジャーナリストに傾倒し恋愛関係になったのですが、両親の大反対に遭い、勘当同然で家を飛び出しました・・・。あの寡黙な母のどこにそんな情熱があったんだろう。・・・私は読み進みました。彼は政治評論家としての道を歩みましたが、不遇の時代が長く、母が懸命に働いて支えました。やがて、メジャーな新聞や雑誌が彼の能力を認め、署名原稿を何本も連載するようになり・・・その頃に母は私を身ごもった?!私の父親はちゃんとわかってたんじゃない。えっ?!実は、その男には妻子がいた?なんてこった。

母は、最後まで誰にも何も言わずに、自分の信念に殉じた女だったんです。その男の人生を守るために・・・それが愛情だと信じて身を退いたんです。私に対する自責の念を、ひとことも弁解することなく一身に引き受け、たった一人の娘から軽蔑されても真実を明かさなかったんです。生まれて初めて、母の「女の部分」を見た気がしました。

古びた最後の封筒の中に入っていたのは、どこかの教会の「幼児のための命名の儀式証明書」でした。儀式が執行された日付、執行した人の名前、母の名前、私の名前・・・父親の欄は空白でした。教会に行ってたなんて知りませんでした。・・・手紙が一通添えられてありました。

「忍ちゃん、いつかあなたがこのノートと手紙を読む日が来るのだと思うと、お母さんはとても怖い気がします。どういう選択をするのが一番いいのか。それが分からない苦しさを、お母さんはずっと背負ってきました。でも、あなたの方が私の何倍も苦しい人生を歩んでいるのですよね。あなたには、ただお詫びを伝えたいと思います。お母さんは、もしかしてエゴイストだったのかもしれません。両親を悲しませ、ひとつの家庭を崩壊の危機に追いやり、あなたには不自由で平安のない人生を送らせてしまいました。でも、あなたは私の生きた唯一の証しです。あなたに対する愛情に嘘偽りはありません。お母さんはあなたの成長を見守ることだけに幸福感を感じていました。お母さんは上手に気持ちを伝えられない不器用な性格なので、あなたにもずいぶんつらい思いをさせてしまいました。ごめんなさいね。心から謝ります。でも、お母さんの分まで幸せに生きてください。あなたを思う気持ちはずっと永遠にお母さんの心の中にあります。忍ちゃん、私の分まで生きてくださいね。  お母さんより」

「お母さん・・・」あの最後の会話以来、私は初めて声に出して母を呼びました。自分が大変な誤解と間違った判断していたという思いが、心の内側から溢れ出るのを抑えることができませんでした。今では母のことを心から、自然に受け入れている自分を実感しています。

墓参り?どこに埋葬されているんだろうか。母のそばに行って話をしたい。それが偽りのない気持ちなんです。ようやく静かな日曜日の夜が・・・暗い日曜日が終わろうとしています。

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# by hirune-neko | 2007-08-07 02:33 | 創作への道 | Comments(6)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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