昼寝ネコの雑記帳

暗い日曜日・・・Sombre Dimanche

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日曜日って仕事が休みなんです。前日までの仕事の緊張感が解けて、なにもしないでボーッとしています。するとポコンと泡がはじけるように、すっかり忘れていたことが突然、記憶の中から浮かび上がってくることがあるんです。私の仕事?カスタマーサービス兼ゼネラルマネージャーの秘書です。アメリカ本社の健康食品会社の、いわゆるネットワークビジネスで一気に業績を上げた会社なんですが、全国に点在している代理店のサポート業務も任されています。各都市で開かれる説明会の日程調整、クレーム対応、それとパンフレット類の製作や、法律関係のチェック。ほとんどが薬事法がらみの調査なんですね。

高校を卒業後、語学学校に通いながらアルバイトをしてお金を貯め、夢見ていたアメリカ留学に行ったんです。オレゴン州のポートランド。派手さはないけど、落ち着いたいい街でした・・・といっても、あちこちに行ったわけではなく、学校とモグリのアルバイトに明け暮れました。母と二人っきりの生活が長かったんですが、息が詰まっていて、高校を卒業したら家を出ようと決心していたんです。ちょっと時間がかかりましたが、実現したわけです。

私、生まれたときから父親を知らないんです。一度母を真剣に問い詰めたんだけど、父親が誰なのか分からないって言うんだもの。は?父親が誰か分からない?!心当たりは複数なので、名乗っていっても相手に迷惑がかかるだけだから、お前には言わない?アンタ一体どーゆー生活してたのさ。じゃあ私は歓迎されない子どもだったって言うの?なんで産んだのさ。冗談じゃないよ!・・・それが母と交わした最後の会話らしい会話でした。中学3年生の終わり頃のお話なんです。

保育園も小学校も、父母会だって運動会だって母親だけしか来ないなんて、ウチだけでした。こんな行事ない方がいいのに。いつもそう思っていました。その点、アメリカは自由でした。誰も生い立ちを詮索しないし、おとなしくせず自分の意見を言える・・・ようやく深呼吸できる環境になったんです。語学力?自分で言うのもなんですが、けっこういい成績だったんですよ。耳がいいって言われました。発音はとても日本人と思えないって。ちょっと得意な気分でした。アメリカでの生活に慣れた頃、日本に新規進出する健康食品販売会社から誘われました。ちょうど、アメリカ社会の「実態」が徐々に見えてきて、自信がぐらついていたときだったのと、条件が良かったので帰国しました。日本に帰ったことを母には知らせず、自活生活が始まりました。アメリカ人がトップで、基本的な会話は日本語でできるんですが、大事なミーティングでは、常に通訳として同席させられましたので、朝から深夜まで働きました。そんなある日、ちょうどクリスマス休暇が始まろうとしていたとき・・・もう2年になりますね。母の妹から会社に電話がありました。ずいぶんあちこちを探したようなんです。母が肺炎で亡くなり、葬儀は済ませけど遺品があるから届けたい、という内容でした。ああ、母が死んだんだ・・・きっと独りでひっそりと死んだんだろう。悲しみは何もなく、ある種の解放感・・・つまり私の過去を知る唯一の人間がいなくなった・・・そんな思いの方に心が傾きました。

恋愛?・・・何度か機会はありましたが、自分の核心に迫られるとどうしても警戒心が先に立ち、自分を守る壁を崩すことができなかったんです。相手に完全に重心を移すことはできませんでした。そう、私はキャリア・ウーマンで一生を終わるんです。ちゃんと資産を形成し、老後の備えを万全にしてゆっくり暮らしたい。それが私の望みなんです。せいぜいネコを一匹飼うぐらい、それで十分というのが私の人生設計なんですよ。

会社の業績は順調で、ようやく私的な時間をとれるようになってきました。明日の月曜日は祝日でゆっくりできる。久々の解放感です。そうそう、それでクローゼットの奥にしまいこんで、2年もそのままにしておいた衣装箱のことを、突然思い出したんです。叔母が届けてくれた衣装箱で、母の遺品が入っているんですが、捨てようと思ったけど捨てられず、かといって中を開けてみる気にもなれず、もうずっとほったらかしにしていました。しょうがないな。一応中を確認してから捨てることにしよう。衣装箱を引っ張り出して、居間の床の上で開けてみました。ほんのかすかに、かび臭い匂いがしました。

へえ、私の描いた画だ。幼稚園、小学校・・・こんなものをとっておいたんだ。へっ?貯金通帳だ。5冊もあるよ。印鑑とキャッシュカードも・・・会計事務所のパートをやってたのに、よく貯金なんてできたもんだ。ノート?日記かな?

それは日記というより、私への母の思いが折々につづられたものでした。若い頃、母は左翼系のジャーナリストに傾倒し恋愛関係になったのですが、両親の大反対に遭い、勘当同然で家を飛び出しました・・・。あの寡黙な母のどこにそんな情熱があったんだろう。・・・私は読み進みました。彼は政治評論家としての道を歩みましたが、不遇の時代が長く、母が懸命に働いて支えました。やがて、メジャーな新聞や雑誌が彼の能力を認め、署名原稿を何本も連載するようになり・・・その頃に母は私を身ごもった?!私の父親はちゃんとわかってたんじゃない。えっ?!実は、その男には妻子がいた?なんてこった。

母は、最後まで誰にも何も言わずに、自分の信念に殉じた女だったんです。その男の人生を守るために・・・それが愛情だと信じて身を退いたんです。私に対する自責の念を、ひとことも弁解することなく一身に引き受け、たった一人の娘から軽蔑されても真実を明かさなかったんです。生まれて初めて、母の「女の部分」を見た気がしました。

古びた最後の封筒の中に入っていたのは、どこかの教会の「幼児のための命名の儀式証明書」でした。儀式が執行された日付、執行した人の名前、母の名前、私の名前・・・父親の欄は空白でした。教会に行ってたなんて知りませんでした。・・・手紙が一通添えられてありました。

「忍ちゃん、いつかあなたがこのノートと手紙を読む日が来るのだと思うと、お母さんはとても怖い気がします。どういう選択をするのが一番いいのか。それが分からない苦しさを、お母さんはずっと背負ってきました。でも、あなたの方が私の何倍も苦しい人生を歩んでいるのですよね。あなたには、ただお詫びを伝えたいと思います。お母さんは、もしかしてエゴイストだったのかもしれません。両親を悲しませ、ひとつの家庭を崩壊の危機に追いやり、あなたには不自由で平安のない人生を送らせてしまいました。でも、あなたは私の生きた唯一の証しです。あなたに対する愛情に嘘偽りはありません。お母さんはあなたの成長を見守ることだけに幸福感を感じていました。お母さんは上手に気持ちを伝えられない不器用な性格なので、あなたにもずいぶんつらい思いをさせてしまいました。ごめんなさいね。心から謝ります。でも、お母さんの分まで幸せに生きてください。あなたを思う気持ちはずっと永遠にお母さんの心の中にあります。忍ちゃん、私の分まで生きてくださいね。  お母さんより」

「お母さん・・・」あの最後の会話以来、私は初めて声に出して母を呼びました。自分が大変な誤解と間違った判断していたという思いが、心の内側から溢れ出るのを抑えることができませんでした。今では母のことを心から、自然に受け入れている自分を実感しています。

墓参り?どこに埋葬されているんだろうか。母のそばに行って話をしたい。それが偽りのない気持ちなんです。ようやく静かな日曜日の夜が・・・暗い日曜日が終わろうとしています。

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# by hirune-neko | 2007-08-07 02:33 | 創作への道 | Comments(6)

言語回路が無茶苦茶でござりまするがな

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いやあ、わてな・・・これまでにどんだけ引っ越したか、
覚えてまへんねや。
北は北海道から南は沖縄まで、ほんでもって時々は
アメリカ、フランス、イギリス、ちらっとドイツにイタリア
・・・ずっと昔はイスラエルにエジプト、イランに
ヨルダン・・・せやせやオーストリーにもおったで。
せやからな、わての言語回路はもう
しっちゃかめっちゃかでんねん。疲れまっせ。

そうでんねん。大体ネコちゅうもんは、
あれこれよう思いめぐらしますねん。
せやから、頭もごっつう疲れまんのやで。
自分のことだけでもようでけへんのにやな、
町内の縄張り争いのことから、安倍ちゃんの行く末や
中東問題、ヒラリー・クリントンが次期大統領になったら
どないなんのやろ、油田が枯渇しかかっとる?
そら、えらいこっちゃで・・・とにかくなんやかやと
考えることが多すぎまんねや。

どうでっか?昼寝をせなあかん理由、
納得してくれはりまっか?
昔からいいますやろ。「ネコの手も借りたい」ゆうて。
あれはな、正しくは、どんづまりになったときは、
もうネコ様のお知恵を借りるしかないゆうことなんやで。
古今東西、われわれネコ族はずいぶん、
人類に貢献してまんねや。

そんなわてにも、至福の時ちゅうもんがありまんねや。
眠りに落ちる前に、好っきなことを妄想するんですわ。
こればっかりは、誰にも邪魔されへんさかい、
ホンマ、心地いいもんでっせ。
でもな、その後が最悪なんや。
さすがのわても、夢ばっかりはコントロールでけへんねや。
せやから、ニターッとしてんのは、本格的に寝入る前の
至福な一瞬ちうわけなんや。

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# by hirune-neko | 2007-08-04 13:37 | 心の中のできごと | Comments(6)

真夏の深夜の焦り夢

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誰でも自分の人生を振り返ってみたら、思い出したくないことの十や二十はあるものだよ。ボクはね、もっと多いよ。思い出したくないというよりさ、忘れたいことが多いんだよ。自分の人生を全否定するわけではないんだけど、眠りにつく前の楽しみって長い間、ずっと昔に戻って人生を生き直している自分を想像することだったんだよ。あれこれ現実に反することを想像してね。誇れるものがあったり、周りから尊敬されたり羨ましがられたり、追われることもなく、人目を気にすることもなく・・・そんな自分を想像することがせめてもの楽しみだったんだよ。ボクは、そんな性格が顔に表れているし、毛並みも良くなくて色も悪いし、鳴き声だってひび割れているし、えさの食べ方だってがっついてるし、まともに相手の目を見てものを言えないし、運動神経も鈍くて音感も悪いし、走るのも遅くてネズミを捕まえられずバカにされるし、色盲で難聴気味だし、おまけに人の前に出ると多汗症と赤面症が出てしまうし、ちょっとした仕事を与えられても集中力が持続しないし、周りはすぐに視線をそらしてしまう・・・ああ、ボクみたいなネコはどうやって生きていけばいいんだろう。

深夜、目が覚めるとずっと昔の過ぎ去ったいやな光景が、夢に現れていたのを覚えているんだ。いつだって、ボクはいてもいなくてもいい・・・いや、いない方がいい存在なんだから。

大きな門に立派な自動車が入ろうとしている・・・運転手付きの車で学校から帰ってきた女の子。白い清潔な洋服を着て、髪の毛には赤い大きなリボン。その子が道路脇で人目を避けていたボクを目にしたんだ。そして叫ぶ。「ちょっと車を止めて!あのネコを家に連れてって!」ふん、いつも血統書つきで毛並みのいい外国産のネコばかり見ているから、ボクみたいなヘナチョコリンが珍しいんだろう。おいおい、白い手袋をはめた運転手がこっちに来るよ。どうすりゃいいんだ。逃げたくたって腹ぺこで動けやしない。

結局ボクは、広大な敷地のその屋敷に連れて行かれた。玄関に入ると、何人もの出迎えがあったが、みんなボクを目にした途端凍り付いてしまったさ。「お嬢様、お止めください!」という必死な制止の声を無視して、お嬢様は自分のバスタブにお湯を入れ始めたんだ。いやあ、恥ずかしかったなあ。お風呂なんて生まれてこの方入った記憶がないし、すぐにお湯が汚れていく・・・。でも抵抗する気力も体力もなくて、気まずい思いだったんだよ。

分不相応な分厚い白いバスローブにくるまって、ありあわせの「人間用の贅沢な食事」を十分いただいたものだから、本当は眠くなるところなのに緊張して眠れない。お嬢様はじっとボクをみつめ口を開いた。小さい頃から敏感だったお嬢様は、使用人たちのヒソヒソ話を聞いてしまった。どうやら自分の病気のことを話しているらしい。夏に富士山の途中まで車で行ったためなのだろうか。それで「富士の病」になったんだ、きっと。しばらく経って、それは「富士の病」ではなく、「不治の病」だと知ってしまった。

お嬢様は、おそらく級友や使用人たちに対して心を開いていないのだろう。不必要なことは一切話さず、気を許していないように見えた。その分、浮浪者のようなボクには徐々に饒舌になっていった。

月日が流れた。お嬢様はボクを離さなかった。ボクがたまに外に出ると、近所のネコたちの羨望の視線を集めた。「あのお屋敷でお嬢様に大事にされているネコ様だ」という視線なのだ。確かに楽をさせてもらっている。他ネコの縄張りを侵害して、生きるために必死でエサを探さなくていい。でも、おそらくはこの生活がそんなに長く続くとは思えなかった。

案の定、肌寒くなり始めた今年の秋に、お嬢様の病状が悪化した。もう学校どころではなくなり、部屋で過ごすことが多くなった。名医が看護師を従えて、ほとんど毎日往診に来てくれた。ときどき検査のために大きな病院に通うこともあった。両親は、あらゆる民間療法を試み、スイスやドイツ、フランス、イギリス、アメリカの著名な病院にも相談したようだ。

でも、お嬢様はボクを話し相手に、ずいぶんたくさんのことを語ってくれた。ボクにはすっかり気を許し、思った通りのことを話してくれた。ボクもお嬢様だけには、ちゃんと目を見て話すことができた。「あなたは私の言ってることが、ちゃんと理解できてるようね」と、何度も嬉しそうに言っていた。ボクは、こんなに必要とされたのは初めてだったし、ましてや独立した人格として尊重されたのも初めてだった。お嬢様は明らかに肌の色が輝きを失い、手も骨張ってきた。息も荒くなり、心臓も弱まっているらしかった。

ある夜、お屋敷の中が急に慌ただしくなった。お嬢様の容態が急変したのだ。いつもの医師と看護師が駆けつけた。お嬢様の寝室はすでにちょっとしたクリニックのように、さまざまな医療機器で埋まっていた。ひととおりの検査を終えた医師は、別室で両親と深刻な表情で話し合っていた。どうやら今夜が山場で、見通しは非常に厳しく、覚悟はしてくださいと伝えていた。両親はあらゆる方法で、優秀な専門医に相談し、できることはすべてやり尽くしていた。それだけお嬢様のことを大事にしていた。

窓からは、クリスマスのイルミネーションやリースがきれいに飾り付けられた玄関が、何カ所も見えた。ボクは遠い空を見上げ、何とも言えない気持ちだった。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、ロシア正教それと仏教に神道・・・周りのネコたちはいろいろな宗教的環境で飼われていた。でもボクは、考えてみたら無宗教みたいなものだ。祈ったこともないし求めたこともない。お嬢様はボクにはとても優しかった。人からこんなに大事にされて、しかも必要とされたことはなかった。

気がついたらボクは自然な気持ちで、天に向かって心に思い浮かぶことを伝えていた。
「ボクは今まで、幸せだと思ったことは一度もありません。でも、今はこんなに幸せです。お嬢様はとてもいい方で・・・それなのに病気に負けてしまいます。ボクはもう、これ以上のことは望みません。アッラーの神か天のお父様、イエス様でも仏様でも誰でもいいです。もしボクの声が聞こえていたら、ボクの命と引き換えにお嬢様を救ってあげてください。祈りの仕方を知らないし、誰に祈っていいのかも分かりません。でも、ボクの最初で最後のお願いです。お嬢様を助けて、ボクの人生をこのまま終わらせてください。」

同じことを何度も繰り返していたのかもしれない。気がついたら窓の外が明るくなりかけていた。泊まり込んでいた看護師が、お嬢様の脈をとった。慌てて部屋を出ると、電話する声が聞こえた。

間もなく両親に見守られているお嬢様のところに、医師が入ってきた。手早く聴診器を取り出し、瞳孔を調べ、脈をとった。「一体何が起きたんでしょう」、と驚いた医師は言った。あれほど衰弱していた脈がしっかりし、血圧も正常値に入り、お嬢様は奇跡的に快復し出したのだ。ああ、よかった。ボクは本当に嬉しかった。お嬢様は目を開いて何か言っているようだ。みんながボクの方を見ている。ボクは本当に嬉しかった。でも、視界が暗くなり始め、お嬢様がボクの方に手を差し伸べているのが見えたと思ったが、もう何も感じなくなってしまった。

思い出したくないことだらけの人生だったけど、お嬢様のことは決して忘れたくない。こうしてお嬢様を助けてくださった不思議な力のことも、いつまでも心に残しておきたい。ん?でもこれってもしかして、いつものように想像をしながら寝ぼけているだけなのだろうか・・・?


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# by hirune-neko | 2007-08-01 23:51 | 心の中のできごと | Comments(8)

人生の傍観者ネコ・・・昼寝ネコの旧友です

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長い間生きていれば、誰にだって楽もあれば苦もあるんだろうから、最初から最後までひとつの苦労もなく、幸せな人生ということはあり得ないだろうね。昨日、選挙があったね。知人が熱心に応援していた候補者が落選してしまい、今日その知人から電話があって少し話したんだけど、どうやら目標の得票数には到達したらしいんだね。だけど落選したそうだ。なぜだと思う?

その候補者の背後には、支援する宗教団体があって基礎票がしっかりあるんだよ。だから常に一定の得票数を維持しているんだね。でも、いつもは棄権している有権者の気が変わり、投票所に行って投票率がわずか数パーセント上がるだけでも、基礎票で当選していた候補者が落選するっていうことを誰かが言っていたけど、今回はまさにそんな現象だったんじゃないのかな?落選した候補者は気の毒だったけど、でもね、投票率がどんどん上がるということは、政治的な無関心や不信感が薄れて、いろいろな考えの人が政策や候補者に関心を持つことになり、それは極めて健全な社会現象だろうと思うんだよ。その結果、落選してしまった人は、残念だけれど「民意」で選ばれなかったんだから、ある意味では仕方がないだろうね。

それと、今度の選挙で指摘されているのは、マスコミの選挙に対する姿勢だね。純粋な政策や国益に関する論争を避けて、政権側の不手際をことさら強調し、有権者の視野を本質からそらせたと指摘する人も多い。つまり、マスコミになんらかの意図が働いていたということであり、問題はその源泉なんじゃないのかな?ジャーナリストとしての使命感を持っているのならまだしも、特定の外国政府あるいは海外メディアと協調して、それら諸外国を利する意図をもってのことなら、良識ある国民として行使できる最大の権利は、そういうメディアを買わない「不買運動」を実行することだろうね。現に最近は某大手新聞の購読部数が激減していると聞く。その新聞は、例えば「従軍慰安婦問題」や「南京虐殺事件」もねつ造し、中国が問題にしていないのにキャンペーンを張り、中国に進言して政治問題化したと聞くものね。だとすると、購読しない人が増えてもそれは仕方がないだろうと思うよ。自業自得だもの。インターネット上の情報は、注意深く吟味しないと真実もねつ造もごちゃまぜだからね。自分の眼を養うしかないよね。でも、マスメディアでは紹介されない実態を知るツールとしては、貴重な手段だと思うよ。

思想と人種や宗教による対立は根深いものだから、簡単には解決しないんだろうね。で、「知略に長けた政治家」たちは、そういう対立を解決するよりも政治的に利用しようとするから、余計に世の中がややこしくなってしまうんだよね。

そういう私自身、なかなか政治的な参加そのものに情熱が持てなくてね。いっそのこと、野良ネコも含め、日本に居住するネコ全部に参政権が与えられたら、ちょっとは考えてもいいかなと思うぐらいなんだよ。

ん?私の名前?
本名はね、フリードリッヒ・ラインハルト、みんなはね「フレッド」って呼んでるよ。ワーグナーが好きでユダヤ人からは嫌われた時期もあるんだよ。

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# by hirune-neko | 2007-07-30 19:22 | 心の中のできごと | Comments(2)

やあ、昼寝ネコのおじちゃん、久しぶりだね

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オイラのこと、覚えてるかい?覚えてない?ひでえなあ。
オイラのことは一生忘れないって言ってたのにさ。
それともなにかい?オイラがすっかりアカ抜けちゃったから、
思い出せないんじゃないの?
なんたって、昔からセンスがいいからね、オイラ。

どこで会ったか、だって?本当に覚えてないのかい?
この北海道アクセントのフランス訛りを聞いても、
まだ思い出せないの?
おじちゃん、もうボケちゃったんじゃないの?

マルセイユに入港したイスラエル船籍の船にさ・・・
ほら、もともとは室蘭の港が縄張りだったんだけど、
外国船が珍しくて甲板をウロウロして居眠りしてたら、
いつの間にか船が出航しちまってさ、
着いたところがなんとフランスのマルセイユ。
いやあ、あんときはおったまげたよ。
おまけに検疫官に密航ネコだって言われてさ、
それを見てた昼寝ネコのおじちゃんが、
「こいつはジャポンから遊びに来た、俺の甥っ子だぞ、ムッシュ」
って言ってくれたから逮捕されなかったけど、
いやあ、さすがのオイラも心細かったよ。

で、昼寝ネコのおじちゃんは
チーズの選び方と穴場のパン屋を教えてくれて、
おまけに美人フランス語家庭教師の、
イボンヌまで紹介してくれてさ、
オイラもすぐに粋なフランスネコもどきに
なっちゃったんだよ。

おじちゃんが姿を消してから、
ずいぶんいろんなことがあったんだよ。
あのイボンヌね、フランス語を教えながら、
雌ネコの扱い方まで教えてくれてね、
そいですっかりオイラに夢中になっちまったんだよ。
いやあ、室蘭でもてる男は、
インターナショナルに通用してもてるもんなんだと
すっかり自信を持っちゃったなあオイラ。
イボンヌもね、最初はオイラを見つめて
「Je vous aime!」ってささやいてたんだけどさ、
三日後には「Je t'aime!」って、すっかり夢中になってね、
今にして思えば、あれがオイラ人生の
絶頂期だったのかもしれないなぁ。
だってね、パリ行きのツアーに紛れ込んで
一週間留守にすることになったのさ。
イボンヌったら、「一週間もアンタと離れていたら、
わたしゃ気が狂ってしまうよ。」
だなんてかわいいことを言うんだよ。
だからね、寂しい思いをさせちゃあかわいそうだと考えてね、
サンジェルマンのクロワッサンをひと袋かついで、
三日後にイボンヌの部屋に帰ったんだよ。
そしたらさ、そこに雄ネコがいたんだよ。
お父様?叔父様?どなた様?・・・そしたらたったひと言。
「あら、早かったのね。こちら元彼。久しぶりに来てくれたから
アンタ、あと四日経ったらまた戻ってきて」
いやあ、オイラなんにも言えなくてね。
あれがいわゆる「カルチャーショック」なんだろうね。

しばらくはフランスのあちこちを流れ歩いたんだけどさ、
やっぱり室蘭の仲間に会いたくてね、
うまいこと船にもぐりこんで戻って来ちゃったんだよ。
横浜に着いたら地元のネコが歓迎してくれてね、
川崎にフランス語をしゃべる変わったネコがいるって聞いたから
もしやと思って来てみたんだよ。
いやあおじちゃん、かなり老け込んだね。
耳は聞こえてるの?眼は見えるの?


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# by hirune-neko | 2007-07-26 23:00 | 創作への道 | Comments(8)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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