昼寝ネコの雑記帳

チベット高原の昼寝ネコ

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 (画は、やっぱりカトリ〜ヌ・笠井さんです)

昔々、チベット高原にネコ王国が存在し、不思議なネコが住んでいました。何世代か前の先祖がヨーロッパから移住して来て、それ以来ずっとチベットに住んでいるのです。先祖ネコは、東欧を流浪していたジプシーと生活をともにし、少なからずライフスタイルにジプシーの影響を受けていました。

さて、その中に一風変わったネコがいました。「昼寝ネコ一族」と呼ばれ、昼寝を習慣として、いつも大草原で堂々と大の字になって眠るネコなのです。みんなからは「メダー」(チベット語で昼寝ネコを意味します)という名前で呼ばれ、親しまれつつも恐れられていました。なぜなら、普段はとても気のいいネコなんですが、夢を見ることが多く、その夢で見たことが必ずといっていいほど実際に起きるからなのです。「メダー」の先祖もそうでした。夢の内容を聞くために、地方からもぞくぞくと人が訪れるようになったのです。今では、年寄りから若い人までが、「メダー」の夢の内容を聞きに集まってきて、その内容は全国の町中に掲示されるほどなんです。夢の内容は、天変地異に関することよりむしろ、事故や事件に関するものが多く、実際に非常に正確な内容でした。ですから、多くの人は「メダー」の夢の話しを聞きたがったのです。

ある日、国境を接する隣国のネコ共和国が、公式にチベット高原のネコ王国に重要な提案をしてきました。隣国のネコ共和国はとても大きな国で、強大な軍隊を持っていましたので、無視するわけにはいきません。「どらにゃん3号」という、ネコが嫌う臭いのガスが詰まったミサイルが何百発も、チベット高原のネコ王国に向けられているのを、チベットのカラス偵察隊から知らされていたのです。

公式提案は、チベット高原のネコ王国にとって、不安な内容でした。チベット高原には「またたび」の群生する広大な土地があり、さらにきれいな湧き水がいたるところにあり、ネコの好む小魚も豊富にあるのですが、隣国のネコ共和国が、それらの貴重な資源を共同管理し、もっと効率的な生産をしようという提案なのです。でも、過去の隣国のネコ共和国の歴史からして、平和な共同管理のはずが、いつのまにか武力によって併合されるのではないか、という懸念を強く感じていたのです。チベット高原のネコ王国では、指導者たちが頭を痛め、どうしたらいいか議論を重ねましたが、なかなか名案が浮かびません。そこで、広く国民に意見を募ることにしました。多くの国民は、代々不思議な夢で危険を知らせてくれている「メダー」に頼んで、昼寝の時間を増やし、隣国のネコ共和国の提案に関する夢を見てもらおうと考えました。それまで、何百回となく、そして何十年にもわたって不思議な夢で民衆を導いてくれるネコだという評価が定着していたからです。もし「メダー」の見る夢が、隣国のネコ共和国の提案に肯定的な内容であれば、提案を受け入れようという空気ができあがりつつありました。チベット高原のネコ王国の指導者たちも、その考えに同意するようになりました。

ところが、こういうプロセスになるであろうことを、隣国のネコ共和国の支配者はずっと昔から予測していました。つまり、東欧のジプシーと生活していたネコたちを自国に連れてきて、特別な能力者に仕立て上げたのは、実は隣国のネコ共和国だったのです。何百年も流浪の身に甘んじ、定住することを許されなかった「メダー」の先祖は、チベット高原に定住の地と収入と食料を保証され、隣国のネコ共和国の意のままに動くことに同意しました。

「夢で見たことが実際に起こる」・・・それは当たり前なのです。不思議なネコ一族の能力を信じ込ませるために、あらかじめ夢の内容を「メダー」の先祖に知らせておき、発表したらすぐに、隣国のネコ共和国の手配のネコたちが、夢の内容とまったく同じ事件や事故を人為的に起こしていたのです。こうして何十年にもわたって、隣国のネコ共和国は「メダー」に対するチベットの国民の信頼を、絶対的なものにすることに成功しました。その頃合いを見計らって、公式提案をしたのです。国民の誰しもが、「メダー」の夢に判断を求めることをちゃんと計算していたのです。

ですから、隣国のネコ共和国の高官は、何度も極秘裏に「メダー」を訪れて、どういう夢を見たといえばいいか・・・を慎重にレクチャーしていました。近々、夢の内容を公に発表して、一気にチベット高原を支配しようという目論見だったのです。ここまでくればもう99.9999%は成功です。隣国のネコ共和国は自信満々でした。

ところで、この特殊な能力を持つとされる昼寝ネコ一族は、代々世襲制でその族長が決められ「メダー」と名乗ることが義務づけられていました。現在の「メダー」は初代から数えて七代目になります。代々の族長には、族長しか見ることのできない秘儀が記された「巻物」が伝えられていました。どのような訓練を積めば夢の予知能力が高まるかとか、天と地の摂理が書かれているらしいとの、噂でした。まことに神秘的なベールに包まれた不思議なネコ一族なのです。

さて、隣国のネコ共和国の高官から何度もレクチャーを受けた「メダー」の頭の中には、民衆に対して自分がどういう夢を見たと話せばいいのかが、完全にインプットされていました。いつでも話せるぞと、自信満々の状態でした。

いよいよその日が近づいてきました。明日は大会堂に全国の行政官が集まり、カラスや鳩たちも、夢の内容を全国に速報しようと待ちかまえていました。チベット高原のネコに化けてたくさんの公安ネコたちが、隣国のネコ共和国から紛れ込んでいました。万が一、思わぬ事態が発生したときのために備えているのです。すでに「メダー」の家族は隣国のネコ共和国の配下のネコたちの管理下に置かれています。もし、事前にレクチャーされたとおりに夢の内容を話さなかったら、「メダー」の家族は即刻処刑される運命にありました。

明日に備えて、「メダー」は先祖ゆかりの大平原に行き、大の字になりました。幾分緊張していたものの、やがて深い眠りに引き込まれました。当然のことですが「メダー」は夢を見たのです。夢には初代から第六代目の父親までが、ずら〜っと現れました。そして現在の「メダー」に対してなにやら助言をしたのです。

さて、散々前置きが長くなりましたが、実は、まことにあっけない結末だったんです。大会堂で大勢の同胞ネコを前にした「メダー」はこう言いました。

「同胞の皆さん。私は隣国のネコ共和国の提案に関する夢を見ました。その夢の内容について、皆さんに説明したいと思います・・・」
集まった全員も、隣国のネコ共和国から紛れ込んでいた公安ネコも、緊張の一瞬でした。「メダー」は、こう続けました。
「あっ、お話ししようと思ったのですが、なにか非常に眠くなってきました。これはきっと何か補足する夢を見なさいという意味なのだと思います。ちょっとだけ昼寝をさせてください」
そういうと、「メダー」は壇上でごろりと横になり、クウクウ居眠りを始めました。全員があっけにとられましたが、15分ぐらい経ったでしょうか。「メダー」はようやく目覚め、壇上に立って話し始めました。
「同胞の皆さん。私は隣国のネコ共和国の提案に関する追加の夢を見ました。その夢によれば、これは大変重要な提案なので、ちゃんとした夢を見なさいといわれる夢を見たんです・・・」
「メダー」は壇上でごろりと横になり、再びクウクウ居眠りを始めました。会堂ではざわめきが起こりました。隣国の公安ネコは様子がおかしいと判断し、本国に指示を仰ごうとハヤブサを飛ばしました。

さてその頃、隣国のネコ共和国では大変なことが起こっていました。膨大な数の地下ミサイル基地を作ってしまったものですから、住まいを奪われた天文学的な数のモグラたちが一斉に蜂起し、全国の「どらにゃん3号」ミサイルの周りをものすごい勢いで掘り始めていたのです。やがてミサイルが次々と倒壊してネコが嫌う臭いのガスが大量に漏れ出したからたまりません。隣国のネコ共和国全体がパニック状態になり、チベット平原の共同管理どころではなくなったのです。隣国のネコ共和国の関係者には緊急帰国命令が出され、囚われていた「メダー」の家族も無事に救出されました。

・・・やがて、偵察のカラス隊が戻ってきて、隣国でモグラが大反乱を起こし、「どらにゃん3号」ミサイルのガスが漏れて全土を覆う、悲劇的な状態だと告げました。

目覚めた「メダー」は、会堂に残っていたネコたちに言いました。
「昨日、大平原で昼寝をしていたら、代々の『メダー』が現れて、隣国のネコ共和国の提案に関する夢を見ても、決して話さないように言われました。会堂の壇上では、ただひたすら本分に徹して昼寝をするように。そうすれば、自然の摂理が大きな奇跡を起こすだろうから、その兆候が現れるまでは、何度でも昼寝をするように・・・これが大平原で見た夢の内容でした」
チベット平原のネコ王国は大歓声に包まれました。国民は、こぞって「メダー」を祖国の大英雄として表彰するよう歓喜の声を上げました。

そんな騒ぎをよそに、「メダー」は一族を連れて駅に行き、外国船が停泊している港に向かいました。国に残れば、代々の「メダー」と隣国の仕業を告白せざるを得なくなり、同胞に深い失望を与えてしまう。それよりは、たとえ美しい誤解であってもいいから、国を思う英雄が存在したという伝説を残した方がいいのではないだろうか。そう考えて、「メダー」はチベット高原を後にしたのです。

その船はどこ行きだったかって?川崎に到着して、そのネコたちは昼寝をしながら川崎市内に住んでいるかって?それはね、CIAでもモサドでも把握できない重要機密なんですよ。私は知ってますけどね。

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# by hirune-neko | 2007-09-01 00:28 | 創作への道 | Comments(12)

昼寝ネコの原点

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自分の心が重く感じるとき、私はこの画を眺めながら
ビル・エバンスの演奏する
「I will say goodbye」を聴くようにしています。
全ての営みがむなしく思えた若い頃から、
砂ぼこりの舞う道を、ずっと歩いてきました。
背中の袋の中には、厭世観と虚無感が染みついた
さまざまな思いがあり、ときとして、
その重さに耐えきれないこともあります。
詩人たちが好んで使う言葉も、私にとっては
ほとんどが死語に近く、ペルシャの詩人
オマル・ハイヤームの四行詩(ルバイヤート)が、
まるで呪縛のように、心に刻まれています。

【時の中で何を見ようと、何を聞こうと、
また何を言おうと、みんな無駄なこと。
野に出でて地平のきわみを駈けめぐろうと、
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。

世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
更に百年を生きていたとてなんになろう?】
(オマル・ハイヤーム・作 小川亮作・訳)

伝道の書を著したとされるソロモンは、
冒頭から「いっさいは空である」と、
一読しただけでは虚無的としか思えない文章を
旧約聖書(伝道の書)で書き連ねています。
ダビデの子であり、知者といわれたソロモンです。
オマル・ハイヤームのように美酒の中に
真理があると考えているはずがありません。

私は、個人的にこのように解釈しています。
もし人が、全ては空であると確信するなら、
その人は、この世の富や名声に
心を奪われることはないのです。
知恵のある者、能力に長けている者さえ
空であるとすれば、
人からさげすまれる者も空なのです。
財力のある人にとって、
銀貨一枚がどれほどの値打ちでしょうか。
しかし、貧しい年老いた病人にとっては、
命をつなぐ貴重な価値があります。
国中から敬われ、賞賛を集める人に対し
尊敬の念を伝えて夕食に招待しても、
どれほど心に留めるでしょうか。
しかし、極貧の身の上で物乞いをしている人に向かって、
その労苦に理解を示し、
焼きたてのパンと、「ぶどう」ひと房を差し出したら、
その人は驚き怪しみ、
ついには感動の心で感謝しないでしょうか。

昼寝ネコの原点は、そこにあると思っています。
世俗の羨望の対象となる、あらゆる地位・財産・名誉を
この世を去るときには、
すべて置いて行かなくてはならない
むなしいものだと思えるそのエネルギーを
心を重く感じる人に、ほんの少しでも向けたいのです。
それは、どんなに高名な心理学者の助言より、
無学でも心根の優しい老女のいたわりのひと言こそが、
人の心を軽くしてくれることを
私自身が良く知っているからなのです。

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# by hirune-neko | 2007-08-31 01:03 | 創作への道 | Comments(4)

皇帝陛下の恋愛家庭教師

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  (画・いつもカトリ〜ヌ・笠井さん)
その昔、中世ヨーロッパの貴族社会では、身分の高貴な方々が「恋愛家庭教師」を雇うのは公然の秘密でした。そりゃそうです。まちなかでの恋愛は、好きな人同士が恋に落ちて結婚するのが一番自然ですし、誰からも祝福されるわけですから、そんな庶民の皆さんには「恋愛家庭教師」なぞ必要なかったんです。でも、高貴な身分の階層には、それはそれは複雑な「しがらみ」と「しきたり」がありました。また各国の王族間には領地拡張や覇権争いがありましたので、政略結婚によって勢力を維持しようとしたり、一族の保身を図ったり。つまり、結婚は少しでも優位な状況を作るための、いわばゲームのようなものでした。しかし、特に若い女性の場合は嫁ぎ先の領地の広さや財力とか兵力にはなんの関心もなく、ただひたすら白馬に乗った王子様が現れるのを夢に見ているのでした。ですから、いかに親が勧める縁談であっても、自分自身に嘘はつけません。生理的にいやだとか、感性が合わないとか・・・そりゃあそうでしょう、大事なことですから。でも、親からすれば大事な娘が・・・政略結婚のために大事なという意味ですが・・・詩人や音楽家や画家や・・・よくある話しですが、芸術的感性に傾倒して深い恋愛感情を抱いてしまい、下手に反対でもしようものなら駆け落ちをするかもしれないし、死をもって抗議するかもしれない。そうなっては元も子もないわけです。ですから、有能で腕のいい「恋愛家庭教師」が重宝されたわけです。

結論を先に申し上げましょう。私は永年にわたり、有能で腕のいい「恋愛家庭教師」として欧州の貴族社会では高給で召し抱えられていました。ところが、非常に重要な局面で、つまりある国の皇帝陛下と別の国の若き王女様を、なんとか結ばせるべく、皇帝陛下の家庭教師として恋愛の手ほどきをしている最中に、なんと相手の王女様の母親に、この私が真剣に恋をしてしまったのです。つまり、皇帝陛下のご意向より、王女様の母親の意向に与してしまったのです。母親として、命に代えても娘には幸せな結婚生活を送らせたい。そう懇願する彼女の母性愛に打たれ、また彼女の気高さ、気品、知性、笑顔、ウィット、容姿、美しい手描き文字、生命感あふれる絵の才能、魂のこもった言葉でつづられる詩・・・何もかもが私にとっては魅力的に感じられたのです。虚々実々の世界にうんざりしていた私は、一度ぐらい人間的な真実に基づいた「善行」をしようと思ったわけです。でも私もプロですから、最善の努力をしましたが皇帝陛下の気に病んでおられる、ご自分の唯一の性癖には、どうしても我慢できないといわれた・・・ことにして、一応はなんとか無事に切り抜けたんです。わが家庭教師史上、初めての敗北。でも、心地よい敗北でした。いえ、私にとっては誇らしく思える敗北でした。

やがて数ヶ月後、私のもとにうやうやしい招待状が届きました。あの王女様が結婚されるので、披露宴には是非お越しいただきたいと、王女様の母親から直々に招待を受けたのです。春が、夏と秋と冬を通り越して、すぐまた春になったような、不思議な想いでした。少なくとも私は、冷静沈着な恋愛学者として、女性に心動かされることなく、平穏無事に人生を生きてきました。でもまあ、十分実績を積んだことだし、それはそれとして、何か予想外の展開になったとしても、それも人生なんだ・・・と訳の分からない事前のいい訳をする自分が恥ずかしく思いました。

さて結婚式当日、謁見の間に通されて王女様の母親を待つこと30分あまり、ようやく侍従長の声がかかりました。
「女王様がおいでになられます。頭をお下げください」
「はっ、はい」
床に敷き詰められた絨毯の模様を見つめる私の前方で、ドレスの生地の擦れ合う音が聞こえました。どうやら謁見の椅子に座られたようであり、ようやく侍従長から頭を上げるよう声がかかりました。微笑みかけてもいいんだろうか。それともしかめっ面の方がいいんだろうか・・・結論が出ないまま、懐かしい母親の顔を視界に捉えました。懐かしい母親・・・ん???誰じゃこれは?
「そなたが、かの高名な、欧州随一と評判の高い、マエストロですか?」
「は???」
「いえ、驚かれたのも無理はありません。私が王女の母なのです。そなたが会われた・・・王女に同行して何度も会われた母親は、あれは実は私の替え玉だったのです。娘の幸せな結婚を願うあまり、皇帝陛下にはなんとか諦めていただこうと考え、そなたと同業の『恋愛家庭教師』を、私も雇ったのです。皇帝陛下の意に逆らって円満に破談にもっていくのは、私には荷の重いことでした。ですから、知恵と胆力のある『恋愛家庭教師』を雇い、結果的にはプロであるそなたをあざむくことになってしまいましたが、虚々実々の世界ですからお許しいただけるでしょうね」
「・・・・・・」
私は言葉を失っていました。非礼を承知で、赤恥をかかされたその場から逃げ出したい気持ちでした。
「こちらは、私の姪のカトリ〜ヌです」
「・・・・・・」
いつの間にか、女王様の隣にはあでやかに着飾った、気品ある女性が立っていました。こうやって次々と親族に紹介し、「これが、私の雇った家庭教師にまんまとだまされた、あの間抜けなマエストロなんですよ」といいたいのだろう、と考えました。今まで血圧なんて気にしたこともなかったし、脳梗塞なんて疑ったこともありません。でも、全身の臓器がいっぺんに数十年老化してしまったような気がしました。ああ、これで正真正銘、自分の経歴が閉ざされてしまう。・・・ごく短時間の間に、どれだけ悲観的なことを思いめぐらせたでしょうか。
「マエストロ・・・マエストロ」
何度か呼ばれたような気がします。少しは平常心に戻りつつあるような気がしました。
「あなたのご理解とご親切のおかげで、王女は・・・私の従姉妹は今日という幸せな日を迎えることができました。改めてお礼を申し上げます」
女王様の姪という女性がなおも話し続けているんです。
「あなたほどのプロフェッショナルが、私の芝居を見逃すはずがありません。女性の・・・人間の本当の幸せを、本当は大事に考えてくれている方なのだと、良く理解することができました。その後のお仕事に支障が出ていないか、ずっと心を痛めていたのですが、こうしてお元気そうなお姿をまた拝見させていただき・・・」
ん?また拝見???あり得ないこととは思ったのですが、私は思い切って視線を上げ、女王様の姪なる女性を直視しました。目と目が合った瞬間、彼女は優しく微笑みました。
「あなたが、王女様の母親を演じたとおっしゃるんですか?女王様に雇われ、王女様の母親になりすまして皇帝陛下の意に逆らい、破談に導いた『恋愛家庭教師』・・・なのですか?」
私には別人のように見えました・・・いい意味でです。
「ほほほ・・・私に見覚えがないとおっしゃるんですか?無理もありません。少しばかり特殊メークを施し、母親らしい年齢の女性に変身していましたから。それより、家庭教師というのは女王様のご冗談です。依頼を受けて母親役のお手伝いはしましたが、本業は王立芸術アカデミーの理事長をしています。身分を偽ってあなたをあざむき、とても申し訳なく思っています。」
全身から力が抜けたままの状態で、かろうじて披露宴の最後まで椅子にとどまっていることができました。

どうですか?何が恋愛家庭教師なものですか。マエストロだなんてとんでもない。たまたま自分が恋愛恐怖症で、容姿にも自信がなかったので、冷静沈着に状況を分析して助言することができただけの話しですよ。・・・でもね、披露宴の後、彼女が疲れた私を見かねて馬車で送ってくれたんです。罪悪感を覚えたのでしょう。もちろんずっと同乗してくれて・・・私の住まいにつく頃にはすっかり打ち解けたんです、私たち。ついには再会を約束し、再会の時には彼女から、王立芸術アカデミーを一緒に手伝って欲しいといわれ・・・断るわけがないでしょう?で、ついには身分の違いを乗り越えて、お互いに恋愛家庭教師を雇うことなく、皇帝ご夫妻のお許しも得て・・・もうずっと昔の、良き思い出になってしまいました。

今では私の妻となった彼女も、私たちの娘もゴキブリに弱いんですよ。さっきからお風呂場にゴキブリがいるといって大騒ぎしています。私は相変わらずのロマンチストで、こうやって随想録を、言葉を吟味して書いているというのに・・・またゴキブリ騒ぎで駆り出され、たびたび中断状態なんです。

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# by hirune-neko | 2007-08-29 23:47 | 心の中のできごと | Comments(2)

Fish Cathcer

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私には、実は恋焦がれた雄ネコがいたんです。
私はもう14歳ですから、
人間の年齢にすれば80ン歳でしょうか。
昼寝をしたふりをしていますが、実は私にだって
忘れたい深い苦悩があるんです。

そうそう、青春時代をマルセイユで過ごしていましたが、
今でも目に浮かぶのは、その彼の敏捷でしなやかな姿。
港町中の雌ネコの憧れでした。
だって、漁を終えた船がマルセイユの港に入ってくると、
目にも止まらぬ速さで、魚箱からあっという間に
何匹も新鮮な魚をちょうだいしてくるんですもの。
ああ、格好いいだけでなく、
なんて生活力のあるお方なのかしら・・・
適齢期の雌ネコだけでなく、
離婚したり亭主と死に別れになった
おばさんネコまでもが、
ウルウルした眼で見るのでした。

健康そうで敏捷でアスリート体型、
生活力あり・・・条件がいいんです。
でも私の彼に対する見方は少し違いました。

ある日の夕方、狭い裏通りに
車のブレーキの音が響きました。
視力の弱い子猫が、車に轢かれたのです。
右の前足がつぶれて出血し、
ショックを受けたその子猫は、
助けを求めて必死に鳴き続けました。
でも、親ネコは、少しの間様子を見ていましたが、
もう助からないと判断したのか、
その場から立ち去ってしまいました。
ネコが薄情に思われるのは、
こういう習性からかもしれません。
でも、実際には状況をちゃんと見極めて、
他の子猫たちを守ることを
優先しているだけなのです。
内心はとても心を痛めているんです。
さて、私自身もネコですから、
自分の身を危険にさらしてまで
ましてや死にかかっている
他人ネコを助けようなんていうことは
できようはずがありません。
でもね、私はとても損な性格で、
見て見ないふりができないんですよ。
車が途絶えた隙に、車道に行き、
怪我した子猫をくわえて
自分の隠れ場所に連れて行ったんですよ。
さあ、痛がって泣きやまない子猫の傷を舐めてやり、
しっかりしなさいと、気休めの励ましをし・・・
エサを探しに行く時間なんてないんですよ。
何か物音がしたと思ったら、
魚の頭が何個か置いてありました。
それから毎日、決まった時間に二度、
新鮮な魚が置いてありました。
誰だか知らないけれど、
さすがマルセイユの人情ネコ・・・
心の中で、私は嬉しさと感動を覚えていました。
・・・でも、看病の甲斐無く、
子猫は六日後に亡くなってしまいました。

ある日、かの憧れの君が私に声をかけてくれました。
話を聞くと、あの事故の日に彼は
私が子猫をくわえて行くのを見て
魚を届けてくれたんだそうです。
それより驚いたのは、彼自身がその子猫を引き取ろうと
様子を伺っていたというではありませんか。
私がでしゃばってくわえていったので、食べ物を届けようと
考えたそうなんです。なんてお優しい方・・・
私の眼はきっとハート型だったでしょう。

彼のお話は続きました。
最近どうも体調が悪く、動物病院の裏口から
知り合いの獣医さんを訪ねたのですが、
診断によれば、厄介な血液の病気で、
寿命は長くないとのこと。
自分の命が短いのなら、病気のネコたちのために
一生懸命働いて、少しでも健康を取り戻してもらおう。
そう思った彼は、毎日港に行き
新鮮な魚を捕っては、
病気がちのネコたちに届け始めました。
ですから、傍目には
生活力があるネコだと映ったのでしょう。

彼は私にいいました。
私は他のネコたちと違って、条件や外見でなく、
自分の生き方そのものを理解し、
受け入れてくれる存在だと・・・。
もし自分の病気が治ったら、一緒に暮らして
元気な赤ちゃんを何匹も作ろうね。
彼はそういってくれたんです。

キューピッドの矢が、私のハートを射抜きました。

でもね、人間社会同様、ネコの世界だって
そんなにいいことばかりが続く訳がないんですよ。
ほんの数週間後、岸壁で足を滑らせた彼は、
船と岸壁の間に身体を挟まれて、あっけなく
帰らぬ人となってしまいました。

その知らせを聞いたとき、
私は自分の眼と耳と運命を疑いました。
一生懸命にお世話すれば、
血液の病気も早く治るのでは・・・
そんな希望を抱いて、
寝床の周りにはジャスミンの花を敷き
香水屋の裏口で待っていて、
少しでも残っているビンがあれば持ち帰り
私たちの住まいが少しでも快適になるよう努力したんです。

マルセイユにいたら、波の音を聞いても、
船のエンジンの音を聞いても
空を流れる雲を見ても、
彼のあの敏捷な姿が目に浮かぶんです。
とてもつらい毎日でした。

このままマルセイユに住み続けることはできない。
そう思った私は、次に波止場に着く船に乗って、
どこでもいいからこの町から離れようと決心しました。

翌日、行く先も分からないまま、
私は船に紛れ込みました。
何日間を過ごしたことでしょう。
船は日本の川崎港に着きました。
道に迷ってお腹を空かしていたとき、
今の飼い主に拾われました。
そうなんです、昼寝ネコです。
で、私のことをいつも寝ているとか、
起きているのを見たこといがないとか
無神経に勝手なことをいっていますが、
マルセイユのことを思い出すたびに、
悲しい表情を見られたくないものですから、
寝たふりをしているだけなんです。

もしかしたら、今頃は孫やひ孫に囲まれて
彼と一緒にマルセイユの港町で
幸せな老後を送っていたかもしれないんです。
誰にだって、人には話したくない思い出があるものです。
いつか昼寝ネコにお話しして聞かせてもいいんですが、
ネコの心情を理解できるデリカシーがあるかどうか
それはちょっと分かりません。

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# by hirune-neko | 2007-08-29 00:43 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

北上する新幹線

東海道沿いに走る新幹線で、新大阪まで行く機会は多かったように思う。
東北新幹線には、生涯でひと桁の回数しか乗った記憶がない。
仙台、盛岡、八戸と、東北三県で多少の仕事を経験しているが、
東京から北上する東北新幹線で旅をすると、
東海・関西とはまた違った趣があるように思う。
人間模様と言っていいのだろうか。
水が違うように感じる。
概して雪国の人間に共通するのは、
寡黙であり、忍耐することだと感じる。
別に、九州や沖縄の方は騒々しくて辛抱しない、と言っているのではない。
南方の方にはまた、独特のおおらかさとゆったりさがあり、
それはそれで貴重な資質なのではないだろうか。
沖縄の知人は良く「なんとかなるさ」というような意味のことを言う。
外見は同じようでも、人間ほど地域性や育った環境に影響される
生き物も少ないのではないだろうか。
もともと好奇心の旺盛な自分を意識しているが、
旅をするのは、たとえ一泊であっても
なにがしかの発見があり、興味深い。
仙台の夜も更けて、首都圏とは違いしんしんとした涼しさがある。
もともとボーダーレスな自分だが、行く先々で新しい発見があり
興味は尽きない・・・
珍しく眠いので、今夜はこれで失礼する。

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# by hirune-neko | 2007-08-28 01:35 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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