昼寝ネコの雑記帳

しばらく地方巡業と相成りました

数日前、札幌で独り住まいの母が入院しました。正確に言うと、30年行き来のなかった親戚が母に電話をしてきたのですが、具合が悪そうなので訪問してくれました。看護師ですのであれこれ測定したところ、心拍数が異常に少ないことがわかり、病院嫌いの母のゴタクを無視して半ば強制的に自分の勤めている病院に入院させたわけなのです。で、その二日後の昨日、ナースセンターのモニターが「ピー・・・」。いわゆる心拍が停止したわけなんです。正確には心拍数が30以下になったそうなんです。担当医の先生は、ペースメーカーの埋め込み手術をいやがる母を私が説得してから、と考えていたようなのですが、医師として独断で手術をします、とおっしゃっり、とりあえず緊急手術で、体外にペースメーカーを取り付ける応急処置をしてくれました。その結果、心拍数が60近くに上がり、本人も楽になったものですからこのたびはすっかり観念して、本式の手術を受ける覚悟を決めたようです。

その親戚というのは、正確に言うと私の祖父の弟の娘・・・つまり父の従姉妹に当たります。でも、私の1学年上になります。4人娘の3人が看護師で、息子は私と同学年。で、その強制的に入院させてくれた看護師のおかげで、母はすっかり命拾いしたわけです。いやあ、本当に偶然の電話でした。彼女の母親が亡くなって、香典返しのお礼の電話が30数年ぶりの音信だったわけですから、いかに無信心の私でも、亡くなったおばさんが命をひとつ、置きみやげに置いていってくれたんだろうなと、感謝の気持ちを新たにしています。

来週、本式の手術をしますので、札幌に行ってしばらく滞在してきます。いやあ、その看護師と最後に会ったのは、彼女が高校生ぐらいの時ですから、まぶたに浮かぶのは「白衣の天使」のイメージなんですよ。ですから、来週会ったときになんて言おうか考えているのですが、「有難う、有難う、あなたは本当に天使です・・・」とまあこう言ってハグしてもいいかな、なんて勝手に想像しているのですが、でもちょっと待てよ。30数年の経年変化というのを計算に入れないと、もしかして小錦体型になっていたら、「天使」という表現はちょっと寒いかな・・・う〜ん、私って心にもないことは決して言えない性格なので、まあでも命の恩人であることには違いないので、ここは何かのオーディションを受けたつもりで、くさい台詞のひとつも囁いてみることにします。

とまあ、そんなわけですので、足取りの遅くなったブログも、さらに中断することになりそうで、大変申し訳なく思っています。LAN環境のあるところに宿泊した場合は、アップしたいと思っています。次のタイトルは「ロンドン・ダウニング街の昼寝ネコ」です。どうぞお楽しみに。

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# by hirune-neko | 2007-09-22 02:00 | 心の中のできごと | Comments(12)

ああ、どうすればいいのだろう?

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    (画は引き続きカトリ〜ヌ・笠井さんなのだ)

人は、人生を終えるまでに、何度天を仰ぐことがあるのだろうか。万事休す、四面楚歌、絶体絶命、茫然自失、自業自得・・・。最初に天を仰いだのは、もうかれこれ十数年前になる。飼われていたわけではないが、廊下の端の空いた場所に住まわせくれていた・・・独り住まいのおばあさんが突然亡くなり、その古家の取り壊しが決まった。私には年老いた母と、家内と、交通事故で亡くなった息子夫婦が残した七匹の孫たち。ネコとしては大家族だった。裏庭から出た道路がコンビニとファミリーレストランの裏口に面していたため、食べ物には困らなかった。すっかり安穏とした生活に馴れ、食べ物を自分で確保する技術もなくなってしまった。さらに住み慣れた家を追われてしまう。ああどうしよう。飼い主には身寄りがなく、せめて孫たちだけでも引き取ってほしかったが、それもかなわない。「路頭に迷う」という言葉が現実感を伴って頭の中を駆けめぐる。今日も解体業者が取り壊しの下見に来ていた。すぐにでも雨露をしのげる場所を確保しなくては。

これほど野良ネコとして生まれた自分の生い立ちを呪ったことはない。ああ、どうしたらいいんだろう。今さら他のネコの縄張りに侵入して寝ぐらを確保するなんて、まず無理だろうな・・・。考え疲れた頭はズンズン重くなり、ああそういえば今日はあれこれ思い悩んで昼寝をしていなかった、と思いながら、いつの間にか深い眠りについてしまった。

あれは夢だったんだろうか?目覚めた私は、ぼんやりした頭で記憶を辿った。やけにはっきりした夢だった。台所の隅に置かれた小さなソファで私を呼んでいる。「さあさあ、ぽん太。こっちにいらしゃい」
私はぽん太という名前で呼ばれるのがいやだった。本当はごん太というのだが、おばあさんはそんなことはお構いなしだった。
「私ももういい歳だからねえ」(うん、それは否定しがたいね)
「私にもしものことがあったら、ぽん太もこまるだろう?」(まあね)
「この包みを覚えておきなさい。このソファの破れ目の奥に入れておくからね」
(なんじゃい、それは?)
「これはね、ある人にとっては命の次ぐらいに大切なものなんだよ。私にもしものことがあったらね、これをあの人のところに届けてあげなさい。そうすればお前にすっかり感謝して・・・今では県内一の都市の名士だから、お母さんや奥さん、孫たちを住まわせてくれるよ。分かったかい、ぽん太や?」(分かるわけないでしょう?)
「私が生きてる限り・・・いやぁ、私がこのまま何も言わずに死んでしまった方がもっと、あの人は自分を責めるだろうね。でも、そんなことはないかもしれない。とっくに私を忘れ去っているかも知れないねぇ」(余計分かんないよ、おばあさん)
「まあとにかく、人生にはいろんなことがあるものだよ。ぽん太も、息子さん夫婦の事故の時は大変だったねぇ。ネコにもネコなりの苦難というものがあるんだよ。人間同様にね」(まあ、そりゃそうだわいな)
「ぽん太」(ゴン太だっていうのに)
「こうして独りで長い間暮らしてきたけど、お前たちが側にいてくれたので、私は気を紛らわせることができたんだよ。ありがとうね」(いえいえ、とんでもない。こちらこそ住まいと食べ物をいつも、感謝していますよ)
「どんなにいやなことを思い出しても、ぽん太のアホづらを見ていると、心がなごむものねぇ」(えっ?ほめてんの?けなしてんの?)
「でも、あの人は今でもふさふさした髪で・・・真っ白だけど、昔のまんまだねぇ」(あの人って?一体誰のことなの?)

夢はそこで終わってしまった。不思議な夢だった。外では解体業者の話し声がする。解体用の重機を待っているらしい。いよいよ住む場所が無くなる。

「さあさあ、ぽん太。こっちにいらしゃい」えっ?おばあさんの声がする。そんなはずはない。声がする台所に行ってみたが、誰もいない。見慣れたソファの裏側に回ってみた。夢で言われたように、破れ目があり奥に布製の包みが入っている。なんとか引っ張り出した。外では重機の音がする。私は家族全員に声をかけ、外に避難した。途中で一度だけ振り返ったが、住み慣れた家が崩れて行くのを正視することはできなかった。私たちは。正真正銘の絶望的な環境に追いやられた。残念なことに、ネコ一族には「悲観して自殺する」という思考回路がない。常に「どうずれば事態が少しでも好転するか」だけを考える資質がある。

とまあ、虚勢を張って偉そうなことを言っているが、本当のことを言えば、内心は穏やかではなかった。今は再びこうして、立派なお屋敷の別棟の物置の一角に専用の場所を与えてもらい、十分な食べ物を与えられている。何がどうしてどうなったかって?知りたい?全然興味がないの?じゃあ聞かせてあげよう。

白い髪がふさふさの町の名士って・・・ネコ仲間に聞いて回ったところ、評判の外科医らしいということになった。母と家内と七匹の孫を引き連れて、なんの確信もないままぞろぞろと、その外科医の家に向かった。長い道のりだった。

広い邸宅だった。駐車場脇の目立たない場所に陣取り、外科医の帰宅を待った。車から降りた外科医の目に飛び込んだのは奇妙な布袋をくわえたのを含め、総勢十匹のネコたち・・・さぞかし奇っ怪な光景だっただろうと思う。外科医は警戒するでもなく、私の方に近づいてきた。私はすがるような気持ちで布袋を足下に離した。

布袋に入っていたのは「カルテ」だった。一瞥すると、外科医は私たちを優しく邸内に招き入れ、メイドに言いつけて食べ物を与えてくれた。孫たちががっついて食べる様子を静かに眺めていた外科医は、メイドがいなくなると口を開いた。

もう何十年も前のこと。若手の外科医は患者から慕われ、病院内でも評判の名医だった。そこには、亡くなったおばあさんが看護師として働いており、お互いに尊敬の念を持っていた二人は、やがて愛し合うようになった。ところがある日、おばあさんは病院の理事長が、娘と外科医を結婚させようと考えていることを耳にする。おばあさんは悩んだ。その方が彼にとって充実した人生になるのは、目に見えていたからだ。そんな彼女の苦悩を知らず、彼はいつもやさしく振る舞い、立派に仕事をしていた。そんなある日、緊急手術後の患者が食べたものを戻し、窒息死する事故が起きた。手術をしたのは彼だった。おばあさんは、術前の面談記録を覚えていた。手術の1時間前に食事をしていたのだが、緊急手術がいくつも重なり、疲労と焦りで彼は術前面談の記録をきちんと確認しなかったに違いない。そう判断したおばあさんは、彼の医療過誤が表沙汰になるのを防ぐために、カルテを衣服の中に隠し病院を抜け出した。そして二度と戻らなかった。結局カルテは見つからず、責任の所在も曖昧で・・・何せ評判の名医の手術だったのだから・・・という判断で遺族の抗議も無視されてしまった。彼には内心、もしやという思いがあった。しかし、カルテは存在せず肝心のおばあさんも行方不明で、手の打ちようがなかった。時間が経てば人々の記憶も悲しみも薄れていくのが世の常である。彼は、院長の勧めに従い、その娘と結婚した。画に描いたような幸せな生活だった。

そこに私が、当時のカルテを持ってきたことになる。正確には、カルテの他にもうひとつ。茶色に変色しかかったカードが入っていた。おばあさんの筆跡だったが、当事者を特定できないように、宛名も署名もなかった。カードにはこう書かれていた。
「これを持ち出すことしか思い浮かびませんでした。そして廃棄する勇気もありませんでした。軽率な行動だったのかもしれませんが、あなたの将来のために、ちっぽけな私一人が犠牲になればいいという思いが頭の中を占めていました。でも、私は一人でないことが、後で判りました。ご迷惑をおかけしたくなかったので、私一人で育てる決心をしました。男の子でしたので、あなたのお名前から一字いただきましたが、はしかの症状が思ったより重く、二歳半で亡くなってしまいました。とうとう最後まで、何もお知らせすることができず、この便りも果たしてお手許に届くかどうか分かりません。新聞や雑誌、テレビで何度もあなたをお見かけし、その度に私の選択は正しかったんだと、自分を納得させることができました。短い時間でしたが、幸せな人生でした」

彼は、奥さんには何も話さなかった。しばらくして、おばあさんが亡くなったことを知り、私たちを車に乗せてお墓に行った。およそ仏式のお墓には不釣り合いの・・・周囲からは顰蹙を買いそうな・・・赤い薔薇の花束が墓前に置かれた。彼を取り囲むように座る私たちに声をかけると、ポケットからライターを取り出し、彼はあのカルテとカードに火を点けた。灰が足許で舞い、深々と頭を下げた彼の眼からは、涙が滴り落ちていた。

夏の終わりの朱色に照らされたおばあさんの笑顔が、一瞬だが見えたように思った。眠かったので、錯覚だったかも知れない。


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# by hirune-neko | 2007-09-12 22:14 | 心の中のできごと | Comments(4)

深夜の将棋盤

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(左上・升田幸三九段 左下・大山康晴名人     右・昼寝ネコ14級→目指せ有段者トホホ)

仕事の性質上、なかなか朝型の生活に修正することが難しい。どうしても深夜が佳境で、締め切り間際には夜が明けてから眠ることも珍しくない。大概はシロが横の椅子で熟睡しており、仕事が終わるのを待って、一緒に二階の寝室までトコトコとついてくる。忠犬のようなネコだ。

仕事中は静かなもので、iTunesとか、最近ではyoutubeで好きな音楽を聞きながらパソコンと向かい合っている。頭が飽和状態になると、ネット上の手軽なゲームで気を紛らわす。最初の頃はYahooの「マージャンソリティア」という、同じ麻雀パイを選んでどんどん消していく単純なゲームを好んでいた。そのうち、Yahooのゲームに将棋が加わった。学生の頃、寮生活をしていたので、食堂に隣接したホールにたむろし、寮生仲間とヘボ将棋を指した覚えがある。ということは、かれこれ35年以上、将棋の駒に触っていないことになる。

35年ぶりの将棋。Yahoo・将棋に対戦申込みをしてみた・・・ポカの連続で、千戦錬磨の・・・相手の戦歴を見たら何百どころではないのである・・・顔の見えない相手にボロ負けの連続。こんなはずではなかった。当然、年齢相応の思考力低下を自覚しているが、でも悔しいものだ。どこぞに、将棋教室がないものか。検索してみたら、地元に将棋道場があった。電話して訪れ、道場主に相手をしていただく。本物の分厚い将棋盤に高級そうな盛り駒。35年ぶりなので、指先でまともに駒をつまむこともできない。あっという間に飛車と角をとられ、惨敗。

定跡本を買って読めば、序盤のある程度の組み立ては分かるだろうが、将棋は変化が多い。定跡を丸暗記したとしても、相手が手引き通りに指してくれる保証はない。さて、どうしたものか。

そこで、さらに検索を進めると「ネット将棋スクール」というのを見つけた。指導棋士四段の堀川修という方が主宰。ああ、プロの先生だ。実際にプロの先生に学びたいと考えていたのだが、往復の所要時間と交通費、毎回の指導料を考えると躊躇してしまう。だが、これだとパソコン上で対局し、しかも対局後にはskypeを使って指導もしてもらえるようだ。(skype同士なら通話無料)

思い切ってメールで問い合わせをしたら、すぐに返信がありskype用のヘッドセットを購入して入会を決めた。実際にはまだ数度しか対戦していただいていないが、とても親身にご指導くださり、欠点や弱点を的確に指摘される。人格者の先生なので安心して教えていただける。パソコンとskypeという、最新の機器を組み合わせての将棋スクール。場所を選ばず、プロの棋士の指導を・・・もどかしいチャットではなく、リアルタイムの音声で受けられる・・・こんなに恵まれた環境は得難いと思う。運に左右されず、非常に奥が深く、また変化が無限とも思える知的なゲームは、将棋の他にないのではないかと思う。将棋に興味のある方には、お奨めのスクールだ。

個人的には、努力型の正当派・大山康晴名人よりも、角使いの名手と言われ、奇人・天才的風貌の升田幸三九段の方に親しみを覚える。私?私はなんといっても昼寝の名人なので、ぼーっとした棋風であり、気がついたら詰まされて負けていた・・・そんな感じである。

ネット将棋スクール (指導 堀川修指導棋士四段)
http://www1.odn.ne.jp/shougi-school/?OVRAW=将棋&OVKEY=将棋&OVMTC=standard&OVADID=601366041&OVKWID=5559753541

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# by hirune-neko | 2007-09-10 14:09 | 心の中のできごと | Comments(10)

昼寝ネコの、ブロードウェイ営業雑記帳

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もうずいぶん昔のお話です・・・。

社内で輸入ミュージカルの楽譜を扱うことになりました。調査したら、銀座のヤマハでも、有名なミュージカルのボーカル・セレクションが多少と、ボーカル・スコアなんてほんの少ししか店頭に並べていないことが分かりました。ミュージカル好きの私は「あっ、それ私に担当させてください!」と、無謀にも立候補してしまいました。「えっ?担当したい?じゃあいいよ。担当してね。アメリカでもイギリスでも、どっちでもいいから、ちゃんと仕入れルートを開拓して輸入できるようにしてね。」案ずることはない・・・まあ、行けばなんとかなるだろうと考え、一路ミューヨークに飛んだんです。マンハッタンのホテルに滞在し、早速「営業活動」が始まりました・・・なんてありっこないんですよ。大体、どこに行けばミュージカルの楽譜が売ってて、しかも、どうやって仕入れ先を確保するか・・・時差ぼけの頭を抱えて、ようやく事態の大変さを悟りました。

手始めに、当時ニューヨークで日本人向けのMusical Expressという、ミュージカルガイド雑誌を出版されていたMiyanjo(済みませんが漢字を忘れてしまいました・・・「みやんじょう」さんとおっしゃいます)ご夫妻のオフィスを訪ねました。楽譜や舞台関係の書籍・雑誌を扱っているお店にも案内していただいたのですが、小売店から卸してもらうとまったく条件が合いません。仕方なく、yellow pageをパラパラめくり、めぼしい店の名前を書き留めると、タクシーに乗りました。

最後に行き着いたのは、ブロードウェイにある楽譜屋さんでコロニーといいます。(Colony、Broadway & 50 St.)入ってみて、大感激でした。ミュージカルの楽譜が、セレクション、スコア、シートミュージックとまずまずの品揃えなのです。満面にんまりでした。一応は商品の所在を確認したのですが、そこは小売店ですから、どうやって卸元を突き止めるかなんですね。まずは正攻法でチャレンジ・・・。「とても商品のラインナップが豊富ですね」と、話しかけてみました。店員は3名ほどで男性だけでした。一番年配で眼鏡をかけ、鼻の下にヒゲをたくわえた男性に話しかけたんです。まったく無表情で「そら、そうやろ」という感じで鼻であしらわれました。「ところで、楽譜はどんな風に流通しているんですか?」とにかく訊いてみました。アメリカは日本と違い、出版物はnational distributor呼ばれる、全米をテリトリーとする問屋と、regional distributorと呼ばれる、州内で卸している二種類があることは、事前の調査で分かっていました。しつこく食い下がると、そのregional distributorから供給を受けているというのです。そこで本音です。「日本へ輸出したいんですが、その問屋さんの名前と電話番号を教えてもらえませんか?」すると、困った表情が数秒続き、「あきまへんな、教えられまへん」と英語で素っ気なく言われました。

そして翌日、再びコロニーに行きました。昨日のおじさんはいません。で、別の男性に話しかけました。「かくかくしかじかで、楽譜の問屋さんを教えて欲しいのですが、昨日のおじさんは今日、お休みなんですか?」すると彼は0.8秒ぐらいの躊躇の後、「よろしゅうおます、教えまひょ」と、すんなり社名と電話番号を教えてくれたんです。

コロニーを飛び出すと、公衆電話を探しました。相手が出ました。後は情熱で押しの一手です。ニュージャージー州・・・つまりニューヨーク州の隣の州にあるんですが主旨を説明すると、会ってくれるということになったんです。

・・・こんなお話、つまらないと思われるかもしれませんね。でも、昔の佳き思い出ですから、もう少し付き合ってください。

翌日・・・ニューヨークではレンタカーを借りないことにしていましたので・・・タクシーでその会社に向かいました。へっ?これが会社?と思うぐらいのんびりしていて、スタッフも数人。で、社長は結構高齢で、日本人が突然電話してきて楽譜を仕入れたいという珍客に、興味津々という感じでした。ものの5分ぐらいで条件が成立し、仕入れルートは無事に開拓できたんです。契約書もなしで、口頭の確認だけでした。あとはよもやま話し。かつては、全米でも一番大きな楽譜問屋だったとか、グレンミラーのエージェントをしていたとか・・・よく見ると事務所のキャビネットには洋酒のびんが数十本並んでいました。「アルコールはいけまっか?呑まはらへん?そうでっか・・・」と、少し残念そうな表情でした。

取引を始めて1年足らずで彼は他界し、事務所は閉鎖されました。でも、別会社に移ったマネージャーを捜し当てることができて、同じ条件で取引が引き継がれたのです。

結局、思ったほど日本でのミュージカルの楽譜は需要がなく、撤退して今日に至っています。亡くなった社長は、旧きよき時代のアメリカ人だったと思います。突然の来訪者に取引の門戸を開く度量の大きさ・・・それは今でもアメリカには存在しているはずです。ニューヨークもニュージャージーも、ずっと訪れていません。おそらく、コロニーは今でも営業していると思います。Miyanjo InternationalをGoogleで検索したら、奥様の名前しか記載されておらず、元ダンサーのご主人はどうされているのかなと、ふと気にかかりました。

いつかまた行ってみたい。ちょっとした望郷に似た想いです。

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# by hirune-neko | 2007-09-05 00:10 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

summer of 2007・・・思い出のない夏

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     (画は、まだまだカトリ〜ヌ・笠井さんです)

ああ、消耗した夏でした。
今年の夏は、かき氷を食べないで終わりそうです。
まるまる休める日は、一日もありませんでした。
お墓参りにも行けませんでした。
ご先祖様、もう少し待っててください。
そういえば、海にも行っていません。
鎌倉から江ノ電に沿った道を走ると、
途中の商店街に肉屋さんがあり、そこの揚げたての
コロッケを食べるのが楽しみでした。
逗子の高台には、ひと区画が少なくとも500坪はありそうな
セレブ御用達の別荘地らしきところがあります。
入り口には管理事務所があるのですが、
来訪者を装って、怖じ気づかないで、
敷地内を一周したのも楽しい思い出です。
海岸沿いの道路は渋滞することが多いけれど、
潮の香りをかぎながら、水平線を見やるのはいい気分です。
ああそういえば、何度か行った海沿いのイタリアンレストランは、
もう廃業してしまったようです。
思い出がひとつ消え去ったような、寂しい気持ちです。
小さな漁港には、小さな食堂が並び、
目の前の海で獲れた魚介類が定食で出されます。
葉山御用邸の手前には、ちょっと高級なレストランがあり、
そういえば、ラ・マレ・ド・茶屋という
海に突き出したようなレストランは、まだあるのでしょうか。
マリーナと名がつく場所は何カ所かあり、
本気で船が欲しいと思ったこともありました。

湘南の思い出は、どれもが強い日射しに照らされています。
でもそういえば、少し暗い思い出もあります。
江ノ電・鎌倉高校前駅の近くに、
「パブロヴァ・バレエスタジオ」がありました。
夜に訪れると、まるで廃墟の洋館のようで
無人の館に見えました。
当時の主は、ロシアから亡命してきたバレエダンサーで
すでに亡くなっているエリアナ・パブロヴァの妹さん。
ナデジダ・パブロヴァでした。
ひょんなことから、彼女の入院先の病室を訪れるようになり、
亡命前のこと、ご両親のことをあれこれお聞きしましが、
その後、ほどなくして亡くなり、
お茶の水のニコライ堂で行われた葬儀に参列しました。

夏が徐々にその勢力を失って行くこの時期には、
人生だけでなく、何事にも始めと終わりがあることを
改めて思い知らされます。
同時に、この年になってもまだ
夏の終わりには感傷的になるようで、
映画「summer of '42(おもいでの夏)」の
ミシェル・ルグランの曲を、しんみりと聴いています。
・・・ちょっと、麦わら帽子は雰囲気に合いませんが、
なにせ暑いものですから・・・。

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# by hirune-neko | 2007-09-02 21:32 | Comments(8)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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