昼寝ネコの雑記帳

皇帝陛下の恋愛家庭教師

c0115242_2346054.jpg
     
  (画・いつもカトリ〜ヌ・笠井さん)
その昔、中世ヨーロッパの貴族社会では、身分の高貴な方々が「恋愛家庭教師」を雇うのは公然の秘密でした。そりゃそうです。まちなかでの恋愛は、好きな人同士が恋に落ちて結婚するのが一番自然ですし、誰からも祝福されるわけですから、そんな庶民の皆さんには「恋愛家庭教師」なぞ必要なかったんです。でも、高貴な身分の階層には、それはそれは複雑な「しがらみ」と「しきたり」がありました。また各国の王族間には領地拡張や覇権争いがありましたので、政略結婚によって勢力を維持しようとしたり、一族の保身を図ったり。つまり、結婚は少しでも優位な状況を作るための、いわばゲームのようなものでした。しかし、特に若い女性の場合は嫁ぎ先の領地の広さや財力とか兵力にはなんの関心もなく、ただひたすら白馬に乗った王子様が現れるのを夢に見ているのでした。ですから、いかに親が勧める縁談であっても、自分自身に嘘はつけません。生理的にいやだとか、感性が合わないとか・・・そりゃあそうでしょう、大事なことですから。でも、親からすれば大事な娘が・・・政略結婚のために大事なという意味ですが・・・詩人や音楽家や画家や・・・よくある話しですが、芸術的感性に傾倒して深い恋愛感情を抱いてしまい、下手に反対でもしようものなら駆け落ちをするかもしれないし、死をもって抗議するかもしれない。そうなっては元も子もないわけです。ですから、有能で腕のいい「恋愛家庭教師」が重宝されたわけです。

結論を先に申し上げましょう。私は永年にわたり、有能で腕のいい「恋愛家庭教師」として欧州の貴族社会では高給で召し抱えられていました。ところが、非常に重要な局面で、つまりある国の皇帝陛下と別の国の若き王女様を、なんとか結ばせるべく、皇帝陛下の家庭教師として恋愛の手ほどきをしている最中に、なんと相手の王女様の母親に、この私が真剣に恋をしてしまったのです。つまり、皇帝陛下のご意向より、王女様の母親の意向に与してしまったのです。母親として、命に代えても娘には幸せな結婚生活を送らせたい。そう懇願する彼女の母性愛に打たれ、また彼女の気高さ、気品、知性、笑顔、ウィット、容姿、美しい手描き文字、生命感あふれる絵の才能、魂のこもった言葉でつづられる詩・・・何もかもが私にとっては魅力的に感じられたのです。虚々実々の世界にうんざりしていた私は、一度ぐらい人間的な真実に基づいた「善行」をしようと思ったわけです。でも私もプロですから、最善の努力をしましたが皇帝陛下の気に病んでおられる、ご自分の唯一の性癖には、どうしても我慢できないといわれた・・・ことにして、一応はなんとか無事に切り抜けたんです。わが家庭教師史上、初めての敗北。でも、心地よい敗北でした。いえ、私にとっては誇らしく思える敗北でした。

やがて数ヶ月後、私のもとにうやうやしい招待状が届きました。あの王女様が結婚されるので、披露宴には是非お越しいただきたいと、王女様の母親から直々に招待を受けたのです。春が、夏と秋と冬を通り越して、すぐまた春になったような、不思議な想いでした。少なくとも私は、冷静沈着な恋愛学者として、女性に心動かされることなく、平穏無事に人生を生きてきました。でもまあ、十分実績を積んだことだし、それはそれとして、何か予想外の展開になったとしても、それも人生なんだ・・・と訳の分からない事前のいい訳をする自分が恥ずかしく思いました。

さて結婚式当日、謁見の間に通されて王女様の母親を待つこと30分あまり、ようやく侍従長の声がかかりました。
「女王様がおいでになられます。頭をお下げください」
「はっ、はい」
床に敷き詰められた絨毯の模様を見つめる私の前方で、ドレスの生地の擦れ合う音が聞こえました。どうやら謁見の椅子に座られたようであり、ようやく侍従長から頭を上げるよう声がかかりました。微笑みかけてもいいんだろうか。それともしかめっ面の方がいいんだろうか・・・結論が出ないまま、懐かしい母親の顔を視界に捉えました。懐かしい母親・・・ん???誰じゃこれは?
「そなたが、かの高名な、欧州随一と評判の高い、マエストロですか?」
「は???」
「いえ、驚かれたのも無理はありません。私が王女の母なのです。そなたが会われた・・・王女に同行して何度も会われた母親は、あれは実は私の替え玉だったのです。娘の幸せな結婚を願うあまり、皇帝陛下にはなんとか諦めていただこうと考え、そなたと同業の『恋愛家庭教師』を、私も雇ったのです。皇帝陛下の意に逆らって円満に破談にもっていくのは、私には荷の重いことでした。ですから、知恵と胆力のある『恋愛家庭教師』を雇い、結果的にはプロであるそなたをあざむくことになってしまいましたが、虚々実々の世界ですからお許しいただけるでしょうね」
「・・・・・・」
私は言葉を失っていました。非礼を承知で、赤恥をかかされたその場から逃げ出したい気持ちでした。
「こちらは、私の姪のカトリ〜ヌです」
「・・・・・・」
いつの間にか、女王様の隣にはあでやかに着飾った、気品ある女性が立っていました。こうやって次々と親族に紹介し、「これが、私の雇った家庭教師にまんまとだまされた、あの間抜けなマエストロなんですよ」といいたいのだろう、と考えました。今まで血圧なんて気にしたこともなかったし、脳梗塞なんて疑ったこともありません。でも、全身の臓器がいっぺんに数十年老化してしまったような気がしました。ああ、これで正真正銘、自分の経歴が閉ざされてしまう。・・・ごく短時間の間に、どれだけ悲観的なことを思いめぐらせたでしょうか。
「マエストロ・・・マエストロ」
何度か呼ばれたような気がします。少しは平常心に戻りつつあるような気がしました。
「あなたのご理解とご親切のおかげで、王女は・・・私の従姉妹は今日という幸せな日を迎えることができました。改めてお礼を申し上げます」
女王様の姪という女性がなおも話し続けているんです。
「あなたほどのプロフェッショナルが、私の芝居を見逃すはずがありません。女性の・・・人間の本当の幸せを、本当は大事に考えてくれている方なのだと、良く理解することができました。その後のお仕事に支障が出ていないか、ずっと心を痛めていたのですが、こうしてお元気そうなお姿をまた拝見させていただき・・・」
ん?また拝見???あり得ないこととは思ったのですが、私は思い切って視線を上げ、女王様の姪なる女性を直視しました。目と目が合った瞬間、彼女は優しく微笑みました。
「あなたが、王女様の母親を演じたとおっしゃるんですか?女王様に雇われ、王女様の母親になりすまして皇帝陛下の意に逆らい、破談に導いた『恋愛家庭教師』・・・なのですか?」
私には別人のように見えました・・・いい意味でです。
「ほほほ・・・私に見覚えがないとおっしゃるんですか?無理もありません。少しばかり特殊メークを施し、母親らしい年齢の女性に変身していましたから。それより、家庭教師というのは女王様のご冗談です。依頼を受けて母親役のお手伝いはしましたが、本業は王立芸術アカデミーの理事長をしています。身分を偽ってあなたをあざむき、とても申し訳なく思っています。」
全身から力が抜けたままの状態で、かろうじて披露宴の最後まで椅子にとどまっていることができました。

どうですか?何が恋愛家庭教師なものですか。マエストロだなんてとんでもない。たまたま自分が恋愛恐怖症で、容姿にも自信がなかったので、冷静沈着に状況を分析して助言することができただけの話しですよ。・・・でもね、披露宴の後、彼女が疲れた私を見かねて馬車で送ってくれたんです。罪悪感を覚えたのでしょう。もちろんずっと同乗してくれて・・・私の住まいにつく頃にはすっかり打ち解けたんです、私たち。ついには再会を約束し、再会の時には彼女から、王立芸術アカデミーを一緒に手伝って欲しいといわれ・・・断るわけがないでしょう?で、ついには身分の違いを乗り越えて、お互いに恋愛家庭教師を雇うことなく、皇帝ご夫妻のお許しも得て・・・もうずっと昔の、良き思い出になってしまいました。

今では私の妻となった彼女も、私たちの娘もゴキブリに弱いんですよ。さっきからお風呂場にゴキブリがいるといって大騒ぎしています。私は相変わらずのロマンチストで、こうやって随想録を、言葉を吟味して書いているというのに・・・またゴキブリ騒ぎで駆り出され、たびたび中断状態なんです。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
# by hirune-neko | 2007-08-29 23:47 | 心の中のできごと | Comments(2)

Fish Cathcer

c0115242_0415230.jpg


私には、実は恋焦がれた雄ネコがいたんです。
私はもう14歳ですから、
人間の年齢にすれば80ン歳でしょうか。
昼寝をしたふりをしていますが、実は私にだって
忘れたい深い苦悩があるんです。

そうそう、青春時代をマルセイユで過ごしていましたが、
今でも目に浮かぶのは、その彼の敏捷でしなやかな姿。
港町中の雌ネコの憧れでした。
だって、漁を終えた船がマルセイユの港に入ってくると、
目にも止まらぬ速さで、魚箱からあっという間に
何匹も新鮮な魚をちょうだいしてくるんですもの。
ああ、格好いいだけでなく、
なんて生活力のあるお方なのかしら・・・
適齢期の雌ネコだけでなく、
離婚したり亭主と死に別れになった
おばさんネコまでもが、
ウルウルした眼で見るのでした。

健康そうで敏捷でアスリート体型、
生活力あり・・・条件がいいんです。
でも私の彼に対する見方は少し違いました。

ある日の夕方、狭い裏通りに
車のブレーキの音が響きました。
視力の弱い子猫が、車に轢かれたのです。
右の前足がつぶれて出血し、
ショックを受けたその子猫は、
助けを求めて必死に鳴き続けました。
でも、親ネコは、少しの間様子を見ていましたが、
もう助からないと判断したのか、
その場から立ち去ってしまいました。
ネコが薄情に思われるのは、
こういう習性からかもしれません。
でも、実際には状況をちゃんと見極めて、
他の子猫たちを守ることを
優先しているだけなのです。
内心はとても心を痛めているんです。
さて、私自身もネコですから、
自分の身を危険にさらしてまで
ましてや死にかかっている
他人ネコを助けようなんていうことは
できようはずがありません。
でもね、私はとても損な性格で、
見て見ないふりができないんですよ。
車が途絶えた隙に、車道に行き、
怪我した子猫をくわえて
自分の隠れ場所に連れて行ったんですよ。
さあ、痛がって泣きやまない子猫の傷を舐めてやり、
しっかりしなさいと、気休めの励ましをし・・・
エサを探しに行く時間なんてないんですよ。
何か物音がしたと思ったら、
魚の頭が何個か置いてありました。
それから毎日、決まった時間に二度、
新鮮な魚が置いてありました。
誰だか知らないけれど、
さすがマルセイユの人情ネコ・・・
心の中で、私は嬉しさと感動を覚えていました。
・・・でも、看病の甲斐無く、
子猫は六日後に亡くなってしまいました。

ある日、かの憧れの君が私に声をかけてくれました。
話を聞くと、あの事故の日に彼は
私が子猫をくわえて行くのを見て
魚を届けてくれたんだそうです。
それより驚いたのは、彼自身がその子猫を引き取ろうと
様子を伺っていたというではありませんか。
私がでしゃばってくわえていったので、食べ物を届けようと
考えたそうなんです。なんてお優しい方・・・
私の眼はきっとハート型だったでしょう。

彼のお話は続きました。
最近どうも体調が悪く、動物病院の裏口から
知り合いの獣医さんを訪ねたのですが、
診断によれば、厄介な血液の病気で、
寿命は長くないとのこと。
自分の命が短いのなら、病気のネコたちのために
一生懸命働いて、少しでも健康を取り戻してもらおう。
そう思った彼は、毎日港に行き
新鮮な魚を捕っては、
病気がちのネコたちに届け始めました。
ですから、傍目には
生活力があるネコだと映ったのでしょう。

彼は私にいいました。
私は他のネコたちと違って、条件や外見でなく、
自分の生き方そのものを理解し、
受け入れてくれる存在だと・・・。
もし自分の病気が治ったら、一緒に暮らして
元気な赤ちゃんを何匹も作ろうね。
彼はそういってくれたんです。

キューピッドの矢が、私のハートを射抜きました。

でもね、人間社会同様、ネコの世界だって
そんなにいいことばかりが続く訳がないんですよ。
ほんの数週間後、岸壁で足を滑らせた彼は、
船と岸壁の間に身体を挟まれて、あっけなく
帰らぬ人となってしまいました。

その知らせを聞いたとき、
私は自分の眼と耳と運命を疑いました。
一生懸命にお世話すれば、
血液の病気も早く治るのでは・・・
そんな希望を抱いて、
寝床の周りにはジャスミンの花を敷き
香水屋の裏口で待っていて、
少しでも残っているビンがあれば持ち帰り
私たちの住まいが少しでも快適になるよう努力したんです。

マルセイユにいたら、波の音を聞いても、
船のエンジンの音を聞いても
空を流れる雲を見ても、
彼のあの敏捷な姿が目に浮かぶんです。
とてもつらい毎日でした。

このままマルセイユに住み続けることはできない。
そう思った私は、次に波止場に着く船に乗って、
どこでもいいからこの町から離れようと決心しました。

翌日、行く先も分からないまま、
私は船に紛れ込みました。
何日間を過ごしたことでしょう。
船は日本の川崎港に着きました。
道に迷ってお腹を空かしていたとき、
今の飼い主に拾われました。
そうなんです、昼寝ネコです。
で、私のことをいつも寝ているとか、
起きているのを見たこといがないとか
無神経に勝手なことをいっていますが、
マルセイユのことを思い出すたびに、
悲しい表情を見られたくないものですから、
寝たふりをしているだけなんです。

もしかしたら、今頃は孫やひ孫に囲まれて
彼と一緒にマルセイユの港町で
幸せな老後を送っていたかもしれないんです。
誰にだって、人には話したくない思い出があるものです。
いつか昼寝ネコにお話しして聞かせてもいいんですが、
ネコの心情を理解できるデリカシーがあるかどうか
それはちょっと分かりません。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
# by hirune-neko | 2007-08-29 00:43 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(4)

北上する新幹線

東海道沿いに走る新幹線で、新大阪まで行く機会は多かったように思う。
東北新幹線には、生涯でひと桁の回数しか乗った記憶がない。
仙台、盛岡、八戸と、東北三県で多少の仕事を経験しているが、
東京から北上する東北新幹線で旅をすると、
東海・関西とはまた違った趣があるように思う。
人間模様と言っていいのだろうか。
水が違うように感じる。
概して雪国の人間に共通するのは、
寡黙であり、忍耐することだと感じる。
別に、九州や沖縄の方は騒々しくて辛抱しない、と言っているのではない。
南方の方にはまた、独特のおおらかさとゆったりさがあり、
それはそれで貴重な資質なのではないだろうか。
沖縄の知人は良く「なんとかなるさ」というような意味のことを言う。
外見は同じようでも、人間ほど地域性や育った環境に影響される
生き物も少ないのではないだろうか。
もともと好奇心の旺盛な自分を意識しているが、
旅をするのは、たとえ一泊であっても
なにがしかの発見があり、興味深い。
仙台の夜も更けて、首都圏とは違いしんしんとした涼しさがある。
もともとボーダーレスな自分だが、行く先々で新しい発見があり
興味は尽きない・・・
珍しく眠いので、今夜はこれで失礼する。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
# by hirune-neko | 2007-08-28 01:35 | 心の中のできごと | Comments(0)

全面広告〜グリーティング絵本です

c0115242_15332369.jpg

(クリックすれば、原寸大になりますよ)
仙台で発行され、東北六県に流通されている「河北新報」という名門新聞社があります。その子会社の「河北仙販」は、仙台市内15万世帯に「河北新報」を届けている販売会社です。新聞と一緒に、毎月1回「ひまわりクラブ」というタブロイド新聞を届けており、今日の新聞に全面広告で「グリーティング絵本・大切なわが子へ」が紹介されました。出版元のクロスロード(http://www.crossroads.co.jp)と販売提携したもので、仙台市内の産婦人科などにも営業するそうです。

「グリーティング絵本・大切なわが子へ」の文章は昼寝ネコが担当しており、カスタマイズの要請があった場合、ご希望に添った文章を作らせていただいています。担当者の方のお話では、仙台の方はインターネットを利用する方が少ないということでしたが、すでに何冊か注文が入っており、嬉しい限りです。少しでも多くの方にこの絵本を知っていただき、親子の絆を温めていただければ嬉しく思います。

そんな訳で、今日は全面広告とさせていただきました。広告をクリックすると原寸大になります。ただ、原稿段階のデータですので「税込」が「税別」になっていたり、誤字があります。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
# by hirune-neko | 2007-08-26 15:44 | 創作への道 | Comments(2)

映画と音楽と天才たち

c0115242_1561776.gif


http://www.youtube.com/watch?v=pG1FYAvOe5A

 昨晩、本当に久しぶりで映画(ビデオ)を観たんです。家にあったものですが、観た記憶がないのと、ちょっと時間がとれたものですから・・・で、その感想をmixiに書いたのですが、とてもいい映画でしたので、ブログにもそのまま掲載させていただきます。是非、youtubeの方もご覧になってください。

 改めて見ると、ビデオはずいぶん場所を占有するものだ。一番下の段の見慣れないパッケージが目に入り、タイトルを確認してみた。「a beautiful mind」で、聞いたことはあるが観た記憶がない。誰が買ってきたのだろう。多分、次男か三男なのだろう。「レナードの朝」とか「カッコーの巣の上で」、「レインマン」などなど、考えてみればアメリカ映画にも「心を病む」人をテーマにした映画がかなりあるのではないだろうか。確かに、アメリカでの日常生活にはある種の根本的な矛盾の上に構築されているような、危うさがあるように思う。満足の上限を知らない金銭欲や物欲・名誉欲、あるいは世俗性を否定する宗教的な安定。そのいずれかがなければ、かなりマニアックに自分独自の世界を構築する以外に、不安感を払拭するのは難しいのではないだろうか。

 「a beautiful mind」は、天才数学者の生涯を・・・詳細は確認していないが、おそらく実在の人物をドキュメンタリー風になぞった作品になっている。「病的な幻覚」がひとつのテーマなのだが、それよりも驚いたのは、音楽がまったく印象に残っていないことだ。
 以前、知人から紹介された「五線譜のラブレター」は、音楽家コール・ポーターの生涯を映画化しているので、当然のことだが彼の作品が流れる。so in love、night and day・・・確かに懐かしく思え、「音楽の主張」が確固として映画の中に存在する。ほとんどの映画がそうではないだろうか。サウンドトラックとして販売されているCDで欲しいのはたくさんある。
 だがしかし、この「a beautiful mind」を見終わっても、ただの一曲も印象に残っていない。ひょっとして、音楽を使っていなかったのだろうか?いや、そんなはずはない。youtubeで検索してみたら、表題の一編を見つけた。背景にはこの映画で使われた音楽が流れ、「音楽制作」に関わった人たちがコメントしている。ああ、オーケストラの演奏だったんだ・・・そういえば「日の名残り」(the remains of the day)はオーケストラによるドラマチックな演奏に圧倒される曲想だった。クロード・ルルーシュとフランシス・レイの作品だって、一度聴いたら絶対に忘れない印象的な音楽ではないか。「シンドラーのリスト」だって、イツァーク・パールマンの演奏するテーマは衝撃的だったし、「ニューシネマ・パラダイス」だって、エンニオ・モリコーネの曲は「ネコにまたたび」状態だった・・・挙げればきりがない。

 では、なぜ「a beautiful mind」で使われた音楽が印象に残っていないのか?理由はいくつか考えられる・・・もしひどいできの音楽だったら、それこそ耳障りで聴くに耐えないので、そういう理由ではない。

 第一に、プロットが非常に良くできているので、その筋立てに全神経が引き込まれ、音楽に注意を向ける余裕がなかった。

 第二に、登場人物の演技がリアルであり、注意がそこに集中してしまった。「五線譜のラブレター」では、ケビン・クラインが若い頃から老境までのコール・ポーターを、特殊メイクで独りで演じる。「a beautiful mind」でも、ラッセル・クロウが天才数学者の学生時代から老け込んだ年齢までを、独りで演じている。当然のことだが、わずかの違和感を感じる。しかし、奥さん役のジェニファー・コネリーと個人的に好きな渋い俳優であるエド・ハリス。そして脇の名優に支えられた秀逸なキャスティングだには脱帽だ。見せて魅せる俳優陣の魅力が大きく、増幅されたリアリティの陰に、音楽が隠れてしまったのではないだろうか。

 さて、思い当たる第三の理由だが、音楽を担当したジェームズ・ホーナーと彼のスタッフが、天才的にしかも情熱的な才能を緻密に、いかんなく発揮し、映画そのものが持つ本質を引き立て、配慮することを優先した結果ではないだろうか。「自分たちの作品」という立場を捨てて、映画という作品を軸に、映画そのものを敬愛して創作した結果なのではないだろうかと思えてならない。住宅には、外観とインテリア、家具、空間と導線など、いろいろな要素が考えられるが、インテリアデザイナーや家具デザイナーが、建物のコンセプトを無視して自分の作品を目立たせようと主張するなら、その家は台無しになってしまうと思う。
 映画とて同じことではないだろうか。youtubeからのこの一編は、あいにく英語なので彼らの話している内容を正確には把握できないが、表情とバックに流れる音楽、フラッシュバックされる映画のシーンをご覧いただき、改めて天才たちの努力と人格によって佳き作品が生まれた、その片鱗を共有していただければ幸甚に思う。

 今一度、佳き作品を「創作する」方々に、賞賛の拍手を送りたいと思った秀作だった。

 ちなみに、私自身は幻覚は見ないものの、脳内ではかなりのイメージが具体的に像を結ぶので・・・もちろん数学とは無縁だし鈍才ではあるが・・・その意味で少し病的なのかなと、幾分不安になったのが正直な気持ちだ。いつかアメリカに行く機会があったら、舞台になったプリンストン大学とやらのキャンバスに行ってみたいと思う。

よろしければ「人気blogランキング」クリックのご協力をお願いします。
人気blogランキング

昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました

グリーティング絵本のコミュニティーもできています(mixiです)
[PR]
# by hirune-neko | 2007-08-25 15:09 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
ムベさん コメン..
by hirune-neko at 17:49
千波矢さん コメン..
by hirune-neko at 13:39
お婆さんがどれ程心強く思..
by ムベ at 13:35
昼寝ネコ様 お早う..
by 千波矢 at 07:14
暇工作さん コメ..
by hirune-neko at 19:53
記事ランキング
以前の記事
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ