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昼寝ネコの雑記帳

創作「ハイドン・チェロ協奏曲〜下町の失恋物語」

Haydn, Cello Concert Nr 2 D Dur Mstislaw Rostropowitsch, Academy of St Martin

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 明後日の会合で使用する資料をA3用紙で31部両面印刷し、二つ折りにする作業を始めた。音楽を聴きながらしようと思い、YouTubeを開いたら、いつものように過去の視聴履歴を元に、推奨作品が並んでいた。最初の画像は、なんとなくいつもと雰囲気が違うなと思いつつ、小さな字で判読できなかったので、とにかく聴いてみることにした。

 するとなんと、ハイドンのチェロ協奏曲だった。お利口なYouTubeは、音楽的偏食傾向が強い私を、なんとか矯正しようというプログラムを働かせたのか、いきなりハイドンを薦めてきたようだ。

 最後まで聴いて確認したら、チェロ奏者はロストロポーヴィッチだった。ハイドンを聴く機会なんて年に一度も無いのだが、それなりに引き込まれてとうとう最後まで聴いてしまった。

 耳でハイドンを聴き、手は紙の二つ折りという単純作業だったため、脳内がまったく休眠状態だった。すると突然、脳内にある情景が浮かんだ。自分でも病的だと思うのだが、せっかく登場してくれた主人公なので、ちゃんと文章として書き残そうと思った次第だ。題して「ハイドン・チェロ協奏曲〜下町の失恋物語」である。


創作「ハイドン・チェロ協奏曲〜下町の失恋物語」

 剛太(ごうた)が、北海道から東京下町の公立中学に転校してきたのは。一年半ほど前だった。中学3年生にしては大柄で、スポーツ万能だった。短距離も長距離も、陸上選手より速く、バスケもサッカーも顧問の先生が驚くほどで、選手達からは畏敬の目で見られていた。「北海道では、みんなこんなもんだよ」というのが口癖だった。

 そんな彼にも弱点があった。勉強がからっきしだめだったのだ。英語の授業で先生から英文を読むように言われても、「先生、オレ小学校の時からローマ字が読めないんだよ」と言う始末で、クラスメイトの笑いを誘った。数学の授業では、「先生、分母って上だっけ?下だっけ?」という感じなので、毎学期の成績は超低空飛行だった。

 東京に住んでからそれなりの時間が経つのに、今でも北海道弁丸出しなので、ときどき意思の疎通に支障をきたすことがあったものの、素朴で粗野なキャラクターは人気を呼び、生徒や先生からは「ゴウ」という愛称で呼ばれていた。

 そんなある日、始業前の朝礼時に、担任の男性教師が一人の女子転校生を教団に立たせ、紹介した。
 「お父さんの仕事の関係で、小さい頃からフランスに住んでいたんだけど、このたび日本に転勤になって帰国したそうなんだ。日本語だけでなく、フランス語も英語も話せるそうだよ、すごいね。みんな、仲良くしてやってね」

 担任がそう言うと、転校生は「宜しくお願いします」と、はっきりした声で挨拶をした。担任に自己紹介をするよう促された彼女は、主に趣味について語った。とくに音楽が好きで、小さい頃からハイドンをよく聴いていると言った。

 剛太の目は、最初から女子転校生に釘付けになっていた。同級生と同じ制服を身につけていたのだが、今までに見たことのない洗練された雰囲気に圧倒されていた。

 昼休みになると、クラスメイトが物珍しそうに彼女の周りに集まり、フランスでの生活について、いろいろ質問した。そんな彼女の表情を、剛太はずっと凝視していた。すると誰かが大きな声で剛太に声をかけた。
 「おい、ゴウ。彼女、フランスでバスケとサッカーの選手だったんだってよ。お前もこっちに来て、あいさつしろよ」

 促されるまま、剛太は女子転校生の前に立った。
 「オレ、剛太。みんなはゴウって呼んでるんだ」
 「ヨロシク。剛太君?スポーツ万能なんですってね?」
 「いやあ、そんな・・・」
 「音楽なんかは聴くの?」
 緊張した剛太は、何も考えられず、ありのままに口に出した。
 「そうだね・・・」
 と言って並べたのは、何人もの昭和の演歌歌手の名前だった。怪訝そうな表情の彼女の表情を目にし、そういえば彼女が自己紹介で「はいどん」と言っていたことを思い出した。
 「お前、はいどんが好きなんだって?」
 「あら、剛太君もハイドンが好きなの?」
 「いや、オレはね、どんぶり物では天丼が一番好きだよ。フランスのはいどんって、どんなどんぶりなのさ?」

 女子転校生の表情が凍りついたことは言うまでもない。その時ちょうこ、午後の始業ベルが鳴り響き、生徒達はみな、席に戻った。

 放課後、吹奏楽部の女子生徒が剛太の所にやってきて、ためらいがちにそっと囁いた。「ハイドン」はフランスのどんぶり物なのではなく、クラシック音楽の作曲家の名前であることを。それを聞いた瞬間、剛太の視線は空中を浮遊した。

 それ以来、剛太はすっかり無口になってしまった。女子転校生がまるで別世界から訪れた存在のように思え、二人の間には、まるで大きな宇宙空間が拡がっているかのようにすら感じられた。

 ある日、剛太はCDショップ行き店員に相談した。「ハイドン」のCDを買いたいのだが、何か推薦してほしいと伝えた。「ハイドン」という名前以外に、カテゴリーも何も言及できない顧客に対し、店員はチェロの名手・ロストロポーヴィッチが演奏している、チェロ協奏曲はどうかと薦めた。

 それ以来、学校から帰った剛太は、自室に引きこもってロストロポーヴィッチが演奏するハイドンを、繰り返し繰り返し何度も何度も聴くようになった。無意識のうちに、ハイドンを聴いてさえいれば、少しずつ女子転校生との距離が縮まるのではないか、という淡い期待を抱いていた。

 数週間後の朝礼で、担任教師からの言葉を聞き、クラス中に小さなどよめきが湧き起こった。女子転校生の新居が決まったが、東京西部の武蔵野地域なので転校することになり、今日でお別れになるという。その瞬間、剛太は何も考えられず、放心状態になってしまった。

 その日の授業が終わり、女子転校生は列を作ったクラスメイトひとりひとりと、お別れの挨拶を交わした。やがて、何を伝えるか決めかねていた剛太の順番がやってきた。剛太は彼女を真剣に見つめ「ハイドンっていいね」と言うのが精一杯だった。彼女は少し微笑み「アデュー」と答えた。

 剛太は帰宅すると、パソコンを開いて「アデュー」という言葉の意味を検索した。検索結果をいくつもいくつも開いてみた。どうやら、「アデュー」という言葉の意味は、「またお会いしましょう」というよりは、決定的なお別れという意味のようだった。

 その日、剛太はいつものように自室に引きこもった。部屋から流れてきたのは繰り返し繰り返し、何度も同じ曲だった。今日ばかりは、ロストロポーヴィチのハイドンではなく、坂本冬美が歌う「また君に恋してる」だった。

 ・・・剛太君、早く立ち直ってね!笑

坂本冬美 - また君に恋してる


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# by hirune-neko | 2018-09-07 22:21 | 創作への道 | Comments(0)

人生を旅に例えるなら、人はいつでも常に旅人である

Bill Evans Trio - Young and Foolish

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 地震のお見舞いに、北海道内の何人かに電話してみた。携帯はつながったものの、固定電話はつながらなかった。道内全域が停電と聞いていたが、昼過ぎには回復した所もあったようだ。信号も停止し、都市機能がすっかりマヒしたようだ。早期の機能回復を祈念したい。

 毎週木曜日は、製本所まで往復する日だ。個数は少ないのだが、紙なので包みが重い。私には少々負担が大きくなっている。名入り絵本は1冊ずつ、手作業の製本である。文字通り、製本職人による工芸品である。それゆえに、営業活動を活発化して受注数が増えると、機械的な製本ではないので、いずれは製本能力の上限に達してしまうことになる。

 今どき、手作業で製本を引き受ける製本職人は、そんなに多くはないようなので、どのように手を確保するかも課題となる。もちろん、1冊ずつ名前が違う絵本なので、社内での製作と印刷工程も手作業である。考えてみれば、ずいぶん原始的で素朴な絵本である。文字通り、オンリー・ユーの絵本と言っていい。

 出産は、赤ちゃんにとっては人生のスタートである。普通の人生を考えると、やがて幼稚園に入園し小学校、中学校、高校、大学を経て就職するのだろう。いつかは結婚し、自分の子どもを迎えることになる。そして孫の顔を見、もしかしたらひ孫の顔も見るだろう。やがては、誰しもが迎える晩年・・・その晩年に、自分の人生を振り返るときに、人は何を思うのだろうか。

 約16年前に、「大切なわが子へ」というタイトルの名入り絵本を世に送り出した。人生を旅に例えると、これは旅の出発点に立つ新生児への、励ましの旅券である。生涯にわたって、肌身離さず携行してもらいたい、親の愛情の証明書のようなものである。

 人生の荒波を航行し、いつしか旅程の終着地点である晩年に辿り着いた方々が、自分の人生を振り返ってみて、いい人生だったと実感できるなら、それこそ真の意味で人生を全うしたことになると思う。そんな時期に、自分の血を引く子どもたちみんなから「大切なお父さんへ」あるいは「大切なお母さんへ」というタイトルの絵本をプレゼントされたら、どのように感じるだろうか。

 ページを開くと、自分の名前が目に飛び込んでくる。そしてすっかり忘れていたかつての労苦が記されており、苦難の中でも自分たちに愛情を注ぎ、大切に育ててくれたことへの子どもたちからの感謝の気持ちが、何ページにもわたって綴られている。・・・このような、文字通り世界に一冊しか存在しない絵本を手にしたら、旅の途中で味わった苦痛や哀しみの全てが、この日を迎えるための訓練の機会だったと思えるのではないだろうか。

 全ての人たちが同じ旅程を歩むわけではない。旅の途中で挫折する人もいるだろうし、耐えがたい人生のままで終わる人もいるだろう。新生児の全てに両親が揃っているわけではなく、母親独りで産み育てなければならないケースもある。胎内で、あるいは分娩中に天使になってしまう場合もある。先天性の障がいを持って生まれてくる子どももいる。

 しかし、どんな子どもも心を持って生まれてくる。どのような状況で生まれてきても、その心に愛と思いやり、慈悲が届くような文章を書きたいと思い続けてきた。

 今の私は、人生という旅の出発点から終着地点に至るまでの、決して平坦ではない旅程の随所で、旅人の心を励まし、勇気づけ、前向きで建設的に生き続けようという気力を与えられるような、そんな文章の絵本を創り続けようと思っている。

 人の心に届く言葉が必要なときはいつも、まずは私自身の心に、その言葉が与えられるよう願っている。


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# by hirune-neko | 2018-09-07 01:17 | 創作への道 | Comments(0)

既視感の対語はなんていうのだろうか

Stacey Kent - Double Rainbow (Audio)

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 インターネットで調べると、既視感という言葉を以下のように説明している。

 既視感:実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象である。 フランス語: "déjà-vu"よりデジャヴュ、フランス語由来の英語 "déjà vu"よりデジャヴまたはデジャブなどとも呼ばれる。

 考えてみたが、既視感を感じたことはほとんどないようだ。逆に、未来に起こるシーンが脳内に思い浮かぶことが多い。ときどき同じシーンが思い浮かぶ。それは、国会に喚問され、左翼系の議員の先生から厳しい質問を浴びせられる情景だ。

 なぜ私が国会に?・・・ここからは妄想世界になってしまうのだが・・・それなりの年数をかけて、無料会員制の「みるとす」の登録会員数が数万人から数十万人になり、徐々に加速度がついて、とうとう数百万人の会員数になってしまった、と勝手に想定してしまっている。まだ正式に公開していないというのに、なんておめでたいのだろうか。いつもの妄想癖なので、お許しいただきたい。

 みるとす会員には毎週ニュースレターが送信される。基本的には、家族関係、とくに子育て中の親子関係が良好に推移するように、いろいろな情報提供を行う。以前、試験的に公開したときは、「子どもと楽しくつきあう365の遊び」から、毎回1ページずつをご紹介した。アメリカで出版されたものを、翻訳出版したのだが、すでに品切れである。

 健康に関する情報や、感性を育てていただくための音楽作品、子どものための童話動画などに加え、自然災害や有事に備えた基本備蓄の奨励、さらには国内外の動向を公開情報から選定してお届けする構想だ。

 インターネット上の情報を収集すると、いろいろな視点からの論旨が混在している。ひと頃、人権擁護法案が話題になった。人種差別や偏見を無くし、いろいろな国々の人たちに優しい共生社会を創る、という主旨だったと記憶している。なかなか理想的な発想だと思う。

 しかしその一方で、人権擁護委員には・・・記憶を頼りに記述するので間違いがあるかもしれないが・・・国籍条項が設けられていない上に捜査権を持つので、自分たちにとって不都合な相手に対し、証拠を捏造して恣意的な行動に出る危険性が懸念される、という主張もあった。つまり、両論を併記して初めて一般の方の判断の助けになると考えている。

 現実社会は情報戦争・プロパガンダ活動の渦中にある。世界中、どこの国でもそうである。できるだけ隠し通し、秘密裡に進めたい、偏向した、あるいは捏造した情報を流布させて自分たちに有利になるよう、印象操作や世論誘導を行う。それが現実の世界だろう。

 しかし、インターネットの発達と加速度的な普及により、個人ブロガーや情報サイトが無数に増えてしまっているので、今日では真実を隠蔽・秘匿するのが極めて困難になっている。そこで、自分たちに都合の悪い情報を流すブログやサイトがあれば、サーバー運営会社に集団でクレームを集中させ、閉鎖に追い込む。あるいはハッカー攻撃を仕掛けて閲覧不能にする・・・こういった行動が現実的に行われている。

 そんな状況下で、みるとすのニュースレターでは、公平客観的な視点から、両論あるいは各論を並記して提供する。上記の一例のように、人権擁護法案の理念上の高邁さと、法案の不備による現実的な懸念材料を並記することになる。どちらかに偏らず、真実を追究してお知らせするべきという使命感を持っている。

 そこで、数百万人の会員に対し、実態に即した情報を流すものだから、偏向した情報、捏造記事、世論誘導によって政権転覆、国家転覆を目論む勢力にとって、「みるとす」そしてその創始者の昼寝ネコは邪魔で仕方がない。せっかく外国政府・情報機関と連携し、主要な報道機関を影響下に置くことに成功し、日本の実効支配が成功しかけているのに、「みるとす」のなんと邪魔なことか。

 かくして、何らかの理由をつけて「みるとす」の中心人物と思われる昼寝ネコを国会に喚問し、過去の古傷を徹底的に調べ上げて、「みるとす」会員からの信頼を失墜させようではないか・・・とまあ、こんな経緯で私が国会に喚問されるシーンが、何度も脳内に浮かんでいる。

 私を厳しく問い詰めるのは・・・イメージとして浮かんでいるのは、女性議員の○○○○先生である。どんな風に私に対する信頼感を破壊するかというと、・・・小学生の頃の悪戯から始まり、中学生のときにアルコールを飲んでいたという証言があるが事実か、高校生の頃にはすでに喫煙したり、学校をサボって補導員につかまったりしていたではないか、最近は小さな子どもを見かけると近寄って話しかけ、誘拐犯ではないかという不安感を与えているではないか、紀元前に古代イスラエルで生まれ、3千年生き続けているというのは、明らかな経歴詐称ではないのか・・・などなど、半世紀以上にわたる私の間違い、失言、過ちを延々と並べ立て、なんとかして「みるとす」会員が呆れて、脱会するよう仕向けるのではないだろうか、というのが既視感の反対の、予知夢(ああ、これが対語だった)として見えるシーンである。

 国会の喚問であれこれ陰湿に過去をほじくられるのであれば、先手を打って、いずれは「昼寝ネコの懺悔録」という本を出版しようかなと、対抗策を考えている。何を指摘されても、「はい、それはこの本の第○章の中ですでに告白しています」という感じで受け答えすれば、相手も戦意を喪失するのではないだろうか。・・・そんなヤワな相手ではないと思うけれど・・・。

 過去に何か一度でも過ちがあれば、その人の人生はそれで閉ざされるべきで、一切の建設的な行動を行ってはいけないなのだろうか。失敗から反省して学び、灰の中から立ち上がって、より良い生き方を目指すために一歩を踏み出すことは許されないのだろうか。

 これまでの人生で、数多くの失敗、過ち、判断ミスを繰り返してきた。大いなる時間の浪費時代もあった。しかし、それでも自暴自棄にならず、生きることを放棄せず、手探りで何かを探し続けてきたと思っている。ときには過去を振り返って謙虚になることも必要だと思うが、人間は常に人生の途中を歩む旅人であり、過去から学び、未来に向かって自分自身を投企する気概こそが、全ての人間に与えられている、崇高で神聖な精神的DNAだと、今では確信を持って言うことができる。

 あらら、時間を見て驚き呆れてしまっている。どうも、書くことに夢中になると時間を忘れてしまう。ある収束地点まで一気に突き進んでしまうようだ。矯正しなければならない悪い習性だと反省している。

 左翼系議員の○○○○先生と、いつか国会で対峙し、議論できることを心待ちにしている。


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# by hirune-neko | 2018-09-06 02:28 | 心の中のできごと | Comments(2)

強風のため、途中で引き返してきた

Midnight Cowboy Soundtrack- Main Theme

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 強大な台風と聞いていたが、夕方頃までは雨も降らず、ちょっと拍子抜けしていた。夕方時点で未達成の、約6千歩を歩く必要があったが、いつ雷雨が襲ってくるか予測がつかなかったので、近所の同じコースをぐるぐる回ることにした。歩いているうちに、徐々に風が強くなり、せっかくBOSEのSound SportsというBluetooth対応のイヤフォンを耳に装着していたのに、まったく聞き取れない状態が多発した。両手で両耳を被い、風を遮断するとなんとか聴くことができた。

 今日は、秘密情報部員から提供されていた、南北朝鮮統一に関するYouTube動画の音声だけを聴いた。秘密情報部員といっても、いろいろな調査を依頼している相手が、ときどき冗談めかして使用するハンドルネームである。でもまあ確かに、私にとっては秘密情報部員である。

 猛スピードで視聴・閲覧しているので、ニュースソースや正確なポイントを記述できないが、秘密情報部員が提供してくれた動画のタイトルは「川添恵子 南北統一は来年! 中国あ然 (360p)」である。このままYouTubeの検索欄に入力すると現在も視聴できる。

 断片的な記憶になってしまうが、ある会合で韓国人男性は「北朝鮮は敵ではない」という表現をした。つまり、あくまでも分断された国家ではあるものの同胞同士なのだ、という感情なのだろう。ある記事では、文在寅韓国大統領の本音は、南北統一であり、北の核と南の経済力が融合することによって、大国にも拮抗しうる強大な国家が誕生すると考えているのではないか、と韓国の保守系のジャーナリスとが書いているという。

 上記の川添恵子さん曰く、南北朝鮮の統一〜新国家誕生は、プーチン露大統領にとっては与しやすいそうだ。その反面、習近平総書記にとっては、対応が難しくなるだろうと表現していたように記憶してる。また、日本にとっては防衛ラインが南下して近くなるため、国軍を組織して防衛体制を整える必要がある、とも言及していた。

 結局、ジャーナリストや評論家それぞれは、異なる情報源や視点から判断するので、あくまでも予測であって確定値ではない。しかし、細かい部分はともかくとして、大筋では、南北朝鮮の統一と新国家誕生は実際に2019年に起こりえるオプションとして想定すべきなのだろう。

 拉致被害者の問題や、核と経済力が融合した新国家への対応、米中ロの動向や戦略など、あれこれ想像してだけで、日本の総理大臣は誰にでも務まるものではないと思ってしまう。

 東アジアが大揺れ状態になることを想像してみると、私企業であっても、売り上げ増大や営業力強化という、通常では当たり前の行動指針だけでは、生き残りが難しい状態になるのではないかと懸念もしている。では、どうすればいいのか、と問われても困る。しかし、平常時のマーケティング手法や諸費者の嗜好が、そのまま永続するとは限らないので、文字通りビジネス・サバイバルの戦略も視野に入れる必要があるのではないだろうか。

 ときどき、神学的終焉という言葉を使っているが、露見しないよう秘密裡に進めてきた計画も、ある日突然思いがけないことであぶり出され、白日の下に曝されるということが、徐々に増える時代なのではないだろうか。最近注目を集めた逮捕劇でも、本人は明確に否定していたにも拘わらず、その密接な関係が表面化してしまった事例が典型的だ。武建一氏と辻元清美氏である。

 さらにいえば、紀元前に古代イスラエルで生まれたと公言していた昼寝ネコは、実は銀河系の彼方から地球に派遣された地球監視員だった、なんていう暴露記事を目にすることがあるかもしれない。私も気をつけて、身辺のガードを固めることにしようと思い始めている。


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# by hirune-neko | 2018-09-04 22:51 | インテリジェンス | Comments(0)

時間は容赦なく経過していくものだと実感している

Astor Piazzolla - Extasis

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 今頃になってようやく、タスク管理とプロジェクト管理の間には、大きな違いが存在することを認識するようになった。ちょうど、戦略と戦術の間にも大きな隔たるがあるのと似ているのではないだろうか。相変わらず試行錯誤しているが、自分に合った管理手法をなんとか編み出したいと考えている。

 それにしても、1日が24時間であることはどうにもならないのだから、集中して作業効率のいい手法を見つけたいものだ。しかし実際には、問い合わせ電話が増えており、インターネット経由の申し込みや画像着信も増えているため、自分の作業をズタズタに中断されながら対応している。対応を終えてもすぐに、中断した元の作業に戻るのが少し難しくなっている。何をしていたんだっけ?と、瞬時だが茫然自失している。

 あらあら、どうも最近は愚痴っぽくなってしまっている。とはいっても、ブログ上でこぼすだけだけなので、読者の皆さんに甘えてしまって申し訳なく思う。

 今の状態は、均衡点から少しずつ重心が建設的な方向に移動している感じだ。焦らずに、着実に状況を好転させたいものだ。

 夜、寝る前に寝床の中で。主にiPhoneとiPad、iPadProの3台のメールアカウントを掃除するのが日課になっている。残すメールと捨てるメールを瞬時に判断し、未読メールを無くす作業だ。ちゃんと終えてからいくつかのサイトで、最新の動向を確認して眠るについている。ところが最近は、メールチェックしている間に眠りに落ちていることが多い。起きていられないほどの濃い睡魔に襲われる。

 その原因は、毎日一定歩数を歩くことだと思っている。昼間、頭と神経だけを酷使していると頭が冴えてしまってなかなか眠れず、睡眠も浅いようだ。専門家にはちゃんとした説明ができるのだろうが、経験的に、運動量と睡眠の深さには密接な関係があると感じている。

 その反面、また以前のようなリアルな夢を見ることが増えている。本当に現実感を伴うシーンなので、目が覚めてもしばらく茫然としている。

 今日の夜は、不足分の約6千歩を一気に歩いた。台風が接近中なので、雨が降り始めてもすぐに帰宅できるよう、第三京浜までは行かなかった。最近はどうやらウォーキングも定着してきたようだ。1週間に6日は歩けている。ときどき、ジョギングする若者に追い抜かれるが、とても走るだけの筋力も体力も無い。

 とりとめのないことばかりを書き連ねてしまったが、こうしていても徐々に睡魔に包まれ始めているので、このまま休ませていただく。

 読者の皆さんが、明日の台風に被害を受けないよう願っている。


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# by hirune-neko | 2018-09-04 00:56 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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