昼寝ネコの雑記帳

時間と体力と気力と予算があったら、こんなことをしたいんです

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(またまた画はカトリ〜ヌ・笠井さんの作品です。お世話になります)

 必須条件はあといくつかあります。血圧と血糖値が安定し、頻脈傾向も改善し、睡眠障害もなく、歩くのも億劫ではなく、自閉傾向も改善してあんドーナツやクリームドーナツを見ても、さして関心を向けなくなったら・・・ということはいつになるやら、なんですけどね。

 まず、アルゼンチンはどうしても行ってみたいんです。思い違いでなければ、ブエノス・アイレスは「リトル・マドリード」とかいわれて、スペイン統治時代の面影が残っているそうなんです。ちょっと記憶が怪しいんですけど・・・。
 で、ピアソラの作った曲を何十曲か聴きました。それと、youtubeでですが、アルゼンチンタンゴのダンスを何組か観てみました。「ブエノス・アイレスの夜」という映画で、街並みの雰囲気をちょっと見ることもできました。ミュージカル「エビータ」も舞台がアルゼンチンでしたよね、確か。
 知り合いの外科医が、一週間かそこらの強行軍でブエノス・アイレスを往復し、しかも現地でタンゴダンスの先生にレッスンを受けたというお話を聞き、写真も見せてもらいました。難点は、アメリカ経由で日本から三十時間以上かかるという点なんです。
 歴史も政治史も、なんの予備知識もなく、ただ行ってみたいという気持ちだけが先行しています。
 一番の興味は、ピアソラのタンゴに合わせて、ダンスクラブではどんな雰囲気で踊っているのか。そこで、どんな人物像が浮かび上がってくるのか・・・。そんな程度の単純なことなんです。
 同様に、行って滞在してみたいのは、東ヨーロッパ、北欧、ヴェトナム、ロシア・シベリア・・・ちょっと放浪癖があるのかもしれません。でも、メディアを通して見るのではなく、自分の目で見て耳で聞き、空気を吸い、話し声や喧噪を実際に味わいたいんです。これはもうある種の病気なんでしょうね。だって、できれば江戸時代にタイムスリップして、江戸の街を歩いてみたい・・・これも真剣な欲求なんです。
 結局、今の時代の世俗的な地位や名誉や財産に、あまり魅力を感じていないせいもあるかもしれません。半世紀以上生きてきて・・・それも大急ぎで消去法の生き方をしてきて・・・だからこそ、自分自身の嗅覚を信頼して何かそこにありそうな気がして・・・何もなかったとしても、それはそれで確信を持って、自分の人生の終わり場所を見つけられるような気がしています。
 人生はいつか終わるに決まっているのに、無自覚に生きている。そんな自分自身にとっくに呆れていますが、これはもうある種の「居直りの哲学」なんです。体系なんて何もありません。学生時代に読んで感銘を受けたサルトルの「実存主義」やカミュの「不条理哲学」は、感覚でしか捉え切れていないのだと思いますが、今でもしっかりと自分の中心に根を下ろしていることを、ときどき自覚しています。

 ああ、とうとうこんな時間になってしまった。相変わらず、時間の使い方が子どもじみていて恥ずかしい。

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# by hirune-neko | 2008-03-03 02:58 | 創作への道 | Comments(4)

昼寝ネコは見た! んぐぐ・・・見てはいけないものを見てしまった

 母は昔から朝日新聞を購読している。最近は「アカヒ新聞」や「アサヒる」、そして「朝日(ちょうにち)新聞」などと揶揄され、中国の新聞と長年の協定関係にあるなど、何かと批判にさらされているようだ。販売員の方が営業に来たときも、「部数が激減しているんです」と泣き言を言っていた。

 さて、その朝日新聞の朝刊第一面を眺めていたら、以下の案内が目に飛び込んできた。
【朝日時代小説大賞 創設】・・・なんでも、出版本部が独立して法人化するのを記念しての創設らしい。おお、賞金は200万円か。毎日morimotoのクリームドーナツとあんドーナツを一個ずつ食べるとして、何十年食べられるのかなと、一瞬考えてしまい、口中に唾液が拡がるのを感じる。
 審査員は児玉清志か・・・アップダウンがありそうだ。他に山本一力・・・作品を一冊だけしか読んでいないなあ。
 別ページの【応募要項】にも目を通してみた。【プロアマを問わず、幅広い人材発掘をめざします】とある。うん、なかなかいい心掛けだ。はて、出版権はまだしも、【映像化権その他の権利は、朝日新聞出版に属します】ん〜、これはひっかかるなあ・・・などど、もうすでに受賞したような気になって、戯言を言ってみる。

 かなり前から、時代小説を手がけてみたいという考えがある。神田の古書店で買った江戸古地図はほこりを被ったままだし、江戸に関する文庫本も十冊近く買ってあるが、まだ目を通していない。だが、構想だけは独り歩きしており、すでに主要な登場人物が脳内に居住している。これは実に困ったことで、夜、床につくと脳内で物語が勝手にyoutubeのように映像を伴って展開し、なかなか寝つけないことがある。もちろん、昼寝ネコのご先祖様も登場させたい。
 でもこれは、結構密かな楽しみで、思い浮かんだストーリーを文章にするだけで、ドーナツ購入の軍資金をもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。・・・まあ、それほど甘くはないことは百も承知しているのだが。いや、甘くないというのはドーナツではなく、受賞の話しである。でも、可能性は何パーセントかはあると思いこんでいる。この思いこみがなければ、人生の荒波をくぐっていくのも容易ではないと思っている。乞うご期待、と言いたいところだが、そのうちケロッと忘れているのではないだろうか。

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# by hirune-neko | 2008-03-02 00:09 | 創作への道 | Comments(6)

ちょっと嬉しい、仙台からの手紙

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 会社から電話があり、仙台の養護学級の先生から何か届いたという。開封して何が入っているか確認するよう依頼した。
 ほどなく電話があり、手紙と石けんが入っているという。石けん?なんだろう・・・。とりあえず手紙をファックスで送るよう依頼した。この先生は仙台の私立中学で養護学級を受け持っている方で、絵本「大切なわが子へ」の内容をどこかでご覧になった。保健の授業で「命の大切さ」について教えるのだが、絵本の文中の名前欄に生徒一人一人の名前を入れて読んであげたいので注文したいという電話を下さった。
 以前から、養護学級の先生の献身的に努力されている姿を見知っていたので、一冊贈呈することにしたのだが、あれからもう二ヶ月も経っただろうか。
 やがて手紙がファックスで送られてきた。一部を引用したい。

「今回の保健の授業は『誕生』(僕が生まれたとき、私が生まれたとき)について行いました。『お父さんとお母さんからのメッセージ』一人一人の名前を入れて読んであげると、十一名の生徒、集中して聴いております。今回は今年度最後の保健の授業ということもあり、保護者の参観を兼ねました。
 授業が終わると数名のお母さまから『すてきな本ですね。子どもが誕生したときを思い出して涙が流れて・・・』とか、『感動して・・・』と、感想を話されていました。
 これからも、保健の授業で読み続けていきたいと思っております。そして、『子どもは愛されるために生まれてきた』と、話していきたいと思います。
 この石けんは、特別支援学級十一名の生徒と担任がオリーブ油と豆乳で作ったものです。みなさんで使って頂ければ嬉しく思います」

 昨秋から、この絵本「大切なわが子へ」の営業で、雪深い北海道や青森を営業しているが、中には門前払いで迷惑扱いされることも少なくない。でも、特別版を含め心から感動し、癒される方々を見ることの方がずっと多い。文章を担当している者として、嬉しさを感じる瞬間である。
 殊に、このように養護学級の純粋な子どもたちと、その親御さんたちの心に、しっかりとメッセージが届いたという知らせは、本当に嬉しく感銘を覚える。

 札幌の手稲区にある大きな総合病院での採用が決まり、四月からの導入に向けて実務的な打ち合わせをしている。全国的にも救急病院としては数本の指に入る、著名な病院だそうだ。知人の紹介で看護部長さんにお会いしたのだが、助産師さんたちに見せたら大変感銘を受け、是非採用して欲しいと希望されたことが決め手になったそうだ。母親と生まれてくる赤ちゃんに対する、助産師さんたちの純粋な強い愛情を感じて、嬉しさがこみ上げるのを感じる。営業していて、こんなに嬉しい出会いはない。

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# by hirune-neko | 2008-02-28 22:27 | 心の中のできごと | Comments(8)

連載小説「函館日吉町・下宿屋繁盛記」(その3)

 窓越しの遠景を見つめながら、K子は寡黙だった。他人には容易に話せることではないのだろう。何をどこまで話していいのか逡巡している表情だった。
 心の重い蓋が徐々に開かれるように、K子は言葉を選びながら話し始めた。
「断片的でしたが、母や叔父・叔母たちから、祖父に関するお話しを聞いたことがあります。祖父に対する気持ちがなかなか消え去らず、そのうち修道院の歴史を調べるようになりました。ときどきこうして修道院の高台に独りで来るようになり、思いを巡らすうちに『ああ、こうだったんだ』と、納得のいく結論になったんです。もちろん、わたしの推測ですから何の確証もないんですが、でもわたしは当時の祖父母の会話を聞き、二人の姿が見えるような気持ちになりました。・・・誰も来ないここの冬景色は綺麗ですが、夏もとてもいいんですよ。春も秋も」
 彼女はおそらく、今まで誰にも話したことのない領域に私を招き入れようとしているのだろう。話しを遮って話題を変えることもできたが、そうすべきではないと感じた。
「祖母は熱心なクリスチャンだったんです。ある日、看護婦として勤めていた病院に、修道院から入院患者がありました。それが祖父だったのだと思います。同じキリスト教ということもあり、祖母は献身的に看病したはずです。二人とも高潔な人格で、おそらく最初は深い理解と尊敬の気持ちを感じ、やがて親近感に変わったのでしょう。その修道僧は、遠い異国の地へ来て、慣れない環境の中での病気でしたから、母の親切さに深い感謝の気持ちを抱いたんだと思います。」
 不思議なことに、私にもK子の語る祖父母の姿がイメージできるような気になっていた。
 なぜ、彼女はそこまで祖父母のことに、強いこだわりを持ち続けているのだろうか。私にはその方が興味深かった。
「結果的に、祖母のお腹の中には母が宿りました。教会や世間の人たちからは、非難と好奇の目で見られたことでしょう。その事実が知れると、祖父は祖国のフランスに帰還させられたようです。残された母は、想像できないほどの苦しみを味わったと思います。祖母の短歌を読み、そう感じました。
 教会では表面的に赦されたとはいうものの、罪悪感をぬぐい去ることは簡単ではなかったようです。周りの人たちの無言の視線にさらされ、お腹の子どもも心配でした。産む決心をしたものの、心労と孤立感で絶えず流産の心配をしていたんです」
 話しを聞きながら、私はダビデ王の晩年を思い浮かべていた。祭司ウリヤの妻・バテシバに子どもを作り、ウリヤを戦いの最前線に送って殺してしまったダビデ。その子は生まれてすぐ病に撃たれ、ダビデの断食と祈りの甲斐なく死んでしまった。K子の祖母もおそらく、ダビデのことを思ったのではないだろうか。
「今ではわたし、祖母の人間としての純粋な気持ちを、受け入れられるようになりました。狭い街のできごとでしたから、母の結婚にまで影がつきまとったんです。・・・ごめんなさいね。なんか愚痴話になってしまいました」
 そこでK子は言いよどんだ。少しの間が長く感じられた。吐き出してしまいたいけれどためらっている彼女の心中を察し、その先を促すことにした。
「わたしの結婚もそうだったんです。結婚が決まっていたのに、突然破談になりました。理由を尋ねても言ってくれなくて。やはり狭い街ですから祖母の件がどこからともなく耳に入ったんだと思います。その当時は大きな話題だったようですから」
 なるほど。そこが彼女の核心部分なのだろう。
「それは残念でしたね」
 私は月並みな慰めを口にしてしまったことを後悔した。
「いつか祖父に会えるような気がして、フランス語を勉強しました。とうとう行く機会はありませんでしたけどね。・・・結局、わたしには恋愛や結婚ができない血が流れているんだと思います。もちろん祖父母を恨んだりしていません。独りで生きるのがわたしの運命なんだと、今では素直に受け入れられるようになりました」
「世間は、人の一部だけを見て全体を見ませんからね。でも、そんなに結論を急ぐことはないのではないですか?」

 K子は話し過ぎたと感じたのかもしれない。私は私で、適切な慰めを言えないもどかしさを感じていた。気まずい雰囲気になったと思ったとき、彼女は私の横をすり抜け、小部屋から外へ出て鉄製の正門のすぐ前に立った。私の存在が視野に入らないかのように、見慣れているであろう景観と向かい合っていた。
 ずっと辛く寂しい思いを抱えてきたK子に対し、急に感情が高ぶった。自分と同じような濃い孤立感を見たせいかもしれない。またしても適切な言葉が思い浮かばず、どちらからともなく「帰りましょう」と、目の前の雪に埋もれた坂道を下っていった。遙か彼方の津軽海峡は、超然として冬色だった。

 最近の教室で、K子のアクセントからは、フランス人訛りが消えてきている。

 こうして行く先々でいろいろな人生との出会いがある。この函館にいつまで滞在することになるのか。あくまで自然の流れに逆らわず、このまま生きて行くのだろうと思う。

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# by hirune-neko | 2008-02-27 19:00 | 創作への道 | Comments(4)

連載小説「函館日吉町・下宿屋繁盛記」(その2)

 歓迎会は、一通り新任講師の紹介と生徒の自己紹介を終えて、歓談の場となっていた。寒気で曇った窓からは、五稜郭タワーの明かりがぼんやりと見える。
 気がつくと、彼女は壁に身を預け、人の輪に入ろうとはしていなかった。化粧品会社の営業ウーマンだというから人慣れしていると思ったので、少し意外だった。授業時間以外に生徒にサービスする義務はなかったが、私の歓迎会に来てくれたことだし、話しかけてみることにした。
「K子さん、ちょっといいですか?」
 彼女は少し驚いたようだった。
「一度訊いてみようと思っていたんですが、K子さんの英語、フランス人訛りがあるんですよ。不思議ですね」
「そうですか?以前、キャシー先生にもそう言われたことがあるんです。・・・わたし少しフランス語を習っていた時期があって、多分そのせいではないでしょうか」
「なるほど、そうでしたか。アンシャンテ。ジュマペル・ケント」
「アンシャンテ。ジュマペル・K子」
 日本人らしからぬ彼女のアクセントから、話題はフランス映画やシャンソンに移り、やがてためらいがちに彼女は祖父がフランス人だと、ぽつりと言った。彼女の祖母がフランスに行っていたのか、祖父が日本に来ていたのか・・・詮索はしないことにした。

 数日後の昼過ぎ、その日はオフだったので元町を散策することにした。ロシア風の大きな洋館は、今は公会堂として使用されているらしいが、建築デザインよりも外装の色遣いが珍しかったので、正面からしばらく眺めていた。
 背後で車の止まる音がした。観光客を乗せたタクシーなのだろう。
「ケント先生」
 振り返ると、運転席に座っていたのは、にこやかに微笑むK子だった。取引先の化粧品店との打ち合わせが早く終わり、もともと有休の日だったので時間があるという。市内を案内してくれるというので、申し出に甘えることにした。行きたい場所を尋ねられたので、大沼国定公園までの所要時間を訊いたら、是非行きましょうということになった。
 車は函館の市街地をしばらく走り、やがて5号線から函館新道に移った。小樽の2月は雪深いが、函館はそれに較べると少なかった。大沼の周囲を少し歩いたが、観光客がパラパラ歩いているだけで、今はシーズンオフだという。その観光客は中国語を話していた。台湾なのか中国本土からなのか、見分けることも聞き分けることもできなかった。
 クロフォード・インというプチホテルがあるというので、行ってみた。ホテル前の沼は氷で覆われ、何人かがワカサギ釣りをしていた。全体がヨーロッパ風で、ロビーの奥にあるティーラウンジは、落ち着いた雰囲気だった。私はハーブティーとミルクレープを注文した。

 とりとめのない話しから、話題はまたフランス訛りに移った。私はずいぶん以前だけれど、パリ郊外に住んでいたことがあるという話しをした。しばらくためらっていたようだが、彼女は自分の祖父のことについて話し始めた。
 函館の街で、彼女の母は私生児として生まれた。祖母は最後まで祖父のことを明かさなかったが、それは祖父が厳格な信仰をもってフランスから渡来した、修道僧だったからで、祖母は祖父の名誉のために、真実を隠し、かばったのだろうと・・・あくまでも推測だが、おそらく間違いないと思う、そう彼女は語った。なんとなく想像できる話しだと思った。凍土の下に眠る深い人間愛と純粋な恋愛感情が、長い時間に風化してしまっているのだろう。しかし、顔も名前も知らない祖父のことを思い、今も彼女はときどき独りで当別の修道院を訪れると言った。
「まだ明るいから、これから修道院に行ってみましょうか?」
 K子は吹っ切れた表情で言った。
「いいですね。是非お願いします」

 途中、大野平野を眼下に見て海岸線沿いの道路に出た頃、不覚にも睡魔に襲われ、しばらく夢の中をさまよった。

 トラピスト修道院は、長い並木道の先にある上り坂を上り切ったところに鉄製の正門があり、その門のさらにずっと奥に、赤茶色の煉瓦造りの建物本体が見えた。
 坂道の下に車を置いて、私たちは雪深い坂道を上ることにした。雪に足をとられ、ときどきよろけながら一気に上ろうとしたが、無理だった。途中で苦しそうに深呼吸する私を見て、K子はおかしそうに笑った。でも、見栄を張れるような年齢ではない。もう半世紀以上も生きてきているのだから。

 なんとか正門に辿り着いた。門の左手には、寒さを避けられるような小部屋があり、壁一面に修道院の歴史や写真などが貼られていた。
 私たちは窓から眼下に広がる景観を共有した。今上ってきた雪の坂道。ポプラなのか杉の木なのか見落としたが、長く続く常緑樹の並木道。そしてずっと先には、冬色に凍る津軽海峡の水平線。

 K子は、長いことずっと心の底深くに溜めていた思いを話し始めた。

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# by hirune-neko | 2008-02-24 08:53 | 創作への道 | Comments(6)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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