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昼寝ネコの雑記帳

せめて1日を26時間にしてほしい

Bach - Cello Suite No.4 iv-Sarabande
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 贅沢で身勝手なお願いかもしれないが、できれば1日を26時間にしてもらえないだろうか。どうやってもこなしきれなくて、翌日への持ち越しが常態化している。生身の身体なので、睡眠時間を短くするわけにもいかない。困ったものだ。

 健康を害しては元も子もないので、毎日6000歩歩くのは継続したいと思っている。本当は筋肉トレーニングも取り入れて、もう少し身体を鍛えたいのだが、そのような余裕は無い。・・・愚痴をこぼしていても、なんの解決にもならないのは分かっている。

 とりあえず、目の前に立ち塞がっている課題だけは、なんとしても近日中に仕上げたいと思っている。やれやれである。

 そんなときでも、慧眼の読者の方にコメントで励まされるのは、とても有難いことだ。数日前の、荒唐無稽とも思える私の考えに、賛意を示してくださり、素直に嬉しく思った。

私の
>現在、世界中で繰り広げられている陰謀と戦いを、無理矢理神学的に解釈するとしたら、神と悪魔の代理戦争なのではないかと思うことがある。

という文章に対し、
※ブログ主様の言う通りと思います。
巻頭のピアソラの曲。リズムを強調せず、内省的でゆったりとした曲調となっていますね。

 こんな感じで、フォローしてくださるのは、causalさんというハンドルネームの方で、音楽や映画だけでなく、時事問題や神学の世界まで、幅広い視野と見識をお持ちの方だ。時々、私の知らなかった演奏家や映画を紹介していただき、視野を拡げさせていただいている。

 依然として時間との格闘が続きそうである。解決の鍵は、深い睡眠と早朝の起床だと思っている。少しずつ舵を切っているのだが、なかなか一気に転換することができない。しかし、それしかないように思っているので、深夜営業を自粛し、早朝開店にこぎつけたいものだ。

 脳内の視界は、かなり拓けてきており、なんとか戦略的な組み立てになりそうだと思っている。

 考えてみれば、恥も外聞もなく、こうしてそのまま思ったことや感じたことを、有り体に書き記せるのは、自分自身の思考整理にもなり、有難いと思っている。また、ブログを通して貴重な人間関係も作らせていただき、続けてきて良かったと思っている。

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# by hirune-neko | 2018-12-16 23:58 | 心の中のできごと | Comments(0)

なかなか焦点が定まらない

les swingle singers - JAZZ SEBASTIEN BACH 20/23 - Adagio: Sonata per Violino MiM BWV 1016 (1968)
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 いつもだと、歩きながらあれこれ思い巡らすので、そのときのイメージが残る。そしてブログに記録として残す、という決まったパターンがある。ところが今日は、歩き始めからややしばらく、久しぶりに知人と電話で会話したので、現実的なイメージしか残っていない。

 電話の相手は、画像を見て思い浮かんだストーリーを創作する、名付けてフォトジェニック・ストーリーのために、画像を提供してくれるアマチュア女流カメラマンの方だ。もうひとり、昼寝ネコのイラストを描いて提供してくれている女性と三人で、忘年会の会食をすることになっていたので、そのスケジュール調整が主目的だった。

 それぞれ皆さんは忙しいらしく、年明けに延期しようということになった。過去に2作品ほど画像を借りて、短編作品を書いたが、今はデジタル画像ではなく、フィルムで撮影しているそうだ。なかなかのマニアのこだわりである。

 私は過去に、子ども向けの創作作品を書いたことがない。書いてみたいと思いつつ、自信が持てないのでそのままになっている。

 現在、名入れ絵本の営業用チラシをまとめている。産婦人科用と自治体用だ。

 いざ、掲載する要素を思い浮かべていると、大切と思われる他の要素や、説明文の切り口がいろいろ思い浮かび、まだ仕上がっていない。明確にイメージ化されると、その後の作業は早いのだが、もうひと息である。

 自画自賛になってしまうが、生まれたばかりの赤ちゃんに対し、その赤ちゃんの名前を呼びながら、赤ちゃんに対して最も深い愛情を持っているお母さん、あるいはお父さんが、心からの愛溢れるメッセージを声に出して伝える・・・この世に生を受けて最初の読み聞かせ絵本になるのだが、こんな理想的な絵本は他にない、ということに、16年も経ってようやく気づいた。本当に心からそう思っている。

 生まれて間もない赤ちゃんが、言葉を理解できないのは当然だ。しかし、心を込めて繰り返し自分の名前を呼んでくれるお母さんやお父さんの声は、無意識のうちに記憶と心のひだに刻まれているはずだ。心地よさ、平安、やすらぎを実感しているはずだ。

 どんなに演技力のある俳優さんが、「親になりきった名演技」で言葉をかけたとしても、赤ちゃんの感性は、親と名優の違いを聞き分けるように思う。

 「大切なわが子へ」というタイトルの絵本には、全ページに赤ちゃんの名前が印刷されている。少しずつ成長し、語られる言葉のすべてを理解できないとしても、心地よさを感じているに違いないと思う。目に見えない心の領域で、穏やかな感性が芽を出し、膨らんで行くだろうと想像している。

 言葉に対する感性が育ち、感受性の鋭い子どもに成長するきっかけになる絵本だと、そのように自己評価している。恥ずかしながら、今まではそこまで深い認識を持っていなかった。

 一方で、読み聞かせをされるお母さんやお父さんにも、特別な感情体験を与えている。わが子に対する、親としての特別で神聖な愛情が心の中に湧き上がる。感動して言葉に詰まり、読み進めなかったとう感想は、これまでにもたくさんいただいている。読みながら、お父さんが号泣したという感想もいただいている。

 読書の動機は様々だろう。ある特定の知識を得るために本を読む、というケースが圧倒的に多いだろうと想像している。

 生まれたときから、心で感じる言葉を耳にして育った子どもは、やがて創作ストーリーを読むようになったとき、豊かな感性や想像力で疑似体験を重ねるようになるだろう。そして観察力や洞察力が身につき、相手の心の状態も理解できる、豊かな人間性が育つだろうと思う。

 言葉には人を傷つけ、悲しませる力もあるが、人に感動と癒し、平安を与える文章を編み出すこともできる。地上に生を受けた幼子から晩年を生きる高齢の方に至るまで、人生の節々で心に届くメッセージを、絵本に託して贈っていただけるよう、ずっと書き続けられるよう願っている。
 
 今でも心残りなのは、あるクリニックの院長夫妻から依頼のあった、特別版の文章がまだ採用されていないことだ。

 十代の女子学生が妊娠した。院長は中絶をしない主義のため、自分で産んで、子どものいない夫婦に養子として育ててもらう道を勧めた。女子学生はそのように決意し、出産した。その直後に、別室で待機していた夫婦のもとに、わが子が託された。その女子学生のための「養子版」の文章を、というのが依頼だった。

 言い訳になってしまうが、そのときにいろいろな資料を、参考にと言って渡された。同じ境遇のお母さんが過去に書いた手記、アメリカで出版された絵本の翻訳版などである。結局は、それらの資料を参考にしてひとつにまとめたような文章になってしまった。私自身の推測と洞察を経て、私自身の心の中から編み出された文章ではなかった。

 たった一人の特別な境遇の方のためであっても、文章を書くというのが私の主義なので、忙しさに紛れて未完成のままになっている、女子学生のための特別版が今でも心残りになっている。さりとて、事務的な文藻ではないので、決して簡単な作業ではない。

 忘れずに、ずっと考え続け、いつかは採用していただける文章に仕上げたいと思っている。心に、ぽっかりと大きな穴が開いたままの女子学生が、正しい選択だと確信し、心に負った傷を癒やせるように、そして悔悟の念を薄れさせることができるように・・・。

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# by hirune-neko | 2018-12-16 01:58 | 心の中のできごと | Comments(4)

なんとかピアソラを聴く気力が出て来たようだ

Romance de diablo - Astor Piazzolla
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 自分としては、かなり集中力が戻ってきたように感じる。思考が継続するような感じもあり、この機会に一気に懸案事項をを仕上げてしまいたいと思っている。

 笑われるだろうと思うが、世の中の大きな変化の前の小さな予兆を感じている。

 高津駅前のレンタルショップ・ツタヤが閉店した。以前から、成り立つのかなと疑問視していたのだが、ひっそりと店を閉めた。

 YouTubeを視聴しようとすると、動画の前に頻繁にコマーシャルが流れるようになった。Amazonで買い物をすると、どうも中国製らしき商品が多いように感じる。Googleが、クラウドサービスの提供に力を入れ始めているようだ。Facebookが、やたらと誕生日の人を画面に出すようになった。

 それがどうしたのかと言われるだろうけれど、何か違和感を感じ、何かの予兆ではないかと注視している自分がいる。

 ピアソラの作品には、天使の組曲があり、悪魔の組曲がある。ピアソラ自身が、天使と悪魔という正反対の存在を、どのように捉えていたのか、未だに理解できていない。

 現在、世界中で繰り広げられている陰謀と戦いを、無理矢理神学的に解釈するとしたら。神と悪魔の代理戦争なのではないかと思うことがある。かつて悪魔は、天上でルシフェルという名の天使だった。それが地上に投げ落とされ、悪魔・サタンとなったときから、人の子らが心を閉じて神の顔を見ようとせず、不幸な境遇に堕ちていくように仕向けることに、残酷な歓びを見出している。

 悪魔は、強欲で利己的な人間の支配欲や名誉欲を巧妙に操り、他国に攻め入るようそそのかす。そして、善良な多くの人々の命を奪い、その他多くの老若男女が泣き叫ぶ姿を目にして、冷酷な快感を感じる。

 そんな悪魔も、ピアソラの手にかかると、人間的な感情を与えられ、悔悟と徒労の念に苛まれる哀れな存在として、憐憫の情を与えられているかのようだ。

 冒頭の演奏は、Romance de diablo。直訳すれば、悪魔のロマンスである。ハルマゲドンの戦いで敗れて拘束され、そしてまた拘束を解かれて、勝ち目のない最後の、ゴグ・マゴグの戦いに臨む前の、深い悔悟と徒労の心情をピアソラが感じ取り、このような曲想に仕上げたとしか思えない。

 果たしてピアソラが、どこまでの神学的理解をもって作曲したのか、私には知る由もない。しかし、通俗的で表面的な解釈をせず、悪魔にまで人間的な感情を嗅ぎ取ったピアソラに、感性の鋭さと人間性の深さを感じる。

 慶応大学で英語を教えていた、ニュージーランド人の知人に、神学的インテリジェンスを直訳し、「Theologixal Intelligence」と言葉にしてみた。すると、文法的には正しいけれど、そのような言葉は無いと言われた。なるほど、Googleで検索したが、ひとつもヒットしなかった。かつての、ファミリー・インテリジェンスと一緒である。

 あれから何年か経ったが、たった今、改めてGoogleで検索すると、最初のページで表記された10件のうち6件が合致した。しかし、その6件はすべてが私関係の項目だった。

 たとえ単身でも、敵の前線に向かう気構えだけは失いたくないと思う。すでに故人となってしまった福岡貞夫さん、高場将美先生とピアソラ論議をした時の頃を、懐かしく思い出している。二人とも今日の記事を読み、霊界で微笑んでくれているような気がする。・・・まだしばらくはお会いできないだろうという気がしているが・・・人生は、いつ何が起きるか分からないので、先のことはんとも言えない。

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# by hirune-neko | 2018-12-15 00:55 | 心の中のできごと | Comments(3)

ようやく自分のペースに戻りつつある

Bill Evans Trio - Haunted Heart
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 2年ほど前から、徐々に時間に追われる生活になった。旅行もせず、映画も観ず、息抜きといっても、ちょっと昼寝をする程度だったように覆う。しかし、なんとかひとつひとつをこなし、自分本来の仕事と向き合えるようになってきたという感じがする。

 長い人生の中で・・・振り返ってみればあっという間とも感じるが・・・人の心は、あれこれに誘(いざな)われるものではないだろうか。その大半は失望と共に色褪せ、今度こそはという期待感で新たに望みを託す。

 私自身も、年齢相応にいろいろな環境に身を置いたように思う。しかし、やがては先が見えたり底が見えたりで、再び何かを探すために歩き始める。それの繰り返しの人生だったように思う。ひとつひとつを消去法で消しながら生きるうちに、視界に残っているものが徐々に絞り込まれてきたような印象がある。

 どのような表現が適切なのだろうか。

 まるで退路を断たれた兵士のように、敵の前線に向かっていくような、ある種の悲壮感を感じることもある。しかし、この戦いは自分自身の戦いなので、たとえ単身になったとしても、前進あるのみである。

 もしある人が、自分の持てるものをあらかた全て失ってしまったなら、それが金銭や資産だったとして、再びそれのみを求める情熱を持てるだろうか。持てる人も存在するとは思うが、金銭や資産はただ所有するだけだと、大きな価値があるとは思えない。潤沢な資金で、ありとあらゆる高級品を身につけ、あるいは身の回りに置いたとしても、そこにどれほどの価値を見出せるだろうか。それは、過去にあらかた全てを失った経験を持つ人ならば、良く理解できると思う。

 失うことは、真に価値あるものを見出すための通過点なのではないかと思う。過ちによって信頼を失う。失敗によって社会的な評価や名声が失墜する。事業に失敗して資産を失う・・・良くある話である。

 そこから這い上がるには、大いなる時間と努力が必要とされるだろう。しかし、人生で何が最も大切かを体感するに違いない。さらには、周りの弱者、苦難の渦中で生きる人たちが目に留まり、決して見過ごすことはしないだろうと思う。

 たとえ苦難を背負ったとしても、それは偏(ひとえ)に、人生を理解し、他者の内面を理解し、そして自分自身の使命を見出す上で必要な試練だったと、思えるときが訪れるのではないだろうか。・・・勿論、その人の生き方にもよるだろうけれど。

 ヨブが失ったもの、そしてその後にその2倍を得たとさてているが、家畜や資産の量よりも、おそらくは人生の真理に到達したであろう、心の軌跡が最も価値ある賜だったのではないだろうか。

 私は、必要なものがあればそれだけで十分である。それ以上のものを得たなら、それは自分だけのためではなく、他者にとって有益なことに転嫁したいと考えている。

 これぞまさに、取らぬ狸の皮算用である。ネコであっても時には狸のように、いい意味で人を欺すために、化けることも厭わないようにしようと思っている。

 ああそうそう。蛇足ではあるが、昨日の記事で、ある福祉団体に提案している、情報機関機能についてご紹介した。今日思い出したのだが、その福祉団体のアメリカ本部で、世界に向けて開かれたトップレベルの会合があり、日本の幹部の皆さんが、オンラインで参加されたようだ。アメリカ本部の幹部の一人で、ハーバード・ビジネススクールの元学長が、中国、韓国、北朝鮮情勢についてレクチャーしたらしい。内容の詳細は教えてもらえなかったが、福祉団体といえども、緊張度を増している東アジア情勢に注目していることを知り、個人的には安堵し、また嬉しく思った。これでますます、インテリジェンス機能の必要性を認識していただけるのではないだろうか。

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# by hirune-neko | 2018-12-14 00:54 | 心の中のできごと | Comments(0)

いよいよ本格的な情報機関の第一歩である

Chico Buarque- O Amor em Paz
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 過積載トラックのように、負いきれない量の案件を抱えて走っている。しかし、少しずつだが、こんな状況下でもペースを掴みつつある。

 詳細は明かせないが、ある福祉団体に対し、より的確かつ円滑に組織運営をするために、種々の公開情報を収集し、分析結果を基に戦略的方針を立てるよう提案をしてきている。もうかれこれ1年半ほど前になるだろうか。初めてその福祉団体に連れて行かれたが、紹介者からはインテリジェンスとか情報機関という言葉を使わないよう、釘を刺された。表現面ではずいぶん苦労したのを憶えている。

 東アジア地域情勢の変化が日本に及ぼす影響を予測し、有事認定時に適用される種々の法律とその展開実態を、普通の言葉で説明した。ストレートに言えば、情報収集・分析機関を設立し、政治家、政治団体、その他の情報を収集し、評価基準を設けて分析結果をデータベース化して、福祉団体独自のインテリジェンス機能を持たせる、ということになる。しかし、一般的な言葉で説明しなければならなかったので、福祉団体の幹部クラスの皆さんには、切迫した必要性をなかなかご理解いただけなかったようだ。

 もともと完全にボランティアだし、無理に説得してまで情報機関を設立していただく必要はない。必要性を感じなければ、いつでもお払い箱にしてくれていい、という程度の熱意だった。

 しかし、今夏以降の急激な日韓関係の悪化に伴い、さすがに内外情勢の把握の必要性を肌で感じ始めたようで、当初と較べるとかなり真剣に受けとめられるようになって来ていた。先月は「韓国政府による在日韓国系の人たちの強制送還の可能性」というテーマで、10数ページの報告書を提出した。書面提出は初めてだった。今日の打ち合わせでは、韓国情勢に関する懸念情報を簡単な予測報告書として提出した。構成員が多国籍の団体なので、現実問題なのである。

 かなり以前に、福祉団体専用のサイトを独自ドメインで作り、提供していた。今日の打ち合わせの最後に、私のレクチャーに対し、詳細な出典情報も知りたいということになった。そこでサイト内にパスワードを設定したページを作り、そこから出典サイトへのリンクを張ることを提案した。即断でゴーサインが出たので、トップの方にパスワードを決めていただいた。

 あとは、私自身が作り込むだけだ。情報機関は設立していないが、実際の機能としてOSINT情報(Open Source Intelligence)、すなわち公開情報の収集と分析に踏み出したことになり、私の認識では、ようやく実質的な情報機関機能の正式なスタートである。

 何度も記述したが、OSINT情報(Open Source Intelligence)は、世界中の情報機関が80%程度のウェイトを置いている情報収集・分析手段なので、最重要の中枢となる機能がスタートしたことになり、やれやれである。関係者の皆さんには、そのような意識は無く、単に緊張度が増す東アジア情勢を把握したという程度だと思うが、私にとってはそれで十分である。

 この福祉団体には、もともと政府関係者や国会議員との、かなりのパイプがあるようだ。いわゆる人的情報・HUMINT情報(Human Intelligence)である。OSIN情報とHUMINT情報を車の両論として進めていけば、強力なインテリジェンス機能を発揮することになると期待している。

 現在の私は、子育て中の家庭や個人のためのインテリジェンス、名付けてファミリー・インテリジェンスという、世界中に類例の無い独創的な機能を創出しようとして苦労している。しかし、既存のそれなりの組織の場を借りて、組織情報機関とでもいうべきインテリジェンス組織を、実際に構築する機会が与えられて幸運だと思っている。

 今日は時間切れで、これ以上の案件に手を付けることは止めた。睡眠の時間帯を、できるだけ早めないと、健康状態がじわじわと蝕まれるのを実感しているので、ここまでにしようと思う。

 先例・前例の無い機能を創出しようとしているので、文字通り試行錯誤の毎日である。好き好んで選んだ道なのだから、不平不満を言うことはできない。これでいいのだ。

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# by hirune-neko | 2018-12-13 02:12 | インテリジェンス | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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