昼寝ネコの雑記帳

落ちこぼれ人間が、半世紀かけて脱皮を試みている

Villa-Lobos : Bachianas Brasileiras No.5 "Cantilena" / vocal:Yoshie Kubota
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 どうにも時間が取れなくなってしまい、しばらくギターの個人レッスンをお休みしている。昨年、先生が体調を崩されたとブログに書かれていたので、案じていた。いろいろな演奏活動を再開されているようなので、快復されたのだなと思い、お見舞いメールを送った。その返信メールに、以下のよう一節があった。

 「ネコ様、話は変わりますが、ギターと歌の曲で、ブラジル風バッハはご存知でいらっしゃいますか? ヴィラ・ロボス作曲 ブラジル風バッハ第5番です。 きっとご存知だと思いますが、もし宜しければお聴きになってみて下さい。」

 YouTubeで探したのだが、ギターとボーカルの演奏がとても少なく、ようやく見つけた演奏を冒頭に掲載した。どうやら日本人の演奏のようだ。

 印象的なメロディーで、聞き覚えがあった。ブラジル風バッハだなんて、興味深いタイトルだ。ちょうど昨日、南米に縁ある福岡貞夫さんと高場将美先生について触れたが、最近は立て続けにペルー人、コスタリカ人と中南米の方々との出会いもあり、ぼんやりと彼の地の情景を思い浮かべていた。

 海外旅行など、まったく不可能な状況なので、せめて旅行動画でも眺め、雰囲気だけでも味わいたいと思い出している。もともと関心は北欧と東欧にも向いているが、考えてみたら高校時代、世界史や日本史、地理の授業が退屈でたまらず・・・と書くと、英語や数学は熱心に勉強したように誤解されそうなので、あからさまに書くと、とにかく授業が退屈で仕方がなかった。とても無味乾燥に思え、知識に対する吸収意欲が失せてしまっていた。英語だけには関心が高かった。

 学校を抜け出し、毎日ジャズ喫茶に通う落第高校生だったのだが、先生達は、こんな生徒が留年して学校に居座られるのは勘弁してほしい、という心境だったのだろう。なんとか 卒業はさせてもらえた。

 感性の嗅覚に素直だったようで、現在も直感的な判断を優先することが多い。我ながら扱いににくい人間だと思っている。おそらく、私ほど籠絡しにくい人間も珍しいのではないだろうか。お金に困った経験が豊富だが、困らなかった時期もあり、結局は自分の良心や理念をお金で売り渡すという選択が、できない体質になってしまっている。

 金銭、社会的地位や名誉を貪欲に追い求める体質ではなく、逆に使命感、理念、理想などの精神的充足感を最も大事に考えている。

 しかし、理念や理想を言葉で発信するだけで、満足してはいられない。現実世界で具体的な形あるものを構築することに、意義を感じている。そこが辛いところである。

 最近改めて感じているのだが、人の心を浄化するフィルターのような機能は、どのようにすれば作れるのだろうか。人に対する思いやり、正直さ、正義感、悪を忌避する潔癖さ、寛容さなど、人格を高めることの重要性を感じている。それらの特質が心の中で芽を出し、根を張り、幹が育って枝葉が生い茂るなら・・・そしてそのような人格の人たちが増えるなら、きっと住みよい街になり、次第次第に平和で安全な国になるのではないだろうか。

 落ちこぼれ高校生時代から、もうかれこれ半世紀になっている。やり直しのきかない、自分自身の失敗や経験をほろ苦く思い出しながら、悔悟と反省を込めて、反面教師としての役割を自分に課したいと考えるようになっている。

 金銭や社会的地位、名誉で籠絡されない自信はあるが、甘いお菓子の誘惑にはなかなか勝てそうもない、というのが最大の弱点である。困ったものだ。

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# by hirune-neko | 2019-02-07 00:36 | 心の中のできごと | Comments(2)

これからの時代に「来たるべきもの」は何か・・・?

Lo Que Vendrá - Astor Piazzolla
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 人の縁とは不思議なものだ。

 ある日、このブログに初めて書き込みをされた方があった。ピアソラがジャズ・バイブ奏者のゲーリー・バートンと組んで、ジャズ風の演奏に挑戦したアルバムに対し、私が実験的ではあったが、失敗作だった、という意見を述べた記事だった。

 私の意見に大いに賛成だ、という主旨の書き込みだった。音楽評論家の多くが絶賛したが、失敗作だった、というのがその方の意見だった。El Bohemioというハンドルネームで、年齢も性別も不詳だった。コメントのやりとりから、やがてメールのやりとりに発展した。

 そのEl Bohemioさんは若かりし頃、来日公演したピアソラの演奏に衝撃を受けたそうだ。私の記憶なので正確ではないかもしれないが、そのときに標題のLo Que Vendrá〜来たるべきもの、にすっかり魅入られたそうだ。もともと、カルロス・ガルデルの熱心なファンだったが、南米音楽に魅せられて単身、南米に渡ったということが、次第に語られた。お名前も、福岡貞夫さんという方であることが分かった。

 福岡貞夫さんは、最期はコロンビアのボゴダで生涯を終えた。2年ほど前のことだっただろうか。なかなか正義感の強い方だった。一度もお目にかからず、電話で話すこともなく終わってしまった。いつかコロンビアを訪れ、お会いしたいと思っていたのだが、残念な結果になってしまった。

 私がインターネット上に創設した「ピアソラ音の出る図書館」にも、ずいぶん情報を寄せていただいた。そういえば、福岡貞夫さん、中南米音楽の専門家である高場将美先生がコメント欄で、ピアソラが作曲した映画「ガルデルの亡命」について論じ合っていた所に、私も参加するようになり、ネット上の鼎談になったのも懐かしい思い出だ。

 その高場将美先生もすでに他界されている。なんだか、二人とも高貴な生き方のまま生涯を終えられたが、できの悪い私が独り取り残されてしまったような感じがしないでもない。

 相変わらずネット上を散策するのが日課になっているが、ざっとタイトルを斜め読みしただけでも、世界が末期状態にさしかかっており、臨界点に到達しつつあるという印象を強く感じる。

 インターネット上の公開情報をいくら読んでも、一般人には正確な予測をすることは困難だ。ましてや、日本を敵視する国の政府や情報機関を利するような報道を重ねる、テレビ・ラジオ局、新聞社、雑誌社、工作員かと思われる個人ブログなどが横行しているのだから、的確な判断はますます困難になる。

 かかる混乱事態のときには、種々の論争や対立構造とは一定の距離を置き、個人としての立ち位置を明確にすることをお勧めしたいと思う。単純化して言うなら、以下の3要素に凝縮されるだろう。実に単純で当たり前の内容なのだが、ここまでの結論に到達するだけで、何年もかかっている。

1)信頼できそうな情報源をいくつか選び、とくに選挙では棄権せず、必ず投票所に行って投票することだ。公開情報から、完璧な判断はできないまでも、受けた印象を大事にして、候補者から選定する。棄権せず、ほとんどの有権者が投票行動に出るなら、日本はおおむね正しい方向に進むと考えている。社会や政治に対する基本的な洞察力が具わり、メディアの捏造情報や世論誘導を見抜ける国民が増えるなら、これこそ最強の民間防衛ラインになり得ると考えている。

2)他者に依存せず、できるだけ長い期間を自立して生活できるよう、備蓄することだ。食料品、飲料水、燃料、携帯デバイス、予備電源、医薬品などで理想は1年分だが、実情に合った達成可能な期間を目指すことだ。もちろん、避難が必要な時を想定するなら、非常持ち出し用リュックを用意し、中身をよく考えて詰めておくことだ。

3)ますは自分自身の家族との絆を堅固なものにし、親族、近所の人たち、友人・知人などと、信頼関係をベースにしたヒューマン・ネットワークを構築することだ。国際情勢が緊迫したとき、日本国内を混乱に陥れる目的で、各種の工作・破壊活動が実行に移されると想定している。すぐ近くに敵国の工作員が潜んでいるかもしれない。そのようなときに、信頼・安心できる人間関係による助け合い、励まし合いがどれほど価値があるヒューマン・ネットワークかを、改めて実感するだろう。

 何回か書いたことがあるが、インテリジェンス講座を学ぶ目的で、大学院の試験を受けたとき、面接官の女性主任教授から質問されたのは、「国家インテリジェンスとファミリー・インテリジェンスは、どのように違うのか」という内容だった。

 国家の最小構成単位である個人や家庭が、上記のような3要素を地道に構築するなら、有事の際も国家への負担を軽くし、英邁に敵味方を識別し、もの言わぬ静かな兵士として、国家を安全な方向に導く原動力となると思っている。それがファミリー・インテリジェンスの基本だと確信しているので、今後も機会を見つけて提唱して行きたいと考えている。

 すでに他界されている福岡貞夫さん、高場将美先生にもお願いしたい。たまには夢の中に出て来て、何か助言をいただけないだろうか。

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# by hirune-neko | 2019-02-06 00:41 | インテリジェンス | Comments(0)

帰り来ぬ青春時代から聞こえるラ・ボエーム

Charles Aznavour - La Boheme
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 昨日の、童謡・シャンソン歌手の大庭照子さんに関する記事「珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた」を、童謡館の理事長さんにお送りした。誤った記述内容があるといけないと考え、確認をお願いした。

 返信メールをいただき、大庭照子さんからのメッセージを受け取った。2カ所を修正することになったが、最後の部分に、このように書かれていた。

 「今回のメールでまたまた新たな力が湧いてきました。7月頃、ハーバーズダイニングでパリ祭によせてのシャンソンコンサートをやろうと企画を進めております。
是非ラボエームを歌っていただけませんか。夢が広がります。」

 思わず声を上げて笑ってしまった。なんて博愛精神の豊富な方なのだろうか。私がステージに立って歌ったら、お客さんからは「金返せ!」の大合唱になるだろう。

 そこで、以下のように返信した。

 「なお、マ・ヴィーでラ・ボエームを歌ったということに関連し、大庭先生には大変な博愛精神をお示しいただきましたが、あれはもう、40年ほど前の出来事であり、今ではボサノヴァを歌うのがやっとの状態です。お言葉は大変有難く頂戴しますが、どうぞご放念ください。」

 過去に、声楽は故・宮本良平先生、坂本博士先生、坂本秀明先生に師事したことがある。大庭照子さんは坂本博士先生とのご縁がある方なので、私ともある意味ではちょっとした細いつながりがあることになる。


 アズナヴールのラ・ボエームを初めて聴いたのは、もう50年近く前のことだ。改めて、当時のことを懐かしく思い巡らせた。ラ・ボエームも、帰り来ぬ青春も、似たような心情を歌っているのだと思う。帰り来ぬ青春の、フランス語のタイトルは Hier Encore(過ぎ去りし日よ再び・昼寝ネコ訳)で、英語のはYesterday When I Was Youngである。ラ・ボエームにも、帰り来ぬ青春にも、両方とも遙か彼方に過ぎ去った、二十歳の頃を懐かしむ、という表現がある。

 今の私の年齢や、ほろ苦い思い出の多い人生を振り返ると、現在の私にこそふさわしい内容の歌詞だと思ったので、改めて日本語の歌詞を探してみた。以前も何かでご紹介したことのあるブログ「朝倉ノニーの<歌物語」に掲載されている邦訳が、なかなかいいなと思った。http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-325.html

 そこで、なにを血迷ったか、フランス語と日本語の対訳資料を作成してしまった。アズナヴールの歌を聴きながら、フランス語の発音を確認し、日本語で意味を味わうためだ。・・・で、一体何のために?

 いや、別に具体的な目的は何もない。ただ、1曲ぐらい暗譜し、フランス語で歌えるレパートリーがあってもいいのではないかと思っただけだ。・・・で、どこで歌う気なのだろうか。ハハハ、特訓して、パリ祭のシャンソンコンサートにエントリーするだなんていう考えがある訳ではない。

 オペラのアリアや古典歌曲は、声で聴かせるように感じる。しかし、シャンソンやピアソラ曲のオラシオ・フェレールの歌詞などは、文字通り語り聴かせる歌だと思う。いかに聴き手の心に訴えかけるか、という歌唱法だと思う。これまでにシャンソンは習ったことがないが、上記の朝倉ノニーさんは、フランス語でシャンソンを歌う会を主宰されている。いつか仕事が一段落し、体力と気力が残っていたら、そのサロンを覗いてみようかな、思ったりしている。

 以下は、目的不明で作成した、ラ・ボエームの仏日対訳表である。どうも、興味があることには、ついつい時間を費やしてしまう。悪い癖だとは思うが、他に楽しみが無いので、許容範囲内だと思うようにしたい。

【ラ・ボエームフランス語・日本語対訳表】
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# by hirune-neko | 2019-02-05 02:17 | 心の中のできごと | Comments(0)

珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた

 
私の人生 - 大庭照子
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 私には麻雀仲間とか、将棋やカラオケ仲間などは存在せず、ひたすら孤高(笑)の私生活だが、家内はコーラス仲間とか、娘のバレエ時代のお母さん仲間とか、とにかく交遊範囲が広い

 以前から、コーラス仲間の皆さんに誘われて、童謡とシャンソンを歌われる、大庭照子さんのステージを聴きに行ったことは、何度も聞いていた。石井好子さんの跡を受けてパリ祭を主催していたとか、いろいろご苦労されたような話を漏れ聞いていた。なんでも、平成元年10月10日に阿蘇で童謡ピクニックを開催し、阿蘇発の童謡運動を始めたそうだが、再構築・再挑戦のため、70歳になってから童謡普及の事務所を立ち上げたとか、とにかくバイタリティ溢れる方だと思っていた。

 たまたま、関内でシャンソンを歌うステージがあると言われた。いつも自閉気味で引きこもりのような毎日なので、たまには生のシャンソンを聴くのもいいなと思い、行く気になった。ところが、申し込んでから、シャンソンではなく童謡のステージだということが分かった。もうすでに申し込んだ後だったので、キャンセルするのも申し訳ないと思った。それにしても、長時間に渡って童謡を聴かされるのかと考えただけで、私の心は動揺した。(笑)

 でもまあ、たまには童心に返り、心のどこかに残っているかもしれない、無邪気さを探してみようと思った。

 関内駅から歩いて会場に向かった。途中で道に迷い、トヨタレンタのカウンターで調べてもらった。どうやらテレビ神奈川のビルの中らしい。

 なんとか探し当てたが、テレビ神奈川と並んで、神奈川新聞の名前があった。おお、かの有名な神奈川新聞か、という不思議な出会いだった。

 ステージは1時間半程度だっただろうか。童謡のソロだけかと思ったら、教え子の小さな子どもたちがステージに立ち、数曲披露した。ヴァイオリン演奏の飛び入りもあった。元NHKラジオ深夜便のナレーターの方が紹介された。大庭照子さん曰く、童謡だけでなく、朗読教室も開きたいそうだ。へえ、朗読なら習ってみたいなと、また悪い癖が出て、興味を持ってしまった。なんでも、日本童謡学会なるものができて、名誉理事を引き受けたとか、とにかく80歳とは思えない積極性溢れる方だった。

 なんと、国歌である君が代も歌われた。君が代が本来の意味をねじ曲げられて、戦争に引き込むための歌だとか非難され、大変な扱いをされたが、いずれ何かの機会に、君が代の歴史的背景を話したい、と仰った。おや、なかなか保守的な考えの方なのだなと思った。

 子どもに対する心からの純粋な愛情、国家に対する愛国の情、一人ひとりに対する細やかな気遣い、教育者としての不屈の精神、頭の回転の速さなどを感じさせるステージだった。大庭さんの歌からは、安心して聴ける人格、寛容さが伝わってきた。ステージが終わってみると、心が洗われるような爽快感が残っていた。

 終演後、出口の所で見送りの挨拶をしていらっしゃったので、何かひと言お礼の言葉をお伝えしようと思ったら、横から家内のコーラス仲間の方が、「とても感動されたそうですよ」と代弁してくれた。言おうと思ったことを言われてしまい、言葉を失った私は、とんでもない誤解を招くことを言ってしまった。

 「遙か昔のことですが、銀座の日高なみさんのお店(マ・ヴィー)と蛙たち(両方ともシャンソニエ)によく行ってました。パリ祭の時、マ・ヴィーで歌ったんですが、フランス語で歌ったのに、今のは中国語ですか?と言われてしまったんですよ。アハハ」・・・大庭さんの表情が、一瞬固まってしまったように見えた。

 完全に言葉足らずの表現だった。この言い方では、まるで私が名も無いシャンソン歌手であり、かつては銀座のシャンソニエで歌っていたかのように聞こえただろう。40年ほど前の当時、マ・ヴィーでは、パリ祭の日は特別にお客さんが歌わせてもらえた。当時は毎日のようにアズナヴールを聴いていたので、ピアノ伴奏で「ラ・ボエーム」を歌った、というのが実際の経緯だった。歌手でもなんでもない。

 大学生の時、フランス語の授業で、朝倉季雄先生が私のフランス語をお聞きになり、「キミはフランスに住んだことがありますか?」と仰った。とても嬉しくて、フランス語の発音にはすっかり自信がついたというのに、今のは中国語ですか?と言われてしまい、奈落の底に突き落とされた心境だった。

 いろいろ学ばせていただき、また自分自身の視野にも、童謡を入れるべきだという発見があったので嬉しかった。

【参考資料】
大庭照子プロフィール
熊本出身。
 フェリス女学院短期大学音楽科卒業。三宅春惠氏に師事。二期会研究科を経てポピュラー音楽に転向。1967年日本シャンソンコンクール入賞。1971年にNHK“みんなの歌”で「小さな木の実」がヒット。この年より全国各地でスクールコンサートを開催し、今までにのべ3000校以上をまわる。

 日本青年会議所主催の「青年の船」の音楽講師を10年間務めた他、外国アーティストの招聘やシャンソンの祭典「パリ祭」の主催、「全国童謡・唱歌サミット」を開催するなど多彩に活動。2000年よりキングラン㈱主催の老人保健施設、病院コンサートで全国をまわっている。

 1987年第17回日本童謡賞特別賞、1988年第1回下總皖一音楽賞(演奏部門)、1995年第35回久留島武彦賞(個人賞)、2001年くまもと県民文化賞の各賞を受賞。現在NPO法人日本国際童謡館館長、日本ペンクラブ会員、JASRAC会員。キングレコード専属。

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# by hirune-neko | 2019-02-04 00:17 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

たまにはスランプ状態に陥ることもある


08 Remembrance - Astor Piazzolla
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 ささいなことではあるが、発端はプリンターの不調だった。絵本を受け取った方が、産婦人科の院長先生に感想を書き送る、受領葉書の在庫が切れてしまった。通常は種々の印刷物1年分を印刷会社に委託しているのだが、在庫が切れると自分で作らなければならない。

 ところがどういう訳か、紙にインクの汚れが出てしまう。メーカーのサポートに電話し、解決したかに見えたのだが、また再発した。印刷速度や紙の種類の組み合わせを変えたり、データのアプリケーションも変更したりで、すっかり時間をロスしてしまった。

 おまけに、年末年始は製本屋さんのお休みの関係で、2週間のブランクがあったため、絵本が届かない、いつになるのか、という問い合わせが何件もあった。製本上のトラブルに対するクレームも発生し、いつになく対応時間が長くなってしまった。

 精神に疾患を抱え、家族関係に問題がある方々が、ときどき連絡してくることがある。今日は、よりによって時間に追われながら処置している最中に、電話があった。我慢していたが声を聞きたくなった、どうしていいか分からないので解決方法を教えてほしい、と言われるとむげに電話を切ることもできない。正直言って、過密なスケジュールのときの傾聴カウンセリングは、なかなか辛いものだ。

 スランプ状態の時は、まだまだ未熟なので、ついつい甘いものに手が出てしまう。今日は外出する気力が無かったので、冷蔵庫からサツマイモ1本を取り出し、皮を削り取って輪切りにした。フライパンにココナツオイルを流して、こんがりと焼いた。そのせいか、少し気持ちが落ち着いた。

 集中力も低下してしまい、将棋ソフトの3級相手にボロ負けが連続した。そんなやれやれの状態の時は、受け付ける音楽も限られるようだ。あれもこれも聴く気になれず、ようやくピアソラのRemembrance(思い出)に落ち着いた。

 でもこうしてブログに向かい、あるのままの気持ちを赤裸々に書いているうちに、少しずつ生きる気力が蘇生してきた。追いつめられた人間が自暴自棄になって、テロ行為に走る心情を垣間見たような気もした。

 そういえば昨晩、世界中から短編作品を公募している団体の、日本担当者の方からメールが届いた。外国人の方なので、ちょっと不思議な表現だが、以下のように書かれていた。
 「長く返事しなくて申し訳ありません。最初の(日本)ラウンドの評価者は日本人です。まだ評価中ですが、昼寝ネコさんの小説は高く評価されるそうです。特に『彼方から蘇る記憶』。上の幾つかの小説を英語に翻訳して、それで国際ラウンドに進みます。後に正式な結論を報告します。」

 そうか、高く評価してくれているのか、と、素直に嬉しく思った。3作応募したので、ひとつでも予選を通過してくれればいいのだが。

 自分の人生を改めて振り返るまでもなく、決して平坦ではなく、順風満帆でもなかった。波瀾万丈、紆余曲折、試行錯誤の道程だったと思う。その結果として、いろいろな人生の人たちを知り、考えさせられた。知らず知らず、高校生時代から今日に至るまで、作品のエッセンスとなる断片が、自分の精神世界に蓄積されてきているのだろうという気がしている。

 とりとめのない心象を、こうして文章で表現するうちに、ようやく思考力が戻ってきたようだ。まだまだ訓練の足りない未熟さを感じているが、それも自分の一部だと思う。

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# by hirune-neko | 2019-02-02 23:51 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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