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昼寝ネコの雑記帳

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ようやく脳内のクールダウンが始まった

Samuel Barber - Adagio for Strings

 明日は月末なのだが、いつもぎりぎりになって支払いの収支一覧表を作成している。別に資金的に十分な余裕があるからなのではなく、単に手が回らないだけだ。仮に結果的に資金不足だったとしても、なんとか解決方法をひねり出せるという自信があり、いつの間にかすっかり腹も据わり、極めて楽観的になってしまった。

 今日はかなり長い時間、連続して集中した。不思議と疲労を感じず、最後までやり遂げることができた。しかし、今頃になってさすがに疲れが出てきた。こうしてブログに向かうと、幸いなことに脳内のクールダウンが始まる。そして、気に入った音楽を聴きながら文章を書いていると、ますます心が平安になる。

 まだまだいくつもの遅延案件に追いまくられており、なかなか早い時間に寝ることができず困っている。

 ある仕事の依頼主の方に、遅延のお詫びと状況報告の電話をした。パソコンを新規購入したところ、何種類ものアプリケーションが動作不能に陥り、設定やサポートを受けることの繰り返しで、ほぼ1ヵ月ぐらい仕事の機能が停滞してしまったと、ありのままに伝えた。

 するとその方は開口一番、「人生なんて思いがけないことが起きるものですよ。思い通りにいかないのが人生ですよ。頑張って乗り越えてください」と、励ましてくれた。ありがたいものである。

 さすがに今日はかなり脳と神経を酷使したので、ダラダラと文章を書かず、身体を休めることを優先したいと思う。

 いよいよ秋の季節が近づいてくる。ひんやりとした空気になれば、外に出て歩くのもそんなに億劫ではない。9月に入ったら、毎日欠かさずに規定の歩数を歩けるようになるよう、努めたいと思う。歩く事は健康の基本だと思っている。

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by hirune-neko | 2020-08-31 01:54 | 心の中のできごと | Comments(0)

今日もやはり止めておこうと思う

Bill Evans Trio at the Montreux Jazz Festival - Mother of Earl

 昨日のブログで、「安倍総理辞任の裏に隠されたトランプ大統領との秘密会談」というタイトルで、妄想記事を書こうと思ったが、さすがに自重した。

 しかし、今日の英語スカイプレッスンで、アメリカの大学で国際政治学を専攻した先生に、私の個人的な妄想推測を話してみた。すると驚いたことに、それはありえる、という感心した反応だった。

 そこで調子に乗り、今日のブログに書こうと一瞬思ったのだが、もしそれが当たらずとも遠からずの内容だったら、CIAやNSAからマークされることになって、窮屈な思いをすることになる。ましてや、中国系の情報機関が、昼寝ネコはどのような情報ルートを持っているのかと関心を持ち、アプローチされるのはごめんだ。

 それでわずか数秒間の熟考の末、やはり公の場で書くのは止め、このまま闇に葬ることにした。

 今日のレッスンの大半は、多言語出版のことについて意見交換を行った。私自身ここ数日、amazonとappleにコンタクトし、電子書籍の販売に関する情報を収集している。いろいろ考えたのだが、まず最初のステップは、日本語と英語、それともスペイン語の電子書籍を発行するようにしたいと思っている。

 紙に印刷する書籍に比べると、印刷代、用紙代、加工代、製本代そして倉庫料や物流経費が全くかからない。これから海外の出版社に幅広くコンタクトするに先立ち、amazonとappleで電子書籍を販売していることが確認できれば、信用につながるだろうとも考えている。それぞれの国での、紙の書籍出版の営業にもプラス要因だと判断している。

 今日は、レッスン中に無料会員制のファミリー・インテリジェンスサービスにも話題が及んだ。情報提供の中で最も注意を要するのは、政治的なマターだと思っている。そこで、左右のいずれにも傾倒せず上手に立ち振る舞いたいと伝えた。それは日本語では「いい子ぶる」と言うのだが、英語ではどう表現するのかと質問した。

 すると先生は、多分Google翻訳で調べたのではないかと思うのだが、以下の表現を教えてくれた。

 いい子ぶる = (to) act goody-goody

 グディグディ、 と発音するそうだ。面白い英語表現だと思った。初めて耳にしたので、レッスン後にいつも送ってもらう単語ノートに記載するようお願いした。

 酷暑の夏が徐々に姿を消し始めているせいなのか、昼間から全身に濃い疲労感を感じるようになってきた。そんな時は無理せず、体を横にして疲労を取り除くようにしている。

 いずれにしても、中国・韓国・北朝鮮の連合チームが稼働し始めているだろう。それに対し、アメリカを中心とするファイブアイズの国々は、まずは中国の退路を絶つために、日本を加盟させてシックスアイズとして再スタートさせ、秘密情報の共有だけでなく、軍事協定も締結し、中国共産党政府を追い込む戦略が具体的に進んでいるのではないだろうか。

 私たちは、まるで戦争ドキュメンタリー映画を見るような感覚で国際情勢を捉えるのではなく、あくまでも水面下では日本にも危機的な状況が浸透しつつあるという認識のもとに、具体的に何を備えるべきかを真剣に考える局面になってきているいるのではないだろうか。

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by hirune-neko | 2020-08-30 00:17 | インテリジェンス | Comments(0)

一足早く、秋の気配をお届けする

Sarah Vaughan: Autumn In New York

 かなりいろいろなアーティストが、この曲を演奏していると思う。ビル・エヴァンスの演奏を検索したら、サラ・ヴォーンの名演が検索に引っかかった。とても懐かしく思ったので、今日はこの曲を紹介させていただく。

 ブログに向かう前、今日は安倍首相の辞任発表があったので、安倍首相との極秘会談の内容でも紹介しようかと考えた。しかし、この緊張度の高い時期に冗談めいた記事などを書くのは不謹慎だと思ったので、結局はやめることにした。

 ようやく少しずつ集中力が回復し、今日は最も重要な営業用の手紙を書くことができた。ある産婦人科クリニックの事務長さん宛である。弊社の絵本は、ほぼ採用が内定しているようなのだが、コロナウィルス騒動で、現場の師長さんがなかなか検討時間を確保できないようだ。そこで、事務長さんを経由して患者さんに渡していただく説明冊子を送ることにした。読んでいただければ、その冊子を渡せば後はほとんど煩わしいことがないと理解していただけるだろう。

 座りっぱなしで何時間も、文章を考え推敲・校正していると、文字通り頭に血が上ってしまい酸欠状態になってしまう。これはまずいと思ったので、今日も何とか規定の歩数を歩いてきた。日中と比べればはるかに気温は低くなっているのだが、それでも歩き続けていると汗が吹き出してくる。しかし、健康維持には歩くことが基本だと思っているので、何とか維持したいと思う。

 帰る途中、夜中の12時まで営業している、まいばすけっと、という小さなスーパーに入った。買い物かごにほぼいっぱい商品を詰めても、レジでは千数百円の支払いだった。歩きながら考えた。このような状態は果たしていつまで続くだろうか。ある日突然、スーパーやコンビニの棚から食料品が消えてしまう、という悪夢のような出来事が脳内に思い浮かぶ。

 毎年秋口には、次男のお嫁さんのご両親が、玄米30キロ詰めの袋を車に積んで、5袋持ってきてくれる。全部で150キロである。 農家の方から直接購入するので、かなり割安である。その玄米も、残すところ1袋になってしまった。近所の米屋さんに行き、精米機で白米にしてくる。

 最近の中国情勢に関する情報を閲覧すると、かなり食糧事情が悪化しているようだ。さらに、中国共産党政府は、世界中の中国人に命じて食料品を爆買いし、中国に送るという動きに出ているらしい。やはりどう考えても、主食である米と飲料水の一定量、さらには燃料や予備電源は確保しておいた方が安心なのではないだろうか。

 もう何年も前から、自然災害だけでなく様々な非常事態に対応するよう、できるだけ多くの皆さんに声をかけようという構想を持っている。しかし、なかなか仕事に追われており、その仕組みを具体的に立ち上げるのに手が回っていない。手遅れにならないうちに、ある程度の人数の皆さんに、定期的に情報を提供できるようになりたいと思っている。

 楽観的な気持ちは大切だと思うが、この先の国際情勢をあれこれ考えてみると、かなり悲観的にならざるを得ない。後はただ、個人レベルでどのようなことを備えればいいのか、引き続き研究したいと思う。もともと独自の考えとして持っている「ファミリー・インテリジェンス」は、ただ単に生き残れれば良いという考えではなく、本来の家族関係がどうあるべきか、という精神領域の部分にまで踏み込みたいと思っている。徐々にいろいろな要素が集約できているので、具体的な形に組み立てたいと、気持ちだけが焦っている。

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by hirune-neko | 2020-08-29 00:22 | インテリジェンス | Comments(0)

愚考・人間の感性や心境の変化と音楽的嗜好

津軽弁でジャズ

 一日の仕事を終えて、疲れきった頭でブログに向かうと、私にとっては適度な脳内クールダウンになっている。そして、その時の気分というか心理状態に一番合う音楽を選ぶのも、楽しみになっている。

 最近はどういうわけか、ジャズピアニストのビル・エヴァンスを選ぶ頻度が高くなっているようだ。ひと頃は連日、アストル・ピアソラの作品や演奏ばかり選んでいた時期がある。どうやら、人間の心理状態はその日その日によって微妙に異なるようだ。そして、その時の心理状態や心境よって、しっくりくる音楽も異なるようだ。

 ピアソラにすっかり傾倒し、ピアソラの作品だけを選んでいたのはいつ頃だったのだろうか。それを調べるには、自分のブログを開いてみれば良い。

 このブログがいつから始まったのか調べてみた。2007年の2月だった。さて、ではどの直にピアノばかり聴いていたのだろうか。興味があった。もう13年前以上のことである。そこで、とりあえず10年前の、2010年のブログを1つずつ開いてみた。

 すると、ビル・エヴァンスだったり日によって、種々雑多な音楽を紹介していた。つまり、全く一貫性がなかった。しかし、どのような音楽を選んだかに興味があり、1つずつ開いて聴いてみた。すると、とてもユニークな選曲をしている日があった。

 2010年11月の午後2時5分の記事だった。昼過ぎにブログを書くなんて、今の私にとっては考えられない時間帯である。しかも、文章量が驚くほど短い。冒頭で今日紹介するYouTube画像は、その日の紹介画像で、今日現在でもまだ視聴できるものだった。
 
2010年11月のブログより転載

「こりゃいいや」
 お馴染みのMy favourite things。

 高校3年生の頃、ジョン・コルトレーンがリリースしたRide Againというタイトルのレコードに収録されていた記憶がある。もちろんミュージカルSound of musicの曲だ。

 それをなんと、津軽弁で歌っているのを見つけてしまった。津軽弁、という要素を除いて聴いてもなかなかいい演奏だ。この女性ヴォーカリストは、きっと「めんごいおなご」だと思う。

 隣国では砲撃の応酬をしているようだが、日本はまだかろうじて、平和を保っている。このまますっと保って欲しいものだ。
(転載終了)


 文章はたったこれだけである。ここ 数年の自分のブログ記事の文字量と比較すると、完全な手抜きである。

 出だしの津軽弁を聞くと、一瞬どこの国の言葉だろうと思ってしまった。そして、今日発見したのだが途中からはちゃんと英語で歌っている。つまり、津軽弁は聞き慣れない人にとっては、外国語に聞こえないこともない。私の父方の祖父母は秋田県の出身である。子供の頃から聴き慣れていたので、秋田の言葉は割と理解できる。母方の祖父母の出身は、青森県の津軽地方である。しかし、子供の頃から津軽弁を耳にした記憶は無いため、ちんぷんかんぷんである。

 何度も書いたが、高校生の時にジャズの洗礼を受け、ほぼ半世紀にわたってジャズを聴き続けている。これまでに、アストル・ピアソラだけではなくボサノバやシャンソン、ジャズボーカルなどいろいろなジャンルの演奏家との出会いがあった。

 ピアソラに夢中になっていた頃、すっかり趣味が高じてしまいインターネット上に「ピアソラ音の出る図書館」というサイトまで作ってしまった。

【参考資料:ピアソラ音の出る図書館】

 今はもうすでに故人となってしまったが、中南米音楽の専門家だった高場将美先生、そして同じくピアソラ、ガルデルのファンで南米に移住してしまい、数年前に他界された福岡貞夫さんと3人で、ピアソラに関する情報交換を、Facebookで行ったのをそのまま転載した記事もあったはずだ。

 今となっては、とても懐かしい思い出である。環境も境遇も全く異なる3人だったが、ピアソラの世界ではすっかり意気投合し、いろいろな接点を持たせていただいた。

 あの頃から何年も経った今、改めて自分と音楽との関係を客観的に考えてみた。当時ほど、ピアソラだけに傾倒してはいない自分がいる。ピアソラの作品があれば何もいらない、という心境ではなくなっているようだ。ピアソラには大変申し訳ないし、図書館への登録者も海外の方々が何人も存在し、それらの皆さんにも申し訳ないが、いつの間にか曲の更新をしないまま年月が経ってしまった。

 マニアックな点だけを追求するのならば、次々とYouTubeでピアソラの曲を探し、図書館にリストアップして視聴できるようにする姿勢が続いただろうと思う。しかし、今の私はその時に聴きたい音楽を聴く、という体質になってしまったようだ。つまり、ピアソラのこの曲はかなりのマニアでも知らないだろう、という点を強調したいのではなく、自分の約半世紀にわたる音楽的な放浪の旅を通して、こんな音楽もあるという、もっとリラックスした音楽の紹介ができるといいなと、今日ふと考えた次第である。

 見ようによっては中途半端な音の出る図書館になってしまうかもしれないが、クラシックからジャズ、タンゴ、ボサノバ、シャンソンなどの幅広いジャンルで、自分の感性に合った音楽を紹介する音の図書館を作る方が、今の自分には合っているのではないかと、今日そのような考えが思い浮かんだ。

 当時と比べれば今の私は、かなり時間的にタイトな生活を送っている。したがって、頭の中だけでの構想で終わってしまうか、あるいは時間をかけて少しずつ組み立てるか、現在のところは皆目見当がつかない。しかし、個人的に音楽と人間の感性は、密接な関係があると思っているので、誰でも無料で登録できる図書館にして、かつ登録された方からもいろいろなお好きな音楽を紹介してもらう、という交流の場があってもいいのではないかと思った。もちろん、今日の今日なので正真正銘の思いつきのアイディアである。

 徹底的に音楽好きの私なので、仕事の合間の頭安めに、もしかしたら本格的にそのような趣旨の、音の出る図書館をインターネット上に作ってしまうかもしれない。

 さて、もし作るとしたら何か良い名前は無いだろうか。例えば、今日冒頭で紹介した曲のタイトルをもじって「My Favourite Music」 なんていう名前もいいかなと思った。
 
 一体いつになったら着手できるのか、皆目見当もつかないが、設置が始まったらブログで報告させていただくので、音楽好きの方は是非登録してご活用いただきたい。

 現在時刻は午後10時21分。さて今日こそは歩きに行こう。

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by hirune-neko | 2020-08-27 22:25 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

アホ・ドジ・マヌケ

Young And Foolish

 私とは対照的にいつも早朝出社する次男からメールが着信した。開いてみると、今月の23日以降メールフォームによる絵本の注文が一冊もない、おかしいという内容だった。それは明らかにおかしい。そこで私も慌てて仕事場に行った。

 まず最初に可能性を疑ったのは、サーバーで設定しているメールアカウントの容量が、限界に到達しているのではないかということだった。サーバーにログインしてみると、思った通り300 MBの設定をしていたのだが、使用容量が300 MBとなっていた。したがって、サーバー自体がメールを一切受け付けなくなっていたのが原因だった。

 以前も何度か同じ失敗を経験している。しかし、300 MBといえばそれなりのキャパシティーである。思い当たるのは、月間100冊前後の申し込みがある産婦人科が、従前は手書きの申込書だったのに、7月1日から100%フォームメールで申し込むシステムに変えたことだ。

  サーバー運営会社のチャットサポートの受付が午前10時からだったので、その時間まで待って相談した。すると、容量オーバーをした後のメールを復元することはできないとの事だった。

 フォームメールで申し込みを受けているので、フォームのサーバーを開いてみた。すると、メールアカウントには着信していなかったものの、ログデータとして過去のかなりの数が保存されていた。そこで、ログデータをダウンロードし、Excelブックに変換して受注データは加工することができた。

 しかし、添付されていた画像が、どうしても復元できない。質問メールを送ったが、やはりその場合はお客様様にお願いして、画像を再送信してもらうしかないと言う。そこで、何人かのお客様に電話して事情を説明し、お詫びして再送信をお願いした。何とかそれで問題を解決することができた。

 言い訳になってしまうが、ここ約1ヵ月は新しいiMacの設定に振り回され、サーバーで設定したメールアカウントの容量にまで神経が届かなかった。やはり、カレンダーに定期的なメンテナンスのチェックを入れておく必要があると痛感した。

 メールフォームによる送信は、ログデータとしてそれなりの量がサーバーに残される事は知っていた。しかしこれまで、その活用方法などほとんど考えた事はなかった。しかし、今後の中長期的な構想にとって、お客様から送られてくる個人情報は、こちらからの情報提供ツールとしてとても貴重であることを再認識した。

 10年単位の長期間にわたって、ごく基本的な操作ではあるものの、サーバーの管理やいくつかのアプリケーション、そしてクラウドサービスの利用方法を学んできた。少しずつではあるが、有機的な組み立てがぼんやりと脳内に浮かぶようになっている。

 ひと頃はSkypeしかなかった通話方式も、最近は相次いでいくつも出回るようになっている。しかし、アメリカ政府が中国製の通信ソフトやIT機器を徹底的に排除しようとしているので、中国製のものにどっぷりつかりきっていると、思わぬ不自由さを経験することになるかもしれない。そのような予測に立って、身の回りのITツールを取捨選択する必要があるだろうと思っている。

 毎日連続的に発生する様々な処理作業に加え、今日のように自分のうっかりした間抜けな管理によるトラブルも発生する。なかなか本来の業務に集中することができないまま、時間だけがどんどん経過している。しかし、外堀がいくつあるかはわからないものの、一つ一つ埋めていれば徐々に本丸に到達するだろうと、極めて楽観的に考えている。

 歯の痛みも、昨日と比べれば遙かに楽になった。子供の頃の歯医者での治療がトラウマになってしまい、今でも歯の治療に行くのが大の苦手である。食事には必ず米を食するが、まるで赤ん坊の離乳食のように、お粥にしてもらっている。

 いずれにしても、気力と集中力、未来に向けて前進しようとするパワー、新しい知識を吸収しようとする向学心、これらは死ぬまで持続したいと願っている。

 今日、冒頭でご紹介したのはビル・エバンスが演奏するYoung And Foolishである。割と好きな曲で、これまでも何度かご紹介していると思う。高校生の頃聴いたビリー・ホリデイの歌う I am a fool to want youという歌を、当時の大橋巨泉さんがなんと訳したか。「私ばかよね、おばかさんよね」だった。思わず苦笑したものだ。

 もう少しだけ高尚に訳すと、このYoung And Foolishは、さしずめ「若気の至り」とでも訳せるのではないだろうか。若気の至りというのは、経験も浅く歳若い人間が、判断を誤って馬鹿げたことをしてしまう、ということなのだと思う。

 しかし、もう私の年齢になってしまうと、そのような言い訳は通用しないだろう。文字通りアホ・ドジ・マヌケなのだと深く反省している。

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by hirune-neko | 2020-08-26 23:42 | 心の中のできごと | Comments(0)

今度は歯痛、連続波状攻撃でげんなりだ

Time Remembered (Live)

 歯に何かが当たると、ずんという重い痛みがある。しばらく治まっていたのだが、また再発してしまった。虫歯ではないと思うのだが、原因不明である。歯医者が大の苦手で、ずるずると先延ばししてしまったツケが回ってきたようだ。おかげで、集中力が散漫になってしまい何も手につかない。なぜこうも次々と、いろいろなことが起きるのだろうか。正直言ってすっかり参っている。

 なんとなくだが、肩の凝りが原因なのかなと思ったり、眼を酷使しているのでそれが原因かな、などと当てずっぽうに推測している。いずれにしても、観念して今晩は早めに寝ることにしようと思っている。

 今日は、かねてからの課題である電子書籍の多言語出版について、少し調べようと思った。amazonとappleの両方が電子書籍を扱っているため、それぞれに電話して様子を訊いてみた。

 日本の出版社が多言語で電子書籍を出版し、amazonとappleなどの国際的な市場で販売しているケースがあるのだろうか。そこまではまだ調べ切れていない。

 とりあえず、amazonが対応している言語として、以下のリストをいただいた。ずいぶんたくさんある。ざっと見たところ、私には一体どこの国の言葉なのか不明なものも多い。参考までに以下にご紹介させていただく。

1.アイスランド語 2.アイルランド語 3.アフリカーンス語  4.アラビア語 (電子書籍のみ) 5.アルザス語 6.イタリア語 7.イディッシュ語 (プリント本のみ) 8.ウェールズ語 9.オランダ語/フランドル語 10.カタロニア語 11.ガリシア語 12.グジャラート語 (電子書籍のみ) 13.コーンウォール語 14.コルシカ語 15.スウェーデン語 16.スコッツ語 17.スコットランド ゲール語 18.スペイン語 19.タミール語 (電子書籍のみ) 20.デンマーク語 21.ドイツ語 22.ノルウェー語 (ニーノシュク) 23.ノルウェー語 (ブークモール) 24.ノルウェー語 25.バスク語 26.ヒンディー語 (電子書籍のみ) 27.フィンランド語 28.フランス語 29.フリジア語 30.ブルトン語 31.プロヴァンス語 32.ヘブライ語 (プリント本のみ) 33.ポルトガル語 34.マラーティー語 (電子書籍のみ) 35.マラヤーラム語 (電子書籍のみ) 36.マン島語 37.ラテン語 (プリント本のみ) 38.ルクセンブルク語 39.ロマンシュ語 40.英語 41.中国語 (繁体字) (電子書籍のみ) 42.東フリジア語 43.日本語 (電子書籍のみ) 44.北フリジア語

 国が違えば言語も違う。物価指数も異なるだろうから、書籍の妥当な値段がどの程度なのか調べなければわからない。しかしひとつ言える事は、紙に印刷する書籍と比べると、印刷代、用紙代、製本代、加工代等はゼロである。つまり、それだけ経済的なリスク負担が少ないということになる。

 既に日本では、十数年前から全国の書店件数が前年比でマイナス状態が続いている。紙の書籍と電子書籍との販売比率はどの程度なのか、そこまでは調べていない。書籍を単に情報源として捉えれば、iPadに何百冊も収納できるという利点は、電子書籍にかなわないだろう。

 東南アジアでは、どの程度インターネットが普及し、iPadなどのデバイスを所有する人が存在するのか、皆目わからない。しかし、たとえそんなに売れなくても、当初の経済的な投資リスクが最小化できるというのは1つの魅力である。

 まだ、頭の中で明確なイメージが固定化されていないが、もう少しいろいろ調べながら、基本的な方針を定めていきたいと思っている。とりあえずは、英語とスペイン語は何とかなりそうだ。次の段階は、どのようにリスクを避けながら、言語数を増やしていくかが課題になる。

 こんなふうに歯が疼いているような状態では、最善の結論には到達できないと思うので、少しのんびり構えたいと思う。

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by hirune-neko | 2020-08-25 22:02 | 心の中のできごと | Comments(0)

どうやら自分自身が飽和点に到達しつつあるようだ

Bill Evans - Quiet Now

 自分自身の能力、知識、体力などを総合的に考えたとき、どうやらそろそろ限界点に到達しつつあるという思いを新たにしている。然らばここで放棄し撤退するのか、 との問いには答えるまでもない。そんなことはできない。

 しからはどうするのか、という現実的な質問に回答しなければならない。

 すぐに思い浮かぶのは「委任の原則」である。プロジェクトがある程度肥大化してくれば、1人ですべてのことを実行する事は不可能になる。全体の作業を細分化し、それぞれを誰かに任せる、という意味の委任である。もちろん、その分の人件費はコストになる。

 全体業務を細分化して委任したとしても、そのプロジェクトのベクトル、すなわち方向性や速度、投下すべき時間や資金などについては、私自身が明確に把握し指示を出さなくてはならない。それよりもさらに重要なのは、そのプロジェクトが内包する理念である。理念や基本原則がなく、ただ単に売り上げが増える要素だけを追い求めていたのでは、いつかは破綻するだろうと思う。

 やはり、確固とした理念が土台にあり、社会性・公共性を常に視野に入れ、利己的にならず私利私欲を捨てた高邁な哲学があるならば、それは時代の変遷によっても廃れず、錆つかず、腐敗しないだろうと思う。

 ただ明らかなのは、いくら3000年を生きていると妄言しても、1人の人間というか、1匹のネコというか、私はどれだけ努力しても同時に複数の案件はこなせないし、同時に異なる場所に存在することもできない。至極当然のことだろうと思う。そうなるともう残された方法はたった1つしかない。

 それは、古代イスラエル時代から昼寝ネコ一族に伝わる秘術である。詳細を一般公開する事は許されていないが、日本語風に言えば「分身の術」である。つまり、平たく言えば自分と同じように考え、自分と同じような判断で物事を行える、自分の分身を作るという意味である。

 もちろん、人間はそれぞれ異なった経験、感性、考え方を持っている。したがって、その人の意見や判断を抹殺し、強制することはできない。あくまでも、能動的、建設的に理念や哲学を共有し、共通の目標に向かって邁進することに使命感と達成感を感じる、そのような人を探し出し、あるいは時によって説得するのである。

 聖書を読むと、「イスラエルの再集合」という言葉が何度も出てくる。簡単に言えば、紀元前の時代に全世界に散らされたイスラエルの民が、時満ちたる時代に正義の御旗のもとに最集合する、という意味だと理解している。今現在は日本人かもしれないし、韓国人、北朝鮮人、中国人、あるいはアメリカ人だったりベトナム人だったりするかもしれない。しかし、その出自をずっと辿っていくと、古代イスラエルに行き着く。そういう考えである。

 これは人間社会における記述である。しかし、普段何気なく見ているネコにも同様の世界が存在する。いわゆる「昼寝ネコ一族の最集合」である。昼寝ネコ一族の血統のネコたちは、特殊なDNAを持っており、普段はネコの姿をしているが、時々随時人間の姿に変身することができる。・・・あらあら、今日は饒舌すぎて一族の秘密を暴露してしまった。でもまぁ、3000年も生きていれば多少の認知症の症状も出てくる事もあるだろう。まぁ大目に見ていただきたい。

 最後に一言、大事なことをお伝えしたいと思う。もうかなり以前から、自給自足を前提に、自然災害やテロ活動、有事などを想定して食料品、飲料水、燃料、バッテリーを中心とした備蓄をするようお勧めしてきている。最近の中国情勢について、中国に住む一族のネコたちが、ネコネットを通して情報を送ってきた。

 それによると、中国最大規模の三峡ダムが決壊することを、中国共産党政府が認識し始めているとのことだ。このダムが決壊すると、とんでもない面積に大洪水が拡大し、甚大な被害を及ぼすと言われている。さらに、既にかなりの面積の耕作地が洪水に流され、大飢饉が拡大するという認識も持ち始めているそうだ。習近平国家主席自身が、国民に節食を呼びかけているそうだ。一族のネコたちによれば、キャットフードも既に手に入りにくい状態になっているそうだ。

 ここ日本には、中国共産党政府の影響下にある政治家や政党、マスメディアがそれなりに存在する。その庇護の下に、日本国内の大量の米が中国に送られる可能性が高まっていると言われた。その理由や経緯は別として、結果的に日本国内に居住する日本人、そしてもちろん外国人の人たちも含むのだが、主食である米の量が逼迫する可能性が高まっていると注意を受けた。

 今日はその情報と注意喚起を、そのままこのブログに残させていただく。本当は、ネコネット上の情報をそのまま、人間が使用するインターネットに転載する事は禁じられている。しかし、何度も言うように私はもうすでに、3000年以上を生きているので、時々認知症が発症し物忘れをすることが起きてしまう。今日は、たまたまその物忘れが発生したと言い訳をしておきたい。

 今ならまだ間に合う。なるほど、とお感じになった方はすぐに行動に移されるようお勧めする。予算的に可能な方は、燃料を使う発電機も比較的廉価なものから売られている。私も欲しいなと思っている。

 そうだ、これからは自分の実年齢を前面に出し、時々認知症を理由にすっとぼけた話をしようと思う。

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by hirune-neko | 2020-08-25 00:19 | インテリジェンス | Comments(0)

なんとか午前0時前に予定の作業を終えられた

Silvius Leopold Weiss - " Fantasie", guitar Asya Selyutina

 いつも当然のことのように動いているパソコンや周辺のプログラムが、突然を動かなくなると途端に私自身が機能停止に陥ってしまう。なんとか修復しようとするのだが、そう簡単にはいかない。

 改めて、自分がかなりのIT依存症であることを実感した。しかし、それは避けては通れないことなので、路線を変更するつもりはない。しかし、昨晩のブログアップができなかった件は、パソコンやデバイスが原因ではない。おそらくは、ブログ運営サーバーでトラブルがあったのではないだろうか。

 昨日、iCloud Drive内のデータを整理していた。その時、ふとあるフォルダが目に留まった。ある知人から英文を日本語に翻訳するよう依頼されたデータである。

 その知人はニュージーランドの出身で、どういうわけか村上春樹の研究家である。日本のある私立大学で英語を教えていたが、数年前にイギリスに留学してまた日本に帰って来た。そんな彼が、ある学会で村上春樹について講演発表することになった。彼自身は、漢字混じりの日本文をすらすら読むほど、日本語に堪能な人物である。

 それまでは、私が彼に日本文の英訳をお願いすることが何度かあった。ある時、彼が作成した日本語の文章の推敲を頼まれた。私が推敲した文章を、職場の日本人に読んでもらったところ「流れるようないい文章だ」と評価してくれたそうだ。そりゃあ当然だろう(笑)。

 そのようなことがあったせいなのかもしれない。学会での発表を予定している講話原稿を英語で作成し、その和訳を私に依頼してきた。

 正直に言うと、何カ所か意味が把握できないところがあった。その部分を口頭で説明してもらい、何とか日本文に訳し終えた。内容は、村上春樹に関する評論である。私自身の記念と記録のために、その一部を以下にご紹介することにする。本格的に和訳の仕事を請け負ったことはなかったが、とてもいい勉強になった。

 一部といっても、かなり長いので、雰囲気だけを味わっていただければ十分である。


【学会講演の原稿の一部;英文オリジナル】
Charm in The Great Gatsby
In The Great Gatsby, it is the women who are most overtly described as charming. Miss Baker is one case, but it is particularly Gatsby’s love interest, Daisy, who is most commonly described as charming, her mysterious power coming primarily from two features: her voice and her money.
For example, in a scene where Daisy has openly expressed her love for Gatsby in front of her husband and where the tragic ending of the novel has arguably already been set in motion, we get this dialogue between Gatsby and the narrator of the novel, Nick Carraway:
Gatsby turned to me rigidly:
“I can’t say anything in this house, old sport.”
“She’s got an indiscreet voice,” I remarked. “It’s full of—“
I hesitated.
“Her voice is full of money,” he said suddenly.
That was it. I’d never understood before. It was full of money—that was the inexhaustible charm that rose and fell in it, the jingle of it, the cymbal’s song of it…. High in a white palace the king’s daughter, the golden girl…. (114-115)
Later in the novel, after the tragic climax has already occurred, we get this recollection from Gatsby of an earlier time:
She had caught a cold, and it made her voice huskier and more charming than ever, and Gatsby was overwhelmingly aware of the youth and mystery that wealth imprisons and preserves, of the freshness of many clothes, and of Daisy, gleaming like silver, safe and proud above the hot struggles of the poor (150)
In both passages, Daisy’s charm is connected with her voice, but also with her money and the way it keeps her apart from the common things of the world. Indeed, the first time we meet her in the novel it is her voice—this time captured in her laugh—that is her weapon of choice in her charm offensive:
The other girl, Daisy, made an attempt to rise—she leaned slightly forward with a conscientious expression—then she laughed, an absurd, charming little laugh, and I laughed too and came forward into the room (14).
Later Nick comments on Daisy’s tendency to murmur, a characteristic, it is said, that she uses to get people to lean in more closely to her. This, Nick assures us, is “an irrelevant criticism that made it no less charming” (14).
By the end of the novel, however, Daisy is silent. She has accidently killed her husband’s mistress in a hit and run accident, but rather than speaking up and taking responsibility, she disappears behind her money, leaving Gatsby, the man she supposedly loved, to take the fall. For Nick, Daisy’s charm has clearly vanished. Instead, he describes her and her husband as “careless people” who “smashed up things and creatures and then retreated back into their money or their vast carelessness, or whatever it was that kept them together, and let other people clean up the mess they had made …” (170). In some sense, Daisy’s life may still be charmed, but for Nick and for the reader she is no longer charming.
Gatsby’s charm, on the other hand, while it is also connected with his voice and money, at least in the eyes of the narrator is something deeper than its veneer. Perhaps this is because the slipshoddiness of Gatsby’s veneer is always on display to see, at least for those who wish to see it. This is best illustrated in a scene involving one of Gatsby’s lavish parties when one of the guests finds himself in Gatsby’s library, fascinated by the impressive collection of books. Nick wanders in on the man, who immediately begins raving about the library’s realism:
‘As a matter of fact you needn’t bother to ascertain. They’re real.’
‘The books?’
He nodded.
‘Absolutely real—have pages and everything … It’s a triumph. What thoroughness! What realism! Knew when to stop, too—didn’t cut the pages. But what do you want? What do you expect? (47)
Of course, as anyone who has read the novel knows, Gatsby represents new money. In his attempt to win over Daisy, he has taken whatever means necessary, including the illegal path of bootlegging, to amass a fortune in an attempt to win her over. This means that the veneer of his charm, however, is sloppy, clearly on display for those who wish to see it. He has a tendency to overcompensate, to overuse expressions like “old sport,” for example, in an attempt to appear more polished than he really is. And yet those who take a closer look are going to see that the pages of his books are still uncut—it is just that most people are not interested in looking that closely.
By the end of the novel, Nick finds himself disgusted by life on the East Coast. Clearly his experience with Daisy is a big part of this disillusionment, but what about his experience with Gatsby? The final time Nick sees Gatsby, he leaves him with a compliment: ‘They’re a rotten crowd,’ I shouted across the lawn. ‘You’re worth the whole damn bunch of them put together” (146). He follows this compliment with a confession, however: “I’ve always been glad I said that. It was the only compliment I ever gave him, because I disapproved of him from the beginning to the end” (147). Is this true? At the start of novel, Nick in fact lavishes great praise on Gatsby, telling us that he has an “extraordinary gift for hope, a romantic readiness such as I have never found in any person,” and concludes that “Gatsby turned out all right at the end” (p. 8). What the reader is left with then is mixed messages. Does Nick disapprove of Gatsby or not? Does Gatsby end up all right in the end or not? Nick’s ambivalence towards his male counterpart is a dynamic that is also taken up in Murakami’s fiction.
Unlike Fitzgerald’s novel, in Murakami’s fiction, female charm is rarely questioned or stripped away. The same cannot be said for male charm, however. Like with Fitzgerald’s Nick Carraway, Murakami’s narrators often find themselves pulled into the gravitational field of a more charismatic male with a questionable moral worldview. As with Nick, these protagonists, at first at least, try to reserve judgement (p. 7), to keep an open mind, but over time they become increasingly uncomfortable with what might lie behind the charismatic mask of their male counterpart. Examples of these charming but morally compromised male characters include the trader in Barn Burning and Aoki in The Silence in Murakami’s short stories, and Nagasawa in Norwegian Wood, Gotanda in Dance Dance Dance, Wataya Noboru in The Wind-up Bird Chronicle, and the religious guru in 1Q84 amongst Murakami’s novels. Given the limits of time, today I will explore just two of these examples: the trader in Barn Burning and Gotanda in Dance Dance Dance.

【学会講演の原稿の一部;日本語への翻訳by昼寝ネコ】

グレート・ギャツビーの中のチャーム  

 グレート・ギャツビーで、チャーミングな対象として表現されている登場人物は、明らかに全てが女性です。ミス・ベイカー はその一例ですが、特にギャツビーの恋愛の対象でもあるデイジーは、最もチャーミングな女性として表現されており、彼女のチャームの源泉には二つの要素があります・・・声質と資力です。*注:もし村上春樹が文中で「声とお金」と表現しているのなら、そのまま表現した方がいいかもしれません。  

 例えば, 夫の前でデイジーがギャツビーへの愛を告白するシーン、小説の悲劇的結末がもう決まっていると感じる読者が少なくないシーンで、語り手ニック・ キャラウェイと ギャツビー の間に次の会話があります:      
 「彼女の声には何か無分別なものがあるね」と僕は指摘した。「あの声には— 」、 そのあとの言葉を僕はためらった。「彼女の声にはぎっしり金がつまっている」と ギャツビーはあっさりと言った。まさにそのとおりだ。でも彼に言われるまで そのことに思い至らなかった。そう、そこには金が詰まっていた。蠱惑がそこ から尽きることなく立ち上がり、そして降りていくのだ。その心地よいちりん ちりんという音、シンバルの歌 …. 純白の宮殿の高楼には、王様の娘にして黄 金色の少女…. (218-219)  

 「蠱惑」という言葉はオリジナルの英文の “inexhaustible charm”の訳であり、この発表における他のグレート・ギャツビーの引用と同様、村上自身の訳でもあります。小説のさらに後半で、ギャツビーがデイジーとの恋に落ちた時の回想シーンがあります。そこでは、デイジーの声のチャームについて、以下のように表現されています。      

 彼女は風邪をひいて、そのせいで声は普段にもましてハスキーであり、よりチ ャーミングだった。ギャツビーは何かを目にするたびに、深いため息をつかな いわけにはいかなかった―そこには富が幽閉し、大事に護る若さと神秘があり、数多くの衣裳のもたらす新鮮さがあり、貧乏人たちのあくせくとした生活とは縁遠い高みで、安らかに誇らしげに、純銀のきらめきを放つデイジーがいた。(270)  

 この両方の表現から読み取れるのは, デイジーのチャームは声質、それと資力に密接な関係があるということです。実際に小説の中で初めて彼女と出会った時に彼女の声質、特に彼女の笑い声が、charm offensive(有無を言わせぬ威圧的とも感じる魅惑)となって相手を屈服させる様子が描かれています。      

 もう片方の女性、デイジーは立ち上がろうかという素振りを見せた。心のこもった表情を顔に浮かべ、しるしばかり身を前に傾けたわけだ。それから彼女は笑った。道理のない、小さくてチャーミングな笑いだ。それで僕も笑って、部屋に足を踏み入れた。(23)  

 ニックはデイジーが独り言のように呟くことに対する批判的な、「相手を自分の方にかがみ込ませるために」やるという指摘に対し、「これは見当違いの批判だし、たとえそう言われたところで、彼女の話し方のチャーミングさはみじんも損なわれない」と反論しています(23)。  

 小説の最後の最後で、デイジーのチャーミングな声は、すっかり寡黙になってしまいます。車を運転中に事故を起こしますが、その事故で死んだ人は偶然にも、夫の浮気相手でした。デイジーはそのまま逃走して罪を逃れようとし、さらには恋愛相手のギャツビーに罪を着せようとします。その結果、ニックがそれまで思い描いていたデイジーのチャームは、明らかに色あせてしまいます。デイジーのことを、ご主人トム同様に「思慮を欠いた人間」 だと考えるようになり、 「いろんなものごとや、いろんな人々をひっかきまわし、台無しにしておいて、あとは知らん顔をして奥に引っ込んでしまう」と批判します (322)。

 ある意味で、デイジーの人生そのものは依然として「charmed」(幸運)ではあるものの、彼女そのものはすでに「チャーミング」さを失っています。  

 その一方で、ギャツビーのチャームの源泉を、デイジーと同じように声質と資力に辿れるにもかかわらず、ギャツビーのチャームは遥かに大雑把なものでもあります。ギャツビーのある豪華なパーティーで、ニックがギャツビーの図書室に入ったとき、もう一人のパーティーのお客さんに話しかけられます。      

 「念のために言っておくと、本物かどうかわざわざ確かめるまでもないよ。私がもう調べた。本物だ。」      
 「本のことですか?」      
 かれは頷いた。      
 「れっきとした本物さ。ページから何から、すべて揃っている。どうせそれっぽく豪華に作られた張りぼてだろうと踏んでいたんだ。ところがなんたることか、正真正銘の書物だよ。ページから何から―ほら、これを見てごらん!なんたるリアリズム!そしてどのへんで止めておけばいいかも、ちゃーんと心得ている。ほら、ページまでは切られておらんだろう。」(88)  

 グレート・ギャツビーを読んだ人ならご存じのように、ギャツビーは「new money」(新興金融業者)の象徴的な人物です。デイジーの心を掴むためには、どのような手段を講じてでも、お金持ちになろうとします。必要と思えば、違法な「bootlegging」(アルコールを密売すること)にさえ手を染める人です。だからこそギャツビーのチャームは無分別で直接的なものであり、少し注意深く観察すると見破ることができます。「オールド・スポート」などでは、上流階級の表現を過度に用い、お金も派手に使い、デイジーにアピールしようとしています。でもちゃんと見れば本のページはまだ切られていないけれど、それはほとんどの人がチャーミングな生活の表面的な部分にしか注意を向けないからです。  

 小説の最後で、 ニックはイースト・コーストの生活にむかついています。もちろんデイジーがその失望の大きな原因の一つですが、ギャツビーとの場合はどうでしょうか。ニックが最後にギャツビーと会う時、ギャツビーに対しては誉め言葉を伝えます: 「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」と僕は芝生の庭越しに叫んだ。「皆合わせても、君一人の値打ちもないね」(277). でもその後にすぐに、この告白を付け加えます: 「思い切ってそういっておいてよかったと、今でも思っている。それはあとにも先にも僕が彼に与えた唯一の賛辞になった。僕としては始めから終わりまで一貫して、彼という人間を是認することはどうしてもできなかったからだ。」(278).

 ここのニックの言葉を信じていいでしょうか。 小説の初めに実はこういう風にギャツビーを褒めます:「彼に尋常ではない希望を抱かせ、強い夢想へ駆り立てた」、そして結論としてこう書きます: “ギャツビーは最後の最後に、かれが人としてまっすぐであったこと僕に示してくれた(12)。

 こういう一貫性のないギャツビーについての様々なメセージを、どうまとめればよいでしょう。ニックのギャツビーに対する躊躇いは村上文学における男同士の関係にも影響を及ぼしています。  

 フィッツジェラルドの小説とは異なり、村上の小説では女のチャームはあまり疑問視されたり、看破されません。それに対し、男のチャームは最初から怪しいものであり、少しずつ危なくなります。ニックと同じように、村上の主人公はカリスマ性のある男の重心に引っ張られ、彼らの疑わしい道徳世界観に影響されます。またこういう主人公は最初、ニックと同じように、その相手を裁かないように努力しますが、徐々にそれができなくなって、そのカリスマ性の仮面の裏に何があるのかを知りたがります。こういうカリスマ男の例としては、短編には『納屋を焼く』の「貿易の男」と『沈黙』の青木があり、長編には『ノルウェイの森』の長沢、『ダンス・ダンス・ダンス』の五反田、『ねじまき鳥クロニクル』の綿谷ノボル、そして『1Q84』のリーダー(教祖)が存在します。


 こんなに長文だと、多分字数制限に引っかかって全文を掲載できないのではないかと思う。それよりも何よりも、これが本当に自分で翻訳した文章なのかと、疑問に思うほど英文はなかなか難解だ。まぁそんな事はともかく、とりあえず今日は記念として残そうと思う。

 さて、本当に全文をアップできるかどうか不安である。

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by hirune-neko | 2020-08-24 01:33 | 心の中のできごと | Comments(2)

とりあえずのご挨拶

ブログ読者の皆様へ

 昨晩、いつものようにブログをアップしようとしたのだが、何度試しても記事作成のページにログインすることができなかった。エキサイトブログ全体の症状なのか、あるいは私のブログだけの症状なのかすら判断がつかなかった。かなりの時間トライしたのだが、結局は徒労に終わり諦めた。

 およそ12時間経過した今、再度トライしてみたらこのようにログインすることができた。ここ何年も、毎日ブログをアップすることを習慣としてきたので、お越しくださった方がブログ更新がなされていないのをご覧になり、私の身に何か起こったのではないかと心配をおかけするのはとても心苦しい事だった。
 
 そこで、とりあえずは私自身の無事安全をご報告させていただく。ブログシステムに、このまま何も支障がなければ今晩からまた、いつものようにブログを更新させていただきたいと思う。ご心配下さった方には、お礼を申し上げる。昼寝ネコ


by hirune-neko | 2020-08-23 11:27 | 心の中のできごと | Comments(0)

大容量のデータ保存と共有の方法に取り組んでいる

https://www.youtube.com/watch?v=jE2bus2VLdQ
Daniel Mille - Après la pluie

 とくに差し迫った具体的な理由はないのだが、数日前から何かにせかされるように、データの保存と閲覧の仕組みを整理すべく大手術をしている。

 今日は、それなりに行動した。夕方過ぎから外出し、そのまま規定の歩数を歩いた。まだ熱気を感じる空気だったため、途中で苦しくなってベンチに座り、呼吸を整えた。

 最近、ある考えに少し執着している。それは何かと言うと「予知能力」だ。一般論として、テレビ・ラジオ・新聞・週刊誌などが報道している情報は、それなりの量になると思う。普通は、それらの情報を見たり聞いたりして、自分なりに情勢の把握を行うのではないだろうか。そしてさらに、深く考える人であればあるほど、一体これからどういうことが起きるだろうか、そしてそのためにはどのような備えが必要だろうか、というように予測と対応について考えるのが一般的だと思う。

 今年に入って半年以上は連日、コロナウィルスの世界的な感染規模、死者数などが大きく報じられている。悪く解釈すると、感染という問題を前面に出すことで人々の不安を煽り、そこに注目させる。つまり、水面下で繰り広げられている国際政治、外交、経済、軍事などの詳細な情報については、できるだけ報じないという戦略があるとは考えられないだろうか。もちろん、ある種のプロパガンダ活動、すなわち情報戦略である。

 これまでも何度か触れてきたが、国家と国民を守るための国家インテリジェンスという機能は、世界中のどの国も持っている。そして、どの国にも情報機関があり、国内外の情報を収集し分析している。その結果を、国によって名称が違うが「国家安全保障会議」(NSC)の場で報告・討議され、最終的には国家元首が判断し決定を下す。

 しかし、たとえ日本にもそのようなプロセスがあったとしても、政権の実態を考えると、政権の上部構成員に親中と評される人物が存在するし、同様の政党が政権を支えている。それが今の日本の現状だと思う。

 マスメディアが報じる情報を鵜呑みにできないと考える人は、自分自身である程度情報のアンテナを張り、独自に情報収集しなければならない。しかもいろいろな角度から分析し検討を加え、今後の予測を立てなくてはいけない。しかし、仕事を持つ一般市民にとっては、十分な時間を確保することが難しい。

 国家安全保障会議の 構成員や情報機関の職員は、ちゃんと給料をもらっているのだから、ある意味では連日連夜情報収集や分析にほとんどの時間を費やすことが可能である。

 一般市民が国家安全保障会議に出席し、意見を述べるなどという機会はまずありえないだろう。しかし、国家の安全保障については国家元首を中心とする政治家や専門家に委ねるとしても、個人や家庭を守るという意味での安全保障システムは、どのように考えればいいのだろうか。

 人によっては、かなりの時間を割いてインターネットから情報を収集し、既存のマスメディアの報道内容との比較検討をする方も存在するだろう。膨大な時間と労力が必要だと考える。しかし、現状では個人的にブログサイトを運営する方々が発信する、情報に依存するウェイトが高くなるのは当然ではないだろうか。

 本格的に情報を収集し、分析し、さらには情報をデータベース化して、容易に比較検討できるような機能を構築するには、人件費や事務所経費などの制約が発生する。そう簡単に実現できるものではないだろうと思う。しかし、そのような民間の情報機関が存在し、良心的な立場で一般市民に対する、良質な情報を提供するようになると理想だと思っている。

 今日インターネットで目にした記事が気になり、本文を読んだ。いつものブログ「徒然なるままに」である。アメリカ・トランプ大統領の娘であるイヴァンカさんのご主人は、クシュナーという名前であるが、その人物に関する情報である。
 
 まず最初に、ウィキペディアに掲載されている一般的な情報をご紹介する。そして次に、ブログ「徒然なるままに」で紹介されていたクシュナー氏に関する情報をご紹介したい。

 目下、米中の対立構造が先鋭化し、かなり一触即発の様相を呈している。その実態を、なぜ日本のマスメディアはもっとリアルに報じないのだろうかと疑問に感じる。できれば、日本を親中国の方向に転換させたい勢力が、マスメディアに対する影響力を行使して中国に不利になるるような情報は、報じないようにしているとしか考えられない。

 その前に一言付け加えたい。日本ではメディアスクラムと総称されるが、アメリカではメインストリームメディアと言われ、いわゆる左派系のメディアが結託している。そしてその背後では、イスラエル勢力が影響力を行使しているそうだ。さらにいうと、イスラエルと中国には、詳細で具体的な内容はお伝えできないが、親密なパイプが存在すると聞いている。そのような予備知識をもとに、以下の記事をお読みいただきたい。

クシュナー氏に関する一般情報】

 ジャレッド・コーリー・クシュナー(Jared Corey Kushner、1981年1月10日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。ドナルド・トランプの娘イヴァンカの夫でトランプの娘婿。トランプ大統領の元で、大統領上級顧問に起用された。不動産開発企業クシュナー・カンパニーズ、『ニューヨーク・オブザーバー』誌のオーナー。

 不動産開発企業クシュナー・カンパニーズの創業者チャールズ・クシュナーの長男として、ニュージャージー州エセックス郡リビングストンに生まれる。クシュナー家は1949年に祖父母がベラルーシからポーランドを経て米国へ移民したユダヤ人で、ホロコーストからの生還者である。正統派ユダヤ教の戒律に従った食事をとり、安息日を守り、ニューヨークのアッパーイーストサイドにある上流階級向けのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)に通う。父親は民主党への大口献金者であり、息子たちの入学直前にハーバード大学、ニューヨーク大学へ大口寄付をしたことでも知られる。

(出展 Wikipedia)
 
【ブログ「徒然なるままに」で紹介の記事】

*長文になってしまうが、現在熾烈さを極めているアメリカ大統領選挙の実態と、その背後に横たわる知られざる水面下の状況を合わせ読んでいただくと、とても興味深いと思われるので、あえて全文をご紹介させていただく。私自身も知らなかったことなので、改めて自分の勉強不足を恥じている。そしてさらに、これらの実態を知ることが、決して日本にとって対岸の火事ではないという認識を深めていただくことにもなると思う。

(以下、全文紹介)

 メイカさんがバノン氏逮捕の真相を伝えてくれています。

 トランプ政権も危ない感じがします。なぜなら、この4年間、ホワイトハウスをしきってきたのはトランプではなく、娘婿のシオニストで親中派のクシュナーだからです。クシュナーがこれからもずっとホワイトハウスに居座るなら、トランプの対中制裁は中途半端なものになり、クシュナー率いる中共のスパイたちにホワイトハウスが乗っ取られることになりますね。以前からクシュナーについては気になっていましたが、ここにきて、クシュナーは中共のために動いていますね。恐ろしい動きです。バノン氏逮捕についての真相が米国民に明かされないとトランプ再選が危なくなってきます。日本にとってもクシュナーは爆弾です。

メイカさんによると、
・2、3か月前からバノン氏逮捕についての情報は入っていた。バノン氏のおかげでトランプは中国に対して強行姿勢に出られた。バノン氏はトランプ大統領就任直後に国家戦略顧問になったが、婿のクシュナーは中共と戦うバノン氏が大嫌いだった。クシュナーは中共と非常に仲が良い。トクシュナーは、自分の娘たちに小さいころから中国語を勉強させている。クシュナーがイバンカと結婚した時、クシュナーは多くの中国人スパイと付き合っていた。クシュナーはトランプの対中強硬姿勢を止めさせようとしている。トランプ政権下でホワイトハウスから多くの人々が辞めていったのは、クシュナーと考えが合わないためだった。バノン氏の逮捕の背後には、左翼民主党のオバマ元大統領と中国共産党がいる。中国メディアはバノン氏の逮捕を非常に喜んでいる。

 バノン氏は中国から亡命した郭 文貴と非常に仲が良い。バノン氏と郭 文貴は自分たちのメディアを通して中共と戦うための報道を行っていた。

 そのため背後で中共はクシュナーとイバンカと中国人スパイを動かしてバノン氏を逮捕させた。クシュナーはトランプの対中強硬路線を止めさせる。2か月後に大統領選があるがその前にバノン氏を逮捕することが計画されていた。ウォールストリートジャーナルは中国に買収されたメディアで反トランプ、反バノン、反郭 文貴の報道をしている。ニューヨークタイムズも同様。

 米国には超親中派のメディアばかり。民主党はバノン氏と戦うと言っている。そしてトランプを落選させようとしている。中京が背後でトランプを落選させるためにバノン氏を逮捕させた。米国では民主党と共和党の闘争が激しくなっている。米国民の間でバノン氏は非常に人気があるためバノン氏逮捕によりトランプの支持率が下がるだろう。トランプはバノン氏については知らないと言った。

 クシュナーとイバンカの自宅には頻繁に中国人スパイが訪れている。トランプは。娘が孫の教育のために中国語を学ばせているのなら何も言えない。FBI、CIAには多くの親中派、民主党支持者がいるためバノン氏を逮捕した。トランプはスノーデンを無実にさせる。もうすぐ米国に帰国するだろう。バノン氏の逮捕に関して今後、真相が明らかにされるだろう。バノン氏は米国のために中国共産党を潰すまで戦うと言っている。

バノン氏逮捕 中国共産党の暗躍と トランプ大統領の 婿クシュナーの影
↓↓↓
■メイカさんからの続報 : 日本や世界や宇宙の動向

2020年08月21日16:36

メイカさんからの続報

 中国政府は中国の漁船に尖閣諸島には接近させないようにしていますが、人民解放軍の船がこれから大量に尖閣に押し寄せる恐れがあります。バノン氏逮捕と言い、台湾のサイバー攻撃といい、日本を完全に甘く見ている態度と言い、中国側の勢いが増しているような気がします。それはホワイトハウスに中国の協力者(クシュナー)がおり、米国には中国の強い味方のオバマ民主党がいるからでしょうか。本当に厄介です。

メイカさんによると:
・米国に亡命した中国人学者が日本人に警告しています。
日本の尖閣諸島から米海軍の軍艦が少しでも離れたなら中国の公船がすぐに尖閣諸島に領海侵入する。河野大臣が中国政府に何度も厳しく警告しているが、中国政府は日本をなめている。相変わらず尖閣諸島の領海に何度も入ってきている。中国政府は浙江省の漁船には尖閣諸島から60km以内に入るなと命令したが、中国の公船は平気で領海侵犯している。日本はこれから最大級の警戒が必要。米軍がいない間に中国の公船が大量に押し寄せるだろう。

・台湾政府の安全部の調査で、人民解放軍のサイバー攻撃部隊(3万人以上)が、2016年から中央政府や科学技術、各市のネット、部品産業、エネルギー産業、半導体会社、その他に対して6万4千回以上のサイバー攻撃を行っていたことが判明。大量のデータが盗まれた。最近はさらにひどくなっている。今年1月からも台湾は頻繁に攻撃を受けている。蔡 英文のデータも攻撃された。
中国の最大の敵は台湾と日本のため侵略される恐れがある。共産党政府最後のあがき。

・8月18日、米偵察機が台北のマツヤマ空港に着陸した。中国政府は静かに傍観していた。中国側は、もし米国の戦闘機が台湾に着陸したなら必ず攻撃すると中国は威嚇していたが、今は静か。人民日報は、米国と中国の関係を切り離さないでくれと大々的に報道した。中国は米国の軍事力が強いことを知っているため米国から多くの兵器を買っており、米国から断交されたなら困るのは中国側。南シナ海で戦争が起きたら中国海軍は全滅する。10倍以上に武器を増やす必要ある。

・昨日夜明けに長江河口付近で3000トンのガソリンを運んでいたタンカーと砂と石を運んでいた船が衝突。上海国際空港の近く。ガソリンが一瞬に燃えた。船も沈没。死者と行方不明者14人。

・中国は豪の牛肉を輸入禁止にしたが、そのため牛肉の値段が高騰している。1㎏で1200円くらい。日本よりも高い。武漢肺炎の影響で多くの中国人が失業したため牛肉は贅沢品となった。。中国政府は、海外から、豚肉、牛肉、エビ、鮭を様々な口実で輸入禁止にした。しかし本当の理由は中国に外貨がなくなったから。

・カナダの豚肉加工工場で60人の従業員が武漢肺炎に感染した。この工場で生産したハム、ソーセージなどは中国向けだったが、中国への輸出を停止すると発表した。この会社には2000人の労働者がいるが、他の工場は稼働している。ただ、中国に対する輸出は停止する。中国は世界で3番目の豚肉輸入国。これからハム・ソーセージなども高騰するだろう。


尖閣諸島・中国の継続領海侵入に最大級の警戒を!/人民解放軍サイバー軍/台湾に攻撃6万4000回 #尖閣諸島
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by hirune-neko | 2020-08-21 23:50 | インテリジェンス | Comments(3)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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