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昼寝ネコの雑記帳

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午後8時45分には今日の課題を終え、自問自答中である

Eliane Elias - Moments

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 体調の維持を優先したいので、できるだけ早い時間帯に、一日の課題を終えたいと思っている。金曜日の夕方から現時点までに届いた、絵本の申し込みは、通常の約3割増しだった。しかし、なんとかデータ処理を終えることができた。

 決して体調がすっきりしている訳ではなく、未処理案件もなかなか減らない状況だ。このような状況の時には、自然に自問自答してしまっている。

 なぜ私は、仕事を徐々にみんなに任せて第一線を退き、世俗から離れた生活を目指そうとしないのだろうか。私ごときには、いくら情報の断片をかき集めて近未来を予測しようとしても、困難なことがわかりきっているのに、何のために国内外の動きを予測しようとしているのだろうか。

 出版社なのだから、絵本を中心として書籍を出版し、売上が上がっていけばそれでいいではないか・・・というのは一般的な発想だと思う。それなのに、ファミリー・インテリジェンス研究所?

 興味と関心があるのは理解できるが、なぜ学術的に研究して理論体系を目指すだけでなく、実社会で提言を行い啓蒙しようなどという、大それたことを考えているのだろうか。

 柔らかな湘南の陽射しに包まれ、潮風を頬に感じながら、のんびりと妄想を小説化するという、理想的な晩年のライフスタイルを、どうして放棄しようとしているのだろうか。湘南で飽き足りないのであれば、リオの海岸近くのホテルに滞在し、自然に流れているであろうボサノバの心地いいメロディーとリズムに身を委ねながら、リラックスするのもいいでなはないか。

 うん、想像しただけで、確かにそれは魅力的なひとときだと感じる。

 しかし、リオでのんびりした毎日を送っているある日、驚愕のニュース速報を目にする情景が目に浮かぶ。

 「日本の北海道議会と沖縄県議会が、日本からの独立を決議。同時に北海道と沖縄県は中国との国交樹立を宣言し、国際法によって独立国家と認定される。さらには、その混乱に乗じるかのように、日本国内に居住・潜伏する中国人が武装蜂起し、中国人民解放軍の日本への侵攻も始まった模様で、日本国内は治安維持が困難になっている。すでに、一般国民に多数の死傷者が発生していると伝えられている・・・。」

 リオにいる私には、無関係なことだろうか。このような事態に至る可能性は、かなり以前から認識していたにも拘わらず、私は面倒なことに関わるのを避け、世俗に背を向けるように日本を離れてしまった。あの頃、周りの人たちに警鐘を鳴らし、注意を喚起していれば、もしかしたら少しは役に立ったかもしれない。

 そのような後悔と自責の念に襲われる自分の心理状態は、容易に想像がつく。

 笑われるかもしれないが、連日のように緊迫した国際情勢の断片情報を目にしていると、私ごときの素人にも、様々な非常事態がイメージ化されて目に浮かぶ。情報戦争の渦中にある世界。日本とて例外ではない。実態を知らせないようにマスメディアを支配し、政治家を籠絡し、機が熟したときには一気に日本を実効支配する・・・それはある意味で、国際政治の世界では十分に予測可能なことなのではないだろうか。

 それで?お前ごときに何ができるのか?

 ・・・そのような声が聞こえてくる。政治的な主義主張を、論文として出版するような力量は持ち合わせていない。街宣車に乗って演説をする能力も持ち合わせていない。

 私は自分に合った手法を模索し、善なる概念や理念、そして有益な情報を、少しでも多くの方々に提供できるようになりたい。それが目下の静かな動機である。

 まだ午後10時30分。今日は早めに床に就けそうである。千里の道も一歩から、である。


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by hirune-neko | 2020-05-31 22:49 | 心の中のできごと | Comments(0)

約22時間の情報孤島生活を、初めて経験した

Antonio Carlos Jobim - Luiza

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 いつか皆さんが、同じ状況に直面されることがあったときの参考に、長く退屈な内容になってしまうが、記録を兼ねて残させていただく。


 昨晩、iMacで作業中の午後10時頃に、突然メールの全アカウントがすべて接続オフになった。次いで、どのサイトへの接続も、サーバーが見つからないというエラーメッセージが出てしまい、一切開けなくなってしまった。

 そこで、iPhone、iPad、iPadProを全てチェックしたが、症状はどれも一緒だった。つまり、外部との接触が一切できなくなってしまった。緊急事態に至ったときは、デバイスで4G回線を使えば、最低限の機能を使えるのだが、動転してしまい、そこまでは気が回らなかった。

 そのような状況だったので、昨日はブログ記事のアップができなかった。心配された読者の方からは、心配のメールをお送りいただいた。改めてお礼申し上げる。

 インターネットの利用は、NTTのギガ楽Wi-Fiという光回線、TREND MICROSOFT社のセキュリティソフトを使用した、NTTのおまかせアンチウィルス、サーバーはさくらインターネット、ブラウザはSo-net、という組み合わせである。

 突然のインターネット遮断だったので原因が特定できず、夜遅い時間だったが、とりあえずはNTTの故障係に電話した。しかし、信号の状況を確認してもらったが、正常だという。

 早朝4時頃に目が覚めたので、iPadとiPad Proを試したら、正常な動作だった。そこで、サーバーのさくらインターネットが深夜のメンテナンス作業を行い、完了したのだと勝手に解釈した。

 朝になってiMacを立ち上げたら、やはりインターネットは一切の動作が不能状態だった。

 とりあえずAppleのサポートに電話し、相談したのだが、iMacだけでなく全デバイスが同じ症状なので、ネット環境が原因だろう衣ということになった。

 再度NTTの故障係に電話したが、状況を説明したらNTTの「安心おまかせパック」に登録しているので、そちらに相談するよう勧められた。

 電話して助言を受けながら、いろいろ可能性を消し込んでいったら、1ヶ月ほど前にブラウザのSo-netの接続パスワードを変更していることが判明した。そのパスワードを、ルーターで更新していないのがそもそもの原因だという結論になった。

 そこでSo-netに電話し、事情を説明した。するとパスワードの変更を勧められ、新しいパスワードを設定しようとしたら、現在設定されているのと同じだと表示された。それでパスワードが特定できた。

 再び、NTTの「安心おまかせパック」に電話して、ルータ設定画面でのパスワード更新方法を教えてもらい、なんとか完了することができた。

 これで晴れて、インターネットの無い孤島生活状態から解放されたと、ほっとした。ここまでが、約18時間だった。

 ところが、着信した注文メールを印刷しようとしたら、プリンターが接続されていないというエラーになった。ウィルス感染拡大の影響で、今は電話がなかなかつながらない。それでもなんとかCanonのサポートにつながり、Wi-Fi接続している2台のインクジェットプリンターの設定を復旧してもらおうとした。

 すると今度は、プリンターが2台ともネット上で認識しないという、思いがけないエラーに遭遇してしまった。何度繰り返しても駄目だった。セキュリティソフトがブロックしているのではないか、という指摘を受け、今度は、NTTのおまかせアンチウィルスに電話して相談した。

 徹底的に調べてもらったが、ブロックした形跡はないという。そこでWi-Fi接続を諦めて、以前使用していたUSBプリンターケーブルで接続し、プリンタードライバーを2種類分新たに設定して、なんとか無事にプリントすることができた。

 昨晩からここまで、なんと約22時間を費やしてしまった。普段はなかなか遭遇しない状況なので、とても勉強になったし、いい経験だった。決して負け惜しみではない。

 どうやらサイバーテロの攻撃ではなかったようなので、それが不幸中の幸いである。やれやれの一日だった。

 ほっとする間もなく、今夜はSkype英語レッスンだった。雑談の中で、徐々に中国共産党政府が追いつめられていることが話題になった。先生はアメリカのオルタナティブ情報にも精通しているので、理解が深い。

 親中度が高い傾向は、日本の野党や多くのマスメディアのみならず、政権中枢の人達や政権与党にまで拡がっている。知人の一人は、親中派の有力政治家が多い日本に対し、中国共産党政府がテロを仕掛けることは無いと断言した。私はそうは思わない。破壊活動を行うのに、国籍や破壊指示を与えた国家の名前を明言して実行するテロリストが存在するだろうか。日本国内の治安を混乱させ、日本国民に不安と恐怖を与えることで、日本政府に対して暗黙の威圧感を与える・・・ことも大きな交渉カードになると考えるのではないかと危惧している。

 そのような油断は、永年にわたる情報工作により、日本と日本人を無防備な体質にしてしまった、というのが私個人の考えである。そう伝えると英語の先生も同じ考えだと同意してくれた。決して調子を合わせるのではなく、本当にそう考えていることが伝わってくる。・・・というのも、来週が英語レッスンの第1回目から丁度1周年記念日であり、国際政治やインテリジェンスに関する、かなり広範な話題について話してきたので、お互いの腹の内はほぼ理解し合っているからだ。

 しかしながら、私は決して空虚な政治的批判合戦に埋没することなく、あくまでもファミリー・インテリジェンス研究所の活動を通して、堅固な家庭(個人を含め)の構築に始まり、健全な国家の永続的成長という大局観に立って、これからも地道な活動を継続したいと考えている。


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by hirune-neko | 2020-05-30 23:54 | 心の中のできごと | Comments(0)

一日を終え、布団の上で身体を伸ばす瞬間が一番至福の時だ

Eliane Elias Photograph (Fotografia)

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 一日の仕事を終え、疲労困憊した心身を布団の上に横たえて、身体を伸ばす瞬間が本当に至福の時間だ、というのは嘘偽りの無い心境である。張り詰めた神経と脳を弛緩させ、ああ、なんとか一日を終えたと実感することができる。

 このような生活を、もうどれぐらい続けているだろうか。

 このブログを始めたのは、確認したら2007年の2月9日だった。最初の頃は至ってマイペースだったが、今のように毎日ブログに向かうようになったのは、数年前からだと思う。

 その時の気分から聴きたい音楽を選び、脳裏に思い浮かんだイメージを自由気ままに文章にする・・・脳内のクールダウンになっているようだ。・・・たった今この瞬間に、絵本の申し込みメールがが着信した。午前0時58分である。

 そのままにして、朝になってから処理すればいいようなものだが、条件反射とは恐ろしいもので、印刷して受注日を捺印しないと気が済まない。

 明日は・・・もうすでに今日であるが、実質的な月末なので振り込み作業がある。振り込み一覧表の作成は終えているが、先日納品された絵本の本体が不良品だったため、急遽印刷し直してもらい、午前中に倉庫に搬入されるので行かなくてはならない。やれやれである。

 日常的にデスクワークの時間が圧倒的に長いので、倉庫内での運搬作業は少々負担になってきている。歩くだけでなく、上半身の筋肉トレーニングも必要なのだろう。

 数ヶ月前に断糖宣言し、瞬間的にだが血糖値を一気に100近く下げることができた。血糖降下剤を服用せず、気ままに食べていた和菓子やクッキーの類いを断っただけである。しかし、脳を酷使しているとある程度は糖分が必要だと感じている。

 糖質の低いチョコレートと、ほんのり甘い干しイチジクを食べるようになっている。たまにワッフルとか黒糖饅頭を口にすると、脳内にサーッと爽快感が拡がるのを実感する。

 血糖値を下げるのと、和菓子・クッキーを我慢するのと、私にとってはなかなか苦しい葛藤である。実に無邪気で可愛い葛藤なのではないだろうか。

 今日は製本所その他、何カ所かに車で行き荷物の積み下ろしをした。所定の歩数は歩けなかったが、あまり厳密にストイックに習慣化するのは止めておこうと思う。そうなると、お風呂に入るのも億劫になってしまう。

 年齢のせいで億劫になっているのか、性格自体がズボラなのか・・・あまり深く追求することをせず、自分に無理強いをせず、気ままなライフスタイルを、このまま維持してみたい。無理するときはしているのだから。

 音楽には、実に様々なカテゴリーがあり、しかも、同じ曲でも演奏家によっては曲想が違ってしまう。神経が徹底的にくたびれたときは、やはりEliane Eliasの脱力感たっぷりの歌が耳に心地いいようだ。

 さて、明日は少々ハードな一日になりそうなので、今日はこのまま横になることにしよう。

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by hirune-neko | 2020-05-29 01:32 | 心の中のできごと | Comments(0)

珍しく、かなりのストレスを感じている

Eliane Elias: Incendiando

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 高校生時代から約半世紀を経て、すっかり楽天的な性格になってしまったと思っていた。従って、ストレスを感じたことは思い出せない。何かが起きたとしても、いずれ時間が解決するだろうと、至って呑気なものだ。

 高校から大学時代にかけて、「厭世観」という洗礼を受けたように思う。70年安保闘争の前年に大学に入学し、「商社マンになろう」という大志を抱いて上京したのだが、学生デモと機動隊の鎮圧、上空からの催涙ガスの散布などを目の当たりした。学生運動の群れに飛び込む気にはなれず、来る日も来る日も神保町の古書店の棚に積まれた、古書のタイトルを眺めて時間を過ごした。

 徐々に「哲学」や「思想」という分野に興味が湧き・・・何度も書いたと思うが、サルトルの「実存主義」という考えに惹かれるようになった。カミュは、サルトルとは一線を画すと思うのだが、「厭世主義」と表現してもいいのではないだろうか。

 つい先日も書いたが、カミュの代表作である「異邦人」を読み、主人公ムルソーの保つ感性に、すっかり共感を覚えてしまった。最初の文章が「今朝、ママンが死んだ。昨日だったかもしれない。」

 そういえば、数年前に札幌で独居だった母の意識がなくなったと連絡があり、駆けつけた。夜、隣室で荒く速い呼吸を繰り返す母の息づかいを聞きながら、眠りに就いた。

 早朝、目が覚めると、母の荒い息が聞こえなくなっていた。顔を近づけ確認すると、呼吸が停止していた。

 その夜のブログのタイトルは、
 「一生涯で今日しか言えない言葉〜今朝ママンが死んだ」

 ムルソーほどではないが、まあまあ冷静に受け止め、弔問客の皆さんに対応したと思う。

 ・・・そうそう、ストレスの話題だった。原因を明確に特定できないが、今日はお客さんからクレームが3件入った。珍しいことだ。仕事を中断し最優先で対応するため、かなり時間を取られてしまった。

 過去の受注データを調べた際に、2003年からの受注データを、データベースソフトの4Dで管理しているのだが、抜けやズレがあるのことに気付いた。修正作業をしようと思い、Excelに1年ずつ書き出そうとしたが、できない。サポートに電話したが、それでも解決しない。立ち往生である。

 最近は国内外の最新情報を閲覧すると、暗く濃い霧が拡がってきているようで、ますます先が見通せない。

 そんなこんなが微妙に絡み合って、脳内に異物が蓄積しているようだ。このところ睡眠が途切れ途切れになっており、日中、仮眠をしないと心身共に厳しい状態になってしまう。

 なんというか、臨月を迎えているのに、難産という感じだ。でも私は男に生まれて良かったと思う。お腹の中で子どもが徐々に大きくなり、動き出す・・・そして体内から赤ん坊が出て来る・・・想像しただけで、私には耐えがたい難行である。

 なんとか踏ん張って、抽象的な概念である理念や哲学が、形になって一人歩きするのを見届けたいと、そればかりを考えている。しかし、そうなったらなったで、気が緩んでしまい、廃人同様になってしまうのではないだろうか。

 あれこれと考える対象が多いと感じるものだから、神経を休めるときが無い。せめて音楽だけでも、ほっとできる曲想のものを聴きたいと思う。


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by hirune-neko | 2020-05-27 22:29 | 心の中のできごと | Comments(0)

すっかり消耗してしまい、起き上がる気力もなかった

Tom Jobim - Bebel

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 十数年前に購入した、複合機の調子が徐々に悪化していた。カラーレーザー印刷、コピー、ファックスの複合機能があり、当初はそこそこ使用していたが、カラーレーザー印刷をすることは無くなり、ファックス着信も減った。コピーも数えるほど。

 そうこうするうちに、カートリッジの接触が悪くなり動作不良が頻発するようになった。検討の結果、とりあえずは家庭用の廉価なファックス機を購入し、複合機は処分することにした。ファックスはすでにeFaxを導入しているため、すべてメールアカウントにPDFで着信する。切り替えが完了すれば、ファックス機もほとんど利用する機会がなくなると思う。

 今日は、その複合機を引き取りに来てくれる日だった。何せ図体が大きく、重量も100キロほどだという。朝から搬出用の通路スペースを確保するため、雑多な物品の移動作業に追われた。

 搬出が完了した頃には、すっかり消耗してしまい、横になったまま起き上がる気力も失せてしまった。ちょっと前に、ようやく椅子に座れるところまで快復したばかりだ。

 今日はもう、何もする気になれず、せめてブログだけはなんとか書こうと思った。

 徹底的に疲労困憊し、選曲する気持ちにもなれなかった。何気なく、アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバムを眺めてみた。そこで目に留まった初めて目にする曲を聴き、ささくれ立った神経に安らぎを感じることができた。

 ところで、中国軍とインド軍が国境を挟んで、軍事衝突を起こしているそうだ。中国共産党政府は、台湾、香港、尖閣諸島に対する支配欲を露骨にし、アメリカを中心とする世界の多くの国々を敵に回し、しかも国内では公的な立場の人が公に、習近平氏の辞任を求めるなど、並の神経の人間では保たない状況なのではないだろうか。いやあ、凄い感覚、神経だと思う。

 今日はとうとう5千歩を歩けず、途中で断念した。4千歩弱だった。

 そんなこんなで、なんとかブログに向かうことはできたものの、結局、書きたいことがまとまらなかった。まあ、そんな日もあるだろう。

 勝手ながら、今日はこれにて失礼させていただく。


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by hirune-neko | 2020-05-26 23:47 | 心の中のできごと | Comments(0)

取らぬ狸の皮算用であることは重々自覚している

Antonio Carlos Jobim - Wave 1967

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 お子さんの名入り絵本を創刊した当初は、営業対象を産婦人科に定めた。至極当然の考えだと思う。それが、ふとしたことから全国の市町村も営業対象とすることにした。

 しかし、それまでは市町村を対象に営業した経験が無かったので、とりあえずは個人的なつながりのある市議会議員の先生に相談することにした。いろいろ頑張ってくれて、市長さんにも紹介していただき、何度かお目にかかった。市議会でも提案していただいた。

 しかし残念ながら、現時点では市町村の成約実績はゼロである。2010年当時の全国市町村の出生数をデータ化し、いつも眺めていた。しかし、眺めるばかりでなかなか得心の行く営業戦略が立てられなかった。
 
 昨年、2017年度の直近データをもとに、改めて全国の市町村の出産数データを一覧表にした。2010年度のデータでは約1600ちょっとの市町村数だったと記憶しているのだが、今日新たに作成したデータでは、1817市町村だということが分かった。

 ざっと眺めたが、年間出生数が10人に満たない町もあれば、数万人という市もある。私たちにとっては数が最優先課題ではない。本当に必要性を感じ活用してくださるのなら、年間出産数が少なくても全然構わないと思っている。

 もちろん、年間数万人の出産数の政令都市が導入を決めてくれれば、ビジネス的には大変な規模になってしまう。つまりこれが名入り絵本の新規事業だと仮定すると、年間27,780冊でちょうど年商が1億円という計算になる。
 
 一カ月に30ちょっとの分娩規模の産婦人科だと、およそ77クリニックとの契約が必要になる。一箇所ずつ丹念に営業し、77契約を確保するというのは、かなりの時間とエネルギーを要する。

 その一方で、たとえば市区町村の場合は、2017年度の実例を見ると横浜市が年間で27,763出産だった。絵本単価を3,600円で計算すると、年間販売金額はほぼ1億円規模になる。

 別に年間販売金額1億円に拘っているのではないが、規模の大きい自治体が契約してくれれば、あっという間に販売金額が増大する、というだけの話である。・・・ダメもとでトライしてみようかな?笑

 しかし、現実的には北海道から東北を皮切りに、小規模の市区町村ひとつひとつにもコンタクトし、提案書を送る計画である。

 文字通り開拓者精神であるが、何年か前にはファミリー・インテリジェンスサービスという付加価値が思い浮かび、ここ最近は子育て中のご家庭に対する具体的な提案内容が、いくつも思い浮かんでおり、いよいよ機が熟したなと感じている。

 さあ、引き続き頑張らなくては。

 肝心なことを書き忘れた。冒頭の曲はアントニオ・カルロス・ジョビンの手になる、ボサノヴァの名曲「Wave」である。1967年と書かれているが、バスケ部を辞め、高校を抜け出して毎日ジャズ喫茶に通っていた1968年頃、そこで初めて聴いた曲である。若かった当時の私の感性には、とても衝撃的な音楽で、思わず全身が揺り動かされたのを今でもよく憶えている。半世紀経った今になっても、聞き飽きない曲だと、改めて感心している。


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by hirune-neko | 2020-05-26 01:54 | 心の中のできごと | Comments(0)

今日はちょっと体力の限界を感じてしまった

Prelude Of Organ Chorale "Nun Komm Der Heiden Heiland" BWV 659

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 昨日の記事で、実存主義=Existantialismと書いたが、博識の読者の方から、スペルミスのご指摘をいただいた。Existentialismが正しいスペルだった。改めてお礼を申し上げ、修正させていただく


 受注データの集計作業を、なるべく早く終えようと考え、今日はまだ夕方の明るいうちに歩いてきた。二日間サボったせいか、足が重く脳貧血気味の不調な一日だった。

 いつものように、ブログ「徒然なるままに」にお邪魔し、ざっとタイトルを閲覧した。ここ数日にわたって不気味なタイトルを、いくつも目にした。例えば・・・(以下、ブログ「徒然なるままに」から転載)





 さて、追いつめられつつあるように見える中国は、一体どのような方法で活路を見出そうとするのだろうか。私ごときには、皆目見当がつかない。

 今日、ボランティアで手伝っている福祉団体の事務長の方と、電話で話した。関係者が集まってのミーティングができないので、ZOOMによるオンラインミーティングを開きたいと言われた。そのため私は、セキュリティ上の懸念を伝えた。単なる挨拶ではなく、ある程度こみ入った内容の話し合いだと、情報が筒抜けになることは避けたい。

 ZOOMに代わるシステムはあるかと訊かれたので、とりあえずは、MicrosoftのTeamsがあると答えたのだが、まだ何も調べていないので、とりあえず長男に電話して様子を訊いてみた。

 ZOOMのセキュリティ問題に関する詳細に関心がおありになる方は、以下の記事が参考になると思う。これも、ブログ「徒然なるままに」で目にした記事である。


 ずいぶん緊張を強いられる時代になったと思うが、これまでの日本は、あたかも鎖国状態で安全だと錯覚し、あまりにも無防備な意識だったのではないだろうか。今は油断せず、何事にも疑いの目を向けて吟味するぐらいで、ちょうどいいのではないだろうか。

 それだけに、安心・信頼できる家族や友人・知人の存在が、ますます貴重なものとなると思っている。情報源も同様である。これまで、保守的な論客と思い込んでいた動画チャンネルも、疑わしい要素があるようだ。これからは、ますます信頼できる情報源の厳選が必要になるだろう。ご参考まで、これもブログ「徒然なるままに」の掲載記事だが、意外な内容だったので、ご一読をお勧めする。


 私自身も、人からの信頼を裏切らない人間であり続けたと思っている。

 さて、午前0時を回ったが、すでに入浴は済ませているので、今日はこれで休ませていただくことにする。


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by hirune-neko | 2020-05-25 00:37 | 心の中のできごと | Comments(2)

懐かしい言葉の数々・・・実存主義=Existentialism

Que tristeza Julia Zenko 2001 cancion

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 今日は歩くのを諦めた。二日連続のオサボリである。というか、かなり消耗していたものだから、無理はしなかった。その代わり、全部で200ページほどの「覚えの書」というタイトルの「自叙伝」の、最終校正にかなりの時間を費やした。

 著者が数年前に他界しているため、校正できる人がいない。それで私が著者自身の気持ちになって、文字校正と多少の推敲をしている。ようやく60ページまで来たところだ。なるべく早く仕上げ、本業の営業活動に専念したと思っている。

 しかし不思議なことに、最終校正の責任を回避せず、乏しい時間をやりくりしていたら、会員制みるとす=ファミリー・インテリジェンスサービスの、重要と思われる付加価値を2種類発見することができた。

 ひとつは、「ファミリー新聞」の発行だ。お父さんが編集長、お母さんが副編集長、そして小さな子どもたちが記者、という役割分担である。中綴じの小冊子として紙に印刷する新聞、というスタイルだ。そしてイメージはさらに拡がり、家族の独自ドメインを取得して、親戚や友だちにも公開できる「ファミリー公式サイト」の設置支援だ。テキストや画像データを掲示できる。もちろん、無料のボランティアでは対応できないが、私の個人的なスキルを活用すれば、かなり格安に提供することが可能となる。

 数日前の家内の誕生日に、子どもたちからお祝いのメッセージが届いたが、新米精神科医である三男からのメッセージを目にし、なるほどと、改めて自分の構想に確信を持つことができた。このように書かれていた。先日も掲載したが、再掲させていただく。

 「お母さん誕生日おめでとう。小さいころ、『どんなことがあっても、私は○○ちゃんの味方だからね』と言われたことをたまに思い出します。
 精神科にいると、親から十分な愛情を受けずに育った人がどういう大人になっていくのか、というのをたびたび目にします。
 そういう人に対しては、ある意味自分が親代わりになって愛情を注いでいくのが治療になったりもする。人が人としてまっとうに生きていくためには、それなりの愛情を受けたという経験が必要なんだよね。
 今自分がこういう立場で治療者としてやっていられるのは、幼い時にお母さんから十分な愛情を受けて育ったからだと思っています。
 何歳になっても子ども扱いされて正直うっとうしいこともあるけど笑
 何歳になっても、変わりない愛情をもった母親でいてくれることに感謝してます。ありがとう。」

 もうひとつは、家族の動画を編集し、「ファミリー公式サイト」に掲載するという付加価値だ。私自身は動画の編集経験は無いのだが、たまたま在宅でデータ処理を手伝ってくれている男性に、ファミリー・インテリジェンス研究所の構想を説明したところ、動画編集のスキルを持っていることが分かった。

 以前、静止画をつなぎ合わせて音楽を付加する計画があった。そのときは、次男のお嫁さんにお願いし、著作権のない古典名曲を、オルゴールの音色でアレンジしてもらったことがある。そのことを彼に説明したら、とても助かるという話になった。

 子どもが生まれたときに、子どもの名前が入った絵本を手にして、親から子どもへの愛情のメッセージを、毎日読み聞かせる。最も理想的な読み聞かせ絵本だと自負している。

 そしてさらに、親子の共同作業でファミリー新聞を発行するという経験は、家族関係の構築、そして子どもの人格形成にとても大きな、有形無形の建設的な効果を与えると感じている。

 そういえば、かなり以前「学校百科・学校新聞をつくろう」というシリーズの本を出版したことがあるのを思い出した。すでに絶版であるが、Amazonで検索したらリストが出てきた。

【学校百科・学校新聞をつくろう、で検索】
 *上記のURLは正しいのだが、私のパソコンでは開けなかった。

 1988年の刊行のようだ。32年前のことである。当時の私は、編集者任せで何もせず、ただ他の出版社の営業の人達と、雀荘で卓を囲む毎日だった。あの頃から既に、駄目経営者の素質全開だったようだ。

 別に居直るわけではないが、過去半世紀にわたる失敗、過ち、判断ミスなどの一連のマイナス要因を深く反省し、そこから醸成された自分なりの理念・哲学に殉じようという・・・自画自賛ではあるものの「崇高な対自存在」を設定して、自らを投企する・・・これぞまさに、ジャン・ポール・サルトルが1960年代に提唱していた「実存主義」=Existantialismではないかと、今になって実感している。

 学生時代に、心身に染みついていた「実存主義」=Existentialismは、風化してはいなかったのだ、と考えると、改めて感慨深いものがある。そして、半世紀たった今でも、自分の本質、本来の自分らしさが失われていないと実感できて、つまり多感だった当時の自分の感性と再会できて、とても嬉しく思う。(実は今でも多感だと思っているのだが笑)

 50歳近くまで、高校のバスケの公式試合で見習い審判をさせてもらっていたが、今では歩くのがやっとである。肉体的には、完璧に老化してしまっているのは如何ともしがたい。しかし、せめて精神世界だけでも、健全な感性を保ち、正義と公正を忘れず、私利私欲を視野の外に追いやって他者、とくに弱者を視野に入れて生きることを、最期まで忘れないで生き続けたいという思いが募っている。


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by hirune-neko | 2020-05-24 00:40 | 心の中のできごと | Comments(2)

ハードな一日がようやく終わった

J.S. Bach: Adagio BWV1016 by Swingle Singers

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 先日入荷したばかりの絵本本体を確認したら、1冊ずつにもれなく、数ページの小さな裂け目が見つかった。いわゆる不良品である。今日の朝1番で、印刷屋さんからトラックが引き取りに来た。仕事を止めるわけにはいかないので、不良ページを省き、大丈夫なものを組み合わせてなんとか製作作業を続けている。

 倉庫前で待ち合わせ、不良品の印刷物の搬出を手伝った。そんなにすごい力仕事ではなかったのだが、やはり加齢のせいか身体に負担を感じた。
 頭はそれなりに鍛えているつもりなのだが、普段から歩くのに加えて、上半身の筋肉トレーニングの必要性を痛感している。

 貧乏性というのだろうか。昼間でも眠気がさすと仮眠することがあるのだが、何もしないでいることができない。顰蹙を買うのを承知しているが、例えばトイレに入ったとき、何もせずに用を足すだけというのが、もったいない時間だと思ってしまう。それでいつもiPadをトイレに持ち込み、もっぱら詰将棋を解いている。

 俗に「将棋腦」といわれる言葉がある。毎日コンスタントに、それなりの時間を将棋に使っていれば維持できるのだが、しばらくご無沙汰してしまうと、その「将棋脳」は、次第次第に退化してしまう。それを最近はずっと実感していた。これではいけないと奮起し、再びレベル1から解き始め、ようやくレベル4まで到達したばかりだ。私にとっては、数少ない趣味の1つである。

 かなり以前に何かで読んだのをまだ憶えている。第二次世界大戦後、マッカーサー元帥が将棋の升田幸三さんに面会申し込みをしたそうだ。

 その面会は実現し、マッカーサー元帥は升田幸三さんに対し「チェスト日本の将棋とでは何が違うのか」と質問したそうだ。もちろん通訳を間に入れてのことである。その時、升田幸三さんはマッカーサー元帥に向かってチェスと将棋の違いを説明したそうだ。

 その際に、「あなた方のチェス」という表現ではなく、「おんどれらのチェス」と表現したそうだ。通訳の人も、どのような英語を使えばいいのかとっさに困ってしまったのではないだろうか。つまり、日本語では、あなた、キミ、貴殿、てめえ、お前、あんた、おんどれなど、いろいろな表現があるが、英語ではたった一語、Youだけである。

 チェスでは、駒が白と黒に塗り分けられている。相手の駒をとると、その駒は盤外に消えてしまう。しかし将棋の場合は、相手の駒を取ったたら即それは味方の戦力になる。そこが、チェスと日本将棋の大きな違いだと、升田幸三さんは説明したようだ。つまり、つい先刻までは敵同士だったのに、自陣に来た駒は味方として戦力になるという意味だ。それだけ将棋では、読みの複雑さが増すことになる。

 その影響があったのかどうかは知らないが、当時巣鴨プリズンに収容されていた吉田茂さんが、釈放されて政界に復帰している。升田幸三さんらしい面白いエピソードだと思っている。

 私は、もう何年も前に日本将棋連盟から初段の認定を受け、賞状をいただいている。しかし、将棋を指す絶対時間が少ないし、研究する時間もなかなか確保できないので、実力はそれ以下に低下しているだろうと思っている。しかし、明らかに脳内思考力のトレーニングになっているので、この趣味を生涯ずっと続けようと思っている。

 今朝目覚めとともに、あるメロディーが脳内に浮かんだ。何度も何度も聴いた曲なのだが、どうしてもタイトルが思い出せない。そうこうするうちに、この時間になってしまってそのメロディーすらすっかり忘れてしまった。何だか知らないが、いつも常に何かを考えていて、頭がくたくたである。

 昨日はとても遅い時間に床についたので、今日はなるべく早く休もうと思っている。

 さて、アメリカの大統領選挙が迫ってきた。中国包囲網を狭めるトランプ大統領の再選を、なんとか阻止しようとするディープステートの面々。自分たちと中国共産党政府との闇のつながりを調査し、暴露しようとしているトランプ大統領が再選されると、文字通り国家反逆罪で逮捕される可能性を怖れているのだと思う。

 日本でも外患罪の罰則は死刑のみだそうだが、アメリカでも同様に、国家反逆罪が確定すると、パパ・ブッシュの例のように、死刑なのではないだろうか。オバマ前大統領やクリントン夫妻の去就が注目される。

 文字通り、今般のコロナウィルス(COVID-19・武漢ウィルス)の世界的感染拡大が契機となり、国際社会の大変革が起きるような気がしてならない。神学的な表現では、ハルマゲドンの戦い、ゴグマゴグ戦いがあるが、宗派によって定義が異なるようなので触れない。

 いずれにしても、善と悪の終末における最終戦争という意味を持つはずだ。視野を広く保ち、今後の動向を注視したいと思っている。


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by hirune-neko | 2020-05-22 23:40 | 心の中のできごと | Comments(0)

ふとしたときに、自分の人生を振り返ることがある


Diana Krall « Sorry Seems to Be the Hardest Word » (reprise d'Elton John)

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 ざっと、高校生時代から現在に至るまでの出来事や、出会った人達のことが次々と思い浮かぶことがある。

 いずれも思い浮かぶのは、頭を下げて謝罪するシーンだ。

 「あのときは悪かった」、「あのときは迷惑をかけた」、「あのときは済まなかった」、「至らない自分で苦労をかけた」・・・かくのごとく、オール謝罪の言葉だけしか思い浮かばない。

 たまにはDiana Krall の歌をアップしようと考え、選曲したのだが、これがいいかなと思ったのが「 Sorry Seems to Be the Hardest Word」という冒頭の曲だった。まず最初に、このYouTube動画を探し、ブログに貼れるかどうか確認した。大丈夫だったが、昨日のように本番で駄目になるかもしれない。気紛れさに参っている。

 「 Sorry Seems to Be the Hardest Word」・・・日本語にはどのように訳せばいいのだろうか。直訳すれば、「謝罪の言葉は、最も口にしにくい言葉だと感じる」・・・こんなニュアンスだろうか。

 思い返せば、高校生の頃の様々な出会いの人達に対し、もし今顔を合わせることがあったら、「あのときはご免ね、悪かったね」と、私の場合は、素直に謝罪の言葉を口にすることができると思う。

 大学生時代は、「あなたはムルソーみたいな人間だ」と言われたことがある。今にして思えば、あれは責め言葉だったと思うのだが、当時カミュに心酔していた私は、褒め言葉だと解釈して聞き流した。おめでたい人間だと思う。ムルソーはカミュの小説「異邦人」の主人公で、映画ではマルチェロ・マストロヤンニが主演していた。

 何十年前のことでも、よく訊いてみないとその当時の相手の心境を、見逃していることがあると思う。
 
 先月29日は、結婚45周年記念日だった。あの頃から45年が経った。早いものだ。ほとんどの期間を夢中で過ごしてきたので、あっというまの短い年月に感じる。

 そして、夫として、さらには4人の子どもたちの父親として、及第点を与えられるか、と考えると、明らかに落第点である。駄目夫であり、駄目父親である。

 家内や子どもたちには、あれこれの至らなさに対する謝罪の言葉を並べ、頭を下げることはできる。しかし、そんなことよりは、目の前に高く聳えている壁に果敢に立ち向かい、乗り越えることで家族や、これまでの人生で散々迷惑をかけた皆さんに対する、謝罪に代わる言葉とさせてもらおうと考えている。

 身勝手な発想かもしれないが、すでに過ぎ去った過去は、今となってはもうどうすることもできない。過去とは訣別し、視線を前方に固定し、ひたすら積極的に、そして建設的に発想したいと思っている。

 過去の失敗や過ちを、いつまでも悔やむのではなく、そこから学んだことや得た知恵を活かし、少しでも他者を益することができる晩年にしたいという思いが、年々強くなっている。

 まったく関係の無い話題だが、日頃から「神学的視点」とか「神学インテリジェンス」という言葉を意識するようにしている。毎年、旧約聖書を読書課題の1冊にしているが、今年はなるべく登場人物の名前を記憶するように努力している。

 数日前に読み終えた「ルツ記」では、まだ不完全な記憶だが、エリメレク、ナオミ、マロン、キリオン、ルツ、オルパ、ボアズ、オベデ、エッサイ、ダビデ・・・とつながっていく。

 永年にわたり、種々雑多なことに興味を持って学んできたが、どうやらそろそろ焦点が絞られ、一箇所に像を結びそうな感じになってきたという実感がある。

 誰の人生にも過ちはある。失敗もあるし窮地もある。しかし、そこから得られる経験値と教訓は、決してお金では買うことのできない、貴重な財産であり、また人間として生きる上での資質を形成すると思うようになっている。・・・かくも図々しい私である。

 私にとっては、Sorry Doesn't Seem to Be the Hardest Word・・・のようだ。きっと居直り人間なのだろう。


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by hirune-neko | 2020-05-22 01:38 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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