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昼寝ネコの雑記帳

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自分の人生を見通す、という意味が分かりかけてきた

John Coltrane - I Wish I Knew
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 読書計画が三日遅れてしまった。土曜日なので、朝から挽回にかかった。ひとつのラインが追いつき、夕方からもうひとつのラインにとりかかったが、なんとか追いついた。明日が今年の折り返し地点だが、なんとかここまでは予定を達成している。

 読書とはいっても、基本的には音声ファイルで耳から聴き、ときどきiPad Proで文章も追う。今年から読書法を変えたせいか、数十回繰り返して読んでいる本に、新しい発見や解釈を見つけることが多くなった。

 その結果、ある種の達観というか諦観を感じるようになっているようだ。


 人は誰でも、いずれは人生という旅を終える。旅の終わりが近づいたとき、未達成の事柄が視野に溢れ、焦りと無念さを感じる人生を望むだろうか。それとも、できることは成し遂げたという、穏やかな達成感を感じる人生を望むだろうか。

 私自身、最近はこれからの、残された人生を、何に対しどのように使うべきかを思い巡らす時間が増えているようだ。

 仕事を持っている以上、契約を増やし売上を伸ばすというのは、大事な課題だと思っている。赤ちゃんの名入り絵本を16年以上にわたり、延べで5万数千世帯の皆さんに、多少は感動や癒しをお届けしているという自負は持っている。

 しかし、私自身が少々平和ぼけしていたのかもしれない。家族関係が良好であれば、世の中は平和で平安である、という思い込みがあったのは事実だ。

 しかし、膨張主義の国家や、日本を敵視し、合法的に支配下に置こうという野心を持つ国家の存在が顕在化するに連れて、心の中に不安が拡がった。やがては、国家の安全という観点から、子育て中の家庭を捉えるようになった。たとえ、家族関係が良好であっても、ある日突然、他国からの侵略があり日本が支配されたり、あるいは選挙で他国の影響を強く受けている政党が政権を取り、日本が合法的に属国化されたりなどの危機感を持つようになった。

 やがて徐々に国家インテリジェンスに対する興味が強まり、独学で勉強を始めた。何度か書いたが、次第に独学に限界を感じ、60歳を過ぎてから大学院の試験を受けて、インテリジェンスの講座を受講した。とてもいい経験だったと思う。

 絵本を受け取られた家庭に会員登録を促し、毎週ニュースレターをメールで発信する。すでに実験的に、みるとすという名で、ブログ読者の方を対象に、一年ほど配信してみた。サイトソフトの更新のせいで中断してしまったが、再開の準備をしている。

 現時点の営業対象は、全国の自治体と産婦人科である。ファミリー・インテリジェンスサービスを無料で提供するのだが、家庭内で必要とされるだろう様々な情報に加え、国内外の情勢も各種公開情報から選定してお届けする。仕事や家事・育児で忙しいご両親のためだ。

 しかし、そこにはある種の慎重さが必要とされる。絵本を受け取られるご家庭の国籍、政治信条、宗教的背景は様々である。自治体も、最大与党が自民党系であったり、あるいは共産党や旧民主党系など、様々である。東アジア情勢が緊張度を増している昨今、一般国民の皆さんの関心が高まっているようだが、情報を提供するメデイアの姿勢も多様である。いわゆる、報道する自由、しない自由を隠れ蓑とする、明らかな印象操作、世論誘導が横行している。

 従って、各種公開情報を紹介する際の鉄則は、特定の法案、政党、政治家、政治団体、評論家、ジャーナリストを推奨したり、あるいは忌避するような独自見解を出さないことだと考えている。ブログ・徒然なるままにで、タイトルだけを目にしたのだが、最近のあるテレビ会社の株主総会で、株主が「関西生コンの件をなぜ報道しないのか」と質問したところ、専務の方が「知ってもらう必要がない」と説明し、公式サイトからその質問を抹消していたそうだ。

 これが日本の情報戦争、プロパガンダ活動の現実である。

 自治体に営業でお邪魔したとき、担当者の方から「国内外情勢はどのような基準で情報を選定し、提供するのか」と問われることを想定しなくてはならない。

 契約が取れて売上がどんどん増大すればそれでいい、という利己的な発想で、いわゆるインテリジェンス的な視点を放棄したら、どうなるだろうか。仮に、ある日突然、日本が他国から実効支配されてしまったとしたら、私は最大級の後悔に襲われるだろう。

 もちろん、私たちがいくら努力しても、日本全体に対して大きな影響力をもたらすことはできないと思う。(本当はそう思っていない)しかし、利益を最優先して、国家の安全という大前提を放棄したのでは、会員に対する裏切り行為になってしまう。なぜなら、私自身が個人的に国家の安全に危機感を持ち、一人でも多くの方に実体に近い情報を提供して、政治的な関心と洞察力を高めてほしいというのが、そもそもの願いなのだから。微々たる影響かもしれないが(本当はそう思っていない・・・しつこい?)、一人でも多くの国民が、政治的関心と洞察力を高めていただくことこそが、とても堅固な民間防衛ラインの構築になるというのが、発想の原点である。(実はまだ、スイスの民間防衛に関する本を読了していない)

 ずいぶん長くなってしまったが、以上は前置きである。しかし、結論は短い。

 タイトルにあるように、私は自分の人生の終焉までを見通したときに、金銭や地位・名誉は視野の外に置き(勿論あるにこしたことはないのだが)、誰に何を残せたかを最重要視したいと再確認した。私が抜けても、そのまま継続していける組織・機能を構築するまでは、頑張りたいと思う。


 これが結論である。今日から、ようやく自治体と産婦人科向けの提案書、そしてファミリー・インテリジェンスサービス・みるとすの運営企画書の見直しに着手した。予備知識ゼロの方が興味を持ち、共感してくれるような資料作成は、決して簡単ではない。しかし、書きっぱなしの短編小説と違い、最終的には家族関係から始まって、実社会にも影響を及ぼすかもしれないプロジェクトに育てたいので、よろしければ、無言で結構なので支援の念力を送っていただきたい。・・・これでも結構孤独な人間なので。(笑)

 
 冒頭の曲は、I Wish I Knew・・・知っていればよかった、という意味だろうと思う。珍しくジョン・コルトレーンの演奏である。最初に選ぼうと思ったのは、ビル・エヴァンスの同名の演奏である。以下に、ビル・エヴァンスの演奏も、特別サービスで(笑)掲載させていただく。興味がおありの方は。聴き比べてみていただきたい。同じ曲とは思えないと思う。


Bill Evans Trio - I wish I knew

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by hirune-neko | 2019-06-30 00:13 | 心の中のできごと | Comments(0)

現実世界と妄想世界の境界線を喪失した女流画家

Daniel Mille - Les Minots
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 私にとって金曜日は週末の一部だ。週の中で木曜日は忙しさのピークで、製本所に新しく印刷した絵本の原稿を届け、製本が終わった絵本を引き取る。金曜日は、ちょっとひと息つける日である。

 しかし今日の金曜日は実質的な月末なので、朝から振り込みの準備を始めた。相変わらず1件ずつ手作業で振り込んでおり、一括振り込みの手法を学んでいない。振込先の名前を確認し、金額を途中で3度ばかり確認し、トークンの数字を入力して振り込む。会社と個人を会わせて、100件までは行かないと思うが、それなりの数である。

 今日は視力が衰えているせいか、あるいは年齢相応の老化のせいか、振り込み作業の終了後は、どっと疲労が押し寄せて来た。珍しく夜の8時頃には寝室で身体を横たえた。1時間半ほどの仮眠の後、気力を振り絞って入浴、洗髪を終えた。疲労感が取れず、また寝室に戻って横になり、iPad Proを胸に載せて音声入力で今日のブログを更新しようと考えた。しかし思い直して、まだ電源を落としていないパソコンの前に座った。パソコンのウィルスチェックに時間がかかっていたからだ。

 少し迷ったが、久しぶりにフランス人アコーディオン奏者の、Daniel Mille(ダニエル・ミル)のアルバムから選ぶことにした。定かではないが確か、ピアソラへの追悼アルバムだったように記憶している。ひととおり聴いてみたのだが、決めかねたのでYouTubeで、Daniel Milleの動画を検索した。

 そこで目に留まったのが、冒頭の動画である。音楽だけだったら、そのまま聞き飛ばしたと思うのだが、映像に興味を持ち最後まで観てしまった。

 動画のクォリティ、登場人物の演技力、撮影技法などから判断すると、おそらくは映画作品の一部なのではないかと判断した。そこで、Googleで検索したのだが、とうとう見つけられなかった。曲名のLes Minotsgという言葉の意味すら、特定できなかった。

 この映像に登場する女流画家は、とてもユニークな感性を持っていると感じる。目の動き、表情、現実世界に重ね合わせる妄想画の構成・・・そのどれを取っても、病的なまでの特異性を感じてしまった。

 そこで、私なりに考えたタイトルは「現実世界と妄想世界の境界線を喪失した女流画家」となってしまった次第だ。

 普通ではない、鋭敏な洞察力と空想力の持ち主。そして市井の人々に対する、慈愛溢れる興味と関心・・・それらが渾然一体となった、女流画家だと感じる。

 もし、この映像の出自についてご存知の方がいらっしゃったら、是非教えていただきたい。

 Daniel Milleのアコーディオン演奏を聴きながら、この少々病的とも思える女流画家の世界を、改めて視聴されることをお勧めする。

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by hirune-neko | 2019-06-29 00:13 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

今月6月は、明日が実質的な月末だ

Astor Piazzolla plays Piazzolla Bandoneon Concerto II.-Moderato
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 今日は、かなり疲れているようだ。

 iTunesでブログ用の選曲をしていたとき、この曲を、どういう訳かビル・エヴァンスの演奏だと思い込んでしまった。この曲に決め、なんの疑いも持たず、ブログにアップするために、YouTubeで動画で探した。冒頭の動画を選び、聴きながら何を書こうか考えた。

 なかなかビル・エヴァンスのピアノの音が出てこないなと思い、確認したらピアソラがバンドネオンを演奏しているのが目に飛び込んできた。よくよく確認したら、ピアソラのアルバムだった。ビル・エヴァンスとピアソラを取り違えるなんて、よほどどうかしている。相当疲れているのだと思った。


 ドコモの新料金移行に伴い、現在使用中のiPhone、iPadなど合計9回線をどのような組み合わせにするのが、最も経費節減になるか、何度もドコモのサポートに電話して相談している。まだ最終結論は出ていないが、とりあえずは、使い放題のポケットWi-Fiを1台購入するのが最優先だという結論になった。地元の量販店では、デビットカード決済が受け付けてもらえなかったので、今日、一駅先のコジマ電機に行ってみた。

 希望していたWiMAXのポケットWi-Fiがあったので、早速申し込み、審査をお願いした。30分ほどかかるというので店内をぶらついたが、かなり豊富な品揃えの店であることを再認識した。

 審査は無事に通り、商品を受け取って帰宅した。やれやれである。

 しかし、今日は禁を犯してしまった。白内障のせいで視力が落ちているため、一人での運転は固く禁じられている。しかし、雨が降りが降り始めたし時間が厳しくなったので、一人で運転し、コジマまで行った。でも、ちゃんと無事に帰ってきた。極秘の秘密事項である。バレると、飼い主からエサを与えてもらえなくなってしまう。(笑)


 今日も製本所には、次男が同乗してくれた。アップルのサポートの途中で、かなり待たされたので、iPhoneと一緒にBOSEの携帯用スピーカーを持ち、携帯をハンズフリーにして、ダッシュボードに滑り止めのシートを置き、その上にスピーカーを置いて運転を始めた。

 やがてサポートの方から電話があり、短時間でやりとりは終わった。いい機会なので、次男にiPhoneの操作を指示し、iCloud Driveに保存してある、最新のスカイプ英語レッスンの音声ファイルを再生して聴かせた。何を言ってるか分かるか、と訊いたら、分かるという。へえ、大したものだと思った。

 じきに深夜0時だが、こうしてブログに向かいながら、在庫が切れたというので、絵本と一緒に同封する2種類のチラシを印刷している、それが終わると、あとはやはり在庫が切れた、ある病院用の受領葉書の印刷だけなので、まあ早く終わるだろう。

 読書課題は昨日と今日の分がまだである。こんな状態になったら、普通の人だったら泣きたくなるのではないだろうか。私の場合はどういう訳か可笑しくなってしまい、笑い声が出てしまうほどだ。もしかしたら、ある種の発達障害なのかもしれない。

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by hirune-neko | 2019-06-28 00:51 | 心の中のできごと | Comments(0)

もうすぐ、今年の折り返し地点がやってくる

Coventry Carol (Loreena McKennitt)
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 ロリーナ・マッケニットのこのアルバムタイトルは、"A Midwinter Night's Dream”だ。"A MidSummerr Night's Dream”が、真夏の夜の夢と訳されているので、これは真冬の夜の夢、と訳されるのだろう。

 幻想的で、時空を超越した非現実の世界を想起させる。

 私は確かに現実世界で生きている。それは間違いない。現実社会の人や組織と関わり、社会の一部に多少の影響を与えようとしている。脳内では、現実の要素を対象に関わり方を考えている。

 その一方で、ときどき非現実世界に移行ししている自分を体感している。言葉で表現するのは難しいのだが、現実世界と非現実世界を、行ったり来たりしているような感覚に包まれることがある。

 具体的に言うと、目に見え、手で触れることのできる事物は、いずれは消滅するという捉え方をしており、あまり執着していない。一方で、真に大切な要素は目に見えず、抽象的に心と呼ばれる領域に実存する、という確信がある。そして、誰にも訪れる人生の終わりに直面したとき、人はそれまでの人生で何に執着してきたかによって、喪失感を感じるか、あるいは安堵感・達成感に包まれるかの、いずれかに分かれるのではないだろうか、と想像している。

 
 そのような思考を巡らせるとき、このロリーナ・マッケニットの作品と演奏は、目に見えず耳に聞こえない言葉で、私の心と感性に向けて、何かを饒舌に語りかけているのを感じる。魂が浄化され、精神世界にこびりついていた不純物が除去されるのを感じる。

 言葉と情報の洪水に埋もれている喧噪の中で、心に留まる音楽からもたらされるイメージや思いは、純粋で貴重な囁きだと感じている。

 
 先刻、第4回目のスカイプ英語レッスンを受けた。表現したい日本語を、英語ではどのように表現するのが適切なのかを、少しずつ学んでいる。どの言葉を使うのが自然なのか、前置詞はonとinのどちらを使用すべきなのかなど、誤った部分を少しずつ削ぎ落とす、地味な作業に取り組んでいる、とてもい勉強になっている。

 フランス語やスペイン語、ポルトガル語などをは視野に入れず、当分は英語の世界に浸りきりたいと思う。それが年齢相応というものだろう。

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by hirune-neko | 2019-06-27 00:45 | 心の中のできごと | Comments(0)

これでもかなり朝型パターンになりつつある

Bill Evans Trio - Lover Man
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 アクシデントがあり、すでに午前0時を回ってしまった。

 暑かったので消耗した一日だったが、夕方過ぎから一日遅れの読書課題をこなした。その時点の歩行数は3500歩。歩けない日が続くと、足先の血行不良が顕著になり、痛みが出始める。そのまま放置すると、おそらくは足のどこからかの切断となるのだろう。

 それは避けたいので、今日は連続5000歩ではなく、無理せずに累計で5000歩を歩こうと思い、外に出た。帰りがけにマイバスケットで買い物をしようと思ったので、カードをポケットに入れた。

 出発前に家内から、知人の息子さんのお嫁さんの検査結果が出て、癌が膵臓と肝臓に見つかり、手術は無理で抗がん剤治療をしても、余命2年だと宣告されたこことを聞かされた。私たちの子どもの年齢なので、まだまだ若い。深い溜息が出た。
 その知人の息子さんは小さな教会を運営していると聞いていたので、過日、私の短編作品である「迷える子羊の教会」を印刷し、お渡ししていた。息子さん自身は、躁鬱で入院し、ようやく退院したばかりと聞いていたので、これからの人生を想像しただけで、本当に溜息が出る。

 歩き始め、いつものコースを2週で切り上げて、マイバスケットに寄ろうとしたら、ポケットに入れておいたはずのカードが無いことに気づいた。先日、腸内の癌を手術で切除し、抗癌剤治療を受けている旧友のことを思い出し、歩きながら電話を入れた。カードは携帯電話と同じポケットに入れたので、携帯を取り出したときに、落としたに違いない。そう思ったので、ゆっくりと下を見ながら1周したが見つからない。一度帰宅し、マグライト(単1電池4本入り)の大きいのを持って、道路を照らしながら探した。しかし、とうとう見つからなかったので諦めた。銀行に電話し、紛失を届けてカードをストップしてもらった。

 そんなアクシデントがあったものだから、深夜過ぎのブログ開始になってしまった次第だ。


 幸いに戦闘意欲は低下せず、徐々に高まって来ている。つまり、外部に向けた営業を意識しているので、テンションが徐々に高まっている。絵本を採用していただく場合、最終打ち合わせには私自身が出向いている。これまでは、北海道から東北、関東だったが、これからは文字通り全国展開になるので、北海道から沖縄までの巡業になる予定だ。

 クラウドサービスや音声ファイル転送などを活用し、出張先でも随時、会社とのやりとりができるよう、インフラも整備しなくてはいけない。ノートパソコンはデスクトップパソコンに較べると、キーボードの操作性が落ちるので辛いところだが、贅沢は言っていられない。

 いうなれば、人生の晩年での大決戦である。自治体と産婦人科の採用数が増えれば、私の著者印税収入も増えるし、スタッフを増やすこともできる。そうなると私も晴れて引退の道をまっしぐらである。・・・いや、完全引退はしないつもりだ。最高顧問でも相談役でも、肩書きはなんでもいいので、方向性だけはしっかりとチェックし、あらぬ方向に逸脱しないよう、助言し続けるつもりだ。

 歩けて、そこそこ視力があり、思考力が維持され、パソコンのキーボードを叩ける限りは、創作活動に没頭しながら人生を終えたいと思っている。

 未だ訪れていない南米、北欧、東欧、それと最近はロリーナ・マッケニットの歌の影響を受けたせいか、中東から北アフリカ・・・いわゆる旧約聖書の舞台となった国々にも訪れ、創作意欲を刺激したいという、無謀な晩年の構想を描いている。

 もしかしたら、車椅子で介護の人に同行してもらい、それこそ介護の人と悔悟の私の旅になっているかもしれない。これほどまでに年齢を重ねても、創作意欲と知識欲は一向に衰えないので、困ったものだ。

 一の位を四捨五入したら70歳である。十の位を四捨五入したら100歳である。そして、さらに悪いことに、自分が紀元前1000年頃に古代イスラエルで生まれ、かれこれ約3000年を生き続けているという感覚は、ますます顕著になってきている。おそらく、旧約聖書を読書課題として、毎年読んでいることも影響しているのではないだろうか。

 改めて、阿呆な妄想人間だとは思うものの、誰にも迷惑をかけているわけではないので、それがどうした、と居直っている。

 あらら、午前1時を回ってしまった。書き出すと止まらないのも困ったものだ。やはり、ビル・エヴァンスの演奏はしっくりくるものがある。今日は、Loer Manを選んだ。意味は不明である。フルート奏者のジェレミー・ステイグとの協演も名演だが、個人的には、ビル・エヴァンスの演奏だけで聴きたい。

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by hirune-neko | 2019-06-26 01:22 | 心の中のできごと | Comments(0)

私は泣いています、ベッドの上で、という歌詞が思い浮かんだ

Bill Evans Trio - Elsa
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 「私は泣いています、ベッドの上で」という歌は、おそらく65歳以上の方でないと記憶には無いと思う。私自身は、もともと和製ポップスはあまり聴かないのだが、唐突にこの歌詞が思い浮かんだ。

 朝から資料を作成しようと思っていたのだが、折り重なるように電話とメールでの問い合わせが入った。一段落して、提携予定の企業の本社や営業所と何度も電話でやりとりし、さらにはベクターのサイトで購入した画像をカード決済したのに、認証の不具合が発生して未決済だというので、ベクターとジャパンネット銀行に何度も電話した。さらにはドコモの新料金プラン移行に伴い、最適な選択の相談をお願いし、次いでアップルのサポートには、iPadに較べてiMacの音声入力に誤変換が多いことを報告した。その間にも、断続的に即対応が必要な電話やメールが入った。

 やりとりを記憶に留める余裕などなく、メモ用紙に殴り書きで記録するのが精一杯だった。

 それでも夕方を過ぎた頃、ようやくひと息ついたが、そのときに「私は泣いてます、ベッドの上で」という歌詞が思い浮かんだ。別に泣きたいと思ったわけではない。あまりの怒濤のような忙しさに、笑い出しそうな気分になり、思い浮かんだのは「私は鍛えられています、パソコンの前で」という文章だった。

 和製ポップスに疎い私は、てっきりこの歌を歌っていたのがカルメンマキだと思った。しかしいくら探しても見つけられなかった。グーグル検索で探したら、カルメンマキではなく、リリィだった。ああ、そういえばそうだったかと思い、YouTube動画で探したらようやく見つかった。一瞬、冒頭で紹介掲載しようかと思い、少し聴いてみたが止めておいた。大変申し訳ないが、気分が乗らなかった。


 集中が連続し、神経と脳の緊張が限界ラインを越えると、食事のことなどどこかに吹っ飛んでしまい。自分の境遇がとても滑稽に思えてしまう。可笑しくて、本当に笑い出したくなる。心が折れて泣き崩れるのではなく、逆に戦闘意欲が高まる。

 対応が連続するときは、必要なペンを探したり、メモする紙を用意するわずか数秒すら惜しく張る。そこで、夜になってから、無印良品に行き、必要な行動を瞬時に起こすために、何か役に立つ物がないかと思い、店内を丹念に探した。最終的には、アクリル製の収納ケースをふたつ購入し、既存の5段に結合したアクリルケースの上に載せてみた。使い勝手を確認し、最終的には両面テープで結合する予定だ。

 なんと涙ぐましい努力だろうか。舞台裏なんて人様に公開するものではないが、私にとっては佳き思い出なので、記録に残しておきたい。

 ちょっと解説すると、何度か崩れて落ちて大変な思いをしたので、両面テープでしっかり固定したアクリル製5段タワーの上部に、今日購入したばかりの収納ケース2個が並んでいる。まだ名前は付けていないが、そのうち命名して公開したい。

 実際に、「私は大笑いしながら鍛えられています、パソコンの前で」という心境である。
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by hirune-neko | 2019-06-25 00:05 | 心の中のできごと | Comments(0)

ミュージシャンの来歴にまで興味を持ってしまった

Loreena McKennitt- Caravanserai.flv
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 高校生の頃から、音楽的には偏食傾向が強かったようだ。1960年代の後半なので、ビートルズやモンキーズが全盛だったと思う。しかし、どういう訳か興味が湧かなかった。学校を抜け出して、ジャズ喫茶に通うのが日課になってしまったので、もっぱらジャズばかり聴いていた。

 ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスに傾倒し、大学の後半にはシャルル・アズナヴールを聴いた。やがてパコ・デ・ルシア、という感じだったが、40代にピアソラと出会い、すっかり虜になってしまった。

 ここ数年は、ダイアナ・クラール、ステイシー・ケント、エリアヌ・エリアスやシャーリー・ホーンなどの女性ヴォーカリストも、アルバムをダウンロードして聴いている。

 しかし、誰一人として音楽的な来歴などを調べたことはない。ところが、最近知ったロリーナ・マッケニット(Loreena McKennitt)に対しては、音楽という枠を越えた背景世界に興味を持ってしまった。

 最初の出会いは、映画で使われたTango to Evoraで、印象深い曲想だった。Apple・ミュージックに登録しているので、アルバムはダウンロードし放題なのをいいことに、ロリーナ・マッケニットのアルバム12枚をダウンロードし、1枚ずつ聴いている。

 徐々に理解できたのは、Tango to Evoraは唯一といっていいほど、現代的な作品であり、その他ほとんどは時空を超越した曲想で、時代も国籍も不明・・・というより、旧約時代の中東から現代にタムスリップして来たのでは、と感じている。

 そこで今日、ロリーナ・マッケニット(Loreena McKennitt)について調べてみた。さすがに、自分のブログで熱狂的に推挙している日本人の絶対数は少なかった。

 とても詳細な記述を見つけたので、長文になるが記録として以下に残しておきたい。
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【ロリーナ・マッケニット(Loreena McKennitt)】
■引用元:バイオグラフィー BIOGRAPHY

 あの壮大な2枚組『ライヴ・イン・パリ・アンド・トロント』からもう4年が、一番新しいオリジナル・アルバム『ブック・オブ・シークレッツ』からとなると、もう6年が経ってしまった。デビュー以降2~3年に1枚のペースで作品を届けてくれていた彼女だから、もうそろそろ次を、と本当は思いたいところだけれど、その願いはまだ届きそうにない。

 かねてからロリーナを聴いてきた方ならご存じかもしれない。彼女は1998年に婚約者を水難事故で失ってから、一切の音楽活動をやめてしまっている。いや、正確に言えば、『ライヴ・イン・パリ・アンド・トロント』は1999年9月の発売だから、それにかかるさまざまな行程には、事故後も関わっていたのかもしれないが、創作物として新しいものを世に送り出すというまでには、まだ至っていない。あるいは、もう2度とそれはないのかもしれない。本人にもわからないだろう。『ブック・オブ・シークレッツ』のレコーディングを見学させてもらった時に感じた、まるで音楽以外の雑念を振り払うかのように集中しサウンドを構築してゆく完璧主義者的な彼女のこだわりが、その事故によって乱れたのは、想像に難くない。これからのことは、神のみぞ知ること。彼女の次なるステージを信じて、今はただ、これまでの名作の数々を聴き続けるしかない。

 ロリーナは、カナダはマニトバ州モーデンの生まれ。その姓からもわかるように、ケルトの血を受け継いでいる。アシュリー・マックアイザックやナタリー・マクマスターらを輩出したノヴァ・スコシアを筆頭に、ケルト文化が根強く残っているカナダの大西洋岸だが、マニトバでもパブなどを中心にケルトの伝統音楽は受け継がれていたようで、その少女期の音楽体験が、以後の彼女の音楽人生に大きな影響を与えている。やがて彼女自身も、モーデン付近のフォーク・クラブやホールで歌うようになった。

 1980年代初頭になると、オンタリオ州ストラトフォードに移住。そこは大規模なシェイクスピアのフェスティバルが開かれる町で、移住はフェスティバルに役者、作曲家、歌手として参加するためだった。82年に『THE TEMPEST』、85年に『THE TWOGENTLEMEN OF VERONA』などを手がけている。さらにその後トロントへ出てバスキングも経験。地道な活動が実を結び、やがて彼女は海外で開かれる万国博にカナダ代表として出演、演奏したり、フォーク・フェスティバルで歌うようになる。そして、小規模ながら自分がメインのライヴを開くまでになった。

 1985年、ソロ・ミュージシャンとしての本格的なスタートを決心したロリーナは、自身のレーベル“クインラン・ロード”を設立。同年にファースト・アルバム『エレメンタル』を発表する。その後の輝かしいキャリアの幕開けを飾ったデビュー作だが、その手法はまだまだシンプル。ただひたすらにケルトの大地を見つめる。「ブラックスミス」「シー・ムーヴド・スルー・ザ・フェアー」「キャリックファーガス」など7曲がトラッド、残る2曲はウィリアム・バトラー・イェイツとウィリアム・ブレイクの詩にロリーナが曲をつけた。シェイクスピアをきっかけに身に付けたのだろうこの手法が、際立って素晴しい。

 1987年の第2作『ドライヴ・ザ・コールド・ウィンター・アウェイ』は、アイルランド、スコットランド、イングランドのキャロル集。なんといっても1曲目、18世紀イングランド産のトラッド「クリスマスを讃えて」の美しさが、何度聴いても心を揺り動かす。スタジオを使わず教会やホールで録音したことで神秘的な残響が漂う音空間が生まれ、シンプルな編曲により、彼女自身によるハープの音色も、より堪能できる。数々のキャロルに混じって収録された3曲のオリジナルも、伝統曲の美しさに全く負けていない。

 この頃のロリーナは、その表面的な音楽性から、よく“カナダのエンヤ”と紹介された。もちろん、共にケルトという揺るがぬルーツに根を張っているし、その透明感やシンセサイザーの音色からは、たしかにある程度の共通性が感じ取れる。

 しかし、その後彼女は、音楽をもってエンヤとの資質の違いを、そして無二の個性を明らかにしてゆく。その最初の試みとなったのが、1989年に発表された『パラレル・ドリームス』。その後彼女の片腕的存在として活躍することになるギタリスト、ブライアン・ヒューズが初めて関わり、前2作では稀薄だったリズムへのアプローチによって、新展開をみせた。ケルトのエッセンスを残しつつ、他文化圏の楽器の使用や自作曲を増やし、音楽家ロリーナの発展の跡を感じさせる。この、ケルトと異文化との融合が、以後のロリーナの音楽活動の一大テーマとなっていく。ターニング・ポイントともいえる1枚。

 1990年代は、まさにその才能があふれんばかりに開花した時代。通算4作目、ワーナー・ミュージック・カナダと契約しての第1弾となった1991年『ザ・ヴィジット』では、スケールもアレンジも格段にレベルアップ。ヨーロッパ大陸や中近東への視野の広がりを感じせ、アラブ音楽の旋律やインドの楽器シタールを導入しつつ、前作で見せたリズムへのアプローチの成果もいかんなく発揮する。一方では、プロのミュージシャンとしてのルーツであるシェイクスピアを題材に曲を付けた「Cymbeline」や、トラッドの「Greensleeves」を取り上げるなど、自らの足元もおざなりにはしない。ブライアン・ヒューズは、このアルバムから本格的にサウンド・ディレクションに関わるようになり、クオリティは格段に向上した。

 1994年の第5作『マスク・アンド・ミラー』は、『パラレル・ドリームス』以降の音楽的彷徨が遂に結実した濃密な傑作。スペイン、イタリア、モロッコ、北アフリカで吸収したエッセンスのすべてが集約された名盤である。曲作り、アレンジ、録音、どれもがよく練られ、そのクオリティの高さは“カナダのグラミー”と形容されるジュノ・アワード2部門受賞で実証された。ケルトの聖地アイルランドからは御大ドーナル・ラニーが参加、2曲でブズーキを演奏している。

 1995年の穏やかなクリスマス・ソング集『ウィンター・ガーデン』は、息を飲むような崇高な音世界を構築してきた彼女が久々に届けてくれた、心に深く染み入るような暖かいミニ・アルバムだ。もちろん、ロリーナの妥協のない音作りへのこだわりも変わらないけれど、有名なイギリスのキャロル「Got Rest Ye Merry, Gentleman(世の人を忘るな)」やセカンド・アルバム収録曲の再演となる「Snow」などを、穏やかに、豊かに歌いあげる。この年にはチーフタンズと共に来日を果たしている。
 そして1997年、現時点での最新オリジナル作となる通算6作目『ザ・ブック・オブ・シークレッツ』を発表。アルバム・タイトルが示すとおり、マルコ・ポーロの『東方見聞録』など世界の歴史的な書物に題材を取り、その各地の音楽的要素を盛り込んで作り上げたコンセプト・アルバム。また、ギリシアやシベリアへの旅から得たインスピレーションも大きく作用しており、『マスク・アンド・ミラー』で見せた壮大で濃密な音絵巻をさらに突き詰めた内容となっている。全世界で300万枚以上の売り上げを記録した。

 この『マスク・アンド・ミラー』発売後のツアーでのパフォーマンスを収録したのが、1999年に発表されたベスト盤的要素の強い2枚組?a href="disc.html#lipt">wライヴ・イン・パリ・アンド・トロント』。彼女の初のライヴ・アルバムで、DISC-1は、『ザ・ブック・オブ・シークレッツ』全曲、DISC2は現在までの代表曲で構成されている。片腕ブライアン・ヒューズに、ベースのダニー・トンプソン、ヴァイオリンのヒュー・マーシュ、ソロ・アルバムが日本でも発売されたチェロのキャロライン・ラヴェルら、天才プレイヤー達をバンドとして従え、完璧な演奏を展開する。ロリーナの歌声もスタジオ盤で聴くのとはまた違った力強い魅力にあふれ、感動的である。

 というわけで、これまでに8タイトルのCDを世に送り出しているロリーナ。世界各地への旅から作品へのインスピレーションを育ててゆくという彼女の音楽は、まるで彼女の旅のサウンドトラックである。『ザ・ブック・オブ・シークレッツ』発表後には中国を旅していたというから、例の悲劇がなければ去年あたりには、中国や、ひょっとしたら日本、ひいてはアジア全体を視野に入れたようなアルバムが作られていたかもしれない。しかし、もしも彼女がこれから音楽界に復帰することがあるのなら、また違うアイディアがコンセプトになるはずだとも思う。しかし、そのどれもが、今は淡い憶測でしかないのが、やはり残念である。

 しかし、そんな憶測をよそに、彼女のこれまでの作品は、何年経っても輝きを失っていない。魂を、全身全霊を込めるように作られた音楽は、そう簡単に色あせるはずがない。今、彼女のアルバムをすべて聴きなおし、いくつかの新たな発見を自分なりにしながら、復活を祈るというより、むしろ、これだけの作品をわずか10年余の間に刻んだ彼女の才能の深さに、あらためて驚きと敬意を感じている。

2003年9月19日 高橋晃浩

(以下は関連リンク先)
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by hirune-neko | 2019-06-24 00:06 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

とうとう現役引退で選手交代が発生した

Loreena McKennitt - All Souls Night
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 オムロン製の血圧測定器が、数日前から動作不良になった。かれこれ20年以上は使っていたと思うので、長寿命である。いろいろ試したが、明らかに機械的な寿命だと判断した。アスクルで探したら、同じオムロン製の似たような測定器があったので注文していたが、今日届いた。これまでの計測器は100ボルトの交流式だったが、届いたのを開けたら、単3電池4本で稼働する物だった。

 最近、低血圧症状があったのは、動作不良のせいだったかもしれないと疑い、新しい方で測定してみた。上の値が100を切ることはなかったが、引き続き毎朝チェックしようと思う。

 20年ほど前、高血圧に悩まされていた頃からの付き合いなので、さすがに丁寧に別れの挨拶をした。何も反応はなかったが、器械とは本来はそのようなものなのだろう。反応を期待する私の方が少し異常なのだろう。


 相変わらず公私ともに時間に追われている。今日締め切りの原稿があったため、夕方からかかり切っていた。なんとか終えてほっとしている。

 絵本の検品・発送に遅れが出ているため、お客さんからの問い合わせが増えつつある。対応は私が受け持っているので、どうしても本来の仕事が中断されることが多くなる。神経的には、なかなかハードである。

 もうじき今年も半年が終わる。なんとか読書課題はこなしている。今日現在の遅れはない。久しぶりにKindleを開き、ダウンロードしている電子書籍を確認した。全部で130数冊だったが、恥ずかしながら最後まで読了している本が1冊もない。すでに、紙の書籍は文字の判読に時間がかかる状態なので、どうしても電子書籍を大きめのサイズのiPadプロで読むのが、現時点での最適環境になっている。

 あれこれの管理領域、学習領域が錯綜している。しかも、電子ファイルと紙の書類が混在しているため、もっともっと整理整頓を進め、ある程度は快適な環境にしないと、頭も神経もパンクしそうである。

 今日ばかりは書きなぐりの記事で大変申し訳ないが、休養を取らせていただく。

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by hirune-neko | 2019-06-23 00:46 | 心の中のできごと | Comments(0)

人生の大きな交差点を、独りで渡る人の心象

Loreena McKennitt - Courtyard Lullaby
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 予測しなかった交差点に遭遇し、ためらいながらも進むべき方向を決め、その交差点に足を踏み入れる。・・・ 長い人生のある時期には、思いがけない選択を迫られることがあるのではないだろうか。

 数日前、絵本を受け取られたお母さんからメールが届いた。お子さんの名前が入った絵本に対する、好意的な感想と一緒に書かれていたのは、離婚が決まったという短い言葉だった。その後には、ご主人の名前を消した絵本を作ることは可能か、という質問が記されていた。

 実務的なマニュアル通りに回答すれば、両親版の文章をシングルマザー版に変更し、作り直すことになる。再製作料と消費税、送料の合計金額を伝え、発注を待つことになる。

 しかし、私はすぐにそのお母さんに電話をした。電話番号を確認しながら、お母さんの心の中を想像した。何があったかは知らない。しかし、幸せをつかみ、子を授かったにもかかわらず、おそらくは妊娠中に何かがあって、離婚という大きな決断をしたのは、間違いないだろう。

 どんなに苦しくても辛くても、産んだばかりの幼子を抱え、前に進まなくてはならない。もう後ろを振り返ることをせず、不安と怖れという逆風に立ち向かう母親。・・・呼び出し音を聞きながら、そのように思い巡らせていた。

 電話はすぐにつながった。思ったより、明るく力強い声だった。吹っ切れているのだろうと感じた。絵本の出版社の担当者であることを名乗り、単刀直入に本題に入った。

 「離婚されることになったんですか?」
 「そうなんです。」
 「足形色紙やアルバムページは解体して、再利用しますので、お手数ですが料金受取人払いで送ってください。お母さんの名前だけで再製作しますので。」

 送料の件を聞き、驚いたようだった。私は続けた。

 「これから、■■ちゃんと一緒に頑張らなくてはいけませんね。私たちからのせめてもの応援の気持ちとして、プレゼントさせていただきますので、料金は結構ですよ」

 意外な展開に、受話器の向こうから驚きの声が聞こえた。私はなおも続けた。

 「お母さんが今、■■ちゃんに一番伝えたい言葉や気持ちを文章にして、送ってください。1行25文字以内で5行までに収めてください。本文に組み込んで絵本を作りますよ。お子さんがいつか大きくなって絵本を手に取り、読み返すたびに、お母さんからの愛情を感じ、親孝行なお子さんに育ちますよ」

 笑い声が響き、心なしか気持ちが晴れたような印象だった。

 そのお母さんから今日、その追加メッセージの文章が送られてきたので、以下にご紹介させていただく。出産後すぐに離婚を決断し、これからの長い旅路に心を向けようと決意したお母さんの、お子さんに対する愛情、そしてお母さん自身の心象を想像しながらお読みいただきたい。相手は見ず知らずの方ではあるが、心の中で声援を送り、励ましていただきたい。


【絵本の本文に追加する、お母さんからのメッセージ】
 (名前を■■と伏せ字にした)

■■ だいすきだよ! ■■ あいしてるよ!’
ずっとママと いっしょだよ!
■■は いっぱい なこうね! いっぱい わらおうね!’
ママが ぎゅっと だきしめるからね!
ママが ■■を ずっとまもるからね!
■■ ママをえらんでくれて ありがとう
ママは 世界一しあわせです


 今の時代は、膨大な量のメディアから発せられる言葉の洪水に襲われている。その半面。人間が本当に必要とする言葉を得ようとしても、あたかも飢饉が蔓延しているかのような状態で、心から必要とする言葉を得ることは困難だと感じる。

 数千円の売上を得ることを軽視している訳ではない。しかし、往来の激しい危険に満ちた大きな交差点を、幼子を抱えて独りで渡る決意をしているお母さんが、現実に目の前に存在している。不安と怖れとの闘い、そしておそらくは悔悟の気持ちに苛まれていることだろう。そんなお母さんが、たとえ他人からであっても、純粋な心からの励ましを与えられ、未来に対して少しでも希望と勇気を持つことができたとしたら、それは私にとっても歓びである。

 一人でも多くの方に、心から必要とする言葉をお渡しできるよう、これからも努めて行きたいという気持ちを新たにしている。

 何日か前に読んだ旧約聖書の一節が、今でも印象に残っているので、記録しておきたい。
 主なる神は言われる、「見よ、私がききんをこの国に送る日が来る。それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。」(アモス書8章11-12


 そうそう。今日、そのお母さんから絵本が返送されてきた。箱を開けてみたら、地元の野菜を原材料にして作ったお菓子が入っていた。早速いただいたが、なかなか美味しかった。やはり、人には親切にするものだと、改めて思った。まるで、親戚同士みたいな感覚になってしまった。本当におめでたい私である。

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by hirune-neko | 2019-06-22 01:08 | 心の中のできごと | Comments(2)

ちょっと切り替えに時間がかかっている

Everything Happens To Me - Bill Evans
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 3年がかりの小冊子9冊を印刷し、製本所に届けたので、いよいよ本格的に提案書の作成に手を付けようと思った。手始めに、画像2万点を88 %オフで購入できる案内が来ていたので、購入しようと考えた。

 ところが、会社のカードも個人のカードも、さらにはネットバンキングでの決済がいずれも途中でエラーになってしまうというトラブルに見舞われてしまった。とうとう、諦めた。かれこれ1時間は費やしただろうか。出鼻を挫かれた格好だ。

 これまでの提案書にはずっと、三男夫婦と生まれたばかりの長女の、三人の画像を使わせてもらっていた。しかし、三男ももう学生ではなく、社会人になったので、いらぬ迷惑がかかるとけないと考え、著作権フリーの、素材辞典100巻パックというのを購入しようとした次第だ。

 気がつけば、すでに深夜0時を回ってしまった。

 心身共にくたびれ果てると、音楽すら受け付けなくなってしまう。ピアソラなんてとんでもない。消化不良を起こしてしまう。ボサノヴァはちょっと軽すぎる。シャンソンやジャズの女性ボーカルも、なんとなく空々しく感じる。・・・という訳で、ビル・エヴァンスの演奏を選ぶことになった。高校生の頃からずっと聴いている。なんと、半世紀にもなるが、今でもビル・エヴァンスの演奏を聴くとほっとする。

 孤独、孤立、孤高という言葉がよく似合う演奏家だと思う。人生そのものも、心身共に決して健康的ではなかったようだが、不思議と共感を覚える音楽性だ。

 
 昨晩の英語スカイプレッスンでは、便衣兵や背乗りを英語でどのように表現したらいいのかを教えてもらった。ずいぶんヘンテコなジャンルに拘る生徒だと思ったことだろう。しかし、テックジャイアンツや、世界新秩序(New World Order)などの言葉は、アメリカでは普通に使われているそうだ。


 スパイ映画の視点で眺めると、この時期に中国の習近平国家主席が、わざわざ北朝鮮を訪問し、金正恩委員長と会談を持つ目的について、あれこれ想像を巡らせてしまう。

 真っ先に思い浮かぶのは、トランプ大統領が信任を置き、国際政治や外交の舞台でも存在感を増している、日本の安倍総理の動きを封じ、日米の離間を進めたい、という点で両者は利害が一致しているのではないだろうか。

 それには、警戒感が薄い日本国内で連続的に破壊工作・テロ工作を実行し、自分たちの関与を一切気取られず、しかも、できれば精神的に病んでいる日本人を、上手にコントロールして実行犯に仕立てる工作を行うだろう。何か事件があるとすぐに、在日外国人の仕業だと騒ぐので、そこはぬかりなく実行することだ・・・ぐらいのことは考えるだろうと思う。

 表面的には拉致被害者の帰国に応じるようなそぶりを見せて、期待感を持たせ、実際には波状的に日本を混乱に陥れる戦略を、とりあえずは中朝でシナリオを描き、当然のことながら、文在寅大統領も巻き込んで、三国の情報部が連携で工作活動を進める。

 当然、支配下にある報道機関は、事件や事故の主犯が日本人であることを強調し、所轄の警察や関係官庁の不手際を責め立てて世論誘導と印象操作を行う。内閣支持理を下げるよう誘導し、安倍総理の外遊を批判的な論調で責め立てる。

 ちょっと考えただけでは、そんな程度しか思い浮かばない。

 しかし、各種公開情報を閲覧していると、中・朝・韓は明らかに追いつめられているのではないだろうか。ここでいきなり核ミサイルに頼るような行動に出てしまったのでは、国際的には完全に致命傷を負うだろう。それは、あくまでも最終手段だろうから・・・それでも用心に越したことはないだろう。

 そのような状況を想像してみると、やはり私たちが最も優先すべきは、自己防衛手段を講じることに尽きるのではないだろうか。右も左も、相手の不手際や矛盾を突いて非難に明け暮れるのではなく、まずは自己防衛であり、並行して、社会事象の洞察力を高め、信頼・支持すべき考え、政治家、報道機関、ジャーナリストなどを、英邁にに峻別することだと思う。


 覚醒した日本人は、必ずしも武力を伴わないにしても、戦闘能力が自分の中に具わっていることを自覚するだろう。社会的異物や危険な存在を知覚・体感し、一丸となって合法的な排除行動に出るだろうと思う。

 日本人の日本人らしさが顕在化しつつある時代になっている、とも感じている。

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by hirune-neko | 2019-06-21 00:53 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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