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昼寝ネコの雑記帳

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いよいよ今年最後の日を迎える〜激動の時代への入口である。

Leo Brouwer Un Dia de Noviembre
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 かなり寒さが厳しい。昨日から、クシャミと鼻水が再発したが、なんとか踏み留まっている。年賀状は明日がリミットなので、なんとか投函までこぎつけたいと思っている。

 数日前から、一日の累計歩行数6000歩という歩き方を変更し、連続5000歩を歩くようにしている。まだ1週間も経っていないと思うが、筋肉が少し付いてきたように感じる。歩幅が長くなり、スピードも上がっている。我ながら、なかなかいい感じだ。

 遅い時間帯だと、人通りもほとんど無く、犯罪者と遭遇する危険性は少し高まる。また、無灯火の自転車とすれ違うこともある。そのため、首からぶら下げる赤色の発光器を使用している。また、右手袋の中にSmiss & Wessonのタクティカルペンを忍ばせ、いつでも瞬時に反撃できるよう、心の備えもしている。実際の破壊力は試していないので、判然としない。しかし、部位によっては命にかかわると説明されていたので、加減はするつもりである。目に突き刺したら脳に到達し、下手をすると即死だろうと思うので、それは避けよう・・・などと、実戦状態をイメージしながら歩いている。危険な老ネコにご注意・・・である。

 歩行中に聴く音楽の嗜好は、徐々に変化している。最近はずっと、マニュアルの無い独自の領域で考えを巡らせ、回答を求めているため、強烈でリアルなイメージが脳内に拡がるような曲想は厳禁である。どちらかいうと、思考を妨げない内省的な音楽を好んで聴いている。さすがにピアソラはダメで、クラシックに近い曲を選定している。

 その努力の甲斐があったのか、抽象的な領域からかなり具体的なイメージが表面化しつつある。なかなかいい傾向だと思っている。

 あくまでも想像なのだが、かのアンドリュー・マーシャルは、毎日相当の時間を確保し、かなりハードなトレーニングをしていたのではないだろうか。ソ連崩壊を予測した、アメリカの軍事顧問で、ニクソンからオバマにまで仕え、数年前に90数歳で現役引退したという化け物である。

 アンドリュー・マーシャルに関する書籍は、英語のものしかなかったので購入したが、知らない単語が続出し、途中でギブアップしてしまった。その後しばらくして、日本語に翻訳して出版されたので、すぐに購入したがまだ読めていない。アンドリュー・マーシャルに関しては、ランド研究所に所属し、統計学の手法を駆使したということぐらいしか分かっていない。その影響もあって一時期、統計学を勉強しようとしたが、入口が見つからず、これもそのままである。

 あれこれと興味を持ち、習得したいことも多い。良く言えば、探究心が強いのだとう。悪く言えば、好奇心が強く身の程知らずなのだろうと思う。まあ、誰がなんと言おうと一向に構わない。専門知識の無い、浅い断片的な雑学だと馬鹿にされても構わない。

 とにかく、ひたむきに努力を継続してさえいれば、いつか時間が経過したときに、立体化された独自の構築物ができあがっているだろうと、呑気に考えている。
 依然として余命宣告はされていないものの、危機管理を視野に入れながら、超長期構想を進めて行きたいものだ。

 さあ明日は・・・もう今日になってしまったが・・・いよいよ今年最後の日である。平成も最後の日である。この曲名のように、「11月のある日」などという冗長なものではなく、文字通り時代の大きな変化の1年になる直前のような予感がする。そんな激動の、新しい年が始まろうとしている。

 歩みを速めなくては・・・。

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by hirune-neko | 2018-12-31 02:06 | 心の中のできごと | Comments(2)

年末年始の休業に入った

Pela luz dos olhos teus (Tom Jobim e Miucha)
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 取引先に送ったファックスによれば、今日から1月3日までは、年末年始の休業ということになっている。メールは何本も着信するものの、仕事の電話はさすがに1本も入らない静かな一日だった。

 年賀状の未完成に加え、今日になって小冊子の英語部分の修正、8カ所が入った。多少のオフタイムは確保したいと思っているが、結果的には年中無休の状態になってしまいそうだ。

 やれやれだが、来年末には少しは改善していることを願っている。

 午後になって、思考力が低下してしまったのと、風邪の症状が出たので、久しぶりに数時間の昼寝時間を確保した。

 気が緩んだせいなのか、この一年の疲れが一気に出て来た感じだ。

 睡眠時間が徐々に遅くなっており、健康上明らかに好ましくない。なんとか改善したいと思う。

 と、言い訳をしたところで、今日は短稿で失礼させていただく。

 今年もあと二日となった。新たな気持ちで新年をお迎えいただきたい。

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by hirune-neko | 2018-12-30 00:41 | 心の中のできごと | Comments(0)

海辺のカフカとカミュを読むネコ

John Barry Theme Out of Africa
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 今日になって、ようやく年賀状の作成に着手した。

 毎年、ネコのイラストを上部にレイアウトし、その年の干支がなんであるかにお構いなく、毎年ネコ年宣言をしている。これまでにたくさんのネコ画をいただいているが、今年は迷わず、この画を選んだ。作者のカトリ〜ヌ・笠井さんによれば、これはカミュの作品を読んでいるネコだそうだ。見るからに、難しい文章と格闘している表情だ。

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 昨年の年賀状では2018年中に、子育て中のご家庭を情報面でサポートする、無料会員制の「みるとす」を立ち上げ、ご案内すると宣言した。ところが、今年はあっという間に米朝関係が悪化し、さらには米中および米韓関係、そして日韓関係までもが、かつてないほど悪化してしまった。

 家族の絆や非常時に備える備蓄が主テーマなのだが、さすがに近隣国の緊張の高まりが予測を遙かに超えるスピードだったため、内外情勢をどのように紹介するかの検討に追われて、時間ばかりが経過してしまった。

 公開情報を収集しただけでは深層まで洞察するのは容易ではない。そこで、そのような心象風景がそのままぴったりの、この「カミュを読むネコ」の画を選んだ次第だ。希望に満ちた新春のおめでたい時期に、この難解な表情は不釣り合いだと私も思う。しかし、はりぼての新春ではなく、実態に即した2019年の表情をそのまま反映した、この画を使わせていただくことにした。

 年賀状の文章を書き終え、推敲していたとき、唐突に村上春樹作品「海辺のカフカ」のタイトルが思い浮かんだ。

 カトリ〜ヌ・笠井さんも、gigueの店長である鈴木れい子さんも、両方とも昔からの村上春樹ファンである。慶応大学で英語を教え、現在は英国・オックスフォードの大学院に在籍している、ジョナサン・ディル氏は、村上春樹の研究家である。なのに私は、何冊か購入したまま積ん読状態で、まったく読んでいない。

 読んでいないにもかかわらず、タイトルを使わせていただいたが、ご愛敬だとお許しいただきたい。

 2年ほど前にみるとすを仮公開し、毎週ニュースレターを発行した。70家族程度の登録をいただいたが、ほとんどがブログ読者の方々だったようだ。ニュースレターで紹介した記事の傾向は、明らかに保守的だった。その内容の是非はともかく、現在の私たちは全国の自治体と産婦人科に、営業コンタクトの輪を拡げようとしている。

 この約1年、急激に変動する国際情勢を目の当たりにし、ここ日本でも闇に紛れていた実態が表面化してきた。保守的なブログ読者の皆さんにとっては当たり前のことであっても、全国約1700の自治体関係者の皆さんの政治や思想の傾向は、様々だろうと思う。

 私たちは政治的・思想的な啓蒙を目指している訳ではない。さりとて、明らかなプロパガンダ報道が横行しており、外国政府や情報機関と内通した工作活動が散見されるのも事実である。それらを全く視野に入れず、お花畑気分で過ごす人たちが大多数であれば、間違いなく日本は他国によって実効支配され、政権転覆、国家転覆の事態に至るだろう。

 さて、地方議会の主導権を握るのが、自民党や共産党、公明党、立憲民主党など様々である現実に対峙したとき、私たちはどのような手法で、とくに政治的な公開情報を紹介すべきだろうか。

 私なりに、大体の方針は決まっている。特定の政党や政治家、政治団体、ジャーナリストなどのことを、主体的に肯定したり否定したりなどの誘導は避けようと考えている。ひと言でいえば、対立構造の両論もしくは各論を並記し、最終的には読者の、皆さんの判断に委ねる、というニュートラルな姿勢を前面に出すことが重要だと思っている。

 しかし、あくまでも隠蔽や秘匿、捏造などは論拠を示して公開する必要がある。現実的に考えると、なかなか知恵が必要な手法だと思う。

 これは可か、あるいは不可なのかの判断力が要求される。できれば水平線の見える穏やかな海辺で、じっくりと構想を練る時間が持てればいいなと希望している。

 これこそまさに、「海辺の可不可」なのではないだろうか。・・・あらあら、とうとう駄洒落になってしまった。・・・お後がよろしいようで。

 でも、今にして思えば、60歳を何年か過ぎてからでも、インテリジェンスの講座を受講するために、大学院の門を叩き、実際に防衛研究所の主任研究員の方の授業を受けられて良かったと、心から思っている。国家の安全保障の基礎知識ではあるが、独学の頃と較べて視野が広がったと思っている。

 国家安全保障会議が国家の安全実現の目的で、国家元首のために情報を提供する機関であるのに対し、個人や家族の安全・健康・平和実現のための情報提供機関、さらには、家族関係や個人の内面・人格・感性までをも視野に入れて、有益な情報を提供する機関・・・それが私の理想と考えるファミリー・インテリジェンスサービスである。漠然とではあるが、旧約聖書に出て来る佳きイメージの植物である「みるとす」(本来はカタカナ表記)という名前を拝借した。

 今年こそ、その「みるとす」を正式に公開し、改めて会員募集したいとの思いを新たしている。

【参考資料】
ミルトス
てんにんか科に属する植物です。ヘブル語では「ハダス」と言います。
ミルトスは、パレスチナ地方の川辺によく見られる常緑の灌木で、高さは数メートルに及びます。また、葉や花が、芳香を放つことでも有名です。たくさんの黄色い雄しべが目立つ花をつけた後、青黒色の果実を結びます。この果実には、鎮痛効果があります。その芳香性や鎮痛効果のために、ミルトスは「祝いの木」として、祭りやめでたい行事の際の装飾品として用いられます。
(1)エルサレム近郊の山野にも見られたようで、仮庵の祭には、小屋造りにこの枝が用いられました(ネヘミヤ記8:15)。
(2)イザヤ書55:13には、「いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。」という表現があります。これは、バビロン捕囚からの解放を指すと同時に、終末的な意味での祝福の描写となっています。つまり、のろいに代って祝福が臨むという意味です。
(3)エステル記2:7には、「モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。」とあります。つまり、エステルのヘブル名は「ハダサ」であり、これは、ミルトスのことだったのです。今でも、ユダヤ人の女性の中には、ハダサという名前の人がいます。
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by hirune-neko | 2018-12-29 02:49 | インテリジェンス | Comments(0)

応募作品第2作目の英訳原稿初稿

Doble Concerto para Bandoneón y Guitarra Astor Piazzolla II. Milonga
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 福岡に住む、ニュージーランド人の女性に、短編作品2編の英訳を依頼していた。世界中から創作短編作品を募集していると聞いて、応募しようと思ったからだ。応募は日本語のままで良かったのだが、かなり以前から自分の作品を、海外で出版したいという願望があったため、英語でどのような作品に変貌するか試してみたかった。

 翻訳してくれている女性は、アメリカ在住の作家の方に英訳文を見せ、意見を聞きながら仕上げてくれている。第2作目は、サンタクロースの起源についての、私の妄想である。

 ブログには字数制限があるので、欲張って和文と英文の両方を掲載できるかどうか分からない。試してみるが、字数制限にひっかかった場合は、英文だけにして最後部には、オリジナルの作品にリンクを張るようにしたい。


【子どもの夢を壊す物語

「ニューヨーク・サン新聞の記者様、サンタクロースって本当にいるんでしょうか?」

 ・・・たくさんの大人たちが子どもの無邪気なこの質問で始まる作品を読んだことがあると思います。誰だって子どもには夢を持ち続けてほしいと願うものです。なので、子どもの夢を壊さないよう、決まっていうのです。「ああ、サンタクロースは本当にいるんだよ」って。

 サンタクロースについては、いろいろな伝説があります。ですが、誰も本当のことなど知りはしないのです。
 私は知ってるんですよ。でもね、本当のことをいうと、新聞社の記者様がやれ、子どもの夢を壊しただのと書き立てて、悪者扱いするに決まっていますから、黙っていました。

 人間は歳を重ねると、だんだん秘密を持ち続けるのが苦痛に思えるものなんです。私は、紀元前からかれこれ三千年近く生きていますので忘れたくても忘れられないことや、いいたくてもいえないことが実に多くなってしまいました。なので、少しずつ人にいえないような真実を公開しようと決心したのです。

 今日はとりあえず、サンタクロースの発祥の本当のお話をしたいと思います。私のお話を聞けば、子どもの夢を壊すだなんていう非難がましいことはいえないだろうとも思うからです。

 前置きはこれぐらいにしましょう。

 とてもとても古い時代のお話しです。北欧の、しかも北極圏に近い雪深い地方に
赤茶色の石でできた小さな建物がありました。正確なつづりは忘れましたが「サン(聖)・クロース」という名前の学校でした。

 その学校に入学できるのは、先祖代々、ある一族の血統の子どもたちだけだったんです。伝統と格式を重んじ、厳格な教育方針でした。学校制度でいえば、小学校1年生から6年間の授業を受けます。
 いくつもの外国語、いろいろな国の歴史、世界中の地理、植物学その他、大人でも大変と思えるようなカリキュラムでした。しかも、6年目の冬には卒業試験があったんです。

 子どもたちは、それぞれの家から歩いて30分ほどの試験会場に集められました。
試験会場といっても、着いてみたら子どもたちなら誰もが欲しがるようなトナカイの毛で編んだセーター、北極熊の毛皮で作った温かい靴、焼きたてのお菓子、オーロラを凍らせたような飴菓子、白樺の木の皮で作った防寒ジャケットなどがずらりと並んでいたのです。ですから集まった子どもたちは目をみはりました。

 さて、当時の卒業試験の様子をお教えしましょう。まず、試験を受ける子どもたち全員に大きな袋が渡されるのです。麻で編んだ袋で頑丈なのですが少し重いんです。試験官の先生は、欲しいものを袋に入るだけ詰めるように命じます。そして、それを自分の家に持ち帰り、自分のものにしていいといいます。大喜びの子どもたちは、歓声を上げ、ひとつひとつ選んでは袋に入れました。袋が大きくふくらんだことはいうまでもありません。そこで試験官は卒業試験の内容を告げます。

1.村まで歩いて約30分の距離ですが、袋が重いので
 休み休み歩き、きっかり1時間以内に家に戻るように。
 そうすれば、袋の中に入れたものは全て自分のものになる。
2.家に帰る時間が、1時間をちょっとでも過ぎてしまったら
 袋の中身はあっという間に空になってしまう。
3.ソリやスキーを使わずに、必ず自分の力で
 家まで歩いて帰ること。

 たったそれだけの試験内容だったのです。あまりにも簡単すぎて、子どもたちはあっけにとられました。6年間、頑張って勉強したごほうびなのだろうと誰しもがそう考えました。その日は12人の子どもたちが、試験を受けました。

 さて、やがて号令がかかり、子どもたちは喜び勇んで家に向かいました。でも、12月のその時期は雪が深く積もっておりなおも降り続く雪が、子どもたちの足をさらに重くしました。誰もが5分も歩かないうちに、息が切れ手がかじかみ、足の感覚もなくなってきたのです。休み休み、時間を気にしながら家に向かいました。

 村に帰る途中、道ばたに座り込んだおばあさんがいました。歩けなくなったようで、あまりの寒さのために目を閉じていました。 サローヤンという男の子が、そのおばあさんの前を通りました。1時間以内に家に帰らないと、袋の中のものは空になる。そう思ったので、黙って通り過ぎました。 でも気になって振り返ると、雪がおばあさんの肩や頭を覆い始めていました。サローヤンは、その様子を見て引き返しました。そして袋の中から、トナカイの毛で編んだセーターを取り出すと、おばあさんが着られるように手を貸しました。さらに、森でとれた乾燥果実をたっぷり入れて焼いた、まだ温かいフルーツケーキをおばあさんに手渡しました。おばあさんは何もいわず、でもサローヤンを笑顔で見つめました。

 さあ時間がない。サローヤンは雪道を家に向かいました。吐く息が白くなって見えました。雪で視界も遮られました。少し歩くと、小さな男の子と女の子が泣いており、そのそばには、お母さんらしき人が子どもたちを抱きかかえるようにしているのが見えました。お母さんは、すぐそばのお店で買った木彫りのリスを手に抱えていました。三人とも何か悲しそうだなとサローヤンは思いましたが、家まではまだ距離があります。重い袋を背中に担ぎ、三人の前を通りかかりました。

 そのとき、お母さんが子どもたちにいうのが聞こえました。
 「ごめんね。お父さんの薬を買ったので、木彫りのリスはひとつ分しかお金が残っていないんだよ」
 サローヤンの耳には、お母さんの言葉がはっきりと聞こえました。と同時に、袋の中に入っている木彫りのリスのことを思い出しました。一瞬、いくつかの考えが頭の中を駆け巡りました。時間が無い、袋の中が空っぽになってしまう、木彫りのリスをふたつ買ってあげるって約束してたんだろうな、お父さんは病気なんだ。
 ・・・ほんの一瞬のためらいはありましたがサローヤンは袋を足許に下ろし、中からリスを取り出しました。そして三人に近づき何もいわず、お母さんに手渡しました。三人は驚いたまま、感謝の言葉をいうこともできませんでした。

 サローヤンは複雑な気持ちでした。自分の弟や妹、それに父親や母親にあげようと楽しみにしていた袋の中の品物を、すでにいくつか見知らぬ人にあげてしまったからです。

 村に向かって歩くサローヤンに、さらなる試練が何度も待ち受けていました。どういう訳か、見過ごすことのできない人たちが、次々とサローヤンの前に現れるのです。その都度、サローヤンは袋を開けてその中から、その人たちが必要とするものを差し出したのです。子どもでしたから、自分のものがどんどん減っていくことを実感し、徐々に心が重くなりました。でも、その分、背中の麻袋はどんどん軽くなりました。当たり前ですよね。

 やがて自分の家が見えるところまでやって来ました。サローヤンの背中には、空っぽの麻袋がだけがありました。出会う人たちのために時間を使い果たしので、約束の1時間はもうすでに過ぎてしまっていました。
 時間には遅れてしまい、家には何も持ち帰ることができなかったのです。卒業試験は大失敗でした。そう考えると、悲しくて悔しくて、サローヤンは泣きながら家に入りました。

 お父さんもお母さんも、何もいわずサローヤンを迎え入れました。お母さんは背中をさすってくれました。
 「ごめんなさい、みんなに何も持って帰れなくて」
 そこまでいうのが精一杯で、サローヤンは声を上げて泣き出してしまいました。妹が、残念そうに、麻袋の中をのぞきこみました。そして手を入れ、袋の中から何かを取り出すとお父さんに手渡しました。小さな封筒でした。
 お父さんは中を確かめず、サローヤンに手渡しました。怪訝な表情でサローヤンが封筒を開けると、中には小さなカードと一緒に、純金のプレートが入っていました。プレートには文字が刻まれていました。

 「サン・クロース基礎コース修了証」

 そしてカードには、このように印刷されていました。

 「自分のことだけを考える人は自分を失い人のことを思いやる人は自分を見いだす」

 サローヤンは、何が何だか分かりませんでした。でも、お父さんとお母さんは卒業試験の本当の目的をちゃんと分かっていました。サローヤンが、道ばたで出会った人たちを無視するかあるいは自分の大切なものを、その人たちに分けてあげるかをテストされていたのです。

 これで、卒業試験のお話しを終わります。他のほとんどの子どもたちは、袋の中の宝物を時間内に家に持ち帰ろうとして、途中で出会う人たちの困苦を視野の外に追い出しました。でも、重い袋を背負い、降りしきる雪の中を、時間内に家に辿り着くことなどとてもできないことだったのです。ですから時間を過ぎて家に入った途端、袋の中は空っぽになりました。もちろん、袋の中のどこを探しても純金の修了証を見つけることはできませんでした。

 クリスマスにプレゼントを持って来てくれるサンタクロースは、商魂たくましい百貨店の企画部の人たちがたくさんの人がプレゼントを買いに来てほしいと考え、
上手に創り上げた存在なのであって、トナカイのそりに乗った、赤い帽子と洋服のサンタさんなんて、もともと存在していないのです。

 サローヤンはその後、「サン(聖)・クロース」という名の学校で学び続け、無事に高等部まで卒業しました。世界の何カ国かで実地訓練を受けて、正式な資格の認定を受けました。なんの資格か知りたいですか?

 世界中で、苦難に遭い苦しむ人や、弱り果てた人たちが一番必要とする大切なものを無料で届けているんです。12月のクリスマスの時期だけではありません。
真夏の酷暑のときだって、早朝や深夜だって、いつでも人が望むときには、駆けつけてくれるんです。

 世界中でたくさんの「サン(聖)・クロース」卒業生が今でも毎日、熱心に働いているんです。

 これが本当のサンタ・クロースの姿なんですよ。でも、彼らは人には見えないように、そっと訪れてそっと帰ってしまうので、誰も見たことがありません。でも確かにサンタ・クロースは存在しているんです。

 さて、事実を語ることで私は子どもたちの夢を壊してしまったでしょうか?今どきの子どもたちは、大人よりずっと世の中の仕組みをよく知っているようですよ。

 もしかしたら、皆さんの周りで普通に暮らしている人の中に「サン(聖)・クロース」卒業生がいるかもしれません。私?私のような寒がり、暑がりのねぼすけが
そんな厳しい卒業試験に合格する訳がないでしょう? (2014-01-13 01:42


Translation -Short Stories- タイトルは未訳

“Dear Editor of the New York Sun, Is there a Santa Claus?”

…I am sure many adults have read the story that starts with this innocent question from a child. Everyone hopes that children will hold on to their dreams, so there is almost a conspiracy not to destroy the dreams of children. “Yes, there is a Santa Claus”.

There are many legends about Santa Claus. However, no one knows the truth. I know. I have kept quiet because I know I’ll be treated as the bad guy and written up by newspaper reporters as the person who destroyed the dreams of children.
As people get older, it gradually becomes painful to hold on to secrets. I have been alive since before the time of Christ, for nearly 3000 years, so there are things that I can’t forget even if I wanted to, and so many that I can’t talk about even if I wanted to. So I have decided to gradually tell people the truth.
Today, to start with, I think I want to tell you the real story behind the origins of Santa Claus. Because, I think, if you listen to me you won’t be accusing me of destroying the dreams of children.

That’s enough of a preface.


It is a story from a very, very old time. In Northern Europe, actually close to the deep snowy regions of the Arctic Circle, there stood a little reddish brown stone building. I forget the correct spelling, but it was a school named “Saint Claus”. The only pupils who were allowed to enter were those whose ancestors were of a certain bloodline. The education policy was very strict, with heavy emphasis on tradition and social status. The school system was the equivalent of grades 1 to 6 of elementary school. The curriculum would have been hard for an adult – several foreign languages, the history of various countries, the geography of the world, study of plants etc. And in the winter of the 6th year, there was a graduation examination.

The children walked about 30 minutes from their homes to gather at the examination place. When they got there it was full of things that any child would want – sweaters knitted out of reindeer fur, boots made of polar bear hide, freshly baked cookies and cakes, candy that looked like the aurora had frozen, warm jackets made of silver birch bark, and much, much more. The children couldn’t take their eyes away.
Now, let me tell you about the graduation examination. First, each child who was to sit it was given a large sack made of heavy linen. The teacher who was the examiner told them to fill their sacks with whatever they liked from the things there. And they could take it home and it would be theirs to keep. The children gave great shouts of delight and started choosing things to put in their sacks. The sacks gradually grew fuller and fuller. Then the examiner explained the content of the test.
  1. Although they were about 30 minutes’ walk from the village, no doubt with heavy laden sacks they would take rests of the way back. Even so, they only had one hour to get to their homes. If they succeeded in that, the contents of the sacks were theirs to keep.
  2. If they took even a little longer than the one hour, the contents of the sacks would disappear in to thin air.
  3. The use of a sleigh or skis was forbidden. They must walk home by themselves.
That was the test. It seemed so simple and easy that the children were taken aback. They thought it must be a reward for having studied so hard for 6 years.
That day 6 children were taking the examination.
The start signal sounded and the children started for home, full of joy, However, in December, the snow is deep, and was still falling. The children’s feet got heavier and heavier. Everyone was out of breath after just a few minutes, and their hands were numb. And they started to lose feeling in their feet. Worrying about the time, they took short breaks as they headed for home.

On the way back to the village, an old woman was sitting by the side of the road. It was so cold she had closed her eyes. A boy named Saroyan passed by in front of her. “I must get home within the hour, otherwise everything in the sack will disappear”. His mind was full of these thoughts, so he walked past the old woman. But, worried, he glanced back at her and saw the snow starting to build up on her shoulders and head. When he saw that, Saroyan turned back. From his sack he pulled out a sweater knitted from reindeer fur, and helped the old woman to put it on. Next he gave her a cake still warm from the oven, baked with dried fruits gathered in the woods. She didn’t say anything, but smiled up at Saroyan.

Time was running out. Saroyan started off again along the snowy road to his house. His breath was white. The snow blocked his field of vision. After walking a short distance he saw a small boy and girl crying, while someone who appeared to be their mother hugged them. The mother was holding a squirrel carved of wood she had bought at the shop there. Saroyan thought how sad they looked, but he still had a way to go before his home. He lifted up the heavy sack onto his back again and walked past them. As he did so, he heard the mother say to the children “I’m sorry. We had to buy medicine for your father, so there was only enough money left over to buy one carved squirrel.”

Saroyan could hear clearly what the mother said. At the same time he remembered the carved wooden squirrel in his sack. In that instant, many thoughts went through his head. There’s no time, the sack will be empty, she must have promised to buy two squirrels, their father is sick. After only a brief hesitation, Saroyan put his sack down, and took out the squirrel. He approached the family and silently handed it to the mother. The three of them were so surprised that they couldn't even say thank you.

Saroyan’s feelings were complicated. Already many of the things in his sack that he had been looking forward to giving to his parents and younger brothers and sisters had been given away to strangers. As he continued to walk towards the village, many further challenges awaited Saroyan. For some reason, he kept meeting people he couldn’t ignore. Each time he opened his sack and gave them what they needed. He was still a child, so his heart grew heavier and heavier as he realized that he was giving away his things. Which also meant that the heavy linen sack on his back was of course getting lighter too.
Finally he got to the place where he could see his home. On Saroyan’s back the linen sack hung empty. He had used up the time with each person that he met, and he was over the one hour limit. Not only was he late, but he wasn’t able to bring anything home. He had failed his graduation examination badly. When he thought about that he was sad and disappointed, and Saroyan started crying as he entered his house.

His mother and father welcomed him without saying anything. “I’m sorry, I wasn’t able to bring you anything”. That was all he was able to say before he started crying in earnest. His younger sister looked sadly into the sack. Then she put her hand in and pulled out something and handed it to her father. It was a small envelope. Her father handed it to Saroyan without opening it.
Saroyan opened the envelope with a wary expression. Inside there was a small card along with a pure gold plate. Some letters were etched on the plate. “Certificate of Completion for the Saint Claus Basic Course”. And on the card it said; “People who only think of themselves will lose themselves. People who think of others will find themselves”.

Saroyan didn’t understand what was going on. But his mother and father knew the real purpose of the graduation examination. They knew that he was being tested to see if he would ignore the people he met by the roadside, or if he would be willing to share his precious things with them.
Here end the story of the graduation examination. Most of the other children tried to take all the treasures in their sacks home within the time limit, and so ignored the people they came across on the way home. But to carry such heavy sacks within the time limit was not possible, so the instant they entered their homes everything in the sacks vanished. Of course no matter how hard they searched they couldn’t find any gold certificate plates.

The Santa Claus who brings lots of presents is of course a clever creation of the aggressive salesmanship of department stores, trying to get lots of people to come in and buy presents, and the Santa in red clothes and hat, riding on a sleigh pulled by reindeer never existed in reality.

After that, Saroyan continued to study at the school called “Saint Claus”, and graduated the high school division. After receiving training in many countries around the world, he was awarded the official qualification certification. And do you want to know what that qualification is?

It is to deliver to people who are weak or suffering anywhere in the world the thing they need the most at the time they need it most. This is not only at Christmas in December. Even in the extreme heat of summer, or in the early morning or in the middle of the night, wherever people need help they will help. Throughout the world there are many graduates of “Saint Claus” school working hard every day even now.

This is the true form of Santa Claus. But they visit and go home again quietly so that no one notices them, which is why no one has ever seen them. But Santa Claus is real.

Maybe there is someone around you living a normal life who is actually a “Saint Claus” graduate. Me? I hate the cold, and the heat, and always want to sleep in. There`s no way I could possibly pass that graduation examination, is there?

 おお、なんとか和文と英訳文の両方を保存できたようだ。やれやれであるが、こんな長文を目の前に突きつけられる読者の方には、とんだ災難で申し訳なく思っている。
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by hirune-neko | 2018-12-28 01:01 | 創作への道 | Comments(2)

非常事態が発生しても、ひもじい思いをしないでいただきたい

Shirley Horn - Here's To Life (Verve Records 1992)
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 このブログを訪れてこられる皆さんのほとんどは、かなり政治意識が高く、インターネットで様々な情報を得ていらっしゃると思う。

 そこで今日は、現実的な話題にさせていただく。

 連日、日本国内だけでなく、朝鮮半島、中国の話題に加え、フランスの民衆運動、トランプ大統領の動きなどをざっと俯瞰しただけでも、かなり緊迫したものを感じる。単純な軍事衝突だけでなく、工作活動の一環としての破壊活動や無差別テロ、大規模な経済破綻など素人判断ながら、懸念材料は多い。

 これまでに何度も申し上げているが、社会の対立構造や非難の応酬に気を取られていると、思いもよらない非常事態が、ある日突然現実のものとなる可能性が高い。平常時には当たり前だった機能が、ある日突然停止してしまう。

 いつ、どこで、何が起きるかを予測するのは困難だ。なぜなら、悪事はいつでも、人の予想を裏切り、目に煮えないところで密かに実行に移されるからだ。

 しかし何が起きても、一定量の食糧と飲料水、それに燃料、携帯端末、予備電源があると心強い。手っ取り早いのは、缶詰、瓶詰め、乾燥食品とペットボトルの飲料水を購入して保存すれば、それなりの期間を他者に依存せず、生きることができる。

 今日ご紹介するのは、コンフィというフランス料理独特の、保存食の作り方だ。以下は、何年も前にWikipediaで見つけ、保存しておいた情報の一部だ。少々長文だが、参考にされて普段から食糧の貯蔵に対する関心を高めていただき、保存食の貯蔵を実行されてはいかがだろうか。

【Wikipediaから転載・編集】
1.コンフィ
 コンフィ(フランス語:confit)はフランス料理の調理法であり、各種の食材を風味をよくし、なおかつ保存性を上げることのできる物質に浸して調理した食品の総称である。主に南西フランスで用いられる。コンフィにする食材は肉と果物であることが多く、肉の場合は油脂を、果物の場合は砂糖を用いて調理するのが通例である。密閉して冷所に保管すれば、コンフィは数ヶ月の保存に耐え、さらに繰り返し再加熱することにより保存期間を延長することができる。コンフィは食物を保存するための最も古い方法の1つで、類似の調理法はヨーロッパの他地域や中東、北米でも見られる。

2.語源

 この言葉は、フランス語の動詞「コンフィル」("confire"、「保存する」)を語源とする。「コンフィル」はラテン語で「行う、生産する、作る、準備をする」ことを意味する「コンフィケーレ」("conficere")が語源である。フランス語の動詞としてのこの語は、中世に果物を砂糖の中で調理保存したものに対して使われ始めた。

3.肉のコンフィ

 食肉をコンフィに加工する場合、油脂に素材を浸し、揚げ物にするよりも低い温度でゆっくりと加熱して調理する。
 ガチョウのコンフィ(コンフィ・ドワ、confit d'oie)およびアヒルのコンフィ(コンフィ・ド・カナール、confit de canard)は、通常これらの鳥の脚で作る。肉に塩とハーブをまぶして油脂の中で低温で加熱した後、そのまま冷やして凝固した油脂の中で保存する。七面鳥や豚肉でも同様である。肉のコンフィは南西フランス(ツールーズ、ドルドーニュ県など)の料理で、カスレなどと共に供される。現在ではコンフィは贅沢な料理と考えられているが、元々は冷凍技術のない時代に肉を保存する手段として始められた。

4.歴史

 伝統的な肉のコンフィには、ガチョウやアヒルのような水鳥と豚肉の両方がある。アヒルの砂嚢(砂肝)も一般にコンフィとして調理され、様々なコンフィがフランス南部の至る所で作られている。
 伝統的に肉の保存にコンフィが用いられてきた「コンフィ文化圏」は、オクシタニアの域内にある。この地域では伝統的にガチョウの脂肪を調理に使用してきた。これは、おなじオクシタニアに位置する地域でもオリーブが豊富で安価であったプロバンスでオリーブ・オイルが調理に使われてきたのと対照的である。ガチョウ脂肪文化圏であるラングドック地方では、ガチョウを肥育してフォアグラを生産するのが盛んで、そのときに得られる脂肪を多量に含んだ肉の部分をコンフィにして保存食として活用してきた。
 コンフィ文化圏は何の肉をコンフィに用いるかによって2つに大別される。
  1. ガチョウのコンフィは、ベアルン地方、バスク地方で伝統料理のカスレおよびガルビュールと共に供される。 一方、アヒルのコンフィはサントンジュ地方やブラントーム地方でしばしばジャガイモやセイヨウショウロと共に供される。
  2. 水鳥以外の肉でもしばしばコンフィが作られるが、古典的には真のコンフィとはされていない。フランス語では、コンフィを「アヒルのコンフィ」(「confit de canard」)あるいは「ガチョウのコンフィ」(「confit de oie」)に限定しており、他の肉をアヒルまたはガチョウの脂肪を用いてコンフィの製法で調理した料理は「コンフィの中で」を意味する「アン・コンフィ」("en confit")を付して表現する。例えば、ガチョウ脂肪の中で料理された鶏は「プーレ・アン・コンフィ」("poulet en confit"と呼ばれる)。

5.果物のコンフィ

 果物のコンフィ(フリュイ・コンフィ、"fruits confits")は、果物をまるごと、または切ってから砂糖漬けにした後、砂糖の中で保存したものである。果物の芯まで砂糖をしみこませなければならないため、大きな果物ほどコンフィに長い時間を要する。したがって、サクランボのような小果実は丸ごとコンフィにされるが、メロンなどの大きな果物が丸ごとコンフィにされることは珍しく、大きな果物のコンフィは高価である。
 サクランボなど小さな果物のコンフィは、伝統的に豪奢なケーキの装飾物として使用されている。フランス語の表現「ラ・セリーズ・シュル・ル・ガトー」(la cerise sur le gâteau、「ケーキの上のサクランボ」)は「あると望ましいが不可欠ではない補足的な仕上げ」を意味するために比喩的に使用され、英語の表現の「ジ・アイシング・オン・ザ・ケイク」(the icing on the cake、「ケーキに塗ったアイシング」)あるいは「ザ・チェリー・オン・トップ」(the cherry on top、「てっぺんのさくらんぼ」)に相当する。
 出典:Wikipedia
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by hirune-neko | 2018-12-27 00:44 | 現実的なお話し | Comments(0)

言葉だけの、何もないメリー・クリスマス

Oblivion / Astor Piazzolla
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 午前中から夕方過ぎまで、6自治体へ送る提案書と、一緒に同封する手紙の作成に追われた。提案書それぞれには自治体名が14カ所記載されているので、1冊ずつ、一括変換で書式を整えた。かなり煩雑な作業なので、間違えないよう集中力を維持するよう努めた。

 提案書はA4で12ページなので、A3用紙見開きで裏表に印刷し、ホッチキスで綴じて小冊子に仕上げる。実に原始的な作業である。集荷に来た郵便局の方を少しお待たせしたが、なんとか発送することができて、ほっとしている。

 作業を終えたら、メールアカウントのひとつに、知人からクリスマスカードが電子版で届いているのに気づいた。近況報告だと添え書きがしてあったので、開いてみたら、集合写真とメッセージだった。お子さんとお孫さんが全員集合したようで、数えてみたら、なんと30人以上だった。さすがに壮観である。すぐにお礼のメールを返信した。「私には、とても全員の名前を憶える自信がありません」と付け加えた。

 メールの文章を考えながら、脳裏にある女性のことが思い浮かんだ。

 結婚して、ご主人は40代で他界した。一人いるお子さんには精神疾患があり、グループホームに住んでいる。キャリアウーマンとして仕事に励んできたが、60歳を過ぎて何年か経ち、最近リタイアしたばかりだ。

 仕事に追われる毎日から逃れたものの、今は自分自身の人生と向き合っているだろう。

 誰でも、夢と希望に満ちて結婚し、相手に人生を託すだろう。その相手が若くして他界したときの欠落感を想像してみたが、所詮は現実感の伴わない、観念的な塑像しかできない。

 遺された子どもを育てることに情熱を傾け、やがてはその子を頼り、支えになってほしいと願う気持ちで生きたかったと思うのだが、心の病のため自立できず、わが子の先行きを案じている。

 30数人もの子や孫に囲まれて生きる知人の姿を目にしたとき、まるでその対極でひっそりと生きているかのような人の存在が、今でもなお心に残っている。

 そのような人生を生きる人には、何が最も必要なのだろうか。手作りのクッキーとメッセージを書いたカードだろうか。いや、クリスマスの時期にだけ思い出すのではなく、せめて痛む心に寄り添えることができないだろうか。

 おそらく、人が最も必要とするものは、その人の心の中に存在するのではないだろうか。安心・信頼して心を開ける人から、いつも関心を持ってもらっている。何かあったときは最優先して親身になってくれる。本当に必要なものがあれは、自分のために、時間や労力だけでなく、場合によっては一番大切なものをも躊躇せず、犠牲にしてくれる。

 そのような人が一人でもそばにいてくれたら、どんなにか心に平安と希望を持つことができるだろうか。

 もしかしたら、私は偽善者なのかもしれない。自分の私利私欲を犠牲にしても、人が癒やされ、感動を味わい、人間不信から解放される姿を目にすることに、純粋な歓びを感じる。生きる気力を失った人が立ち上がれるよう手を添え、やがてその人が、弱り果てた人の支えになろうと努力するのを見ると、この上ない達成感を感じる。

 自分の最も大切なもの、場合によっては命さえも犠牲にする究極の愛が、キリスト教神学でいう贖罪なのだろう。世の中に、そのような生き方に倣う人が増えるなら、世界はもっと住みよい場所になるのだろうと思い巡らせている。

 今日も一日中、仕事一色の日だったが、せっかくのクリスマスなので、せめて言葉だけでも、クリスマスのメッセージとしてお贈りしたい。

 たとえ偽善者であったとしても、弱り果てた人が立ち上がるのを何度も見続けていると、やがては次第に、自らを犠牲にし使命感と達成感を感じる真の生き方に、変貌するのではないだろうか。

 人生の大切な要素のひとつは、忘れることである。過去に存在する罪悪感、後悔の念、憎しみや恨み・・・それらをすべて忘却の河に流し去り、前方にのみ視線を向けることである。

 ピアソラの作品で最も好きなのは、冒頭の曲・Oblivion(オブリヴィオン)で、その意味は「忘却」である。最近の私は、ごく希にではあるが、一過性のアルツハイマーもどきで、忘却することがあるが、まだまだ大丈夫だろうと思っている。

 改まめて神聖な気持ちで、メリー・クリスマス、である。

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by hirune-neko | 2018-12-26 02:46 | 心の中のできごと | Comments(0)

ここまで来たら、迷わずに進むことにしよう

Julia Zenko Chiquilín de Bachín
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 新しい局面を切り拓くのだから、やってみなければ結果は分からない。結局は、心に感じるままの文章で、提案書と挨拶状を作成した。明日には印刷して発送できると思う。

 歩くのは健康の基本だと言われるので、一日に6000歩のノルマを課している。ほぼ毎日達成しているのだが、連続して20分歩いた時点から、効果が出始めるとも聞いている。

 そこで、今日から歩き方を変えることにした。日中の歩行数に関係なく、連続して5000歩を歩くことに方針を変えた。1000歩が約10分なので、50分を連続して歩くことになる。即効性はないと思うが、長い目で見れば健康を維持する助けになると思うしかない。

歩きながら、ピアソラとロベルト・ゴジェネチェの協演したアルバムを聴いた。その中のチキリン・デ・バチンを選曲しようとして、結局はフリア・センコの歌を選んだ。

 記憶に間違いが無ければ、オラシオ・フェレールの作詞で、ピアソラの作曲だ。

 今日、家内との雑談で、ミュージカル、ラ・マンチャの男の1曲である「見果てぬ夢」(The Impossible Dream)の歌い方は、どのようであるべきかという話になった。オペラ風、ポップス風などを聞きくらべ、やはり、ミュージカルの歌唱法が一番しっくり来るという結論になった。

 声楽を習うのを止めて、もう何十年になるだろうか。もう声は出ないと思う。でも、歌ってみたいという気もある。ピアソラの作品では、このチキリン・デ・バチンを歌ってみたい。

 チキリンは日本語で、小僧。バチンはまあ高級なレストランの名前だそうだ。知恵遅れの小さな男の子。孤児で浮浪者のその子が、ある冬の早朝、ねぐらにしていた荷車の下で冷たくなっているのが見つかった。それを目にした町の人たちは、この子は天国に旅立った、と言い合った、という悲壮な内容の歌詞である。検索したら、故・高場将美先生が、ライナーノート用に和訳した文章が出て来たので、以下にご紹介する。

チキリン・デ・バチン
詩 オラシオ フェレール Horacio Ferrer
作曲 アストル ピアソラ Astor Piazzolla
【訳詞 高場将美】
夜ともなれば、汚れ顔
ブルージーンの小天使、
バチンの店の
テーブルでばらの花を売る。
月は肉焼きグリルの上に
輝いているが
彼の食べるのは月と、すすのパン。
まいにち悲しみの中で
彼は夜明けをいやがる、
あるクリスマスの朝彼を叩きおこすのは
裏返しの星、
東方より来たりし3匹の猫が
彼の靴をかっぱらう、
ひとつは左足、もうひとつも。

チキリン
おまえのひと束をおくれ
そうすればおれも
自分の恥を花にして売り歩こう。
3輪のばらで、おれをひっぱたいてくれ
おまえの飢えを理解できなかった
その借りが痛むように、
チキリン……

太陽が子どもたちに
お勉強用のエプロンをつけるとき
彼が習うのは
これから知らねばならないゼロの数。
そこで彼は母親を見る、
ぐるぐる廻れ、
でも見たくない。
まいにちゴミ箱で
パンひとかけらとスパゲティ1本で
飛んで行くために凧をつくる、
でもここに残りつづける。
彼は不思議な人間、
4歳の子ども、
からだの中で紐がこんがらかっている。

チキリン……
デ・バチン……


 人には、実にいろいろな人生があるものだ。

 私は歩きながら、孤独に耐える精神力を養い、集中力を維持する自己訓練をしてると感じることがある。未知の空間への飛翔である。

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by hirune-neko | 2018-12-25 01:13 | 心の中のできごと | Comments(0)

今年も残すところ、1週間になってしまった

Astor Piazzolla - Oblivion
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 かろうじて、曜日の感覚はしっかりとあるのだが、日にちに対する感覚は薄れてしまっている。気がつけば今年も残り1週間ほどになってしまった。

 速い1年だったとか、感傷に浸っている余裕は無い。未来がずっと、このままの延長線上に続いているとは思えないからだ。ここ数年、ずっと隠匿されていた暗部での動きが、急激に露見してきていると感じる人は多いと思う。

 思い出す聖書の言葉がある。

 「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。」(マタイ10・26)

 インターネット上で発信されている情報の断片をつなぎ合わせると、どうやらある種の勢力が終焉を迎えつつあるように感じる。長年に渡って、世界支配を目論んできた勢力が存在するようだが、人に知られることなく、彼等の悪行は秘匿されてきた。支配下にある新聞は記事にせず、テレビやラジオも決して報じなかった。実に見事な連携プレーである。

 しかし、そんな彼等にも誤算があった。マスメディアよりも、断然速いスピードで、しかも広範囲に情報を発信し、さらには買収による支配力が及ばないという、まことに厄介な媒体・・・インターネットの出現と発達である。もしインターネットが存在しなければ、世界支配を目論む勢力の野望は、ほとんど達成されていたのではないだろうか。

 世界支配?一体誰がそんなことを目論んでいるのか?と、訝しく思う人も多かっただろう。しかし、今日ではその実態に気づいている人の方が増えているようだ。

 世界支配に関するキーワードをネット上から拾って並べるなら、ディープステート=テックジャイアンツ=世界秩序(New World Order、略称:NWO)=ファーウェイ=人民解放軍=中国共産党政府となり、長年に渡り、決して一般人の視野には入ることがなかった、ある種特殊なネットワークだろう。

 妄想だとか、陰謀論だとか言って否定する人も存在するだろう。しかし、それは苦しい強弁なのではないだろうか。

 かなり以前、アメリカ・トランプ大統領が、FBIの頭越しにペンタゴンに命じ、国家反逆罪のの容疑で大量の逮捕者を出し、軍事裁判にかける動きに出ているという情報を紹介した。アメリカの動画からだが、そのまま鵜呑みにすれば、対象はオバマ前大統領、クリントン夫妻、元CIA長官、さらには巨大IT企業・通称テックジャイアンツである。

 日本政府もその動きに呼応するようになり、巨大IT企業に対して制限をかけると言い出している。テックジャイアンツのことである。また、数日前に目にした情報では、パパ・ブッシュ元大統領の死は、自殺などではなく、軍事裁判にかけられた後、病院で薬殺されたという。

 日本国内でも、日本の実効支配、政権転覆の動きが常態化している。勿論、いろいろま政治理念の政党・政治家が存在する以上、激論が戦わされるのは当然だと思う。しかし、問題なのは、外国政府やその情報機関と通底し、日本の実効支配や国家転覆を目論んでいるとしたら、それはまさにスパイによる工作・諜報・テロ・破壊活動となる。

 昨日、実に約6週間ぶりに余命ブログが更新された。余命初代当初から、かなり秘匿情報の開示を継続してきたが、どうやら今は、テロ関連法案の絡みで、アメリカなど国際協調機関に対して、日本の司法界を含み、テロリスト情報を提供しているように読み取れる。国際的にテロロストと認定されると、海外への渡航制限、資産凍結などの扱いを受けるようなので、まさに余命ならではの高等戦術だと感心した。

 さて、旧約時代からずっと、国家間の争いや部族抗争を目の当たりにしてきた私としては。こうして長年お世話になっている日本、そして善き隣人である日本人の皆さんに対し、ふたつだけ提案させていただこうと考えている。

 そのひとつは、信頼できそうな情報源を、できるだけ多く確保することだ、外国政府やその情報機関の支配を受け、偏向した報道をするマスメディアは、賢明に遮断することだ。

 もうひとつは、流通ネットワークが破綻し、地元のスーパーやコンビニ・商店などで買い物ができなくなる状況を想定して、冷静に考えてみることだ。自宅内に食糧や飲料水、医薬品、燃料、非常用電源、日用雑貨品などをできるだけ備蓄するすることだ。

 対立構造の渦中に身を置き、非難の応酬に加わるのは自由だ。同じ考えの人たちと、同じ考えを共有して反対勢力を罵倒し、溜飲を下げるのも自由だ。気持ちは良く理解できる。

 しかし、そのようなこと以上に重要なのは、まずはご自分自身とご家族、さらには親しい友人の皆さんと連絡を取り合い、協力し合って来たるべき難局を乗り越えることを最優先すべきだと確信している。繰り返しになるが、アメリカの資産家の資産運用アドバーだった、ハワード・J・ラフが、その著「破局に備える」の最後で述べていたように、1年分の必要物資の備蓄は、全ての資産にまさる・・・と私も思っているし、お勧めしたい。
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by hirune-neko | 2018-12-24 02:24 | インテリジェンス | Comments(0)

ひとことだけのご挨拶

Astor Piazzolla - La Felure
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 何時から始めたか記憶にないが、午前中から始めたので、すでに16時間は経っている。おかげで、なんとか自治体に郵送できる提案書が出来上がった。ひととおり作ってはいたのだが、何かひとつ物足りないという感じがあり、それが何であるあを、ここ数日考えていた。

 今日、心に思い浮かんだのは、弊社の名入り絵本を採用してくれたら、読書活動を支援するための、自治体独自のサイトをプレゼントする、という部分をもっと強調することだった。念のため、北海道の書店主兼市議の同窓生に電話し、意見を求めた。その結果、やりようがあると判断したので、急遽、提案書の1ページを割いて、サイトの説明を追加した。
 
 提携する書店や自治体に提供する、読書活動応援サイトのバナーは、すでに試作してもらっている。以下が、そのバナーである。
c0115242_02423165.jpg
 そんなこんなで、なんとかできたのだが、トラブルもあった。基本文書では、●●●●●と記述し、自治体の名前に一括変換できるように作ったつもりだったのだが、どうやってもできない。途中の試験ではなんとかうまく行っていたのだが、最終手段で、とうとうひとつずつ変換して作成した。

 現在、提案書をお待ちいただいている市町村は、全国で7カ所ある。それ以外に、電話アポを取って訪問する予定なのは、川崎市の7区役所である。来年からは、どんどんコンタクト先を増やすので、どうしても一括変換機能を使わないと、作業量と正確さに問題が生じてしまう。

 提案書はかなり理屈っぽいものになった。しかし、私自身の理念は語り尽くせたので、結果がどうであれ満足している。この商品の営業には、情熱が必要だと思っている。相手が考えもしなかった内容を指摘し、説得する必要がある。

 相手が役所なので、そう簡単には行かないと思うが、どんな営業だって簡単なものはないだろうと思う。あくまでも大義名分を前面に出し、正面突破の覚悟である。

 さて、いくらなんでも、もう寝なくては。・・・まだまだ言い足りないが、明日に支障が出るので、今晩はこれにて失礼させていただく。

 気分が高揚したせいか、久しぶりにピアソラの曲がしっくりきている、いいことだ。

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by hirune-neko | 2018-12-23 02:44 | 心の中のできごと | Comments(0)

私は誰?ここはどこ?というほど深刻ではないが、愕然とした

Estate-Joao Gilberto
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 商店街の少し外れにある郵便局は、いつも混雑している。順番になったので、シール式の62円切手で、子ども向けのキャラクターのがあるかどうか確認をお願いした。クマモンのを選び、100枚購入して外に出た。客待ちの列は、入口まで続いていた。

 外に出ると、小型犬がけたたましく吠えていた。主人待ちで、待ちきれず、声を上げているような感じだった。「おいおい、寂しいの?」と声をかけたが、一瞥もせず吠え続けた。少し顔を近づけて、仲良くなろうと何度か声をかけたが、無視されてしまった。

 そこに丁度、飼い主が郵便局から出て来て、ワンちゃんに声をかけた。私が「元気いいですめね」というと、「すいません」と詫びた。

 歩きながら、郵便局が閉まる前に、無事に切手を買うことができた、と会社に報告の電話を入れようとした。そこで突然、記憶障害が発生した。会社の電話番号の、下4桁は思い出せたのだが、最初の3桁が思い出せない。822?928?頭がすっかり混線してしまった。

 仕方がないので、発信履歴の中から探し出し、なんとか電話することができた。

 あれは一体、なんだったのだろうか。何種類もの長いパスワードはほとんど暗記しているというのに、会社や自宅の電話番号を思い出そうとしても、最初の3桁がどうおしても思い出せない。とうとうアルツハイマーなのだろうか、と、しばし愕然としてしまった。

 赤ちゃんの名入り絵本を、全国の自治体に提案しようとしている。12ページの提案書はほぼ出来上がり、細かい部分の修正チェックに入っている。それと、同封する手紙の文面を考え始めている。提案書のページはA4サイズなのだが、PDF化することでA3の用紙に見開きで両面印刷し、中綴じの冊子にすることができる。adobeのソフトに、その機能があることが分かり、とても重宝している。以前は帖合いといって、面付けのために全体をバラバラにして、ページ順番を変える必要があった。便利になったものである。

 コート紙でインクジェット対応のものがあれば、きれいで体裁のいい冊子になるのだが、とうとう見つけられなかった。そこで、上質紙の90キロという、少し厚手の紙を選び、全判からA3サイズに断裁してもらったのが、今日配達されて来た。

 自治体で、資料をお待ちいただいているところが数カ所ある。お詫びの電話を入れ、近日中に発送できる旨を伝えた。その中のひとつは、青森県の八戸市だった。電話をすると、担当の方は女性だった。ひととおり用件を伝え終わった後、少しだけ雑談に付き合ってもらった。

 「八戸には伊吉書院という本屋さんがありますか?」
 「ええ、ありますよ」
 「そうですか。いえ、もう何十年も前のことですが、デーリー東北主催で読書感想文コンクールをされていましたが・・・」
 「ええ、今でもしていますよ」
 「そうですか。当時、講談社、学研と私どもが一緒に参加させていただいてたんですよ」
 「懐かしいですね」
 「そんなわけで、八戸には何度もお邪魔しました。ご縁がありますね」

 短い会話だったが、当時の伊吉書院の社長さんは、今も健在だろうか。ちょっと気になって検索してみた。現状は把握できなかったが、とんでもない老舗書店であることが分かった。サイトには、以下のように書かれていた。

(以下、伊吉書院のサイトから転記)
1885年(明治18年) 伊藤吉太郎が書肆伊吉商店を創業(書肆(しょし)=本屋)当時、伊藤氏は私財で小学校へ書籍の寄付や巡回文庫を創設した。

 ・・・なんと、創業は明治18年だというから、今年で133年目と言うことになる。創業者は、志の高い書店主だったことが窺える。

 わが社は創業後、まだ日の浅い出版社だったので、結果的に大量の出版点数を抱える講談社、学研とは互角に商品供給ができず、その後、脱落してしまった。今にして思えば、当然だと思う。

 そんなあれこれの旧い時代の接点が、もしかしたら今になって生きてくるのかどうか、興味深い。

 将棋で言えば、序盤の形作りの段階ではあるが、しっかりと先を読んで手を進めていきたいと思っている。

 今日は、電話番号の一部を思い出せないという程度だったが、次回の将棋対局中に駒の動かし方が分からなくなったら、それこそ深刻な症状だろうと思う。その意味で、ほぼ週に1度の将棋対局は、自分の思考力を測定するいい機会でもあると思う。

 どうやら、まだ文章は書けるようだし、電話番号は鮮明に思い出せるので、一過性の症状だったのだろうと、あまり深刻に考えないようにしようと思う。今日もまた、頭はボサノバ状態である。

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by hirune-neko | 2018-12-22 00:57 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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