昼寝ネコの雑記帳

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愚か者につける薬はないものだろうか・・・愚痴である

Bill Evans Trio - Young And Foolish

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 遅延案件がなかなか消化できないのに、相変わらず新規案件が増え続けている。

 思い切って減らしたい衝動を感じるが、ずるずると来てしまった。案件数が明らかに、処理能力を超えてしまっている。こんなときの選択肢は二つしかないと思う。断れる案件を選んで絶対量を減らす。もう一つは、いろいろ工夫して処理スピードを上げる。
 
 そのどちらも私にとっては、決して簡単な選択ではない。もうこうなると、処理能力の限界を超えてもなお案件を増やし続けているような、愚か者につける薬を探すしかないのではないだろうか。・・・とはいうものの、そんな薬が市販されているはずがない。

 さて、どうしようか。退却の道を選ぶか、それとも、あくまでも攻撃的に考え、戦略を練り直すか。私の気質には、どうやら後者の方がしっくり来るようだ。現に、もう何十年もの期間を、そのように乗り切ってきた。

 人間が一人でできることには、限界がある。しかし、努力と工夫によって、その限界点を押し上げることができる。冷静に考えてみると、データ処理や情報収集、営業展開などを、何人もの人たちにお願いして手伝ってもらい始めている。

 チームを作って推進するには、別の意味でのノウハウが必要だと思う。協力をお願いするにあたり、それぞれの方が一定水準以上の専門能力を持っていることは必要条件だ。しかし、それ以上に重視しているのは、やはり人間としての信頼性だと思う。

 今日目にした記事で、Facebookの創設者であるザッカーバーグが、CEOとして健在であることを知った。そのFacebookが、ロシアそして中国との親密さを増していると受け取れる記事を読んだ。

 もう何年も前のことだが、気になる記事を目にした。Facebookの副社長二人が、・・・正式名称は自信がないが・・・アメリカ政府の国家安全保障局の局長だった人物だと、確かそのような内容だった。一般的には、家族や友人・知人同士の交流ツールとして使われているが、要注意だなと思って注視している。

 個人情報だけでなく、交流している人的ネットワークを把握され、悪用される危険性は高まっていると思っている。なりすましによる犯罪事件が発生してもおかしくない。いつでもFacebookアカウントを削除できるようにしておこうとも考えている。

 これでも、いつもと較べると数時間早いブログ更新である。身体を鍛え、早朝時間を有効に使うことも視野に入れているのだが、ついつい夜遅くまで作業をしてしまう。どこかで切り替えなければ・・・建設的に考えることにしたい。


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by hirune-neko | 2018-06-30 23:07 | 心の中のできごと | Comments(0)

月末の作業を終え、月越しの祭りを祝っている

Bill Evans Trio - Lucky to be me

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 すっかり消耗してしまった。それでも、久しぶりに8千歩を歩いてきた。8千歩といっても、一気にではなく、今日一日の累計である。歩かない日が続くと、じわじわと健康が蝕まれるように感じるので、なんとか継続したい習慣だ。

 少し前にも触れたが、韓国政府が年内にも在日韓国人の皆さんを、強制送還するような表現の記事を目にした。確かに、もう数年前から、余命ブログでそのような記事を、何度も目にしている。

 知人の一人が、祖父が朝鮮半島から渡日し、帰化したと私に告げた。奥さんと小さな女の子がいて、じきにもう一人生まれるようだ。有事を想定した日韓両国の動きを、心配そうに注視している。

 40年以上前から知り合いの男性は、父親が韓国人で母親が日本人だ。日本では韓国名で暮らしている。久しぶりに連絡をとったら、転倒して小腸が破裂し、大手術の後はICUで地獄のような日々を送った、という返事が来た。退院してリハビリ中だというので、食料品を送ると申し出たが、イトーヨーカドーにネット注文すれば、自宅まで届けてくれるそうだ。

 入院・手術したという病院名が書かれていた。三男が研修医として勤めている病院だった。その三男がまだ子どもの頃を、彼は知っている。いつか病院で訪ねて行き、声をかけるかもしれないとうので、三男に電話して状況を説明した。会うことがあったら優しく接してくれよ、というと、喜んで、という返事が返ってきた。

 韓国政府の強制送還の対象を知りたくて調べているが、まだ実態は把握できていない。どうやら韓国の兵役法が根拠になるようで、徴兵義務を忌避している在日韓国人の人たちを対象にしていると読み取れる。しからば、日本に帰化し、日本国籍を取得している場合はどうなるのだろうか。確証はないが、いろいろな情報を総合するなら、どうやら日韓両政府の出方によっては、帰化取り消しで強制送還という可能性もありそうだ。つまり、まずは韓国政府が日韓の二重国籍を認める。しかし日本政府は二重国籍を認めない方針のため、日本国籍を取り消すというような表現も目にした。

 では、特別永住権を持つ人たちはどうなるのだろうか。このケースも確証はないものの、韓国サイドで住民登録を行い、難民という法的根拠を抹消することで、日本政府が特別永住権を更新しない、という流れがありそうだ。

 いずれにしても、数年前に余命ブログで記述されていた内容が、次第に現実化しているように思う。当時、安倍総理が韓国にエサを投げたら食いついてきた、というような表現をしていたと思う。一連の外国人登録法改正からマイナンバーに至るプロセスは、韓国政府の強制送還・兵役義務・資産没収という基本戦略に、見事に歩調を合わせているかのようだ。すでに、兵務庁管理の収容所が、橋を渡るしかない地理的条件の場所にできあがっている、と書かれていたのは何年も前だったと思う。在日韓国人の人たちを、韓国政府は棄民扱いしている、という表現もあった。いずれも余命ブログの記事である。自国民に対し、残酷な話ではないだろうか。

 私の知人である、何人もの善良な在日や、帰化した人たちの行く末を考えると、正直いって心が痛む。

 私は現在、日韓有事の際の法的環境を中心に、日本人の安全のために必要と思われる情報を、協力者の助けを得て構築中である。その一環として、韓国系の知人達にもできる限りの実体情報を提供し、どのような対応をすべきかの参考にしてもらいたいと思っている。これは、国籍や民族の違いを超えた、友人としての純粋な気持ちからくる行為である。

 逆の立場になって考えてみるなら・・・ある日突然、自国政府からの裏切りのような要請により、日本の警察がやってきて、日本からの退去を求められたなら、どのように感じるだろうか。まだ幼い子どもたちを抱えて、未来にどのような希望を描けるというのだろうか。

 日本サイドから考察するなら、政府は日本の国家安全が根底からの危殆に瀕していることを把握し、その根本原因が徐々に開示された結果として、いい意味で巧妙な防御戦略を実行したのだろうと・・・あくまでも個人的な推測だが、そのように考えている。

 日本の政治家が中心となり、マスメディアなどと結託して、外国政府・機関からの工作活動に加担しているのが事実とすれば、これは明らかな国家反逆罪、外患罪だと断定されても、当然ではないだろうか。そのような謀略の陰で、善良な人々に悪夢が忍び寄っていると思うだけで、後悔のないよう、できる範囲での助言をさせていただこうという気持ちが募っている。


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by hirune-neko | 2018-06-30 01:11 | インテリジェンス | Comments(0)

珍しく、アズナヴールを聴きたくなった

Mon emouvant amour 1996

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 なんとか一段落するところまできた。すでに午前0時を回っている。

 レオ・フェレの歌を聴こうと思い、数十曲を試聴したが、これと思う曲に出会えなかった。そこで、アズナヴールを聴こうと思った。「帰り来ぬ青春」がいいかな、と思いながらYouTube動画を閲覧した。そのとき、目に留まったのが「Mon emouvant amou」だった。邦題は確か「声のない恋」と訳されていたと思う。耳が不自由なのは男性だったか女性だったか、あるいは両方だったか記憶にないが、悲しい結末を迎える内容だったと思う。

 ライザ・ミネリとのデュオのステージがある。あくまでも個人的な好みだが、ライザ・ミネリには確かに存在感がある。しかし、その存在感の故に、声のないもどかしい対話を重ねる繊細な葛藤を感じられない。それと何よりも致命的だと思うのは、アズナヴールがフランス語で切々と歌うのに対し、ライザ・ミネリは英語で堂々と歌うのである。フランス語と英語のちゃんぽんには、どうしても違和感を感じてしまう。

 一方、アズナヴールがお嬢さんとデュオで歌ったステージがある。冒頭の動画である。個人的にはこちらの方を好んでいる。繊細さ、哀愁、清楚さを感じる。
 歌った後、二人並んで挨拶をするのだが、お嬢さんの背丈がアズナブールよりずっと高い。

 この歌を初めて聴いたのは、渋谷から宮益坂を登り切った辺りにあった、シャンソニエ「青い部屋」だった。家内の知人夫婦は声楽家で、奥様がその「青い部屋」で歌うことになり、聴きに行った。ステージの最後に、オーナーの戸川昌子さんが歌ったのが、このMon emouvant amou・声のない恋だった。
 歌詞の概要を説明し、手話を使いながら歌ったように記憶している。心にしみる歌だった。

 もしやと思って日本語歌詞を調べたら、「朝倉ノニーの<歌物語>」というブログで対訳が紹介されていた。以前もお邪魔した記憶がある。アマチュアがフランス語で歌うことを勧めているようだ。そこでは、この曲を以下のように紹介している。

(朝倉ノニーの<歌物語>から転載開始)
 シャルル・アズナヴールCharles Aznavourの「声のない恋Mon émouvant amour」は、アルバムLive Olympia 80、そして1981年のアルバム「自叙伝Autobiographie」に収録されています。原題を直訳すると「僕の感動的な恋」ですが、言葉を話せない恋人との恋を歌った曲ということで「声のない恋」という邦題がつけられています。途中から加わるダニエル・リカーリDanielle Licariの美しい歌声が、アズナヴールらしい情念をたたえた曲調を一層盛り上げています。
(朝倉ノニーの<歌物語>から転載終了)

 対訳の全文をご覧になりたい方は、是非、訪問していただきたい。また、フランス語で歌ってみたいという方は、ブログ主の朝倉ノニーさんが「原語で歌う会・アミカル・ド・シャンソンを運営しています」、と書かれているので、門を叩いてみられてはいかがだろうか。


・・・実は数十年も前、銀座にあった日高なみさんの「マ・ヴィー」というシャンソニエに時々行っていた。ちょうどパリ祭りの日で、特別にお客さんが歌うことを許された。身の程知らずの私は、喜び勇んでアズナヴールの持ち歌である「ラ・ボエーム」を原語のフランス語で歌った。ピアノの伴奏でである。

 歌い終わり、日高さんからどのように絶賛されるかと期待したが、たった一言、「中国語で歌っているのかと思いました」といわれて、一気に体温が下がったように感じたのを、今になっても憶えている。

 すぐ近くに、「蛙たち」という店名のシャンソニエがあった。店主の甥と友だち同士だったので、一緒に行き、その叔父さんに紹介されてから、何度か通うようになった。シャンソンといってもアズナヴールしか聴いていなかったので、勉強になった。

 当時の私は何歳だっただろうか。いずれのシャンソニエも、数十年経った今は現存するのかどうかすら分からない。私にとっては、緊迫した国際情勢からも、現実生活の厳しさとも無縁の、実に呑気でのどかな「大人なっても相変わらず青春時代」の時期だったように思う。

 今頃になって、どうやらそのツケが回ってきたようで、国内外の緊迫した情勢と対峙し、何かをしなくては、という強迫観念に捕われている。シャンソンを原語で歌うどころではない・・・今日は木曜日の繁忙な日だったし、明日は月末なので振り込みの準備が待ち受けている。

 ああそれなのにそれなのに、何十年も前のほろ苦い思い出に浸りきり、こうして尽きることなく昔の懐古を文章にしている。当時も今も変わらず、年齢不相応な青春気質が、まだまだ脳内にこびりついているようだ。

 こんな調子で、これからも時々、もう時効となった過去の「悪事」を告白するようになるのだろうか。ちょっと脳内回路に異常を来しつつあるのかもしれない。文章を書き始めると、際限のない過去が堰を切ったように流れてくるのを感じる。


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by hirune-neko | 2018-06-29 01:57 | 心の中のできごと | Comments(0)

珍しく、バルバラを聴きたくなった

Barbara - Dis, quand reviendras-tu ?

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 なんとか、MacBook Proに設定していたメールアカウントを、全削除することができた。一歩一歩、周辺の機器環境を整備している。

 少しずつだが、視界が開け焦点も定まってきた。サイト制作ソフトの更新を待たずに、産婦人科向けの提案書の骨子をまとめた。

 まずは、開業10年ちょっとで、すでに1万2千冊の絵本を、出産されたご家庭にプレゼントしてくれている、ある産婦人科の院長夫人に連絡し、概要をメールで送った。環境が100%整うのを待っていたのでは、いつになるか分からないし、自分を追いつめた方がいいと判断したからだ。

 いわば、賽は投げられたことになる。これから順次、絵本を採用してくれている産婦人科の院長に、面会申し込みをする予定だ。

 ハードルがいくつもあるため、気力と集中力を維持するだけでも、かなり骨が折れる。

 提案書の文章を校正しながら、あるイメージが浮かんだ。仕事に対する自分の姿勢を客観的に見ると、「この世」に受けるためでなく、ほとんど「あの世」に受けるような意識になっているようだ。「あの世」とは、文字通りの死後の世界という意味ではなく、いわば「形而上学的な世界」からの指令に従っているような感じだ。

 大企業と較べると、おそらくだが、自分一人で受け持っている守備範囲と攻撃範囲は、かなり面積が広いのではないだろうか。必然的に、いくつもの機器とアプリケーションを、それなりに使いこなさなければならない。それでなくても、時々固有名詞が出てこない頭脳になっているのに、まだまだ新たな知識を詰め込まなくてはならない。年齢を考えると、ちょっと過酷に感じる。明らかに脳を酷使していると思う。

 今日は、珍しくバルバラの歌を聴きたくなった。今から20数年前になるだろうか。パリ郊外の、デフォンスと呼ばれる街のアパート(アパルトマンか)に住む、新婚夫婦の部屋に転がり込み、一ヶ月ほど同居した。共通の友人である、日本人夫婦の紹介があったので、すんなりと受け入れてくれた。

 奥さんはブルターニュの出身で、女の子を出産したばかりだった。ご主人は、ミクロネシアのフランス領のある島の王様の長男で、いわゆる王子様だった。最初はジョークだと思って聞いていたのだが、本当だった。

 その王子様は、運転免許証を失効したまま更新していなかったので、私が運転手を務めた。今にして思えば、まるでアズナヴールの歌うような、無謀で愚かでのどかな青春時代だった。王子様を呼び捨てにしてこき使ったのだから、島の人たちから見れば、私は不敬罪に問われてしかるべきだったのではないだろうか。もしかしたら、今頃は王位を継承しているかもしれない。いつか、観光旅行で行ってみたいものだ。しかし、国賓扱いしてくれるか、あるいは空港に警察が待ち構え、かつての不敬罪で逮捕されるか、皆目想像がつかない。

 セーヌ川に架かる橋・ポン・ヌフ、モンマルトルの丘とサクレクール寺院、ブローニュの森、ファミリーレストランのヒポポタマス(だったかな?)、街中のどこに視線を向けても、すべてが芸術的な作品に溢れていた。フランス人の拘りを感じた。それ以上に、フラン人は相手の肩書きで評価せず、文字通り相手の人格・識見を見て評価する気質であるらしいことを感じ、嬉しく感じた。

 残された人生で、果たして、再びパリを訪れる機会があるだろうか。絶対にないとは断言できないし、かといって絶対あるとも断定できない。すべては時の流れに身を任せ、なるようになる、の心境である。Avec le tempsなのだろう。


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by hirune-neko | 2018-06-27 23:34 | 心の中のできごと | Comments(0)

24時間経過したが、約5万通のメールが削除できない

Change Partners - Pascale Lavoie

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 とうとう根負けで、白旗を揚げることにした。降参である。

 昨晩、MacBook Proの電源を切らず、一晩中メールの削除をしてもらった。朝、ゴミ箱をチェックしたら、3万8千通ほどのメールが溜まっていた。朝からゴミ箱を空にする作業をしているが、まだまだ終わりそうもない。結局、総計では5万通程度のメールを消去しようとしていたことになる。

 大体、1年も使用しないようなノートパソコンで、数十のメールアカウントをチェックするような設定をするなんて、最初から間違っている。ようやくそのことに気づき、メールアカウントすべてを削除する方針に切り替えた。メールチェックなら、iPhoneとiPadに全アカウントを設定した方が、スムーズな作業になるのは間違いない。

 方針を変更したので、メール環境設定から、アカウント削除にとりかかった。するとまた、駄々をこねるように、カラフルな風車がグルグル回るだけで、一向に動く気配がない。久しぶりの悪戦苦闘である。

 そんな気の重い作業の最中に、電話が入った。なんでも、ちょっとレアケースの事件があり、その記事を知らせる電話だった。サイトで開くと、かなり長い記事だったが、ざっと通読した。古い知人のお嬢さんが書いた記事だったが、ことの発端は30数年以上も前に遡る。ため息が出るような時代環境だった。当時のことを思い出してしまった。

 勿論、詳細を書くことはできないが、改めて、人生の深淵、生きることの難しさを感じてしまった。

 同調圧力、という言葉を目にすることが多くなった。日本人社会には、確かにある種の同調圧力が存在するように思う。暗黙のうちに周りに配慮し、同調しようとする気質だ。その方が、丸く収まるためなのだろう。

 私は日本で生まれ、日本で育った。しかし、20歳代の後半から、かなり頻繁に海外を訪れるようになった。最初はほとんどアメリカだった。すぐに悟ったのは、自分の視点と意見を明確にする必要がある、という単純なことだった。周りに配慮し、自説を引っ込めて適当に合わせていればなんとかなるという考えは、見事に打ち砕かれてしまった。

 その後は主にイギリス、フランス、ドイツに行くようになった。いずれも洋書や洋雑誌、楽譜の問屋巡りだった。ある意味では、知的な人たちとの接触が多かったように思う。

 どの国に行っても、独特の刺激があったし、行き交う人たちの表情、街の雰囲気・空気、商談における相手の応対方法や論理性が、それぞれに異なった。

 今にして思えば、Amazonの真似事のような構想だった。天下のAmazonにかなうわけがない。無謀な挑戦だったと思う。結局は、そのプロジェクトからは撤退することになった。

 成果はなかったものの、得たことがある。やはり、日本で仕事をするにも、確固とした自分の考え、構想、理念や哲学は、長い目で見たら重要な要素だと確信したことだ。それともうひとつは、抽象的な表現ではあるものの、ある種の洞察力を養うこと、つまり、論理性とは別の領域に存在する、感覚的な要素も重要だと学ぶことができた。

 事業やビジネスは、売上金額が全てではない。もしそうであれば、年商金額の多い企業が勝者となる。屁理屈をこねるようだが、時代の大きな流れに取り残されず、逆に時代を先取りし、顧客からの信頼と感謝を得るという要素は、数値や論理性で明確に説明できないが、これからの時代では不可欠で重要なものとなるだろう。

 しかし、それらに拘り続ける私自身の姿勢は、過去から受け継いだ遺産であり、私が存在しなくなったとしても、後を引き継ぐ人たちに受け継いでほしい、ある種の事業ポリシーである。

 次々と増える案件を横目で見ながら、過去の悪癖であるエンドレスの夜更かしは、なるべくしないようにしよう。そう思うだけでも、少しは進歩しているように思う。


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by hirune-neko | 2018-06-27 00:17 | 心の中のできごと | Comments(0)

やはり知能程度の高いパソコンには、感情もあることを痛感した

Chet Baker ~ Every Time We Say Goodbye

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 今日の日中の気温は、30度を超えたらしい。こんな日に限って、突然クーラーの効きが悪くなり、全員がぐったりしてしまった。

 近所の電気屋さんに電話をして相談したが、「当店でお買い上げのお客様以外は、対応できません」、とそっけなく断られてしまった。そこでやむなく、メーカーに電話して相談した。クーラーの症状を説明したところ、フィルターの掃除をしてみてくださいといわれた。それで改善する可能性もあるそうだ。

 フィルター掃除を3回繰り返したのだが、結局涼しい風は出てこなかった。

 仕事環境が変化し始めているので、遠出をしたり出張をしても、出先である程度の作業ができるよう、MacBook Proを鞄から引っ張り出した。この1年ほどは遠くへ出張する機会がなかったので、MacBook Proを使う機会がなかった。バッテリーはかろうじて放電していなかったが、残量が20%そこそこだったので、充電器に接続した。

 約1年近く放置したため、パソコンを立ち上げるとサーバーから大量のメールが流れ込んできた。メールアカウントは30近く設定しているので、ざっと見ただけでも2万通近いメールがみるみるうちに、パソコンに溜まってしまった。そこで、身軽にするために、一つ一つのアカウントのメール削除に取り掛かった。

 ところが、まるで徹底抗戦するかのように動作不良が起きてしまった。まずはマウスのMagic Mouseが全然動かない。Appleのッサポートを受けて、ようやく使えるようになったが、今度はメールの削除スピードがとんでもなく遅いことが分かった。あまりにも異常な遅さなので、たまらず再びAppleのサポートに電話して相談した。

 電話に出た男性に、過去のiPadや iMacの動作不良の経験を伝え、ずっと放置しているとすねてしまい動作不良を起こす、と話した。そこで、デバイス一つ一つに名前をつけ、電源を入れたり切ったりするときには、それぞれの名前を呼んでご機嫌を取ることにしたところ、不思議なことにそれ以降動作不良が全く起きなくなったといった。否定的で冷ややかな数秒間の沈黙だった。

 今はそのMacBook Proの名前を呼び、なだめすかしながら徐々に機能を高めてもらっている最中だ。

 しかし、今日の異常な暑さと思い通りに動かないMacBook Proとの格闘のせいで、すっかり消耗してしまった。メールの削除という単調というか、短調な作業を業延々と行ったが、次第に背中の筋がギスギスいい出した。だらしない話だが、しまいには床の上に仰向けに寝転がり、胸の上にMacBook Proを置いて、その単調な作業を続けた。右側の床の上にマウスパッドを置き、Magic Mouseを使いながらコツコツと作業を続けた。

 とりあえずは首都圏を中心にして、営業コンタクトが始まりそうだ。遠くは北海道に行く可能性もある。あるいは、何人かの方が九州に力を入れてくれそうなので、契約締結の際は九州にも飛ぶことになるだろう。どこに行ってもしなければいけない作業があるので、iPhoneとiPadだけでは不十分である。もちろんMacBook Proとて、私にとっては画面サイズが小さいので少々手間暇がかかってしまうが、何もないのに比べるとはるかに良好な環境である。特にDropboxなどのクラウドサービスを使えば、会社のスタッフとは、常時情報共有ができるので、その意味ではとても便利な環境が備わっている。

 今日は一日中、そんな状況だったので何も考えることができず、イメージも湧かない。いつもなら最初に聴きたい音楽を選ぶのだが、今日は背中の筋の凝りもあり、iPad Proに向かって音声変換でこの文章を作成している始末だ。Evernoteで文章を作成している。ほぼ同時にiCloudで同期するので、iMacで推敲・校正を行い、いつもとは逆であるが音楽を選んでアップしたいと思う、今日は早めに寝ないと体力に自信がないので、これで失礼させていただく。

 それでなくとも国内も相当にヒートアップしてきているので、読者の皆さんも健康を損なわず、無事・健康・安全・安寧にお過ごしいただきたい。


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by hirune-neko | 2018-06-26 00:21 | 心の中のできごと | Comments(0)

夕刻のブログ記事 旧約時代と現代の比較〜ダビデとゴリアテ


OSCAR BENAVIDEZ..REMEMBRANCE : ASTOR PIAZZOLLA

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 今日、ある本に目を通していたら、旧約聖書サムエル記に出てくる、ゴリアテとダビデに関する記述が目に留まった。読みながら、向かうところ敵なしの巨人・ゴリアテが、これまでの日本の巨大なマスメディア、すなわち全国に情報を発信する新聞社、テレビ局、ラジオ局、雑誌社が合体している姿と二重写しになった。

 私が物心ついたときは北海道に住んでいたので、新聞は朝日新聞、北海道新聞、テレビ・ラジオはHBCやSTVのみしか視野に入らず、家族は皆、情報の100%をそれらから得ていた。誰かが個人的に報道内容に異を唱えて大声を上げたとしても、誰も気に留めず変人扱いされるだけだったと思う。

 日本ではメディアスクラム、アメリカではMSM(メインストリームメディア)と呼ばれるようだが、自国民の耳目を自分たちにだけ向けさせ、一切の異論や自分たちにとって都合の悪い情報を力ずくで排除する、まさに「情報の巨人・ゴリアテ」が立ちふさがり、行く手を遮ってきた。

 さて、ではゴリアテを単身で倒した若者・ダビデは、現代社会では一体誰のことを思い浮かべるだろうか。もしかしたら、ダビデとゴリアテについては名前だけで、詳細をご存知ない方もいらっしゃるかもしれない。少し長いが、以下にWikipediaに出ていた要約をご紹介する。

【Wikipedia】
(「ゴリアテ」より転載開始 文・画像とも)
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 ダビデとゴリアテの戦いは「第一サムエル記」第17章に記されている。ペリシテ軍はエフェス・ダミムに陣を敷き、イスラエル軍はエルサレムの南西にあるエラの谷英語版に陣を敷き対峙した。ペリシテ陣営からゴリアテという巨漢の戦士が現れると「勇者を一人出して一騎討ちで決着をつけようではないか。もしお前たちが勝てばペリシテはお前たちの奴隷となる。ただし俺が勝てばお前たちはペリシテの奴隷となれ」と40日間、朝と夕の2回にわたってイスラエル兵たちを辱めた。しかしイスラエル兵はゴリアテに恐れをなし、戦いを挑もうとする者はいなかった。
 羊飼いのダビデは、イスラエル軍に参加していた兄に食料を送り届けるために陣営を訪れていたが、この話を聞くと憤り、イスラエル軍を率いていたサウルにゴリアテの退治を申し出た。サウルは初めは難色を示したが、他に手段がなかったため、ダビデの出陣を許可した。サウルは自分の鎧と剣をダビデに与えたが、ダビデは「慣れていないので歩くこともできないから」とそれらを身に着けず、羊飼いの武器である杖と、投石器と、川で拾った滑らかな5個の石という軽装でゴリアテに挑んだ。
 ゴリアテは「さあ来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」と嘲ったが、ダビデは「お前は剣と槍を頼りに戦うが、私はお前がなぶったイスラエルの戦列の神、万軍のの名を頼りに戦う。戦いは剣と槍の力で決するものではないことを人々は知ることになるだろう。これはイスラエルの神の戦いである」と返答した。これを聞いたゴリアテはダビデに突進した。ダビデは袋の中から1個の石を取り出し勢いよく放つと、石はゴリアテの額に命中し、うつ伏せに倒れた。ダビデは剣を所持していなかったため、昏倒したゴリアテに近寄って剣を奪い、首をはねて止めを刺した。
 ペリシテ軍はゴリアテの予想外の敗退により総崩れとなり、イスラエル軍はダビデの勝利に歓喜の声をあげた。イスラエル軍は敗走するペリシテ軍を追って、ガテやエクロンまで追撃して勝利を収めた。この戦いによりダビデの名声は広まり、サウルの側近として仕えるようになった。
(「ゴリアテ」より転載終了)
(Wikipedia 「ゴリアテ」より転載 文・画像とも)

 
 いかがだろうか。現代のダビデとは、誰のことなのだろうか。

 かつて、スヒョン文書や花王文書が話題に上った。いかに日本のメディアが外国勢力に支配されているかを知り、愕然とした人たちが多かった。潤沢な資金や人的な浸透により、長い年月をかけて日本のメディアが巨大化し、恣意的な暴走をしてきたと指摘する人が増えた。
 
 そのメディアは今もなお健在であるが、新聞の場合は実売部数の減少、テレビは視聴者離れが顕著な傾向になっているようだ。

 ダビデの言葉を再掲する。

 「私はお前がなぶったイスラエルの戦列の神、万軍のの名を頼りに戦う。戦いは剣と槍の力で決するものではないことを人々は知ることになるだろう。」

 これを現代風に翻訳すると、

 「私はお前がたちが侮った日本人を護る神、万軍のの名を頼りに戦う。戦いは資金力と組織力のみで決するものではなく、良心と正義感によることを人々は知ることになるだろう。」

 まさしく、インターネットの出現とここ数年の利用者の増大により、決して若者ではないものの、熟練したブロガー・ダビデがそこかしこに現れ、石投げ器の代わりにブログを通して懸命の攻撃を加えている。いくつもの打撃が致命傷につながり、劣勢を悟った勢力は、なりふり構わぬ言論封殺の暴挙に出ているように見える。

 ブロガーのみならず、ブロガーたちによって開示された真実を知った多くの読者もまた、老若男女を問わず、良心と正義感を胸にダビデに変身しつつある。

 誰だったか忘れたが、旧約聖書の預言者の言葉は、現代社会の私たちに向けられた預言と警告である、とある宗教家が語っている。もしそれが事実なら、やはり神学的終焉という流れは否定することができないと思わざるを得ない。また、日本人にはその神聖な力を受ける血統につながる人が多いと感じている。


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by hirune-neko | 2018-06-24 20:17 | 心の中のできごと | Comments(7)

なんとか闘志は枯渇していないようだ

"DESPERTAR" - Astor Piazzolla

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 子ども時代は北海道で育った。真冬に猛吹雪になると、体内に闘志がみなぎったのを思い出す。外に出ようものなら、息もできないほどの猛烈な雪と風で、一歩も前に進めず、立っているのがやっとなのだが、不思議なことに怖れを感じず、戦闘意欲がかきたてられた。

 それが先天的なものなのかどうか判断はできない。子どもの頃に何か特別な訓練を受けたことはないので、おそらくは先天的な気質なのだろうと思う。

 これまで、仕事で苦境に追いつめられたことは、一度や二度ではない。思い返すと、追いつめられるほどに、かえって集中力が増し、判断力も研ぎ澄まされたようだ。まるで猛吹雪に対峙して、戦闘意欲をかき立てられた子どもの頃と、同じような心理状態だったと思う。

 今の私は・・・協力を申し出てくれている人たちも含めれば、私たちは広大な大地を見下ろす丘の上に立ち、地平線の彼方を見やりながら、そこに攻め入る作戦を練っている。そんな心境である。

 怖れを感じず、まるで幼い子どものように、目に見えない力に後押しされているという無邪気な安心感がある。仕事である以上、売り上げや利益を追求することになる。しかし、仕事に対する動機が、目先の利得や私利私欲だけに染まってしまったのでは、その、目に見えない力が後押ししてくれることはない、という確信がある。

 長い間、仕事上での辛酸を舐めてきた。乏しい経験ではあるが、次第に仕事に対する見方が変わり、最終的には、仕事といえど他者を益するという、不変の理念や哲学を持ち続けるべきだ、という結論に達した。それは信念にもなっている。この結論を待っていたかのように、機が熟して来たのではないかとすら思っている。

 最近の風潮として、簡単に金儲けができるノウハウを売り物にする人たちが増えている。しかし、時代の変遷と共に社会も人の価値観も変化し、廃れるものと、ずっと価値を維持し続けるものに二極化することを知る必要がある。

 私の妄想人格部分は、数千年を生きてきている。世の中の、様々な栄枯盛衰を見てきた。結局は、目先の金銭で自分の魂を売り渡さず、節度と真摯な心が受けられる促しを得て、永続性のある仕事に組みかえていく努力が必要だと考えるに至った。

 現実社会で行動するときでも、自分の力だけでなく、目に見えない力に後押しされるためには、それなりの原点を心の中に持ち続ける必要があると感じている。

 心に感じること、閃くこと、促されること・・・それらの目に見えない要素に対し、いつも敏感であり続けたいと思う。

 戦いを目前に控えたこんなときには、ビル・エヴァンスやシャーリー・ホーンではなく、やはりピアソラの音楽が素直に心に流れ込んで来るようだ。

 ちなみにこの曲のタイトル「DESPERTAR」は、スペイン語で「目覚める」という意味のようだ。迷いや不安の霧の中から目編め、澄み渡った青空を見渡せるように、私たちの前途も拓けてほしいものだ。


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by hirune-neko | 2018-06-24 01:06 | 心の中のできごと | Comments(0)

ついに昼寝ネコの名前でApple IDを登録した

Astor Piazzolla - Invierno Porteño

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 寝たきりで身動きできなくなってしまった母に、らくらくフォンという高齢者向けの携帯電話を買い、枕元に置いておいた。他界して2年が経過したが、今度は、半分寝たきりの義母に使用方法を説明し、枕元に置いた。しかし、誰にも電話をかける気になれないようで、そのままになっていた。

 ある方に使ってもらうため、そのらくらくフォンをiPhone7に機種変更したのだが、最終的にiPad Miniを使うことになったため、iPhone7が宙に浮いてしまった。とりあえずは嫁入り先がなくなり、誰にも使ってもらえなくなってしまったiPhone7のことが、気になり始めていた。携帯電話にまで感情移入するのか、と呆れられそうだが、実はそうなのだ。

 ちょっと無理して使い道を考えてみた。秘密任務(笑)で使用する名前を公に登録するわけにはいかない。あれこれ考えて、そうだ、昼寝ネコの名前で登録しようと思い至った。しかし、現在の昼寝ネコは、このブログを更新するブロガー、ピアソラ音の出る図書館の館長しか役職がない。いずれも、第三者と積極的に通話やメールのやりとりをするような環境ではない。

 だが待てよ、とまた考えた。秘密工作を伴うような、いわゆる秘密情報組織を作る気は毛頭ない。しかし、健全な公開情報組織を作ろうと考えて、何年も試行錯誤を重ねていることは事実だ。数は少ないものの、ときどき読者の方とメールのやりとりもしている。昼寝ネコと名乗ってはいるものの、半分以上は身バレしているし、というか物陰に隠れようという考えは持っていない。今まさに、具体的な情報組織の苗を植えつつあるのだから、ごく少ない数の皆さんと、昼寝ネコの名前で交信する機会も増える局面になってきている。

 では、いっそのこと、昼寝ネコの名前でApple IDを作ろうという考えに傾いた次第だ。そして実行した。

 クラウドサービスのiCloud DriveやDropbox、Evernoteを、公開情報組織の構築に特化して有効活用するため、iMacにも新たに昼寝ネコの名前でユーザーアカウントを設定した。あまり使っていなかった、1番古いiPadにもApple IDを登録した。これで何とか器ができた。後は、実際に有効活用するだけである。

 まだまだ試行錯誤の段階だが、個人や子育て中の家庭にとって、どのようなカテゴリーの情報が有益か考え続けている。家族としての絆を強める事は、当然だが最も大切な事だと思っている。そのためには、家族で定期的にどのような時間を過ごすか、遠い未来から振り返ったときに良き思い出が甦るよう、記録を残すことも大切だと思っている。吟味せず不用意に、農薬や化学肥料あるいは汚染された土壌、海洋からの食品を体内に取り込むことで病気にならないよう、できるだけの注意も必要だろう。

 国内外の動向にしても、目先の流動的な動きを追い、ともすれば感情的な反感から情緒的に忌避するのではなく、あくまでも冷静客観的に事態を洞察することが望ましいと思っている。目の前の事象だけを見て黒白の判断をする事は、私としてはあまりお勧めできない。本来は、歴史的な基本知識を持ち過去からの時系列の流れを理解することによって、現状をより的確に把握し洞察する。これが理想だと考えている。

 しかし、現代人は皆とても忙しい生活を送り、時間に追われている。したがって、信頼のおける情報源として受け入れていただき、情報提供できるようになることが理想だと思っている。国家元首は、軍隊を持ち外交スタッフも有し、さらには経済力もある。そのために、かなり高い機能を持った組織を周りに配置し、国家安全保障会議を必要に応じて招集することができる。

 明白なことではあるが、一般市民は軍隊も十分な予算も、情報組織も時間も持っていないのが普通だ。しかし、冷静・客観的に考えるなら、国の基本構成単位である個人や家庭が、適切な情報や助言を得て判断し、最終的には国政選挙などに棄権せず、国の将来を託せる候補者に1票を投じるならば、これはまさしくとても堅固な民間防衛機能ではないかと考えている。

 だからどうしたのだ、いったいお前ごときに何ができるのか、と質問されると正直言って返答に窮してしまう。今私にあるのは、心意気と構想である。それに加えて、こんな妄想のような構想であっても主旨に賛同し、手伝ってくれる方が出現しているので、心強く思っている。武器も兵力も持っていないが、少しでも多くの人たちに対して、より正しい情報提供というサポートを、効果的に実現する・ ・ ・それが現在、私の目指している方向である。

 会社の売り上げも伸ばさなくてはいけない。血糖値も下げなくてはいけない。戦略的な思考力を高めるため、将棋ももう少し強くなりたい。クッキーだと誤認して入浴剤にかぶりつかないよう、白内障の症状も改善しなければならない。

 そんなこんなで、四面楚歌状態の私ではあるが、共鳴してくれる人たちの理解と協力をいただくことで、何とか気力を維持することができている。有難いことだ。

 今日は、久しぶりにiPhone7の初期設定にてこずってしまった。Appleのサポートに今日1日だけで10回近く電話したのではないだろうか。最終的にふと気がついた。まだこのiPhone7には名前をつけていなかった。過去に何度も、iPhoneやiPadのすねたような動作不良に悩まされた経験がある。ふと思いついてそれぞれに名前をつけ、名前を呼んだり声をかけたりしたら、たちまち動作不良が治まった。

 そこで、さっきからiPhone7の名前を考えているのだが、まだ決まっていない。そうだ、ブライアン・フリーマントルの作品の主人公で、英国MI6の風采の上がらない老スパイ、チャーリー・マフィンにちなみ、チャーリーという名前にしよう。それに決めた。

 諜報活動の世界では、周りの人をすべて疑ってかかる必要がある。二重スパイなどが暗躍する世界でもある。したがって、心から信頼できて気を許せる人間関係は、本当に貴重で得難いものだと実感している。


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by hirune-neko | 2018-06-22 23:35 | インテリジェンス | Comments(5)

ちょっと気になる表現〜韓国議会の決定?

Astor Piazzolla - Oblivion

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 韓国議会で、在日韓国人の皆さんを年内に強制送還することを決定した「らしい」という記述を何カ所かで見かけた。もう少し具体的で公的な発表がないか探してみたが、見つけられなかった。強制送還、資産没収、帰化取り消しなどの言葉も行き交っている。善良な当事者の皆さんにとっては、悪夢のような出来事になるだろうと思い、心を痛めている。しかし、このような流れになる、つまり水面下で、日韓両政府によって何年も前から描かれていた筋書きである、という記述は以前から目にしていた。ある意味で、日韓両政府の利害が一致したということなのだろうか。そして、その韓国議会の決定を見越し、周到に外堀を埋めてきたのが、現安倍政権なのだろう。

 先日、クッキーだと勘違いして入浴剤にかじりついた話を書いた。送ってくれた女性は、脳腫瘍のせいで、本もメールも読めないほどに衰弱していたのだが、快復して退院し、メールのやりとりができるようになったと聞いた。それで、「入浴剤」のお礼のメールを送った。ほどなくして返信があり、私が早合点して入浴剤にかじりついたくださりで、大笑いしたそうだ。まだ普通の生活は望めないようだが、いずれ近い将来お目にかかれるかもしれないと想像するだけで、とても嬉しくなっている。

 人生は何が待ち構えているか分からないものだ。しかし、耳を澄まし目をこらしていれば、ある程度の予兆を感じることができると思っている。

 数十年の年月を経て、私はすっかり、自己主張する人間に変貌してしまったようだ。感情的に対立するつもりは毛頭ないのだが、自分の信念や理念は大事に生きたいと思っている。


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by hirune-neko | 2018-06-22 00:45 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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