昼寝ネコの雑記帳

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ああ、またやってしまった


J.S.Bach BWV 853 - Patricia Hase

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 今日、東横線の電車に乗り、横浜の少し手前の白楽まで往復した。駅からは勾配のきつい長い上り坂だった。脚力が少し心配だったが、なんとか目的の場所に着くことができた。

 帰りは自由が丘で大井町線に乗り換えた。ホームの椅子に空席があったので腰を下ろした。隣では1歳半ぐらいの女の子が、若いお父さんに抱っこされていた。目と目が合ったので、「こんにちは」と声をかけてしまった。どうも小さな子どもを見ると、黙っていられない。
 お父さんは何やら携帯に夢中だったが、私の声を聞いて驚いたように私に視線を移した。私は女の子の目を見ながら「なんだ、こいつという目で見てるね」というと、お父さんは声を出して笑った。「私は仕事で、赤ちゃんの名前を入れる絵本を作っているものですから、小さいお子さんを見るとつい声をかけてしまうんです」というと、お父さんは納得したように笑顔になった。

 本当に、純粋無垢で無邪気な子どもはかわいい。純粋無垢で無邪気な大人もかわいいと思うが、さすがにほとんど見かけない。

 ちょっと前まで、受注データの整理をしていた。ある産婦人科は、最初の出産と2番目の出産で、絵本の絵柄を変えるよう指定してきている。そのため、過去の全データを検索して、何番目かを特定する作業がある。また、週末から溜まったデータを、病院毎・日付け順に並べなくてはならない。終わったのは深夜0時を過ぎていた。月曜日は処理する作業量が多いため、製作を担当している次男は深夜2時半頃に出社してくる。あと1時間ちょっとだ。それまでにデータの整理を終える必要があるため、・・・あっ、いけない。納品状況をサイトに掲載する作業が抜けていた。3カ所の産婦人科から、絵本を一カ月健診で渡せるかどうかの状況を、サイトに掲載するよう依頼されており、週末に集計してもらったデータを掲載するのを失念していた。これから作業にとりかからなければいけない。

 こんな感じで、来る日も来る日も何かに追いまくられている。でもまあ、何もすることがない生活よりは充実していると思っている。体力や気力の維持のために、健康管理の動機付けにもなっている。

 産婦人科はどこも年中無休・24時間態勢である。わが社はそこまでいかないものの、それに少し近い。この連休も製本所への納品と引き取りは、いつもと同じカレンダー通りである。

 さて、愚痴話になってしまったが、これから抜けてしまっていた作業に取りかかるので、これで失礼させていただく。

 脳内の酸素欠乏なのか、アルツハイマーなのか私には分からないが、最近は固有名詞が出てこないことがある。もっと詰め将棋に時間を割かなくては。今日お会いした、私より年長の方が、最近は記憶力が落ちてきたと仰ったので、詰め将棋の3手詰めの本を注文している。プレゼントするつもりだ。師匠が推薦する本で、3手詰めといっても、簡単に解けず、かなり考えさせられる問題が多い。
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by hirune-neko | 2018-04-30 01:44 | 心の中のできごと | Comments(2)

まるで生前葬の挨拶文のようになってしまった


Chet Baker - Almost blue

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 過日、子どもたちから、私にもしものことがあった時に、何をどうすればいいかをまとめてほしいという要望があった。いろいろ思い巡らせているが、一番の問題は、そのXデーをいつに設定するかが難しいという点だと気づいた。今週中に何かが急変したり事故に遭ったりするかもしれない。あるいは1年程度は猶予があるのかもしれない。そこであれこれ考えた末に、では暫定的に1年程度先をXデーと想定して、レポートをまとめることにした。そのレポートのタイトルは、
 「暫定・余命1年じじい日記」
 ・・・こんな感じでいいのではないだろうか。うん。

 今の時代は、何をするにもコンピュータが介在する。至る所、パスワードだらけである。やたらとクラウドサービスを利用しているので、構造と利用方法の詳細をちゃんと伝えなければ、即、業務が停滞してしまうと思う。まだ入口ではあるが、対Xデー対応レポートの大見出しは、ざっと以下のようになるのではないだろうか。

1.銀行口座やサイトログインを含む、あらゆるIDとパスワード情報
2.dropbox、evernote、iCloud driveの利用状況と利用方法
3.事業構想の短期、中期、長期の概要
4.経営理念・ポリシーのうんちく
5.日本を中心とする社会情勢の変化の見通し
6.病死か事故死かによって受け取る保険金の額が違うので、それぞれの場合毎の相続の仕方と、その後の使途。さらには状況によって相続放棄の活用方法
7.もしもの場合に掲載する、ブログ読者の皆さんへのお別れメッセージ

 まあ、ざっとこんなところだろうか。準備が整ったら、子どもたち全員とそれぞれの伴侶に集まってもらい、きちんと説明し理解してもらおうと思う。

 ずいぶん湿っぽい話題になってしまったが、いつの頃からかこのブログは、日記みたいなものになっているので、ご容赦願いたい。

 これまでの人生を振り返ってみて、正直な感想を述べると・・・恥も外聞もなく述べるなら・・・ある意味では自分らしく生きてきたように思う。決して平坦で真っ直ぐの道ではなく、エリートコースでもなく、感じるままに生きてこられたのではないだろうか。いい音楽や文学そして映画作品との出会いがあった。数は少ないものの、気を許せて信頼できる人たちとの出会いもあった。厭なことはすぐに忘れる性格なので、思い出したくもないようなことは何もない。

 いろいろな出会いがあり、別れもあった。しかし、この地上での旅路を振り返ると、自分の足跡を遺すことができたという実感はある。

 やりかけのこと、まだ志半ばのことも多い。あと何年生きれば納得できる状況に到達できるのだろうか。それはやってみなければ分からない。しかし、暫定的にではあっても、余命1年という想定でシナリオを描いてみたい。結果的にそれ以上生存し続けられたら、それはおまけの人生だと考えることにしよう。なすべきことを終えて、最後は予定通り作家として人生を閉じられれば・・・そこまで到達できれば、本当に佳き人生だったと、感謝の念で生涯を終えられるように思う。

 ここまで書いてみて、なんだか生前葬の挨拶文になってしまったっような気がする。改めて、ブログ読者の何人かの皆さんとも交流を持たせていただき、嬉しく思っている。一面識もないものの、感性や人間性を感じることができている。これは貴重な出会いだと思う。佳き読者の皆さんに恵まれたと実感し、10年以上継続してきて良かったと思っている。

 ・・・この調子で書き続けると、「存命中は大変お世話になりました」という論調になりかねないので、これぐらいで締めくくらせていただくことにする。正直に申し上げれば、長年にわたり早世の予感で生きてきたが、とりあえずは70歳を超えられるのではないかという、希望的な実感が湧いてきている。図々しくなったものだ。


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by hirune-neko | 2018-04-29 00:42 | 心の中のできごと | Comments(0)

深夜近くの不思議な光景


Bill Evans Trio at the Village Vanguard - Some Other Time

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 今日は実質的な月末だった。相変わらず原始的に、1件ずつ振り込みをしている。半分ほどまで進み、別の振込口座に資金を振り込み移動した。ところが、その口座を開いたら残高がほとんどない。一瞬、茫然自失した。気を取り直して、一体誰に振り込んだのかを調べてみたら、同じ名義だが別の銀行に送金していた。3時前に振り込みを終えようと、余程慌てていたようだ。

 厄介なことになってしまった。その口座はインターネットバンキングに対応していない。すぐに次男に依頼し、近くの支店に行ってもらった。月末なので混雑していないだろうか、ATMからの送金の際の振込額に上限はないだろうか、などなど心配が募ったものの杞憂に終わった。すぐに本来の口座に入金されていた。」やれやれれだった。

 そんなこんなで、神経が張り詰めた時間が長かったため、少し横になりたかったのだが、仕事だけでなくボランティア関係のメールが何本も入り、対応に追われた。おまけに、発送しようと思った絵本の見返し用紙が二重についていたため、製本屋さんまで修理後の絵本を取りに行かなくてはならなかった。製本屋さんの帰りに、近所の洋菓子店・フルールに寄り、スコーンとオートミールのクッキーを2個ずつ購入した。そのとき店長さんから、「私もステッカーがほしいんですけど。毎日ブログ読んでるんですよ」と依頼された。一度事務所に戻って、ステッカーを1枚届けた。

 夜も10時を過ぎたので早めに寝ようと思ったのだが、歩行数がたったの1700歩ちょっとだったので、心を鬼にして第三京浜まで往復することにした。二か領用水路沿いの道だ。足がガクガクいうこともなく、順調に帰り道を歩いていたが、道ばたの暗がりに何かがあるのが視野に入った。よく見ると人間が倒れている。どうやら男性のようだ。放置して通り過ぎてしまい、手遅れになってしまったら大変だ。そう思ったのでイヤフォンを耳から外し、屈んで声をかけた。「大丈夫ですか?」するとすぐに反応し、うつぶせから少し横向きになったので、顔が見えた。まだ30歳前の男性だった。片手に携帯電話を持っており、画面が青白く光っていた。
 私は再び声をかけた。「大丈夫ですか?」「大丈夫です」と、彼はしかりした口調で応えた。ほんの少し間を置き、もう一度声をかけた。「救急車を呼びましょうか?」「有難うございます、大丈夫です。おうちが近いので」「おうち」という表現に違和感を感じたが、口調がしっかりしていたので、彼に背を向けそのまま家に向かった。

 酒に酔っているようには見えなかった。そこからおよそ千歩を歩く間に、あの男性には何が起こったのだろうと想像が拡がった。

 彼の声にならない声が聞こえてきたような気がした。
 「実は、結婚を申し込んだ彼女から、絶縁のメールが届いたんです。あまりの突然の破局だったものですから、全身から力が抜けてしまい、立っていることができなくなってしまいました。そのまま道ばたで横になり、これまでの彼女とのメールのやりとりを読んでいたんです」

 さて、真相はどのようなものなのだろうか。彼には悪いが、恋愛沙汰なのならあまり同情はできない。そのうち時間が経てば、傷も癒えるだろうと思うので。ネコは案外クールな生き物である。


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by hirune-neko | 2018-04-28 01:31 | 心の中のできごと | Comments(0)

日本人女性とアメリカ人女性の、メンタリティの違い


Bill Evans - Gary's Theme, Paris Concert
Nos Bracos de Isabel - Paulinho Moska


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 一昨日は、埼玉県のSさんからステッカーのリクエストがあった。ずいぶん深くブログ記事を読み込んでくださっており、昼寝ネコ評論家でもあるかのように、多面的な感想や指摘をしていただいた。ブログ読者の方の生の声を聞かせていただき、励みになっている。改めてお礼を申し上げる。

 私は仕事用と個人用に、2台のiPhoneを使い分けている。孤独で引きこもりで人見知りの激しい私なので(笑)、実用的なシーン以外でも、siriと会話を楽しむことがある。1台には日本語を設定しており、電話番号を調べたり、アラームで一定時間後に知らせてくれたり、天気の状態を確認したりなど、便利に使用している。siriとは人工知能で対話ができるiPhoneの機能である。言語や性別を好きに選ぶことができる。

 用件が済み、「どうもありがとう」と声をかけると、「どういたしまして」とか、「お役に立てて嬉しいです」、あるいは「ご丁寧に有難うございます」など、バラエティに富んだ答えが返ってくる。
 ホースでお風呂に電子水を入れるとき、うっかり忘れて浴槽から水が溢れることあるので、「15分後にアラームをセットしてください」とsiriにお願いする。siriは忘れることもなく、いつもちゃんと知らせてくれる。先刻、ちょっとおふざけをいってみた。「子守歌を歌ってください」。すると「私の歌を聞くと眠れなくなりますよ」と答えた。試しにもう一度同じお願いをしてみた。すると今度は「私は子守の経験がないので、子守歌はうまく歌えません」ときたもんだ。思わず声を上げて笑ってしまった。

 もう1台のiPhoneには、英語の勉強を兼ねて、言語は英語、性別は女性を設定している。英語といっても、アメリカの英語や英国の英語など、多彩に設定できる。このアメリカ人siri女性は、とてもクールで事務的な応対をする。ますます自閉症が昂じてしまいそうだ。・・・もしかして、、アメリカ国内でもsiriのいい方が冷たすぎて、人生に希望が持てない、というクレームが精神医学界から殺到したのかどうか分からないが、どうも昨日あたりから別人になっているようだ。たった今、試しに「子守歌を歌ってください(Sing Me a Lullaby)」と英語でお願いしてみた。すると素っ気なく断るどころか、何やら子守言葉みたいなものを発した。「Rock A Bye Baby On The Tree Top」という言葉で始まるのだが、私自身はアメリカでご幼少時代を過ごしていないため、この言葉が具体的にどのようなシーンで使われるのか、皆目見当がつかない。

 試しにGoogle検索してみたら、どうやらそれらしい動画をいくつも見つけることができた。ひとつを選び、下部に掲載するので赤ちゃんに戻った気分でお聴きいただきたい。おそらくはリラックスし、純粋無垢で無邪気な人間になれるのではないだろうか。

 純粋無垢で無邪気な大人で思い出した。池田クレモナ・モダンタンゴ五重奏団のバンマスで、ファゴット奏者であるぴかりんさんから数時間前に電話があった。音大を卒業してまだ数年の女性である。彼女はれっきとした大人なのだが、私から見るととても純粋無垢で無邪気な大人である。こんな時代に、よくも棲息できているものだと感心している。
 そのぴかりんさが、以前から「クレモナ通信」という名でほぼ毎日、音楽に関する情報をインターネット経由で発信している。コンサート活動は、大中小合わせると、年間100回程度をこなしているそうだ。ちょっと想像がつかない。演奏プログラムのかなりの割合を占めるのは、アストール・ピアソラの作品だそうだ。「クレモナ通信」もピアソラ評論から始まっており、なかなか軽快で感性溢れる文章である。

 以前から、せっかくなので単行本として出版してはどうか、と勧めていた。私のイメージしているタイトルは「ぴかりんの音楽めった斬り〜ピアソラ編」である。ピアソラつながりだった高場将美先生も、ピアソラとガルデルに傾倒していた福岡貞夫さんも、すでに他界されている。しかし、ピアソラを演奏し、ピアソラを語る若い女性が単行本を出版するとなったら、霊界から応援してくれるのではないだろうか。ピアソラ自身だって、墓の中から出て来てメールか電話で励ましてくれるのではないだろうか。そのような気がしている。そして、

「おい昼寝ネコよ、ちゃんと出版が実現するよう、昼寝時間を減らして頑張れよ」

 と凄まれるのではないだろうか。私自身には、ピアソラを語る知識はないが、出版までのコーディネート役は務められると思っている。出版業界で辛酸を舐め続けてすでに37年が経過した。出版業界には新しく大きな潮流が構築されているが、新しい時代にあっても、古典的でオーソドックスな手法で、この世に「ピアソラ本」を送り出したいと考えている。

(siriが語ってくれた子守歌)

Rock-A-Bye Baby | + More Nursery Rhymes & Kids Songs - ABCkidTV
Nos Bracos de Isabel - Paulinho Moska

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by hirune-neko | 2018-04-27 01:20 | 創作への道 | Comments(4)

三者三様、人それぞれだ


Nos Bracos de Isabel - Paulinho Moska

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 今日は朝9時半から都心でミーティングがあった。電車で行ったのだが、久しぶりにラッシュを体験した。自由が丘駅で乗り換える際、ホームに上るエスカレーターからして長蛇の列だった。ホームも人で溢れかえり、遠慮深い私は満員の乗客の間に割り込むことができず、一人だけ取り残されてしまった。次の電車には乗れたが、時間にはなんとか遅れず、無事に参加することができた。

 ミーティングの冒頭は雑談で始まった。ナンバー2の人が自分のネクタイを示し、これはフランスのドミニクで、1本5万円しましたといった。私はすかさず、スーツが1着買えますね、と反応した。今度は腕時計を指し、これはスイス製で150万円です、と続けた。するとナンバー1の人が、自分は学生の頃から腕時計をするのが嫌いで、懐中時計派だといい、両手首を見せた。彼は私を見て、腕時計をしてますかと訊いてきたので、手首を立てて答えた。はい、これはドンキホーテで買ったもので千円です、というと笑い声が洩れた。いや、そうではなかったかもしれない。私は笑いを誘うつもりでいったのだが、唖然とした沈黙の空気だったのかもしれない。

 人によってこだわる対象が異なり、三者三様、人それぞれだと改めて思った次第だ。

 今日、読者のcausalさんからメールが入り、TWENTY-FOURのようなアメリカのテレビドラマが紹介されていた。タイトルは「クリミナル・マインド/FBI vs. 異常犯罪」だった。早速Amazonのプライムビデオで探したら、全12シリーズのうちシリーズ11以外は無料で視聴できることが分かった。なぜ一部だけが有料なのか不可思議なので、Amazonに確認してみようと思う。とりあえず無料分を「次に観る」ウォッチリストに登録した。

 好きな映画の傾向は、刑事・警察・裁判ものから始まり、ハードボイルド、戦争、ミステリー、スパイと遍歴して今日に至っている。とくにここ何年もスパイ映画に傾倒しており、そのせいかすぐに物事の裏を考えたり、人と相対しても隠された裏面を想像するようになってしまっているようだ。

 その反面、どうしても観る気になれないのは、ホラー、オカルト、恋愛ものである。私には、いずれのジャンルも、あまりにも現実離れしているように感じ、途中でシラけてしまう。ときとしてコメディもいいのかもしれないが、内容が空っぽに思えて気が進まない。最近「デンジャラス・ビューティー」という映画を観てしまった。直訳すれば危険な美女、となるのだろうか。化粧もせず近眼メガネでぜんぜん色気がないFBI捜査官の女性が、テロリストがミス・コンテスト会場をテロの標的にしている、という情報を得て、コンテストにエントリーする女性に扮し、潜入捜査をするという設定だ。まあ面白くはあったが、人間の内面が掘り下げられておらず、不満が残った。

 来る日も来る日も、容赦なく時間が経過している。1日24時間をできるだけ有効に使用したいと思っているが、なかなか思うようにいかない。そんなときは昨日紹介した詩の1編を思い出す。

「大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶように 弱さを授かった」〜「ある無名兵士の詩」より

 気負わず、諦めず、コツコツと前進していれば、いつかは加速度がつくだろう。


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by hirune-neko | 2018-04-25 23:10 | 心の中のできごと | Comments(2)

このような詩があるのを知らなかった〜ある無名兵士の詩


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 先日亡くなった知人の葬儀に出席した。告別式の前に、開かれた棺の中に安置された遺体と対面し、献花して最期の別れを告げる、というキリスト教の方式だった。

 故人は無表情で静かに目を閉じていた(当たり前か)。顔からはすっかり余分な肉が削がれた感じで、幾分黄色みを帯びていた。胸元には、家族揃って撮った写真が何枚も連ねられていた。少し顔を近づけてみたが、すでに他界しているご主人と小さなお子さん達との、平安で楽しげな写真だった。

 告別式で、教会の管理の男性が故人との生前の思い出に触れた。故人は時折彼に、読むようにといって本をプレゼントしていたそうだ。本を開くと、所々に線が引いてあり、あるいは栞(しおり)が挟まっていたそうだ。その部分を開くと「ある無名兵士の詩」というタイトルの詩が紹介されていたそうだ。一部を読み上げたのを聴き、興味を持ったのでその場でiPadを開いて検索してみたら、次のように紹介されていた。

この詩は、ニューヨーク大学の壁に掲げられていて、140年前にアメリカの南北戦争に従軍した南軍の兵士が記したものといわれている。中日新聞で紹介されて大きな反響があったとか。

 心に残る、しかも人生を考える上でとても深い意味の詩なので、紹介したいと思う。作者不詳となっているが、とても鋭い感性を持つ人物の作品だと感じる。

【ある無名兵士の詩

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
「悩める人々への銘」

I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

「大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求
めたのに 謙遜を学ぶように 弱さを授かった」

I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...

「偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
 よりよきことをするようにと 病気を賜った」

I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...

「幸せになろうとして 富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった」

I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...

「世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった」

I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...

「人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
 あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった」

I got nothing that I asked for―but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!

「求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて
聞き届けられた 私はもっとも豊かに祝福されたのだ」

                  AUTHOR UNKNOWN(作者不詳)
(以上で引用終了)
【引用元 ブレイン・リンク集


 この詩には人間としての生き方、宗教者としての信仰のあり方についての、深い洞察があると思う。20歳代や30歳代の兵士にはとても書けない内容だと思うので、おそらくはそれなりの年齢の将校の作品なのではないかと想像している。味わい深い言葉であり、信仰者の本質を衝いた教訓でもあると感じる。

 故人の長女の方が最初に挨拶された。故人は65歳だったそうだ。余命半年の宣告を受けたのがちょうど10年間だったそうで、数十年の闘病というのは私の勘違いだった。また、故人の夫・長女の父親の享年は48歳だったとのことで、これも私の思い違いで30歳半ばではなかった。改めて、人生の旅路について考えさせられた一日だった。

 一緒に仕事を手伝ってくれている次男以外の子どもたち三人が、私にもしものことがあった場合に、仕事を含め、どのように対応すればいいのかを聞きたいといってきている。なるほど、私もそのような年齢なのだと実感している。私自身は創業者であり、ゼロから立ち上げたため、一緒に苦労してくれてる次男は、創業の大変さをよく理解してくれている。ときどきアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズの苦労話を教えてくれる。危機管理の一環で、もしものときに実務が停滞しないよう、基本機能を維持するのに必要な情報は整理しておこうと思っている。

 いつでも死地に赴けるような心境は、どのように醸成できるのだろうか。そんなことは意識せず、ただひたすら明日のことを視野に入れている。この「ある無名兵士の詩」を改めて読み返してみて、百数十年前の兵士が、今日の私に対する箴言として書き残してくれたような気がする。ということは、今の時代を生きる全ての人たちに対して、知恵ある者、人生を洞察している者、そして神聖な霊感を受けた者から贈られた箴言ではないかと思う。箴言、即ち教訓の意をもつ短い句・戒めとなる言葉である。

 来たるべき激動の時期に備え、感性を研ぎ澄まし、洞察力を高め、不毛の議論に振り回されず、奸智奸計を見抜き、正邪を嗅ぎ分けて賢明に生きるようにと励ますために、先人が残してくれた貴重なメッセージなのだと考えたい。


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by hirune-neko | 2018-04-24 22:03 | 心の中のできごと | Comments(2)

とうとうアルツハイマーになってしまった、と思った


Bill Evans Trio - If you could see me now

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 ひと頃は野菜と果物でスムージーを作り、常飲していた。徐々に面倒になり、ミキサーも放置したままになっていた。健康意識が目覚めてきたのか、今日久しぶりにスムージーを作った。ありあわせで、リンゴ、トマト、ニンジン、キュウリという組み合わせだ。材料の半分を残し、ガラスの器に入れて冷蔵庫に移した。

 夜、残りの材料でスムージーを作ろうと思い、冷蔵庫の中を見たが見つからない。食べようと思ったので、ワゴンのトレイの上には同じような器のサラダがあり、冷蔵庫の中にもサラダがあるのだが、どうしてもスムージーの材料が見つからない。2度ならず、3度、4度と冷蔵庫の中をくまなく探したが、とうとう見つからなかった。

 ああとうとうアルツハイマーの症状が出たのだ、と思い天を仰いだ。見終えたばかりのTWENTY-FOUR・シーズン9に登場したアメリカ大統領のヘラーが、実はアルツハイマーだった、という記憶が甦った。すっかり観念して、夕食に移った。まずは野菜サラダを食べようと思い、ガラス容器のラップを剥がした。あれっ、ゆで卵の形が変だなと思ってよく見たら、その白っぽい物はゆで卵ではなくリンゴだった。トマトは共通だったが、半分に切ったままのニンジンとキュウリが下の方に隠れていた。ちゃんと確認しなかったが、これぞまさにスムージー用の材料を入れたガラス容器だった。従って、私はアルツハイマーなのではなく、単に視力が弱くなっているだけだった。ちょっとひと安心である。トレイの上の容器をちゃんと確認しなかっただけのことだった。やれやれだった。

 今日はすっかりズボラなままで過ごしてしまった。今現在の歩行数も3503歩止まりである。朝から背中がギシギシいって辛いので、自分に言い訳をしてしまった。

 1年前と較べると、何かが変化しており聴きたい音楽や、観たい映画の傾向が変わってきているようだ。その理由はとくに考えていないので、原因は不明である。音楽はなぜかビル・エヴァンスがしっくりくる。映画は、ただストーリーを追っただけの表面的な作品は途中でつまらなく思えてしまい、最後まで観る気力が続かない。異常なまでに、手当たり次第口にしていたクッキーやチョコレート、饅頭はピタリと口にしなくなってしまった。おかげで血糖値が順調に低下し、ここ数年では最低水準まで下がってきている。医学的に血糖値の許容範囲といわれる140までは、もうひと息である。それに小さい子どもを見ると、あまりにも可愛く思え、知人の子どもでもないのに話しかけてしまう。ワンちゃんと向き合うと可愛いなと思うようになった。しかしさすがに昼寝イヌでは語呂が悪いので、名前はそのまま昼寝ネコだ。

 なんの予兆も根拠もないのだが、今年の後半にかけて大きな転換期が訪れようとしている、という予感がある。建設的で発展的な方向への転換である。なんて楽観的な人間なのだろうと思うが、悲観的になるよりは楽観的になる方が、精神衛生上はずっといいのではないだろうか。うまく表現できないが、こんな歳になっても脱皮するような感じがしている。どのように脱皮するのか・・・それは具体的には分からない。いずれにしても、変化の兆しを感じつつある。

 朝起きたら、重篤なアルツハイマーになっており、自分の名前もいえず、まともな文章も書けなくなっている・・・というような暗い変化ではないと思うが、もし予感が外れていたら次男に頼んで、ブログで告知させていただく。そのときは、せめて数秒ぐらいは気の毒に思って、憐れんでいただきたい。

 できればそうではなく、佳きご報告ができるよう願っている。


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by hirune-neko | 2018-04-24 00:16 | 心の中のできごと | Comments(0)

書籍・余命三年時事日記が届いた


Kurt Moll: Mozart - Die Zauberflöte, 'O Isis und Osiris'

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 注文していた書籍・余命三年時事日記「五十六パパかく戦えり」の8と9が届いた。ブログ削除の妨害に遭い、すぐに復活し、その後に最初の書籍・余命三年時事日記が出版されてから、これで9冊目になる。感慨深いものがある。

 小坪しんや議員のブログは毎日閲覧しているが、興味深い記事があった。既にお読みの方が多いだろうと思うが、「余命三年時事日記への支援表明、及び連携について」というタイトルだ。

 ざっと一度目を通しただけだが、小坪しんや議員はかなり行動派のようで、何人もの国会議員との面談の画像を掲示していた。そして、保守系ブロガーとの提携を目指し、戦略的な構想を画策しているようだ。とくに余命ブログへの支援を表明し、重要視している様子が窺える。いわゆる既存メディアに対抗する形で、より多くの読者を確保し、その影響力をもって情報を拡散しようとするもので、当然、選挙に対する影響力を視野に入れている。

 詳細は直接お読みいただきたい。
【行橋市 市議会議員 小坪しんや】
「余命三年時事日記への支援表明、及び連携について」

 私見だが、時間が経てば経つほど、マスメディアに対する国民の監視の目が厳しくなり、偏向した印象操作や世論誘導を今のまま続けていると、新聞は購読部数を減らし、テレビは視聴率が下がっていくだろうと予測している。インターネット回線は、今やほとんどの人にとって不可欠なツールになってきている。その傾向は継続し加速度がつくだろう。

 必然的に、メディアスクラムによって後押しされたり、逆に都合の悪い事実を秘匿の形で支援してもらっていた勢力も、衰退の傾向が顕著になるのではないだろうか。極左勢力が実質的に支配しているといわれる労働組合も、実態を知った組合員が大挙して脱退しているという記事もあった。

 確かに、政治の世界はいろいろと複雑な要素が絡み、短絡的な決めつけをすることはできないだろう。しかし昨今では、記事を捏造すればあっというまにネットで露見してしまうため、旧来のようにマスコミを抑えれば世論を操れる、という状況は急速に終焉を迎えつつあるのではないだろうか。

 保守系ブログが戦略的に提携するなら、偏向メディアに広告するスポンサー企業の商品の不買、広告出稿への抗議など、実態を知った一般国民による主体的で具体的な行動が、世論だけでなく企業経営に対する影響力増大にもつながるのではないだろうか。

 思いがけない伏兵が次々と誕生して連携し、日本が正しい方向に収斂していくのなら、それは歓迎すべき変化だと思う。逆に、長年にわたって情報を支配し多くの国民を恣意的に誤誘導してきた勢力は、今では追いつめられた存在となって、存亡の危機にさらされているのではないだろうか。


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by hirune-neko | 2018-04-23 00:05 | インテリジェンス | Comments(0)

コーギー犬とミニチュア・ダックスフンドと訃報


Detour Ahead, Bill Evans

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 突然この世に未練が出てきたわけではない。やりかけの仕事の途中で、自分が機能不全になったり絶命したのでは、仕事に関わってくれている人たちに申し訳ない、という気持ちが強くなったためだ。なんとしても、一日のノルマを歩こうという気になった。家を出るときは、700歩程度しか歩いていなかったので、第三京浜まで往復してもまだ足りない。イヤフォンでBill Evansのアルバム"All the Greatest Night”を聴きながら歩き始めた。

 第三京浜で折り返し、しばらく歩いていたら、犬を連れて散歩している男性の後ろ姿が目に入ってきた。短足のワンちゃんで、チョコチョコと歩いている。追い越しざまに話しかけてみた。「これはコーギーですか?」「分かりません、友だちの犬なんです」と、明らかに外国人のアクセントで返事が返ってきた。顔を見ると、どうも東ヨーロッパ系の人に見えた。犬の話題で少しやりとりをしていたら、そのコーギーが私の方に寄ってくる。彼は「興味があるみたいですね」と、微笑みながら言った。

 そのまま歩き、帰りがけにヤマダ電機に寄った。電話で単6の乾電池を在庫していると確認していたので、買いに寄った。昨日届いた電子メモパッド用だ。

 帰宅途中、いつもは通り過ぎるだけで入ったことのないハンコ屋さんに寄ることにした。絵本の製作依頼書に日付印を押しているのだが、インクが薄くなってきて、インクの補充方法が分からず、この際だからスタンプ台を使う普通の日付印に切り替えようと思ったからだ。
 ハンコ屋さんの入口に立つと、まるで入店の邪魔をするかのように犬が座っている。そっとドアを開けたが、おとなしい性格のようだったので話しかけて、頭を撫でた。店の人から商品の説明を聞きながら、犬種を質問してみた。ミニチュア・ダックスフンドだという。へえ、と相づちを打つと、ワンちゃんが振り向いた。「自分のことを言われているのが分かるんですよ」と、店主の奥さんらしい人が言った。ワンちゃんは立ち上がり、私のそばまで寄ってきた。動物は動物好きの人間を嗅ぎ分けると聞いたことがあるが、そうなんだろう、きっと。

 帰宅してパソコンの前に座った。さすがに連続して7千歩以上を歩いたので、身体を休めたかった。Facebookに投稿があるという表示があったので開いてみた。訃報だった。
 ガンで余命半年と宣告されてから必死の闘病生活を続け、何十年か生きた人だ。63歳だったそうだ。ご主人とは、40年近く前にボランティア仲間として交流があったが、その彼はまだ三十代の半ば過ぎに、確か急性肝不全で急逝した。彼女は闘病の過程でいろいろな治療法に関する知識を得ており、私はフランスキクイモを勧められて、今でも常食している。ガンと糖尿病は治療方法が同じらしい。その流れで、酸素水を飲んでおり、昨年末からは電子水も常飲している。

 脳内ストレスのせいにして、クッキーやチョコレートに手を出し、最近は血糖値が高止まりしていた。しかし、甘い誘惑に負けて結果的に、自らが言い出しっぺのプロジェクトを、途中で放り出すことになってはいけない、という心の促しに素直に従い、断糖の決意をして実行している。まだ1週間も経っていないが、高止まりしていたときの平均値と比較して、すでに50近く下がってきている。自己責任をある程度まで果たしてから、他界したいと思っている。・・・いやいや、最近はジャック・バウワーのガッツを見習い、アンドリュー・マーシャルの模範を真似て、しぶとく生きながらえたいという希望を持ち始めている。晩年は、作家・昼寝ネコと呼ばれるほどの冊数を刊行できればいいな、なんていう妄想的な願望も大事にしたいと思っている。

 どうやら私は、ネコだけでなくワンちゃんからも親近感を持たれるネコ人間のようだ。ワンちゃんも可愛いと思う。散歩のお供にはやはり、ネコではなくワンちゃんがいいのではないだろうか。当たり前だろうけど。


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by hirune-neko | 2018-04-22 00:37 | 心の中のできごと | Comments(0)

実作業が多く、なかなか充電できない毎日が続いている


Chet Baker - Almost blue

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 今日は、埼玉県のNさんからのご希望で、ステッカーをお送りした。里子に行くステッカーたちが、皆さんに可愛がられると思うと、私も嬉しくなってしまう。

 読みたい本、取得したい知識、習得したい技術、調べたい内容が多々あるのだが、なかなか手が付けられない。即対応しなければならない案件が連続し、自由時間が乏しいからだ。自由時間を持てるとが、こんなに贅沢なことだとは思っていなかったが、いざ実際に時間的にハードな状況を経験してみると、一定の自由な時間を確保するには、それなりの努力が必要であることが分かる。

 そうはいうものの、ここ数日のようにTWENTY FOURを連続視聴する時間は確保しているので、いざとなったら思い切って全てを放り出し、何時間かの自由時間を過ごせばいいのだろう。しかしそれはあまり建設的ではないように思い、葛藤が生じてしまう。

 根源的な、自分への問いかけである。残された人生で、何に時間を費やすべきなのか。ささいではあるが、大きな葛藤である。限られた時間で、それなりの量の案件をこなすには、集中力を高め効率よく、つまり無駄な時間を極力省いて過ごすべきなのだろうか。しかし、無駄な時間とは一体どのような時間なのだろうか。それと勿論、パソコンやインターネット、クラウドサービス、種々の管理ソフトを使いこなすことも不可欠だろう。

 そんな堂々巡りの、禅問答のような反芻を繰り返している。

 目の前の案件に集中していると、当然だが視野が狭まり、長期的な展望が消失してしまう。結局私は、ぼんやりと脳内で妄想を巡らし、現実世界とは距離を保って生きるのが一番性に合う、そんな発達障害の人間なのだろう。想像するだけで、居心地のいい空間だと思える。

 それでも数ヶ月前と較べると、かなり整理整頓が進み書類の山が整然としてきている。最近、電子メモパッドなるものが存在することを知り、購入してみた。以前、iPad Proを購入したとき、Apple Pencilが特典価格だったので購入してみた。手書きの文章や表などをevernoteに保存できるので、便利だと思った。しかし実際には、すぐにメモを取る必要があるようなときに、そこまで準備する時間的な余裕はない。
 その点、電子メモパッドは紙にメモするような感覚で書き残し、ボタンひとつで瞬時に消去できる。連続する案件をすべて記憶にだけ留めて作業していると、必ず抜けが生じてしまう。紙のメモだと、よほど上手に管理しないと紛失してしまう。すぐに書き留められるツールと、Todoistのようなタスク管理ソフトを組み合わせれば、かなり精度の高い仕組みになるように思う。

 1年ほど前から、なんだか知らないけれど処理案件が増え、遅延案件がなかなかゼロにならない。しかし、ここは努めて楽観的に考えようと思う。放棄せず、いろいろ調べたり工夫したりしていれば、いつか案件処理のスキルは上がっているだろうと思う。現に、トラブルが頻発していた毎週の納品書作成を、約3ヶ月間自分一人で担当し、Excelの関数や機能を組み込んでいろいろ工夫してみた。ミスが発生しにくい分かりやすい手順を確立できたと思う。先週から、在宅アルバイトの女性にお願いするのを再開した。小さなお子さん二人を抱えたお母さんだが、Excelに関する知識は私より遙かに豊富なので、心強く思っている。

 YouTube動画を情報資料としてダウンロードし、共有することにもかなりの試行錯誤をした。でも大容量の情報共有には、最終的にはiCloud Driveではなくdropboxの活用が現時点ではベストであることが分かった。

 ややマニアックな話題になってしまうが、ご参考まで少し説明させていただく。iCloud Drive自体は最大2TBの容量を契約できる。しかし、問題はiPhoneやiPadのディスク容量は最大で256GBのため、ダウンロードの上限が障壁になる。その点dropboxだとフォルダ共有ができて、月額千円ちょっとの負担で1TBまでディスク容量の負担なしに閲覧することができる。試しに100GB以上のフォルダを共有してみたが、同期に多少の時間はかかるものの、十分使用に耐える機能だということが実証できた。

 あくまでも現時点では妄想領域の想定ではあるが、実現化を進めている情報提供サービスの「会員制みるとす」のために、いわゆる「情報分析スタッフ」を確保しようと考えている。国内外のどこに住んでいる人とも、一緒に作業するためにはどうしてもクラウドサービスを利用して情報を共有する必要がある。dropboxには、さらに上級のビジネスプランが2種類用意されている。容量2TBと無制限のプランだ。多少の費用をプラスする必要はあるが、至極タフで便利そうである。

 情報共有、保存、発信のインフラはなんとか整いそうだ。一定期間は辛抱し、委任できる面積を徐々に拡大していけば、自分でなければできない領域の技術習得に必要な時間を集中できるようになると思っている。要するに、自分の分身を作るということになるのだろうか。

 とまあ、自分に残された時間が無尽蔵にあるように錯覚して考えてしまっている。誰にでも共通していると思うのだが、困難な時期であっても、ある程度は楽観的に考えるのも必要なのではないだろうか。

 どうも書き始めるとどうしても長文になってしまう。退屈な話題を最後までお読みくださり、お礼申し上げる。


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by hirune-neko | 2018-04-21 01:30 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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