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昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:創作への道( 337 )

やはり歩くと、足先の痛みには効果があった

Oblivion / Astor Piazzolla
 
 昨日の数十秒毎の足の激痛と比べると、今日は地獄から天国に生還したような状態である。

 日中は倉庫と製本所に行ったため、その時点ですでに2千4百歩を歩いていた。夜になって、作業が一段落したので歩きに出た。新規に5千歩を歩いたので、歩数としては充分だと思う。おかげで、痛みはほとんど出なくなった。これが、痛み止めなどの薬に依存していると、本質的な原因を解決できずに、却って不健康な状態になると考えている。今後は、毎日規定の歩数を歩くことを日課にするよう努力したい。
 
 歩きながら今日は、久しぶりにピアソラの作品を聴いた。あるアルバムはたまたま最初の曲が、Oblivion(忘却)、そして2曲目が、Remembrance(思い出)だった。

 未完の大作だと、完成前から自画自賛している舞台作品「気仙ゆきしぐれ」の最初のシーンで使う予定なのがRemembrance(思い出)であり、ラストシーンで使う予定なのが冒頭に紹介したOblivion(忘却)である。

 歩きながらこの2曲を聴き、全体の流れについて改めて脳内で反芻してみた。ラストシーンでは、このOblivion(忘却)に合わせて舞い、津波で命を奪われた人たちから、遺された家族への気持ちを言葉で伝えるという設定で考えている。まだ本人とは話していないのだが、わが娘が舞台上で和服姿の日本舞踊を舞うことをイメージしている。

 本当は、陸前高田という地名が気にいっていたので、登場人物の家族が江戸時代に陸前高田から、江戸に転居したと言う設定で考えていた。しかし、少し時代考証してみたら、陸前高田とという地名は、市町村の統合により比較的近代にできた名前だということがわかった。つまり、残念ながらこの地名は使えないということだ。江戸時代にも、気仙という地名が使われていたのであれば、すべて気仙に統合したいと考えている。

 大船渡にあるリアスホールに、ご遺族の皆さんをご招待し、無料で観劇していただくことを夢見ている。そのためにも、津波で必死に助かろうともがいた人たちの心情を、深く掘り下げて理解し、さらには大切な子供や親、 家族や友達をなくされた方々の心に届く、そして癒しと平安を与えられるような、作品に仕上げたいと希望している。

 今の私の生活状態では、いったいあとどれぐらいの時間がかかるか、皆目見当がつかない。しかしこれは、自分自身のライフワークとして仕上げたいと思っている。ナレーターの婆や役をお願いしている女性も、もう実際に婆やの年齢になってしまった。いろいろな苦労や大変さを経験してきているようなので、演技にも深みがあってちょうど良いのではないかと思っている。私の脚本に出演してくれていた当時は、まだ30代だったと思う。

 お互いに相応に齢を重ね、それなりの人生を歩んできたので、人生の集大成として思いを込めて作品を作り上げたいと思っている。。

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by hirune-neko | 2020-09-18 01:18 | 創作への道 | Comments(0)

編集のベテランプロの方から率直な意見をいただいた

Astor Piazzolla - Tango Blues (Campeón).wmv

 多言語出版の最初に刊行しようと考えている2作品の原稿を、長い付き合いのプロの編集者に送った。今朝、電話をいただき色々と意見を述べてくれた。

 お世辞を言うような方ではないのだが、概ね好意的な評価をいただいた。特に、サンタクロースの物語は何かを参考にして書いたのか、と質問されたが、私の100%オリジナルだと答えると、それはたいしたものだと評価してくれた。また、文体自体もさすがだという表現を使ってくれたので嬉しかった。

 ただ、何点か厳しいコメントもいただいた。今の若い人だと意味を理解できないような表現が使われている、と言われた。例えば「困苦を視野の外に追い出す」という表現は、理解されないだろうとの事だった。

 それと、タイトルが長すぎて印象に残らないと言われた。ヘミングウェイを参考にし、なるべく短いインパクトのあるタイトルにするよう助言を受けた。

 その他の助言としては、児童文学には大中小、いろいろな種類の賞があるので、ぜひ応募するようにと言われた。今は、コンピューターソフトで絵を描ける時代なので、自分でこんな感じの絵だ、というイメージを表現するためにトライしてみてはどうかと言われた。有名なイラストレーターの横尾忠則さんを例に出し、もともとは全く絵が描けなかったのだが、書道家と組んでいろいろ工夫し、今では絵描きとして通用している、という例も教えてくれた。

 私には、作画の才能は全くゼロである。ゼロというよりはマイナスだろうと思う。小学校低学年の時の図工の通信簿はいつも2だった。どういうわけか絵を描くのが昔から苦手である。しかし、彼が言うには自分のイメージに合った画像やイラストを探してきて、それをコンピューターソフトでアレンジできるらしい。いずれにしても、そこまでは手が回らないので、タイトルを再検討し、さらに推敲を進めたいと思っている。

 具体的な詳細はまだ把握していないのだが、とりあえずは予定通り日本語、英語、スペイン語の3言語で、AmazonのKindleブック、AppleのiBookでスタートさせようと思う。日本の電子書籍販売サイトをリサーチし、チャレンジしてみたい。

 こうして自分のことを客観的に見ていると、どうやら自分の世界にこもりきって、誰からも干渉されず脳内であれこれと妄想し、想像するのが最も快適な時間だと感じる。

 一応は仕事として出版に取り組むわけなので、もちろん一定水準の販売量は確保したいと思う。その意味で、いろいろな文学賞にチャレンジするのが有効だという意味なのだろうと思う。

 現在時刻はまだ午後6時半過ぎである。いつもと比べれば、はるかに早い時間である。ちょっとヘトヘトになったので、頭を切り替えてブログに向かっている。

 今日は、ある産婦人科から連絡があり、新しい絵本の申し込みシステムを導入してるくれることになった。封筒や説明冊子のデザイン上の希望が寄せられたので、必死になって修正作業をし終えたところだ。このシステムが導入されると、手書きのファックスや郵送の申し込みは来なくなるので、現場の人間はとても楽になるだろう。・・・あっ、私自身も現場の人間だった。

 まだまだいくつものハードルがあるため、本格的に営業展開できる態勢は整っていないが、まずは足元を固めて着実に前進したいと思っている。

 今日は仕事の話一色になってしまったが、一日中頭の中が飽和状態だったのでお許しいただきたい。

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by hirune-neko | 2020-09-07 21:24 | 創作への道 | Comments(0)

やっぱり歩いてこようかな

Baden Powell - O que tinha de ser

 つい先ほど、大きな雨音が聞こえていたし、できるだけ早く寝たいという気持ちもあったので、今日は歩くの止めようかと思った。しかし、歩くのを中断してしまうと、また足先に痛みが出る悪循環になってしまう可能性が高まると考え、一瞬躊躇した。

 午後11時ちょっと前だったが、思い切って歩きに出ることにした。規定の歩数を歩き、セブンイレブンに寄ってキリンレモンと炭酸水を買い、家まであと数十メートルというところで雨が再び降り始めた。なんと絶妙のタイミングなのだろうか。

 いつものコースで、すれ違う人もほとんどいない。イヤホンで音楽を聴きながら、仕事上の組み立てをあれこれ考えた。どうやら、約1ヵ月のパソコン相手の悪戦苦闘から、何とか立ち直りつつあるようだ。集中力と思考力、想像力が甦ってきたような印象がある。

 何種類もの選択肢の中から、少しずつ絞り込まれで焦点を結びつつある。いい傾向だ。焦点を結ぶということは確信につながっている。迷いなく前進できるのはありがたいことだ。

 北海道のある産婦人科が、新しいシステムの導入に傾き、患者さんにお渡しする封筒と説明冊子の試作を終えた。今日速達で出したので、うまくいけば明日着くだろう。十分に検討してくれたようなので、早ければ10日から2週間以内にスタートする可能性がある。患者さん思いの、とても良い皆さんが集っていらっしゃるクリニックだ。

 多言語出版は、どうやら電子書籍を先行させるという戦略になりそうだ。スペイン語の最終推敲が終われば、日本語と英語そしてスペイン語の3カ国語での同時スタートになる。2作品を、それぞれ独立させての刊行となる。

 とりあえず、英語とスペイン語はアマゾンのKindleブック、アップルのiBookでスタートさせることになると思う。日本語の場合は、それ以外に国内で電子書籍を販売しているネットワークを探し、そこにもお願いしようと考えている。まだ調査中である。

 今日、仕事の合間にその2作品をオリジナルの日本語で読んでみた。自分の作品ではあるが、心に感動を覚えた。自分が作った作品を読んで感動するだなんて、実におめでたい人間である。しかし、それぐらいでなければ出版意欲は持続するものではない。

 そこで今日は、日本語、英語、スペイン語が並ぶとどのような雰囲気になるか、以下に羅列するので味わってみていただきたい。同じ作品の1部で同じ文章である。私は、スペイン語を学んだことがないので、ちゃんと探せるかどうか不安だったが、なんとか判読することができたようだ。不思議なことだ。


【日本語オリジナル作品】
「彼方から甦る記憶」

 なんの脈絡もない記憶が、突然甦ることが多くなった。子どもの頃から、父親の記憶は途切れてしまっている。母が疲れた表情で仕事から帰ってきた姿、大学で教育学を学び、市内の私立小学校に職を得たときの母の嬉しそうな表情。女手一つで私を育て上げた苦労が、報われた瞬間だったのだろう。  

 数少ない出会いと恋愛、そして短かった結婚生活と夫の死。そんな私の姿を見て、母はいつも言葉ではなく表情で私のへの心配を表していた。息を引き取る間際も、私の手を強く握り、涙を浮かべた目で私を見ながら、結局は何も言葉を発しないまま、還らぬ人となった。あのとき、母は何を伝えたかったのだろうか。今でもときどき考えるが、結論に達してはいない。子どものいない私には、母親の心情が理解できないのだろう。


【英語への翻訳文】
"A Memory from Long, Long Ago"

More and more, I was remembering things that had happened a
long time ago. Even as a child, I had no memories of my father.
What I remembered was how tired my mother looked after
working long hours… Then I was studying education at
university… And then how happy my mother had looked when I landedı a job at a private primary school in the city. That moment must
have been the reward for the hard work of raising me alone, I
thought.

I had few chances for love, and then a marriage that was cut short by
my husband`s death. My mother never showed her worry for me
with words, only by her expression. Even as she was drawing her
last breath, she gripped my hand tightly and looked at me with
tears in her eyes, but never said a word as she passed away. I
wondered what she had been trying to tell me. Sometimes I
think about that even now, but I still don`t know. Maybe I can`t
understand my mother`s feelings because I have no children of
my own.



【スペイン語への翻訳文】
"Un recuerdo de hace mucho, mucho tiempo"

Más y más iba recordando cosas que habían pasado hacía mucho tiempo. No tenía ninguna memoria de mi padre, ni siquiera como niña. Lo que si podía recordar era lo cansada que se veía mi madre después de las largas horas de trabajo… y lo feliz que se veía cuando conseguí un trabajo en una escuela primaria privada de la ciudad. Ese momento debió ser la recompensa del arduo trabajo de criarme sola, pensé.

Tuve pocas oportunidades para amar, y un matrimonio que terminó prematuramente por la muerte de mi esposo. Mi madre nunca mostró su preocupación por mí con palabras, solo con su rostro. Aún cuando daba su último aliento, tomó mi mano firmemente y me miró con lágrimas en los ojos, pero no dijo ni una palabra mientras fallecía. Me pregunto qué habrá tratado de decirme. Pienso en ello en ocasiones, incluso ahora, pero aún no lo sé. Tal vez no puedo entender los sentimientos de mi madre porque no tengo hijos propios.


 ・・・こうして3言語を実際に並べてみると、おおなんとか多言語出版が実現しそうだ、という実感と緊張感を感じる。実際には、翻訳スタッフは何とか揃い、後は装丁家、つまり表紙カバーのデザイナーが必要である。そこまで揃えば、私は自分の手で’でアマゾンのKindleブック、アップルのiBookに指定されたフォーマットにデータを変換し、投稿することができるだろうと思っている。もう一息である。

 誰からも見向きもされないで終わるか、あるいは更に他の言語に翻訳し出版エリアが拡大されるか、そのいずれかだろう。単なる妄想で終わらせず、国境を越えていろいろな境遇の方々の心に、少しでも感動や平安、癒しが届けばいいなと思っている。

 特に、ウイグルやモンゴルなどで、絶望的な環境で苦難を味わっている方々の心に、希望や平安をお届けできればいいなと、私の妄想癖はますます高揚しつつある。

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by hirune-neko | 2020-09-03 01:20 | 創作への道 | Comments(0)

「気仙しぐれ雪」と「気仙雪しぐれ」のどちらにするか


Astor Piazzolla - Oblivion

 出版社を創業したのは1981年の3月である。来年の3月でちょうど40年になる。出版を始めた当初、私自身がサバイバルやアウトドアに関心を持っていたこともあり、CWニコルさんを紹介してもらい、何冊かの書籍を出版した。その他、カスタムナイフに関する書籍も何冊か出版した。

 その一連のアウトドア・サバイバル関係の書籍を編集してくれた、長い付き合いの男性に電話した。編集経験の豊富な方なので、私たちが現在推進しようとしている多言語出版についても、意見や情報をいただいている。私にとっては貴重なアドバイザーである。

 現時点でこのブログ内で作品として確認できたのは、20作品ちょっとである。そのうちの2作品は、すでに英語とスペイン語での翻訳を終えている。現在は最終的な推敲も準備中である。彼から、その2作品を印刷して送るよう依頼された。国によって宗教的な背景が違ったり、思わぬ制約があるというのが彼の意見だった。


 何日かぶりに、夜の早い時間に家内と一緒に歩いた。歩いている最中に娘のことが話題になり、今では娘が洋楽に合わせて日舞の振り付けができる能力が備わった、と意見が一致した。

 その時にふと、何年も前に着想を得た時代ものの舞台脚本のことを思い出した。家内からどのような筋立てなのか質問されたので、歩きながら順を追ってストーリーの展開を説明した。

 説明しながら、私自身が感極まって言葉に詰まることが何度もあった。

 舞台上では、ばあや役の女性がモノローグで過去を回想し、昔を懐かしんで主人公の女性のことを語り始める。冒頭のシーン、途中のシーン、そしてラストシーンのいずれでも、私はすべてピアソラの作品を選んだ。冒頭では、「思い出」という意味の曲Remembrance、そしてラストシーンでは「忘却」という意味の曲Oblivionを使うことにしている。この2曲は、ピアソラの作品の中で最も好んでいる作品である。

 一体いつ頃着想を得た作品なのか、もうすでに記憶の彼方である。ブログの中で検索してみたら最も古かった関連記事は、2013年4月の

「気仙しぐれ雪」・・・なかなか進まない舞台脚本

というタイトルだった。東日本大震災の後、岩手県の気仙地域に最も多く訪れた。その時に受けた様々な印象から、思い浮かんだ作品である。

 タイトルを「しぐれ雪」にするか「雪しぐれ」にするか、当時は随分迷った記憶がある。語呂からは前者の方が好きなのだが、調べると気象用語では後者の表現しか出てこない。そのような細かい事はどうでもいいのかもしれないが、今でもまだ迷っている。

 ストーリーを説明すると長くなるので省略するが、揃って気仙の地から江戸に移った、ある家族の娘が主人公である。親の上司から無理矢理縁談を押し付けられ、最終的には親の立場に配慮し、しかしながら自分の意思を貫くために、病死を装って自害するという設定である。

 そのストーリーを、ばあやだった女性が気仙を訪れ、高台から海を見下ろしてぽつりぽつりと語る。語りの間にピアソラの作品に合わせて、主人公の女性が日舞を舞う。

 ラストシーンでは、主人公の女性の語りが流れる。自分自身は自らの意思で命を断ったが、不意に襲ってきた津波に飲み込まれ、必死に恐怖と闘いながらもついに帰らぬ人となってしまった多くの方々。その、家族と別れ別れになってしまった人たちの気持ちを代弁し、この地上に残されている人たちに、その思いを語る。

 そして最後に流れる曲は、冒頭のピアソラの作品であるOblivion・忘却である。

 大船渡にあるリアスホールという会場に、亡くなられた皆さんのご遺族の方や被災者の皆さんをご招待し、改めて過去を忘却し、未来に向けて新たな希望を見出してほしい・・・との、他界された皆さんのお気持ちを心に感じてほしいと願っている。

 今の私のペースでは、いつのことになるか皆目見当がつかない。しかし、いつかは必ず実現したいと思っている。発案当時は、洋楽に日舞の振り付けをしてくれる、ある先生を想定していた。しかし、今では娘が自分自身で振りを考えられるようになっていると思う。

 この際だから娘には頭を下げて、出演を依頼しようと思っている。しかし、この地上で私に対して最も遠慮のない存在なので、「やだよそんなの」と、そっけなく断られたらどうしようか。まだそこまでは考えていない。

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by hirune-neko | 2020-09-01 22:42 | 創作への道 | Comments(0)

久しぶりのSwingle Singersのおかげでイメージが膨らんだ

Adagio: Sonata No.3 In E BWV 1016

 心を鬼にして、手をつけようと思った作業を中断し、歩くことを優先した。今日は、ある仕事に必要なイメージを、なんとか脳内でより具体的に思い浮かべられるようなりたいと思った。玄関から外に出て立ち止まり、歩きながらどの音楽を聴こうかと考えた。

 すぐに目に留まったのは、Swingle Singersというジャズコーラスグループが歌う、Jazz Sebastian Bachという名のアルバムだった。バロック音楽の作曲家であるバッハの曲を、ジャズ風にアレンジしている。冒頭の演奏がその中の1曲である。

 わが社の絵本を採用してくださっている、ある産婦人科の院長先生はご自分の信念に基づき、中絶手術をしない。中絶手術を受けたいとクリニックに来院された患者さんには、説得して出産し、子供に恵まれない夫婦に養子として差し出すよう勧めている。

 たまたま昨日のブログで、その絵本の本文の「赤ちゃんと両親版」の英訳文をご紹介した。それ以外にも、「赤ちゃんとお母さん番」、「天使になった赤ちゃん版」、「先天性の障害を持つ赤ちゃん版」と何種類かの文章を作り、実際に絵本化している。

 中絶をしない考えの院長先生の奥様は、クリニックの事務長である。かなり以前、事情があって産み育てられず、出産した赤ちゃんを養子として差し出す、という立場の女性のための文章を作ってほしいと依頼があった。その依頼とともに、いろいろな資料やそのような立場の女性の書いた文章等が送られてきた。

 私は、それらの資料を読み、参考にして文章を作成した。しかしそれは、院長先生の奥様のメガネにはかなわなかった。つまり、そのような立場の女性の心深くに届くような文章にはなっていなかったということだ。

 忙しさに紛れて、その件はしばらく放置することになってしまった。しかし、最近どうしても気になり、院長先生の奥様に電話した。私としても、どうしても理解できない部分があったからだ。それは、子供を産んだものの自分で育てられないので、子供を待ち望んでいるご夫婦に養子として差し出した、という事実がずっと残っていいのかどうか。いつか結婚するときに、その絵本が邪魔な存在にならないのかどうか。それがとても疑問だった。

 結論だけを書くと、やはり後にそのような事実を知った結婚相手の男性から、虐待を受けたりあるいは殺されるというような事例が発生していると聞いた。しかし、養子縁組を進めている団体は、その後結婚相手が見つかったときに、オープンに事実を話すよう勧めているそうだ。そして、定期的に養子として差し出した子供と時間を過ごす機会も設けているそうだ。正直言って少々驚いた。

 その一方で、やはり自分の過去にそのような事実があったということを、人には知られたくない人もいるそうだ。そこで私は提案した。では、オープンに過去の事実を結婚相手の男性に告げる、という考えの女性のための文章、もう一つは、あくまでもその事実を自分の胸の内だけにそっとしまっておきたい、と考える女性のための文章。この2種類の文章を作り、それぞれ自由に選んでいただいではどうだろうかと提案し、受け入れられた。

 提案するのはごく簡単である。オープンにするという考えの女性のための文章は、なんとなくイメージすることができる。これまでの何種類かの文章をベースに、淡々と書けば良いと思っている。

 しかし厄介なのは、その絵本を誰かが読んでも、自分の過去の具体的な内容を知られず、しかし自分自身は、過去の辛い決断と悔悟の気持ちをいつまでも忘れないように取っておく・・・正直言ってこれはとても難しい。

 この文章について時々考えているのだが最近、ふと思い浮かんだちょっとしたイメージがある。繰り返し同じような夢を見るという設定だ。夢の中に、つなぎ服のような白い洋服を着た赤ちゃんが現れる。赤ちゃんなのにちゃんと言葉を話す。その赤ちゃんが言うには、誰も決して覚えてはいないが、お母さんのお腹の中で過ごす時間が、とても心地よく、心安らぐ幸せな時間だと聞いて、とても羨ましく思っているそうだ。そこで、生まれる前の遠い遠い世界で、どうしても一度お母さんのお腹の中で過ごしてみたいと、何度も何度もお願いしたと言う。

 その結果、候補者として選ばれた女性の夢に訪れ、お願いしてみなさいと言われた。それでその赤ちゃんは、その女性の夢の中に現れ、どうかお腹の中で過ごさせて欲しい、と切に願った。・・・そこでその女性は目が覚めた。なんて不思議な夢なんだろうと思った。

 朝目が覚めてすぐに、その夢のことはすっかり忘れ去っていた。しかしその夜、またその赤ちゃんが夢の中に現れた。あまりにも切々と懇願されたので、最終的には受け入れることにした。

 念願が叶った赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で最初は小さい存在だったのだが、徐々に大きくなり手足を動かすようになった。もちろん言葉をかけることはできないが、お腹の中から手足を使ってお母さんに語りかけた。

  もう少し一緒にいたい。もう少しお母さんのお腹の中で過ごしたい。どうか私を追い出さないでほしい。最後の時が満ちるまで、私を大事に守って欲しい。

 ・・・このような感じで、文章の出だしを考えている。あくまでも夢の中の出来事である。そして、この女性は途中で赤ちゃんをお腹の中から追い出すことなく、・・・つまり中絶手術を受けることなく・・・赤ちゃんの気が済むまで、最後までお腹の中で守ってあげた・・・という夢の中のストーリーとなる。

 あくまでも夢の中のファンタジーな世界のことなので、誰が読んでも、不思議な夢だね、で終わるだろう。しかしこの女性にとっては、一定期間自分が大事に守り、そして最終的にはこの赤ちゃんを愛し、大事に可愛がってくれる両親のもとに届けたという事実の記録になる。つまり、貴重な赤ちゃんの生命を守り、この地上で人間としての様々な経験を通し、成長する姿を見届けることになる。

 将来ある女性にとっては、とても難しい決断だと想像する。しかし、院長先生やその奥様、そして養子縁組を勧める団体の皆さんの励ましによって、その女性は逆に一生涯、大切な小さな命を奪わなかった、というある種の安堵と達成感を、心の中に持ち続けることができるのではないだろうか。

 天使版もそうなのだが、この種の文章は考えるのがとても難しい。いや、考えて書くのではない。心で感じて書くものである。私にとってはなかなか困難なことではあるが、その立場に置かれた女性の気持ちをできるだけ深く洞察し、そしてその女性の視点に立ってストーリーを書かなくてはいけない。営業企画書や事務的な資料とは違い、まさに困難さを乗り越えた人の心深くに届くメッセージを書けるか、が問われる。

 文章はまだイメージを膨らませている段階である。仕事脳ではとてもとても作れる文章ではない。 しかし、私はそのような先の見えない困難な文章にチャレンジするのが、自分の性に合っていると思っている。

 これまでに、お子さんを亡くされた方のための天使版を読まれて、涙を流され癒されたお母さんはかなり多い。コマーシャルベース、ビジネスベースからは大きく外れ、完全にボランティアである。院長先生の奥様からは予算拠出の申し出をいただいたが、丁寧に辞退した。もし、私の書いた文章で心の重荷が取り去られ、癒され、新たに生きようという希望を持っていただけるならば、私にとってそれはお金では決して買うことのできない、貴重な達成感である。

 もちろん経済力の大切さは実感している。しかし、3000年も生きてくるとお金や金銀財宝の虚しさを、幾たびも目にしてきた。そして、最も重要なものは人間の心の中に、つまり精神領域の中にあるという私の個人的な確信を、これからも伝えていきたいと思っている。

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by hirune-neko | 2020-08-21 01:30 | 創作への道 | Comments(0)

最後に映画を観たのがいつだったか、まったく思い出せない

The Deer Hunter Soundtrack

 決して誇張はしていない。あれだけ映画好きだった私が、ここ数年は映画を1本も観ていない。最後に観たのはおそらく、「twenty-Four: 24」の最終シーズンだったのではないだろうか。クロエがロサンゼルスの対テロ組織を離脱し、確かロンドンで過激派の連中と行動を共にするという意外な設定だった。

 充電もせずに、よく何年も持続しているなと感心している。

 最近は、コロナウィルスの感染問題に端を発し、いわゆるテレワークを導入する企業が増えているそうだ。事務系の仕事がメインであれば、それも可能なのだろう。しかし、我が社は一応は絵本メーカーという要素が大きいので、テレワークで対応できる仕事はかなり限られる。

 私が仕事の第一線を退ける環境になったら、辺境の地で静かに暮らしたいと考えることが多くなった。インターネットさえつながっていれば、オンラインミーティングで意思の疎通を図ることができる。意見を述べ伝えることも可能だ。しかしそれも、私が日本国内に居住して時差がないことが前提になる。例えば、北欧に住んだり、あるいはアフリカに住んだり、南米に住んだりするとオンラインミーティングなどできないことになるだろう。

 それよりも何よりも、人里離れた大自然の中という、ある種の辺境の地に住むのには、なんとなくノスタルジーを感じている。私はシベリアに行った事は無い。しかし、高校生の時に「青年は荒野をめざす」という五木寛之の作品を読んだとき、主人公の若者がシベリア鉄道を経由してヨーロッパに渡ったシーンが、とても印象的だった。

 シベリアは酷寒の土地なのだろうと思う。しかしどういうわけか、今でも大自然の中でひっそりと暮らすというイメージが、頭から消え去らず、いつかシベリア鉄道に乗車してみたいと、密かに願っている。

 「老年も荒野をめざす」などという小説が存在するはずがない。誰かに車椅子を押してもらって、やっと移動ができる状態になってしまうだろう。辺境の地には、セブンイレブンもまいばすけっともなく、デパートもないだろう。そんな環境で、ほとんど自給自足のような生活などできるはずもない。

 それとも、散弾銃を肩に担いで荒野を歩き回り、野生の動物を捕獲して食べるとでもいうのだろうか。冗談でも、そのようなライフスタイルは全く思い浮かばない。せいぜい、日本国内のどこか地方都市で、食事や医療サービスのついたホーム施設で暮らすのが関の山なのではないだろうか。

 このところずっと実務作業に追いまくられており、短編作品を思い浮かべる余裕は全くない。しかし、贅沢を言う事は許されないだろう。歩いている最中や移動中に、 脳内に作品の主人公が現れ、あれこれと対話をするうちに具体的なシーンが見えるようになるのではないだろうか。

 今は完全に、新しいiMacでブログ記事を書くようになっている。驚いたことが1つある。以前のiMacで音声変換を試みると、かなり誤変換が発生した。しかし、新しいMacは変換スピードが驚くほど早く、しかも誤変換はゼロではないもののかなり正確に漢字交じりの文章に変換してくれる。私のように高齢で、しかも視力が衰えている人間にとっては、とても心強い見方である。

 新しいiMacにも、アリスと名付けたので、再び黄金のコンビの復活である。まだまだ全機能が回復していないが、着実に改善されつつある。

 いずれにしても、多言語絵本出版などと大見得を切ってしまったので、できるだけ2ヶ月に1作品程度でもいいから、創作する習慣を持続したいと思っている。

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by hirune-neko | 2020-07-27 00:53 | 創作への道 | Comments(0)

ちょっとひと息ついている

https://www.youtube.com/watch?v=Y8J6lZ9sbtE
Astor Piazzolla - Los sueños
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 まだ午後9時40分だが、もうすでに布団の上に横になりたくなっている。普段の私よりは、連続して集中し、それなりの案件をこなしたと思う。しかし、まだまだ踊り場にすら到達していない。

 精神病院に入院した後、電話もメールも連絡が取れなくなっていた知人から、突如メールが入った。もうじき退院だそうだ。ほっとして返信したら、すぐに返事が返ってきた。連続3回もメールの返信があった。かなり快復しているとの手応えを感じ、嬉しかった。

 さて、もし私が精神科に行き診察を受けたら、どのように診断されるだろうか。考えてみたことは無かったが、興味はある。

 躁鬱はないと思う。統合失調症もないだろう。発達障害はどうだろうか。人とはまあまあうまくやる自信はあるので、おそらくそれもないだろう。

 そんな感じでひとつひとつ消去していくと、最後に残るのは何だろうか。おそらくは、精神科医の認識している病名のカテゴリーには、適切なものが無いような気がする。

 一時期、かなり昔のことだが、精神科医ではなく、精神カウンセラーの資格を持つことに興味を持ったことがある。

 私の数少ない自慢できることのひとつに、たとえどんなに人から嫌われている人であっても、仲良くなれるという資質がある。かなりズケズケと言われても、感情抜きで自説をはっきりと主張する。そして、その後は普通に声をかける。相手は敵愾心と警戒心を失い、心を開くようだ。

 ある高齢の女性がいる。鬱病の症状があり、さらに家庭内で毛嫌いされ虐められていると言う。電話で私の声を聞くと、心が平安になりほっとすると言う。大概は仕事に忙殺されているときに電話がある。話を聞いて励ますことしかできないのだが、それでも満足してくれるので、仕事の手を遅めながら対話している。

 ミヒャエル・エンデの「モモ」という作品を読むよう勧められたことがある。わざわざその本まで送ってくれたのだが、とうとう読まないままになってしまっている。人の話を聞くのが上手な少女、という表現だったように記憶している。

 「傾聴」という言葉があるように、親身に自分の話を聞いてもらうというのは心地よく、おそらく心を開き自分自身の存在を肯定的に捉えられる心境になるのではないだろうか。

 いつも私は、紀元前からこれまで、約3千年を生きているという妄想を公言している。誰が聞いても、面白い冗談だと笑い飛ばすだろうと思う。

 しかし、たとえ妄想世界であっても、3千年も生きていると、人間の一生で何が大切で何が虚しいか、ということが明白に見えてくるものだ。そして、自分の中からは見事に、私利私欲が希薄になっている。

 創作というのは、実際には存在しない架空の登場人物が主人公になる。そして、その主人公の内面世界、精神世界がどのような状態であり、どのような経緯で変質していくか、というのがそのままストーリーになる。

 つまり、私はその架空の人物のイメージを頼りに、内面世界を洞察し、文章化しているのだと思う。

 ある意味では、架空世界を訪れ、ちょっとした痕跡からその人物の人生を具体的に描くことになる。

 改めて、最も情熱を感じて没頭できる仕事は、創作活動だと認識している。

 3千年の長い眠りから突如目覚め、妄想世界で出会った様々な人たちの苦労、苦難、悲しみなどを作品として再現したくなった。

 それは自分でも理解できる。しかしなぜ、突然飛躍していきなり多言語になってしまうのか。それはまだ自分でも理解ができていない。

 自惚れだ、自信過剰だと酷評されてもかまわないのだが、国籍や人種、時代が異なっても、人間として自身の体内に有する「心」、「精神世界」の存在を感じることこそが、今を生きる人たちには大切な要素だという確信が、突如強まってしまった。

 つまり、マーケティング的には無謀なことかもしれないのだが、国境や言語という垣根を取っ払い、心に伝わり心で感じていただけるようなメッセージを、世界中に拡げたいという使命感に目覚めてしまったようだ。

 これまでに、6万世帯以上のご家庭にお届けしている、お子さんの名前が入った絵本「大切なわが子へ」だって、もしかしたら、いろいろな言語で製作し、世界中のご家庭で家族の絆を大切に育てるきっかにしていただくべきなのかもしれない。・・・こんな感じで、妄想は果てしなく拡がって行くようだ。

 だがしかし、この妄想が「世界中」からさらに発展し、「宇宙中」のご家庭に・・・なんて言い出すようになったら、そのときこそ精神科のお医者さんは、喜んで病名を付けてくれるのではないだろうか。

 さすがに、そこまでは病的になってはないのでご安心いただきたい。

 先週は、海外版権を仲介する著名なエージェント2社に何度か電話し、様子を教えていただける機会があった。一瞬迷ったのだが、多言語出版を推進するチームを、自前で編成し推進する方向性を目指すべきだと感じ始めてる。

 最終的に、どの程度の数の言語に翻訳され、かつ継続の重要要件である販売部数がどの程度になるか。これだけはやってみなければ分からない。

 ふと、第一線から退いて隠居すべき年齢になっているのに、なんて無謀なんだろうという気持ちを感じるときもある。しかし、現実世界では身体機能が老化していたとしても、妄想世界では時間と空間を超越した存在であり続けようという気持ちが強まっている。

 何か病名が付いてもいいではないか。人に迷惑や危害を加えて強制入院されない限りは、自分らしさを失わず自分らしく生き続けたいものだ。

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by hirune-neko | 2020-07-06 22:59 | 創作への道 | Comments(0)

歩きながら、自己との対話の夜だった


Reflections in D • Bill Evans
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 今朝、月末の振り込みに着手したのだが、トークンの6桁の数字を読み取るのが容易でななく愕然とした。両眼を酵素でケアしているのだが、まだ顕著な効果が出ていない。

 海外出版の仲介会社の1社に、また電話した。具体的な数字でシミュレーションしたいと思ったからだ。大体のことは理解できた。間に仲介会社を入れて版権の譲渡だけだと、数字は思ったよりずっと良くなかった。

 億劫だったが、夜になって歩きに出た。歩きながら、多言語出版のマーケティング手法を、仲介会社に全面依存するべきか、あるいは国際的な出版ネットワークを自力で構築するべきか、ずっと考えていた。

 「一体、何のために多言語出版をするのか」。原点をしっかり見据える必要があると思った。

 世界中、どの出版社も売れそうな本を出版する。売れそうもないものを作るわけがない。

 しかし然らば、販売部数を伸ばし、売上金額を増大させることが、最優先の課題なのだろうか。他に異なる優先事項はないのだろうか。

 著者としては、できるだけ多くの読者に読んでもらいたい、という希望はある。販売部数を伸ばすこととは矛盾しないと考えた。

 そのとき、脳内にあるイメージが浮かんだ。まだ見ぬ国の、会ったこともない出版社の皆さんの存在だ。具体的な性別や年齢、容姿が思い浮かんだわけではない。おそらくは、どこの国の出版社も、良書を普及しようという志を持って出版活動をしているはずだ。

 しかし、アマゾンに代表されるようなインターネット書店の出現、それに伴い、電子書籍の普及、活字離れなど、逆風の中で努力している出版社が多いのではないだろうか。書店も然りである。

 書籍の命はコンテンツだと思う。「売れる」本を出版し続けるのは容易ではないと思う。しかし、ある作家に固定読者が増えることは、出版業の継続を背面から援護することになるのではないだろうか。

 さて、私の作品には、固定読者を確保するだけの魅力があるのだろうか。それはやってみなければ分からないことだ。

 しかし、3千年生き続けてきたネコが、長年の現実や妄想の中で出会った、様々な人たちの生き方を作品の中で再現する、という設定は、なかなかユニークな方なのではないだろうか。そして、3千年の眠りから目覚め、現代人の皆さんの心に届くメッセージとして、短編作品を書き始めた・・・そんなに悪くないのではないだろうか。

 結果として、まずまずの固定読者を確保できれば、とくに零細な規模の出版社にとっては、経営的にプラス要因になり、出版活動の継続を後押しできることになるのではないだろうか。

 こんな感じで、今日は初めて海外の出版社の立場というものが視野に入った。良心的で、理念や哲学を大切にしている出版社であれば、規模の大小は問わない。

 ・・・とまあ、そのようなことをぼんやりと考えた。それで?では、現実的にどのようなマーケティング戦略になるのか?と問われても、具体的な案はまだ決めかねている。

 しかし現実的には、海外出版の仲介会社に全面依存するか、あるいは時間をかけても、独自の国際的な出版ネットワークを創出するかの、二者択一でることは言うまでもない。

 ところで、私は何歳になったのか?そのような現実的な制約がなかなか視野に入ってこない。余命期間を意識せず、ただひたすらに脳内妄想の実現を推進するのは、ある意味では恐ろしくもあり、また無責任なことでもあるのではないだろうか。

 毎日、血糖値、血圧、立ちくらみ、よろけ、視界の曇りなどを認識しながら、今日も脳天気に妄想の現実化という病と戦っている。

 ただ幸いなことに、こんな私の、もしかしたら無謀かもしれない構想に共鳴し、手伝おうとしてくれる人が、何人か存在しているのは、本当に嬉しく有難く、また心強い限りだ。

 あと2分で午前1時である。なかなか朝型には至らない、腑抜けネコである。

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by hirune-neko | 2020-07-01 01:13 | 創作への道 | Comments(0)

少しだが、全体像が見えてきた


Sarah Vaughan: Autumn In New York
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 少し楽になったが、ちょっと前までは疲労の極致だった。

 過日、編集経験が豊富な知人からの情報で、日本の大手出版社は海外の出版社と、翻訳出版の取引をしていると教えてもらった。

 そのときに名前が挙がったある大手老舗出版社に電話してみた。まことに図々しいお願いだが、と前置きし、海外出版社との取引の概況を教えていただきたい、とお願いしてみた。

 電話に出た方は、親切に様子を教えてくれた。

 どこの出版社も、エージェントを使っており、直接海外の出版社と交渉しているわけではない、と教えてくれた。一瞬、エージェントというのは、海外のそれぞれの国のエージェントだと思ったのだが、2社のエージェントの名前を口にしたのを聞いて、ああ、日本の企業だと思い出した。

 これまでに一切の取引は無いのだが、名の通った海外出版の仲介会社である。そのエージェントに電話して訊くことを勧められた。

 即座にインターネットで検索し、それぞれのサイトをざっと閲覧したが、海外の著名な著者の版権を日本の出版社に紹介し、日本語の出版を勧めるのが主要な業務のようだ。

 図々しさを発揮し、2社両方に電話した。

 弊社は、日本の出版物を海外の出版社に売り込みたいと考えている、とストレートに伝えてみた。どのような決済の流れで、エージェとしての報酬はどのような計算をするか、というおおよその仕組みは理解した。

 経験豊富な企業なので、全面的にお願いすれば、海外出版社との面倒な交渉をしなくて済む、という考えもあると思う。

 しかし逆に、独自にインターナショナルなネットワーク構築ができないものだろうかと、別の選択肢に関心が強まった。

 久しぶりに海外の情景をイメージしたせいか、そういえばニューヨーク・セントラルパークで、不思議な猫に出会った経験をブログに書いたような気がした。いくつかのキーワードで検索したが見つからなかったが、なんとか見つけた。

 どんなストーリーだったか思い出せなかったので読んでみた。そして改めて、自分の短編作品を書く動機の原点が、そこにあると感じた。

 少々長くなってしまうが、2011年当時の作品を、そのまま以下に紹介させていただく。退屈されるかもしれないが、私にとっては自分自身の原点を再発見したような、新鮮な嬉しさだった。

少しだが、全体像が見えてきた_c0115242_01242485.jpg

【ネコから届いた絵本】

 あなたはご存じないかもしれませんが、ニューヨークにはネコが書いた絵本を発行している出版社があるんですよ。それも、大手出版社のように初版が何万部とかの大部数を出版するのではなくたった一冊なんです。

 すっかり心を閉じてしまい、自分自身の存在すら、支えることが難しくなってしまった、そう、あなたのような人のためにそのネコは、たった一人の読者のために、一冊の絵本を書いているんです。

 もう20年以上も前のことです。当時の私は、各国の出版物を扱っていましたので、ヨーロッパやアメリカの都市を飛び回っていました。ロンドンではハイドパークを散歩し、パリではブローニュの樹木に親しみ、ニューヨークに行くと、決まってセントラルパークを訪れました。

 ある日、セントラルパークで、とても不思議なネコを見つけたんです。なんと、めがねをかけた瞑想するネコなんです。一瞬、視線が合ったんですが全然無視されて、また瞑想の世界に戻られてしまいました。

 レストランのウェイターに尋ねると、地元のニューヨーカーたちはそのネコのことを、尊敬の念を込めて「ミスター・フィロソファー」と呼んでいると説明してくれました。つまり、哲学者のように知恵と思慮に富んでいるというのです。

 なぜ?どうして?何があったの?

 その理由は誰も説明できないけど、いつのまにか、そういう評判がニューヨーク中に広まっているというんです。いやあ、さすがに世界の大都市だな、と感心しました。なので、それ以上は詮索せず、瞑想の邪魔にならないよう、疲れた足を引きずって、窓からメトロポリタン美術館が見えるホテルの部屋に戻りました。

 今、思い返しても、とても不思議な経験でした。深い眠りに落ちて数時間経った頃、もちろん深夜過ぎのことなんです。何かが聞こえるんです。その何かが、窓の方から徐々に鮮明になり、どうやらネコの鳴き声のようなんです。

げっ!私は一瞬、凍り付いてしまいました。きっと夢に違いない。そう思いました。だって、6階の部屋のベランダに、あの「ミスター・フィロソファー」がめがねをかけたまま、紙袋をくわえてちょこんと座っているのです。窓を開けると、ミューヨークの秋の夜の冷気が暖房の効いた部屋に、瞬時に吹き込んできましたので、あれはやはり夢ではなく現実だったと思うんです。

 小さなテーブルを挟んで私たちは向かい合いました。紙袋の中には、冷えたフライドチキンが2ピース入っていました。それと、レシートも入っていましたので気を利かせたつもりで、また冗談半分で訊きました。
「現金?小切手?どっちがいいですか?」

 「ミスター・フィロソファー」は、小銭だと持ち運びが面倒なので紙幣にしてくれと言うんです。財布の中を見ると、紙幣は10ドル札しかありません。「ミスター・フィロソファー」が言いました。「その10ドルでいいよ。おつりはもらっとくよ。」そう言い放つんです。まるで押し売りだなこりゃ、と心の中でつぶやきました。「私は、押し売りなんかじゃないよ。」「ミスター・フィロソファー」は
咎めるように言いました。げっ!この夜、二度目のげっ!でした。

 それから、私たちは延々と話し込みました。あのとき、ネコと人間が会話する光景を見たとしても「ミスター・フィロソファー」を良く知るニューヨークタイムズの記者様だったら、ちっとも不思議がらないで、まるで当然の出来事だとばかりに、驚かなかったでしょうね。

 さて、ここまでは前書きなんです。本題はこれからなんです。でも、とてもあのときの私たちの会話を詳しく書くことはできません。でもまあ、せっかくここまで読んでくださったのですから(勿体ぶって)特別に、かいつまんでお教えしましょう。

 「ミスター・フィロソファー」は、数年前まではたくさんの著名な新聞社に、コラムの連載執筆をしていました。もちろん、地元のニューヨークタイムズだけでなく、海外のデイリー・テレグラフ 、インデペンデント 、ガーディアン 、フィガロ、シュピーゲル、北海道新聞、室蘭民報、陸奥新報、岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友新聞などなど。それはそれは猛烈な勢いで、コラムを書いていたんです。目の回るような多忙な毎日でした。

 「ミスター・フィロソファー」には孫ネコが一匹だけいました。ホワイティという名の、かわいらしい白ネコでした。ホワイティは、ある雨の夜、両親と一緒に家に急ぐ途中、交通事故に遭いました。居眠り運転のトラックが、突然向きを変えて突っ込んできたのです。とっさのことで逃げることができず、両親はホワイティをかばって犠牲になりました。あっという間に両親を失ったホワイティは裕福なおじいちゃんネコの「ミスター・フィロソファー」に引き取られたんです。

 昼間はメイドネコが何匹もいて、世話をしてくれました。おじいちゃんは、欲しいものは何でも買ってくれましたニューヨークで手に入らないものは、わざわざ日本のジャパネット・タカタから送ってもらうこともありました。
でも、ホワイティの心は沈んでいました。毎晩、ホワイティのために、手作りの絵本を読んでくれた両親は、もうそばにいないからです。そこでホワイティは、おじいちゃんネコに頼みました。「おじいちゃん、お父さんやお母さんみたいにわたしにも、絵本を作って欲しいの。お願い。」

 おじいちゃんの返事はいつも一緒でした。
 「ああ、わかったよホワイティ。明日にはきっと書いて、寝る前に読んであげるね。おじいちゃんは、世界中の新聞社に記事を書いてあげてて今日は、大きな事件があったものだから締め切りが間に合わなくて、とっても忙しいんだよ。ごめんね。明日まで待っててくれるかい?」
 「うん、わかったわ。明日はきっとね。約束よ。」

 でも、その約束は、毎日延ばされました。来る日も来る日も、膨大な文字量の原稿をこなすおじいちゃんには、孫娘のために絵本のストーリーを考える時間的な余裕などなかったんです。

 数年後、記録的な寒波がニューヨークを襲いました。暖かい部屋でじっとして、決して外出しないようおじいちゃんが言いつけていたにもかかわらず、ホワイティは、失った何かを見つけようと街に出ました。とても寒くて凍えてしまいそうだったけれど心から暖まれる場所を探して街に出ました。歩きに歩いて、帰り道が分からなくなりとうとう力尽きて、ブロードウェイの劇場街近くで倒れてしまいました。息をするのも痛みを感じるほどの寒波でした。道ばたの仔ネコに、誰が注意を払うでしょうか。

 ホワイティの不在に気づき、ネコネットに緊急捜索要請をした「ミスター・フィロソファー」のもとに悲報が伝わったのは、深夜過ぎでした。ふかふかしたベージュの毛布にくるまれ冷たくなったホワイティを、おじいちゃんは一晩中抱きかかえて、眠ることをしませんでした。そのとき、「ミスター・フィロソファー」は深い自己嫌悪に包まれていました。

 「世界中の数千万人の読者のために、叡智を絞り出して役に立っていると自負していたが、結局は、身近なたった一人の小さな孫のために何もしてやれなかった。この子には、私しかいなかったというのに。」

 ホワイティの葬儀が済むと、「ミスター・フィロソファー」は弁護士に依頼して全ての新聞社との執筆契約をキャンセルしたそうです。そして、ニューヨークの名もない小さな出版社を訪ねました。来訪を受けた編集者は、それはそれは驚いたとのことです。それはそうでしょう。世界的に著名なコラムニストがいきなり訪ねてきてこう言ったのですから。

 「重荷を負って、苦しんでいる人がいたら、心を閉ざして、希望を失っている人がいたら、その人のために、文章を書かせてください。ただ一人の人だけを大切に考えて、役に立ちたいんです。」

 長い対話が終わりかけた頃、窓の外が白んできました。別れ際に、ベランダに向かう「ミスター・フィロソファー」は突然振り向いてこう言いました。
 「君は、相変わらず、毎日こしあんドーナツを食べているのかね?」

 げっ!この夜、三度目のげっ!でした。

 今でも、このAutumn in New Yorkを聴くと、「ミスター・フィロソファー」のことをまるで昨日のことのように、鮮明に思い出します。
       by hirune-neko | 2011-11-25 22
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by hirune-neko | 2020-06-30 01:24 | 創作への道 | Comments(0)

焦点が絞れなくなったが、新発見があるかもしれない

Chris Botti feat. Caroline Campbell & Sinfonia Varsovia - "Emmanuel" (cond.
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 未処理案件が堆積してしまい、最近はいささかゲンナリしていた。もうこれは、タスク管理ソフトをしっかり活用するしか打開策は無いと考えた。

 まずは、リスト化されている50数案件・・・いくつかは処理済みだったが、それ以外の全てが期限超過だった・・・の達成期限日を、片っ端から大幅に延長する作業を行った。

 月初から請求書発送という案件を引きずっていたので、今日こそはと思って手を付け始めたら、相前後して2カ所の産婦人科の経理担当者の方から、請求書が届いていないという連絡があった。なんとか夕方の郵便屋さんの集荷に間に合わせることができたた。速達扱いにした。

 現在の私にとっての重要案件は6種類だ。脳内整理のために書き出すと、以下のようになる。

1.全国の産婦人科への提案書作成と営業コンタクト開始
2.全国の市町村への提案書作成と営業コンタクト開始
3.自作短編作品の多言語出版(暫定的に、日本語、英語、スペイン語)
4.ファミリー・インテリジェンス研究所の機能充実化
5.全国の新聞社、雑誌出版社への記事紹介依頼の仕組み構築
6.インターネット上の各種サービスサイトのリサーチ

 ざっとこのような感じなので、もうしばらく充電期間が必要だと思っている。

 今日、ふと思い立ち、編集経験が豊富な知人男性に電話した。彼は、かつて弊社がC.W.ニコルさんの書籍とムックを何点か出版したとき、編集を担当してくれた。「風を見た少年」「ぼくのワイルドライフ」、「冒険家の森」、「ワイルドランド」などだ。

 彼は電話に出るなり「お元気ですか?」という言葉を発した。私の名前が表示されたのだと思う。

 かなり長い時間にわたって、多言語絵本出版についての意見交換をした。その際に、イギリスのある出版社が「骨董価値のある品々」というテーマの書籍を英語で出版し、次いで世界中の出版関連企業に対し、どのようなアプローチを行い、どのような手法で多言語出版を実行したかを教えてくれた。日本では、主婦と生活社が、日本語で出版したそうだ。その他、何カ国語で出版したかの詳細までは不明だが、中国やロシアの名前も出て来たので、かなりの言語数だったのではないだろうか。

 オリジナルは英語版であり、各国語版が何種類も出版されたことになる。最も参考になったのは、その英国の出版社が、全言語の出版を自社で管理し、香港だったか中国だったかで安く印刷し、世界各国に送ったという点だった。確かに、それだと印刷部数の過少申告をされるリスクは無くなる。なるほど。

 どんな内容のストーリーなのか、と質問されたので、「子どもの夢を壊す物語」の流れを、ざっと説明した。途中で何度も言葉に詰まってしまった。彼は、中高生にも向いているのではないか、と助言してくれた。なるほど、参考になった。

 昨日、地元の郵便局の担当者の方に電話した。仮に日本国内で絵本を印刷し、南米や北米など世界各国に送るとしたら、どのような方法があるかを相談した。余談だが、今年は初めて郵政大臣から年賀状が送られてきた。驚いたのだが、ここ数年は患者さん宅へ絵本直送を希望する産婦人科が増えており、年間100万円単位の郵便料金を払っているせいなのだろう。

 海外へは、船便、EMS、SAL便などがあることは知っていたが、印刷物の場合は、川崎にある特別な郵便局から海外に発送する仕組みがあり、値段も安いらしい。聞いたことのないサービス名だった。調べるのに数日時間がほしいと言われたので、やはり一般的なサービスではないのだろうと思う。

 まだまだ検討材料は多いものの、とりあえずは著作権フリーのイラストを使い、3カ国語を各ページにレイアウトすると、どんな感じになるか試作してみようと思っている。

 編集のプロの方からいろいろ意見をいただいたので、瞬間的には焦点が絞れなくなっているが、時間経過とともに少しずつイメージが像を結ぶだろうと、楽観的に考えてもいる。

 紀元前1000年頃、古代イスラエルで生まれ、3千年以上を生きている・・・と思い込んでいる、昼寝好きのネコが著者である、というのは、今にしてみればなかなかユニークな発想なのではないだろうか。

 それは本当の事実だ、などと真顔で言っても、フンと鼻であしらわれるのが関の山に決まっている。私自身、もう古い話なので記憶がすっかり薄れているのだが、旧約聖書を読んでいると、時々なんとなく懐かしさを感じることがある。もしかしたらひょっとして、実際に私は無国籍で3000歳の老ネコなのかもしれない。それをすっかり忘れているだけなのだ、という不思議な気持ちに包まれることがある。

 創作の世界に埋没し、登場人物の人生の悔悟や葛藤、感動などの心情を文章化することが、最も情熱を感じ充実した時間だと、改めて感じている。
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by hirune-neko | 2020-06-17 01:02 | 創作への道 | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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