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昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:音楽・映画・本の世界( 214 )

現実世界と妄想世界の境界線を喪失した女流画家

Daniel Mille - Les Minots
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 私にとって金曜日は週末の一部だ。週の中で木曜日は忙しさのピークで、製本所に新しく印刷した絵本の原稿を届け、製本が終わった絵本を引き取る。金曜日は、ちょっとひと息つける日である。

 しかし今日の金曜日は実質的な月末なので、朝から振り込みの準備を始めた。相変わらず1件ずつ手作業で振り込んでおり、一括振り込みの手法を学んでいない。振込先の名前を確認し、金額を途中で3度ばかり確認し、トークンの数字を入力して振り込む。会社と個人を会わせて、100件までは行かないと思うが、それなりの数である。

 今日は視力が衰えているせいか、あるいは年齢相応の老化のせいか、振り込み作業の終了後は、どっと疲労が押し寄せて来た。珍しく夜の8時頃には寝室で身体を横たえた。1時間半ほどの仮眠の後、気力を振り絞って入浴、洗髪を終えた。疲労感が取れず、また寝室に戻って横になり、iPad Proを胸に載せて音声入力で今日のブログを更新しようと考えた。しかし思い直して、まだ電源を落としていないパソコンの前に座った。パソコンのウィルスチェックに時間がかかっていたからだ。

 少し迷ったが、久しぶりにフランス人アコーディオン奏者の、Daniel Mille(ダニエル・ミル)のアルバムから選ぶことにした。定かではないが確か、ピアソラへの追悼アルバムだったように記憶している。ひととおり聴いてみたのだが、決めかねたのでYouTubeで、Daniel Milleの動画を検索した。

 そこで目に留まったのが、冒頭の動画である。音楽だけだったら、そのまま聞き飛ばしたと思うのだが、映像に興味を持ち最後まで観てしまった。

 動画のクォリティ、登場人物の演技力、撮影技法などから判断すると、おそらくは映画作品の一部なのではないかと判断した。そこで、Googleで検索したのだが、とうとう見つけられなかった。曲名のLes Minotsgという言葉の意味すら、特定できなかった。

 この映像に登場する女流画家は、とてもユニークな感性を持っていると感じる。目の動き、表情、現実世界に重ね合わせる妄想画の構成・・・そのどれを取っても、病的なまでの特異性を感じてしまった。

 そこで、私なりに考えたタイトルは「現実世界と妄想世界の境界線を喪失した女流画家」となってしまった次第だ。

 普通ではない、鋭敏な洞察力と空想力の持ち主。そして市井の人々に対する、慈愛溢れる興味と関心・・・それらが渾然一体となった、女流画家だと感じる。

 もし、この映像の出自についてご存知の方がいらっしゃったら、是非教えていただきたい。

 Daniel Milleのアコーディオン演奏を聴きながら、この少々病的とも思える女流画家の世界を、改めて視聴されることをお勧めする。

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by hirune-neko | 2019-06-29 00:13 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

ミュージシャンの来歴にまで興味を持ってしまった

Loreena McKennitt- Caravanserai.flv
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 高校生の頃から、音楽的には偏食傾向が強かったようだ。1960年代の後半なので、ビートルズやモンキーズが全盛だったと思う。しかし、どういう訳か興味が湧かなかった。学校を抜け出して、ジャズ喫茶に通うのが日課になってしまったので、もっぱらジャズばかり聴いていた。

 ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスに傾倒し、大学の後半にはシャルル・アズナヴールを聴いた。やがてパコ・デ・ルシア、という感じだったが、40代にピアソラと出会い、すっかり虜になってしまった。

 ここ数年は、ダイアナ・クラール、ステイシー・ケント、エリアヌ・エリアスやシャーリー・ホーンなどの女性ヴォーカリストも、アルバムをダウンロードして聴いている。

 しかし、誰一人として音楽的な来歴などを調べたことはない。ところが、最近知ったロリーナ・マッケニット(Loreena McKennitt)に対しては、音楽という枠を越えた背景世界に興味を持ってしまった。

 最初の出会いは、映画で使われたTango to Evoraで、印象深い曲想だった。Apple・ミュージックに登録しているので、アルバムはダウンロードし放題なのをいいことに、ロリーナ・マッケニットのアルバム12枚をダウンロードし、1枚ずつ聴いている。

 徐々に理解できたのは、Tango to Evoraは唯一といっていいほど、現代的な作品であり、その他ほとんどは時空を超越した曲想で、時代も国籍も不明・・・というより、旧約時代の中東から現代にタムスリップして来たのでは、と感じている。

 そこで今日、ロリーナ・マッケニット(Loreena McKennitt)について調べてみた。さすがに、自分のブログで熱狂的に推挙している日本人の絶対数は少なかった。

 とても詳細な記述を見つけたので、長文になるが記録として以下に残しておきたい。
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【ロリーナ・マッケニット(Loreena McKennitt)】
■引用元:バイオグラフィー BIOGRAPHY

 あの壮大な2枚組『ライヴ・イン・パリ・アンド・トロント』からもう4年が、一番新しいオリジナル・アルバム『ブック・オブ・シークレッツ』からとなると、もう6年が経ってしまった。デビュー以降2~3年に1枚のペースで作品を届けてくれていた彼女だから、もうそろそろ次を、と本当は思いたいところだけれど、その願いはまだ届きそうにない。

 かねてからロリーナを聴いてきた方ならご存じかもしれない。彼女は1998年に婚約者を水難事故で失ってから、一切の音楽活動をやめてしまっている。いや、正確に言えば、『ライヴ・イン・パリ・アンド・トロント』は1999年9月の発売だから、それにかかるさまざまな行程には、事故後も関わっていたのかもしれないが、創作物として新しいものを世に送り出すというまでには、まだ至っていない。あるいは、もう2度とそれはないのかもしれない。本人にもわからないだろう。『ブック・オブ・シークレッツ』のレコーディングを見学させてもらった時に感じた、まるで音楽以外の雑念を振り払うかのように集中しサウンドを構築してゆく完璧主義者的な彼女のこだわりが、その事故によって乱れたのは、想像に難くない。これからのことは、神のみぞ知ること。彼女の次なるステージを信じて、今はただ、これまでの名作の数々を聴き続けるしかない。

 ロリーナは、カナダはマニトバ州モーデンの生まれ。その姓からもわかるように、ケルトの血を受け継いでいる。アシュリー・マックアイザックやナタリー・マクマスターらを輩出したノヴァ・スコシアを筆頭に、ケルト文化が根強く残っているカナダの大西洋岸だが、マニトバでもパブなどを中心にケルトの伝統音楽は受け継がれていたようで、その少女期の音楽体験が、以後の彼女の音楽人生に大きな影響を与えている。やがて彼女自身も、モーデン付近のフォーク・クラブやホールで歌うようになった。

 1980年代初頭になると、オンタリオ州ストラトフォードに移住。そこは大規模なシェイクスピアのフェスティバルが開かれる町で、移住はフェスティバルに役者、作曲家、歌手として参加するためだった。82年に『THE TEMPEST』、85年に『THE TWOGENTLEMEN OF VERONA』などを手がけている。さらにその後トロントへ出てバスキングも経験。地道な活動が実を結び、やがて彼女は海外で開かれる万国博にカナダ代表として出演、演奏したり、フォーク・フェスティバルで歌うようになる。そして、小規模ながら自分がメインのライヴを開くまでになった。

 1985年、ソロ・ミュージシャンとしての本格的なスタートを決心したロリーナは、自身のレーベル“クインラン・ロード”を設立。同年にファースト・アルバム『エレメンタル』を発表する。その後の輝かしいキャリアの幕開けを飾ったデビュー作だが、その手法はまだまだシンプル。ただひたすらにケルトの大地を見つめる。「ブラックスミス」「シー・ムーヴド・スルー・ザ・フェアー」「キャリックファーガス」など7曲がトラッド、残る2曲はウィリアム・バトラー・イェイツとウィリアム・ブレイクの詩にロリーナが曲をつけた。シェイクスピアをきっかけに身に付けたのだろうこの手法が、際立って素晴しい。

 1987年の第2作『ドライヴ・ザ・コールド・ウィンター・アウェイ』は、アイルランド、スコットランド、イングランドのキャロル集。なんといっても1曲目、18世紀イングランド産のトラッド「クリスマスを讃えて」の美しさが、何度聴いても心を揺り動かす。スタジオを使わず教会やホールで録音したことで神秘的な残響が漂う音空間が生まれ、シンプルな編曲により、彼女自身によるハープの音色も、より堪能できる。数々のキャロルに混じって収録された3曲のオリジナルも、伝統曲の美しさに全く負けていない。

 この頃のロリーナは、その表面的な音楽性から、よく“カナダのエンヤ”と紹介された。もちろん、共にケルトという揺るがぬルーツに根を張っているし、その透明感やシンセサイザーの音色からは、たしかにある程度の共通性が感じ取れる。

 しかし、その後彼女は、音楽をもってエンヤとの資質の違いを、そして無二の個性を明らかにしてゆく。その最初の試みとなったのが、1989年に発表された『パラレル・ドリームス』。その後彼女の片腕的存在として活躍することになるギタリスト、ブライアン・ヒューズが初めて関わり、前2作では稀薄だったリズムへのアプローチによって、新展開をみせた。ケルトのエッセンスを残しつつ、他文化圏の楽器の使用や自作曲を増やし、音楽家ロリーナの発展の跡を感じさせる。この、ケルトと異文化との融合が、以後のロリーナの音楽活動の一大テーマとなっていく。ターニング・ポイントともいえる1枚。

 1990年代は、まさにその才能があふれんばかりに開花した時代。通算4作目、ワーナー・ミュージック・カナダと契約しての第1弾となった1991年『ザ・ヴィジット』では、スケールもアレンジも格段にレベルアップ。ヨーロッパ大陸や中近東への視野の広がりを感じせ、アラブ音楽の旋律やインドの楽器シタールを導入しつつ、前作で見せたリズムへのアプローチの成果もいかんなく発揮する。一方では、プロのミュージシャンとしてのルーツであるシェイクスピアを題材に曲を付けた「Cymbeline」や、トラッドの「Greensleeves」を取り上げるなど、自らの足元もおざなりにはしない。ブライアン・ヒューズは、このアルバムから本格的にサウンド・ディレクションに関わるようになり、クオリティは格段に向上した。

 1994年の第5作『マスク・アンド・ミラー』は、『パラレル・ドリームス』以降の音楽的彷徨が遂に結実した濃密な傑作。スペイン、イタリア、モロッコ、北アフリカで吸収したエッセンスのすべてが集約された名盤である。曲作り、アレンジ、録音、どれもがよく練られ、そのクオリティの高さは“カナダのグラミー”と形容されるジュノ・アワード2部門受賞で実証された。ケルトの聖地アイルランドからは御大ドーナル・ラニーが参加、2曲でブズーキを演奏している。

 1995年の穏やかなクリスマス・ソング集『ウィンター・ガーデン』は、息を飲むような崇高な音世界を構築してきた彼女が久々に届けてくれた、心に深く染み入るような暖かいミニ・アルバムだ。もちろん、ロリーナの妥協のない音作りへのこだわりも変わらないけれど、有名なイギリスのキャロル「Got Rest Ye Merry, Gentleman(世の人を忘るな)」やセカンド・アルバム収録曲の再演となる「Snow」などを、穏やかに、豊かに歌いあげる。この年にはチーフタンズと共に来日を果たしている。
 そして1997年、現時点での最新オリジナル作となる通算6作目『ザ・ブック・オブ・シークレッツ』を発表。アルバム・タイトルが示すとおり、マルコ・ポーロの『東方見聞録』など世界の歴史的な書物に題材を取り、その各地の音楽的要素を盛り込んで作り上げたコンセプト・アルバム。また、ギリシアやシベリアへの旅から得たインスピレーションも大きく作用しており、『マスク・アンド・ミラー』で見せた壮大で濃密な音絵巻をさらに突き詰めた内容となっている。全世界で300万枚以上の売り上げを記録した。

 この『マスク・アンド・ミラー』発売後のツアーでのパフォーマンスを収録したのが、1999年に発表されたベスト盤的要素の強い2枚組?a href="disc.html#lipt">wライヴ・イン・パリ・アンド・トロント』。彼女の初のライヴ・アルバムで、DISC-1は、『ザ・ブック・オブ・シークレッツ』全曲、DISC2は現在までの代表曲で構成されている。片腕ブライアン・ヒューズに、ベースのダニー・トンプソン、ヴァイオリンのヒュー・マーシュ、ソロ・アルバムが日本でも発売されたチェロのキャロライン・ラヴェルら、天才プレイヤー達をバンドとして従え、完璧な演奏を展開する。ロリーナの歌声もスタジオ盤で聴くのとはまた違った力強い魅力にあふれ、感動的である。

 というわけで、これまでに8タイトルのCDを世に送り出しているロリーナ。世界各地への旅から作品へのインスピレーションを育ててゆくという彼女の音楽は、まるで彼女の旅のサウンドトラックである。『ザ・ブック・オブ・シークレッツ』発表後には中国を旅していたというから、例の悲劇がなければ去年あたりには、中国や、ひょっとしたら日本、ひいてはアジア全体を視野に入れたようなアルバムが作られていたかもしれない。しかし、もしも彼女がこれから音楽界に復帰することがあるのなら、また違うアイディアがコンセプトになるはずだとも思う。しかし、そのどれもが、今は淡い憶測でしかないのが、やはり残念である。

 しかし、そんな憶測をよそに、彼女のこれまでの作品は、何年経っても輝きを失っていない。魂を、全身全霊を込めるように作られた音楽は、そう簡単に色あせるはずがない。今、彼女のアルバムをすべて聴きなおし、いくつかの新たな発見を自分なりにしながら、復活を祈るというより、むしろ、これだけの作品をわずか10年余の間に刻んだ彼女の才能の深さに、あらためて驚きと敬意を感じている。

2003年9月19日 高橋晃浩

(以下は関連リンク先)
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by hirune-neko | 2019-06-24 00:06 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

ビル・エヴァンスとキース・ジャレットの聴き比べ

My Foolish Heart
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 高校生のとき、スピーカーから流れてきたピアノの演奏を聴き、ビル・エヴァンスの演奏だと確信した。しかし違っていた。キース・ジャレットだったような気もするし、チック・コリアだったような気もする。もう憶えていない。。

 半世紀ほど経って、改めてキース・ジャレットの演奏を聴いてみた。このMy Foolish Heartは、ビル・エヴァンスの演奏で何度も聴いている。両者の違いを言葉で表現するのはとても難しい。しかし、敢えて言葉にすれば、ビル・エヴァンスの演奏は、重心がとても低いと思う。つまり、独自のスタイルを持ち、聴き手に対して媚びたり、妥協する気配はみじんも感じられない。やはり、孤高の演奏家なのだろう。

 今朝、倉庫に絵本の表紙が千枚届いた。20梱包である。搬入を手伝いに行き、多少は肉体労働をしたせいか、一日中眠気に襲われている。これを機会に、免疫力が回復するといわれる、午後10時から午前2時の時間帯は、なるべく寝るようにせよという、天からの促しなのだろうと、真摯に受けとめることにした。

 昨晩はブログ史上最短の記事を宣言したが、結局はいつもの文字量になってしまった。しかし、今日はせっかくのいい機会なので、これにてパソコンの電源を落とし、入浴してそのまま寝ることにする。

 素っ気ない記事で大変申し訳なく思っているが、わがままをお許しいただきたい、布団の中で身体を伸ばし、ほっとする瞬間はまさに至福の時である。

以下は同じMy Foolish Heartで、ビル・エヴァンスの演奏である。やはり、不可侵領域を感じさせる孤高の演奏家だと思う。
bill evans trio - my foolish heart

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by hirune-neko | 2019-05-24 22:53 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

国会議事堂に行ってきました。

Ave Maria-アヴェマリア-|『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ
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 いや別に、衆参同時選挙を見越して、立候補を検討しているという意味ではない。なんと、いただいた菓子箱のラベルを見たら「国会議事堂に行ってきました」という商品名が印刷されていた。へえ、こんなネーミングのお菓子があるんだ、と驚いてしまった。中はクッキーだった。

 過去に何度かご紹介したことのある、池田クレモナ・モダンタンゴ五重奏団・・・今は音楽工房という名前なのか・・・が、CDリリースのため上京し、平和島の音楽スタジオで録音するというのでお邪魔して来た。その際に、お土産で頂戴したのが、上記のお菓子である。

 スタジオに到着した時は丁度、ロコのバラードを演奏・録音していた。録音後の微調整の様子は初めて見たが、ハイテクであり何がなんだか、さっぱり理解できなかった。続いて、アディオス・ノニーノで録音が完了した。

 彼等の演奏は、もう何年も聴いているが、音楽的な幅と深みが出て来たと感じた。編曲・監督兼務の梶野さんと、スタジオ内の演奏家の方とのやりとりは、時として上方漫才のノリである。

 つい最近、ブログでピアソラのPreparense・プレパレンセという曲を紹介した。調べると、スペイン語で「準備をしなさい」という意味のようだ。この曲を聴きながら、どういう訳かクレモナのお嬢さん達が演奏する光景が目に浮かんだ。ピアソラにしては珍しい曲想だと思う。割と陰影が薄く、どらかというと、明るく、希望に向かって前進する清々しさを感じる。そんなところから、クレモナのメンバーの皆さんが思い浮かんだのだろう。

 録音終了後、梶野さんに質問してみた。ピアソラのプレパレンセはレパートリーの中にあるかどう訊いてみた。すると、候補の中にあるという。「結婚する準備をしなさい」という曲想だからぴったりだね、というと笑顔になった。

 スタジオは初めて行ったが、平和島から20分と聞いていたので歩くことにした。iPadのカーナビに予め住所を登録し、駅から案内開始ボタンをタップした。起動時の最初だけは反応せず、違った方向に向かったが。最終的には無事に到着した。

 帰りも駅まで歩いたので、今日は一日だけで歩行数が1万歩を超えた。

 いずれCDがリリースされたら、改めてご紹介させていただく。ピアソラにとっては、若い女性達に音楽的な反逆ののろしを上げられ、笑みがこぼれているだろうと想像している。

 ピアソラ作品をメインレパートリーとして情熱を傾ける、20代の女性達を私も応援したいと思っている。

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by hirune-neko | 2019-04-25 01:27 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

never let me go〜私を離さないで

Never Let Me Go - Rachel Portman - We All Complete
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 選曲を考えたとき、すぐに思い浮かんだ曲は、ビル・エヴァンスが演奏する「Never Let Me Go」だった。ほぼ同時に、ステイシー・ケントが歌う「Never Let Me Go」も思い浮かんだ。どちらにしようか迷いながら、YouTubeで聴き比べてみようと思った。

 分かりやすい曲想のステイシー・ケントがいいか、ちょっと難解で大人向けの渋い、ビル・エヴァンスの演奏がいいか、決めかねた。

 検索をかけたら、曲名の後ろにsound trackという単語が付いている見出しがあった。そういえば、日系英国人作家のカズオ・イシグロ作品が映画化されており、その原題が「Never Let Me Go」であり、ほぼ直訳の邦題が「私を離さないで」だったことを思い出した。

 まさか、ジャズ・スタンダードの「Never Let Me Go」と、カズオ・イシグロ作品の映画「Never Let Me Go」に関連性があるはずがない、とは思ったのだが、そこまでは自信が無かったので、とりあえず映画の「Never Let Me Go」を開いて聴いてみた。

 上記の音楽が、それである。

 やはり、音楽的には無関係だった。しかし、かなり以前に観たカズオ・イシグロ作品の映画「日の名残り」の雰囲気を思い出した。アンソニー・ホプキンス主演の、地味な地味な映画だったと記憶している。

 いろいろ調べていたら、TBSがこの映画を、舞台設定を日本に変えて金曜ドラマとして放映していたことが分かった。知らなかった。

 カズオ・イシグロ作品の全てを把握してはいないが、かなり内省的と思われるような、人間の深層心理を深く掘り下げた作品が、エンターテイメント性溢れる作品をさておいて、ノーベル文学賞を授与されたことに、意外性とともに安堵感を感じた。

 昨日の突発的な心臓の不調を反省し、久しぶりに連続で5000歩を歩いてきた。祝日であっても、メールでの問い合わせ、郵便やインターネットから絵本製作の申し込みがあり、アルバムページ用の画像も届く。製作ラインの負担軽減のため、基本的な下処理をしなくてはいけない。

 さすがに歩き始めは脚部全体がガクガクしたが、なんとか歩き終えることができた。

 YouTube動画の羅列は、本来は邪道だと思うのだが、せっかくの機会なので、以下にステイシー・ケントの歌う「Never Let Me Go」と、ビル・エヴァンスのピアノ演奏の「Never Let Me Go」を紹介させていただく。

Never Let Me Go(Stacey Kent)

 私は、音楽的にはとても偏食傾向があり、新しい演奏家を発掘することはほとんどしない。高校生の頃から半世紀にわたり、ずっとビル・エヴァンスを聴いている。シャルル・アズナヴールだって、もうじき半世紀になる。

 ブログ読者のcausalさんという方は、音楽と映画にとても詳しく、しかも鋭敏な感性をお持ちだ。そのcausalさんが何年か前に。このステイシー・ケントの存在を教えてくださった。

 YouTubeでかなりの数を聴いたが、ひと言でいうなら、無邪気さと純真さが残っている歌手だ、という印象だ。

 うっかり忘れるところだった。シャーリー・ホーンは、causalさんから教えていただいたのか、偶然見つけたのか、もう憶えていないのだが、彼女の歌い方には最も近いものを感じる。

 シャーリー・ホーンは、もう既に他界している。記憶では、糖尿病と乳がんを併発し、アメリカの病院で亡くなったはずだ。人生の晩年で、過ぎ去りし様々なシーンを回想し、肯定的に懐かしみ、感情を込めて歌うその歌声には、達観、悔悟、憐憫など、全てを包括しようとする人格すら感じる。自分を独りにして去って行った男性(実際にどうだったかは知らないが)に対しても、恨みや憎しみの感情を昇華し、その男性の無事・平安を願っている・・・

 そのような完成度の高い心境を感じる。

Shirley Horn - "Never Let Me Go

 ようやく最後は、ビル・エヴァンスの演奏である。どうしてこのような、大人しか聴かないような演奏に、高校生の分際で傾倒してしまったのだろうか。自分自身のことなので、客観的に分析することは難しい。とにかく、感覚的に融和できる要素があったとしか言いようがない。

 ビル・エヴァンスの生涯は、決して幸福色に染まってはいなかったようだ。音楽性から伝わってくるのは、孤高で内省的な精神世界だろうか。確か離婚を経験し、最後は薬物で健康を害して亡くなったと記憶している。

 気になったので、Wikipediaで確認したら、このようなエピソードが掲載されていた。

 ・・・Wikipediaから部分転載しようと思い、改めて読んでみたのだが、暗く荒廃した人生だったことがよく分かったので、転載は止めることにした。

 どこからこのような曲想が生み出されるのか、皆目見当がつかない。おそらく、個人的に交流があったとしても、長続きはしなかっただろうと、容易に想像がつく。

 そのような荒んだ人生だったとしても、ビル・エヴァンスの音楽性は高く評価したいと思う。

 ビル・エヴァンスは笑った表情の写真を残していないそうだ。タバコと麻薬の常用が原因で、ひどい虫歯になっていたのが理由だそうだ。

 そういえば、私もひどい虫歯なのを放置し、リステリン・トータルケアでなんとかごまかしている。まさか、ひどい虫歯という共通点で、ビル・エヴァンスの音楽性に共感しているということはないと思うが、いつか歯医者さんに行く機会があったら、先生に訊いてみようと思う。

Bill Evans - Never Let Me Go (Alternative take)

 今日ばかりは、YouTube動画連発の、とんでもない記事になってしまい、お詫び申し上げる。

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by hirune-neko | 2019-03-22 01:56 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

纐纈・・・読めない名前だったが、意外な発見だった

Autumn In New York - Ayumi Koketsu
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 今日は、ダウンロードした約200種類のファイル名を編集するのに、何時間もの時間を費やしてしまった。

 なんとか終えて、ブログ用の音楽を選ぼうと思い、YouTubeを開いた。すると、いつものように、私へのお勧めというカテゴリーで、楽曲がずらっと並んでいた。大概は過去の再生データを元に選定しているので、見知ったアーティストばかりだ。その中に、日本人らしき若い女性の画像があった。曲名はAutumn In New Yorkとあったので、おそらくジャズ・ヴォーカリストだと思った。

 どんな歌い方をするのか興味があり、再生してみた。ピアノのイントロに続いて流れてきたのは、サックスのメロディーで、一向に歌声が出てこない。おかしいと思って調べたら、この女性はヴォーカリストではなく、アルト・サックス奏者だった。

 名前はローマ字表記で、Ayumi Koketsuとなっていた。こけつ?一体何人だろうと思って検索してみたら、漢字では「纐纈」と書き「こうけつ」、と読むそうだ。愛知県や岐阜県に集中して存在する名前だそうだが、仕事柄、珍しい名前はたくさん目にしている私にとって、初めて目にする名前だった。

 それよりも驚いたのは、その演奏スタイルである。最初のフレーズを耳にした瞬間、デクスター・ゴードンのような、円熟した男性の演奏を連想した。デクスター・ゴードンは確か、テナー・サックスだと思うのだが、この女性はアルト・サックス奏者のようだ。なるほど、途中の何カ所かとエンディングの数フレーズは、アルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーを彷彿とさせるメロディーであり、音色でもあった。勝手な想像だが、チャーリー・パーカーの影響を受けているのではないだろうか。

 それにしても、自分の音楽的偏見を正すいい機会だった。先入観無しで演奏だけを聴いたとしても、国籍はアメリカの黒人ジャズ奏者で、性別は男性、年齢は少なくとも50歳代で、体系は小太りであまり背は高くない・・・そのよなイメージでで聴いただろうと思う。

 何度も書いているが、高校生の頃からかなりの時間を、ジャズを聴いて過ごした。六本木などのジャズクラブでは、著名な日本人ジャズ・ミュージシャンの演奏もかなり聴いた。従って、聴く耳は肥えているという自負心を持っていた。

 このAyumi Koketsu=纐纈歩美さんの演奏、音楽性、感性、表現力から感じるのは、日本人の枠をはみ出した、存在感のあるプロフェッショナルなジャズ・ミュージシャンである・・・というイメージである。

 ついでみたいで申し訳ないが、ピアニストのアドリブ演奏もなかなかのものだ。派手さはないが、ベーシストとドラマーも、大人の演奏で、いい雰囲気を作っていると感じながら、聴くことができた。

 残念ながら、Appleミュージックではアルバムを見つけられなかったので、YouTubeからダウンロードし、音声ファイルに加工して持ち歩こうと思う。

 おっさんの演奏だと思って聴いたので、いやあ本当に、驚いてしまった。

【纐纈歩美公式ホームページ】
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by hirune-neko | 2019-02-12 01:08 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた

 
私の人生 - 大庭照子
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 私には麻雀仲間とか、将棋やカラオケ仲間などは存在せず、ひたすら孤高(笑)の私生活だが、家内はコーラス仲間とか、娘のバレエ時代のお母さん仲間とか、とにかく交遊範囲が広い

 以前から、コーラス仲間の皆さんに誘われて、童謡とシャンソンを歌われる、大庭照子さんのステージを聴きに行ったことは、何度も聞いていた。石井好子さんの跡を受けてパリ祭を主催していたとか、いろいろご苦労されたような話を漏れ聞いていた。なんでも、平成元年10月10日に阿蘇で童謡ピクニックを開催し、阿蘇発の童謡運動を始めたそうだが、再構築・再挑戦のため、70歳になってから童謡普及の事務所を立ち上げたとか、とにかくバイタリティ溢れる方だと思っていた。

 たまたま、関内でシャンソンを歌うステージがあると言われた。いつも自閉気味で引きこもりのような毎日なので、たまには生のシャンソンを聴くのもいいなと思い、行く気になった。ところが、申し込んでから、シャンソンではなく童謡のステージだということが分かった。もうすでに申し込んだ後だったので、キャンセルするのも申し訳ないと思った。それにしても、長時間に渡って童謡を聴かされるのかと考えただけで、私の心は動揺した。(笑)

 でもまあ、たまには童心に返り、心のどこかに残っているかもしれない、無邪気さを探してみようと思った。

 関内駅から歩いて会場に向かった。途中で道に迷い、トヨタレンタのカウンターで調べてもらった。どうやらテレビ神奈川のビルの中らしい。

 なんとか探し当てたが、テレビ神奈川と並んで、神奈川新聞の名前があった。おお、かの有名な神奈川新聞か、という不思議な出会いだった。

 ステージは1時間半程度だっただろうか。童謡のソロだけかと思ったら、教え子の小さな子どもたちがステージに立ち、数曲披露した。ヴァイオリン演奏の飛び入りもあった。元NHKラジオ深夜便のナレーターの方が紹介された。大庭照子さん曰く、童謡だけでなく、朗読教室も開きたいそうだ。へえ、朗読なら習ってみたいなと、また悪い癖が出て、興味を持ってしまった。なんでも、日本童謡学会なるものができて、名誉理事を引き受けたとか、とにかく80歳とは思えない積極性溢れる方だった。

 なんと、国歌である君が代も歌われた。君が代が本来の意味をねじ曲げられて、戦争に引き込むための歌だとか非難され、大変な扱いをされたが、いずれ何かの機会に、君が代の歴史的背景を話したい、と仰った。おや、なかなか保守的な考えの方なのだなと思った。

 子どもに対する心からの純粋な愛情、国家に対する愛国の情、一人ひとりに対する細やかな気遣い、教育者としての不屈の精神、頭の回転の速さなどを感じさせるステージだった。大庭さんの歌からは、安心して聴ける人格、寛容さが伝わってきた。ステージが終わってみると、心が洗われるような爽快感が残っていた。

 終演後、出口の所で見送りの挨拶をしていらっしゃったので、何かひと言お礼の言葉をお伝えしようと思ったら、横から家内のコーラス仲間の方が、「とても感動されたそうですよ」と代弁してくれた。言おうと思ったことを言われてしまい、言葉を失った私は、とんでもない誤解を招くことを言ってしまった。

 「遙か昔のことですが、銀座の日高なみさんのお店(マ・ヴィー)と蛙たち(両方ともシャンソニエ)によく行ってました。パリ祭の時、マ・ヴィーで歌ったんですが、フランス語で歌ったのに、今のは中国語ですか?と言われてしまったんですよ。アハハ」・・・大庭さんの表情が、一瞬固まってしまったように見えた。

 完全に言葉足らずの表現だった。この言い方では、まるで私が名も無いシャンソン歌手であり、かつては銀座のシャンソニエで歌っていたかのように聞こえただろう。40年ほど前の当時、マ・ヴィーでは、パリ祭の日は特別にお客さんが歌わせてもらえた。当時は毎日のようにアズナヴールを聴いていたので、ピアノ伴奏で「ラ・ボエーム」を歌った、というのが実際の経緯だった。歌手でもなんでもない。

 大学生の時、フランス語の授業で、朝倉季雄先生が私のフランス語をお聞きになり、「キミはフランスに住んだことがありますか?」と仰った。とても嬉しくて、フランス語の発音にはすっかり自信がついたというのに、今のは中国語ですか?と言われてしまい、奈落の底に突き落とされた心境だった。

 いろいろ学ばせていただき、また自分自身の視野にも、童謡を入れるべきだという発見があったので嬉しかった。

【参考資料】
大庭照子プロフィール
熊本出身。
 フェリス女学院短期大学音楽科卒業。三宅春惠氏に師事。二期会研究科を経てポピュラー音楽に転向。1967年日本シャンソンコンクール入賞。1971年にNHK“みんなの歌”で「小さな木の実」がヒット。この年より全国各地でスクールコンサートを開催し、今までにのべ3000校以上をまわる。

 日本青年会議所主催の「青年の船」の音楽講師を10年間務めた他、外国アーティストの招聘やシャンソンの祭典「パリ祭」の主催、「全国童謡・唱歌サミット」を開催するなど多彩に活動。2000年よりキングラン㈱主催の老人保健施設、病院コンサートで全国をまわっている。

 1987年第17回日本童謡賞特別賞、1988年第1回下總皖一音楽賞(演奏部門)、1995年第35回久留島武彦賞(個人賞)、2001年くまもと県民文化賞の各賞を受賞。現在NPO法人日本国際童謡館館長、日本ペンクラブ会員、JASRAC会員。キングレコード専属。

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by hirune-neko | 2019-02-04 00:17 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

久しぶりの映画に、元気と勇気を与えられた

"Last Tango in Paris".... theme from the movie
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 珍しく不調の一日だった。どのように不調だったかを、言葉で説明するのはなかなか難しい。

 敢えて説明するなら、案件を抱え込みすぎて空回りし、自信喪失気味の自閉症、鬱症状、人と口をきくのが億劫で、食欲もない。今日など、1食しか食べていない。歩くなんてとんでもない、という気分だった。

 さて、どのように回避しようかと考えたとき、久しく映画を観ていないことに気づいた。2018年は、ほとんど観た記憶がない。ずっとストイックな生活が続いている。

 思い切って仕事を離れ、たまには映画を観ようという気になった。すぐにアマゾンのプライムビデオで探してみた。すると比較的すぐに目に飛び込んで来たのは、次の説明だった。

 「元CIAエージェントのマッコールは、いまはホームセンターで働く、ごく普通の真面目な人間として生活していた。しかし、ある夜、なじみのカフェで娼婦の少女テリーと出会い、彼女を囲うロシアンマフィアの非情さに、内に眠っていた正義感が目を覚ましていく。かつてのマッコールは、身のまわりにあるあらゆる物を武器に変え、警察では解決できない不正をこの世から瞬時に消してしまう『イコライザー』と呼ばれる男だった。マッコールはテリーとの出会いから、再びイコライザーとしての仕事を遂行していく。

 プライム会員なので無料だし、やはり元CIAエージェントという言葉に反応してしまったようだ。

 冒頭のテロップを目にして、いきなり集中力が復活した。

 「人生で一番大切な日は、生まれた日と、生まれた理由が分かった日」—M. トゥエイン

 英語では、このように並記されていた。

 The two most important days in your life are the day you were born and the day you find out why. —Mark Twain

 なかなかの至言だと思ったら、マーク・トゥエインの言葉だったのだ。なるほど。

 最初にこのような含蓄ある言葉を提示されたので、一気に集中力が高まってしまった。再生時間は2時間ちょっとと表示されたので、ずいぶん長いなと思ったが、一気に最後まで観ることができた。

 主人公の黒人男性には見覚えがあったが、最後まで名前を思い出せなかった。デンゼル・ワシントンだったが、何の映画で観たのか、とうとう判明しなかった。

 現金なもので、この作品によって元気と勇気が蘇生し、夜の10時過ぎから往復5000歩を歩きに出た。一体何が原因で不調だったのか、一向に分からないのだが、おそらくはやはり、案件の抱え込み過ぎなのではないかと思う。

 正義感が覚醒し、平凡な人生を送っていた元CIAエージェントが、単身でボストンに巣くっていたロシアンマフィアを撲滅し、さらにはロシアにまで行き、マフィアのボスを粛正する。

 この映画の良さは、単なる痛快アクションに終始していない点だ。人間の内面、弱さ、勇気、正義感という要素を巧みに伏線として使っている。

 その彼の口癖は「なりたいものになれる」だった。つまり、障害物があって行く手を阻まれても、希望を失わずに努力していれば、いつかは実現する、という励ましの言葉である。

 もう一つの至言を目にした。あちこち再生して探しものの、とうとう.見つけられなかったので、正確な表現はできないが、「人生では、目的地に到達するまでに、いくつもの失敗を経験するものだ」・・・という内容だったように思う。

 ネタバレになってしまうが以下に、Wikipediaで紹介されていた作品の概要と、予告編動画を紹介いさせていただく。雰囲気だけでも味わっていただきたい。久しぶりに、佳き作品と出会い至福のひとときだった。映画1作品で不調から脱却できるのだから、深刻な症状ではなさそうである。

【イコライザー/Equalizer〜Wikipediaより】
マサチューセッツ州ボストンホームセンターで働きながら平穏な日々を送るロバート・マッコールは、誰からも慕われる好人物で、深夜は行きつけのダイナーでの読書が日課となっていた。そのダイナーには同じく常連で、テリーと名乗る少女娼婦のアリーナがおり、言葉をかわす内に奇妙な友情が芽生えいく。歌手になる夢を持つアリーナは、娼婦の仕事に嫌気がさしていたが、やがてアリーナは自分に暴力を振るった客に反撃して傷つけてしまう。客が苦情を入れたため彼女は、元締めでロシアンマフィアのスラヴィから見せしめに、よもや発声機能をも失いそうになるほどの激しい暴力を受けICU送りとなる。彼女の入院を知り、その悲惨な姿をガラス越しに見たマッコールはスラヴィらのいる一室に赴き、9,800ドルを提示して彼女を自由にするよう申し出るが、スラヴィは無下に断り、これからも彼女を搾取すると言い放つ。彼らのあまりの非人道ぶりに、ある決意を持ったマッコールは素直に引き下がる素振りを見せた直後に振り向くと、瞬時に彼らの手にしている武器や、全員の位置関係や狙いどころを目視でシミュレーションし、スラヴィを含め、その場にいたギャング5名を、その場にある物だけ用いて19秒で全員殺害する。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
・・・以下は省略させていただく。
The Equalizer - Official Trailer - In Theaters 9/26

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by hirune-neko | 2019-01-16 01:22 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

久しぶりに、コンサートホールに行ってきた

Samba em Prelúdio - Vinicius de Moraes "La Fusa" con Maria Creuza y Toquinho
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 場所は築地市場駅から至近で、朝日新聞の本社ビルの中のようだ。

 先生達とは、おそらく約20年以上ぶりの再会だった。最初から最後まで聴いたが、改めて自身の音楽的嗜好が固まっていることを認識した。

 電車を乗り継いで帰宅したが、今日は1食しか食べていなかったので空腹を覚え、途中でファミレスに寄って遅い夕食を摂った。おかげで帰宅したときは、すでに深夜0時を回っていた。

 明日の午後一番のミーティングが、急遽午前中 に変更されたので、今晩は早仕舞いさせていただく。せっかくお越しくださったのに、拍子抜けされると思うが、ご了承いただきたい。

 声楽の恩師は楽壇生活65周年だそうで、ピアノ演奏もされる多才な方だ。息子さんとお嬢さんも声楽家として育ち、舞台上で協演した。

 終演後、出演者の皆さんがロビーで挨拶されていたので、列に並んだ。大先生は、一瞬、私が誰か判別できなかったようだったので名乗ると、おお、懐かしいと言われた。それほど昔の生徒なのである。

 お嬢さんには、「人妻の○○ちゃん」と声をかけた。まだ独身の頃の生徒だったが、もうすでに51歳だそうだ。

 息子さんは懐かしそうに応対してくれ「また一緒にやりましょう」と誘ってくれた。「もうボサノヴァぐらいしか歌う気力はないですよ」と答えた。ご夫婦とも長くウィーンに留学されており、ウィーンと姉妹都市だという、世田谷区の合唱団を指導されている。とても人間的にいい方なので、また機会があるといいなと思った。年齢を忘れて。

 今からまた、ステージ上でオペラのアリアを歌うような体力は残っていないと思う。しかし、声楽を習うのであれば、ロベルト・ゴジェネチェが歌っている、ピアソラの曲を歌ってみたいと思った。

 クラッシック音楽の世界では、声楽は往々にして声量や発声法、声質で評価されがちだが、となると、ゴジェネチェのだみ声を聞いたら、唖然とされるに違いない。

 しかし私はゴジェネチェのだみ声、というより、心に伝わってくる独特の世界が好きなので、それを真似て原語のスペイン語でピアソラの作品にチャレンジしてみたい。そう思うだけで、実際には時間を捻出することは不可能である。

 帰宅して説明を受けたのだが、当時は自宅内でクラシック音楽のサロンコンサートを定期的に行っていた。珍しくミュージカルのステージを作った。きっかけは、ロンドン出張時に知り合った女性が、現地のミュージカル「ミス・サイゴン」の主役キムを演じたと聞いた奇遇だった。いつか来日の機会があったら、一緒にやりましょうということになり、その後実現した。

 旧知の知人で、当時NHKのディレクターだった方に演出をお願いした。彼女の相手役男性歌手として、今日久しぶりに再会した恩師の息子さんにお願いし、協演していただいた。そんなことすら、すっかり忘れてしまっていた。

 短稿で失礼するといいながら、だらだらと書いてしまった。ここ数十年の音楽に関する思い出が、どっと甦ってきた感じだ。やはり私は本質的に、音楽と創作が好きなようだ。しかし、生活のためには、しっかり仕事の営業をしなければならない。それは十分に認識している。

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by hirune-neko | 2018-12-12 02:28 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

とうとうティッシュペーパーの3箱目を開けた

Milonga for Three - Astor Piazzolla

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 午前中から、鼻水とクシャミが止まらず、久しぶりに酷いコンディションだった。新しいティッシュペーパーの箱を開け、2箱目を開け、今しがたとうとう3箱目を開けたところだ。

 夜になって、ある産婦人科のアルバムページ用の画像が入り始めた。10数年前は、担当者が他県まで出向き、画像データをメモリースティックにコピーして帰ってきた。半日がかりである。今ではdropboxを共有しているので、天地の差ほど環境が好転している。

 画像が入ってきたのは15人分だったが、製作ラインがパンク寸前なので、私がアルバムページの作成をサポートしている。ようやく終わったところだ。

 そんな状況なので、思考力と集中力がかなり低下している。しかし、夜遅くになって仕事の合間にノルマの残り2000歩を歩きながら、考えたことがある。最近、改めてピアソラを聴き始めているためか、ピアソラとビル・エヴァンスの曲想あるいは演奏の違いについて思い巡らせた。

 適切な言葉が見つからないのだが、「温度」について比較すると、対照的だと感じる。ピアソラには体温があり、血液が流れている。それに対し、ビル・エヴァンスは冷徹でクールな印象が強い。

 「包容力」あるいは「寛容さ」という点でも対照的だと思う。ピアソラには、人の魂を励まし、苦難を共にしてくれるような人間的感情を感じる。一方で、ビル・エヴァンスは明らかに孤高の精神で排他的である。

 不思議なことだが、私はこの対照的な二人に対して、どちらにも親近感を持っている。自分の心理状態に応じて聴き分けているのだろうと思う。

 逆に言うと、私自身の内面には、あたかも二重人格のように、異なる両極端の二面性があるのかもしれない。いや、人間は誰しも自覚していないだけで、二面性あるいは多面性を持っているのではないだろうか。そして、様々な経験と長い時間をかけて、その人の最も本質的な領域に向かい、収斂していくのではないだろうか。

 相変わらず、クシャミと鼻水が止まらない悲惨な状況である。その理由は、私がどうやら、ある核心部分に到達しそうなので、それを妨害しようとする勢力が、影響力を行使しているのだ、と考えると、戦意が高まってくる。あくまでも神学的解釈である。

 とりあえずは、そういうことにしておこう。・・・で、こんな心理状態の時は、ビル・エヴァンスではなく、ピアソラが大きな力になってくれる。とまあ、自己都合に合わせて音楽を聴き分けているのだろう、きっと。


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by hirune-neko | 2018-10-17 01:55 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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