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昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:音楽・映画・本の世界( 211 )

国会議事堂に行ってきました。

Ave Maria-アヴェマリア-|『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ
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 いや別に、衆参同時選挙を見越して、立候補を検討しているという意味ではない。なんと、いただいた菓子箱のラベルを見たら「国会議事堂に行ってきました」という商品名が印刷されていた。へえ、こんなネーミングのお菓子があるんだ、と驚いてしまった。中はクッキーだった。

 過去に何度かご紹介したことのある、池田クレモナ・モダンタンゴ五重奏団・・・今は音楽工房という名前なのか・・・が、CDリリースのため上京し、平和島の音楽スタジオで録音するというのでお邪魔して来た。その際に、お土産で頂戴したのが、上記のお菓子である。

 スタジオに到着した時は丁度、ロコのバラードを演奏・録音していた。録音後の微調整の様子は初めて見たが、ハイテクであり何がなんだか、さっぱり理解できなかった。続いて、アディオス・ノニーノで録音が完了した。

 彼等の演奏は、もう何年も聴いているが、音楽的な幅と深みが出て来たと感じた。編曲・監督兼務の梶野さんと、スタジオ内の演奏家の方とのやりとりは、時として上方漫才のノリである。

 つい最近、ブログでピアソラのPreparense・プレパレンセという曲を紹介した。調べると、スペイン語で「準備をしなさい」という意味のようだ。この曲を聴きながら、どういう訳かクレモナのお嬢さん達が演奏する光景が目に浮かんだ。ピアソラにしては珍しい曲想だと思う。割と陰影が薄く、どらかというと、明るく、希望に向かって前進する清々しさを感じる。そんなところから、クレモナのメンバーの皆さんが思い浮かんだのだろう。

 録音終了後、梶野さんに質問してみた。ピアソラのプレパレンセはレパートリーの中にあるかどう訊いてみた。すると、候補の中にあるという。「結婚する準備をしなさい」という曲想だからぴったりだね、というと笑顔になった。

 スタジオは初めて行ったが、平和島から20分と聞いていたので歩くことにした。iPadのカーナビに予め住所を登録し、駅から案内開始ボタンをタップした。起動時の最初だけは反応せず、違った方向に向かったが。最終的には無事に到着した。

 帰りも駅まで歩いたので、今日は一日だけで歩行数が1万歩を超えた。

 いずれCDがリリースされたら、改めてご紹介させていただく。ピアソラにとっては、若い女性達に音楽的な反逆ののろしを上げられ、笑みがこぼれているだろうと想像している。

 ピアソラ作品をメインレパートリーとして情熱を傾ける、20代の女性達を私も応援したいと思っている。

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by hirune-neko | 2019-04-25 01:27 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

never let me go〜私を離さないで

Never Let Me Go - Rachel Portman - We All Complete
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 選曲を考えたとき、すぐに思い浮かんだ曲は、ビル・エヴァンスが演奏する「Never Let Me Go」だった。ほぼ同時に、ステイシー・ケントが歌う「Never Let Me Go」も思い浮かんだ。どちらにしようか迷いながら、YouTubeで聴き比べてみようと思った。

 分かりやすい曲想のステイシー・ケントがいいか、ちょっと難解で大人向けの渋い、ビル・エヴァンスの演奏がいいか、決めかねた。

 検索をかけたら、曲名の後ろにsound trackという単語が付いている見出しがあった。そういえば、日系英国人作家のカズオ・イシグロ作品が映画化されており、その原題が「Never Let Me Go」であり、ほぼ直訳の邦題が「私を離さないで」だったことを思い出した。

 まさか、ジャズ・スタンダードの「Never Let Me Go」と、カズオ・イシグロ作品の映画「Never Let Me Go」に関連性があるはずがない、とは思ったのだが、そこまでは自信が無かったので、とりあえず映画の「Never Let Me Go」を開いて聴いてみた。

 上記の音楽が、それである。

 やはり、音楽的には無関係だった。しかし、かなり以前に観たカズオ・イシグロ作品の映画「日の名残り」の雰囲気を思い出した。アンソニー・ホプキンス主演の、地味な地味な映画だったと記憶している。

 いろいろ調べていたら、TBSがこの映画を、舞台設定を日本に変えて金曜ドラマとして放映していたことが分かった。知らなかった。

 カズオ・イシグロ作品の全てを把握してはいないが、かなり内省的と思われるような、人間の深層心理を深く掘り下げた作品が、エンターテイメント性溢れる作品をさておいて、ノーベル文学賞を授与されたことに、意外性とともに安堵感を感じた。

 昨日の突発的な心臓の不調を反省し、久しぶりに連続で5000歩を歩いてきた。祝日であっても、メールでの問い合わせ、郵便やインターネットから絵本製作の申し込みがあり、アルバムページ用の画像も届く。製作ラインの負担軽減のため、基本的な下処理をしなくてはいけない。

 さすがに歩き始めは脚部全体がガクガクしたが、なんとか歩き終えることができた。

 YouTube動画の羅列は、本来は邪道だと思うのだが、せっかくの機会なので、以下にステイシー・ケントの歌う「Never Let Me Go」と、ビル・エヴァンスのピアノ演奏の「Never Let Me Go」を紹介させていただく。

Never Let Me Go(Stacey Kent)

 私は、音楽的にはとても偏食傾向があり、新しい演奏家を発掘することはほとんどしない。高校生の頃から半世紀にわたり、ずっとビル・エヴァンスを聴いている。シャルル・アズナヴールだって、もうじき半世紀になる。

 ブログ読者のcausalさんという方は、音楽と映画にとても詳しく、しかも鋭敏な感性をお持ちだ。そのcausalさんが何年か前に。このステイシー・ケントの存在を教えてくださった。

 YouTubeでかなりの数を聴いたが、ひと言でいうなら、無邪気さと純真さが残っている歌手だ、という印象だ。

 うっかり忘れるところだった。シャーリー・ホーンは、causalさんから教えていただいたのか、偶然見つけたのか、もう憶えていないのだが、彼女の歌い方には最も近いものを感じる。

 シャーリー・ホーンは、もう既に他界している。記憶では、糖尿病と乳がんを併発し、アメリカの病院で亡くなったはずだ。人生の晩年で、過ぎ去りし様々なシーンを回想し、肯定的に懐かしみ、感情を込めて歌うその歌声には、達観、悔悟、憐憫など、全てを包括しようとする人格すら感じる。自分を独りにして去って行った男性(実際にどうだったかは知らないが)に対しても、恨みや憎しみの感情を昇華し、その男性の無事・平安を願っている・・・

 そのような完成度の高い心境を感じる。

Shirley Horn - "Never Let Me Go

 ようやく最後は、ビル・エヴァンスの演奏である。どうしてこのような、大人しか聴かないような演奏に、高校生の分際で傾倒してしまったのだろうか。自分自身のことなので、客観的に分析することは難しい。とにかく、感覚的に融和できる要素があったとしか言いようがない。

 ビル・エヴァンスの生涯は、決して幸福色に染まってはいなかったようだ。音楽性から伝わってくるのは、孤高で内省的な精神世界だろうか。確か離婚を経験し、最後は薬物で健康を害して亡くなったと記憶している。

 気になったので、Wikipediaで確認したら、このようなエピソードが掲載されていた。

 ・・・Wikipediaから部分転載しようと思い、改めて読んでみたのだが、暗く荒廃した人生だったことがよく分かったので、転載は止めることにした。

 どこからこのような曲想が生み出されるのか、皆目見当がつかない。おそらく、個人的に交流があったとしても、長続きはしなかっただろうと、容易に想像がつく。

 そのような荒んだ人生だったとしても、ビル・エヴァンスの音楽性は高く評価したいと思う。

 ビル・エヴァンスは笑った表情の写真を残していないそうだ。タバコと麻薬の常用が原因で、ひどい虫歯になっていたのが理由だそうだ。

 そういえば、私もひどい虫歯なのを放置し、リステリン・トータルケアでなんとかごまかしている。まさか、ひどい虫歯という共通点で、ビル・エヴァンスの音楽性に共感しているということはないと思うが、いつか歯医者さんに行く機会があったら、先生に訊いてみようと思う。

Bill Evans - Never Let Me Go (Alternative take)

 今日ばかりは、YouTube動画連発の、とんでもない記事になってしまい、お詫び申し上げる。

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by hirune-neko | 2019-03-22 01:56 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

纐纈・・・読めない名前だったが、意外な発見だった

Autumn In New York - Ayumi Koketsu
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 今日は、ダウンロードした約200種類のファイル名を編集するのに、何時間もの時間を費やしてしまった。

 なんとか終えて、ブログ用の音楽を選ぼうと思い、YouTubeを開いた。すると、いつものように、私へのお勧めというカテゴリーで、楽曲がずらっと並んでいた。大概は過去の再生データを元に選定しているので、見知ったアーティストばかりだ。その中に、日本人らしき若い女性の画像があった。曲名はAutumn In New Yorkとあったので、おそらくジャズ・ヴォーカリストだと思った。

 どんな歌い方をするのか興味があり、再生してみた。ピアノのイントロに続いて流れてきたのは、サックスのメロディーで、一向に歌声が出てこない。おかしいと思って調べたら、この女性はヴォーカリストではなく、アルト・サックス奏者だった。

 名前はローマ字表記で、Ayumi Koketsuとなっていた。こけつ?一体何人だろうと思って検索してみたら、漢字では「纐纈」と書き「こうけつ」、と読むそうだ。愛知県や岐阜県に集中して存在する名前だそうだが、仕事柄、珍しい名前はたくさん目にしている私にとって、初めて目にする名前だった。

 それよりも驚いたのは、その演奏スタイルである。最初のフレーズを耳にした瞬間、デクスター・ゴードンのような、円熟した男性の演奏を連想した。デクスター・ゴードンは確か、テナー・サックスだと思うのだが、この女性はアルト・サックス奏者のようだ。なるほど、途中の何カ所かとエンディングの数フレーズは、アルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーを彷彿とさせるメロディーであり、音色でもあった。勝手な想像だが、チャーリー・パーカーの影響を受けているのではないだろうか。

 それにしても、自分の音楽的偏見を正すいい機会だった。先入観無しで演奏だけを聴いたとしても、国籍はアメリカの黒人ジャズ奏者で、性別は男性、年齢は少なくとも50歳代で、体系は小太りであまり背は高くない・・・そのよなイメージでで聴いただろうと思う。

 何度も書いているが、高校生の頃からかなりの時間を、ジャズを聴いて過ごした。六本木などのジャズクラブでは、著名な日本人ジャズ・ミュージシャンの演奏もかなり聴いた。従って、聴く耳は肥えているという自負心を持っていた。

 このAyumi Koketsu=纐纈歩美さんの演奏、音楽性、感性、表現力から感じるのは、日本人の枠をはみ出した、存在感のあるプロフェッショナルなジャズ・ミュージシャンである・・・というイメージである。

 ついでみたいで申し訳ないが、ピアニストのアドリブ演奏もなかなかのものだ。派手さはないが、ベーシストとドラマーも、大人の演奏で、いい雰囲気を作っていると感じながら、聴くことができた。

 残念ながら、Appleミュージックではアルバムを見つけられなかったので、YouTubeからダウンロードし、音声ファイルに加工して持ち歩こうと思う。

 おっさんの演奏だと思って聴いたので、いやあ本当に、驚いてしまった。

【纐纈歩美公式ホームページ】
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by hirune-neko | 2019-02-12 01:08 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた

 
私の人生 - 大庭照子
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 私には麻雀仲間とか、将棋やカラオケ仲間などは存在せず、ひたすら孤高(笑)の私生活だが、家内はコーラス仲間とか、娘のバレエ時代のお母さん仲間とか、とにかく交遊範囲が広い

 以前から、コーラス仲間の皆さんに誘われて、童謡とシャンソンを歌われる、大庭照子さんのステージを聴きに行ったことは、何度も聞いていた。石井好子さんの跡を受けてパリ祭を主催していたとか、いろいろご苦労されたような話を漏れ聞いていた。なんでも、平成元年10月10日に阿蘇で童謡ピクニックを開催し、阿蘇発の童謡運動を始めたそうだが、再構築・再挑戦のため、70歳になってから童謡普及の事務所を立ち上げたとか、とにかくバイタリティ溢れる方だと思っていた。

 たまたま、関内でシャンソンを歌うステージがあると言われた。いつも自閉気味で引きこもりのような毎日なので、たまには生のシャンソンを聴くのもいいなと思い、行く気になった。ところが、申し込んでから、シャンソンではなく童謡のステージだということが分かった。もうすでに申し込んだ後だったので、キャンセルするのも申し訳ないと思った。それにしても、長時間に渡って童謡を聴かされるのかと考えただけで、私の心は動揺した。(笑)

 でもまあ、たまには童心に返り、心のどこかに残っているかもしれない、無邪気さを探してみようと思った。

 関内駅から歩いて会場に向かった。途中で道に迷い、トヨタレンタのカウンターで調べてもらった。どうやらテレビ神奈川のビルの中らしい。

 なんとか探し当てたが、テレビ神奈川と並んで、神奈川新聞の名前があった。おお、かの有名な神奈川新聞か、という不思議な出会いだった。

 ステージは1時間半程度だっただろうか。童謡のソロだけかと思ったら、教え子の小さな子どもたちがステージに立ち、数曲披露した。ヴァイオリン演奏の飛び入りもあった。元NHKラジオ深夜便のナレーターの方が紹介された。大庭照子さん曰く、童謡だけでなく、朗読教室も開きたいそうだ。へえ、朗読なら習ってみたいなと、また悪い癖が出て、興味を持ってしまった。なんでも、日本童謡学会なるものができて、名誉理事を引き受けたとか、とにかく80歳とは思えない積極性溢れる方だった。

 なんと、国歌である君が代も歌われた。君が代が本来の意味をねじ曲げられて、戦争に引き込むための歌だとか非難され、大変な扱いをされたが、いずれ何かの機会に、君が代の歴史的背景を話したい、と仰った。おや、なかなか保守的な考えの方なのだなと思った。

 子どもに対する心からの純粋な愛情、国家に対する愛国の情、一人ひとりに対する細やかな気遣い、教育者としての不屈の精神、頭の回転の速さなどを感じさせるステージだった。大庭さんの歌からは、安心して聴ける人格、寛容さが伝わってきた。ステージが終わってみると、心が洗われるような爽快感が残っていた。

 終演後、出口の所で見送りの挨拶をしていらっしゃったので、何かひと言お礼の言葉をお伝えしようと思ったら、横から家内のコーラス仲間の方が、「とても感動されたそうですよ」と代弁してくれた。言おうと思ったことを言われてしまい、言葉を失った私は、とんでもない誤解を招くことを言ってしまった。

 「遙か昔のことですが、銀座の日高なみさんのお店(マ・ヴィー)と蛙たち(両方ともシャンソニエ)によく行ってました。パリ祭の時、マ・ヴィーで歌ったんですが、フランス語で歌ったのに、今のは中国語ですか?と言われてしまったんですよ。アハハ」・・・大庭さんの表情が、一瞬固まってしまったように見えた。

 完全に言葉足らずの表現だった。この言い方では、まるで私が名も無いシャンソン歌手であり、かつては銀座のシャンソニエで歌っていたかのように聞こえただろう。40年ほど前の当時、マ・ヴィーでは、パリ祭の日は特別にお客さんが歌わせてもらえた。当時は毎日のようにアズナヴールを聴いていたので、ピアノ伴奏で「ラ・ボエーム」を歌った、というのが実際の経緯だった。歌手でもなんでもない。

 大学生の時、フランス語の授業で、朝倉季雄先生が私のフランス語をお聞きになり、「キミはフランスに住んだことがありますか?」と仰った。とても嬉しくて、フランス語の発音にはすっかり自信がついたというのに、今のは中国語ですか?と言われてしまい、奈落の底に突き落とされた心境だった。

 いろいろ学ばせていただき、また自分自身の視野にも、童謡を入れるべきだという発見があったので嬉しかった。

【参考資料】
大庭照子プロフィール
熊本出身。
 フェリス女学院短期大学音楽科卒業。三宅春惠氏に師事。二期会研究科を経てポピュラー音楽に転向。1967年日本シャンソンコンクール入賞。1971年にNHK“みんなの歌”で「小さな木の実」がヒット。この年より全国各地でスクールコンサートを開催し、今までにのべ3000校以上をまわる。

 日本青年会議所主催の「青年の船」の音楽講師を10年間務めた他、外国アーティストの招聘やシャンソンの祭典「パリ祭」の主催、「全国童謡・唱歌サミット」を開催するなど多彩に活動。2000年よりキングラン㈱主催の老人保健施設、病院コンサートで全国をまわっている。

 1987年第17回日本童謡賞特別賞、1988年第1回下總皖一音楽賞(演奏部門)、1995年第35回久留島武彦賞(個人賞)、2001年くまもと県民文化賞の各賞を受賞。現在NPO法人日本国際童謡館館長、日本ペンクラブ会員、JASRAC会員。キングレコード専属。

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by hirune-neko | 2019-02-04 00:17 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

久しぶりの映画に、元気と勇気を与えられた

"Last Tango in Paris".... theme from the movie
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 珍しく不調の一日だった。どのように不調だったかを、言葉で説明するのはなかなか難しい。

 敢えて説明するなら、案件を抱え込みすぎて空回りし、自信喪失気味の自閉症、鬱症状、人と口をきくのが億劫で、食欲もない。今日など、1食しか食べていない。歩くなんてとんでもない、という気分だった。

 さて、どのように回避しようかと考えたとき、久しく映画を観ていないことに気づいた。2018年は、ほとんど観た記憶がない。ずっとストイックな生活が続いている。

 思い切って仕事を離れ、たまには映画を観ようという気になった。すぐにアマゾンのプライムビデオで探してみた。すると比較的すぐに目に飛び込んで来たのは、次の説明だった。

 「元CIAエージェントのマッコールは、いまはホームセンターで働く、ごく普通の真面目な人間として生活していた。しかし、ある夜、なじみのカフェで娼婦の少女テリーと出会い、彼女を囲うロシアンマフィアの非情さに、内に眠っていた正義感が目を覚ましていく。かつてのマッコールは、身のまわりにあるあらゆる物を武器に変え、警察では解決できない不正をこの世から瞬時に消してしまう『イコライザー』と呼ばれる男だった。マッコールはテリーとの出会いから、再びイコライザーとしての仕事を遂行していく。

 プライム会員なので無料だし、やはり元CIAエージェントという言葉に反応してしまったようだ。

 冒頭のテロップを目にして、いきなり集中力が復活した。

 「人生で一番大切な日は、生まれた日と、生まれた理由が分かった日」—M. トゥエイン

 英語では、このように並記されていた。

 The two most important days in your life are the day you were born and the day you find out why. —Mark Twain

 なかなかの至言だと思ったら、マーク・トゥエインの言葉だったのだ。なるほど。

 最初にこのような含蓄ある言葉を提示されたので、一気に集中力が高まってしまった。再生時間は2時間ちょっとと表示されたので、ずいぶん長いなと思ったが、一気に最後まで観ることができた。

 主人公の黒人男性には見覚えがあったが、最後まで名前を思い出せなかった。デンゼル・ワシントンだったが、何の映画で観たのか、とうとう判明しなかった。

 現金なもので、この作品によって元気と勇気が蘇生し、夜の10時過ぎから往復5000歩を歩きに出た。一体何が原因で不調だったのか、一向に分からないのだが、おそらくはやはり、案件の抱え込み過ぎなのではないかと思う。

 正義感が覚醒し、平凡な人生を送っていた元CIAエージェントが、単身でボストンに巣くっていたロシアンマフィアを撲滅し、さらにはロシアにまで行き、マフィアのボスを粛正する。

 この映画の良さは、単なる痛快アクションに終始していない点だ。人間の内面、弱さ、勇気、正義感という要素を巧みに伏線として使っている。

 その彼の口癖は「なりたいものになれる」だった。つまり、障害物があって行く手を阻まれても、希望を失わずに努力していれば、いつかは実現する、という励ましの言葉である。

 もう一つの至言を目にした。あちこち再生して探しものの、とうとう.見つけられなかったので、正確な表現はできないが、「人生では、目的地に到達するまでに、いくつもの失敗を経験するものだ」・・・という内容だったように思う。

 ネタバレになってしまうが以下に、Wikipediaで紹介されていた作品の概要と、予告編動画を紹介いさせていただく。雰囲気だけでも味わっていただきたい。久しぶりに、佳き作品と出会い至福のひとときだった。映画1作品で不調から脱却できるのだから、深刻な症状ではなさそうである。

【イコライザー/Equalizer〜Wikipediaより】
マサチューセッツ州ボストンホームセンターで働きながら平穏な日々を送るロバート・マッコールは、誰からも慕われる好人物で、深夜は行きつけのダイナーでの読書が日課となっていた。そのダイナーには同じく常連で、テリーと名乗る少女娼婦のアリーナがおり、言葉をかわす内に奇妙な友情が芽生えいく。歌手になる夢を持つアリーナは、娼婦の仕事に嫌気がさしていたが、やがてアリーナは自分に暴力を振るった客に反撃して傷つけてしまう。客が苦情を入れたため彼女は、元締めでロシアンマフィアのスラヴィから見せしめに、よもや発声機能をも失いそうになるほどの激しい暴力を受けICU送りとなる。彼女の入院を知り、その悲惨な姿をガラス越しに見たマッコールはスラヴィらのいる一室に赴き、9,800ドルを提示して彼女を自由にするよう申し出るが、スラヴィは無下に断り、これからも彼女を搾取すると言い放つ。彼らのあまりの非人道ぶりに、ある決意を持ったマッコールは素直に引き下がる素振りを見せた直後に振り向くと、瞬時に彼らの手にしている武器や、全員の位置関係や狙いどころを目視でシミュレーションし、スラヴィを含め、その場にいたギャング5名を、その場にある物だけ用いて19秒で全員殺害する。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
・・・以下は省略させていただく。
The Equalizer - Official Trailer - In Theaters 9/26

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by hirune-neko | 2019-01-16 01:22 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

久しぶりに、コンサートホールに行ってきた

Samba em Prelúdio - Vinicius de Moraes "La Fusa" con Maria Creuza y Toquinho
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 場所は築地市場駅から至近で、朝日新聞の本社ビルの中のようだ。

 先生達とは、おそらく約20年以上ぶりの再会だった。最初から最後まで聴いたが、改めて自身の音楽的嗜好が固まっていることを認識した。

 電車を乗り継いで帰宅したが、今日は1食しか食べていなかったので空腹を覚え、途中でファミレスに寄って遅い夕食を摂った。おかげで帰宅したときは、すでに深夜0時を回っていた。

 明日の午後一番のミーティングが、急遽午前中 に変更されたので、今晩は早仕舞いさせていただく。せっかくお越しくださったのに、拍子抜けされると思うが、ご了承いただきたい。

 声楽の恩師は楽壇生活65周年だそうで、ピアノ演奏もされる多才な方だ。息子さんとお嬢さんも声楽家として育ち、舞台上で協演した。

 終演後、出演者の皆さんがロビーで挨拶されていたので、列に並んだ。大先生は、一瞬、私が誰か判別できなかったようだったので名乗ると、おお、懐かしいと言われた。それほど昔の生徒なのである。

 お嬢さんには、「人妻の○○ちゃん」と声をかけた。まだ独身の頃の生徒だったが、もうすでに51歳だそうだ。

 息子さんは懐かしそうに応対してくれ「また一緒にやりましょう」と誘ってくれた。「もうボサノヴァぐらいしか歌う気力はないですよ」と答えた。ご夫婦とも長くウィーンに留学されており、ウィーンと姉妹都市だという、世田谷区の合唱団を指導されている。とても人間的にいい方なので、また機会があるといいなと思った。年齢を忘れて。

 今からまた、ステージ上でオペラのアリアを歌うような体力は残っていないと思う。しかし、声楽を習うのであれば、ロベルト・ゴジェネチェが歌っている、ピアソラの曲を歌ってみたいと思った。

 クラッシック音楽の世界では、声楽は往々にして声量や発声法、声質で評価されがちだが、となると、ゴジェネチェのだみ声を聞いたら、唖然とされるに違いない。

 しかし私はゴジェネチェのだみ声、というより、心に伝わってくる独特の世界が好きなので、それを真似て原語のスペイン語でピアソラの作品にチャレンジしてみたい。そう思うだけで、実際には時間を捻出することは不可能である。

 帰宅して説明を受けたのだが、当時は自宅内でクラシック音楽のサロンコンサートを定期的に行っていた。珍しくミュージカルのステージを作った。きっかけは、ロンドン出張時に知り合った女性が、現地のミュージカル「ミス・サイゴン」の主役キムを演じたと聞いた奇遇だった。いつか来日の機会があったら、一緒にやりましょうということになり、その後実現した。

 旧知の知人で、当時NHKのディレクターだった方に演出をお願いした。彼女の相手役男性歌手として、今日久しぶりに再会した恩師の息子さんにお願いし、協演していただいた。そんなことすら、すっかり忘れてしまっていた。

 短稿で失礼するといいながら、だらだらと書いてしまった。ここ数十年の音楽に関する思い出が、どっと甦ってきた感じだ。やはり私は本質的に、音楽と創作が好きなようだ。しかし、生活のためには、しっかり仕事の営業をしなければならない。それは十分に認識している。

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by hirune-neko | 2018-12-12 02:28 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

とうとうティッシュペーパーの3箱目を開けた

Milonga for Three - Astor Piazzolla

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 午前中から、鼻水とクシャミが止まらず、久しぶりに酷いコンディションだった。新しいティッシュペーパーの箱を開け、2箱目を開け、今しがたとうとう3箱目を開けたところだ。

 夜になって、ある産婦人科のアルバムページ用の画像が入り始めた。10数年前は、担当者が他県まで出向き、画像データをメモリースティックにコピーして帰ってきた。半日がかりである。今ではdropboxを共有しているので、天地の差ほど環境が好転している。

 画像が入ってきたのは15人分だったが、製作ラインがパンク寸前なので、私がアルバムページの作成をサポートしている。ようやく終わったところだ。

 そんな状況なので、思考力と集中力がかなり低下している。しかし、夜遅くになって仕事の合間にノルマの残り2000歩を歩きながら、考えたことがある。最近、改めてピアソラを聴き始めているためか、ピアソラとビル・エヴァンスの曲想あるいは演奏の違いについて思い巡らせた。

 適切な言葉が見つからないのだが、「温度」について比較すると、対照的だと感じる。ピアソラには体温があり、血液が流れている。それに対し、ビル・エヴァンスは冷徹でクールな印象が強い。

 「包容力」あるいは「寛容さ」という点でも対照的だと思う。ピアソラには、人の魂を励まし、苦難を共にしてくれるような人間的感情を感じる。一方で、ビル・エヴァンスは明らかに孤高の精神で排他的である。

 不思議なことだが、私はこの対照的な二人に対して、どちらにも親近感を持っている。自分の心理状態に応じて聴き分けているのだろうと思う。

 逆に言うと、私自身の内面には、あたかも二重人格のように、異なる両極端の二面性があるのかもしれない。いや、人間は誰しも自覚していないだけで、二面性あるいは多面性を持っているのではないだろうか。そして、様々な経験と長い時間をかけて、その人の最も本質的な領域に向かい、収斂していくのではないだろうか。

 相変わらず、クシャミと鼻水が止まらない悲惨な状況である。その理由は、私がどうやら、ある核心部分に到達しそうなので、それを妨害しようとする勢力が、影響力を行使しているのだ、と考えると、戦意が高まってくる。あくまでも神学的解釈である。

 とりあえずは、そういうことにしておこう。・・・で、こんな心理状態の時は、ビル・エヴァンスではなく、ピアソラが大きな力になってくれる。とまあ、自己都合に合わせて音楽を聴き分けているのだろう、きっと。


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by hirune-neko | 2018-10-17 01:55 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

女性でジャズベース奏者でヴォーカリストでさくらを歌う

East of the Sun by Brooks Bowman - Nicki Parrott & Rossano Sportiello at Shanghai Jazz (Madison, NJ)

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 女性でウッドベースを弾きヴォーカルもこなすなんて、初めて見た。オーストラリア出身のNicki Parrottだそうだ。

 ブログ読者のcausalさんから教えてもらった。これまでも、何人もの女性ヴォーカリストを紹介されている。causalさんは実に音楽に詳しい方で、音楽だけでなく、映画にも精通している。職業不明だが、音楽評論家か、はたまた音楽雑誌の編集者なのではないだろうか、と思ってしまう。

 何曲ものリストを送っていただいたが、視覚的にも珍しい演奏家なので、女性でありながらウッドベースを演奏し、しかも歌うという、その勇姿をご覧いただくと文字通り、百聞は一見にしかずだと思い、冒頭のEast of the Sunの演奏を紹介した。ノリのいいテンポである。

 かと思うと、なんと驚くなかれ。彼女が日本語で「さくらさくら」を歌っている動画も、causalさんが送ってくれた。下部に掲載するので、よかったらお試しいただきたい。なんとも不思議で微笑ましく思った。West Meets Eastという感じである。


 よく「まるで人が変わったように・・・」という表現が使われる。

 こんな猛暑続きにも拘わらず、私の場合は「まるで脳内構造が変わったように」不思議と集中力が増している。

 昨日は、ほぼ12時間がかりで仕事場の資料の山を、すっきりと整頓した。書類を1点ずつチェックし、捨てるか保存するか、しかもすぐに対応が必要か、時間的な余裕はあるかを瞬時に判断しながらなので、脳内負担がとても大きかった。しかし身辺がすっきりしたせいなのか、まるで脳内血管の内壁にこびりついていた不純物が、きれいに流れ去ってしまったかのように、実に余計な雑音が視野や脳内に入ってこない。すっきりと
快適である。

 約2年がかりでまだ仕上げられない小冊子がある。ボランティアで手伝っているものだ。最初に見せられた途中原稿で判断したのだが、最終的にはページ数が2倍以上になり、画像点数も大幅に増大し、和英並記の英訳におかしいと思う部分が散見され、指摘したら和文英文ともに修正の洪水になってしまった。

 私自身が非常にハードなスケジュールになってしまったので、修正作業が徐々に負担になってしまった。修正指示が多ければ多いほど、作業の立ち上げには時間かかかってしまう。どこまで修正したかを、いちいち確認しないと作業に入れないからだ。

 数日前に依頼者の皆さんに予告したとおり、未修正の指示内容をevernoteにまとめ、送信し終えることができた。あとは修正内容の最終確認をしてもらい、校了原稿を仕上げるだけだ。いやあ、ここまでの道のりはとても長かった。遅延状態がずっと続いたので、罪悪感と自己嫌悪と居直りを適当にブレンドし、今日まで生きながらえてきた。

 サイト制作ソフトの更新作業も、メールサポートを受けながら着手している、これも約2年に渡って遅延している案件だ。とっかかりがつかめず、すっかり敷居が高くなっていたが、ようやく第一歩を踏み出した。

 何か大きな歯車が噛み合い始めたような感じがしている。しかし、好事魔多しともいうので、引き続き自重して進んでいきたいと思う。
Nicki Parrott - Sakura Sakura


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by hirune-neko | 2018-08-04 22:32 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

今日はあれこれ選曲に迷ってしまった

aznavour comme ils disent

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 最終的に、アズナヴールのこの曲を選んだ。あまり知られていない曲なのではなうだろうか。アズナヴールの歌と初めて出会い、むさぼるように次々と聴くようになったのは、二十歳を過ぎた頃だった。それから数十年経つまで、この曲を知らなかった。

 もう記憶の彼方だが、この曲を初めて聴いたのは、札幌で一人きりの時だったように思う。母が西札幌病院に検査入院したが、その翌朝、急性心不全で脈拍数が異常低下し、ペースメーカーを埋め込む緊急手術を受けた。いや、あのときは間に合わず、体外で携帯するペースメーカーを応急で使用したはずだ。駆けつけた私は、途中一度だけ家に戻ったが、延べで半年ほど札幌の母と同居生活を送った。今の私だったら、いかにインターネットのある環境だとしても、半年も仕事場を離れるのは難しいだろうと思う。札幌滞在中は、何カ所もの病院に営業で訪れた。札幌から岩見沢まで足を伸ばし、幸いに2カ所の病院と契約することができた。懐かしい思い出だ。

 母の隣室で深夜一人、パソコンに向かって音楽を聴きながら仕事をする毎日だった。おそらくだが、YouTubeから次々と流れる曲に混じって、アズナヴールのこの歌が耳に入ってきたのだろうと思う。最初の数フレーズを耳にして、こんないい曲があったのだと、新鮮な驚きを感じた。歌詞を理解するほどフランス語が堪能ではないので、意味はさっぱり理解できなかった。後日対訳を調べて、いわゆる性的マイノリティの男性の、切々とした心情を歌っているのだと知った。

 学生の頃、千歳空港に向かう飛行機で機内誌を手に取った。文中のダリの言葉を今でも鮮明に憶えている。音楽には、その当時の思い出を甦らせる力がある・・・なかなか味わい深い言葉で、半世紀近くたった今でも印象深く思い出す。

 青春時代を何年も過ぎ、結婚してから、遅い青春時代が訪れたように思う。声楽を習ったので、イタリア歌曲を習い、次いでイタリアオペラのアリアを歌うようになった。プッチーニの「ラ・ボエーム」で歌われる哲学者コッリーネのアリア「コートの歌」を練習しながら、アズナヴールの歌う同名の「ラ・ボエーム」が切々と、懐かしく思い起こされた。「帰り来ぬ青春」も、人生の陰影を切々と歌っており、年齢不相応にセンチメンタルな人間になってしまったように思う。

 いずれもパリの芸術家達が主人公で、モンマルトルの丘から見えるアパルトマンで繰り広げられるストーリーだったように記憶している。サクレクール寺院の前を過ぎ、至る所でキャンバスを並べる画家達を観察しながら坂を上り、モンマルトルの丘の頂上に辿り着いた。眼下の視界いっぱいに拡がるパリの街並み。あのとき、プッチーニとアズナヴールのラ・ボエームが二重写しになり、なんともいえない深い感動を味わったのが懐かしい。

 札幌で、入院中の母を見舞った帰り、カーラジオから流れてきたのは、クミコの歌う「わが麗しき恋物語」だった。思わず集中して耳を傾けるほど、なかなか印象的な歌詞だった。後日、原曲はシャンだと知り、バルバラの歌うその曲「Ma Plus Belle Histoire d’Amour」を原語で聴く機会があった。私の記憶では、クミコの日本語歌詞は、原詩に較べると、かなり日本的なメンタリティで脚色しているのだと思った。いずれにしても、クミコとバルバラを並べてみると、メンタリティの根幹がまったく異質だと感じてしまう。あくまでも私の個人的な好みにしか過ぎないが、まったくか弱さを感じさせない女性は、ちょっと苦手である。バルバラの「ふん!」という表情が目に浮かぶ。

 話があらぬ方向に錯綜してしまった。

 十代の青春時代、遅れて訪れた二十代の青春時代、そして、高校生の頃から半世紀を経た現在・・・容姿や体力の退潮を度外視しての話だが、今も私は青春時代を生きている・・・つもりだ。冗談でも笑い話でもなく、自分の感性はまだまだ創作したい、という情熱を持っているのを感じるので、そんな自分に対する敬老精神を忘れず、エールを送りたいと思っている。

 創作の世界では、たとえどのような境遇の人に対しても、理解と思いやりの心を忘れてはいない。人知れず苦しみ悩む人、人生の陰影に消え入りそうになるほど弱り果てた人・・・そのような弱者を舞台上に登場させ、時の流れに埋没してしまった過去の栄光にスポットライトを当てて、観客からの喝采を浴びられるようにしたいと思っている。未だ見ぬ多くの主人公達との出会いが生まれるよう、心から願っている。

 ・・・仕事が一段落するまでのお預けである。


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by hirune-neko | 2018-07-25 01:36 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)

久しぶりにピアソラと対面した


Astor Piazzolla - Introducción al Angel (Gidon Kremer)

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 夜になってからだが、久しぶりに8千歩を歩いた。出かける直前にappleミュージックでピアソラのアルバムを5枚、月額定額なので無料でダウンロードした。そして珍しく、歩きながらずっとピアソラの曲を聴いていた。改めて、ピアソラの世界に引き込まれて時間を過ごした。

 途中、ピアソラ自身がライブコンサートで、聴衆に語りかけたメッセージが入っていた。英語だったので、完全に理解はできなかったが、1960年当時は自分の音楽を理解してくれる人が存在せず、人からは「きちがい音楽」と悪口を言われたそうだ。バンドネオンはドイツが発祥で精緻で複雑な機構の楽器だが、とても素晴らし楽器なのでドイツ人に感謝していると言っていた。どうやらドイツでのコンサートだったようだ。自分が演奏するバンドネオンは、1925年にドイツ人の・・・名前までは聞き取れなかった・・・手になるもので、名品であり、作ってくれたことに感謝しているとも語っていた。

 本当に久しぶりにピアソラの世界に入り込んだ。故人となった福岡貞夫さんが、ピアソラは精神的に強いときでないと聴くことができない、と言っていたのを思い出した。なるほど、本当にその通りだと同意する。

 ピアソラの作品、そして演奏にはとてもリアルなイメージが満ちている。かなり具体的なストーリーや登場人物が、その背負っている過去の陰影を表情に出しながら語りかけてくる。どう表現すればいいのか分からないが、ピアソラの作品には魂がこもっており、音楽自体がまるで生き物のように存在感を主張している。

 今年は仕事の営業成績を上げるよう次男から期待されてる。ボランティアはほどほどにして、営業コンタクトを増やすよう期待されている。そんな状況なのだが、今日は新たに別のボランティアの依頼があり、引き受けてしまった。明日、次男にそのことを伝えたら、呆れた表情を見せるだろうと思う。しかし、それが私の生き方なので受け入れてもらいたい。決して仕事の手は抜かないので。

 自分でいうのもなんだけど、組み立てのスピードは速いほうだと思っている。許可を得る前から、そのボランティアのためのドメインを夕方には取得し、基本設定を終えて、仮登録申請のフォームまで設置してしまった。

 ピアソラの作品と演奏を聴きながら、励まされているような気持ちで作業を行っているが、さすがにもうここまでにしておこうと思う。


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by hirune-neko | 2018-02-04 01:36 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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