昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:心の中のできごと( 759 )

なんとかピアソラを聴く気力が出て来たようだ

Romance de diablo - Astor Piazzolla
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 自分としては、かなり集中力が戻ってきたように感じる。思考が継続するような感じもあり、この機会に一気に懸案事項をを仕上げてしまいたいと思っている。

 笑われるだろうと思うが、世の中の大きな変化の前の小さな予兆を感じている。

 高津駅前のレンタルショップ・ツタヤが閉店した。以前から、成り立つのかなと疑問視していたのだが、ひっそりと店を閉めた。

 YouTubeを視聴しようとすると、動画の前に頻繁にコマーシャルが流れるようになった。Amazonで買い物をすると、どうも中国製らしき商品が多いように感じる。Googleが、クラウドサービスの提供に力を入れ始めているようだ。Facebookが、やたらと誕生日の人を画面に出すようになった。

 それがどうしたのかと言われるだろうけれど、何か違和感を感じ、何かの予兆ではないかと注視している自分がいる。

 ピアソラの作品には、天使の組曲があり、悪魔の組曲がある。ピアソラ自身が、天使と悪魔という正反対の存在を、どのように捉えていたのか、未だに理解できていない。

 現在、世界中で繰り広げられている陰謀と戦いを、無理矢理神学的に解釈するとしたら。神と悪魔の代理戦争なのではないかと思うことがある。かつて悪魔は、天上でルシフェルという名の天使だった。それが地上に投げ落とされ、悪魔・サタンとなったときから、人の子らが心を閉じて神の顔を見ようとせず、不幸な境遇に堕ちていくように仕向けることに、残酷な歓びを見出している。

 悪魔は、強欲で利己的な人間の支配欲や名誉欲を巧妙に操り、他国に攻め入るようそそのかす。そして、善良な多くの人々の命を奪い、その他多くの老若男女が泣き叫ぶ姿を目にして、冷酷な快感を感じる。

 そんな悪魔も、ピアソラの手にかかると、人間的な感情を与えられ、悔悟と徒労の念に苛まれる哀れな存在として、憐憫の情を与えられているかのようだ。

 冒頭の演奏は、Romance de diablo。直訳すれば、悪魔のロマンスである。ハルマゲドンの戦いで敗れて拘束され、そしてまた拘束を解かれて、勝ち目のない最後の、ゴグ・マゴグの戦いに臨む前の、深い悔悟と徒労の心情をピアソラが感じ取り、このような曲想に仕上げたとしか思えない。

 果たしてピアソラが、どこまでの神学的理解をもって作曲したのか、私には知る由もない。しかし、通俗的で表面的な解釈をせず、悪魔にまで人間的な感情を嗅ぎ取ったピアソラに、感性の鋭さと人間性の深さを感じる。

 慶応大学で英語を教えていた、ニュージーランド人の知人に、神学的インテリジェンスを直訳し、「Theologixal Intelligence」と言葉にしてみた。すると、文法的には正しいけれど、そのような言葉は無いと言われた。なるほど、Googleで検索したが、ひとつもヒットしなかった。かつての、ファミリー・インテリジェンスと一緒である。

 あれから何年か経ったが、たった今、改めてGoogleで検索すると、最初のページで表記された10件のうち6件が合致した。しかし、その6件はすべてが私関係の項目だった。

 たとえ単身でも、敵の前線に向かう気構えだけは失いたくないと思う。すでに故人となってしまった福岡貞夫さん、高場将美先生とピアソラ論議をした時の頃を、懐かしく思い出している。二人とも今日の記事を読み、霊界で微笑んでくれているような気がする。・・・まだしばらくはお会いできないだろうという気がしているが・・・人生は、いつ何が起きるか分からないので、先のことはんとも言えない。

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by hirune-neko | 2018-12-15 00:55 | 心の中のできごと | Comments(3)

ようやく自分のペースに戻りつつある

Bill Evans Trio - Haunted Heart
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 2年ほど前から、徐々に時間に追われる生活になった。旅行もせず、映画も観ず、息抜きといっても、ちょっと昼寝をする程度だったように覆う。しかし、なんとかひとつひとつをこなし、自分本来の仕事と向き合えるようになってきたという感じがする。

 長い人生の中で・・・振り返ってみればあっという間とも感じるが・・・人の心は、あれこれに誘(いざな)われるものではないだろうか。その大半は失望と共に色褪せ、今度こそはという期待感で新たに望みを託す。

 私自身も、年齢相応にいろいろな環境に身を置いたように思う。しかし、やがては先が見えたり底が見えたりで、再び何かを探すために歩き始める。それの繰り返しの人生だったように思う。ひとつひとつを消去法で消しながら生きるうちに、視界に残っているものが徐々に絞り込まれてきたような印象がある。

 どのような表現が適切なのだろうか。

 まるで退路を断たれた兵士のように、敵の前線に向かっていくような、ある種の悲壮感を感じることもある。しかし、この戦いは自分自身の戦いなので、たとえ単身になったとしても、前進あるのみである。

 もしある人が、自分の持てるものをあらかた全て失ってしまったなら、それが金銭や資産だったとして、再びそれのみを求める情熱を持てるだろうか。持てる人も存在するとは思うが、金銭や資産はただ所有するだけだと、大きな価値があるとは思えない。潤沢な資金で、ありとあらゆる高級品を身につけ、あるいは身の回りに置いたとしても、そこにどれほどの価値を見出せるだろうか。それは、過去にあらかた全てを失った経験を持つ人ならば、良く理解できると思う。

 失うことは、真に価値あるものを見出すための通過点なのではないかと思う。過ちによって信頼を失う。失敗によって社会的な評価や名声が失墜する。事業に失敗して資産を失う・・・良くある話である。

 そこから這い上がるには、大いなる時間と努力が必要とされるだろう。しかし、人生で何が最も大切かを体感するに違いない。さらには、周りの弱者、苦難の渦中で生きる人たちが目に留まり、決して見過ごすことはしないだろうと思う。

 たとえ苦難を背負ったとしても、それは偏(ひとえ)に、人生を理解し、他者の内面を理解し、そして自分自身の使命を見出す上で必要な試練だったと、思えるときが訪れるのではないだろうか。・・・勿論、その人の生き方にもよるだろうけれど。

 ヨブが失ったもの、そしてその後にその2倍を得たとさてているが、家畜や資産の量よりも、おそらくは人生の真理に到達したであろう、心の軌跡が最も価値ある賜だったのではないだろうか。

 私は、必要なものがあればそれだけで十分である。それ以上のものを得たなら、それは自分だけのためではなく、他者にとって有益なことに転嫁したいと考えている。

 これぞまさに、取らぬ狸の皮算用である。ネコであっても時には狸のように、いい意味で人を欺すために、化けることも厭わないようにしようと思っている。

 ああそうそう。蛇足ではあるが、昨日の記事で、ある福祉団体に提案している、情報機関機能についてご紹介した。今日思い出したのだが、その福祉団体のアメリカ本部で、世界に向けて開かれたトップレベルの会合があり、日本の幹部の皆さんが、オンラインで参加されたようだ。アメリカ本部の幹部の一人で、ハーバード・ビジネススクールの元学長が、中国、韓国、北朝鮮情勢についてレクチャーしたらしい。内容の詳細は教えてもらえなかったが、福祉団体といえども、緊張度を増している東アジア情勢に注目していることを知り、個人的には安堵し、また嬉しく思った。これでますます、インテリジェンス機能の必要性を認識していただけるのではないだろうか。

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by hirune-neko | 2018-12-14 00:54 | 心の中のできごと | Comments(0)

人生の冬の旅〜あふるる涙

Winterreise, Op. 89, D. 911: No. 6. Wasserflut
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 夜も10時を回った頃、一段落したので歩きに出ようと思った。Fitbitの歩数を確認したら、今日はまだ700歩しか歩いていなかった。あと5千300歩を歩かなくてはならない。第三京浜までの往復は5千800歩なので、ほとんど第三京浜まで歩くことになる。

 最近購入した、南米音楽のダイジェスト版を聴きながら歩き始めた。いろいろ考えることがあったので、用水路沿いに黙々と歩き続けた。

 ちょっと先に、第三京浜の歩行者用信号が見える所まで来た。折り返しの歩数に到達したので、引き返すことにした。

 街灯も少ない場所で、すれ違う人もほとんどいない。手袋を忘れたので、手がかなり冷たくなって感覚が無い。とても寒い夜だと感じ、足許から前方に視線を移したとき、「冬の旅」という言葉が思い浮かんだ。シューベルトの歌曲集である。

 凍てつく果てしない人生の道を、寒さと孤独感に耐えながら、歩き続けている人たちの姿が目に浮かんだ。こんな人生になるとは思わなかった。・・・そんな失望と落胆を背負い、未来に希望を見出せない環境で生きている人たちのことが思い浮かんだ。

 私の周りには、そのような人生を生きている人たちが何人もいる。耳からはイヤフォンを通して、ボサノヴァの軽快な音楽が伝わってくる。しかし、唐突にシューベルトの歌曲集「冬の旅」の1曲「あふるる涙」のメロディーが記憶の彼方から響き渡った。

 人生の冬の旅を歩んでいる彼等の心情が増幅され、私の心の中でも共鳴し、増幅されるのを感じた。彼等が最も必要とするものは、資産や物資ではない。心で感じ、受けとめられる、励ましや慰め、関心、ねぎらいを伝える言葉だと思う。

 孤独感、孤立感という重さを支えるのは、自らの心しかない。その心を軽くする助けをしたいという感情を持っている。

 で、どのようにすればいいのか。改めて考えてみた。

 何はともあれ、何も語らない笑顔の表情から、その人の苦悩を感じ取る必要がある。どのようにすれば洞察することができるのだろうか。心理カウンセラーの訓練を積めば、人の苦悩や孤独感を読み取れるようになるのだろうか。

 そう考えたとき、自分自身のこれまでの人生が、一気に映像化されて目の前に映し出されるのを感じた。

 順風満帆だった時期は少なく、失敗、過ち、苦境、落胆などを数多く経験していることを、改めて思い出した。そして、疑問が一気に氷解した思いだった。

 自分のこれまでの人生の様々な経験は、周りの人たちの心の中を洞察し、最も心に届く言葉を相手に伝えるための、実地訓練だったのだという確信に包まれた。そう考えると、過去の数々の失敗、過ち、苦境、落胆には意味があることになる。

 ネコとしては3千年を生きていると思い込んでいるが、人間としてはあと数年で70歳の人生である。改めて確信を持っているのは、人生で最も大切で価値があるのものの大半は、その人の心の中に存在するということだ。

 いろいろな要素が考えられるが、苦難の渦中に在る他者の助け手になろう、という純粋な使命感を持ち続け、それを行動に移し、相手の心に好転変化が現れたのを見て達成感を感じる。そのような価値観の人が増えれば、住みやすく、平和な社会に近づくのではないだろうか。

 インターネット上を散策しても、あまりにも対立構造や利己的な権謀術数が多く、世界規模で陰謀が溢れているのを感じると、せめて自分自身の心の領域ぐらいは、純粋なままに保ちたいと思ってしまう。

 初めてドイツ語の歌を歌ったのは、シューベルトの歌曲集「冬の旅」の「あふるる涙」だった。フィッシャー・ディスカウの歌が、圧倒的に有名だが、個人的にはこのクルト・モールの歌が好きである。その次に、モーツァルトの「魔笛」のアリア2曲を習ったが、そのおかげでモーツァルトの食わず嫌いが消えたのを憶えている。明日は、数十年前の声楽の先生の、どうやら最後のコンサートになりそうなので、都心のホールまで行く予定だ。

 もうすでに、オペラや歌曲を歌う気力が無くなっており、トライするとしてもギターでボサノヴァの弾き語りがせいぜいだと思う。それとて、もう指が動かないかもしれない。

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by hirune-neko | 2018-12-11 01:14 | 心の中のできごと | Comments(4)

あれこれ、まだ頭の中で反芻している

NANTES. Chanson de Barbara
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 営業は難しいと思う反面、私なりに思うところがある。

 紹介者があれば、義理で会ってくれるとは思う。しかし、最後は商品の価値を理解し、さらには必要性を認め、購入を決断してもらう必要がある。紹介者してくれる人を捜し当てるのも、ひとつの方法だと思う。しかし、それだと面積的な限界を感じてしまう。

 営業対象は、全国で数千カ所存在する。飛び込み営業をするか、あるいは資料を郵送するか、さもなければメールを送るか。送るのはいとも簡単だし、郵送にしても費用を気にしないのであれば、一気に送付することはできる。

 最悪だと思うのは、電話をかけてとっかかりを作ろうとする営業手法だ。逆の立場になって考えると分かるが、電話は仕事を中断される。早く切りたいという心理が働く。私はかなりの回数、営業の電話に応対しているが、あまり不機嫌な態度で電話を切ると、相手が自信を喪失し、人間不信に陥り、その後の人生に悪影響を与えると申し訳ないので、なるべく丁寧に、不必要と判断する理由を説明し、相手に自発的に電話を切ってもらうよう、仕向けるようにしている。

 メールとか、自社サイトに誘導する手法も、警戒心を持つ相手には効果が無い。私自身、GoogleやAmazonという著名な企業を名乗るメールを受信し、もう少しで引っかかるところだった。ウィルスやランサムウエア、フィッシングメールなどの存在が広く知られるようになり、ハードルが高いと思っている。

 世の中、ダイレクト・レスポンス・マーケティングの手法が全盛だと思うが、私は敢えて古典的で原始的な方法の「ダイレクト・メール」と「飛び込み営業」を採用したいと考えている。郵便物を手に取り、なんだ営業資料か、と判断して捨てられるか、たとえ開封してくれても、パラパラとめくってくずかご行き。飛び込みでは、時間を取って話を聞いてくれることは、まず考えられない。それが常識であろう。

 しかし、その固定観念を覆す手法を思い巡らせている。そんなに深く研究してはいないのだが、脳内にはダン・ケネディやリッチ・シェフレンなどの大御所の名前がある。なんとか短時間で、ダイレクト・レスポンス・マーケティングとセールスレターの書き方の、基本セオリーを吸収し、活用したいと考えている。

 すでに、こんな流れかな、というイメージはあるのだが、過去何年かにわたって取得している種々の教材を、猛スピードで閲覧しようと思う。彼等の手法には、人間の心理を深く分析し、購入に至らしめるプロセスが解説されているので、それを紙媒体のダイレクト・メールに応用してみたい。時代の流れに逆行した手法であることは、重々承知しているが、それが現在の私たちにとって、最善の選択だという確信はある。

 企業秘密などという大層なものではないので、いずれはその原始的な手法と、送付後の反応について、公開報告させていただくつもりだ。すでに、自治体に対する特異な情報提供を開始しており、何カ所かから資料請求が来ている。私が、あまりにも説明資料の構成内容に拘っているものだから、まだ未発送のままお待ちいただいている。

 ほぼ一日中、仕事をしながら、歩きながら、食事をしながら、脳内に空きがある時間を使ってイメージを反芻している。で、ひとつ悟ったのは、何でもかんでも自分の力だけで作り上げようとせず、神学的視点も大事にし、宇宙空間からの神聖な助言を受けられるよう、意識を天にも向けようと意識している。つまり、視界を目に見える現実的な範囲だけに固定化せず、時空を超越した発想で、宇宙空間の遙か彼方から発せられる、微弱な電波をもキャッチしようということだ。

 何を血迷ったかと思われるに違いないが、私なりに確信を持っている。何か新たな発見や創造をしようとするときは、過去の事例や知識だけに頼っていると、自ら限界を作ってしまうことになる。独創的な構想(と自負している)を現実化するには、やはり何か人間的な発想を超越した要素が必要だと思っている。

 そう考えながら、脳内でのエネルギー消費が激しいので、一日中チューインガムを口の中に入れている。ようやくクロレッツのプラスチックケースのを見つけたのでふたつ購入し、クチュクチュしている最中である。

 もしかしたら私は、古代イスラエル生まれなのではなく、ひょっとしたら宇宙の遙か彼方から地球に送られた異星人なのかもしれない・・・という疑念も浮かんでいる。スター・ウォーズの見すぎかもしれない。

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by hirune-neko | 2018-12-09 01:26 | 心の中のできごと | Comments(4)

気をつけよう、甘いお誘いメールと意味不明メール

Sarah Vaughan - April in Paris
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 今日、差出人名の欄が空欄の荷物が届いた。箱には「生活の木」と印刷されていたが、注文した憶えはnaい。中を開けると、ハーブティーや何種類ものクエン酸食品らしいパッケージが、いくつも入ってた。同封されていた納品書をくまなく調べたら、ご依頼主欄に女性の名前と携帯電話の番号が書かれていた。即座に思い出せるお名前ではなかったので、念のためメール履歴で検索してみたところ、以前ブログ読者の方に昼寝ネコのステッカーをプレゼントした方の一人だと判明した。

 わざわざ時間と費用をかけてお送りくださり、大変恐縮だったが、せっかくのご厚意なので有難く頂戴した次第だ。早速メールでお礼をお送りしたが、不着でッ戻ってきたため、携帯に電話した。聞くと、元々は余命読者の方で、余命ブログにも投稿されていたとのことだった。頼もしい読者である。


 最近は、いわゆるスパムメールの着信がどんどん増えていた。多い日だと、全部で300通以上になった。パソコンだけでなく、iPhone、iPad、iPad Proでメールチェックしているので、下手をすると千通近くのメールを削除する作業が必要になる。決まって、夜寝る前に仕分けと削除作業を行っているが、作業中に寝入ってしまうこともしばしばある。

 とりあえず、サーバー会社に事情を説明して相談したところ、各メールアカウント毎にフィルターを設定するよう勧められた。すぐに実行したところ、スパムメールは激減した。一方で、まともなメールがサーバーに迷惑メールと認定され、着信しないケースも発生した。今度は逆に、迷惑メールではないと学習させている。

 あるとき、Googleからメールが届き、読むと10人のモニターに選ばれたので、最新のiPhoneをプレゼントすると説明されていた。やった!と思い、必要な登録作業を進めたら、氏名、クレジットカード番号、有効期限、セキュリティコードを入力するよう求められた。無料プレゼントなのに、なんでカード番号が必要なのか・・・すぐに画面を閉じた。

 その後しばらくして、今度はAmazonからメールが届いた。理由は忘れたが、1万円分のギフトカードがもらえるという。やった!と思い、必要な登録作業を進めたら、氏名、クレジットカード番号、有効期限、セキュリティコードを入力するよう求められた。なんだ、そういうことか、とがっかりし、画面を閉じた。

 嬉しさのあまり、何も疑わずにそのままカード情報を入力し、送信する人もいるのではないだろうか。悲劇的な結末が目に浮かぶ。

 巷間では、2000年の東京オリンピックに向けて、サイバー攻撃が激化すると予測されている。ランサムウェアというらしいが、著名な企業になりすまし、クレジットカード情報を盗み取ろうとしたりなどの、巧妙なメールも激増するのだろう、きっと。

 先月、NTTから「おまかせサイバーみまもりWEB サイト」というウィルス対策の機器と、「おまかせアンチウイルスWEB サイト」というトレンド・マイクロソフト社のウィルス対策ソフトの導入を勧められていた。今日、NTTの技術者の方が3人で来てくださり、光ケーブルの入口部分に機器を設置し、iMac4台、iPhone4台、iPadとiPad Proの合計10台にソフトをインストールしていただいた。結構時間がかかったので、近所の洋菓子店・フルールに行き、オートミールクッキーなどを購入して、お土産にお持ちいただいた。

 さて、かくのごとく身辺整理は着々と進んでいる。全国の産婦人科と自治体、さらに場合によっては書店さんも対象になるかもしれない。コンタクトが始まったら、私の役割は企画立案の立場から一転して、地方巡礼の旅人になるだろう。

 本当に大丈夫だろうか。余程健康管理し、身体を鍛え、体力を蓄えなければ、という自覚が生まれている。遅い時間帯だったが、ちゃんと今日も6000歩を歩いてきた。まだまだ課題は多いものの、地方銘菓との出会いも楽しみにして、全国行脚を目指したい。・・・地方巡業が痴呆巡業になる前に、ちゃんとそれなりの形にしたいと願っている。

 そして徹底的にネコを被り、温和で穏やかな笑顔を振りまいて、これから出会う皆さんに好感を持たれるよう、精一杯の努力をしたいと思っている。

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by hirune-neko | 2018-12-08 02:23 | 心の中のできごと | Comments(0)

生存環境の変化までを視野に入れると、どうなるのだろうか

Shirley Horn - "Where Do You Start? (Johnny Mandel, arrangement)”
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 「ケムトレイル」という言葉を初めて目にした。Googleで検索すると、Wikipediaに以下の記述があった。

【Wikipediaより一部転記】
(引用開始)
 Chem-Trail, (ケム・トレイル) なる語は 2004年にエイミー・ワージントンが用い始め、「極秘プロジェクトに係わる航空機から散布された何トンもの微粒子状物質」で「アスベスト、バリウム塩、アルミニウム、放射性トリウムなどを含む有毒金属を含んで」おり「アメリカ国防総省、アメリカエネルギー省、国立研究機関、大学、民間の防衛産業、製薬会社などが係わっている巨大な組織」が推進し、「航空機から散布された何トンもの微粒子状物質は、大気を高電荷の導電性プラズマにし」「­­地震を引き起こす地殻操作兵器などのために、荷電した大気を人為的に操作するためのものである」[1]と主張しているが、具体的根拠や統計的数値や、「微粒子状物質が大気を高電荷の導電性プラズマにする」メカニズムと人為的操作で地震を引き起こす「人為的操作」の具体的技術は示していない。
(引用修了)

 「ケムトレイル」という言葉を目にしたのは、ブログ・徒然なるままにで紹介されていた記事で、タイトルは「グローバリスト・カバラによる地球と人類破壊計画 : 日本や世界や宇宙の動向」である。その記事の一部を以下にご紹介する。

【ブログ・徒然なるままに】
(引用開始)
 支配層がやっていることは汚染と破壊です。世界各地の戦争はもとより、ケムトレイルを噴霧し大気を汚染し、水道水にフッ素を入れたり、ワクチンに水銀を入れたり、食品に様々な添加物を入れたり、遺伝子組み換え食品で人間の健康を害し、農薬で土壌を汚染し、昆虫や野生動物を絶滅させたり。。。彼らがやっていることは汚染と破壊です。彼らは神の魂を持つ人間が大嫌いなのです。人間を絶滅させれば、彼ら自身も地球で生きていけなくなるためその前に火星へ逃げようとしているのでしょう。
(引用修了)
ブログ・徒然なるままに http://mblg.tv/42411914/entry/7765/


 私の知識では理解が追いつかない。荒唐無稽な陰謀路だと一笑に付す人もいるだろう。残念ながら、私には検証する能力はない。

 ただ言えるのは、自分自身の非力さを痛感し、脱力感に包まれてしまった、それだけである。的確な説明をし、解説を加えることなどまったくできそうもない。

 目に見える一般社会の生存環境が、脆弱化していることは実感している。それなりの危機感も持っている。対応策を研究し、できるだけ多くの方々に共有していただくことを、思い描いている。

 しかし、上記のように「ケムトレイル」なる物質が、なんらかの目的を持って空中に散布されている、などと言われても、その主旨や目的などは想像することすらできない。遠い遠い世界のできごとである。

 私たちの仕事は、単に自社商品の絵本を販売することだけを目的とせず、特に子育て中のご家庭にとって、各種有益な情報提供をしたい、という基本理念に基づいている。長期的に見るなら、結果として国家にとっても良き影響をもたらすだろうと考えるからだ。

 しかし、「ケムトレイル」問題を視野に入れたとしても、これこれの主張を唱える人がいる。そして一方では、それは陰謀論だと否定的に評価する人もいる、という程度の情報提供しかできない。しかも、仮に事実だとしても、一体どのような回避方法を提案できるのだろうか。そういう意味で、無力感を感じてしまった。

 仕事を継続的に展望するときには、極端な環境変化を想定してしまうと、筆が進まなくなってしまう。限界を感じるとともに、閉塞感にも包まれる。

 しかし、気を取り直し、それこそ誰の目にも絶望的と思われた状況で、石投げ器ひとつで巨人ゴリアテに立ち向かったダビデのように、諦めずに立ち向かっていれば、活路が拓かれると信じて進むしかないだろう。

 昨晩は、いよいよ着手するニュースレターに関連し、過去に収集していた多くのマニュアルを整理したが、夢中になりすぎて時間の経過を忘れてしまい、早朝4時までかかってしまった。

 基本的なシナリオは出来上がっているので、なんとか第1稿を仕上げたいものだ。活路を拓くツールにしたいと願っている。

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by hirune-neko | 2018-12-06 23:52 | 心の中のできごと | Comments(2)

おお、今日は超人的な集中力を発揮してしまった〜自画自賛

Pela luz dos olhos teus (Tom Jobim e Miucha)
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 ひょんなことから、小冊子の製作を引き受けることになった。あれは、母のお通夜が終わった直後のことだったので、2年半ほど前のことになる。旧知の男性が近寄ってきて、カバンから何やら書類を取り出し、小冊子の製作を手伝ってほしいと言う。

 見ると、日本文と英文が縦2段に並んだレイアウトで、数点の画像も配置されていた。30ページ程度なので、そんなに手間がかからないと考え、ボランティアで引き受けた。

 日本語から英訳された文章まで立ち入る必要はなかったのだが、やはり気になって日本文と照合しながら作業を進めた。すると、適訳とは思えない部分がいくつも見つかった。それと、ページがどんどん増えて、最終的には80ページを超えてしまった。おまけに、関係者が相当数存在するらしく、いろいろな意見が交錯して修正が繰り返された。

 2年前からは、私自身の忙しさが加速してしまい、なかなか迅速に対応できなくなってしまった。まとまった時間が取れない状態が続いたのと、修正指示が繰り返されてしまい、終わりの無い戦いになってしまったので、泥沼に入り込んでしまったような状況になった。

 何度も修正指示があったため、どこまで作業が進んでいるかを確かめるまで、修正作業に着手することができない。画像点数も最終的にはかなりの数になった。文章を削除したり追加したりすると、画像ボックスは連動しないので、全点位置の微調整が必要になる。

 10月上旬に最後の修正指示が来ていたのだが、その頃は他のボランティアのピークの時期が始まったため、なかなか手が付けられなかった。一方で、自分の仕事の営業戦略を立て、具体的な資料も作成しなければならない状況になっていた。これ以上修正作業をお待たせするわけにはいかない、という思いと、ほぼ営業戦略が固まったので、必要資料を作成して行動に移さなくては、という思いが交錯し、身動きできなくなってしまった。

 そのせいなのか、軽度な鬱病か自閉症なのではないかと思うぐらい、人生がすっかり重荷に感じられるようになってしまった。

 文字通り、祈る気持ちで集中力と気力を与えられるよう願った。

 朝、目が覚めたときから小冊子を終えて、営業戦略の実行に没頭したいという思いが強まった。午前中からしばらくは、顧客への対応と請求書の内容確認、発送準備に追われた。

 午後2時過ぎから、文字通り重い腰を上げ、バージョン4まで進んでいた小冊子をコピーして、新たにバージョン5として修正準備を始めた。

 過去の修正指示をどこまで反映しているか、を確認するのにかなり手間がかかる。修正の都度、テキストは上下に移動するので、修正指示されているページ名や行数は当てにならない。前後部分を目で追い該当箇所を探し当てる。日本語ならまだなんとかなるが、英文を速読するように確認するのは、なかなか大変な作業だ。

 しかし、思いのほか集中力が持続し、脇目も振らず一気に作業を終えることができた。時間を確認したら、午後9時を少し回っていた。約7時間の作業だった。

 ずっと長い間、日常業務とボランティアに追われていたので、連続して1時間とて確保できない状態が続いていたので、結果的に7時間というまとまった時間を集中できたのは、私にとっては奇跡的だった。

 2年間にわたり、最も重荷だった案件なので、校了を待つ必要はあるものの、肩から力が抜けて、大きな溜息をついている。

 さて、いよいよ営業戦略を実行に移す局面だ。セールスレターを書く極意は、とっくの前に購入しているが、まだ呼んではいない。読んではいないものの、いろいろな企業からセールスレターを受け取っているので、基本セオリーが大体分かっているように思う。

 さて、全国の産婦人科の院長先生、そして市区町村の担当者の皆さん、長らくお待たせした。じきに独自戦略に基づいてコンタクトさせていただくので、もうしばらくお待ちいただきたい。その時は、決して無視しないよう、切にお願いしたい。笑

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by hirune-neko | 2018-12-06 01:29 | 心の中のできごと | Comments(0)

歩き続けていても、ふと立ち止まることがある

Samba em Prelúdio
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 希なことだが、自分のことを客観的に見るときがある。滅多にないことで、心身が不調の時や処理案件過多で、立ち往生したときぐらいだろうか。

 今日は昼間から断続的に睡魔に襲われた。久しく散髪に行っていなかったので、仕事を中断し、夕方過ぎから床屋に行くことにした。
  
 順番待ちは3番目だったので、iPadProにイヤフォンを挿し、iCloudの保存してある動画を観て過ごした。暗号鍵とか復号鍵とか、そんな内容の動画だった。散髪中には何度もうたた寝したので、あっという間に終わってしまった。

 そのまま帰らず、歩くことにした。

 歩きながら、とりとめも無いことを考えた。珍しく、自分自身のことが客観的に映った。

 時間に余裕が持てるようになったら、ハイキングシューズを購入し、自然の中の平坦な道を歩いてみたいと思った。実際には、自然界に行くだけでも、おそらくは数時間程度かかるだろうから、贅沢な望みだと思う。

 私は、仲間意識が希薄で孤立することが気にならない。人から非難されようが、罵声を浴びせられようが、おそらくは平然としているだろうと思う。どこにも帰属意識が無く、従って妥協せず持論を述べる傾向が強い。

 20代の頃から無国籍人間という自覚があり、言葉の問題を除けば、おそらくはどこの国に行っても、そこに定住することができそうな気がしている。欲しいと思う贅沢品は何も無く、知識欲を満たせる学習時間を切望している。

 まるで、異星からの来訪者でもあるかのように、地上での人間関係には、自然に距離を置いてしまう。

 そんなあれこれが思い浮かび、今晩のブログに書き残そうと考えたとき、公の場であっても平気で自分を曝け出すことに、ためらいを感じない自分に驚いた。

 きっと自分とは別の自分が、独り歩きしているのだろう。制御も制止もできない、自分の中の自分が存在しているかのようだ。

 仕事や人間関係も含め、私を必要とする環境が、いつかは静かに終わりを迎えるだろう。そのときのために、体力と気力を温存し、雑踏を離れたどこか静かな所に身を置き、もう一人の自分と向き合って生きてみたい。

 全ては無である。しかし、無を超越した彼方を見ることのできる人間にとっては、無もまた有である。無という洗礼を受けた後、有を創造しようと格闘する人間の人生には、終わりが訪れないだろう。そんな気がしている。

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by hirune-neko | 2018-12-05 00:03 | 心の中のできごと | Comments(0)

味わい深い歌だと思う

RAIMUNDO FAGNER - CHORA CORAÇÃO
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 久しぶりに、Ana Carolinaの歌を聴きたくなり、Apple Musicでアルバムを探した。大人気の歌手らしく、大変な枚数がリリースされていた。

 お目当ては、Ana Carolinaが歌う Eu Sei Que Vou Te Amarで、数日前のブログで掲載したばかりだ。彼女のアルバムで見つけたのは、アレンジがあまりではかったので、他を探したのだが見つからない。検索したら、どうやら中南米音楽の特集アルバムで、いろいろなアーティストの歌が、オムニバス形式で構成されている中に見つけることができた。

 聞いたことのある歌手名は、Ana Carolina以外にひとつもなかったが、新しい発見があるかもしれないと考え、ダウンロードしてみた。

 ボサノヴァが多く、何曲かは知っていたが、ほとんどは初めて聴く曲だった。勿論、どの歌手も初めての名前だった。

 歩きながら、最初から最後までを何度か聴いた。

 音楽には、初めて出会った瞬間、まるで一目惚れのように魅力を感じる場合がある。しかし、繰り返し聴いているうちに、最初の新鮮な感動が徐々に色褪せ、陳腐に思えるようになることも多い。

 逆に、何度か繰り返し聴いているうちに、派手さはないものの、味わい深さが、じわじわと心に伝わってくる歌もある。冒頭でご紹介した歌は、そのような印象の曲だ。

 おそらく、歌詞はポルトガル語なのだと思う。残念ながら、意味はまったく分からない。あくまでも語感から受ける印象でしかないのだが、ぬくもりと優しさを感じてしまう。一体どのような世界を歌っているのか、いつか時間があるときに調べてみようと思う。

 いよいよ、というか、とうとう追いつめられ始めている。奇特な方が、自治体の投書コーナーに私たちが製作している、名入り絵本を紹介してくれて、その自治体から、資料請求があったという連絡があった。

 以前、「書店ゼロの自治体」という情報を目にしたとき、不思議な感情に包まれた。書籍を販売する出版社が、書店の無い町を思い描いたとき、どのように感じるだろうか。販路が無く、おそらくは本を読む人も少ない、ビジネスベースでは視野の外に除外してしまうのではないだろうか。

 私の場合は違った。

 本と出会う機会の少ない環境で育つ、子どもたちの姿が目に浮かんだ。私には、装丁デザインはできないが、単行本1冊をデータ化できる技術がある。それと、特殊なソフトではあるが、それなりの機能を持ったサイトを構築することができる。大幅な更新が行われたまま、まだ最新技術の習得はできていないが、少し時間をかければ、そこそこの機能を持つサイトを作る自信がある。

 小さい頃から、できれば生まれて間もない頃から、お父さんやお母さんに本を呼んでもらい、小さな身体の中に心が拡がり、感性、感覚、平安という目に見えないものの、大切な要素が全身に広がる。やがて読書に親しむことにより、視野が広がり、理解力と洞察力も増す。物語を読むことで疑似体験し、観察力や想像力を養うことにもなる。

 出版販売の利便性が極限まで高められ、グローバル化されている。忙しい現代人は、調達時間や送料の低減という恩恵を受けるようになっているのは事実だ。
 
 しかし、この地上に生を受けた幼子が、人生の晩年近くに至るまでの間に、人間として習得し、あるいは体感し、学ぶべきことはなんだろうか。画一的に論じることはできないことは承知している。しかし、目に見える世界からのみ価値の選択を行うのではなく、目に見えない世界に広がる深遠な価値に、目を向けるきっかけを提供できないだろうか。そのように考えるようになってしまった。

 したがって、営業手法を根底から見直し、改訂版を作成している最中である。つまり、自社の商品を売ることよりも、書店の存在しない世界で生活する人たちと、本の世界との距離を縮めるお手伝いをしたいという思いが、募ってしまっている。

 ビジネス的には邪道なのだろうと思う。しかし、私なら低予算で提供することができる。無償で提供する局面も覚悟している。

 そのような次第なので、早急に企画提案書をまとめなくてはならなくなっている。ますます追いつめられてしまっている。

 なので、あまりアップテンポの音楽を聴く気になれない状態にある。急かされる感じがするからだ。

 意味不明なポルトガル語であっても、この歌に慰められている。

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by hirune-neko | 2018-12-04 02:05 | 心の中のできごと | Comments(0)

隙間が少しずつ埋まって行くような気がする

Les Swinger Singers J S Bach Concerto in F Major largo 1969
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