昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:心の中のできごと( 807 )

生前葬ではなく、とりあえずの遺言書

Astor Piazzolla - Soledad
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 何年も前は高血圧に悩まされ、脳内に違和感を感じると、決まって血圧が200以上だった時期がある。一度は意識が遠のき、救急車を呼んだことがある。大学病院に向かう途中、血圧を測ったら250以上あった。大学病院では薬を出され、じきに200を切った。薬を処方してもらい、服用するよう言われたのだが、従わなかった。

 もっと遙か前には、脈拍が異常に速くなり、早朝だったが救急車を呼んだことがある。診断は突発性頻脈症だった。

 ここ数年、気になるのは血糖値だったが、毎朝、血圧と血糖値は測っている。

 薬はまったく服用しなかったが、不思議といつの間にか、血圧が徐々に下がってきた。ところが逆に、最近は上の値が100を切ることが多くなった。今朝は80台から90台で、何度測ってもほぼ同じ水準だった。酸素が脳に回りきらない感じで軽い立ちくらみがあり、歩いていてもすぐにバランスが崩れてしまう。パソコンに向かうこと自体が辛くなってしまった、

 今日は無理を止めて、横になりながら溜まっている読書課題を、音声ファイルで聴くことにした。何時間も聴いたのでかなり追いついた。

 今はこうして椅子に座り、ブログを更新できるようになっている。しかし油断せずに、とにかく午後10時から午前2時までの時間帯には、睡眠を取るようにしようと思う。ちょっと限界なのかもしれない。午前1時から午前4時の時間帯に起きていると、癌が発症しやすく、しかも治りにくいという人がいる。

 そんな一日だったので、すっかり気力が落ちてしまった。しかし食い意地は張っているようで、サツマイモ1本を輪切りにし、ココナツオイルでこんがりと焼き、食べた。その勢いで、例のパンケーキ「マリア・デ・ブエノス・アイレス」も焼いてしまった。今日のはできが良く、裏表ともにこんがりと、いい色に焼き上がった。

 ・・・いや、そんな話題を書くつもりではなかった。

 自分でも、分不相応に大それた構想を描き、提案書など何種類もの青写真を作成している最中なのだが、もしかしたら道半ばで霊界に旅立つことになるのでないか、という不安がよぎった。

 そこで、少々気の早いことなのかもしれないが、いつもブログを訪問し、励ましてくださっている読者の皆さんに、ひと言お礼の気持ちをお伝えしたいと考えるようになった。今日、明日という緊急度の高い状態ではないと思うが、あの世からはインターネット接続ができないと思うので、いわば生前遺言という形で、お礼の気持ちをお伝えしたい。

 私のブログ「昼寝ネコの雑記帳」は、その日その日に感じたままを、公開の場所に投稿している、文字通りの雑記帳である。しかし、まさに正直に感じたままに書いているので、私自身のいろいろな側面が、支離滅裂ながら正直に反映されている。

 実用的な価値のある情報でもなく、芸術性の高い詩や散文でもなく、時には仕事上の愚痴も書き、文字通り雑記帳であるにも拘わらず、毎日それなりの数の方々が読みに来て下さっている。

 そのことは、私の妄想が、もちかして現実に形あるものになるかもしれない、というう仄かな期待と希望につながっている。そして、そんなに多くの対話はないものの、孤独な長距離ランナーのような孤立感を感じることなく、逆に皆さんが伴走しながら声援を送ってくださっている、と勝手に解釈しつつ、エネルギーをいただいている。決してお金では買えない、高価で希少価値のあるエネルギーである。

 もし仮に、私にもしものことがあってブログ更新が途絶えてしまっても、こうして感謝の気持ちをお伝えできたので、安堵の気持ちに包まれている。

 数日前、私の体調を案じた読者の方が、寒さや体調のせいで歩きに行けないときは、室内で運動するようにと、YouTube動画を送ってくださった。観てみたが、なんとか真似事でできそうなので、歩けない日だけでなく、歩いた日も、その数種類のトレーニングを日課にしようと思っている。

 これで、生前の遺言とさせていただく。改めて心よりお礼申し上げる。

 ここからは時間を大切に考え、また、健康が命の源であることをちゃんと認識し、できるだけ長く、日本の多くの皆さんのお役に立てるよう、しぶとく生き続けたいというのが、本音の遺言書である。

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by hirune-neko | 2019-02-17 01:08 | 心の中のできごと | Comments(0)

チョコレートよりは休養が必要かもしれないヴァレンタイン

My Funny Valentine - Carmen McRae
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 選曲している最中に、My Funny Valentineという曲名が目に留まった。そういえば、昨日がヴァレンタインの日だった、と気づいた。

 チョコレートはブラックチョコと決めているが、最近は健康維持のため、泣く泣く断チョコをしている。ささくれだった脳内を鎮めるには、即効性があるのだが、常食してしまうと、さすがに血糖値に影響が出てしまう。

 ここ1週間ほど、だらだらと眠気に襲われ、気がついたらパソコンの前で眠りに落ちていることが増えている。人の名前その他、固有名詞が出てこないこともある。つい最近までは、いつも頭がすっきりし、集中力が持続していたのに、ちょっと不安な症状だ。

 そういえば、早朝にとてもリアルな夢を見ることが連続している。目が覚めて、ああ夢だったんだ、と思うのだが、あっという間に夢の情景を思い出せなくなっている。

 ちょっと色々な案件を抱え込みすぎているな、と反省している。しかし、いくら反省しても案件が減るわけではない。とにかく追いついて、ひとつずつ減らすしかない。我ながら、ストイックな生活を送っているなと思う。

 頭安めには、詰め将棋か将棋ソフトとの対局。以前は外出時に好きな音楽をイヤフォンで聴いていたが、最近はずっと、遅れがちの読書課題を、音声ファイルで持ち歩き、歩くときもバスや電車の中でもイヤフォンで聴いている。せっかく睡眠をとっても、とてもリアルな夢を見ているので、それもちっとも楽しい夢ではなく、何やら緊張度の高い夢なので、もしかしたら脳細胞が悲鳴を上げ、反抗しているのかもしれない。これ以上は無理だよ、と強制的にリセットされているのかもしれない。

 でもまあ、少しでもうたた寝すれば、なんとかすっきりと快復しているので、病的な状態ではないと思っている。

 My Funny Valentineを、いろいろな歌手で聴いてみた。名も知らない歌手、英国の新人発掘番組のアマチュア歌手、耳馴れたサラ・ヴォーンなどを聴いたが、このカーメン・マックレーは、ほぼ忘れられた存在だった。さすがに存在感とスタイルがあり、たまにはいいなと思った。

 親切にもブログ読者の方が送ってくださった、十種類のハーブと雑穀から作られたというハーブティーを、毎日いただいている。ほどよくビターで、体にも良さそうだ。改めてお礼申し上げる。

 一応は用心し、早い時間から脳内のクールダウンを行い、早めに眠りに入れるよう、時間帯を調整することにしたい・・・と、何度も思っているが、さすがに実行しなければと、深く反省している。

 確かに深夜に向けての時間帯は、考えに集中できる。しかし、早朝の時間帯も集中できるはずだ。それよりも、深夜より早朝の方が、思考の健全度、透明度が増すような気がしている。完全切り替えには時間がかかると思うが、チャレンジする価値はありそうだ。

 またまた、ブログ・徒然なるままにに、不吉な見出しが跋扈しているようだ。
 
【止まらない反日】韓国・文大統領「今年、我々は日帝時代を経てゆがめられた権力機関の影から完全に脱する元年にしないといけない」 ムン化大革命へ / 正義の見方・・・http://mblg.tv/42411914/entry/9449/

 やれやれの時代になったものだ。

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by hirune-neko | 2019-02-16 00:14 | 心の中のできごと | Comments(0)

愚考・・・精神領域のグローバリズム

John Barry Theme Out of Africa
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 不勉強なので、今話題のグローバリズムを正確に定義することはできない。しかし、ごく簡単に表現すれば、国境を越えて人材や商品、システムが拡散していくと言っていいのではないだろうか。

 深く調べてはいないが、ここ日本という限定された地域で論ずれば、賛否両論があるようだ。安い労働力が入ってくることにより、日本人の雇用機会が減るという人がいる。一方で、このままだと労働者が足りなくなるので、海外から確保することの必要性を主張する人もいる。

 異なる言語、国民性、習慣、倫理観などを指摘し、懸念を表す人も多い。

 そのような、現実的なグローバル化の争点はさておいて、個の人間の生き方についてのグローバル化について考えてみた。

 社会人になれば、大概の人はどこかの企業や官庁、あるいは医療機関や教育機関に就職し、その組織に所属することになる。組織というのは、それぞれ独自の気風があり、考え方があるので、和を乱さないよう、同時に上司や周りからの期待に応えられるよう、精一杯の努力をするのが一般的だ。行動指針も様式も、いわばその組織や企業のプロトコルをわきまえることで、信頼と評価を受け、徐々に昇進の道を歩む。それが自然であり、当然でもある。

 もし仮に、自分が所属する組織体が、自己利益のために違法で非倫理的な方奥に進むことが明白になったとき、どのような行動に出るべきなのだろうか。スノーデンのように国家の国民に対する違背行為を、メディアに公表し組織を離れるべきなのだろうか。それとも、経済基盤という現実を直視し、私情を殺して組織に留まり、その違法行為に加担することで自己保身を図るべきなのだろうか。・・・そんなに簡単に結論が出るようなことではないだろう。

 ある組織に所属していると、一般的にはその組織と外部社会を隔てる境界線を越えて離脱するのは、とても勇気の要る決断だと思う。

 自分が組織にローカライズされた存在で、離脱が困難な人間なのか。あるいは逆に、あくまでも自分が正しいと思える方向に、自己投企する決断と実行ができる人間なのか。なかなかハードな岐路だと思う。

 そこで、不本意な選択をせず、正しいと思う方向に自己投企できる人間は、組織の境界線、国でいえば国境を制約と考えず、自由に離脱できるグローバルな人間なのではないか・・・今日はそんなことを考えていた。

 で、私はどちらの部類に属する人間なのか、と自問してみた。どうやら私は、組織や人的なしがらみに迎合忖度し、自己喪失することはできない人間のようだ。

 果たして、そんな自分に安住の地はあるのだろうか。あるとすれば、精神領域の中にしかないだろうと思う。それが今日の愚考の結論である。そしてそのことが、仕事を含む全ての行動の、モチベーションになっているようだ。

 ほとほと疲れる人生である。

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by hirune-neko | 2019-02-12 23:01 | 心の中のできごと | Comments(0)

二十歳の頃を懐かしく回想する、アズナヴールの歌

Charles Aznavour - Hier Encore
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 先日ご紹介した「ラ・ボエーム」同様、これも二十歳の頃を懐かしく回想する、アズナヴールの歌で、タイトルは Hier Encore。帰り来ぬ青春、というのが邦題だ

 私自身の二十歳前後の実生活は、とても公開できるような代物ではない。公開ではなく、後悔そのものである。いや、だがしかし、様々な失敗や過ちを経験したからこそ、今の自分があると考えれば、エリートコースを歩まず、逆風に曝され続けた環境を、逆に親近感を伴って懐かしく思い出してしまう。

 ターニングポイントという言葉がある。有る方向に歩き続けていたが、その先には行くべきではないと感じ、引き返す地点のことなのだろうと思う。

 繰り返し、何度もそのターニングポイントから引き返すうちに、方向は見失ったものの、方向感覚は養われたように思う。半世紀以上の時間をかけて具わった方向感覚によれば、ようやく確信を持てる道標が見つかったと言っていいのではないだろうか。

 人生の残り時間が少なくなってしまったこの時期に、ようやくラストスパートをかけられる心境になった。どれほどの時間が残されているか、それだけはなんとも言えない。しかし、我が身を惜しますに、このまま進もうと思っている。

 調べると、ターニングポイントという言葉には、いろいろな意味があるようだ。方向転換という意味で言えば、今年がまさしく仕事の転換点になるのだろうと思う。

 これまでに何度か記したように、仕事は単に売上を増大させるという、一面的な経済活動ではないと思っている。時系列で国内外を展望したときに、売り上げ増大というキーワードだけで突き進むなら、それはある意味で、全身を呪縛という異物に絡みつかれるようなもので、修正すべき局面が視野に入らず、ひたすら目に見える領域でしか判断できなくなってしまう。

 人間に例えるなら、ひたすら富をかき集め続け、ついには長者番付の常連になる人間がいたとしよう。それ自体は大したものだと思う。しかし、誰と接しても常に利害という尺度でしか相手を見ない人間になってしまったら、貧者、弱者をどのように位置づけるのだろうか。

 購買力のない貧者、弱者は、マーケティング理論では決して視野に入れないのではないだろうか。せいぜい、社会貢献の一部として、免罪符の対象として何かを考える程度なのではないだろうか。

 私は少々考え過ぎなのかもしれない。しかし、人の屍を踏み越えてまで富を求めたいとは思わない。富の先に何が横たわっているかを考えない人間にはなりたくないものだ。

 そのような考えの経営者が何人存在するか知る由もないが、一人ぐらいはいてもいいのではないだろうか。

 人間の価値は財布の重さや銀行残高で測られるものではない。死してなお魂とともに存続する領域にこそ、真の価値があるというのが、数え切れないほどのターニングポイントを経験した、私の結論のようだ。そしてその発想は、専門家からは白眼視されるであろう、神学的インテリジェンスという手法と通底している。

 かなり抽象的な概念であることは重々承知している。その意味で、随時微調整を加え、吟味しながら具体的な構築物にして行こうと思っている。

 過ぎ去りし二十歳の頃を、懐かしく、そしてほろ苦く思い出しながら、いつかこの世を去ってから十年、二十年後に、自分の人生を振り返って見ることに興味がある。その、未来完了形の人生をイメージし、できるだけ悔悟や苦渋を感じないように意識しながら、明日からまた歩き続けたい。

 明日は建国記念日だっただろうか。勿論、休日も返上で仕事をすることになるが、ボランティアまで含めると、ほぼ365日、年中無休状態である。しかし、全く苦にならないものの、できればたまには短編小説を書ける時間はほしい。毎日連続5000歩を歩く時間も確保したい。ぴよ将棋相手に、できれば初段まで到達したい。アズナヴールの歌う、ラ・ボエームか帰り来ぬ青春を、フランス語で暗譜して人前で歌えるようになりたい。自作の短編作品を日本語で出版し、最終的には多言語出版したい・・・あらあら、こんな調子で希望案件を並べたら、どうやらキリがないようだ。

 年齢相応に、穏やかに静かに生きることも学ばなくては・・・難しそうだけど。そして、悔悟の人生にならないよう、精神性と感性を高めようと思うものの、肉体的には介護の人生になるやもしれない。

 さて、あれこれ予測しても始まらないので、ここまでにさせていただく。10分ほど前に次男が仕事場に到着した。日曜日の深夜過ぎの毎度のパターンである。入れ違いで、これから私は眠りにつくこと二なる。バトンタッチである。

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by hirune-neko | 2019-02-11 01:45 | 心の中のできごと | Comments(0)

音楽を選べず、言葉が出てこない

Bill Evans - "All Mine (Minha)
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 ようやく選曲ができた。あれこれ聴いてもしっくりこなくて、結局はビル・エヴァンスを数十曲聴き、この曲が一番違和感がなかった。

 一般のビジネスの世界では、売上金額が増えることが最終的な尺度であり、成功の基準になっているように感じる。昨今、次々と表面化している、カルロス・ゴーン氏の、日産やルノーの私物化金額を見ていると、いとも簡単に十億単位の数字が並び、唖然としてしまう。同時に、十億単位のお金を流用されても、なんとかなっている企業の事業規模など、私には想像もできない。


 巨大な豪華客船が思い浮かぶ。タイタニックでもなんでもいい。河幅数キロの大河を、ゆっくりと下流に向かって航行している。船内のレストランやバーでは、多くの船客が語らい、嬌声を上げている。ダンスホールではバンドの演奏に合わせ、着飾った男女が、笑みを浮かべてステップを踏んでいる。

 船は、ある地点で折り返し、上流に向かうことになっていた。クルーの一人が見張り役を務めていたが、徐々に折り返し地点が近づいていることは、ちゃんと認識していた。そのとき突然、前夜の光景が苦渋に満ちた感情とともに、記憶の中から鮮明に甦った。

 1年ほど付き合い、プロポーズしようと思っていた女性が、男性と腕を組み、顔いっぱいに笑顔を浮かべて、幸せそうな表情でバーから出て来る姿を、偶然目にしてしまった。

 どんな関係なのだろうか。とても親しそうな間柄に見えた。単なる友だちなのだろうか。そうとは思えない・・・いつしか、頭の中では疑念と迷いが渦巻き、収拾がつかなくなっていた。

 そのとき、鉄製の階段を足早に駆け上がりながら、大声で何かを叫ぶ声が聞こえ、我に返った。川面の流れがとても速くなっており、ほぼ平坦だった水面に荒い波しぶきが音を立てていた。

 いつの間にか折り返し地点をかなり過ぎてしまい、下流の大瀑布に近づいてしまっていることが分かった。船長は彼を大声で叱責し、早口で怒鳴りながら、機関士や操縦士に次々と指示を出した。

 暗闇の向こうからは、大瀑布の巨大な水量が落下する音が聞こえてきた。舵を切り、必死の形相で船首を上流に向けようと、クルーたちは懸命の努力を傾けた。

 ・・・この際、その巨大な豪華客船が、どのような結末を辿ったかはさして重要ではない。

 周りの空気を読み、如才なく振る舞い、大事な顧客に忖度することにより、大きな流れに乗り、一見すると順調に推移していると思われた事業が、予期し得なかった要因により、一気に破綻に向かってしまうことがある。

 事業だけでなく、人生も同様である。どれだけ細心の注意を払っていても、人間は全てを100%見通せる訳ではない。水が高い方から低い方に流れるがごとく、悪意に満ちた狡猾な人間は善良な人々に甘言を囁き、巧言令色をもって窮地に陥れる。まるでそれが自分たちの使命であり、あるいは歓びででもあるかのように、平穏な生活から奈落の底に突き落とされる人々の不幸を見下ろし、嘲笑いながら報復の喚声を上げている姿が目に浮かぶ。

 市井に生きる私たち個人の生活基盤、人生の航路にも、危険な罠が忍び寄っている。そのような用心深さが、残念ながら誰にとっても不可欠な時代になっている。

 実際の目には見えないが、私にはどういう訳か、そのような悪意に満ちた狡猾な人間の存在を、感知できる感覚が身についたように感じている。それが、ファミリー・インテリジェンスという概念に行き着く、大きな要因になっているようだ。

 さらに言えば、短編作品を書くことに情熱を持っているのは、ごく短時間でも、その作品のストーリーの世界に身を置いていただき、疑似体験を通して何かを感じ、できれば何かを発見していただきたい、という願いがあるからだ。

 私個人にできる、「悪意に満ちた狡猾な人間」に対する、ほんのささやかな「宣戦布告」である。同時に、その根底には・・・日本語にも英語にも、一般には存在しない言葉ではあるが、「神学的インテリジェンス」(Theological Intelligence)という視点を持っているようだ。地球創世の遙か以前から存在し、これからも連綿と継続すると考えられている、「エホバとルシフェルの戦い」という図式である。


 最初は、書こうと思うことが全く思い浮かばなかったのだが、終わってみると意外にも思いの外、饒舌になってしまったようだ。齢を重ねる毎に、ますます妄想が膨らんできているようだ。というより、自分の使命が徐々に明確になってきている、と考えるべきなのかもしれない。

 そのせいか最近は、ミュージカル「ラ・マンチャの男」で、ドン・キホーテが妄想の世界で歌う「見果てぬ夢」(The Impossible Dream)の歌詞の内容に、すっかり鼓舞されるようになってしまっている。

 せっかくの機会なので、少々長いが、英語と日本語の歌詞を以下に紹介させていただく。

"The Impossible Dream"

To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go

To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from a far
To try when your arms are too weary
To reach the unreachable star

This is my quest
To follow that star
No matter how hopeless
No matter how far

To fight for the right
Without question or pause
To be willing to march into Hell
For a heavenly cause

And I know if I’ll only be true
To this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
When I’m laid to my rest

And the world will be better for this
That one man, scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable star

─────
「見果てぬ夢」

見果てぬ夢を見続けて
かなわぬ敵と戦い続け
耐えがたき悲しみに耐え抜き
勇者すら行かぬところへ向かう


正しがたい間違いを正し
遠くより純粋でけがれなき愛を注ぎ
腕を動かせぬほど疲れていてもやってみる
届かぬ星を追いかけて

これが私の冒険の旅
その星を追いかける
どんなに望みがかなわぬものでも
どんなに遠くにあるとしても

正しきことのために戦う
疑うこともなく 休むこともなく
地獄へ向かうのもいとわない
天の願いなら

そして私にはわかる 自分が忠実かどうか
この輝かしい冒険の旅に
私の心は平和に満ちて穏やかなものとなるだろう
永遠の眠りにつく時

そして世界は今よりよりよきものとなる
さげすまれ傷だらけの一人の男が
最後まで勇敢に戦ったことで
届かぬ星を追いかけるのだ


引用元:輝きの時 “Carry Out Your Life!
「松本幸四郎 見果てぬ夢」


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by hirune-neko | 2019-02-10 00:47 | 心の中のできごと | Comments(0)

終焉と胎動が錯綜しつつ収束に向かっているのだろうか

"No quiero otro
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 今日も何度か、ブログ・徒然なるままにを訪問した。ひとまずはタイトルだけを閲覧し、気になった記事は詳細を読む。

 ネット上では、いわゆる在日韓国・朝鮮人に対する忌避感や嫌悪感を、あからさまに表現する人たちが多く見受けられる。私には、数十年前に知り合いになった、在日韓国人男性がいる。確か、父親が韓国人で母親が日本人だったはずだ。その彼は、安倍総理を毛嫌いする内容の記事を、Facebookでシェアしている。

 私が韓国の土を踏んだのは、かれこれ40年ほど以前のことだ。あれは大韓航空だったかユナイテッド航空だったか忘れたが、成田からソウルに飛び、ソウルで乗り換えてアメリカ西海岸に飛ぶと、飛行機代が安かった。そんな理由で選んだものだ。

 ところが、ソウルからアメリカ行きの便が運休することになり、ソウル市内のホテルが用意され1泊を余儀なくされた。その日は航空会社が手配したバスで、お土産物屋さんを何カ所か案内され、焼き肉レストランで夕食が用意されていた。当時の私は無邪気なもので、旅行ガイドブックを片手に店の人に「イッスムニダ(美味しいです)」などと、カタカナ韓国語で話しかけたりした。

 当時はまだ小学生にもなっていなかった長男は、やがて化学会社に勤めるようになった。韓国・サムスンの担当者になり、何度も韓国を訪れるようになった。あるとき、韓国人には優秀な人が多く、2回目に会うときはかなり日本語を勉強し、会話することができた、と言っていたのが記憶にある。


 今日、ブログ・徒然なるままにで目に留まった記事のタイトルは
 「韓国文在寅政権の崩壊が止まらない! とんでもない不祥事がまた発覚! ついに支持率維持も困難になる!?」
 だった。記事の全文を読み、章末のコメントまで読んだ。

 代々の韓国大統領は、退任後に悲劇に見舞われているようだ。つい最近、文在寅大統領の娘さん夫婦が、逃れるかのようにタイに移住したという記事を目にしたばかりだ。また、軍の幹部が公然と文在寅大統領を批判した、という記事を目にしたし、軍事政権が誕生するのかという予測記事も目にした。いわゆる軍事クーデターで、文在寅大統領の失脚である。

 一方で、韓国では若者を中心に親日家が多く、故国を捨てて海外移住を希望する人も増えていると聞いている。元銀行家の知人は、韓国人の若者のために、日本企業への就職を斡旋するプロジェクトを立ち上げる構想を、何度も聞かせてくれた。

 もし私が韓国で生を受け、小さいことから、いわゆる反日教育を受けていたとしたら、日本と日本人をどのような目で見ていただろうか。自分をいろいろな立場に置き換えてみると、複雑な思いに包まれる。

 素人目に見ても、韓国は国際社会から孤立しつつあり、北主導の半島統一も容易ではないだろう。トランプ大統領は、近々会談する金正恩委員長に対し、韓国から離反するよう説得を試みるようだ。もちろん、それなりの条件を用意するのだろう。

 果たして、韓国にはどのような将来が待ち受けているのだろうか。非情な国際社会の陰謀や謀略が氾濫する中、善良で親日家の韓国の人たちの未来を想像すると、痛いほど不安や怖れ、焦りの気持ちが伝わってくる。

 国家安全保障の見地からは、日本を敵視する国家とその同調者に対しては、最大限の警戒を怠るべきではない。難しいことではあるが、韓国人という一括りの見方をするのではなく、反日工作、諜報活動に携わる人たちと、日本に好意を抱く人たちの両方を視野に入れた、複眼的視点を持てないものだろうか。

 甘い考えだと馬鹿にされるかもしれないし、私にはとても韓国事案までを視野に入れる余裕はない。しかし、身近に在日韓国系の人たちを見知っている者としては、国家安全保障の視点と並行して、人道的な視点も併せ持てる人間でありたいと思っている。

 多くの公開情報を閲覧していると、韓国は明らかに危機的領域に突き進んでいると感じる。悲劇的な状況が拡大しないよう、どこかで踏み留まってほしいものだ。
 
 忙しい方は、ブログ・徒然なるままにが発信している公開情報の、タイトルだけでもお読みになることをお勧めする。個人的な時間を割いて、少しでも多くの方に内外情勢の実体を知らせようと考え、情報収集と選定を行っている、実に奇特な方の厚意と善意である。

 ブログ・徒然なるままにhttp://mblg.tv/42411914/
 
 最終的にどのような判断をされるかは、読まれる方の自由である。そこまで立ち入るつもりは毛頭ない。ただひたすら、実体に向かって一歩でも近づいていただきたいと願うばかりである。

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by hirune-neko | 2019-02-09 01:32 | 心の中のできごと | Comments(0)

ピアソラの音楽に励まされている

Astor Piazzolla - Extasis
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 私たちは、あまりにも膨大な量の懸念情報に取り巻かれている。いくら醒めた目で見ようと思っても、さすがに収束地点を予測することが困難で、徒労感に包まれてしまう。私が個人的にあれこれ懸念しても、現実社会に変化が起きるわけがない。

 試しに、政治ブログランキング上位から、刺激的な見出しだけを羅列してみると・・・

辻元清美、韓国人の林範夫から献金!政治資金規正法抵触・別の会計処理して返金せず「返金した」と嘘
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トランプ大統領の演説に否定的な朝日とNHK
・北の国家犯罪を隠蔽する教師 ~ DVD「めぐみ」上映拒否は拉致被害者差別だ


 以上は政治ブログランキングの上位10位にランクされているブログから、それぞれひとつずつを任意で選び、リスト化したものだ。なかなか壮観である。

 何度も使用する言葉になっているが、「対立構造」、「論点」の数々が凝縮されているのを感じる。

 私たちは政治あるいは外交評論家を目指しているのだろうか。もちろん違うだろう。できるだけ多くの公開情報に目を通し、洞察力を高めることで、実体に対する理解を深めたい、という思いは多くの人たちに共通しているのではないだろうか。

 しかし残念なことに、仕事を抱えていれば、割ける時間にも限界がある。勢い、自分の考えに近い記事を読んで共感して溜飲を下げ、そうでない記事は忌避してしまう。それにしても、かなりの時間と労力を必要とする。

 最近の私は、絶対的な時間不足状態にあり、約50分の歩く時価を、音楽を聴きながらたそがれて過ごすのが、勿体なく思えるようになってしまった。毎日の読書課題を音声ファイルに変換したデータを、携帯デバイスに保存し、イヤフォンで聴くようになっている。

 元々の持論だが、対立構造から発生する論争に巻き込まれ過ぎて、人間としての生き方、人生観、価値観が視野の外に追いやられてしまっては、最終的に悔いが残る晩年になると思っている。読書課題のひとつは新・旧約聖書を含む宗教関連図書だ。

 それでなくとも、ファミリー・インテリジェンスなどという、世界中で誰も言及していない手法を提言しているが、それに加え、神学的インテリジェンスという視点の必要性も、視野に入りつつある。別に神がかり的で神秘的な要素を強調するわけではないが、人間の内面世界の変化、成長、浄化という要素の重要性を見過ごしてはいけない、という発想が原点にあるべきだ、と思い始めている。

 それが具体的に何を意味するのか。それを今、熟考中である。と同時に、混乱を深める現代社会にあって、それぞれの人が、自分自身を価値ある存在と受け入れ、いつか人生を振り返ったときに、自ら選択した生き方に達成感と確信を感じられる・・・いささか抽象的ではあるが、国内外の社会の表層にのみ目を奪われず、人間としての本質を見出す・・・そのような命題を自分自身に課して考えている昨今である。

 で、そんな心境の時は、不思議とピアソラの作品に励まされている。改めて、ピアソラは希有な音楽家だと思っている。

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by hirune-neko | 2019-02-08 00:22 | 心の中のできごと | Comments(0)

落ちこぼれ人間が、半世紀かけて脱皮を試みている

Villa-Lobos : Bachianas Brasileiras No.5 "Cantilena" / vocal:Yoshie Kubota
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 どうにも時間が取れなくなってしまい、しばらくギターの個人レッスンをお休みしている。昨年、先生が体調を崩されたとブログに書かれていたので、案じていた。いろいろな演奏活動を再開されているようなので、快復されたのだなと思い、お見舞いメールを送った。その返信メールに、以下のよう一節があった。

 「ネコ様、話は変わりますが、ギターと歌の曲で、ブラジル風バッハはご存知でいらっしゃいますか? ヴィラ・ロボス作曲 ブラジル風バッハ第5番です。 きっとご存知だと思いますが、もし宜しければお聴きになってみて下さい。」

 YouTubeで探したのだが、ギターとボーカルの演奏がとても少なく、ようやく見つけた演奏を冒頭に掲載した。どうやら日本人の演奏のようだ。

 印象的なメロディーで、聞き覚えがあった。ブラジル風バッハだなんて、興味深いタイトルだ。ちょうど昨日、南米に縁ある福岡貞夫さんと高場将美先生について触れたが、最近は立て続けにペルー人、コスタリカ人と中南米の方々との出会いもあり、ぼんやりと彼の地の情景を思い浮かべていた。

 海外旅行など、まったく不可能な状況なので、せめて旅行動画でも眺め、雰囲気だけでも味わいたいと思い出している。もともと関心は北欧と東欧にも向いているが、考えてみたら高校時代、世界史や日本史、地理の授業が退屈でたまらず・・・と書くと、英語や数学は熱心に勉強したように誤解されそうなので、あからさまに書くと、とにかく授業が退屈で仕方がなかった。とても無味乾燥に思え、知識に対する吸収意欲が失せてしまっていた。英語だけには関心が高かった。

 学校を抜け出し、毎日ジャズ喫茶に通う落第高校生だったのだが、先生達は、こんな生徒が留年して学校に居座られるのは勘弁してほしい、という心境だったのだろう。なんとか 卒業はさせてもらえた。

 感性の嗅覚に素直だったようで、現在も直感的な判断を優先することが多い。我ながら扱いににくい人間だと思っている。おそらく、私ほど籠絡しにくい人間も珍しいのではないだろうか。お金に困った経験が豊富だが、困らなかった時期もあり、結局は自分の良心や理念をお金で売り渡すという選択が、できない体質になってしまっている。

 金銭、社会的地位や名誉を貪欲に追い求める体質ではなく、逆に使命感、理念、理想などの精神的充足感を最も大事に考えている。

 しかし、理念や理想を言葉で発信するだけで、満足してはいられない。現実世界で具体的な形あるものを構築することに、意義を感じている。そこが辛いところである。

 最近改めて感じているのだが、人の心を浄化するフィルターのような機能は、どのようにすれば作れるのだろうか。人に対する思いやり、正直さ、正義感、悪を忌避する潔癖さ、寛容さなど、人格を高めることの重要性を感じている。それらの特質が心の中で芽を出し、根を張り、幹が育って枝葉が生い茂るなら・・・そしてそのような人格の人たちが増えるなら、きっと住みよい街になり、次第次第に平和で安全な国になるのではないだろうか。

 落ちこぼれ高校生時代から、もうかれこれ半世紀になっている。やり直しのきかない、自分自身の失敗や経験をほろ苦く思い出しながら、悔悟と反省を込めて、反面教師としての役割を自分に課したいと考えるようになっている。

 金銭や社会的地位、名誉で籠絡されない自信はあるが、甘いお菓子の誘惑にはなかなか勝てそうもない、というのが最大の弱点である。困ったものだ。

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by hirune-neko | 2019-02-07 00:36 | 心の中のできごと | Comments(2)

帰り来ぬ青春時代から聞こえるラ・ボエーム

Charles Aznavour - La Boheme
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 昨日の、童謡・シャンソン歌手の大庭照子さんに関する記事「珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた」を、童謡館の理事長さんにお送りした。誤った記述内容があるといけないと考え、確認をお願いした。

 返信メールをいただき、大庭照子さんからのメッセージを受け取った。2カ所を修正することになったが、最後の部分に、このように書かれていた。

 「今回のメールでまたまた新たな力が湧いてきました。7月頃、ハーバーズダイニングでパリ祭によせてのシャンソンコンサートをやろうと企画を進めております。
是非ラボエームを歌っていただけませんか。夢が広がります。」

 思わず声を上げて笑ってしまった。なんて博愛精神の豊富な方なのだろうか。私がステージに立って歌ったら、お客さんからは「金返せ!」の大合唱になるだろう。

 そこで、以下のように返信した。

 「なお、マ・ヴィーでラ・ボエームを歌ったということに関連し、大庭先生には大変な博愛精神をお示しいただきましたが、あれはもう、40年ほど前の出来事であり、今ではボサノヴァを歌うのがやっとの状態です。お言葉は大変有難く頂戴しますが、どうぞご放念ください。」

 過去に、声楽は故・宮本良平先生、坂本博士先生、坂本秀明先生に師事したことがある。大庭照子さんは坂本博士先生とのご縁がある方なので、私ともある意味ではちょっとした細いつながりがあることになる。


 アズナヴールのラ・ボエームを初めて聴いたのは、もう50年近く前のことだ。改めて、当時のことを懐かしく思い巡らせた。ラ・ボエームも、帰り来ぬ青春も、似たような心情を歌っているのだと思う。帰り来ぬ青春の、フランス語のタイトルは Hier Encore(過ぎ去りし日よ再び・昼寝ネコ訳)で、英語のはYesterday When I Was Youngである。ラ・ボエームにも、帰り来ぬ青春にも、両方とも遙か彼方に過ぎ去った、二十歳の頃を懐かしむ、という表現がある。

 今の私の年齢や、ほろ苦い思い出の多い人生を振り返ると、現在の私にこそふさわしい内容の歌詞だと思ったので、改めて日本語の歌詞を探してみた。以前も何かでご紹介したことのあるブログ「朝倉ノニーの<歌物語」に掲載されている邦訳が、なかなかいいなと思った。http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-325.html

 そこで、なにを血迷ったか、フランス語と日本語の対訳資料を作成してしまった。アズナヴールの歌を聴きながら、フランス語の発音を確認し、日本語で意味を味わうためだ。・・・で、一体何のために?

 いや、別に具体的な目的は何もない。ただ、1曲ぐらい暗譜し、フランス語で歌えるレパートリーがあってもいいのではないかと思っただけだ。・・・で、どこで歌う気なのだろうか。ハハハ、特訓して、パリ祭のシャンソンコンサートにエントリーするだなんていう考えがある訳ではない。

 オペラのアリアや古典歌曲は、声で聴かせるように感じる。しかし、シャンソンやピアソラ曲のオラシオ・フェレールの歌詞などは、文字通り語り聴かせる歌だと思う。いかに聴き手の心に訴えかけるか、という歌唱法だと思う。これまでにシャンソンは習ったことがないが、上記の朝倉ノニーさんは、フランス語でシャンソンを歌う会を主宰されている。いつか仕事が一段落し、体力と気力が残っていたら、そのサロンを覗いてみようかな、思ったりしている。

 以下は、目的不明で作成した、ラ・ボエームの仏日対訳表である。どうも、興味があることには、ついつい時間を費やしてしまう。悪い癖だとは思うが、他に楽しみが無いので、許容範囲内だと思うようにしたい。

【ラ・ボエームフランス語・日本語対訳表】
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by hirune-neko | 2019-02-05 02:17 | 心の中のできごと | Comments(0)

たまにはスランプ状態に陥ることもある


08 Remembrance - Astor Piazzolla
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