昼寝ネコの雑記帳

2018年 06月 29日 ( 1 )

珍しく、アズナヴールを聴きたくなった

Mon emouvant amour 1996

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 なんとか一段落するところまできた。すでに午前0時を回っている。

 レオ・フェレの歌を聴こうと思い、数十曲を試聴したが、これと思う曲に出会えなかった。そこで、アズナヴールを聴こうと思った。「帰り来ぬ青春」がいいかな、と思いながらYouTube動画を閲覧した。そのとき、目に留まったのが「Mon emouvant amou」だった。邦題は確か「声のない恋」と訳されていたと思う。耳が不自由なのは男性だったか女性だったか、あるいは両方だったか記憶にないが、悲しい結末を迎える内容だったと思う。

 ライザ・ミネリとのデュオのステージがある。あくまでも個人的な好みだが、ライザ・ミネリには確かに存在感がある。しかし、その存在感の故に、声のないもどかしい対話を重ねる繊細な葛藤を感じられない。それと何よりも致命的だと思うのは、アズナヴールがフランス語で切々と歌うのに対し、ライザ・ミネリは英語で堂々と歌うのである。フランス語と英語のちゃんぽんには、どうしても違和感を感じてしまう。

 一方、アズナヴールがお嬢さんとデュオで歌ったステージがある。冒頭の動画である。個人的にはこちらの方を好んでいる。繊細さ、哀愁、清楚さを感じる。
 歌った後、二人並んで挨拶をするのだが、お嬢さんの背丈がアズナブールよりずっと高い。

 この歌を初めて聴いたのは、渋谷から宮益坂を登り切った辺りにあった、シャンソニエ「青い部屋」だった。家内の知人夫婦は声楽家で、奥様がその「青い部屋」で歌うことになり、聴きに行った。ステージの最後に、オーナーの戸川昌子さんが歌ったのが、このMon emouvant amou・声のない恋だった。
 歌詞の概要を説明し、手話を使いながら歌ったように記憶している。心にしみる歌だった。

 もしやと思って日本語歌詞を調べたら、「朝倉ノニーの<歌物語>」というブログで対訳が紹介されていた。以前もお邪魔した記憶がある。アマチュアがフランス語で歌うことを勧めているようだ。そこでは、この曲を以下のように紹介している。

(朝倉ノニーの<歌物語>から転載開始)
 シャルル・アズナヴールCharles Aznavourの「声のない恋Mon émouvant amour」は、アルバムLive Olympia 80、そして1981年のアルバム「自叙伝Autobiographie」に収録されています。原題を直訳すると「僕の感動的な恋」ですが、言葉を話せない恋人との恋を歌った曲ということで「声のない恋」という邦題がつけられています。途中から加わるダニエル・リカーリDanielle Licariの美しい歌声が、アズナヴールらしい情念をたたえた曲調を一層盛り上げています。
(朝倉ノニーの<歌物語>から転載終了)

 対訳の全文をご覧になりたい方は、是非、訪問していただきたい。また、フランス語で歌ってみたいという方は、ブログ主の朝倉ノニーさんが「原語で歌う会・アミカル・ド・シャンソンを運営しています」、と書かれているので、門を叩いてみられてはいかがだろうか。


・・・実は数十年も前、銀座にあった日高なみさんの「マ・ヴィー」というシャンソニエに時々行っていた。ちょうどパリ祭りの日で、特別にお客さんが歌うことを許された。身の程知らずの私は、喜び勇んでアズナヴールの持ち歌である「ラ・ボエーム」を原語のフランス語で歌った。ピアノの伴奏でである。

 歌い終わり、日高さんからどのように絶賛されるかと期待したが、たった一言、「中国語で歌っているのかと思いました」といわれて、一気に体温が下がったように感じたのを、今になっても憶えている。

 すぐ近くに、「蛙たち」という店名のシャンソニエがあった。店主の甥と友だち同士だったので、一緒に行き、その叔父さんに紹介されてから、何度か通うようになった。シャンソンといってもアズナヴールしか聴いていなかったので、勉強になった。

 当時の私は何歳だっただろうか。いずれのシャンソニエも、数十年経った今は現存するのかどうかすら分からない。私にとっては、緊迫した国際情勢からも、現実生活の厳しさとも無縁の、実に呑気でのどかな「大人なっても相変わらず青春時代」の時期だったように思う。

 今頃になって、どうやらそのツケが回ってきたようで、国内外の緊迫した情勢と対峙し、何かをしなくては、という強迫観念に捕われている。シャンソンを原語で歌うどころではない・・・今日は木曜日の繁忙な日だったし、明日は月末なので振り込みの準備が待ち受けている。

 ああそれなのにそれなのに、何十年も前のほろ苦い思い出に浸りきり、こうして尽きることなく昔の懐古を文章にしている。当時も今も変わらず、年齢不相応な青春気質が、まだまだ脳内にこびりついているようだ。

 こんな調子で、これからも時々、もう時効となった過去の「悪事」を告白するようになるのだろうか。ちょっと脳内回路に異常を来しつつあるのかもしれない。文章を書き始めると、際限のない過去が堰を切ったように流れてくるのを感じる。


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by hirune-neko | 2018-06-29 01:57 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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