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昼寝ネコの雑記帳

2018年 06月 24日 ( 2 )

夕刻のブログ記事 旧約時代と現代の比較〜ダビデとゴリアテ


OSCAR BENAVIDEZ..REMEMBRANCE : ASTOR PIAZZOLLA

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 今日、ある本に目を通していたら、旧約聖書サムエル記に出てくる、ゴリアテとダビデに関する記述が目に留まった。読みながら、向かうところ敵なしの巨人・ゴリアテが、これまでの日本の巨大なマスメディア、すなわち全国に情報を発信する新聞社、テレビ局、ラジオ局、雑誌社が合体している姿と二重写しになった。

 私が物心ついたときは北海道に住んでいたので、新聞は朝日新聞、北海道新聞、テレビ・ラジオはHBCやSTVのみしか視野に入らず、家族は皆、情報の100%をそれらから得ていた。誰かが個人的に報道内容に異を唱えて大声を上げたとしても、誰も気に留めず変人扱いされるだけだったと思う。

 日本ではメディアスクラム、アメリカではMSM(メインストリームメディア)と呼ばれるようだが、自国民の耳目を自分たちにだけ向けさせ、一切の異論や自分たちにとって都合の悪い情報を力ずくで排除する、まさに「情報の巨人・ゴリアテ」が立ちふさがり、行く手を遮ってきた。

 さて、ではゴリアテを単身で倒した若者・ダビデは、現代社会では一体誰のことを思い浮かべるだろうか。もしかしたら、ダビデとゴリアテについては名前だけで、詳細をご存知ない方もいらっしゃるかもしれない。少し長いが、以下にWikipediaに出ていた要約をご紹介する。

【Wikipedia】
(「ゴリアテ」より転載開始 文・画像とも)
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 ダビデとゴリアテの戦いは「第一サムエル記」第17章に記されている。ペリシテ軍はエフェス・ダミムに陣を敷き、イスラエル軍はエルサレムの南西にあるエラの谷英語版に陣を敷き対峙した。ペリシテ陣営からゴリアテという巨漢の戦士が現れると「勇者を一人出して一騎討ちで決着をつけようではないか。もしお前たちが勝てばペリシテはお前たちの奴隷となる。ただし俺が勝てばお前たちはペリシテの奴隷となれ」と40日間、朝と夕の2回にわたってイスラエル兵たちを辱めた。しかしイスラエル兵はゴリアテに恐れをなし、戦いを挑もうとする者はいなかった。
 羊飼いのダビデは、イスラエル軍に参加していた兄に食料を送り届けるために陣営を訪れていたが、この話を聞くと憤り、イスラエル軍を率いていたサウルにゴリアテの退治を申し出た。サウルは初めは難色を示したが、他に手段がなかったため、ダビデの出陣を許可した。サウルは自分の鎧と剣をダビデに与えたが、ダビデは「慣れていないので歩くこともできないから」とそれらを身に着けず、羊飼いの武器である杖と、投石器と、川で拾った滑らかな5個の石という軽装でゴリアテに挑んだ。
 ゴリアテは「さあ来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」と嘲ったが、ダビデは「お前は剣と槍を頼りに戦うが、私はお前がなぶったイスラエルの戦列の神、万軍のの名を頼りに戦う。戦いは剣と槍の力で決するものではないことを人々は知ることになるだろう。これはイスラエルの神の戦いである」と返答した。これを聞いたゴリアテはダビデに突進した。ダビデは袋の中から1個の石を取り出し勢いよく放つと、石はゴリアテの額に命中し、うつ伏せに倒れた。ダビデは剣を所持していなかったため、昏倒したゴリアテに近寄って剣を奪い、首をはねて止めを刺した。
 ペリシテ軍はゴリアテの予想外の敗退により総崩れとなり、イスラエル軍はダビデの勝利に歓喜の声をあげた。イスラエル軍は敗走するペリシテ軍を追って、ガテやエクロンまで追撃して勝利を収めた。この戦いによりダビデの名声は広まり、サウルの側近として仕えるようになった。
(「ゴリアテ」より転載終了)
(Wikipedia 「ゴリアテ」より転載 文・画像とも)

 
 いかがだろうか。現代のダビデとは、誰のことなのだろうか。

 かつて、スヒョン文書や花王文書が話題に上った。いかに日本のメディアが外国勢力に支配されているかを知り、愕然とした人たちが多かった。潤沢な資金や人的な浸透により、長い年月をかけて日本のメディアが巨大化し、恣意的な暴走をしてきたと指摘する人が増えた。
 
 そのメディアは今もなお健在であるが、新聞の場合は実売部数の減少、テレビは視聴者離れが顕著な傾向になっているようだ。

 ダビデの言葉を再掲する。

 「私はお前がなぶったイスラエルの戦列の神、万軍のの名を頼りに戦う。戦いは剣と槍の力で決するものではないことを人々は知ることになるだろう。」

 これを現代風に翻訳すると、

 「私はお前がたちが侮った日本人を護る神、万軍のの名を頼りに戦う。戦いは資金力と組織力のみで決するものではなく、良心と正義感によることを人々は知ることになるだろう。」

 まさしく、インターネットの出現とここ数年の利用者の増大により、決して若者ではないものの、熟練したブロガー・ダビデがそこかしこに現れ、石投げ器の代わりにブログを通して懸命の攻撃を加えている。いくつもの打撃が致命傷につながり、劣勢を悟った勢力は、なりふり構わぬ言論封殺の暴挙に出ているように見える。

 ブロガーのみならず、ブロガーたちによって開示された真実を知った多くの読者もまた、老若男女を問わず、良心と正義感を胸にダビデに変身しつつある。

 誰だったか忘れたが、旧約聖書の預言者の言葉は、現代社会の私たちに向けられた預言と警告である、とある宗教家が語っている。もしそれが事実なら、やはり神学的終焉という流れは否定することができないと思わざるを得ない。また、日本人にはその神聖な力を受ける血統につながる人が多いと感じている。


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by hirune-neko | 2018-06-24 20:17 | 心の中のできごと | Comments(7)

なんとか闘志は枯渇していないようだ

"DESPERTAR" - Astor Piazzolla

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 子ども時代は北海道で育った。真冬に猛吹雪になると、体内に闘志がみなぎったのを思い出す。外に出ようものなら、息もできないほどの猛烈な雪と風で、一歩も前に進めず、立っているのがやっとなのだが、不思議なことに怖れを感じず、戦闘意欲がかきたてられた。

 それが先天的なものなのかどうか判断はできない。子どもの頃に何か特別な訓練を受けたことはないので、おそらくは先天的な気質なのだろうと思う。

 これまで、仕事で苦境に追いつめられたことは、一度や二度ではない。思い返すと、追いつめられるほどに、かえって集中力が増し、判断力も研ぎ澄まされたようだ。まるで猛吹雪に対峙して、戦闘意欲をかき立てられた子どもの頃と、同じような心理状態だったと思う。

 今の私は・・・協力を申し出てくれている人たちも含めれば、私たちは広大な大地を見下ろす丘の上に立ち、地平線の彼方を見やりながら、そこに攻め入る作戦を練っている。そんな心境である。

 怖れを感じず、まるで幼い子どものように、目に見えない力に後押しされているという無邪気な安心感がある。仕事である以上、売り上げや利益を追求することになる。しかし、仕事に対する動機が、目先の利得や私利私欲だけに染まってしまったのでは、その、目に見えない力が後押ししてくれることはない、という確信がある。

 長い間、仕事上での辛酸を舐めてきた。乏しい経験ではあるが、次第に仕事に対する見方が変わり、最終的には、仕事といえど他者を益するという、不変の理念や哲学を持ち続けるべきだ、という結論に達した。それは信念にもなっている。この結論を待っていたかのように、機が熟して来たのではないかとすら思っている。

 最近の風潮として、簡単に金儲けができるノウハウを売り物にする人たちが増えている。しかし、時代の変遷と共に社会も人の価値観も変化し、廃れるものと、ずっと価値を維持し続けるものに二極化することを知る必要がある。

 私の妄想人格部分は、数千年を生きてきている。世の中の、様々な栄枯盛衰を見てきた。結局は、目先の金銭で自分の魂を売り渡さず、節度と真摯な心が受けられる促しを得て、永続性のある仕事に組みかえていく努力が必要だと考えるに至った。

 現実社会で行動するときでも、自分の力だけでなく、目に見えない力に後押しされるためには、それなりの原点を心の中に持ち続ける必要があると感じている。

 心に感じること、閃くこと、促されること・・・それらの目に見えない要素に対し、いつも敏感であり続けたいと思う。

 戦いを目前に控えたこんなときには、ビル・エヴァンスやシャーリー・ホーンではなく、やはりピアソラの音楽が素直に心に流れ込んで来るようだ。

 ちなみにこの曲のタイトル「DESPERTAR」は、スペイン語で「目覚める」という意味のようだ。迷いや不安の霧の中から目編め、澄み渡った青空を見渡せるように、私たちの前途も拓けてほしいものだ。


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by hirune-neko | 2018-06-24 01:06 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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