昼寝ネコの雑記帳

2018年 06月 10日 ( 2 )

40年ほど前の頃を思い出している

Bill Evans - Valse

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 ようやく一日の終わりである。少しずつだが、気力が回復してきているようなので期待している。

 今日、投開票の新潟知事選挙と中野区長選挙は開票の途中だと思うが、どのような見通しなのだろうか。保守系のブログでは、候補者を絞って応援のメッセージを熱心に発信しているようだ。

 今日、何人かの集まりで、目下話題の戦争問題について話す機会があった。どんな国も手の内を明かして戦争を始めるような愚考は行わない。将棋に例えれば、ここに歩を打ったのは取ってくれれば、次はこういう手を考えているからなんですよ、と作戦を明かしていたら勝てるわけがない。

 授業で先生がから教えてもらったのだが、ある軍事専門家曰く、核兵器は使用するために保持するのではなく、抑止力のために持つのだそうだ。確かに、日本は核兵器を保有していないが、北朝鮮からの核攻撃恫喝には効果があるようだ。もし逆に、日本が高性能・高精度の核ミサイルを相当数保有していれば、報復を怖れてやたらな恫喝はできなくなる、というのは素人考えなのだろうか。

 どの国が、いつ、どのような方法で攻撃を仕掛けるか。そして軍事侵攻と並行して国内での破壊工作はどのように行われるかを予測するのは、組み合わせの種類が多く、おそらくは専門家でもかなり大変な作業なのではないだろうか。

 一方、軍事力も情報部も持たない個人は、有事を想定した事態から逆算し、それに備えるというシンプルな選択肢が思い浮かぶ。
 外出が危険だ、交通機関がマヒする、物流が止まる、商店から商品が消える、電気・ガス・水道が使用不能になる、電話などの通信システムが使用不能になる、警察や救急車が手一杯で対応できない、かろうじてインターネットは利用できる・・・このような状況を想像すれば、家の中に何を備えていればいいかが容易に思い浮かぶだろう。

 勿論、費用もスペースも必要とする話ではあるが、現金やクレジットカードを持っていても、何も買えない状況を想像すると、喫緊に必要としない何かを節約して、備蓄物資を購入する価値はあるのではないだだろうか。

 ・・・今日お会いした皆さんには、そんな話をした。口角泡を飛ばして非難やあれこれの予測を議論するのではなく、まずは個人的な備えの必要性を認識してもらいたかったからだ。

 集まった皆さんの中に、初対面の女性がいた。挨拶されたが、ご主人の名前を聞いて昔を思い出した。ご主人がまだ学生の頃、私が運営していた学習塾で講師をしていたという。何十年も前の、はるか昔の頃である。まだ独身の若々しかった彼だが、息子さんが結婚して、数駅先に住んでいるという。隔世の感がある。

 そんなきっかけがあり、今日は遠い昔の自分を思い出していた。まだ20代半ば過ぎの頃だった。あまり気にしてはいないが、容姿は衰え、健康にも不安を抱え、脚力も体力も弱り、ときどき言葉に詰まることもある。経年変化は避けがたいものだ。
 しかし、感覚や感性の領域はあまり変化していないように感じる。無常観、ある種の厭世観は今でも健在で、世の中には距離感を感じている。どうにもならないある種の諦観があり、醒めた目で世の中を眺めているように感じる。

 いろいろな意見はあると思うが、それが自分の個性だと考え、受け容れるようにしている。人生や社会を私なりの感覚で捉え、私利私欲なしに提言し、共感してくれる人がいて行動に移してくれればそれでいい。そんな感じである。

 最後の難関の遅延案件に、ようやく手がついた。なんとか集中して仕上げたいものだ。


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by hirune-neko | 2018-06-10 22:48 | 心の中のできごと | Comments(0)

相変わらず神学的発生と神学的終焉について考えている

Silvius Leopold Weiss - " Fantasie", guitar Asya Selyutina

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 昨日から今日にかけて、暑さのせいか異常に眠くなってしまうことが多かった。かろうじて仕事をこなすだけで手一杯だった。これからが暑さの本番かと思うと、憂鬱になってしまう。クーラーの効きが今ひとつなのも原因だろう。

 情報洪水の中で、ときどきどの情報が正しいのか確信を持てず、方向性を見失いそうになることがある。専門の研究家ならいざ知らず、一人の人間が個人的に、すべてのカテゴリーに精通することは困難だろうう。したがって論理的に検証し、正しい結論を導き出すのは至難の業だと思われる。しからば、どのような方法で判断力や洞察力を高めればいいのだろうか。中には、あたかも思考停止したかのごとく、ある団体や政党、政治家の主張を鵜呑みにし、盲従しているように見える人たちも存在する。

 混乱の渦中で、まるで濃い霧が晴れ、遠くまで見通せるかのように、確信を持って正しい選択ができるようになる方法はないものだろうか。混乱や迷いは、長い目で見ればある種の訓練の機会とも考えられるだろう。しかし、私たちを取り巻く環境の変化は実に激しく、加えて巧妙に恣意的な情報誘導を工作する人たちも多い。さて、どうしたものだろうか。

 確かに、公開情報を丹念に収集し、精査と分析を重ねれば、それなりの真実に到達することは可能だと思う。しかし、時間と労力を無制限にかけることのできる人など、ほとんど存在しないと思う。どんなに有能な国家元首であっても、自分一人であらゆる情報を収集し、分析し、判断することなど不可能である。それを補佐するために国家安全保障会議があり、さらにその中で各組織が役割を分担して、それぞれの専門的な情報分析活動を行っているはずだ。

 それに対し、専属の情報機関など持たない個人とは、かくも脆弱・無力な存在なのだろうか。私はそうは思わない。いうまでもなく、大多数の国民が同じ考えを共有すれば、選挙では大きな力を発揮し、政権選択さえ可能になる。改めて、個人とはそのように貴重で価値ある存在だと考えている。あとは、種々のプロパガンダ・情報操作の影響を受けず、どのように賢明な判断・選択をするかだろう。目前の新潟県知事選挙や中野区長選挙では、激しい選挙戦が展開しているようだ。さて、投票率、選挙結果はどのようなものとなるだろうか。

 これまでときどき、神学的発生や神学的終焉という言葉を使用している。神学的発生はパスカルの言葉である。今日、資料に目を通していたとき、以下の引用文が目に留まった。

 「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」(マタイによる福音書第10章29節)

 これは新約聖書の一部なので、キリスト教信者向けに語られており、ユダヤ教やイスラム教の信者からは、もしかしたら見向きもされないかもしれない。しかし、モーセ五書がこれらの宗教によって共有されているとするなら、共通と考えられる天父が、わずか一羽の雀にさえ心を留められるのだから、一人の人間が心から真摯に尋ね求める問いに対し、そのまま無視・放置するとは考えにくいのではないだろうか。

 つまり、真摯な問いかけに対しては、なんらかの答えが与えられてしかるべきなのではないかという気がする。宗教的な表現の「啓示」、言葉を換えれば「閃き」が、個人的にもたらされるという意味である。国内外の政治事象を考えるときに、いきなり「啓示」とは、ずいぶん飛躍していると思われるだろう。しかし、個人的にパスカルのいう「神学的発生」と、「神学的終焉」は並立的に存在するのではないかという概念を否定しきれないため、このようなイメージを持ち続けている。

 国際的に見れば、米朝関係を中心に緊張が高まっている。ここ日本国内では、長年に渡って秘匿されてきた「日本人対在日朝鮮人の戦い」という図式が、にわかに表面化してきている。感覚的には、ある種の飽和点、限界状況を迎えているのではないかと捉えている。あとは、どのように収束するのかを、注意深く見守っていたいと思っている。


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by hirune-neko | 2018-06-10 01:15 | インテリジェンス | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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