昼寝ネコの雑記帳

2018年 05月 28日 ( 1 )

久しぶりのフォトジェニック・ストーリー

Bill Evans Trio - What is there to say?

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【創作/フォトジェニック・ストーリー・シリーズ】
「未来を辿る記憶〜What is there to say? Bill Evans Trio
   □文 /昼寝ネコ
   □画像/ケ・セラ・セラ(年齢・国籍不明の女流カメラマン)
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 ボランティアで、週末毎に何人かの高齢者を訪問している。最初は、純粋に人の役に立ちたいと思って面接を受け、一通りの講習を受けた。最初の3ヶ月は先輩同僚に同行し、やりとりを黙って観察するという実地訓練を受けた。

 あの頃からもう7年にはなるだろうか。勤務先の仕事が徐々に忙しくなり、土曜出勤を求められるようになったのだが、何ヶ月もかかってようやく心を開いてくれた相手のことを考えると、仕事が忙しくなったから来られません、とはいえなかった。

 私の訪問先の人たちは、心の扉を重く閉ざし、人に対して寡黙であり、まるで言葉そのものを失ってしまったかのようだ。伴侶に先立たれ、子どもたちとも疎遠になってしまっている場合が多い。まるで、過去の出来事を鮮明に思い出すことが恐怖であり、自らの記憶を少しずつ埋葬しようとしているかのようだ。

 藤吉さんの住まいに通うようになって、すでに3年以上が経過している。田園都市線のたまプラーザ駅を下り、15分ほど歩いた住宅地に建つ、2階屋だった。庭はそんなに広くないが、低木が雑然と植えられていて、耳を澄ますと小鳥のさえずりが聞こえる閑静な環境だった。

 70歳を超えて間もない藤吉さんとは、最初の頃は向き合っても何も言葉を交わさず、気まずい沈黙の時間が流れた。ある日、たまたま部屋の隅に、折りたたみ式の将棋盤と駒のセット、それにどうやら詰め将棋や定跡の解説書らしい本が置かれているのが目に入った。将棋がお好きなんですか?と声をかけると、我に返ったような表情で、私に視線を向け、軽く頷いた。これはいいきっかけだと思った私は、自分の将棋歴を披露した。小学生の時の友だちが将棋好きで、奨励会に入り、プロの道に進んだこと。友だちのよしみで、ときどきインターネットで対戦したこと。そんなとりとめもないことを話すうちに、藤吉さんの視線と表情にわずかだが変化が現れた。

 思い切って将棋盤と駒をテーブルの上に持ってきた。一局いかがですか、と声をかけると、まるで機械仕掛けのように手が動き、駒を並べた。訪問する度に、将棋の対局をするのが習慣化した。中盤の判断が難しい局面では、真剣に集中する表情になり、悪手を指したと思ったときは、短い声を上げるようにもなった。

 将棋の対戦を始めてから、やや半年経った頃だろうか。藤吉さんは奥の部屋から写真アルバムを持ってきて、私の前に拡げた。若かりし頃の藤吉さん、奥様らしき女性とお子さん達。多くは語らなかったが、いつになく穏やかな表寿だった。

 それから何ヶ月か経ち、春先の暖かい土曜の午後、私はいつものように藤吉さんの家を訪問した。挨拶を済ませると、テーブルの上に重ねられた何冊ものアルバムが目に入った。

 しばし、以前のような重い沈黙の時間が流れた。やがて藤吉さんは、意を決したかのような固い表情になり、私の目を射抜くように見つめた。

 「聞いていただきたいお話があります」

 私は余計なことはいわず、ただ頷いた。

 藤吉さんは、少しためらった様子で話し始めた。奥様との出会い、結婚を決意したときの経緯を、懐かしむように心からの想いで語った。やがて、少しの沈黙を挟み、その奥様が血液のがんで、あっという間に他界したのだと話した。私はその先をせかさず、藤吉さんの言葉を待った。

 奥様は、まだ50歳にもならない早世だった。墓石には「最愛の妻、ここに眠る」と刻んだそうだ。お子さん達はそれぞれ自立しており、独りになってしまった藤吉さんは、自分よりずっと若い女性と再婚することになった。再婚という言葉を口に出してから、藤吉さんの口は徐々に重くなり、慎重に言葉を選んでいるのが分かった。

 それからの話の内容は、時系列が錯綜し、整合性をもって理解するのが難しくなった。しかし、私にとって衝撃的だったのは、「私が彼女を殺してしまいました」というひと言だった。

 独りで暮らす孤独な生活の毎日を過ごすうち、潤いと安らぎを与えてくれる相手に出会い、比較的早い時期に再婚したそうだ。再婚してまもなく、二人は先妻の墓前に報告に行った。彼女は墓石に刻まれた「最愛の妻、ここに眠る」という文字を目にした瞬間、その文字を抹消するよう要求したという。いいなりになり、墓石の文字を削り取ったことを、今でもずっと悔やんでいると、藤吉さんは辛そうに語った。

 どうやらその件以降、二人の間には徐々に隙間ができてしまったらしい。藤吉さんはそれ以来、先妻の命日には独りで、しかも彼女には内緒で墓参するようになったそうだ。墓前では頭を垂れ、先妻に涙を流して詫びる言葉を伝えた、といった。

 濃い霧に閉ざされていた重い過去が、徐々に姿を現したかのようだった。また少しの沈黙を挟んで、藤吉さんは話し始めた。

 再婚相手の女性には、軽度の心臓疾患があり、定期的に病院で検査を受けていたという。ある日、いつもより重い発作が起き、薬を飲むこともできないほどだったため、電話の受話器を取って救急車を呼ぼうとした。その瞬間、藤吉さんの心の中には、再婚後の数十年にわたる負の思いが、一気に流れ込んできた・・・そのように表現した。目の前で苦しむ彼女の表情が今でも目に焼き付いている。電話を躊躇している自分に対する先妻の叱責の声が聞こえた。そしてこの数十年間を虚しく耐えてきた自分に対する憐憫の気持ち、それらが錯綜してしまい何も行動に移すことができなかった・・・。しかしほどなく我に返り、藤吉さんは救急車を呼んだ。その空白の時が、どれぐらいの時間だったかは思い出せないという。

 救急隊員が到着したとき、心肺は停止していなかった。藤吉さんも救急車に同乗し、かかりつけの病院の救急救命センターに向かった。入口の外で待機していた医師と看護師によって、応急手当が施されたが、彼女は帰らぬ人となった。

 藤吉さんは深いため息をついた。そして私にいった。

 「ありがとう。誰にもいえなかったことなので、心が軽くなりました。もう何も思い残すことはありません。心のつかえがとれました。私が彼女を殺してしまいました

 そのとき、私にはある情景が目に浮かんだ。遺書を書く藤吉さんの姿だった。

 「藤吉さん、お孫さんは何人いらっしゃるんですか?」
 意外そうな表情を見せて、彼は答えた。
 「5人います。でも、もうみんな成人しています」
 「藤吉さん。過去の記憶を辿るのは、今日で終わりにしましょう。藤吉さんの人生は、藤吉さんだけのものではありません。自らの命を絶つなら・・・」
 藤吉さんの表情は一瞬、硬直したようだったが、私は構わずに続けた。
 「自らの命を絶つなら、どなたが一番苦しむとお考えですか?これまでの長い年月、先妻の奥様が霊界からいつも心配して、藤吉さんを見守っていらっしゃったことを、気づかれませんでしたか?私には分かります。これからの人生を、お子さんやお孫さん達との大切な時間だと考えましょう。これ以上、ご家族の皆さんを苦しめ、悲しませるのは止めましょう。これまでどおり、毎週将棋を指し、未来に向かって記憶を辿ることを一緒に考えませんか?」

 若造の私が、ずいぶん生意気なことをいってしまったと思った。しかし、藤吉さんは私の言葉を聞きながら、軽く何度も頷いていた。次回は少し手を抜いて、たまには負けてやろうかという考えが浮かんだ。

 長居をしたようで、窓の外が少し暗くなりかけていた。周囲から白い目で見られながらも土曜出勤を断り、こうしてボランティア訪問を続けてきて、本当に良かったと、心から思えた一日だった。


(創作メモ)
 このところずっと、仕事に追われる毎日が続き、創作脳が乾燥しきって’しまっているのではないかと、不安に思った。そこで、かねてから女流カメラマン(カメラウーマン?)のケ・セラ・セラさんが撮りためた作品を観ながら、湧いてくるイメージを短編作品にしようと思い立った。画像を観ながらの即興作品である。すぐに目に留まったのが、濃い霧の中を歩く二人の姿という構図の画像だった。勝手に名付けて、フォトジェニック・ストーリーである。ケ・セラ・セラさんの作品は、私に饒舌にイメージを語りかけてくれる。改めて、使用許諾をくださりお礼申し上げる。いつかこのようなフォトジェニック・ストーリーが何編にもなって、出版できるようになったときは、サブタイトルとして、冒頭の「What is there to say? Bill Evans Trio」のように、作品イメージのBGMになりそうな音楽作品名も並記したいと思う。

 今日は久しぶりに、ちょっと達成感を感じることができて嬉しく思っている。


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by hirune-neko | 2018-05-28 00:42 | 創作への道 | Comments(2)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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