昼寝ネコの雑記帳

2018年 05月 23日 ( 2 )

未来に向けて、過去から押し出されているかのようだ

Sleeping - Astor Piazzolla

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 これまで、過去のブログ記事に興味を持つことは、ほとんどなかった。改めて確認したところ、最初の記事は2007年2月9日の「昼寝ネコです、はじめまして・・・ちょっと長い前書き」だった。早いもので、このブログは12年目に突入している。

 いつの頃からか、毎回YouTubeから音楽動画を拾って貼り付け、更新も毎日行うようになっている。義務的に書いているのではなく、文字通り日記代わりに、その日に思い浮かんだ雑感を書き記している。乱雑に散らばった考えを整理し、心を鎮めることで、現実から隔離された空間になっている。

 遠い過去からの現実的な重荷を背負い、いつかはその肩の荷を下ろしたいと願って日々を過ごしている。興味深いことに、気がついてみたら私利私欲という、誰もが持っているだろう病巣はいつの間にか消滅し、心が軽くなっているのを感じている。

 一般的には、誰の言動にもなんらかの動機があるはずだ。もちろん、私にも自分なりの動機がある。とくに、毎日のほとんどを占める仕事には、売り上げを高めて利益を上げる、という根本的な動機がある。しかし、それは最優先の目的なのではなく、あくまでも手段である。過去には、いろいろな動機での行動があった。しかし、ある目的の価値は風化し、別の動機には空しさを感じ、結局は濾過されて残ったごく僅かの動機に突き動かされて、仕事をしているように思える。

 一見すると華やかで、人からの羨望の対象となるような状況や価値も、現実社会の変化によって瞬くうちに錆び付き、カビが生え、腐臭を放つようになってしまうかもしれない。そのような虚無感が、既視感とともに視界を占めている。

 私とて、現実社会で生活している人間である以上は、目の前で展開している出来事に無関心でいることはできない。しかし、とても残念なことに、私たちは価値、目的、意義を感じさせない喧噪に取り巻かれており、声を荒げた非難や中傷の渦の中で生きることを余儀なくされてしまっている。
 
 不毛な欲望を煽るコマーシャリズム、陰謀を巧みに隠した巧言令色な人々、人を陥れようとする流血を伴わない殺人・・・判断の誤りが連続するなら、地上が戦火にまみれ硝煙と火薬の匂いで覆われかねない。文字通り地球規模の終末を迎えようとしているかのようだ。
 
 しかし、私はあくまでも楽観的に生きようと思っている。悲観的になって行動を萎縮させるよりは、小さい可能性であっても追求し、善人の輪が拡がり、ついにはいい意味での神学的終焉が訪れるよう、明日への希望と期待を持ちながら、一日を終えるようにしたい。

 Five Tango Sensationsというピアソラ作曲の組曲で、標題の作品はSleepingとなっているが、Asleep~Dreamingと表示されている場合もある。単に眠りこけているよりは、眠りの中で夢を見続け、目覚めとともに夢の実現に向けて行動に移す、というニュアンスの方が、個人的には好ましく思っている。

 私の場合は、夢ばかり見てずっと眠りこけている、昼寝三昧のネコのような存在だったが、そろそろ目を覚まし、行動に移そうかと思い始めている。


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by hirune-neko | 2018-05-23 22:41 | 心の中のできごと | Comments(0)

人生に対する神学的考察・・・

Astor Piazzolla-Milonga del Ángel

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 あくまでも個人的な見解だが、現代人には神学的視点が必要だと考えている。人生の将来と目的について考えるとき、あるいは絶望的な状況に追い込まれ、生きる気力を失ったとき、幸せの絶頂にあるとき、いずれのときも神学的な視点を持つことは、その人の人生を益すると考える。

 かといって、神学的視点とはどのような視点なのか、と問われても困ってしまう。理路整然と説明できるほどの言葉は、持ち合わせていないからだ。神学者や宗教家のような立場ではなく、あくまでも弱点・欠点の多い、そして有言不実行の意志薄弱で自制心の弱い不完全な人間として、実体験から感じている視点、としかいいようがない。

 旧約聖書は何度か読んではいるが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が共通して教典・聖典に含めているモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)から派生的に、それぞれの一神教の発生史を研究してはいない。そこまでは手が回らない状態だ。

 しかし、旧約聖書を読むと、それは決して大昔のファンジー物語などではない。古代の視点から、現代に生きる私たちに向けて、警告あるいは勧告として発している言葉だと捉えることができる。つまり、行間を読み、目に見えない領域から流れてくる聖なる印象を感じ取り、耳には聞こえないイメージを捉えることができて初めて、自分に向けられた神聖な導き、促しを感得できる・・・残念ながら、このようにしか表現できない。

 かつて、サルトルは実存主義という思想を公にした。補足的に表現するなら、無神論的実存主義である。その思想の根底には、「人間は今あるところの存在ではなく、あらぬところの存在に向けて、自分自身を変革・改良する生き方をすべきである」という考えがある。したがって、クリスチャンは生まれながらにして、聖書により価値観や人生観を規定されているので、自主的な生き方はできない、というとても理論的な主張をしている。サルトル、そして同時代人だったカミュに私は傾倒した。つまり、宗教によって自己規制する生き方を否定的に考えていた。大学生の頃である。勇んで教会を訪問し、議論を挑んだものだ。今となっては赤面ものだが、いかにキリスト教が間違っているかを、自信に満ちて「説教」したものだ。

 そんな私が、今ではこのように旧約聖書を読み、神学的視点の必要性を公に勧めるようになっている。あの当時からおよそ半世紀の年月が流れている。まるで180度の大転換である。その間に、短い言葉では言い尽くせないさまざまな経験をし、いろいろな心情を味わった。ただ一貫性があったと思うのは、物欲、金銭欲、社会的地位、名誉などを最優先しなかったことだ。そして、ある種の孤立感や孤高の精神と同居し、自分の信念や理念を手放さなかったという自負心はある。

 神学的には、いずれも天界からの天使および悪魔(サタン)という存在が並立している。悪魔は旧約聖書ではルシフェルとも呼ばれている。正と邪の対立、人を神聖な徳に導く力と、人を破滅に導く力の拮抗。そのような対立構造が現存することを、私は自分自身の半生を振り返り、否定できない。不思議な力、すなわち奇跡を起こす力は、天使だけでなく悪魔とそれに従った悪霊の両方に具わっている。つまり奇跡に盲従することは危険なことであり、それが神聖な奇跡なのか邪悪な奇跡なのかを識別する必要がある。

 何度か紹介しているが、ピアソラには天使の組曲と悪魔の組曲がある。曲想を聴くだけでは、天使なのか悪魔なのかを聞き分けるのが難しい。実生活でも、私たちは常に判断と決定の分岐点に立たされる。目先の利得に惑わされず、確信を持って正しいと思うのではなく、正しいと感じる方を選択する・・・乱暴ないい方になるが、理論や饒舌な言葉に惑わされることなく、世俗的な利益に目を奪われることなく、心に感じる無垢の印象を根拠に懸命な選択をする・・・それこそが、はなはだ非論理的かつ乱暴ではあるが、神学的視点に立った判断・選択だと思うようになっている。

 花粉症ではなくても、ピアソラが墓の中でクシャミをしているかもしれない。


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by hirune-neko | 2018-05-23 01:48 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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