昼寝ネコの雑記帳

2018年 05月 03日 ( 2 )

明確な境界線を引くことの難しい領域がある


Astor Piazzolla - Tango Blues (Campeón).wmv

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 ゴールデンウィークの最中だが、製本屋さんが2週間分を溜めると翌週の作業が大変になるというので、1週間分を車に積み、製本が完了した先週分を引き取りに行ってきた。帰社後、納品書を作成してもらうのに必要な基礎資料をまとめるのに、夕方過ぎまでかかった。

 少し迷ったが、そこで連続した一連の作業を休止し、脳内を停止状態にしてみた。いわゆる、動の環境から一転して静の環境に自分を置いてみた。普段、ほとんどの時間は何らかの作業をしているので、目に見えるものにしか注意が向かず、ある種の思考停止状態になっていると自覚している。ところが、動から静の環境に身を置くと、一瞬にして脳内空間が拡がり、いろいろなイメージが交錯し始める。

 ふと思い出したのは、以前、読者のcaualさんが紹介してくれた映画だった。とても興味を持ったのでダウンロード購入していたが、今日まで観る機会がなかった。1時間50分もの時間を割いて観るだけの余裕はなかったので、予告編を観てみた。映画のタイトルは「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」で、エドガー・アラン・ポーの原作だ。英国・オックスフォード大学の学生が、精神科医としての実習のため、辺境の地にある精神病院を訪れる・・・という設定だ。

 2分弱の、ほんの短い予告編だったが、雰囲気はなんとなく味わうことができた。画像と字幕を目にしながら、人間の内面を占める狂気と正気、さらには異常と正常との間には、果たして明確な境界線を引けるのだろうかと考えていた。誰にでも人前での自分と、誰からも見られていないときの自分、という二面性があると思う。高揚した気持ちのときもあれば、自閉的で鬱的な状態に陥ることもある。それは自然なことだと思う。

 政治ブログにも少しの時間を割いて閲覧した。昨日の続きで、余命三年時事日記とせんたくチャンネル関連の記事を読んだ。そこで「terumi_satohと悪魔の提唱者」が目に留まり、訪問してみた。せと弘幸BLOGでは「これが卑劣な連帯ユニオン関西生コンの連中です」という動画を閲覧した。

 そのような時間を過ごしながら、創作するというのは、そんなに簡単なことではないと再認識した。しかし、短時間だったものの、印象に残った要素を反芻していたとき、ある設定が思い浮かんだ。

 テロリストは常識的には違法で危険な存在だ。しかし、正義感と絶望感に突き動かされ、テロしか選択肢がなくなってしまった人物が思い浮かんだ。

 父親の経営する会社に、連日街宣車と暴力団まがいの集団が押し寄せる。父親が、彼等の理不尽な要求を拒絶したためだ。やがて彼等は、従業員やその家族にもつきまとい、日常業務にも大きな支障が出て、会社は倒産してしまう。大きな負債を抱え、父親は心労のため急性心不全で他界する。最期まで父を支えた母も倒れ、施設で寝たきりの状態になってしまう。
 当時の彼は、親の理解もあって一般の大学ではなく、神学校に進学した。事業や政治活動とは無縁な世界で、聖書や神学、キリスト教の歴史、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語の勉強に明け暮れていた。そんな彼は、両親と従業員が被った理不尽な被害を知らされても、聖書の教えにある「敵を憎んではならない。復讐は私のするところである」という言葉を心深くに刻んでいた。

 そんなある日、父親の弟で弁護士だった叔父が事故死したことを知らされた。しばらくして、叔父の妻である叔母から一通の手紙が届いた。長い手紙だったが要約すると、父の代理人として暴力集団への訴訟を起こしたのだが、その過程で警察の上層部のみならず、一部の検察官が政治家を介して、暴力集団に籠絡されていたことが判明したという。証拠不十分という理由で訴訟が却下され、上告しようとした矢先にひき逃げ事故に遭い、亡くなったという。(裁判の仕組みに関しては無知なので誤表現があるかもしれない)

 卒業を前にして、彼は神学校に退学届を提出した。引き留める学校関係者には何も説明せず、彼は神学校の寮を出た。

 その後しばらくして、不思議な事件が相次いで起こるようになった。屈強な男性が次々と不審死を遂げたのである。被害者は、企業に街宣車で押しかけ業務の妨害をして、無理難題を押しつけていた団体の構成員だった。被害者は警察上層部や検察官にまで拡大し、警察には捜査本部が設置されたが、犯人の特定は困難を極めた。

 数年後のある日、全国紙や週刊誌に「犯行声明の手紙」が送られてきた。消印はアメリカ中西部の都市で、差出人は、かつて両親や叔父夫婦を悲惨な目に遭わされ、神学校を退学した彼だった。声明文には、暴力集団だけでなく、癒着していた警察上層部、検察、政治家の実名が記され、糾弾されていた。海外逃亡と判断し、彼は国際指名手配されたが、その行方は杳として知れず、やがては迷宮入りとなってしまった。

 実は、彼は国外に逃亡せず、整形手術によって容貌を変え、ホームレスから戸籍を購入して他人になりすまし、今でもひっそりと、ここ日本で生活を送っている。

 ・・・とまあ、このようなストーリーが思い浮かんだ次第だ。理不尽な社会情勢を放置していると、このようなテロリストも出現しうるのではないかと思い巡らしていた。気がつくと、主人公の彼が私の脳内に現れて、ことの次第を独白してくれたので、ざっと概要を書き残した次第だ。

 いつか、遠い将来でもいいので、水平線の見えるアトリエで、思う存分作品を書けるような生活が送れるといいなと、淡い希望を持っている。しかし、そのような生活環境に浸りきってしまうと、逆に、仕事に追われる忙しく充実した時間を懐かしむようになるのではないだろうか。結局は、仕事と創作の二足のわらじを履き続けるのが、自分の宿命なのではないだろうかと、そう思うこともある。

 何事にも、明確な境界線を引くのは、なかなか難しいものだと思っている。


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by hirune-neko | 2018-05-03 23:51 | 創作への道 | Comments(0)

喧噪の中の静謐なひとときとアナクロニズム


Astor Piazzolla - Bandoneón

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 音楽であれば、曲想で曲の終わりが近いことを感じることが多い。映画も、雰囲気でラストシーンだろうと感じることができる。一方で、人生に関していえば、余命宣告された場合を除けば、事故や呼吸器・循環器の急変などで突然、予期しなかった最期を迎えることもある。

 ゴールデンウィークの最中だが、まったく普段と変わらない生活をしている。ただ、夜の早い時間に横になり、少し身体を休めることはできている。しかし悪い習癖で、何もしないで時間を過ごすことが苦痛に感じられる。

 最初の部分しか読んでいなかった「ラテン語バイエル第1巻」を、最初から読み直した。つい最近まで、ラテン語は過去の言語であり、なんといっても国際的に公用語として使用されている英語やフランス語を勉強すべきだ、という考えに傾倒していた。しかし、いろいろ調べると英語のかなりの部分が外国語から派生しており、もとを辿るとラテン語に行き着くという興味深い来歴が分かった。

 仕事がもう少し一段落したら、せっかく試験を受けて入学した大学院で、週に1コースの授業を受けに表参道まで行こう、と本気で考えてしまう。何年か通えば修士の学位を取得できるのではないだろうかと、考えが飛躍してしまう。

 早世の予感でずっと生きてきたが、まさかこの齢まで生きられるとは思っていなかった。私利私欲や名誉欲、財力や地位には興味がない。この際なので、余命が尽きるまで、自分にとって価値のあることを追求しようという考えに帰結している。

 それにしても、今さらラテン語?今さら大学院に戻る?人からは、現実が見えていないとか、歳を考えろとか、時代錯誤も甚だしいなどと嘲笑されるのがオチだろう、きっと。

 持論だが、人には生まれながらにして、心の中に羅針盤が具わっていると思っている。育った環境や周りの影響で、視野が狭まったり刺激を求めたり、あるいは失望や落胆、苦難の果てに未来を見つめる気力が失せてしまうこともあるだろう。

 たとえどのような境遇にあっても、何歳になっても、心が純粋無垢な状態であるならば、あたかも人生がこの世の死を超えて、永遠に継続するかのような印象を感じることができる。本来の人間はそのような本質を与えられて、この地上に送られてきていると思っている。時代、国籍、あらゆることを超越した共通の属性である。

 私は今でも事業主体者だが、売り上げや利益を追求するという課題は、重要な要素だと捉えている。しかし、私企業といえども失ってはいけない理念・ポリシーがあると考えてもいる。情報収集や管理には、インターネットや最先端の技術が欠かせない。しかし、あたかも地球全体を俯瞰するかのごとく、古代から現代までを俯瞰するならば、時代の変遷とともに消失する要素、逆に真に必要性を認識される要素を峻別できるようになるような気がする。

 高校生の時、世界史の授業が退屈でたまらなく感じた。案の定、卒業前の試験は赤点だった。幸いに、私は先生達の間では疎ましく思われていた生徒だったため、留年させるよりレポート試験を課して、卒業させた方が学校のためだ、と判断されてしまったのだろう。なんとか卒業はしたものの、未だに歴史に関す知識がゼロ状態であることを再認識し、高校生の時、ちゃんと勉強しておけばよかったと思っている。
 しかし、ちゃんと勉強して優等生になって、どこか国立大学に進み、叔父のコネで公務員にでもなっていたら、学校をサボってジャズ喫茶に出入りすることはなかったし、ビル・エヴァンスとの出会いもなく、私の感性は干からびてしまっていただろうと思う。

 ピアソラには較べるべくもないが、私は自分自身の運命に反逆し、意思を貫いてきたと思っている。最近は自分の余命を意識するようになり、遺言的なレポート作成にも着手している。ああそれなのに、それなのに、今さらラテン語の勉強?大学院に復帰?見ようによっては、𠮷本喜劇以上の笑い話だと思う。

 構想と希望があれば、肉体上の健康管理にも積極的になれそうだ。さて、どこまで抵抗し続けられるだろうか。そんな気分のときは、やはりピアソラを聴きたくなるものだ。魂の底から湧き上がる、生命力を感じる。


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by hirune-neko | 2018-05-03 00:43 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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