昼寝ネコの雑記帳

2018年 03月 06日 ( 1 )

東京法務局は九段下駅の方が近かった


bill evans trio - my foolish heart
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 事前に地図で調べたとき、法務局は神保町が最寄り駅だと思っていた。かつては、神保町のすずらん通りに事務所があった。もうかれこれ20年以上前のことだろうか。久しぶりに神保町に行けると思ったのだが、事前に電話で確認したところ、九段下からの方が近いということが分かった。

 九段下の駅は、半蔵門線や有楽町線などいくつもの路線が交錯しているせいか、地下から地上に出るまで、かなりの階段を上らなければならなかった。東京法務局は、皇居の方に歩いて5分程度の距離だった。

 定刻に相談員の方との面談が始まった。私にとってはかなりややこしい案件に思えるのだが、さすが手慣れたもので、私が試作した株主総会議事録と定款を見ながら、マーカーで色を付け、チェックし、アンダーラインを引き、立石に水のごとく早口で説明してくれた。初めての作業なので、私はほとんど理解できず、かろうじてメモを取ったが、全体の仕組みをちゃんと理解できていない。何種類もの添付資料を渡され、再作成する株主総会議事録と定款を持って、また来週辺りに相談に行くつもりである。

 何事もそうだと思うが、法律やアカデミックな知識を正確に持っていることと、たとえどんなに小さな会社であっても、ゼロから商品を開発し顧客を開拓する実務との間には、大きな開きがあるものだ。

 振り返ると、私はどうやら困難な道の方を選んでしまったようだ。出版社を創業し、トーハンとの取引口座を簡単に開いてもらったまでは至極順調だった。当時、冒険家といわれたC・W・ニコルさんを紹介され、アウトドア・サバイバル路線の出版をした頃も、まずまずだった。今にして思えば、児童書のカテゴリーに参入した頃から、過当競争の荒波にもまれるようになった。しかし、新参出版社であるにもかかわらず、学研、講談社、小学館、河出書房新社、PHP研究所、玉川大学出版部などが中心の販売グループに加えていただいたのだから、恵まれた環境だった。

 創業してから、もうじき40周年を迎える。国内外を、実に精力的に飛び回ったものだと、懐かしく思い出している。日本でも、Amazonが活動を始め、電子書籍のシェが拡がってきている。紙に印刷した書籍は徐々に流通量を減らし、その結果、出版社と書店、取次会社だけでなく、印刷会社、用紙会社、倉庫会社にまで影響が及んでしまっている。

 しかし、ピンチはチャンスでもある。私はそう思っている。クォーク・エキスプレスというDTPソフトを何十年も使いこなしてきた。しかし今では、インデザインという名のDTPソフトを擁するAdobe社に買収されてしまっているようだ。クォークジャパンという会社も、とっくに撤退してしまった。この歳から新たに、インデザインも使いこなせるようになるには、少々荷が重い。クォークならば、自力で単行本をDTP処理することはできる。現在のクォークは、Kindle版のフォーマットにも保存できるようだ。まだ試していないが、なるべく早い時期にAmazonでKindle版の電子書籍を販売できるようになりたいと思っている。

 カーネル・サンダースは60歳を過ぎてから、ケンタッキーフライドチキンを創業し、成功したそうだ。何度か触れているアンドリュー・マーシャルは、ニクソン大統領からオバマ大統領に至るまで、代々の政権に軍事顧問として仕え、数年前に92歳で現役引退している。こうなるともはや化け物である。

 私には自分の余命が、あとどれぐらい残されているのか、皆目見当がつかない。しかし、思考力があり、指先が動き、聴力と視力もまずまずであれば、たとえ車椅子生活になったとしても、iMacとiPad ProそしてiPhoneに囲まれながら、最後まで前向きに生きたいと思っている。

 実務的な仕事が落ち着いたら、少しずつ短編作品を書いて出版したいという希望を、今でも持っている。時間とお金と体力、そして気力さえあれば、主人公の存在を探し求めて国内でも海外でも取材旅行ができればいいなと希望している。

 人生の様々な陰影と因果、苦悩・苦難に前途をふさがれてしまった主人公に、架空のストーリーの中で、平安と希望を見出してもらいたいと思っている。もちろん、現実に生きている方々に対し、そのようなお手伝いをすることが、最も価値あることだと自覚はしている。

 さあ、今日はなんとか請求書を作成し終えた。明日は納品書が待っている。なかなか自分本来の仕事に集中する時間を確保できないのが、目下の悩みである。

 余命ブログは、無事に復活している。目に見えない敵と対峙するには、相当の胆力と使命感を持たなければ、なかなかできないことだろう。余命初代、二代目、三代目、そしてスタッフの皆さん、さらには余命プロジェクトの主旨に賛同し、様々な協力を提供されている余命読者の皆さんに対し、心からの敬意を表したいと思う。貴重な情報や資料を、私なりの手法で活用させていただきたいと思っている。

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by hirune-neko | 2018-03-06 02:26 | 心の中のできごと | Comments(0)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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