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昼寝ネコの雑記帳

2015年 09月 10日 ( 2 )

日本人の寛容さの限界がもたらす結束力


Astor Piazzolla - Marejadilla (14 - CD2)

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情報や知識がなければ、危機意識を持つことは困難だと思う。

地震や津波などの自然災害は、日本人であれば誰でも
漠然とした危機意識を持っているだろう。

しかし、人為的に引き起こされる緊急事態の場合は、
ある程度の予備知識がないと、なかなか予測が難しい。
長い時間をかけて、水面下で秘密裡に組み立てられた構築物は、
なんの予告もなく、ある日突然目の前に現れる。
そして、目に見える状況に至ったならば、それはもう手遅れだ。

ここ最近は急ぎの仕事に忙殺され、旧・余命3年時事日記および
新・余命三年時事日記の整理に時間が割けなかった。
まだ全ての記事を精読してはいないものの、いうなれば
余命初代・かずさんの初志は、
「長い時間をかけて、水面下で秘密裡に組み立てられた構築物」
そのものを、日本人に開示するのが目的だったと考えている。

ときおり、今日は訪問者が何人だったとか、PVがいくつだったとか、
徐々に増える数字に手応えを感じていた様子が窺える。

2012-08-16 09:50の記念すべき最初の記事
「余命3年と宣告されて...」から、3年が経過した。
その間、インターネット人口の急増大も後押しし、余命記事は
多くの人々の目にするところとなった。

想像だが、その内容に驚愕した人がほとんどだったのではないだろうか。
日本社会の、ほぼあらゆる分野に根を張り、影響力を強めてきた
日本名で似た容貌の他国人。
その一端は、必死に否定される「スヒョン文書」や「花王文書」に
如実に表れている。

改めて、2013-11-26 17:39の記事「余命1年時事日記」を読んでみた。

「まずもってお願いしたいのは、小生のブログの全保存である」

と書かれている。
なぜか心に訴える何かを感じ、促されるままこの頃から、全記事を
保存するようになった。記事が更新されるごとに追加し、
PDFファイルに変換した。

さらにこのように書かれている。
「この余命3年時事日記ブログは2010年に、に対する日本人覚醒プロジェクトとして日本の将来に危機感を持った学生諸君が始めたネット活動の唯一の生き残りだ。数百人の学生諸君の立ち上げたや個人ブログの発信はありとあらゆる手段で妨害されつぶされた。その数は優に1000は超えただろう。(中略)学生諸君に情報と資料を提供していた関係で小生はその間の事情をよく知っているが、先の見えない絶望的な戦いであった。(中略)たまたま小生の病気が発覚し、なんやかんやいろいろあったが病状が落ち着いてから『よし、人生最後のご奉公』ということで自身もブログを立ち上げることにしたのである。(中略)監視網にかからぬように 中国や韓国関連のタイトルはつけない。幸か不幸かタイトルは余命3年時事日記で決定。 ジャンルは時事とか日記とか特定しない。その場合ブログ管理側で設定となるが内容によって分類が異なる。この方が検索にかかりにくい。ちなみにこのブログの分類は日記、時事、記事、雑感でアクセスごとに表記が変わる。政治、経済、軍事関連はタブーである。更新はあるレベルになるまで時間をかけ、いっきの拡散を狙わない。その間は人畜無害なテーマのアップにとどめ、途中で監視網にかかっても彼らには無害なブログと認識させる」

愚かな私は、今頃になってようやく気がついた。
過日、ブログにコメントを残してくれた親切な方がいらっしゃる。
旧・余命3年時事日記と新・余命三年時事日記を読みくらべると、
旧・余命3年時事日記では、わざと検索にかからないよう言葉を抜いたり、
意味不明の箇所があったが、新・余命三年時事日記では訂正が行われ
意味が明確に理解できるようになったと教えてくれた。
余命初代の立ち上げ当時の苦心が想像される。

もともと日本人は、礼儀を重んじ、感情を抑えて信義も大切にする。
なので、日本人名でしかも容貌が日本と同じであれば、排斥せず
寛容に接して来たと思うのだが、そのような環境の中で
おそらくはあらゆる方法を駆使して、資格試験や採用から
国籍条項を外すよう働きかけ、またあらゆる分野での巧妙で執拗な
工作活動を続けてきたのだろう。
それが日本を支配したと発言する、他国大統領の発言であり、また
一連の「スヒョン文書」や「花王文書」の発信につながったと推測する。

さて、相次ぐ余命関連ブログの閉鎖という環境とは裏腹に、
実に多くの余名読者が事態の推移を注視し、またさらには相当数の方が
すでに集団通報や官邸メールに協力しているようだ。

状況は明らかに、日本人の寛容さの限界点を超えてしまった。

何かの文書で読んだ記憶があるが、日本人は本来は優秀な戦闘民族だそうだ。
気になったのでgoogle検索したら見つけることができたので、紹介する。

「かつて、日本はサムライの国だった。戦うことによって自己を主張し、戦う文化を創り上げてきた。つまり、日本は戦闘民族だった。それも、非常に組織だった戦闘民族であり、ひとつの美学を持ち、気高く、誇り高い精神性をも持ち合わせていた。サムライは単に粗暴なヤクザ集団ではなかった。むしろ、戦いの本質を追究し、無用な戦いを避けるために、礼儀を発展させるなど、独特の『道』を追及する思想集団でもあった。ひとつの道を究める姿勢、礼儀正しさ、忍耐も、日本が戦闘民族だった名残りであるとも言える。いったん戦って負ければ死しかないから、戦闘民族は死なないためにも『道を究める』のが当たり前だったのだ。無用な戦いは無用な死を招くから、礼儀正しくあるのも当たり前の行為だった。日本人が忍耐強くなったのも、戦えば確実にどちらかが死ぬから、最後の最後まで死を避けるために忍耐した結果である。」(Darkness DUAより引用)http://www.bllackz.com/?m=c&c=20140920T1720000900

旧・余命3年時事日記および新・余命三年時事日記は、特異なブログだと
ずっと思っている。
裁判所に訴えるにもかなりの訴訟費用がかかる。
しかし集団訴訟だと、個人の負担は著しく軽減される。
余命・誘導ミサイルの着弾点は、その手法だったのだろう。
集団通報と官邸メールだと、個人の経済的な負担はなく、
安全も確保され、しかも関係各省庁や政府は国民の声として
無視することができない仕組みになっているようだ。
余命の一連の表現によれば、安倍総理は集団通報と官邸メールを
追い風として期待しているのだろう。

余命初代・かずさんの遺志は、見事に貫徹・実現されたと思う。
ある意味で、武器を持たず血を流さず、敵と直接対峙しなくても
勝てる戦いが繰り広げられているようなものだ。

さて、かくいうグ〜タラな私は、依然としてモタモタしており、
余命は定かではないものの、相変わらず「甘い物依存症」から
抜け出せていない。昨日だって、大分からやって来た知人と
久しぶりに対面したが、おみやげには大分銘菓「ざびえる」を
いただいてしまった。せっかくなので試食したのだが、
うぎゃ〜・・・おいしかった・

やれやれ、やはり私は有言不実行の粗大生ゴミなのかもしれない。


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by hirune-neko | 2015-09-10 23:16 | インテリジェンス | Comments(0)

豪雨で何度も警報が送信されたが、仕事一色だった


Astor Piazzolla: Verano Porteno

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20年以上前だったのではないだろうか。
ジョン・ル・カレ原作の
「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」という
長ったらしく、ヘンテコな題名のスパイ小説を、文庫本で購入した。
で、結局は読まないままで終わってしまった。

インテリジェンスの授業で「裏切りのサーカス」という
タイトルのスパイ映画があることを知った。
調べたらなんのことはない、あの長ったらしい小説を
映画化したものだった。

今ではamazonで手軽に映画のDVDを購入できるし、
早ければ翌日に届けられる。
早速購入して観てみたら、あるシーンで
「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」という
セリフがでてきたので、理由もなく嬉しかった。

最近は無料で映画が観られるサイトが、いくつもあるようだ。
チェックするカテゴリーは、アクションとスリラー、あとは
せいぜいドラマで、ホラーとかSFには興味が湧かない。

かつては戦争映画とスパイ映画は、ほとんどすべてレンタルで
借りて観てしまった時期がある。

「インテリジェンス」という授業の講師は、現役の
防衛研究所の方なので、最先端の情報を聞くことができた。
その講師のお薦めは、「誰からも狙われたスパイ」という映画で、
ちょうど映画館で上映されていたのだが、渋谷まで行く時間が
確保できず、予約してDVDを購入した。

作品としても秀作だった。
あれほど人間を掘り下げて、感動を与えるスパイ映画は
初めてだった。こんないい方は申し訳ないけれど、
アメリカ・ハリウッドでは決して作れないだろうと思う
クォリティだった。

今日は何度も、市からの警報メッセージが携帯に届いた。
かなりの雨量だったようだ。
たった今、同居している92歳の義母が部屋から出てきた。
ラジオで台風の接近に伴って、避難警報が出ていると
心配だったようだ。そうなのだろうか。

気象庁のサイトで確認したところ、台風はすでに
日本海に抜けてしまっているようだ。
あっ、東海といわないと台風が怒って、
また戻ってくるのだろうか。

朝からずっと、新しいプロジェクトのための
サイト構築をしていた。かなり集中できたが
あれこれの反応や影響を視野に入れ、展開を
想像しながら構築するので、どっと疲れが出てきた。

でもまあ、文章を書く気力があることは喜ばしい。


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by hirune-neko | 2015-09-10 00:38 | 現実的なお話し | Comments(0)



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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