昼寝ネコの雑記帳

一枚だけ残されたスケッチブック

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(この画は、カトリ〜ヌ・笠井さんが送ってくれた、最新作七点のうちの一枚です。この画をじっと見つめて、思い浮かぶイメージを文章にしてみました。あと数年で60歳になるというのに、相変わらずある種の呪縛から逃れられない自分を・・・もう諦めの心境です)

 人間は、何歳まで生きなくてはいけないのだろうか。そんな質問に、誰も答えられないのは分かっているけど、私の人生があと何年残っているのかを告げられた方が、かえってほっとするのかもしれない。毎日、思い出をひとつずつ塗り潰してきて、もうこのスケッチブックに残った一枚の画だけになってしまった。
 人生のある時期は、生きることが明るく輝いて見えるものだ。おそらく、その後にやってくる厳しい冬を生き抜くエネルギーを蓄える、大切な時間なのだろう。何が起きるかを恐れる必要もなく、何が起きても容易にそれを乗り越えることができると感じる・・・人生に対するある種の無知さが、若さの特権なのかもしれない。

 あのころ、声楽の勉強をしていた私には、画のことはちっとも分からなかった。ひたすら画の世界に生きる彼は私にとって、どういう存在だったのだろうか。・・・ともだち?恋人?同居人?生きる同志?理解者?
 お金が乏しいことは、そんなに重要な問題ではなかった。寒ければ、失敗作を燃やして暖をとり、モデル代が払えなければ私を描き・・・部屋中に芸術家のスピリッツが充満し、薄汚れた壁を通り越して、夢色に輝く世界が拡がっていた。

 三週間ほどの不在から帰ると、誰もいない部屋の何かが違って見えた。部屋の真ん中に据えられた、使い古されたイーゼルには、裸婦が描かれたキャンバスが一枚・・・私ではなかった。もうすでに自分の居場所が無くなってしまったという確信があり、私は部屋を出て戻らなかった。手近にあったスケッチブック一冊を持って・・・。

 そのときに味わった「喪失感」を埋めることはなかなかできなかった。何を喪失したというのか。何度も自問したが、理屈ではない。スケッチブックには、私の裸像が描きためられていたが、一枚だけ、ときどきベランダに遊びに来るネコが、おふざけで描かれていた。ネコの本当の名前は知らないが、私たちは「ムゼッタ」と呼んだ。華やかな別世界からの来訪者のように感じたからだ。そして、いずれ貧乏な世界から抜け出し、明るく暖かい部屋に住みたいという、ささやかな希望を込めて。

 弱々しい心で、スケッチブックを一枚ずつ破り、火の中に投げ入れたが、ネコの画だけは残ってしまった。結局私は、その後数十年間をだらだらと生きてきた。仕事はそれなりにこなしてきたが、人間としての私を生かしたのは、惰性だけではなかったのだろうか。でも、帰って行ける思い出があるだけでも、自分の人生から拒絶されていないのだと、ため息のような安堵感を感じてもいる。ああ、なんて暗い日曜日なんだろう。

(これまでの人生を振り返ってみると、やはりプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の世界が、精神的な原風景として残っているようです。さらに、アズナブールの歌う「ラ・ボエーム」や「帰り来ぬ青春」の世界がそこに折り重なり、まるで呪縛のように決して消え去らない、ある種の感傷として根付いているのです。by 昼寝ネコ)

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昼寝ネコの文章がグリーティング絵本になりました。
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by hirune-neko | 2008-02-03 19:00 | 心の中のできごと | Comments(4)
Commented by バオバブ at 2008-02-04 10:34 x
この文章は胸にじ~んと沁みました。

プッチーニのオペラ『ラ、ボエーム』探してみます。
Commented by hirune-neko at 2008-02-04 11:17
>バオバブさん

そうですか。じ〜んときましたか。
そういっていただくと労力が報われます。
Commented by うめ at 2008-02-04 18:00 x
色々な表情を持つ猫を生み出すカトリ~ヌ画伯の画とともに、このお話しは私のお気に入りになりましたよ。
Commented by hirune-neko at 2008-02-04 19:30
>うめさん

有難うございます。
私はどういうわけか、「別れ」の雰囲気が好きなんです。
悲しくも切なくも忘れがたき思いで・・・
そういうのがないせいなんでしょうかね。
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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