昼寝ネコの雑記帳

暗い日曜日・・・Sombre Dimanche

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日曜日って仕事が休みなんです。前日までの仕事の緊張感が解けて、なにもしないでボーッとしています。するとポコンと泡がはじけるように、すっかり忘れていたことが突然、記憶の中から浮かび上がってくることがあるんです。私の仕事?カスタマーサービス兼ゼネラルマネージャーの秘書です。アメリカ本社の健康食品会社の、いわゆるネットワークビジネスで一気に業績を上げた会社なんですが、全国に点在している代理店のサポート業務も任されています。各都市で開かれる説明会の日程調整、クレーム対応、それとパンフレット類の製作や、法律関係のチェック。ほとんどが薬事法がらみの調査なんですね。

高校を卒業後、語学学校に通いながらアルバイトをしてお金を貯め、夢見ていたアメリカ留学に行ったんです。オレゴン州のポートランド。派手さはないけど、落ち着いたいい街でした・・・といっても、あちこちに行ったわけではなく、学校とモグリのアルバイトに明け暮れました。母と二人っきりの生活が長かったんですが、息が詰まっていて、高校を卒業したら家を出ようと決心していたんです。ちょっと時間がかかりましたが、実現したわけです。

私、生まれたときから父親を知らないんです。一度母を真剣に問い詰めたんだけど、父親が誰なのか分からないって言うんだもの。は?父親が誰か分からない?!心当たりは複数なので、名乗っていっても相手に迷惑がかかるだけだから、お前には言わない?アンタ一体どーゆー生活してたのさ。じゃあ私は歓迎されない子どもだったって言うの?なんで産んだのさ。冗談じゃないよ!・・・それが母と交わした最後の会話らしい会話でした。中学3年生の終わり頃のお話なんです。

保育園も小学校も、父母会だって運動会だって母親だけしか来ないなんて、ウチだけでした。こんな行事ない方がいいのに。いつもそう思っていました。その点、アメリカは自由でした。誰も生い立ちを詮索しないし、おとなしくせず自分の意見を言える・・・ようやく深呼吸できる環境になったんです。語学力?自分で言うのもなんですが、けっこういい成績だったんですよ。耳がいいって言われました。発音はとても日本人と思えないって。ちょっと得意な気分でした。アメリカでの生活に慣れた頃、日本に新規進出する健康食品販売会社から誘われました。ちょうど、アメリカ社会の「実態」が徐々に見えてきて、自信がぐらついていたときだったのと、条件が良かったので帰国しました。日本に帰ったことを母には知らせず、自活生活が始まりました。アメリカ人がトップで、基本的な会話は日本語でできるんですが、大事なミーティングでは、常に通訳として同席させられましたので、朝から深夜まで働きました。そんなある日、ちょうどクリスマス休暇が始まろうとしていたとき・・・もう2年になりますね。母の妹から会社に電話がありました。ずいぶんあちこちを探したようなんです。母が肺炎で亡くなり、葬儀は済ませけど遺品があるから届けたい、という内容でした。ああ、母が死んだんだ・・・きっと独りでひっそりと死んだんだろう。悲しみは何もなく、ある種の解放感・・・つまり私の過去を知る唯一の人間がいなくなった・・・そんな思いの方に心が傾きました。

恋愛?・・・何度か機会はありましたが、自分の核心に迫られるとどうしても警戒心が先に立ち、自分を守る壁を崩すことができなかったんです。相手に完全に重心を移すことはできませんでした。そう、私はキャリア・ウーマンで一生を終わるんです。ちゃんと資産を形成し、老後の備えを万全にしてゆっくり暮らしたい。それが私の望みなんです。せいぜいネコを一匹飼うぐらい、それで十分というのが私の人生設計なんですよ。

会社の業績は順調で、ようやく私的な時間をとれるようになってきました。明日の月曜日は祝日でゆっくりできる。久々の解放感です。そうそう、それでクローゼットの奥にしまいこんで、2年もそのままにしておいた衣装箱のことを、突然思い出したんです。叔母が届けてくれた衣装箱で、母の遺品が入っているんですが、捨てようと思ったけど捨てられず、かといって中を開けてみる気にもなれず、もうずっとほったらかしにしていました。しょうがないな。一応中を確認してから捨てることにしよう。衣装箱を引っ張り出して、居間の床の上で開けてみました。ほんのかすかに、かび臭い匂いがしました。

へえ、私の描いた画だ。幼稚園、小学校・・・こんなものをとっておいたんだ。へっ?貯金通帳だ。5冊もあるよ。印鑑とキャッシュカードも・・・会計事務所のパートをやってたのに、よく貯金なんてできたもんだ。ノート?日記かな?

それは日記というより、私への母の思いが折々につづられたものでした。若い頃、母は左翼系のジャーナリストに傾倒し恋愛関係になったのですが、両親の大反対に遭い、勘当同然で家を飛び出しました・・・。あの寡黙な母のどこにそんな情熱があったんだろう。・・・私は読み進みました。彼は政治評論家としての道を歩みましたが、不遇の時代が長く、母が懸命に働いて支えました。やがて、メジャーな新聞や雑誌が彼の能力を認め、署名原稿を何本も連載するようになり・・・その頃に母は私を身ごもった?!私の父親はちゃんとわかってたんじゃない。えっ?!実は、その男には妻子がいた?なんてこった。

母は、最後まで誰にも何も言わずに、自分の信念に殉じた女だったんです。その男の人生を守るために・・・それが愛情だと信じて身を退いたんです。私に対する自責の念を、ひとことも弁解することなく一身に引き受け、たった一人の娘から軽蔑されても真実を明かさなかったんです。生まれて初めて、母の「女の部分」を見た気がしました。

古びた最後の封筒の中に入っていたのは、どこかの教会の「幼児のための命名の儀式証明書」でした。儀式が執行された日付、執行した人の名前、母の名前、私の名前・・・父親の欄は空白でした。教会に行ってたなんて知りませんでした。・・・手紙が一通添えられてありました。

「忍ちゃん、いつかあなたがこのノートと手紙を読む日が来るのだと思うと、お母さんはとても怖い気がします。どういう選択をするのが一番いいのか。それが分からない苦しさを、お母さんはずっと背負ってきました。でも、あなたの方が私の何倍も苦しい人生を歩んでいるのですよね。あなたには、ただお詫びを伝えたいと思います。お母さんは、もしかしてエゴイストだったのかもしれません。両親を悲しませ、ひとつの家庭を崩壊の危機に追いやり、あなたには不自由で平安のない人生を送らせてしまいました。でも、あなたは私の生きた唯一の証しです。あなたに対する愛情に嘘偽りはありません。お母さんはあなたの成長を見守ることだけに幸福感を感じていました。お母さんは上手に気持ちを伝えられない不器用な性格なので、あなたにもずいぶんつらい思いをさせてしまいました。ごめんなさいね。心から謝ります。でも、お母さんの分まで幸せに生きてください。あなたを思う気持ちはずっと永遠にお母さんの心の中にあります。忍ちゃん、私の分まで生きてくださいね。  お母さんより」

「お母さん・・・」あの最後の会話以来、私は初めて声に出して母を呼びました。自分が大変な誤解と間違った判断していたという思いが、心の内側から溢れ出るのを抑えることができませんでした。今では母のことを心から、自然に受け入れている自分を実感しています。

墓参り?どこに埋葬されているんだろうか。母のそばに行って話をしたい。それが偽りのない気持ちなんです。ようやく静かな日曜日の夜が・・・暗い日曜日が終わろうとしています。

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by hirune-neko | 2007-08-07 02:33 | 創作への道 | Comments(6)
Commented by 天然木 at 2007-08-07 03:47 x
創作の世界も確立しつつありますね・・

面白く読みました。

Commented by hirune-neko at 2007-08-07 11:34
> 天然木さん

ほえ。ありがとうございますです。
書いているだけなんですが、登場人物のつらさが伝わってきて
こちらもつらくなるんですよ。
どっと疲れます。
Commented by バオバブ at 2007-08-07 23:01 x
そっか、あたりまえな事ですが皺々お婆になった母もかつては、
恋愛に悩む年頃もあったのですよね。
最近そういう事を良く考えます。み〜んな若い時があったんですよね。今日、生存確認の電話をしたら『あづくてひからびる』と申しておりました。これでますます皺が増えることでしょう。
暗い日曜日...しみじみ感じ、しんみりいたしました。(うぐっ)
Commented by 君の名は at 2007-08-07 23:01 x
「大切なわが子へ」・・先日送られた方から感激のメールを
いただきました。
本当に世界でたった一冊の自分の本なんですもの!
Commented by hirune-neko at 2007-08-07 23:07
>バオバブさん

そうですよ。バオバブさんのお母さんがどれだけしわくちゃになっても
私に思春期があったように、やはり恋する季節があったんですよ。
どんなお年寄りにも青春時代があったんだと思って
世の中を見たら、もう少し人に優しくなれると思います。
Commented by hirune-neko at 2007-08-07 23:08
>君の名はさん

そうなんですか?そういうお話を聞くと、
とても嬉しいですよ。いつも有難うございます。
<< こんな人生ってあるんだろうか? 言語回路が無茶苦茶でござりまするがな >>



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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