人気ブログランキング | 話題のタグを見る

昼寝ネコの雑記帳

今日ばかりはまた深夜のブログに逆戻りしてしまった

charles aznavour hier encore

 今日は歩きに出ることもできず、ようやく午前0時近くになってブログに向かっている。今日は珍しく選曲に手間取ってしまった。たまにはシャルル・アズナヴールを聴こうと思ったのだが、冒頭のhier encoreにたどり着くまで、YouTubeであれこれと探してしまった。なかなかしっくりくる曲に出会わず、昔懐かしいこの曲に決めた。

 hier encoreの出だしの歌詞は、20歳だったあの頃よまた再び、と訳せるのではないだろうか。私などは、とてもとても20歳の頃に戻りたいなどとは思わない。せっかく半世紀の長い年月を経て、ようやく精神的にも落ち着いてきたというのに、またあの頃のように手探りで先を見通せない心境を味わいたいとは思わない。

 肉体的には年齢相応に退化してきてはいる。しかし、精神領域は何とか到達点が視野に入り始め、人生の最期に向けて迷いがなくなっているのが、大きな救いである。今になって、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか、考えてみたらそんなに後悔する要素はなさそうだ。

 いつも思うのだが、失敗という経験を契機にして、人間は自分を知り、自分を良き方向に変えることができるのではないだろうか。色々な意味で追い詰められた状況も、それなりの回数を経験している。何とか投げ出さずに、ここまで持ちこたえてきて良かったなと思っている。順風満帆の人生ではなくて、かえって良かったと思っている。

 その折々に、支援や助言を与えてくれた人たちのことを思い出すと、改めて感謝の念を抱いている。


 今日インターネットで、浅草の洋菓子喫茶・アンヂェラスが、昨年3月に閉店したという話題を目にした。アンヂェラスは、漫画こち亀にも登場する老舗である。確か、昭和21年創業と書かれていたようだ。創業社長は、人の噂によれば浅草寺の除夜の鐘をつく場で、地元のヤクザを顎で使うほどの「大物」だったらしい。田谷力三さんとも親交があったようだ。

 その創業社長が、仕事の出張先・北海道で倒れ、そのまま他界した。もう40年近く前のことだったと思う。家内とは親戚筋のため、何度かお会いした事はあった。社長が亡くなった後、奥様から言われた。「自分にもしものことがあったら、昼寝ネコさんに手伝ってもらえ」と遺言されていたと言う。

 養子の息子さん夫婦がいたのだが、今から何年か前にに他界してしまっているとのことなので、古い話を思い出しながら書いている。

 日本橋三越本店に出店していたものの、ちっとも営業に行かない。日比谷松本楼、銀座風月堂(フレンチレストラン)、アートコーヒーなどの経営者の皆さんとグループを作り、その会合が定期的にあったが、そこにも顔を出さない。社長夫婦には、養子に対するそのような不満があった。

 社長が他界して少ししてから、日本橋三越本店から退店の要請があった。

 あの頃の私は30歳になっていただろうか。社長の遺言という表現をそのまま真に受けてしまい、自分の会社の仕事と並行して、結局は手伝うことになってしまった。

 洋菓子の工場長と話をし、小麦粉その他を無農薬のものに切り替えてもらった。その時の仕入れ先は、岩手県の阿部製粉だった。芽吹き屋という名前でナチュラルな冷凍菓子を製造し、全国の生協に卸していた。それが契機となって、阿部製粉の社長夫妻とのお付き合いが始まった。社長も、数年前に他界している。

 日本橋三越本店には時々顔を出し、食品部長や仕入部長とお話をするようになった。そこで売られていた洋菓子に、フランス文学シリーズやショパンのシリーズと銘打って、スタンダールやショパンの作品の地名や人名を使うようになった。三越内で話題になり、社内報で取り上げられたと聞いている。また、当時存命中だった田谷力三さんを訪ね、他界した社長とアンヂェラスとの思い出を文章にしてほしいとお願いした。その文章を小冊子にして、冷蔵ケースの上に陳列した。

 どれぐらいの期間手伝っただろうか。三越の退店問題も何とかクリアしたのと、社長夫妻の養子の男性は、家内の父親の甥という関係でもあり、私が徐々に主導権を握るようになると、複雑な問題が生じると判断したため、アンヂェラスを辞去をすることにした。

 今の私だったなら、他界した社長の遺言だろうがなんだろうが、あれこれもっともらしい理由を並べて、丁重にお断りしたと思う。当時の私にとっては、まさに若気の至りだった。しかし、浅草の商店街やうまいもの会など、いろいろな方々と接点を持たせていただいたので、なんとなくあの地域の気質というものは体感できたのではないだろうか。

 三越の仕入部が主催した、ドイツ・フランクフルトでの世界食品フェアにもお付き合いで参加した。出版業界にはない独特の世界を垣間見ることができ、それはそれで良い経験だったと思う。

 それにしても、自分の人生はずいぶん回り道だったと感じる。しかし、大きな組織に所属せず、さらには業界という大きな世界に忖度することなく、あくまでもわが道をマイペースで歩んでこられたのは、幸いだったと思う。

 地位や名誉を追い求めず、ここまでやってきたと思うので自分らしさが損なわれていないと思う。

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する

by hirune-neko | 2020-09-13 01:08 | 心の中のできごと | Comments(0)
<< 集中できたので、いつもより早い... 午後10時過ぎにはウォーキング... >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 00:17
昼寝ネコ様 お早う..
by ちはや at 08:10
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 00:24
昼寝ネコ様 お早う..
by ちはや at 08:54
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 22:52
記事ランキング
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ