昨晩はコーラスで、今晩はストリングスでSamuel Barber - Adagio for Strings 数年前にダウンロードしたアルバムがある。50 Bathtime Classics というタイトルで、おそらくは、湯船につかってリラックスしながら聴く曲を、クラシック音楽から50曲選んだ、ということなのだろうと思う。 布団に入ってもなかなか寝付けない時は、このアルバムを聴くことが多い。全部で50曲収録されているので、最後まで全てを聴く機会はほとんどない。しかし、このSamuel Barber 作曲 Adagio for Strings という曲はアルバムの一番最初の曲なので、結果的に最も回数を多く聴いている。 昨晩のブログで、コーラスによる演奏をご紹介した。改めて、とても静謐ないい曲だと思ったので、YouTubeで弦楽器の演奏を探した。もともとが弦楽器のためのアダージョ、と名付けられた曲なので、やはり弦楽器の演奏を聞くと、とても心が静まり穏やかになる。 今日は歩きに出るのが少し遅くなったので、いつもの半分の歩数で帰ってきた。夜11時を過ぎていたが、用水路沿いの道を歩いても、何も警戒する必要がない。帰りにセブンイレブンに寄って、義母のためにキリンレモンとミルクカステラを買ってきた。実にのどかである。 帰宅してからも、こうしてブログに向かいイ一日を振り返りながら、脳内に蓄積している雑多なことを反芻し、音楽を聴きながら文章を考えている。なんて平和なひとときだろうか。 今日は少し先で大きな火事があったようだ。ヘリコプターが何機か上空を飛んでいたそうだ。駅に多少近かったせいか、電車が止まったり交通渋滞も起きたようだ。しかし、私の住んでいる所には何の影響もなかった。 ここ数日のインターネット情報を読むと、ある人は日本が今重大な分岐点に差しかかっていると述べていた。このまま自由を満喫できる民主国家が維持できるのか、あるいは絶対主義の体制に変わってしまい、共産主義あるいは社会主義の国家体制に管理されるようになるのだろうか、と問題提起していた。 折しも、安倍総理の後継者問題がクローズアップされている。果たして誰が次期総裁になるのか、私には皆目予測ができない。しかし、水面下ではおそらく、熾烈な駆け引きが行われているだろうと想像している。中国共産党政府も韓国政府も、この機会に自分たちと気脈を通じている議員を、総裁に押し上げるべく様々な工作活動を行っているのではないかと、あくまでも想像はあるが、そのように推測している。 一方、時を同じくしてアメリカサイドでは、いわゆる日本の親中派勢力に対する名指しの批判が表面化しているようだ。まさに、水面下ではそれぞれが生き残りをかけて、あらゆる工作活動を展開しているのではないだろうか。 しかし、私たちは政治評論家でも何でもないので、まずは自分自身が必要な備えを行い、非常事態の際にはできるだけ自治体や国に負担をかけない、という選択をしなければならないのではないだろうか。 それともう一つ、とても重要と考えるのは、すっかりおなじみの言葉になった、世論誘導や印象操作、捏造情報などに惑わされることなく、できる限り政治的な関心を持ち、さらには少しでも信頼度が高い思われる情報源を確保することも重要だと思う。そうでなければ、他国の影響を大きく受けていると推察されるメディアが発信する情報に、洗脳されてしまいかねないからである。その結果、選挙では誤った候補者に投票し、あるいは投票することに意味を感じられず棄権してしまうということになりかねない。投票率が下がれば下がるほど、組織を取りまとめている組織や団体の組織票によって国の方向が決められてしまう。実に危険なことだと考える。 今の私は、まるで無邪気な小さな子供のように、興味のあるジグソーパズルのパーツを目一杯頭の中に詰め込み、難しい組み立て方に頭を悩ませている。しかし、先例のないことであればあるほど、何事も一朝一夕に容易に構築することはできないと思うので、毎日の通常業務をこなしながら、その合間に脳内で繰り返し試行錯誤するしかないと思っている。 そうしているうちに、少しずつインスピレーションが沸いたり、イメージが具体的に視覚化されるだろうと、極めてのんきに考えている。無理は禁物だと思うので、焦らず着実に進めていきたいと思っている。 しかしその一方で、断片的な情報でしか知識は無いのだが、監禁されて身体を拘束され、場合によっては上記売買のために内臓を抜き取られてしまうとか、その国独自の言語が封鎖され文化も抹殺されるとか、いろいろな境遇の方々の情景が目に浮かぶ。もし自分がその立場に立たされたとしたら、なんと絶望的なことだろうか。国家不信や人間不信が極限値になり、生存する理由と価値を見出せないほど、人間として悲惨な状況だと想像している。 私は時々、自分が生まれたと妄想している時代や国について思いを馳せたいので旧約聖書を読んでいる。何度も何度も繰り返し表現されているのは、剣と飢饉と疫病が送られ、国が滅ぼされると言う表現である。 私自身が感じる虚しさや無力感を乗り越えて、何を遺せるかについてこれからも考え続けたいと思っている。そして考えるだけではなく、少しでも具体的なものとして実行に移せるようになりたいと願っている。
by hirune-neko
| 2020-09-01 01:18
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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