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昼寝ネコの雑記帳

久しぶりのSwingle Singersのおかげでイメージが膨らんだ

Adagio: Sonata No.3 In E BWV 1016

 心を鬼にして、手をつけようと思った作業を中断し、歩くことを優先した。今日は、ある仕事に必要なイメージを、なんとか脳内でより具体的に思い浮かべられるようなりたいと思った。玄関から外に出て立ち止まり、歩きながらどの音楽を聴こうかと考えた。

 すぐに目に留まったのは、Swingle Singersというジャズコーラスグループが歌う、Jazz Sebastian Bachという名のアルバムだった。バロック音楽の作曲家であるバッハの曲を、ジャズ風にアレンジしている。冒頭の演奏がその中の1曲である。

 わが社の絵本を採用してくださっている、ある産婦人科の院長先生はご自分の信念に基づき、中絶手術をしない。中絶手術を受けたいとクリニックに来院された患者さんには、説得して出産し、子供に恵まれない夫婦に養子として差し出すよう勧めている。

 たまたま昨日のブログで、その絵本の本文の「赤ちゃんと両親版」の英訳文をご紹介した。それ以外にも、「赤ちゃんとお母さん番」、「天使になった赤ちゃん版」、「先天性の障害を持つ赤ちゃん版」と何種類かの文章を作り、実際に絵本化している。

 中絶をしない考えの院長先生の奥様は、クリニックの事務長である。かなり以前、事情があって産み育てられず、出産した赤ちゃんを養子として差し出す、という立場の女性のための文章を作ってほしいと依頼があった。その依頼とともに、いろいろな資料やそのような立場の女性の書いた文章等が送られてきた。

 私は、それらの資料を読み、参考にして文章を作成した。しかしそれは、院長先生の奥様のメガネにはかなわなかった。つまり、そのような立場の女性の心深くに届くような文章にはなっていなかったということだ。

 忙しさに紛れて、その件はしばらく放置することになってしまった。しかし、最近どうしても気になり、院長先生の奥様に電話した。私としても、どうしても理解できない部分があったからだ。それは、子供を産んだものの自分で育てられないので、子供を待ち望んでいるご夫婦に養子として差し出した、という事実がずっと残っていいのかどうか。いつか結婚するときに、その絵本が邪魔な存在にならないのかどうか。それがとても疑問だった。

 結論だけを書くと、やはり後にそのような事実を知った結婚相手の男性から、虐待を受けたりあるいは殺されるというような事例が発生していると聞いた。しかし、養子縁組を進めている団体は、その後結婚相手が見つかったときに、オープンに事実を話すよう勧めているそうだ。そして、定期的に養子として差し出した子供と時間を過ごす機会も設けているそうだ。正直言って少々驚いた。

 その一方で、やはり自分の過去にそのような事実があったということを、人には知られたくない人もいるそうだ。そこで私は提案した。では、オープンに過去の事実を結婚相手の男性に告げる、という考えの女性のための文章、もう一つは、あくまでもその事実を自分の胸の内だけにそっとしまっておきたい、と考える女性のための文章。この2種類の文章を作り、それぞれ自由に選んでいただいではどうだろうかと提案し、受け入れられた。

 提案するのはごく簡単である。オープンにするという考えの女性のための文章は、なんとなくイメージすることができる。これまでの何種類かの文章をベースに、淡々と書けば良いと思っている。

 しかし厄介なのは、その絵本を誰かが読んでも、自分の過去の具体的な内容を知られず、しかし自分自身は、過去の辛い決断と悔悟の気持ちをいつまでも忘れないように取っておく・・・正直言ってこれはとても難しい。

 この文章について時々考えているのだが最近、ふと思い浮かんだちょっとしたイメージがある。繰り返し同じような夢を見るという設定だ。夢の中に、つなぎ服のような白い洋服を着た赤ちゃんが現れる。赤ちゃんなのにちゃんと言葉を話す。その赤ちゃんが言うには、誰も決して覚えてはいないが、お母さんのお腹の中で過ごす時間が、とても心地よく、心安らぐ幸せな時間だと聞いて、とても羨ましく思っているそうだ。そこで、生まれる前の遠い遠い世界で、どうしても一度お母さんのお腹の中で過ごしてみたいと、何度も何度もお願いしたと言う。

 その結果、候補者として選ばれた女性の夢に訪れ、お願いしてみなさいと言われた。それでその赤ちゃんは、その女性の夢の中に現れ、どうかお腹の中で過ごさせて欲しい、と切に願った。・・・そこでその女性は目が覚めた。なんて不思議な夢なんだろうと思った。

 朝目が覚めてすぐに、その夢のことはすっかり忘れ去っていた。しかしその夜、またその赤ちゃんが夢の中に現れた。あまりにも切々と懇願されたので、最終的には受け入れることにした。

 念願が叶った赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で最初は小さい存在だったのだが、徐々に大きくなり手足を動かすようになった。もちろん言葉をかけることはできないが、お腹の中から手足を使ってお母さんに語りかけた。

  もう少し一緒にいたい。もう少しお母さんのお腹の中で過ごしたい。どうか私を追い出さないでほしい。最後の時が満ちるまで、私を大事に守って欲しい。

 ・・・このような感じで、文章の出だしを考えている。あくまでも夢の中の出来事である。そして、この女性は途中で赤ちゃんをお腹の中から追い出すことなく、・・・つまり中絶手術を受けることなく・・・赤ちゃんの気が済むまで、最後までお腹の中で守ってあげた・・・という夢の中のストーリーとなる。

 あくまでも夢の中のファンタジーな世界のことなので、誰が読んでも、不思議な夢だね、で終わるだろう。しかしこの女性にとっては、一定期間自分が大事に守り、そして最終的にはこの赤ちゃんを愛し、大事に可愛がってくれる両親のもとに届けたという事実の記録になる。つまり、貴重な赤ちゃんの生命を守り、この地上で人間としての様々な経験を通し、成長する姿を見届けることになる。

 将来ある女性にとっては、とても難しい決断だと想像する。しかし、院長先生やその奥様、そして養子縁組を勧める団体の皆さんの励ましによって、その女性は逆に一生涯、大切な小さな命を奪わなかった、というある種の安堵と達成感を、心の中に持ち続けることができるのではないだろうか。

 天使版もそうなのだが、この種の文章は考えるのがとても難しい。いや、考えて書くのではない。心で感じて書くものである。私にとってはなかなか困難なことではあるが、その立場に置かれた女性の気持ちをできるだけ深く洞察し、そしてその女性の視点に立ってストーリーを書かなくてはいけない。営業企画書や事務的な資料とは違い、まさに困難さを乗り越えた人の心深くに届くメッセージを書けるか、が問われる。

 文章はまだイメージを膨らませている段階である。仕事脳ではとてもとても作れる文章ではない。 しかし、私はそのような先の見えない困難な文章にチャレンジするのが、自分の性に合っていると思っている。

 これまでに、お子さんを亡くされた方のための天使版を読まれて、涙を流され癒されたお母さんはかなり多い。コマーシャルベース、ビジネスベースからは大きく外れ、完全にボランティアである。院長先生の奥様からは予算拠出の申し出をいただいたが、丁寧に辞退した。もし、私の書いた文章で心の重荷が取り去られ、癒され、新たに生きようという希望を持っていただけるならば、私にとってそれはお金では決して買うことのできない、貴重な達成感である。

 もちろん経済力の大切さは実感している。しかし、3000年も生きてくるとお金や金銀財宝の虚しさを、幾たびも目にしてきた。そして、最も重要なものは人間の心の中に、つまり精神領域の中にあるという私の個人的な確信を、これからも伝えていきたいと思っている。

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by hirune-neko | 2020-08-21 01:30 | 創作への道 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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