若い人たちの初志貫徹の姿は美しいものだAstor Piazzolla - Invierno Porteño 今日もiMacのアリスの救命のため、長時間あれこれと試行錯誤をした。そのような中でも、いろいろなアクシデントがあった。 一面識もないのだが、女性の落語家の方がFacebook友達に存在する。その方からメッセージがあり、「このビデオはいつ頃のものですか?」という質問とともに、動画の画面が送られてきた。質問の意味がわからなかったし、私自身はFacebookに動画をアップするようなことはしていない。不思議な気がしたが、動画の開始ボタンをクリックした。 すると、いろいろなアンケート質問が続いた。抽選でiphone11proが当たると書かれていた。これはどうもおかしいと思って、そこで画面を閉じた。するとその直後に、その 落語家の方からメッセージが届いた。彼女のアカウントが乗っ取られて、スパムメールが発信されたと言う。 そこですぐさま、パスワードの変更を行った。セキュリティー項目を開いてみると、ほんの数分前に北海道や神奈川県から、私のFacebookアカウントにログインされた形跡があった。短時間だったし、すぐにパスワードを変更したので、私のFacebookアカウントが乗っ取られているような事はないと思う。しかし、何事も用心である。私とFacebook友達になっていらっしゃる皆さんに、私からおかしなメッセージが届いたら、くれぐれも無視して削除していただきたい。 セキュリティーのため、信頼できるFacebook友達を少なくとも3人指定するようにという指示があった。そこで、人間名前の私自身と、昼寝ネコの雑記帳出版のきっかけを作ってくれた、鈴木れい子さん、そして昼寝ネコのイラストを描いてくれたカトリ〜ヌ・笠井さんの名前を勝手に登録させてもらった。鈴木さん、笠井さん、あしからずご了承いただきたい。 そのような次第なので、Facebookページをいろいろ確認していたら、大阪・池田市を拠点にピアソラの曲を演奏している、若手女性たちのグループ「クレモナ・モダンタンゴ ラボラトリー」が、オンラインで練習風景を配信しているという書き込みが目に留まった。 なんでも、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」の全曲を演奏するコンサートを企画しているらしい。オンラインで今実際に行われている練習だというので、興味があってしばらく鑑賞させてもらった。冒頭でご紹介しているのは、その中の1曲なのだが、ブエノスアイレスの秋だっただろうか、スペイン語のタイトルを見てもすぐさま正しい日本語のタイトルが思い浮かばない。 最初に音楽監督の「かじくん」から電話をいただいたのは、何年前の事だっただろうか。よくは覚えていない。しかし、連日のようにピアソラの音楽だけをブログで紹介していた、この昼寝ネコの雑記帳をご覧になったらしく、ピアソラの熱狂的なファンとして電話を下さったとの事だった。 その後、「かじくん」と演奏家の皆さんには何度かお会いする機会があった。そして、今もなおピアソラの曲をレパートリーとして選び、演奏する姿に初志貫徹の意思の強さを感じ声援を送りたいと思った。 ピアソラの作品は、純然たるアルゼンチンタンゴとはかなり趣が異なると思う。世界観が違うと言っても良いのではないだろうか。ピアソラ自身がビル・エヴァンスを高く評価していたということを 知った時は嬉しかった。 何年も経った今でも、こうしてピアソラの音楽性を掘り下げ、自分たちなりに解釈して表現しようとする努力には、改めて頭が下がる思いだ。バンドマスター、いやバンドミストレスと言うべきなのだろうか・・・そのぴかりんさんというオーボエ奏者の方が中心となり、ピアソラやクラシック音楽などに関するニュースレターを週刊で発行している。なかなか鋭い視点で音楽を捉え、かつピアソラに対する思いや音楽的洞察が綴られておりとても参考になる。興味がおありになったら、ぜひ直接コンタクトして購読してあげていただきたい。 私の方は、数日前から腸の働きがおかしくなってしまい、とても難儀をしている。おそらくはここ2週間近くの、コンピューターの動作不良とその復旧に振り回されている、ストレスが原因なのではないだろうか。 しかし、夜の9時直前から約50分近く、辛抱強く付き合ってくれたAppleのアドバイザーの男性サポートの方から、おかげで最適の解決方法を教えていただき、ようやく出口が見つかった。とりあえずは、iCloud Driveの重いデータを全て削除しても良いとの事だったので、現在は空である。 そのため、iMacのディスクに対する負担が大幅に軽減され、アプリケーションやその他の動作の動きがとても速く快適になった。そのため、ストレスがかなり軽減され、まるで青春時代のように希望が湧いてきている。 アドバイザーの方は、私の白内障の話を聞くと、その方自身も10代そして20代の時に2回白内障の手術をしたという話をしてくれた。私は自分の年齢を伝えなかったけれど、声の感じと目の症状を聞いて、「この時間からだと最後のお客様なので、死なばもろともで最後まで一緒に取り組みます」という力強い言葉をいただいた。とてもありがたい言葉だった。 もちろん、さりとて一気に終えられる作業ではないが、待たされる時間がほとんどなくなりつつあるので、精神衛生上はとても良好な環境になった。約2週間にして、ようやく分水嶺に近いトンネルの出口に差しかかった感じである。
by hirune-neko
| 2020-07-26 00:56
| 音楽・映画・本の世界
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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