人気ブログランキング | 話題のタグを見る

昼寝ネコの雑記帳

今日は一喜一憂ではなく二喜二憂だった

Suite in E Minor, BWV 996: I. Prelude

いつもクリックを有難うございます。励みになっています。


 何年も前のことだが、高血圧に悩まされていた時期がある。あるときは意識が薄れかかったので、救急車を呼んでもらった。救急車の中で血圧を測ってもらったら、確か235だった。

 あのときは地元の大学付属病院に搬送された。症状は落ち着いたものの、先生からは弱い血圧降下剤を処方してもらうよう勧められた。しかし、結局は薬を服用しなかった。

 当時は深夜、脳内に違和感を感じて血圧を測ると、決まって200前後まで上がっていた。今考えると、ぞっとする。

 血糖値が高いことを指摘されたのは、かれこれ10年数年以上前のことだった。高血圧に高血糖と、まことに不摂生な生活を長く続けていた。

 血糖値は、数ヶ月前に行った眼科医で、白内障より糖尿性の網膜炎を治した方がいいと言われ、自分としてもかなりの決意をもって、断糖生活を始めた。200前後で高止まりしていた血糖値だったが、ひと月もしないうちに、130台まで下げることができた。ちょっと油断しても、150前後である。

 そのような病歴があるので、血圧と血糖値は永年に渡って、毎朝測定している。

 不思議なことに、あれほど苦しめられた持病の高血圧が、いつの間にか徐々に下がり、130前後で落ち着いていた。

 ところが、最近は血圧の上の値が100を切ることが多くなった。さらに、80台になることもあり、ちょっと不安になっていた。旧知の男性が何年も腎臓透析を受けているが、透析中に血圧が下がり、100を切ると透析が中断されると聞いていたので、100を目安に注意していた。

 ところが今朝、血圧の上の値が71になっていたので、驚きと不安に襲われた。血圧計はオムロン社製のを使っている。永年使用した交流式の血圧計が老朽化したため、昨年、電池式のものに買い替えた。

 そういえば、一度も電池を交換していなかったことに思い至り、単3電池4本を取り替えた。すると上の値が115になった。やれやれ、原因は放電気味の電池のせいであって、血圧は正常ではないかと、一気に安堵した。

 とこころが、なぜか気になって、また測ってみたら、77という数字が表示された。本当に「ゲッ」という思いだった。

 最近は立ち上がったとき、かなり頻繁に立ちくらみが発生するので、心臓の機能が低下しているのではないかと、不安に襲われた。

 10分おきぐらいに、何度も測定したら、血圧は徐々に上がり、上の値が100ちょっとで安定するようになった。深い安堵を感じた。

 思い当たる節がある。布団に入っても、iPad Proであれこれ確認するため目が冴えてしまい、時には深夜2時とか3時頃まで寝付けないことが増えている。精神科医である息子からは、午後10時から午前2時の間の睡眠は、免疫力を高めるのでちゃんと寝るように、と何度も言われている。

 しかし、追いつめられている私にしてみれば、あれこれ気になることが多く、どうしても夜更かしになってしまう・・・と、つい言い訳をしてしまう。

 しかし、体調不良の原因は、やはり遅寝遅起きしか考えられない。深く反省し、遅くとも午後11時前の就寝を本格的に目指そうと、思い至っている。

 健康状態に関しては、一喜一憂どころでなく、二転三転の二喜二憂であるが、年齢相応に身体能力を過信せず、無茶をしないよう心がけたいと思っている。

 今日ばかりは、「深く反省」の一語である。まだ間に合うだろうと、希望を持っている。


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
更新を通知する


by hirune-neko | 2020-05-04 01:14 | 心の中のできごと | Comments(0)
<< 今日は精根尽き果ててしまった・・・ 涙ぐましい葛藤と努力の中で活路... >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 00:17
昼寝ネコ様 お早う..
by ちはや at 08:10
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 00:24
昼寝ネコ様 お早う..
by ちはや at 08:54
ちはやさん コメン..
by hirune-neko at 22:52
記事ランキング
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ