ようやく今日のひと区切り・・・動く棒グラフ ブログ「徒然なるままに」で紹介されていた記事に、興味深い統計グラフが掲載されていた。今年の1月22日から3月8日までの、世界の主要感染国の感染者数が、日毎に変化する棒グラフなのだが、時間とともにグラフ自体も変化する。初めて見たが、とても興味深かった。グラフそのものも、どのように作るのか、と驚いたが、同時に日本国内の感染者数が、世界主要国と比較してどのような水準なのかを見て、改めて驚いた。 明らかに、新規の感染者数の増え方が鈍化しており、しかも国内では、相次いで有効な治療薬や治療法が、いくつも開発されたという情報も目にしている。日本はこのまま、感染が鎮静化するのだろうか。さすが、日本の底力だと感服した。 その「動く棒グラフ」は、なかなか秀逸なので以下にご紹介させていただく。是非、グラフの下のURLをクリックしてご覧いただきたい。 【一目瞭然】新型コロナウィルス国別感染者数 (中国以外)2020/1/22~3/8 の推移グラフが衝撃的 今日は、嬉しい電話をいただいた。1週間ほど前、わが社の絵本を採用してくださっている産婦人科と、その産婦人科と関連のある別の産婦人科の両方に、絵本の提案書を送った。 今日、既に絵本を採用してくださっている方の産婦人科の方から、電話をいただいた。開口一番、患者さんの評判が良い事は認識していたが、改めて提案書を読み、とても感動したとおっしゃってくださった。心を込めて絵本を作っていることが、よく理解できたともおっしゃってくださった。そして、改訂版の提案書に付け加えた、東日本大震災の時の絵本寄贈記事、10種類以上をお読みになって、その取り組みに深く共鳴したともおっしゃってくださった。 私たちにとっては、何よりのお言葉でとても嬉しく思った。 その勢いで、もう一つの産婦人科に電話し、提案書の到着の確認をさせていただいた。窓口になっている方が、師長さんと話し合いをするので、しばらく待ってほしいと言ってくださった。ここで決まるのと決まらないのとでは、雲泥の差である。しかし、現時点ではやるべき事は全てやったと思っているので、後は運を天に任せるしかない。 私たちが制作している赤ちゃんの名入り絵本は、一冊一冊名前が入るため量産できず、文字通り手作りの絵本である。見本や提案書をお送りしても、なんだ絵本か、という反応の方もいらっしゃるかもしれない。しかし、感性や感覚、そして経営判断で理解を示していただける産婦人科は、必ず存在すると確信しているので、全国の産婦人科に向けて、1カ所ずつ丹念にお送りするようにしたいと思う。 言い訳になってしまうが、昨日はデータ処理に追われてしまい、とうとう歩くことができなかった。神経を酷使する仕事が続くと、どうしても甘いものが欲しくなってしまう。そこで、タブーを破り、昨日はホットチョコレートを一杯飲んだ。その結果、今朝の血糖値は最近の平均値よりも、30も上がってしまった。まずいまずいと思い、今日は何とか歩いてきた。ホットチョコレートは遠ざけて、当面お預けにすることにする。 冒頭のピアノトリオは、これまでに何度もご紹介しているジャズボーカリストの、イリアーヌ・イーリアスがピアノを演奏している。かつて、ビル・エヴァンスと共演したジャック・デジョネットと共演している。・ ・ ・さてさて、ジャック・デジョネットがドラマーだったかベーシストだったが、一瞬思い出せない。 いずれにしても、小さい頃からビル・エヴァンスの演奏をコピーして弾いていたというだけあり、何曲も繰り返し聴いているうちに、ビル・エヴァンスとはスタイルが違うものの、なかなか良い演奏だと再認識している。 そして改めて、やはりピアノトリオにはエレキベースではなく、ウッドベースがいいなと思っている。 ここ数日、徐々に確信が強まっているのだが、私の仕事も人生も、そのどちらもが、いよいよ佳境を迎えようとしていると実感している。商品をゼロから考えて作り、試行錯誤を繰り返して年数を経た。付加価値も考え、なんとかひとつの体系としてまとまったように思う。産婦人科向けの提案書は、これで完成形と考え、1カ所ずつ丁寧にお届けしようと思っている。 自治体は予算が絡むため、すぐに決まるというわけにはいかない。去年から、自治体向けの付加価値についてあれこれ考えてきた。まだ完成形だという、絶対的な自信は無いのだが、市議会議員の方にも意見を聞きながら、そろそろまとめに入りたいと思う。 そして、産婦人科向けの提案書と自治体向けの提案書が出来上がった頃に、ファミリー・インテリジェンス研究所の仕組みや、無料・会員制「みるとす」の仕組みの資料も加え、全国の100社ちょっとの新聞社には全て郵送し、記事にしていただくようお願いするつもりだ。東日本大震災の時は、確か11社程度が記事にしてくれたはずだ。今回は、どの程度の数の新聞社が記事にしてくれるか、現時点では皆目見当がつかない。しかし、東日本大震災のときの絵本寄贈プロジェクトを記事にしてくれた新聞社は、記事化してくれる可能性が高いのではないかと、勝手に期待している。 ファミリー・インテリジェンス研究所も、非公開ではあるが、公式サイトの中のコンテンツについて脳内でまとめにかかっている。これまでの構想との大きな違いは、英語を母国語とする分析スタッフを確保し、国際的な視野に立ってのタイムリーな情報をお届けする、という点だろうか。 まずは、国家安全保障のための国家インテリジェンスの手法や視点を参考にし、あくまでも家庭や個人のための手法に変容させる、という基本作業が待ち受けている。時間だけは、何年もかけて考えてきたテーマなので、できるだけ早急にまとめ上げたいと思っている。 本当に頭の休まる暇がない。以前は、約1時間近くを歩くときに、音楽を聴きながらあれこれ思いめぐらしたものだが、最近になって志願者があり、散歩に同伴者ができてしまった。とても話し好きな人なので、歩いている間は全く何も思索することができず、もっぱらあれやこれやの話題の会話に終始している。しかし、それはそれで意味のあることなので、由としようと思っている。 最近は、道端でネコを見かけると、つい声をかけてしまっている。床の上に寝そべったときに、一緒にそばにいてくれるネコがいるといいなぁと思うようになっている。 そういえば、朝方不思議な夢を見た。私がスーパーで買い物をしているのだが、エレベーターに一緒に乗っていたのは、母とその妹である。つい数ヶ月前に他界した私の叔母である。亡くなった2人と一緒にいて何やら会話もしたのだが、全く自然そのもので、なぜ亡くなった2人と一緒にいるのかなど、疑問に思う事はなかった。目が覚めてようやく気づいた次第だ。 もしかしたら、私を霊界に呼び寄せに来たのだろうか。いやいや、それは困る。私には、まだまだやり残してやることがたくさんあるので、贅沢は言わないが、ある程度の達成状態を見届けるまでは、なんとか生きながらえて役に立ちたいと思っている。逆にもしかしたら、そんな私に対する励ましの気持ちで、2人が夢の中に出てきたのかもしれない。 叔母は独身の頃、私の祖母と2人で住んでいた。頻繁に遊びに行ったが、当時SPレコードのコレクションが何枚もあり、コール・ポーターなど、小さな子供にとってはほとんど縁のない音楽を、いつも耳にした。今私が持っている、音楽に対する嗜好は、叔母の音楽的趣味の影響があると思っている。 もしかして、実際の私はすでに、かなり霊界に近いところで生きているのかもしれない。それはそれで良いではないか。あまり生きることに固執するのはやめておこう。要は、常に努力して全力を出し切り、燃え尽きることができたら、そしてしかも、残された人たちに迷惑をかけない状況であったならば、それは最も理想的なことなのではないかと思う。
by hirune-neko
| 2020-03-10 00:47
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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