で、この先は一体どうなるのだろうか 地政学的には、海を挟んで対峙する韓国、北朝鮮、中国に対し、日本はどのように対応すべきなのだろうか。それを考えるのが現政権の務めだと思うが、では野党の皆さんは、そのような要素を視野に入れず、ひたすら桜を見る会がとか、安倍首相は北朝鮮の金正恩以上の独裁者だとか、憲法議論には応じないとか・ ・ ・挙げればキリがないほど、私個人としては実に情けない状態だと思っている。 私は右翼でも左翼でもないし、特定の政党や政治家を応援しているわけでもない。ましてや、いかなる政治団体にも所属していない。ただ単に、できるだけ多くの公開情報に接し、少しでも正確で適切な判断ができるようになりたいと思っている。 しかし、私は評論家でも何でもないので、いろいろな政治家の論評に是非を述べるつもりはない。それよりも、水面下で画策される様々な陰謀や謀略を察知し、警鐘を鳴らせたらいいなと思っている。つまり、今まで以上に慎重さや注意力を増し加え、起こりうる様々な事態に対し、どのように対応すればいいかを考える人が増えてほしい、というのが私の希望である。 今や、軍事展開は陸海空などというカテゴリーを超えて、まるでスターウォーズのように、宇宙からの攻撃というのが現実味を帯びてきているようだ。それに加え、AI技術を結集させた無人殺人兵器なるものが、実用化されるとも指摘されている。こうなるともはや、下手な映画やテレビよりも、はるかに予測不能の展開になるのではないだろうか。 政治・経済・外交・軍事のいずれをとっても、韓国や北朝鮮そして中国のいずれもが、弱点を顕在化させているように見受ける。専門家の皆さんの論評を読んでも、かなり窮地に追い込まれているのではないだろうか。 日本の諺で、「窮鼠猫を噛む」と言う表現がある。追い詰められた国家元首が、一般人が考えも及ばないような、一発逆転狙いの暴挙に走る可能性が、大いに高いのではないだろうか。 一体、この地球上のどこに行けば、柔らかい日差しと涼しい風を全身に感じ、心身ともに寛げるのだろうか。私はいつか、そのような場所に定住し、何の憂いもなくのんびりと暮らしたいという、ささやかな希望を持っている。しかし、もうすでにそれは、叶わぬ夢になってしまっているのではないだろうか。 私もそろそろ、そのような非現実的な淡い夢は、視野の外に追い出そうと考えている。かといって、生身の体である以上、心身ともにリラックスできる時間や空間は確保したいという気持ちはある。しかし、どう考えても地球全体が世界規模で、終焉に向かい始めているのではないかと思ってしまう。 日本という国は、もしかしたら特殊な国なのかもしれない。大多数の日本人が持つ正義感や責任感は、非常事態・緊急事態発生のときには一気に覚醒され、たとえ見知らぬ人同士であっても、あっという間に結束力が生まれるだろうと想像している。 自分は無宗教だという人がかなり多いと思うが、日本人の持つ特筆すべき様々な特性は、宗教的な洗礼を、たとえ無宗教だとしても、先天的に受けている民族であるような気がする。 キリスト教の考えでは、主の再臨があり末日がある。そして、末日には全世界に散らばされたイスラエルの支族が、集合すると書かれている。あくまでも私個人の考えだが、集合するというのは単に地理的、場所的な意味合いではないような気がする。つまり、ある種の理念や哲学に共鳴賛同する人たちが、結束して悪に対峙し社会正義の確立に集まってくる、というイメージを持っている。 今日は、電車を乗り継いで外出したので、すでに連続5千歩は歩いてしまっている。丁度いい機会なので、今日はもうこれ以上何もせず湯船につかって床に入り、頭を休めようかと思っている。 日本人のことを、「茹で蛙」と表現する人がいる。なるほど、そうなのかもしれない。しかし、あっという間に覚醒するのも日本人の特徴である。一見すると、いろいろなことに忙殺され、興味や関心も散逸しているように見えるかもしれないが、いざ非常事態・緊急事態が発生したときには、かなりの集中力を発揮し、どのように行動すべきかを、暗黙のうちに共有し合う・ ・ ・それが日本人という民族の特質ではないかと思っている。 本当にますます生きにくい世の中になってきている。例えは悪いかもしれないが、日本はちょうど火薬庫に囲まれているような国だと思う。とにかく、どこかにソフトランディングし、終息を迎えてほしいと願っている。
by hirune-neko
| 2019-12-16 23:58
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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