時代の変化を実感し、感慨深い・・・赤旗が白旗へと変色? 父は私が子供の頃、北海道・室蘭にあった日本製鋼所および新日鉄(当時は富士製鉄)で働いていた。現場作業である。(38歳で早世した、祖父・母の父は、日本製鋼所の最年少の工場長だったと聞いている) ときどき我が家を訪れた父の同僚の方は、正直で実直そうな方だった。共産党員であることは聞いていた。父が亡くなり,葬儀も済んだ初七日の頃、その方が訪問してくれた。 私は子供の頃から、父に遊んでもらった記憶がない。ゼロではなかったのだろうが、思い出せない。寡黙な父で、何かを教えてもらったとか、説教されたような憶えもない。そんな親子関係だったので、遺体安置所で父と対面しても感情は動かなかった。葬儀そのものも、淡々と事務的に終えてひと息ついた頃、その同僚の方が来てくれた。 開口一番、彼は私にこう言った。「お父さんはいつも、○○(私の名前)さんのことを心配していましたよ。」それは意外な言葉だった。私のことにはまったく関心のない父親だと思っていたので、感情的にも距離があった。同僚の方のそのひと言を聞いた途端、初めて父親の心情に接した私は、一転して感情が動き嗚咽した。涙が溢れた。父が死して初めての、真の父との邂逅だった。 それ以来、私は共産党や共産党員の方に対しては好感を持ち、忌避感はなく、労働者や庶民の目線で政治活動を行っているという、漠然とした信頼感を持っていた。 もちろん、徐々に社会経験を積むに連れ、私なりにそれぞれの政党の特長を把握するようにはなった。 あれは何年前のことだっただろうか。政治ブログランキングの10位程度までにはほとんど毎日、目を通していた時期がある。そんなある日、行橋市市議会銀の小坪しんや氏の記事で、果敢にも市の庁舎内で新聞・赤旗を勧誘している実態に異を唱え、告発していることを知った。孤軍奮闘のように感じたし、爆破予告まで受けても、信念の揺るがない、粘り強く行動力のある方だと思っていた。 つい最近、その赤旗が購読数100万部を割ったという記事を目にした。以下がその一部である。少々長くなるが引用させていただく。 【共産党に衝撃、しんぶん赤旗がついに100万部割れ】 (筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家) 今年(2019年)の8月28日の「しんぶん赤旗」に、なかなか衝撃的な一文が掲載された。「『しんぶん赤旗』と党の財政を守るために」と題する岩井鐵也財務・業務委員会責任者の訴えである。次のように始まっている。 「いま、全党は、志位和夫委員長の日本共産党創立97周年記念講演『共闘の4年間と野党連合政権への道』での解明を力に、『日本共産党の躍進こそ、野党連合政権への最大の力』『共闘の力を強め、日本を救うためにも、日本共産党を強く大きく』と決意を固め、党の自力強化への奮闘が広がりつつあります」 中略 「率直にお伝えしなければならないことがあります。それは、『しんぶん赤旗』は、安倍政権に立ち向かい、日韓問題はじめ国際政治の真実を明らかにし、憲法と暮らしを守るとともに、市民と野党の共闘を発展させ野党連合政権への道を切り開いていくうえでかけがえのない役割を発揮していますが、その日刊紙・日曜版の読者が8月1日の申請で100万を割るという重大な事態に直面し、この後退が『しんぶん赤旗』発行の危機をまねいていることです。そして、『しんぶん赤旗』の事業は党の財政収入の9割をしめるという決定的な役割を担っています。『しんぶん赤旗』の危機は、党財政の困難の増大そのものです」 中略 「いま、全党は、志位和夫委員長の日本共産党創立97周年記念講演『共闘の4年間と野党連合政権への道』での解明を力に、『日本共産党の躍進こそ、野党連合政権への最大の力』『共闘の力を強め、日本を救うためにも、日本共産党を強く大きく』と決意を固め、党の自力強化への奮闘が広がりつつあります」 「日本共産党の躍進こそ、野党連合政権への最大の力」とは、ずいぶん大きく出たものだが、もちろんそれが証明されたことはない。「党の自力強化への奮闘が広がりつつあります」というのも、共産党では何十回、何百回と繰り返されてきた虚勢を張るときのセリフである。「いま全党は党大会決定を力に、意気高く前進を始めています」とか、「党幹部の訴えに感動した党員が、広範な国民への入党呼びかけ、『しんぶん赤旗』の購読を呼びかける活動に参加し始めています」などという景気づけの文章が発表されるというのが、共産党の常套手段なのである。 この景気づけの文章と共に、「党勢拡大月間」とか「機関紙拡大運動」などが提起されるのだ。この種の文章だけ見ていると、共産党が日々党の勢力を伸ばしているかのような錯覚を受ける程である。 だが実態はと言えば、ほとんど成功したことがないのだ。志位氏自身が1970年代中頃以降は、「○○月間」「○○大運動」が提起しても一度も成功したことがないこと、ほぼ半世紀近く成功していないということを率直に認めている。党員の数は減り続け、機関紙である「しんぶん赤旗」も減り続けてきたのである。 共産党の財政が大きな危機に直面 岩井氏の訴えに戻ろう。 「率直にお伝えしなければならないことがあります。それは、『しんぶん赤旗』は、安倍政権に立ち向かい、日韓問題はじめ国際政治の真実を明らかにし、憲法と暮らしを守るとともに、市民と野党の共闘を発展させ野党連合政権への道を切り開いていくうえでかけがえのない役割を発揮していますが、その日刊紙・日曜版の読者が8月1日の申請で100万を割るという重大な事態に直面し、この後退が『しんぶん赤旗』発行の危機をまねいていることです。そして、『しんぶん赤旗』の事業は党の財政収入の9割をしめるという決定的な役割を担っています。『しんぶん赤旗』の危機は、党財政の困難の増大そのものです」 わずか1年半前の2017年1月に行われた第27回党大会で志位氏は、「しんぶん赤旗」の部数を113万部と報告していたので13万部以上減ったと言うことである。 新聞の発行部数というのは、共産党だけではなく、どこの新聞社も正直には発表していないはずだ。共産党もかつては350万部と言っていたこともある。ちょうど手元に1994年に行われた第20回党大会の報告があるが、そこでは読者数が250万人を超えたと述べている。350万部も250万部も大雑把な数字ではあるが、少なくとも現在の2倍以上、あるいは3倍以上の読者を有していたことは間違いなかろう。 それが100万部を割ったということを正直に明らかにしたというのは、共産党としては画期的なことである。もはやなりふり構っていられないということだろう。 引用が長くなったが、赤旗の購読部数の減少が、日本共産党にとって如何に深刻な問題であるかを再認識した次第だ。この記事を目にしたとき、数年前の小坪しんや氏の記事を思い出した。正義感と使命感を持ち、様々な圧力や強迫にも屈することなく、次第に全国へと共感・共闘の輪を拡げていった、という印象が残っている。 孤軍奮闘から始まったその努力を想像すると、誰もが怖れて避けた巨人ゴリアテに単身で立ち向かい、石投げ器ひとつで倒した少年ダビデのことが思い出される。 以下に、その小坪しんや氏のブログから、関連記事を紹介させていただく。ある意味では、文字通り赤旗がついに白旗を掲げているようなものなのではないだろうか。 【ブログ「行橋市市議会銀 小坪しんや」の記事】 共産党地方議員らが、職務中の地方行政職に対し、赤旗の勧誘が行われていることが政治的問題となっていることはご存じの通り。 立場の強い議員による、公務員への心理的強制の疑念が持たれている。 【政党助成金をもらっていないという美名】のもと、裏ではこのような「脱法行為」をやっているのが共産党だということが明らかになった。 これに対し、自由民主党・党本部が動いた。 自由民主党 織運動本部長名で発され、47都道府県連に対し「必要な対応」をとるよう呼びかけた。私が長年にわたって取り上げてきた赤旗問題について、自民党党本部が動いたのだ。 本問題を、自らが所属する議会で取り上げ続け、 議事録としてのエビデンスを貯めたのち、 併せて(本行動を扱う)記事が出そろったのち、 全国1700自治体に、行政手続きに則って発送しての動きである。 実際の紙ベース(通達そのもの)をここに公開する。 また、すでに当市においては「禁止」となっていることを付記したい。 【共産党と戦う覚悟】自民党が出した党本部通達。対共産党人型決戦兵器(戦闘民族・九州人)小坪しんや【ちょっと気に入った人はシェア】 【産経新聞の記事】 自治体職員への「赤旗」勧誘 自民党が実態把握の通達 自民党が、地方自治体で共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の強引な購読勧誘が行われている事例があるとして、各都道府県連に対し、注意喚起と実態把握を求める通達を出していたことが15日、分かった。 通達は竹下亘組織運動本部長名で先月18日付で出した。通達は、福岡県行橋市で共産党市議らが市職員に対し、庁舎内で赤旗の購読勧誘や集金を行ってきた事例を紹介し、「議員の立場を利用して半ば強制的に地方公務員に購読させているなら看過できない事態だ」と指摘。議員の地位を利用したり、庁舎管理規則に反した強引な勧誘が行われたりしている可能性があるとして、「必要な対応」をとるよう呼びかけている。 共産党の地方議員が自治体職員に赤旗購読を勧誘するケースは、行橋市のほか兵庫県伊丹市、神奈川県川崎市などで表面化。同県鎌倉市では「職務の中立性」を理由に、今年度から庁舎内での政党機関紙などの販売を禁止している。 引用元:ブログ「行橋市市議会銀 小坪しんや」
by hirune-neko
| 2019-09-16 23:58
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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