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昼寝ネコの雑記帳

組織や団体との外延関係・内包関係についての考察

Loreena McKennitt : She moved through the fair
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 政治や宗教を問わず、なんらかの団体や組織に所属している人は、それなりの数が存在するのではないだろうか。

 別に水を差したり、異を唱えるつもりはないのだが、私なりに感じていることを書き残しておきたいと思う。

 どのような団体や組織であれ、理念や理想、あるいは信仰を同じくする仲間と一体であるという、ある種の仲間意識、帰属意識が根底にあることだろう。それは十分に理解できるし、貴重な人間関係であるとも思う。

 しかし、冷静・冷徹に考察するなら、目に見えない脆弱性が存在する、というのが私の考えである。

 いささか古い話だが、学生の頃、論理学に興味を持った。当時は伝統的形式論理学と記号倫理学が並存していたが、私は伝統的形式論理学に関する書籍を購入し、読んだ。今でも鮮明に記憶に残っているのは、言葉の属性である「外延」と「内包」の違いである。例示されていた内容の詳細は忘れたが、分かりやすく説明すると、以下のようになる。

 Aさんが「何か果物を食べたいね」と言ったので、Bさんは同意した。Bさんも果物を食べたいと思ったからだ。この時点の共有概念は「果物」であり、論理学では「外延」と定義する。

 さらに会話が進み、実際に果物を買うことになった。そこで初めて、Aさんが食べたいと思ったのはリンゴであり、Bさんが食べたいと思ったのは、バナナであることが分かった。つまり、同じ果物であっても、その定義を深めたときに、異なる認識を持っていることがはっきりした。この相違のことを、論理学では「内包」と定義する。

 これを、ある団体を例にして考えてみたい。Cさんが、ある政党関係者の方から入党の勧誘を受けた。勧誘者はこう言った。「私たちは、日本の平和と安全を希求し、戦争に巻き込まれない国にしたいと思っています。」
 これを聞いて、Cさんは自分の考えと同じだと思った。そのような国作りをするのなら、是非入党し、一緒に勉強して協力したいと思った。・・・この時点では、まさしく「外延」の共有が行われたことになる。

 多少ではあるが、国家安全について勉強していたCさんは、勧誘者に質問した。 
 「日本を平和で安全な国にするためには、何が一番大切だと思いますか?」
 すると勧誘者はこのように答えた。
 「まずは、他国を侵略し、植民地化するような軍備を放棄することです。軍隊を持たず、平和憲法を維持し、外交面でも国際的に、非武装国として平和への貢献を宣言をすることです。」
 ん?と思ったCさんは、質問を続けた。
 「他国へ侵略し、植民地化しないのは当然だと思いますが、もし日本を敵視し、実効支配しようとする国が、武力行使してきた場合は、軍隊無しでどのように国を守るのでしょうか?」
 ・・・このように、共有していると思われた概念「外延」を、徐々に深く考察したときに、概念「内包」部分に破綻が生じてしまうことは、よくあることである。

 宗教団体の場合は、もう少し複雑だと思う。人間の集まりである以上、教義の解釈の違いや、日常生活への応用の仕方など、完全に画一化できるはずはない。それはそれで意味のあることだと思う。個人的には、宗教団体の教祖が人間で、その教祖に傾倒し、教祖の教えや教義的解釈に、教条的に従うのであれば、疑問に思う。

 私は元々は無神論者である。しかし、創造主である神が実在するとすれば、そしてその創造主が設立した宗教団体であれば、図式としては理想的だと思う。


 最近、改めて実感していることがある。私は、どのような組織や団体に所属し、あるいは関わっていたとしても、人間に対しては絶対的な信頼を置けない。異見があるときは、相手が誰であっても、直截的に自分の考えを主張する。つまり、人間に対しては盲従せず、自分なりの考えを述べて、後は良心に従う・・・。

 いつの間にか気がついたら、このような孤立無援の状況にも安住できるようになっていることを自覚するようになっていた。


 財力や能力、人脈、社会的な地位などをすべて超越し、心の深い領域で信頼し、理念を共有できる人、つまり、多くの「内包」概念を共有できる人こそが、本当の意味での「戦友」であると、そのように確信するようになっているようだ。

 それもこれも、数十年にわたって、それなりの艱難辛苦を味わい、試行錯誤した経験から得た、自分なりの教訓である。


 ・・・どうも、ここ最近は遺言めいたトーンの記事が増えてきたように思う。もしかしたら、そろそろ人生の終焉のときが迫っているのだろうか。装丁デザイナーのしょうちゃんが他界し、共通の友人である女性が、抗癌治療で体調を崩している。二人とも1学年下の同世代である。

 だがしかし・・・神学的に自分勝手な解釈をすれば、昼寝ネコは、旧約時代から現代に送られてきた存在であり、私利私欲に囚われず、純粋に弱き者、小さき者のために粉骨砕身し、さらには強欲で邪悪な勢力と対峙する使命を与えられている・・・のかもしれない。

 そんな風に、長年の妄想が次第に実感を伴ってきている。実に困ったものだ。一度、精神科医としての後期研修中ある三男に、そっと相談してみたい。
 内緒の話だが、強制入院させられ、医者に殺されると錯乱状態になった患者から殴られ、歯を折られて眼はお岩さん状態になったそうだ。もう色も腫れも退いたそうだが、貴重な経験になったと思う。上司の先生からは、そのような患者との物理的な距離の取り方を注意されたそうだ。遅きに失したようだ。

 私とて親なので、子どもたちの成長には期待している。

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by hirune-neko | 2019-07-01 00:58 | 心の中のできごと | Comments(2)
Commented by ちはや at 2019-07-03 22:51 x
昼寝ネコ様

興味深いお話をありがとうございます。

『外延・内包』
何故こう定義するのか、論理学とは難しいものですね。


『私利私欲に囚われず、純粋に弱き者、小さき者のために粉骨砕身し、さらには強欲で邪悪な勢力と対峙する使命を与えられている』

きっとそうだと思います。
私利私欲なく純粋に利他的である人などほとんど有り得ないと思いますし、もしそういう人がいるとしたら神に近い魂を『与えられた』人だと思います。
聖書解釈では、人は生まれながらに罪人ですから、この世に誕生した瞬間から私利私欲の塊だと言えるわけです。
神から、神に近しい魂を与えられたのでなければ、果たし得ないことだと思います。

そう言えば、聖書も家族から始まり家族の経歴を記してきた歴史書でもありましたね。
昼寝ネコ様がの目指しておられることは、神の意図に適うことだと言えるのではないでしょうか?

ちはや




Commented by hirune-neko at 2019-07-04 00:57
ちはやさん

コメントを有難うございます。

聖書の教義をよく勉強されていますね。私は実感として、人間の作った宗教衰退し、逆にもし神が実在するとすれば、そろそろなんらかの不可思議で神聖な現象が、地球全体を覆うのではないかと、興味津々で観察しています。

いつも関心を持ってくださり、お礼申し上げます。
昼寝ネコ
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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