訴状の長い長〜いワンセンテンスに驚いた この日本語を外国語に翻訳しろといわれたら、いわれた人は茫然自失するのではないだろうか。今日、余命三年時事日記で目にした記事は、訴状で裁判所に提出したもののようだ。長い上に見馴れない法律用語が入るため、途中で戻って読み返さないと理解できない部分が、何カ所もあった。そして、ほぼ終わりの部分で超長い文章があった。こんなに長い文章はお目にかかったことがない。そこで、記念に転載しようと思った。さらには、私はどの程度長い文章を書けるか、挑戦してみようという、阿呆な考えも持ってしまった。 以下が、その長い長〜い訴状の一部である。 【余命三年時事日記】 「0052 7億2000万損害賠償請求裁判 」 つまり被告、反訴原告らにおける、例えば神奈川弁護士会の、外国人偏重、本件の場合は朝鮮学校への憲法違反の補助金支給問題は日本人が多数学ぶ専門校や専修学校、各種学校への差別であり、LAZAKの日本人主権への侵害行為は、日本人への権利差別であり、一方の神原弁護士ら自称左翼(甲16号証-11)も、本書で示したような日本人差別、例えば項目12)の本邦における通常人の生活に必須である警察による警備行動の阻害を目論む態様は言うにおよばず、本訴甲6号証における、『私の手元懲戒者リスト』『公安警察等』事案により法に定めのある行為を行った者等の個人情報を公安警察に渡すといった脅迫行為や、本書で示したような一般人への言論封殺や、名誉侵害事案を行っており、このことは一般の日本人に対する自称左翼勢力による差別行為であるし、本訴請求要因である原告津﨑が主催する適法デモが実力行使で中止になった事実は、一部外国籍在留者や、神原弁護士が自称する左翼勢力合同による日本人へのレイシズム(一部外国籍者による日本人への逆差別)であり、ヘイトクライム(上記デモ中止が、実力と言う犯罪行為で中止になった事実や、神原弁護士らのデモ差し止めの虚偽申請)で、日本人に対する差別とヘイトクライムによって損害が生じた結果であるといえる。(以上、547文字) ■引用元 徒然なるままに http://mblg.tv/42411914/entry/12389/ 途中で「。」が無いかどうか確認したが、どうやらちゃんとワンセンテンスのようである。なんと547文字である。原稿用紙1枚半である。肝心の中身について論じるのではなく、面白半分に長さのみを取り上げるのかと、余命ブログ主は気分を害されるかもしれない。いや、中身はちゃんと読んでいる。粘り強さと鋭さには敬服している。 さて、かなり以前にも長文にチャレンジしたような気もするが、頭の体操も兼ねて、私なりに長文作成にチャレンジしてみたい。訴状のような専門的な文章は書けないので、あくまでも日常の雑文である。 バブル崩壊が表面化する1年ほど前に、30人近くいたスタッフを全員解雇してから数十年になるが、再構築の途上とはいえ、家内と次男、それと私、あとは在宅でデータ処理を手伝ってくれているスタッフ数人の小所帯で全ての業務をこなしているので、(まだ115字だ)実際に顔を合わせて仕事をしているのは家族だけという、文字通りの家内工業だということは、時としてお互いに遠慮も気遣いも無く、いいたい放題で仕事をしていることになり、居合わせた他人が耳にしたら、驚愕するような会話が飛び交うことになるのは自然だろうと思うのだが、試しにどのような言葉が飛び交っているか、ご紹介してみたくなったので(まだ276文字だ)、もしかしたら家内と次男からはお叱りを受けることになるかもしれないが、いい機会なので記録も兼ねて読者の皆さんには、特別にご披露させていただきたいという気になり、すぐに思い出した会話があるのだが、それは家内が次男に向かって「ちょっと、この読み合わせを手伝ってくれる?」といったら、次男は即答で「今、作業中だからダメだよ」と断ったところ、家内は「お母さん、あと5分で出ないといけないから、ちょっとだけ時間をちょうだいよ」と、少々キツくなったのだが、次男は相変わらず冷たく拒絶したところ、さしもの家内もキレてしまい「何さ、あんたなんか3歳までお母さんのオッパイを飲んでくせに」と言い放ったものだから、横で黙って二人のやりとりを聞いていた私は、思わず大爆笑してしまった(605字だ、追い越した)という情景は、一生忘れられないと思うものの、私にとってはもっともっと忘れられない、家内との会話があるので、この際だから暴露してしまおうと思うのだが、ちょっとためらいもあることをお断りしつつ再現すると、ある日、家内が「あなたの必要性を最も感じるときはね・・・」と言い出したので、何やら改まって心に秘められた美辞麗句が口から出て来るのかと期待したら、「ちょうど手が届かない背中がかゆくなったとき、後ろを通りかかったとき、それと寝てる最中に足がつったとき」という言葉を聞かされ、唖然とするとともに、やはり爆笑してしまった。 アハハ、868文字である。原稿用紙2枚以上にわたる、ワンセンテンスだった。勿論、途中で何カ所も不自然なつなぎ部分はあるが、このような雑文ならなんとか情景を目に浮かべていただけるのではないだろうか。 これが、裁判所に提出する訴状となると、書く方も読む方も真剣であり、しかも判決の行方によっては、賠償金の金額の問題もさることながら、日本の行く末の根幹に関わる部分への影響がどうなるか、ある意味での分水嶺になると考える。 改めて、余命初代のかず先生の、予言めいた言葉が現実味を帯びつつあるような印象が強まってきているのも事実である。
by hirune-neko
| 2019-06-20 00:35
| 心の中のできごと
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Comments(4)
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山本瑞教
at 2019-06-20 05:43
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本稿も中々意味深、興味深く読ませていただきました。
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hirune-neko at 2019-06-20 13:29
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いちファン
at 2019-06-23 07:18
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犯人がわかりました(笑)。
五十六パパさん、頑張ってください。 https://twitter.com/isorokupapa/status/1142199963956346880 『 専門家が書いたと騒いでいる者がいるが、 残念ながら【オレが書いたんだよなぁ~】 一部、専門家による添削はあったけど5%位かな 皆読んで拡散してください! 特に最後の項目18がポイント! 他のポイントも逐次ツイするよ~ https://yomeireturns.wixsite.com/blog/post/ 0052-7億2000万円損害賠償請求裁判 』
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hirune-neko at 2019-06-23 18:45
いちファンさん
あらあら、犯人が見つかりましたか。 捜査、お疲れ様でした。 そうでしたか。犯人は五十六パパさんでしたか。 それにしても、ご自分であそこまで書けるなんて 大したものですね。 川崎問題は私にとっても人ごとではないので 引き続き注視したいと思っています。 捜査情報を有難うございました。 昼寝ネコ
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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