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昼寝ネコの雑記帳

ちはや作【令和考・終章】時代を超越した鋭い考察〜その4

Japanese Koto 瀬音/Seoto (Sound of the Rapids) Composer/作曲 Michio Miyagi/宮城道雄
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

*全4部作ですので、よろしければ上巻からお読みください。

●【令和考・終章】

[皆様へ 御注意]

 【令和考】シリーズを御訪問くださりありがとうございます。【最終章】を公開させていただきます。

 飽くまでも私個人による考えで書いたものです。不敬発言の数々に不快な思いをされる方があるかもしれません。

 どの様な内容でも構わないとおっしゃる方は、ご自分の責任の下に閲覧ください。 令和元年5月10日 ちはや 拝

  *  *  *  *  *

【令和考・終章】

『その辺りのことは、後ほど纏めてご説明します』

普:菊ーっ、そろそろ説明してくれーっ!俺様、ジレンマだぜーっ!
日:はいはい、では、説明する前に整理しましょうか。師匠が『何かに似ている』と思われたことを挙げていただけますか?
普:おー、 リストにしてみたぜ!

 ギルベルトは得意満面でリストを菊に差し出した。

日:さすが、師匠ですね、素晴らしいリストです!

 リストをざっと眺めて、菊は微笑んだ。


【リスト一覧】

①『簒奪王朝』
② 皇太弟
③ 我が子を天皇にしたい親心:ご優秀説の喧伝
④ 皇位が他に移ると都合が悪い既得権勢力
⑤ 宮子、出産後の心的障害(36年間)
⑥ 安宿媛の『立后』を巡る確執:長屋王の謀殺
⑦ 皇后になる資格のない安宿媛が皇后になった:藤原の血統維持=権力の維持
⑧ 我が子を天皇にしたい女たちのエゴと権力を手放したくない男たちのエゴ:天武朝滅亡
⑨ 皇統を丸ごと削除しても万世一系は変わらない:『嘘の皇統』
⑩ 女は怖い

A 天智天皇の娘たちが天武朝を仕切っていた:三人の皇女
B 天武朝ではなく、天智朝の続きのようだ
C 皇統を乗っ取ったはずなのに、天智天皇の手の平の上だった
D 大伴旅人の留守中に長屋王事件は起きた:皇宮警察・SP

 菊はギルベルトが作成したリストに二つの項目を付け加えた

【追加項目】

・ 4月1日
・ 5月1日

  *  *  *  *  *

日:では、順番に話し合って参りましょうか。
普:話し合うのか?
日:師匠のご意見もお聞きしたいので。
普:おう、任せろ!

 菊はリストの①を指差した。

日:一番に『何かに似ている』リストに『簒奪王朝』を挙げられたのは何故ですか?
普:それは菊が、新元号『令和』の出典である『花の宴』の時代的背景を説明をする前提として、天智天皇と天武天皇の系図に注目させ、天武朝は簒奪王朝であることを証明しようとしたからだぜ。そして、天武朝は約100年で滅び、正統な皇統である天智天皇の皇統に戻ったことに注目させようとしていたからだ。つまり、『令和』時代を語るには、『簒奪王朝』を前提としなければ語れないということだろう?
日:理解が深いですねぇ。

 菊はギルベルトの答えに深く満足した。

普:『令和』の皇室は『簒奪王朝』だということだな?
日:そう思わざるを得ないということです。

 はっきりと『是』とはしない菊をギルベルトは小さく睨んだが、相手が『禁裏』では曖昧に為らざるを得ないのだと理解した。そして、他のリストについても、曖昧な遣り取りになることを念頭に置いておくことにした。

日:次に②ですが…
普:『皇嗣殿下』は皇太弟だろ、皇太子だよな?
日:はい、ですが、天智朝の大海人皇子の『皇太弟』とは意味合いが異なります。
普:勿論、理解している。
日:では、③の『我が子を天皇にしたい親心:ご優秀説の喧伝』とは、天智天皇と大友皇子の件ですね。

『親心としては、我が子を天皇にしたいと思うのは無理からぬことで、大友皇子は母親の身分は低いが、大変優秀で天皇になる資格を十分に兼ね備えていると、唐の博士などを召して喧伝させています』

普:現在進行系で喧伝しているだろ、『愛子天皇待望論』。偏差値72だったか?スポーツ万能とか音楽も得意だとか、お美しいとか、メディアや雑誌を使って必死で喧伝しているじゃねえか。
日:念の為、天智天皇側は令和の皇室側ではありませんよ。
普:勿論、理解しているぜ、簒奪王朝の天武側な。

日:秋篠宮殿下や悠仁親王殿下というれっきとしたお世継ぎがいらっしゃるのに、女性天皇が俎上に上ることさえ許し難いことです。
旧皇族を含めれば、160名以上の皇位継承資格者がいらっしゃるのです。その事実を全く無視して『愛子天皇待望論』を喧伝するなど、『皇統の断絶』を目論んでいるとしか思えません。
普:④の『皇位が他に移ると都合の悪い既得権勢力』が背後にいるんだよな?

『皇位が天智天皇側から大海人皇子側に移ると都合の悪い近江朝廷の重臣たちが、大友皇子を担ぎ上げたことで、大海人皇子との衝突は避けられなくなったのです』

普:皇位を護るために武力衝突も有り得るのか?
日:当時は各氏族が私兵を持っていましたが、さすがに現在はないと思いたいのですけどね…
普:国民が暴動を起こす可能性は?
日:無いとは言えませんが、こればかりは何とも…
普:日本人てぇのは、そこまで愚かになっなのか?
日:……
普:…まあ、日本人が決めることだよな。
偽物でも有り難いならそれはそれでいいんだろ。
で、現在の皇室に巣食う既得権勢力ってぇのは何だ?
日:昭和時代はコミュンテル、共産主義勢力です。
平成時代は公明党・創価学会勢力に主導権を奪われたようですね。
普:欧州でも忌み嫌われているカルト宗教団体だな。
メンバーは特亜在日ばかりだったか?
新天皇の女房一族は創価学会のお仲間だったよな?
鳥居も潜れない女が皇后とは、お笑いだぜ!

 ケセセセセせー!
 ギルベルトは独特の笑い声で高嗤った。

日:…次の⑤『宮子、出産後の心的障害(36年間)』。
普:答えるまでもねえだろう。宮子は36年間だ、新皇后は何年だ?
まあ、後20年くらいは心の病気ですと言ってさぼっても問題なさそうだな?
日:はぁ…、そういうことになりますか…
普:次、⑥『安宿媛の立后を巡る確執:長屋王の謀殺』と、⑦『皇后になる資格のない安宿媛が皇后になった:藤原の血統維持=権力の維持』は一緒でいいな。

『聖武天皇と安宿媛の息子の基王が夭逝し、皇位が聖武天皇のもう一人の妻、県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)の息子である安積親王(あさかしんのう)に移るのを阻む為に、安宿媛を皇后に立てようとしたのです。
しかし、皇后には皇族が就くとの法令があり、臣下の娘である安宿媛は皇后にはなれない決まりでした』

普:皇后になる資格のない安宿媛が皇后になったってぇのは、新天皇の女房のことだと思ったんだが、『立后を巡る確執と長屋王の謀殺』とどう繋がるのかが不明だぜ。
日:上皇陛下の連れ合いのことですね。
普:上皇の連れ合いって、上皇后のことか?
日:今はリストを優先したいので詳しくは語りませんが、長屋王は昭和天皇に比せられるとお考えください。
普:昭和帝は謀殺されたってことか!?
日:師匠…

 菊が咎めるようにギルベルトを睨んだ。

普:あー、次な!
日:⑧『我が子を天皇にしたい女たちのエゴと権力を手放したくない男たちのエゴ:天武朝滅亡』。
普:簒奪王朝である天武朝が、藤原一族による天武系の皇子の謀殺という内輪揉めで滅んだように、現在の簒奪王朝も内輪揉めで滅びる可能性がありそうだな。
日:それは、どういう…?
普:上皇の連れ合い勢力と新天皇の連れ合い勢力の足の引っ張り合い潰し合いだな。それぞれの背後勢力は違うわけだから、利権権力の逆転にいつまで耐えられるか見ものだぜー。
日:その辺りに付け入る隙がありそうですね。
普:それにだ、足の引っ張り合い潰し合いは、特亜の連中の習性だぜ。
それも近視眼的に勝手に工作し合うから、あっちこっちに綻びが見えているだろ。秋篠宮殿下の『プチエンジェル事件・児童買春犯罪疑惑』とか、『精神病薬服用・アルコール中毒疑惑』とかは、新天皇側の疑惑だってバレているんだろ?
日:ええ…
普:だいたい、稚拙なんだよ。ネットで検証付きの疑惑が広がった後に、週刊誌を使って秋篠宮殿下の犯罪にすり替えるような姑息なことをすれば、却ってネットの噂が正しいと言っているようなもんじゃねえか。半世紀も前の手法なんて、ネット時代の今は通用しねぇって、本当に学習しねえ奴らだよな。
日:成功体験がどうしても忘れられないのでしょう。
普:と言うか、工作員のトップ連中が歳食ってんじゃねえか?ネット時代について行けねえというか、ネット時代の意味がわかってねえというか、呆けてんじゃねえか、それもまだら呆けみてえな?
日:こう言っては難ですが、些か迷惑な呆けですね。
普:まあ、敵の迷惑など心配してやる必要はねえけどな。
菊、次な?
日:⑨『皇統を丸ごと削除しても万世一系は変わらない:嘘の皇統』。
普:『令和』の皇統を丸ごと削除しても万世一系は変わらねえんだろ?
尤も、令和の皇統をどこからそう看做すのかはわからねえけどな?
日:天智・天武天皇の関係に倣うなら、『令和』からと考えるのが妥当でしょう。
普:ふーん…?
日:上皇陛下は皇統のお血筋には変わりないのですから。
普:昭和帝の血筋とは言わないんだな。
日:。。。……
普:…仕方ねえな、最後は?
日:⑩は…『女は怖い』?
普:怖えだろ!
日:確かに、昔も今も怖いですねぇ。

 クスクスと菊は笑う。


普:コーヒー入れてくるぜ。
日:おやつは水屋の中ですよ。
普:おう!

  *  *  *  *  *

A 天智天皇の娘たちが天武朝を仕切っていた:三人の皇女
B 天武朝ではなく、天智朝の続きのようだ
C 皇統を乗っ取ったはずなのに、天智天皇の手の平の上だった
D 大伴旅人の留守中に長屋王事件は起きた:皇宮警察・SP


普:A~Dについては、気になったので挙げてみたんだが、どう考えたらいいんだ?
日:A『天智天皇の娘たちが天武朝を仕切っていた:三人の皇女』については、皇女ではありませんが、高松宮喜久子様、秩父宮妃勢津子様、常陸宮華子様、三笠宮百合子様、秋篠宮紀子様が挙げられます。



・秩父宮勢津子[昭和天皇の弟・秩父宮雍仁親王の妃]
旧名は松平節子(まつだいら せつこ)
旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女
母は鍋島直大(侯爵、佐賀藩11代藩主)の娘・信子

・高松宮喜久子[昭和天皇の弟宮・高松宮宣仁親王の妃]
旧名、徳川 喜久子(とくがわ きくこ)
徳川慶久[注釈 1]公爵令嬢。母は有栖川宮威仁親王の第二王女・實枝子女王

・常陸宮華子[昭和天皇の次男・常陸宮正仁親王の妃]
旧名は津軽 華子(つがるはなこ)
実父は尾張徳川家の出身で、弘前藩藩主津軽家の養子となった伯爵・津軽義孝
母は、長州毛利家の支藩長府藩主家出身の子爵・毛利元雄の長女・久子
戦後皇室に嫁いだ妃の中で唯一の旧華族家出身

・三笠宮百合子[昭和天皇の弟宮・三笠宮崇仁親王の妃]
旧名は高木 百合子(たかぎ ゆりこ)
高木家は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武家で、江戸時代は河内国丹南藩1万石の大名であった
母・邦子は入江為守子爵の娘
2019年現在存命の皇族の中では最年長者であり、唯一の大正生まれである。

・秋篠宮紀子[皇嗣たる秋篠宮文仁親王の妃]
旧名は川嶋 紀子(かわしま きこ)
川嶋辰彦・和代夫妻の長女
父方の曽祖父、池上四郎は会津藩士・池上武輔の4男、250石取りの上級藩士

普:全員武家の血筋なんだな。
日:先祖は徳川家と会津藩の出身ですね。明治維新の時、会津藩は徳川家に最後まで武家としての恭順を示し、朝敵として薩摩・長州方と戦った誇り高い武家です。会津武士の誇りは今日も変わらず受け継がれているようです。
普:白虎隊とか娘子隊(じょうしたい)とか聞いたことがあるぜ。
日:会津の気概は妃殿下にも受け継がれていることでしょう。
普:武家の血筋の女たちが、天皇家を仕切っていると言いたいとのか?
日:仕切っていると言うより、護っていると言う方が正しいように思います。秩父宮勢津子様と高松宮喜久子様は鬼籍に入られましたが、昭和天皇の御代を支えて来られました。そのご意志は妃殿下の皆様に受け継がれていることと思います。
普:他にも宮家があったよな、もう一つの三笠宮とか高円宮とか?
日:名を挙げる必要もないでしょう。
普:成る程、要は藤原一派ってことだな。皇室に巣食って美味い汁を吸っている連中な?
日:おや、随分とあからさまですね。
普:菊が言えないことを言ってやっているんだ、感謝しろよ。
日:はいはい、感謝致しますよ。

 ころころと笑う菊を尻目にギルベルトはリストを指差した。

普:Bの『天武朝ではなく、天智朝のようだ』と、Cの『皇統を乗っ取ったはずなのに、天智天皇の手の平の上だった』は同じ括りと考えて良さそうだな?
日:今日に置き換えると、Bは『平成ではなく、昭和の続きのようだ』、Cは『皇統を乗っ取ったはずなのに、昭和天皇の手の平の上だった』となりますね。
普:武家の女たちを使って、昭和帝は何か仕掛けたか?
日:。。。……
普:菊、お前なぁ、肝心なことは黙りなんだな。
日:わからないのから答えられないのですよ。女には女にしかない武器があるとしか…
普:女にしかない武器…?
日:皇族方の写真を見ていて気づいたのです。でも、尋ねても答えてはくださらないでしょう。昭和天皇の御心に、皇后陛下や妃殿下が応えられたのだと…そして、それは、あの世まで持って行くつもりなのだと…
そう思うぐらいしか出来ないのです。
普:女にしかない武器な…、了解した。

 そう応えて、ギルベルトはリストを取り上げた。

普:Dは『大伴旅人の留守中に長屋王事件は起きた:皇宮警察・SP』だな。
日:師匠…、Dは後にしてもらってもよろしいですか?
普:ああ、じゃあ、菊が付け足した日付けの説明をしてくれるか?
日:はい、では…

  *  *  *  *  *

・4月1日 新元号発表
・5月1日 新天皇即位

日:4月1日に新元号が発表され、新しい御代が『令和』になることになりました。しかし、何故、4月1日だったのでしょうか?4月1日と聞くと何を思い浮かべますか?

普:あー、エイプリルフールか?

日:ええ、四月馬鹿ですね。日本でもエイプリルフールという言葉は、それなりに定着していますから、最初に聞いた時に何かしら違和感を感じました。4月1日は日本では年度替りになりますから、新しいことを始めるには区切りが良いという理由だったのかもしれません。そして、5月は正月、お盆に並ぶ大型連休ゴールデンウイークがあります。
日曜祭日を挟んだ数字の並びが良く、今年は10日間の大型連休となりました。4月30日で上皇陛下が退位し、翌日5月1日に新天皇即位というのは、区切りも良く、お祝いムードを高めるにも格好の選択だったのだと思います。
普:だが、お前としては、何か気に食わねえんだろ?
日:4月1日はエイプリルフール、これが頭を離れませんでした。
そして、新天皇が即位される5月1日は、水俣病の啓発記念日でもありました。


『水俣病啓発の日(5月1日 記念日)
1956年(昭和31年)のこの日、熊本県水俣市の保健所に市内の新日本窒素肥料(現:チッソ)水俣工場付属病院より原因不明の奇病が報告され、これがきっかけとなり水俣病が広く知られるようになった。
公害の水俣病を忘れない日にと2006年(平成18年)に記念日を制定。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。


■水俣病について
水俣病は、熊本県の水俣湾周辺で発生したメチル水銀中毒による慢性の神経系疾患である。熊本県水俣市にあった新日本窒素肥料水俣工場は、アセトアルデヒドの製造過程で出る工業排水を水俣湾に排出していたが、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、汚染されていることを知らずに摂取した住民の一部にメチル水銀中毒症が見られた。
当初は原因が分からず「奇病」と呼ばれていたが、地名から「水俣病」と呼ばれるようになった。日本の高度経済成長期に発生し、「公害の原点」ともいわれる。水俣病、第二水俣病(新潟水俣病)、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つは、「四大公害病」と呼ばれる。
水俣病の症状としては、四肢末梢神経の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、手足の震えなどがある。患者には、特異な神経症状を呈して意識不明や死亡する重症例から、頭痛や疲労感、耳鳴りなどの軽症例まで多様な形態が見られた。水俣病と認定された患者の数は約2,300人で、そのうち約1,800人が死亡した』


日:実は、雅子妃の母方の実家を江頭というのですが、この水俣病を引き起こした『新日本窒素肥料(現チッソ)』の社長・会長を務めていました。水俣病が発生した後の就任であった為、責任はないという意見もありますが、江頭豊の責任についてはこちらの資料を見てください。


【江頭豊の責任】

1.水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
水俣病の原因がアセトアルデヒドの製造工程から出る有機水銀である事は、チッソ社内では周知の事実であったし、熊本大学により、それが証明されても、設備を稼働し続けた。

水俣病だけだと良く解らないが、新潟水俣病の年表を加えてみると、非常に良く理解できるのだが、江頭豊が社長に就任した翌月、1965・01・10、新潟水俣病の発生企業、昭和電工がアセトアルデヒドの生産を停止、製造工程図は消却、プラントは撤去してしまった。

これは昭和電工が「水俣病の発生原因はアセトアルデヒドのプラントから出る有機水銀である」と認識していた事を示している。しかし、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造設備の運転を停止したのは1968・05・18であり、新潟の水俣病患者が昭和電工を新潟地方裁判所に告訴し、「公害対策基本法」が成立した翌年であり、昭和電工がプラントを撤去、製造工程図を消却してから3年半後だった。

2.患者や家族に謝罪したが補償に応じようとはしなかった。

水俣病が公害病の認定を受け、江頭社長は1968・09・27から患者家族に詫びて回るが、具体的な補償案を出さないため、厚生省が調停にのりだした(1969・02)のである。

しかし、厚生省は患者側に「この補償処理委員会の結論には一切異議なく従う」との確約書提出を求め、患者側は一任派と自主交渉派に分裂した。困窮のどん底に置かれている患者と家族には、卑劣極まりない態度と言われてもやむを得ないだろう。

石牟礼道子『苦界浄土』あとがき:チッソ側はゼロ回答をもってこれにうそぶいている。第三者機関あっせんに、再び互助会が依頼した寺本熊本県知事に、江頭社長は「チッソとしては34年暮れの見舞金契約は有効、補償交渉はチッソの好意で行われており・・・「公正な審判に服する」というならとにかく、恐るべき厚顔無恥、わたくしたちにこの上まだ《ことば》がありうるであろうか、とわたくしは思い沈む。 www.google.co.jp (キャッシュ) 投稿-32

3.謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。

チッソ水俣支社・東平総務部長がスウェーデンのジャーナリストに答えている「端的にいうなら彼らは海に浮かんだ死んだ魚を食べたんですよ。しかし、そんなことを裁判にもちだすのは難しいです。一般の人に相手側について悪い印象を抱かせることになります。まるで動物ででもあるかのようにね。

58年以後の病気の原因が、死んだ魚を食ったためなのか、水銀のためか解らんのですよ。58年以後に発病した人に限って言えば、それで補償金を貰えるなんて、有り難く思って貰いたいものです」(原田正純 『水俣病』p218、1971・07の話、詳しくは水俣病事件 )、自らの責任をごまかし、患者や家族に対するこの侮辱、何たる傲慢であろうか。

4.患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。 (会長時代)

千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら取材陣をチッソは暴力集団に襲わせた(1972・01・07)、ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに告訴せず、時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡した・・・スミスの志とそれを暴力で封じようとした人達の心根、対照的である。

[Taurosのインターネット案内-18]様のブログ
www.geocities.co.jp


普:犯罪のオンパレードじゃねえか!こんな奴の孫が、よく皇太子の女房になれたもんだな!?
日:一度婚姻話が持ち上がったことがあったのですが、昭和天皇はお許しにはなりませんでした。皇太子殿下と結婚されたのは、昭和天皇が崩御された後のことです。
普:リスト⑥の『安宿媛の『立后』を巡る確執:長屋王の謀殺』のところで、お前が『長屋王は昭和天皇に比せられるとお考えください』と言ったのは、この件に関係しているんだな?
そう言えば、菊は言ったよな?
                                                 
【令和考・上巻】
『日:これにより、大海人皇子に可能性を見い出だした鎌足は、若き中大兄皇子を唆して乙巳の変を引き起こしたように、大海人皇子に皇位簒奪を唆していたのではないかと考えています。首尾よく皇位簒奪が叶えば、蘇我一族のように後宮を支配し権力や財産を欲しいままにできる。
決して夢ではない、手の届くところに望むものがあるとしたら、後はその時を早めるだけ…
普:暗殺か?
日:時が定まり、668(天智7)年1月に天智天皇は即位されましたが、671(天智10)年12月3日に崩御されています。享年46歳。661年に母帝が崩御されて称制のまま政務を執られた期間は7年、即位してからは3年でした。胃癌で亡くなったとの見立てがありますが、密かに砒素を盛られていたと考えられなくもありません。何故なら、寿命が短かった時代ですよ。鎌足が希望を託した大海人皇子は天智帝より歳上です。
普:時間がなかった?
日:鎌足の時間もです』
普:犯罪者江頭豊の孫の結婚の邪魔をする昭和天皇を謀殺した、そう言うことか?
日:それもあるのかもしれません。しかし、大海人皇子勢力に比する者たちも視野に置く必要があるでしょう。
普:大海人皇子…?えっ、皇太子か!?
日:皇太子殿下の取り巻き…、⑩『女は怖い』ですよ。
普:ほう…

⑥ 安宿媛の『立后』を巡る確執:長屋王の謀殺
⑦ 皇后になる資格のない安宿媛が皇后になった:藤原の血統維持=権力の維持

普:新天皇の女房ではなく、上皇の女房とその一派が黒幕か。
日:当時、昭和天皇が長生きされたので、国民の間では、次の天皇の御代は大正時代15年間のように短いのではないかというのが一つのコンセンサスになっていました。皇太子殿下が60歳にもなろうというのに、皇位は巡って来そうにない。焦りがあったのかもしれません。
普:時間がなかったか。
日:女にとってもです。
普:女?
日:こう言っては難ですが、出産できる年齢です。
普:成る程、新天皇の女房、江頭の孫の結婚を急ぐ必要があったわけだ。
日:後宮に娘を送り込み、その子供が天皇に即位することで、天皇の外戚として権力を握り宮廷を欲しいままにする。蘇我一族や藤原一族が行なってきたことです。
普:そして、藤原一族が好き勝手してきた天武朝は、何が何でも権力にしがみつきたい藤原一族とその一派の野望によって、邪魔な長屋王一家を滅ぼし、『皇后になる資格のない女が皇后になった』。しかし、飽くなき権勢欲は、自滅の道をひた走ったってことだな。最後に残った藤原氏の皇女を二度に渡って天皇に即位させてまで権力に執着した。みっともないほど無様だな。『愛子天皇待望論』なんて、そのまんま藤原一族だぜ。
日:結果は見えているということですね。
普:で、上皇の女房一派てえのはどんな連中なんだ。
日:顔の特徴、ファッションや振る舞い、火病…まあ、そういうことです。
普:ああ、日本に寄生する半島の連中な。勿論、大陸も絡んでいるんだろうな。
日:大陸とは別勢力のGHQコミュンテルンの残党も、まだしがみついているようですよ?
普:成る程、カオスだな。
日:カオスですね。でも、だからこそ、付け入る隙もあるのですけどね。
普:つまり、菊は、4月1日と5月1日に、意図的瑕疵があると言いたいんだな?
日:さあ、本当のところはわかりません。日付けとして区切りが良かっただけ、ゴールデンウイークに絡めたかっただけ、の単純な理由なのかもしれません。
普:4月1日はエイプリルフール、堂々と嘘を吐いても咎められない日…?
日:。。。……
普:そうか、対外的なメッセージだったんだな!?新天皇のカウンターパートになる王国への!?『令和』の天皇は『嘘』『偽者』だ!そう伝えたんだな!?
日:新元号が何になるか、日本国内はその話で持ち切りでした。皇統を破壊したい連中やシンパのメディアが良くも悪くも煽り立てた。外国メディアも気にせざるを得なくなる。日本政府が取り立てて宣伝しなくても、安倍政権を引き摺り下ろしたい反日勢力は、勝手に世界に宣伝してくれたのです。そして、焦らしに焦らした曰(いわ)くの4月1日、欧米ではエイプリルフールのその日に、新元号『令和』は発表されました。
普:もしも、菊の見立てが正しいなら、安倍総理は凄い策士だぜ!
日:日本は『言霊』の国です。

【言葉の響きにこそ意味がある】

普:『令』は『零』。ゼロにする、元に戻す、そういうことだな?
日:はい、『簒奪王朝』を終わらせ、正しい皇統に戻す。それが『令』の隠された意味だと思います。
普:『和』は?
日:日本の初めての憲法をご存じですか?
普:確か、聖徳太子の『十七条憲法』だったか?
日:はい、実は、『十七条憲法』は廃止されていないのです。西暦604年に制定されてから2019年の今日まで、『十七条憲法』は日本人の憲法で有り続けているのです。


【十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)とは、推古天皇12年(ユリウス暦(西暦)604年)に聖徳太子(厩戸皇子)が作ったとされる、17条からなる法文】


【一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる(略)】


日:『和を以て貴しと為し』604年からこの方、皇統と共に絶えることなく受け継がれて来た『和の精神に立ち返ろう』そう国民に呼び掛けているのだと思います。
普:『令』は外国の王国への呼び掛け、『和』は日本の国民への呼び掛け。凄いな…、本当に凄い宰相だな。プロイセンのビスマルクを彷彿とさせるような本物の宰相だぜ。
日:そして、もう一つの『令=零』。

【皇統=日本国】

日:簒奪王朝を『零』にし、皇統を取り戻すことは日本国を取り戻すことと同義です。新元号『令和』以ってして、安倍総理は宰相としての覚悟を示したのです。そして、日本国民にも覚悟を促したのだと思います。
普:『戦後レジームからの脱却』その精神は失われていなかったんだな。
日:本物の大和男子(やまとおのこ)です。
普:ああー、感動しちまったぜー!
日:フフ、私もですよ。
普:残るは5月1日だな。こっちはどういう隠れた意図があるんだ。
日:ああ、そっちは、『呪』を掛けたのかな、と思っただけなんですけどね。
普:ジュ?
日:『呪』、御呪いのことです。
普:おまじない?
日:言霊の一種と言っていいのかは疑問ですが、『言葉による因果を込めた』とうことですね。
普:あー、つまり?
日:5月1日は『水俣病啓発の日』なのです。
普:あっ、そういうことか!
日:そして、『令』は『霊』でもあるのですよ。
普:『霊』…
日:水俣病で苦しみながら理不尽に死んで行った人々の『霊』。その『霊』が、5月1日に即位した新天皇と皇后の御代の、『因果』となるよう『呪』を掛けたのではないか…そう、私には思えたのです。
普:。。。……
日:飽くまでも、私個人の考えですから、そう深刻に捉えないでいただけますか。
普:いや…、いやいや、そうだとしたら…お前ん家の宰相、恐ろし過ぎるぜ!
日:飽くまでも私の考えです、そこをお間違えなく。
普:何か肝が冷えちまったぜ。
日:私も似たような思いでしたよ。でも、為(し)て遣ったり、の気持ちの方が大きかったですけどね。
普:それだけ怨(うら)みが深いってことだよな…?
日:真実を知れば…
普:なあ…?
日:はい?
普:上皇の女房と取り巻き黒幕一派が好き勝手していた平成時代は、『簒奪王朝』の天武朝に比していいんじゃねえか?
日:ええ、そう考える方が正しいのかもしれませんね?
普:天武朝は97年で滅びた。『簒奪王朝』平成・令和時代はもっと早く滅びそうだな。
日:万万が一、愛子内親王が即位したとしても、その先はありません。
普:無いのか?
日:あってはならないのですよ。
普:あってはならない?
日:はい、あってはならないのです。

 菊は厳しく張り詰めた面差しでギルベルトを見つめ返すと桜色の唇に薄く微笑を刷いた

それが
我が皇統が
二千年以上の永きに亙って続いてきた理由だからです

令和元年(2019)5月10日 14時00分 投稿  ちはや記

【主な参考文献】

■水俣病-江頭豊のしたこと: 雅子妃の祖父 | 護国夢想日記
ameblo.jp

■十七条憲法 - Wikisource
ja.m.wikisource.org

*最後までお読みくださり、有難うございました。
 大変お疲れ様でした。世の中は、決して平板ではなく
 複雑な要素が錯綜しているのでしょうね。
 しっかり目を見開いて行きたいと思います。
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。
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by hirune-neko | 2019-05-11 02:43 | 創作への道 | Comments(4)
Commented by ちはや at 2019-05-11 05:25 x
昼寝ネコ様

お早うございます。
ただただ驚いています。
まさか、全文をご紹介いただけるとは。
大変なお手数をお掛けしたことと思います。
ただただ感謝申し上げるばかりです。

昼寝ネコ様
本当にありがとうございました。
これからも精進して参ります。

ちはや拝
.
Commented by hirune-neko at 2019-05-11 11:50
ちはやさん

コメントをありがとうございました。

これだけの内容と文字量の作品を書かれるのは、並大抵のことではなかったと思います。普段からの問題意識や情報収集に加え、集中力と根気、創作力が要る作業だと思います。大変お疲れ様でした。これまでの日本は、他国と比較すると平和な状態で推移してきたと思います。しかしここまで世界がグローバル化すると、日本流の思考形態だけでは通用しない時代になってきていると思います。その意味で、視野を広く持ち中長期的な視点で物事を考える人たちが、増えてほしいと思います。どうもお疲れ様でした。ゆっくりお休みください。昼寝ネコ
Commented by 山本瑞教 at 2019-05-13 16:03 x
一気に読ませていただきました。江頭一族のことなど知ってはおりましたが、ここまで「歴史は繰り返す」「親の因果は子に廻る」因果応報を紡いでくださったことに感謝いたします。
Commented by hirune-neko at 2019-05-13 23:00
山本瑞教さん

コメントを有難うございました、膨大な文字量にもかかわらず、お読みくださりお礼申し上げます。このような視点で時代の流れを見ていらっしゃる方が存在して、私もびっくりしています。やはり世の中は多面的ですね。 昼寝ネコ
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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