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昼寝ネコの雑記帳

朝から電車を乗り継いで告別式へ行ってきた

Shirley Horn - Here's To Life (Verve Records 1992)
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 相鉄線に初めて乗った。告別式は教会で行われ、着いたときにはすでに1階の礼拝堂が満席で、2階の小部屋に案内された。スクリーンに投射された画像を見ながら、告別式の進行を見守った。

 亡くなったのは81歳の女性で、ご主人は癌が転移し、首の骨が溶けてコルセットで固定している。そのご主人が、挨拶をした。初めて耳にする内容が多かった。

 彼女は18歳の時に、心臓弁膜症で手術し、医師からは20歳までしか生きられないと宣告されたそうだ。結婚したものの、出産は命取りだと厳禁されたそうだが、生涯で3人の子どもと5人の孫を持つことになった、と説明した。そんな状態の女性が、81歳まで生きたのだから、人生は分からないものだ。

 なんでもご主人の介護をしながらの家事の最中に、ドスンという音がし、駆けつけたときには、すでに呼吸が止まっていたそうだ。おそらく急性心不全だったのだろうと想像した。

 告別式が終わり、帰宅したときは歩行数が6千歩を超えていた。暑い日だったので、かなり消耗してしまった。

 やはり、人の人生の最期を見届けたり、人生の終焉で静かに諦観する人に対面すると、改めて人間の生涯について考えさせられる。

 20代の後半から、渡米する機会が増え、いろいろなアメリカ人と身近に接する機会を得た。最も刺激的だったのは、自分の意見を持ち、自己主張するのが当然という精神土壌に対峙したことだった。空気を読みながら、自分の意見を述べるという、日本的な土壌からは徐々に抜け出し、今では相手が誰であろうと、臆せずに自説を述べる体質になっているのを実感している。

 そんなに長期間ではなかったが、その後、英国、フランス、ドイツでも仕事をする機会があり、各国の人達の国民性を実際に対比するいい機会だったと思う。

 たとえ相手が異なる考えであっても、それを尊重しつつ、自分の信念や理念を明確にを伝えることは、とくに多国籍の集団の中にあっては重要だと考えている。

 詳細は明かせないが、ボランティアで手伝っている福祉団体のトップが韓国人で、ソウルでプログラムを計画し、日本からも若い人達を大勢参加させようとしている。当然のことながら、私は様々なリスク情報を提供している。健康被害の懸念、日本人対象の犯罪、クーデターや内乱の際の救出が困難であることなどだ。当然のことながら、私は煙たがられ、嫌われ、排除の対象となるのは目に見えている。

 しかし、リスクを指摘されて論理的に実務的な検証をせず、感情的に反感を持ち、忌避するような管理者ならば、こちらから関わりを辞退したいというのが、正直な気持ちだ。

 人間としては、日本で生まれ日本で育っている。しかし、自分の精神・心理構造を客観的に考えてみると、どうやらやはり、古代イスラエルに生まれ、旧約時代を経て、いろいろな国で過ごしたような気になってしまう。おそらくは読んだ本や観た映画が疑似体験となり、深層心理に沈殿しているのではないだろうか。

 自分の葬儀には、生前に書き置いたメッセージを、参列してくださった皆さんに伝えてもらうようにしようと思った。そして、自分自身を送る音楽を選び、式場に流してもらうかとも考えた。しかし、一番いいのはおそらく、棺から起き上がり、自らの言葉で皆さんに最期のご挨拶をし、そしてまた棺に戻る・・・それが最も理想的な気がする。

 肉体は朽ち果てても、精神・霊魂は不滅で永続するのではないだろうか。

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by hirune-neko | 2019-04-26 00:03 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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