案件過多の生活にも、少しずつ耐性ができてきたようだ。 一日の課題である連続5000歩のウォーキングは、夜遅い時間帯の時は用水路沿いにずっと歩き、第三京浜の少し手前で折り返していた。最近は、歩く時間帯も徐々に早くしているので、自宅からスーパーのOK、駅前のマルイ、イトーヨーカドー、そして自宅というコースに変わってきている。 どうしても脳内エネルギーの消耗が激しいので、甘い物が欲しくなってしまう。今日、スーパーのOKでキャンデーを物色していたら、糖質コントロール・カロリーゼロ、と表示されたキャンデーを見つけた。購入して、早速口の中に入れている。 昨日、長男から連絡があり、会社の人事異動があったそうだ。具体的な詳細は書けないが、著名な大企業に勤めており、このたび最年少の副部長になったそうだ。いつの間にかすっかり成長し、改めて子どもたち全員の成長ぶりを目の当たりにしている。 とくに次男は、生まれてすぐに入院し、病室で見守る私の目の前で、何度も呼吸停止し、いうなれば何度も死んだような状態になった。肺炎も併発してしまい、一度は諦めたのだが、奇跡的に助かった。小さかった頃の無邪気な笑顔を、今でも憶えているが、すっかり絵本の製作技術をマスターし、頑固な気質の職人に成長している。 子どもたち4人は、それぞれ異なる分野を開拓しているが、全員前向きな姿勢で取り組んでいる。親としては嬉しいものである。それぞれ道は違っても、明らかに私のDNAを受け継いでいると実感している。 能力を超えた案件を抱えているため、管理手法や生活スタイルをあれこれ工夫している。全体に時間を前倒しにしているのと、単純作業の最中や歩いたり外出の時は、イヤフォンで読書課題を音声ファイルで聴くようにしている。ますます、時間に隙間が無くなっているが、仕事が一定の環境に到達したら、創作の時間を確保したいと思っている。その日が楽しみである。 相変わらず、残された寿命というものが視野に入っていない。早世の家系に生まれたため、長生きできないという強迫観念で生きてきたが、92歳になった母を見送り、今は毎日96歳の義母に接している。すると不思議なことに、90歳まで生きながらえることが、そんなに特別なことではないように思えてくる。改めて、アンドリュー・マーシャルの伝記を読んでみたい、という気になってきた。 【アンドリュー・マーシャル】 アンドリュー・マーシャル(Andrew W. Marshall、1921年9月13日 - )は、アメリカ合衆国の国防官僚。国防総省総合評価局局長(初代)。 アメリカ合衆国の国防総省にて総合評価局の局長を務め、ネットアセスメントの第一人者として知られている。局長としての在任期間は、1973年に始まり、2015年1月に退任するまで40年をこえ、90代になっても現役の国防官僚であった。ニクソン政権からオバマ政権に至るまで、党派を超えて歴代政権に仕えてきた。長年に渡って要職を務めるが、表舞台にはほとんど立たないことから、「伝説の軍略家」[3]、「伝説の戦略家」、「伝説の老軍師」[4]とも呼ばれている。また、スター・ウォーズシリーズの登場人物になぞらえて「国防総省のヨーダ」とも通称される。
by hirune-neko
| 2019-02-24 00:47
| 心の中のできごと
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Comments(2)
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causal
at 2019-02-26 13:26
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こんにちは。
「大草原の小さな家」作者の名前、米文学賞から外され 人種差別で https://www.bbc.com/japanese/44610932 テレビドラマの映像を見る限り、この著者が黒人・インディアンを差別をしたとは思えませんが。 (小説を読んだ訳ではありませんが。) 私は年齢からか「残された寿命」というものを感じざるを得ません。 「大草原の小さな家」シーズン9、第19話 The Last Summer 「最後の夏」 そこに出てくるのは、 病で死期を悟った主人公(Vera Miles as Ruthy Leland)が、少年に送った手紙。 少年と出会い、そして最後の夏を過ごした思い出を綴り、文末にはこうあった。 「毎日を最後の日と思えば、毎日が宝物になる。 (二人で過ごした)この夏の日々の様に。 貴方と過ごした夏を、私は決して忘れない。」 ルーシーはその年の秋に亡くなった。 私は毎日を「最後の日」と思って生きることと致しましょう。
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hirune-neko at 2019-02-26 17:56
causalさん
コメントを有難うございました。 文学賞の名称変更の記事を読みました。今日を最後の日と考えると、実務的には引き継ぎや申し送りなど、目が回りそうですが、実務的なことを除けば、比較的穏やかな心境のようです。でも、いざとなったらどうなるか分かりません。 最後まで自分のためだけに生きようとするか、人のために生きようとするかで、違うような気もします。 是非、生き続けて、足跡を残してください。私も、穏やかな心境で過ごせるようになりたいと思います。 昼寝ネコ
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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