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昼寝ネコの雑記帳

1月18日・2月18日・3月18日・・・?

María de Buenos Aires - (06) Poema Valseado
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 単に日付けを並べてみただけだが、1月18日は、92歳で亡くなった母の誕生日。2月18日は、同居中の義母の誕生日で、一昨日、なんと96歳になってしまった。そして3月18日は、私の誕生日である。偶然にも、1月から3月まで同じ日が並んでしまった。

 義母は数年前に家で転んで骨折し、寝たきりになってしまったが、手術を受けて快復し、自力歩行ができるようになっている。要介護の等級の認定を毎年受けているのだが、今年は昨年に引き続いて等級が軽い方に改善している。このままだと、もしかして100歳まで生きるかもしれない、という感じだ。さすがに耳は遠くなっているが、受け答えはしっかりしており、思考力も十分だ。体はきゃしゃで食も細かったのだが、よくここまで生きられたものだと驚いている。

 今日はあれこれ立て込んでしまい、午前も昼下がりも夕方も時間が無く、とうとう夜のブログになってしまった。目の前に、いくつもの課題がぶら下がっており、焦らないよう、気落ちしないよう自分をコントロールしている。

 知人がある宗教団体に所属した。とても熱心に聖書を研究しているらしく、メールの返信には新約聖書からいくつもの聖句が並べられていた。よくは知らないが、独自の訳の聖書があるらしい。私はせいぜい、口語訳、欽定訳、共同訳程度の名前しか知らない。

 最近見聞きしたのだが・・・記憶を頼りに書くので不正確かも知れないが・・・新約聖書でイエスが、初めて奇跡を起こすシーンがある。婚礼の席で葡萄酒が無くなったと言ってきた母マリアのために、水瓶の水を良質な葡萄酒に変えた、というシーンだ。

 その時、ある聖書ではイエスはマリアに「女よ」と言った、と訳されている。別の聖書では「婦人よ」と訳されているそうだ。当時の風習では、女と婦人とではまったく意味合いが違ったそうだ。

 アダムとイブのシーンでも、「男から作られたので、女と呼ばれた」という表現がある。おそらく日本語では、合理的な意味合いを感じることができないと思う。知人がネットで調べた結果を公開しているので、以下に転記させていただく。

(以下、抜粋引用開始)
 「私の骨と私の肉から造られた、まさに私の一部です。そうだ、『男』から造ったのだから、『女』と呼ぶことにします。」(創世記 2:23 JCB)

●男はヘブル語で「イーシュ」(אישׁ)。女はヘブル語で「イッシャー」(שּׁה ָא )です。男と⼥を表わすヘブル語の中で、相⼿にあって⾃分にはない⽂字といえば、⼥の場合は「ヨッド」(י)で、男の場合は「へー」(ה)という⽂字です。男と⼥が⼀体となることで⼆つの⽂字が合わさって「ヤー」(יהּ)という⽂字がそこに存在するようになります。「ヤー」とは神聖四⽂字(יהוה)の略した形で、「主」という神の固有名詞です。
●しかし、その「ヤー」(יהּ)が抜け落ちると、そこには「エーシュ」(אשׁ)しか残りません。「エーシュ」(אשׁ)は「⽕」を意味することばになります。ということは、「ヤー」である主が「男」と「⼥」との間に存在しなければ、その関係はお互いを焼き尽くす⽕ともなりうることを物語っています。「⽕」は聖書においては、しばしば神のさばきと関連しています。
●これがヘブル語の「男」と「⼥」の霊的関係の意味です。⾃分にはないけれども、お互いに相⼿にあるものを⼤切に受け⼊れるとき、そこに主がおられ、主の祝福を受けた三位⼀体的関係にある結婚の幸いを与えられるということです。
(以上、抜粋引用終了)

 お読みになって、どう思われただろうか。最初の知人は、新約聖書からのいくつかの聖句を引用し、必死に自分の宗派の正しさを主張している。それはそれで結構なのだが、元々はヘブル語(ヘブライ語)だった文章を、いろいろな人たちが研究して翻訳した結果、微妙に表現の違う聖書が何種類もできてしまった。

 私個人としては、日本語の表現だけを根拠に、いろいろ断定してしまうことに不安を感じる。つまり、仔細に調べた内容を根拠に、絶対的な確信を構築してしまうという「学術的のみに偏った姿勢」に、少々危うさを感じている。

 決して宗教を否定するものではなく、逆に、神学的視点をも素者に入れなければ、世界情勢を俯瞰する上で見落としが発生するだろうと思っている。

 記号論理学は勉強していないが、伝統的形式論理学には、内包と外延という概念がある。半世紀ほど前に読んだきりなので、明確には憶えていないが、例えば誰かが「お昼はどんぶり物を食べようか」と言ったら、他の二人も同意した、という状況を想定してみたい。

 三人とも、どんぶり物を食べようという考えで同意した。それはお互いに共有した「内包」という認識だった。しかし実際に食堂に行ったとき、Aが注文したのはカツ丼だった。もう一人は天丼で、最後の一人はうな丼だった。このように、さらに一歩突き進めたときに、共通認識から異なる認識に枝分かれする。これを外延と呼ぶ・・・のだそうだ。

 ここまで言ってしまうと、議論というのはかなり脆弱な基盤に立脚していると思わざるを得ず、本当の意味での理解とか共有というのは、言葉や論理を超越した要素を必要とすると考えざるを得ない。その要素とは何か・・・。

 私なりの考えを述べると、かなりの文字数になってしまうので、結論だけにさせていただく。

 言葉、知識、論理性などは、より正確な理解のためには不可欠な要素だと思う。しかし、本当の意味での深い理解のためには、単に無機的な知識の量が絶対なのではなく、感覚や感性、さらには人格や慈愛などという、一見すると理論的な理解とは無縁に思える要素が不可欠だ、というのが私の個人的考えである。

 知人が懸命に聖書を読み、調べ、真理を探求しようとする努力には、敬意を表したいと思う。しかし、残念なことに、いくら聖書や他宗教の聖典・聖文をことごとく暗記するほど憶えたとしても、それだけで真理に到達することはできない、と考えている。

 急激に緊張度が高まっている東アジア情勢だが、政治学、経済学、地政学、軍事学、さらには化学、物理学などの専門家を総動員しても、その中枢に精神領域を欠いた状態では、いずれ衰退あるいは破綻すると思う。


 中国政府が巨大な天体望遠鏡を建造したと聞いた。直径だかが500メートルだそうだ。そして宇宙に存在するかもしれない、知的生物体かららしき信号をキャッチしたという。それに対し、ホーキング博士が、中国政府に対し直ちに中止するよう強く進言したらしい。つまり、得体の知れない宇宙の知的生物体を呼び寄せてしまうことになりかねず、危険だ、という論旨らしい。

 強大な国家は現在、宇宙空間を支配し、結果的に地球を支配しようとしているようだ。いわゆる宇宙の覇権争いである。あくまでも個人的な想像だが、もしかしたら、中国共産党政府は、宇宙の知的生物体との遭遇を目指し、彼等と手を組むことによって、NWO〜New World Order(新世界秩序)からさらに飛躍し、NCO〜New Cosmic Order(新宇宙秩序)の覇者たらんとしているのではないだろうか。

 大胆な預言をさせていただく。共産主義は宗教を否定しているので、神学的視点というものを持ち合わせていない。とにかく、無限に領土・覇権を拡張することに取り憑かれている。巨大な天体望遠鏡によって、知的生命体とのコンタクトに成功し、宇宙使節団を北京に迎え入れるようになるかもしれない。

 しかし、共産党政府の指導者が対面する相手は、決して暴虐や恐怖で地球や宇宙を支配するという持ちかけには応じない。宇宙使節団とは誰あろう、地球創造主の使命を帯びた天の軍勢であり、多くの無実の人間の命を奪い、血を流し、悪逆非道の圧政で国を支配してきた指導者たちに報いを与える目的で、地球を、いや北京を訪れる準備をしていたのである。

 ・・・決してSF映画にも、スパイ映画にもなりえない結末で、呆れられ嘲笑される内容であることは、重々承知している。

 しかし、それほどまでに地は悪に満ち溢れ、神学的な視点からは、地球の終焉の機が熟したのである。宇宙支配の野望は、墓穴を掘る結果に終わる、というのが私の真面目な預言である。

 ・・・どうも、早い時間からブログを書き始めると、まだまだ時間的な余裕があると思い込んでしまい、ブログ記事にしては、どんどん大作になってしまいそうなので、自重することにする。

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by hirune-neko | 2019-02-20 23:12 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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