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昼寝ネコの雑記帳

珍しく、横浜関内までコンサートに出かけた

 
私の人生 - 大庭照子
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 私には麻雀仲間とか、将棋やカラオケ仲間などは存在せず、ひたすら孤高(笑)の私生活だが、家内はコーラス仲間とか、娘のバレエ時代のお母さん仲間とか、とにかく交遊範囲が広い

 以前から、コーラス仲間の皆さんに誘われて、童謡とシャンソンを歌われる、大庭照子さんのステージを聴きに行ったことは、何度も聞いていた。石井好子さんの跡を受けてパリ祭を主催していたとか、いろいろご苦労されたような話を漏れ聞いていた。なんでも、平成元年10月10日に阿蘇で童謡ピクニックを開催し、阿蘇発の童謡運動を始めたそうだが、再構築・再挑戦のため、70歳になってから童謡普及の事務所を立ち上げたとか、とにかくバイタリティ溢れる方だと思っていた。

 たまたま、関内でシャンソンを歌うステージがあると言われた。いつも自閉気味で引きこもりのような毎日なので、たまには生のシャンソンを聴くのもいいなと思い、行く気になった。ところが、申し込んでから、シャンソンではなく童謡のステージだということが分かった。もうすでに申し込んだ後だったので、キャンセルするのも申し訳ないと思った。それにしても、長時間に渡って童謡を聴かされるのかと考えただけで、私の心は動揺した。(笑)

 でもまあ、たまには童心に返り、心のどこかに残っているかもしれない、無邪気さを探してみようと思った。

 関内駅から歩いて会場に向かった。途中で道に迷い、トヨタレンタのカウンターで調べてもらった。どうやらテレビ神奈川のビルの中らしい。

 なんとか探し当てたが、テレビ神奈川と並んで、神奈川新聞の名前があった。おお、かの有名な神奈川新聞か、という不思議な出会いだった。

 ステージは1時間半程度だっただろうか。童謡のソロだけかと思ったら、教え子の小さな子どもたちがステージに立ち、数曲披露した。ヴァイオリン演奏の飛び入りもあった。元NHKラジオ深夜便のナレーターの方が紹介された。大庭照子さん曰く、童謡だけでなく、朗読教室も開きたいそうだ。へえ、朗読なら習ってみたいなと、また悪い癖が出て、興味を持ってしまった。なんでも、日本童謡学会なるものができて、名誉理事を引き受けたとか、とにかく80歳とは思えない積極性溢れる方だった。

 なんと、国歌である君が代も歌われた。君が代が本来の意味をねじ曲げられて、戦争に引き込むための歌だとか非難され、大変な扱いをされたが、いずれ何かの機会に、君が代の歴史的背景を話したい、と仰った。おや、なかなか保守的な考えの方なのだなと思った。

 子どもに対する心からの純粋な愛情、国家に対する愛国の情、一人ひとりに対する細やかな気遣い、教育者としての不屈の精神、頭の回転の速さなどを感じさせるステージだった。大庭さんの歌からは、安心して聴ける人格、寛容さが伝わってきた。ステージが終わってみると、心が洗われるような爽快感が残っていた。

 終演後、出口の所で見送りの挨拶をしていらっしゃったので、何かひと言お礼の言葉をお伝えしようと思ったら、横から家内のコーラス仲間の方が、「とても感動されたそうですよ」と代弁してくれた。言おうと思ったことを言われてしまい、言葉を失った私は、とんでもない誤解を招くことを言ってしまった。

 「遙か昔のことですが、銀座の日高なみさんのお店(マ・ヴィー)と蛙たち(両方ともシャンソニエ)によく行ってました。パリ祭の時、マ・ヴィーで歌ったんですが、フランス語で歌ったのに、今のは中国語ですか?と言われてしまったんですよ。アハハ」・・・大庭さんの表情が、一瞬固まってしまったように見えた。

 完全に言葉足らずの表現だった。この言い方では、まるで私が名も無いシャンソン歌手であり、かつては銀座のシャンソニエで歌っていたかのように聞こえただろう。40年ほど前の当時、マ・ヴィーでは、パリ祭の日は特別にお客さんが歌わせてもらえた。当時は毎日のようにアズナヴールを聴いていたので、ピアノ伴奏で「ラ・ボエーム」を歌った、というのが実際の経緯だった。歌手でもなんでもない。

 大学生の時、フランス語の授業で、朝倉季雄先生が私のフランス語をお聞きになり、「キミはフランスに住んだことがありますか?」と仰った。とても嬉しくて、フランス語の発音にはすっかり自信がついたというのに、今のは中国語ですか?と言われてしまい、奈落の底に突き落とされた心境だった。

 いろいろ学ばせていただき、また自分自身の視野にも、童謡を入れるべきだという発見があったので嬉しかった。

【参考資料】
大庭照子プロフィール
熊本出身。
 フェリス女学院短期大学音楽科卒業。三宅春惠氏に師事。二期会研究科を経てポピュラー音楽に転向。1967年日本シャンソンコンクール入賞。1971年にNHK“みんなの歌”で「小さな木の実」がヒット。この年より全国各地でスクールコンサートを開催し、今までにのべ3000校以上をまわる。

 日本青年会議所主催の「青年の船」の音楽講師を10年間務めた他、外国アーティストの招聘やシャンソンの祭典「パリ祭」の主催、「全国童謡・唱歌サミット」を開催するなど多彩に活動。2000年よりキングラン㈱主催の老人保健施設、病院コンサートで全国をまわっている。

 1987年第17回日本童謡賞特別賞、1988年第1回下總皖一音楽賞(演奏部門)、1995年第35回久留島武彦賞(個人賞)、2001年くまもと県民文化賞の各賞を受賞。現在NPO法人日本国際童謡館館長、日本ペンクラブ会員、JASRAC会員。キングレコード専属。

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by hirune-neko | 2019-02-04 00:17 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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