真夜中の捜索者〜奇跡の発見・・・求めよさらば与えられん 夜の遅い時間帯に歩くときはいつも、右手袋の中に護身用のタクティカルペンを忍ばせていることは、何度も書いている。そういえば、一昨日の記事にも書いたばかりだ。たとえ暴漢に遭遇したとしても、まさか私がSmiss & Wesson社製のタクティカルペンを保持しているなど、思いもよらないだろう。瞬時にまさかの反撃で致命的なダメージを負うだろう。 午後11時近く、5000歩を歩き終え、家まであと50歩程度の所まで帰ってきた。ポケットからドアの鍵を取り出そうと思ったとき、右手袋の中にタクティカルペンが入っていないことに気づいた。指でしっかり押さえているので、滑り落ちることはあり得ない。 そういえば、歩きながら聴いた音楽の曲名がどうしても思い出せず、気になってiPhoneを操作したが、手袋のままではうまくいかなかったので、外したのを思い出した。全長10数センチの黒の金属製ペンである。暗い夜道で、しかも白内障の私が見つけるなど至難の業に近いことだ。大体、どこで立ち止まってiPhoneを操作したかなど、正確に覚えていない。やれやれ、諦めて再購入しようと思った。 ドアを開けようと思ったその時、寒さに凍えて私を待ちわびているだろう、タクティカルペンの姿が思い浮かんだ。私は即座に決断し、大型の懐中電灯を持って、探しに出ることにした。単1電池を5本収納する金属製の大型懐中電灯で、測ったら全長50センチだった。アメリカのハイウェイパトロールに制式採用されている、マグライト社製である。心強い武器となる。もしパトカーとすれ違ったら、鉄パイプと思われて呼び止められるかもしれない。 【大型マグライト】 祈る気持ちで出発し、大体1200〜1300歩ぐらいの所で、手袋を脱いだと検討をつけたが、念のため最初から道路の中央近くを照らしながら、心の中でタクティカルペンの名前を呼びながら、探し始めようとした。そのとき初めて、名前を付けていないことに気づいた。即席だったが「タッくん」と呼ぶことにした。 途中、車両進入禁止用の地中に埋められたポールにも声をかけた。見つかるように力を貸してくれるよう頼んだ。 大体1200歩ぐらいまで歩いたが見つからない。引き返そうかと思ったが、後ろ髪を引かれる思いがしたので、もう100歩、もう100歩と捜索を続け、結局は1800歩の地点まで到達した。そこから先では、手袋を外していない確信があったので、折り返すことにした。 帰路は、道路の右側を照らしながら探した。歩き始めの頃は、タクティカルペン見つかったら今日のブログで記事にしようと、張り切っていた。しかし、暗い夜道で10数センチの黒い物体を見つけるのは、容易ではないことを思い知った。 とうとう見つからず、家から80歩ほどの所にある、マンションの花壇の辺りを、再度入念に探した。そこでも曲名の確認をしたからだが、無駄骨に終わった。懐中電灯の灯りを消し、失意の思いで家に向かった。 可能性はゼロだと思ったが、家までの数十メートルの路上も照らしてみようという思いが浮かび、再び電源を入れた。 私道を10歩も歩いただろうか。足許に黒く細長い物体が目に飛び込んできた。よく見ると、紛れもない「タッくん」だった。 「こんなに寒くて暗い中、何千歩も歩いて捜してくれてありがとう。ボク、とっても嬉しいです。」 そんな声は聞こえなかったが、嬉しい再会だった。改めて、パソコンやプリンターだけでなく、タクティカルペンにまで感情移入してしまう自分が、ちょっと奇人か変人かなと思ったが、それもいいのではないだろうか。 執念が報われたいい日だった。このような執念を持ち続け、とくに仕事の営業でも、諦めずに粘り、成果を上げたいと思った。「タッくん」のおかげで、ひとつ教訓を学んだ。 願うところが正しければ、「求めよさらば与えられん」なのだ、きっと。 ・・・いやいや、改めて考えてみたら、ポケットから鍵を取り出そうとしたときに、手袋から滑り落ちたのに気づかなかっただけなのだろう。要するに、私の注意力散漫の結果だったのだろうと反省している。
by hirune-neko
| 2019-01-14 03:23
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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