相変わらず重力に逆らっている 邦題「ラ・マンチャの男・Man of La Mancha」で歌われる、[見果てぬ夢・The Impossible Fream」は、このBrian Stokes Mitchellで聴くのが、一番しっくりくる。 今日は朝から、背中の筋を痛めたような激痛がときどき走った。寝返りを打とうとするとズキンと痛み、ちょっとした拍子にも痛みが出るものだから、だましだまし・・・時々は背中を床につけて負担を軽くし、なんとか一日を過ごした。 それでも、夜10時過ぎの寒い時間帯に、連続5000歩の散歩に出かけた。以前の私と較べれば、随分進歩したものだと、我ながら感心している。 あまり年齢は意識したくはないのだが、この3月には68歳になる。90歳を過ぎても元気に活躍している人たちが周りにいるので、そんな人たちと較べれば、私などまだまだ若造なのだろうと思う。 しかし、38歳で早世した祖父、45歳で他界した父、という早死にの家系に生まれているし、63歳で病死した義父のこともあり、いつ自分の人生が終わってもおかしくないという急迫観念で、今日まで生きてきた。 別に根拠はないのだが、このまま引退して楽隠居し、世俗と没交渉の生活を送ったら、かえってその方が寿命を縮めることになるだろうと、そんな感じがしている。使命感に後押しされて、多少の無理も苦にせず生きる方が、鍛えられるのではないだろうか。そんな気がする。 散歩の帰りに、日用品を買いにドンキホーテに寄った。年末年始も24時間営業である。 普段は、なんの意識もなくドンキホーテを利用しているが、こうして改めて、Brian Stokes Mitchellが、劇中のドン・キホーテになりきって熱唱するのを聴くと、見果てぬ夢を追うドン・キホーテの名前が、24時間営業の店舗・ドンキホーテとして定着してしまってることに、少々残念な挫折感を覚える。 せっかくの機会なので、この歌の歌詞のオリジナル英語と和訳を、以下に記録して起きたい。 【The Impossible Dteam】 To dream the impossible dream To fight the unbeatable foe To bear the unbearable sorrow To run where the brave dare not go To write the unwritable wrong To be better far than you are To try when your arms are too weary The reach the unreachable star This is my quest, to follow that star No matter how hopeless, No matter how far To fight for the right Whithout question or pause To be willing to march into hell For a heavenly cause And I know if I'll only be true To this glorious quest That my heart will be peaceful and calm When I'm laid to my rest And the… 【見果てぬ夢】 夢は稔り難く 敵は数多なりとも 胸に悲しみを秘めて 我は勇みて行かん 道は極め難く 腕は疲れ果つとも 遠き星をめざして 我は歩み続けん これこそは我が宿命(さだめ) 汚れ果てしこの世から 正しきを救うために 如何に望み薄く 遥かなりとも やがて いつの日か光満ちて 永遠の眠りに就く時来らん たとえ傷つくとも 力ふり絞りて 我は歩み続けん あの星の許へ (福井峻訳「見果てぬ夢」<騎士遍歴の唄>パンフから引用しました) ・・・ふと思ったのだが、毎日のように地元の店舗・ドンキホーテに足を運んでいると、すっかり感化されて、私もこの劇中のドン・キホーテになりきってしまい、見果てぬ無謀な夢を追い求めるようになるのではないだろうか。・・・いやいや、もうすでに、半分以上はドン・キホーテもどきかもしれない。それとも、自分にお供をするサンチョ・パンサの、一人二役なのかもしれない。 ・・・何を訳の分からないことを言っているのだろうか。 日本公演のアルドンサ役は、草笛光子、浜木綿子、上月晃、西尾恵美子、鳳蘭・・・だった。見所のひとつは、小さい頃からこの世の穢れに染まって生きて来たアルドンサが、舞台最後でこの「見果てぬ夢」を歌う裡に、徐々に不品行な本性が浄化され、高貴な女性に変貌して歌い終えるところだろう。 悪しき思いの人間が、悔いて善良で高貴な人格の人間に変貌する・・・それはこの地上での最大の奇跡だと思う。佳き芸術作品との出会いは最も至福なひとときである。
by hirune-neko
| 2019-01-09 02:12
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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