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昼寝ネコの雑記帳

優しい日本人の本質は、怒らせると怖い戦闘民族なのでは?

Astor Piazzolla " Tristeza De Un Doble A “
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 インターネット散歩道。今日もブログ・徒然なるままにを訪れた。精力的に各種情報をアップされているが、とても興味深い記事があり、全文を読んだ。

【徒然なるままにの記事】
【軍事ワールド】廃艦に実射も 新型対艦ミサイル登場 - 産経ニュース

 冒頭には、以下のように記載されている。
(引用開始)
 国産の対艦ミサイルでは初めて超音速のスピードで飛ぶ、新空対艦誘導弾「ASM-3」の量産が2019年度から開始される。研究開発を行った防衛装備庁では11月中旬、その開発の様子と性能の一端を「技術シンポジウム」で公開した。 (岡田敏彦)
(引用終了)

 いくつかの画像付きで、かなり長文なのでポイントだけを抜粋してみたい。分かりやすくするため、部分的に補足させていただく。
(引用開始)
  1. 「空対艦」の名前通り、空中を飛ぶ戦闘機などに搭載し、艦船を攻撃するミサイルだ。
  2. 最高速度もマッハ3(音速の3倍)以上で、これまでのASM-1,ASM-2が音速に届かなかったことに比べ格段の進歩を遂げた。この速度向上は、敵の迎撃を防ぐために欠かせない。
  3. 地球の丸さのため、艦船は水平線下から低高度で迫るミサイルを探知できる距離は限られている。迎え撃つにはレーダーにより数十キロ先で発見し、機関砲や対空ミサイルで迎撃するのだが、発見から“命中”までは1分もないとされる。
  4. 向かってくるミサイルが1発きりという状況もありえず、前後左右から迫る多数のミサイルを数十秒のうちに全て撃ち落とさないと撃沈の憂き目に遭う。この状況でミサイルの速さが3倍になれば、迎撃可能時間は従来比で3分の1になる。対艦ミサイルの速さは重要な性能なのだ。
  5. 誘導弾が初めて使われた第二次大戦時はもちろん、ベトナム戦争でも空対地ミサイルの誘導は発射母機の乗組員の仕事だった。当然、自身の放ったミサイルが目標に当たるまで誘導を続ける必要があるため、敵の対空ミサイルや機関砲弾が飛び交う「危険な空域」にとどまらなければならなかった。
  6. ASM-3は射程が大きく伸びたため敵のレーダーの探知範囲外からの発射が可能となった。そして優秀な“目”によって、いわゆる「打ちっ放し」が可能となっている。
  7. ASM-3は改修を加えることで、多くの護衛艦が備える垂直型ミサイル発射装置にも搭載可能とされており、今後は艦艇への搭載も検討されるとみられる。
(引用終了)

 軍事問題は完全に素人の私だが、敵国の艦船にとっては、こんな高性能のミサイルを日本が量産すると聞いただけで、震え上がるのではないだろうか。

 過去に読んだ記事をいくつか思い出した。

【余命三年時事日記の記事】
(引用開始)
「60 自衛隊OB放談会、自衛隊総合火力演習」
 陸自にとっては一年間の集大成という最大イベントですが、今年は特に長年にわたって取り組んできたC4I機能の完成という点で戦闘集団としては世界一のレベルに達した記念すべき年になったと考えています。昨年登場した10式戦車を例にあげますと、戦車自体の機能は突出した世界一でした。それに各種車両、兵員、ヘリをはじめ空の情報も一元化、共有というC4Iシステムがこの1年で完成し、この規模の戦闘集団としては少なくとも米を含め他国を数年から10年はリードしたかなと考えています。陸自はこの世界一の戦車にあわせたレベルでC4Iシステムを完成させ、実際に運用しているのです。
B....陸自が続いてすいません。観客の皆さんには戦車が右左にスラロームしながらの実弾射撃がことごとく命中するのがあたりまえ。アニメの世界です。しかし軍事専門家や各国武官はその困難さを知っているだけに、今年もため息としらけっぱなしでした。昨年登場の時の衝撃こそありませんでしたが、実際に目の前で見れば見るほどその能力差がこたえてくるのです。総火演の凄いところはもうミスはないし、しないという絶対練度にあります。100発100中は最高の兵と武器装備そして運用能力が作り出す結果です。
(引用終了)

 ブログ・余命三年時事日記には軍関係の皆さんの座談会が登場し、具時的な情報が何度も披瀝された。印象に残っているのは、海底に設置されたソナーや、原子力潜水艦が世界水準で見ても、いかに高性能であるか、という記事だった。

 もうひとつ、日本人は牙を抜かれたが、本質的には戦闘民族であるという主著をご紹介したい。かなり長文になってしまうが、私自身にとっても記録として残したいので、該当記事の全文を転載させていただく。お読みになって、どのように感じられるだろうか。今日は私見を挟まないが、ご紹介するそれぞれの記事を目にして、改めて日本人は古代イスラエルの末裔である(日本ユダヤ同祖論)という主張が思い浮かんだ。即ち、旧約聖書で預言されているように、末日に集合する失われたイスラエルの支族として、日本人は世界に貢献する務めを果たす・・・のではないかという、神学的な解釈である。そのような発想で書かれている記事は目にしたことがないが、私は個人的に、やはり神学的解釈と予見は必要な時代になっているような気がしている。

【ダークネス:鈴木傾城の記事】
「日本は、戦闘民族として目覚めないように呪縛をかけられた」

1945年に日本が戦争に負けると、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本に乗り込んできて、ありとあらゆる手法で日本人を「戦えない民族」にしようと画策した。
日本人は欧米列強がアジアに持っていた植民地をことごとく解放するような組織立った戦闘能力を有していた。そんな戦闘民族の戦闘能力を存続させるのは、欧米にとって危険なことだったのだ。
もう二度と、日本の戦闘民族としての血を目覚めさせてはならなかった。そこでアメリカはあらゆる方法で日本を「腑抜けな民族」にする決意をした。
具体的にどうしたのか。「強い日本」を変えるためには、まず日本人が軟弱になるように洗脳し、自虐させ、自信を喪失させなければならない。
その洗脳工作の中心となるのはマスコミだ。だから、GHQはプレスコードと呼ばれる強力な言論弾圧を敷いて、日本人が気付かない間に洗脳工作を推し進めていった。(ウィキペディア – プレスコード
連合国の戦前の政策に対する批判させない。検閲制度の言及はさせない。アメリカの批判はさせない。ロシアの批判はさせない。イギリスの批判はさせない。朝鮮人の批判はさせない。中国の批判はさせない……。
多くのタブーと検閲がここで生まれ、このプレスコードによって日本はアメリカの目論み通り、軟弱になり、自虐し、自信を喪失していったのだ。日本民族の弱体化は成功した。

○日本人が戦闘民族だった頃の精神性は消し去られた

プレスコードは情報操作であり、情報統制であり、洗脳工作であった。
GHQはさらに自分たちの都合の悪い内容の書籍や日本の戦略を書いた700冊を没収して焚書にした。また小説や表現物にも検閲を入れて日本民族の優秀性を鼓舞するものを抹殺し、自虐するものばかりを流通させた。
これによって「日本軍は悪、連合国は善」という刷り込みが強烈に行われたのだ。
それだけではない。戦後の教育界には、民族の誇りを過度に消し去る人間たちを怒濤の如く潜り込ませて学校を支配し、日本人の子供たちから気骨を抜き去って軟弱になるように教育していった。
そして、長い時間をかけて、日本人が戦闘民族だった頃の精神性を消し去っていった。
今では、正当防衛であっても暴力はいけないとか、国を守るための軍隊ですらも反対だとか、そんな奇妙な主張をする人間たちが言論界を占めるようになってしまった。
中国や韓国には黙って侵略されるべきだとか、言いがかりであっても嘘でも捏造でも中国・韓国が怒っていれば謝罪して賠償すべきだとか、そんな抱腹絶倒な主張すらもまかり通る時代になっているのである。
これに喜んだのが中国・韓国・北朝鮮だった。この両国は日本民族が「腑抜け」になったのを知って日本の侵略を画策するようになってきた。
かつて、極限まで研ぎ澄まされていたはずの「戦闘民族としての日本人」は、もう影も形もないことに反日国家は気付いてしまった。
今の日本人の多くは、「何をしても泣き寝入り」「根拠がなくても謝罪と賠償をする」「強く言えば簡単に折れる」と見なされている。事実そうだった。戦後は、優しい、頼りない、草食の日本人ばかりが誕生した。

○日本には何をしてもいいと思うようになってきた

韓国は図に乗って、何十年も前から「謝罪しろ、謝罪しろ、もっと謝罪しろ」と日本にわめき立ててきた。日本はどうしたのか。そのたびに謝罪してきたのである。
1982年には、鈴木善幸首相が謝罪した。1983年には、中曽根康弘首相が謝罪した。1984年には、昭和天皇、中曽根首相が謝罪した。1990年には、中山太郎外相が謝罪した。1990年には、海部俊樹首相が謝罪した。
1990年には、今上天皇が謝罪した。1992年には、宮沢喜一首相が謝罪した。1993年には、河野洋平が謝罪した。1993年には、細川護煕首相が謝罪した。
1994年には、村山富市首相が謝罪した。1996年には、橋本龍太郎首相が謝罪した。1998年には、今上天皇が謝罪した。1998年には、小渕恵三首相が謝罪した。2001年には、小泉純一郎首相が謝罪した。2010年には、菅直人首相が謝罪した。
日本はこれだけ、謝罪し続けてきたが、一度謝罪させると、もっと謝罪させるのが韓国である。
しかも、これだけ謝罪させたにも関わらず、さらなる謝罪を要求して、そのうえ賠償金までもっとせしめようとしている。安倍政権も守られもしない日韓合意なるものを結び、韓国に10億円を毟り取られた。
強く出れば出るほど日本人は半泣きになってペコペコと謝ることを韓国は学び、そしてそのたびに韓国は傲慢になり、日本には何をしてもいいと思うようになってきた。
韓国は気付いたのだ。もう日本人には気骨がないことを。
今になっても、日本人は「かつての戦闘能力を取り戻す」と考えることはない。世界は平和主義ではできていないことを知っていてもそうだ。
それほどまで、GHQによって「戦闘」の本能は奪われたと言うこともできる。
戦後70年以上も経った今でさえも、マスコミは相変わらず日本に自虐を教え込み、アメリカにもロシアにも中国・韓国・北朝鮮にもまったく反論もせず、日本人は何をされても怒ることも報復することもない。

○日本人は長い眠りから目を覚まそうとしている途中

日本人の底力は、封印され、抹殺された。戦闘民族として目覚めないように呪縛をかけられ、監視されている。
絶対に日本人が戦闘民族としての血を目覚めさせないように、アメリカや反日国家が日本を見張り、マスコミが世論を見張り、教師が子供を見張っている。
そして、「日本人は優しい」「日本人は草食」と朝から晩まで洗脳に次ぐ洗脳を繰り返し、日本人が戦闘能力を持たないようにしている。
たまに洗脳が解けそうな危険な日本人が出てくると、激しい中傷と批判で社会的な抹殺を計る。
そして、国を防衛すること自体をも否定させるのだ。日本ほど自衛も防衛も武力も戦闘も、頭ごなしに否定する世論は世界でも珍しい。
本来、国軍を持つことや、集団的自衛権など、諸外国では議論以前に当たり前の話である。
「国を守るための軍隊は要らない」など外国で主張しようものなら、「お前は馬鹿なのか?」と驚きの目で見られて、場合によっては袋叩きにされる。
当のアメリカも「自由はただではない」と、自らの自由は戦って手に入れることを徹底している国だ。
ところが、日本では「国を守るためには軍隊も必要だ」と言えば、逆に暴力主義者だ、差別主義者だと言われるようになるのである。
日本人から、少しでも戦闘民族としての血が目覚めるような兆しが生まれたら、帰化系政治家も、マスコミも、教師も、みんな火が付いたように発狂する。
しかし、やっと日本人は少しずつ目が覚めてきている。
マスコミが信用されなくなり、マスコミが重用する大学教授やジャーナリストや芸人どもが、嘘八百の歴史や思考を日本人に押しつけていることが知れ渡るようになった。
こんな人間どもが「日本人は草食だ」と朝から晩まで洗脳しても、もう効き目がなくなった。日本人は長い眠りから目を覚まそうとしている途中だ。
日本人の戦闘民族としての血が完全に目を覚ますと、今まで日本人を貶めてきた人間は、それなりの覚悟が必要になる。日本人を貶めていることに、怒髪天を衝くような憤怒を感じている人がたくさんいるからだ。(written by 鈴木傾城)— Keisei Suzuki (@keiseisuzuki) 2018年3月3日
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by hirune-neko | 2018-11-28 01:22 | インテリジェンス | Comments(0)
<< ようやく脳内で構想イメージが像... 徒労感と諦観などの今日の雑感である >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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