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昼寝ネコの雑記帳

久しぶりに頭を休めることができた

Bill Evans - Like Someone in Love
いつもクリックを有難うございます。励みになっています。

 締め切りのある案件2種類を、ほぼ同時に終えることができて、ほっとしている。両方とも仕事とは直接関係のない内容で、いわばボランティアである。残すところ、もう1案件あるので、集中して一気に仕上げ、自分本来の仕事にかかりきりたいと希望している。

 今日は祝日だったせいで、会社に電話が一本もかかってこなかった。メールとファックスだけなので、静かな一日だった。

 仕事上の最終的な到達環境をイメージし、そこから逆算して組み立てのシナリオを考えている。それにしても、国際社会の緊張の高まりが、ひしひしと伝わってくる。緊急事態、非常事態は、いつ訪れるか分からない。どのような形でどこに発生するかも分からない。そのような環境下で、どのような備えをすればいいかを考えても、そう簡単に答えが出るものではない。しかし、具体的に何かをしなければならない。

 これまで、長い期間に渡って、備蓄を勧めてきている。今でもその考えに変わりはない。飲料水、食糧、電源、医薬品、非常用持ち出し袋、その他をストックするのは賢明なことだと思う。

 一方で、心の在り方、精神領域の状態は、備蓄と同等、場合によってはそれ以上に重要なのではないかと思うようになっている。分かりやすく言えば、どのような人生観、価値観、人生設計によって生きているかが、非常事態に直面したときに、その人の判断と意思決定に大きな影響を与えると思うからだ。

 学生の頃、すっかり傾倒してしまった作家、アルベール・カミュは、ジャン・ポール・サルトルと同時代人だった。サルトルは実存主義という考えを唱えたが、それに対し、カミュは不条理主義と言われた。

 不条理とはどのような意味なのか。当時読んだ本には、「水に濡れまいと思って水の中に飛び込むようなことだ」という表現で説明されていた。思想や哲学の専門家が書いたのだと思うが、どうもピンとこない表現だと感じた。今でも、その表現には違和感を持っている。
 
 読んではいないが、サルトルは、百年以上何もせずじっと存在してる巨木を見て、ある種の嫌悪感を感じ「嘔吐」という作品を書いたそうだ。サルトル・カミュ論争という本もあった。カミュの生まれた国、アルジェリア紛争に関する内容だっただろうか。記憶の彼方である。その本の中で、サルトルとカミュはお互いの意見を述べ、ある種の論争を展開した。しかし、当時の私は、サルトルの意見を読んで、なるほどそうだ、と思い、それに反論するカミュの意見を読んでも、なるほどそうだ、と思ってしまった。まことに判断力の欠如した自分の能力を自覚し、すっかり自信を無くしてしまった。

 カミュの代表作である「異邦人」は、最初に映画で観た。興味を持ったので、本を購入して読んだ。改めて、自分の感性に近い何かを感じた。

 あれ以来、「不条理」という言葉は、絶えず自分につきまとっている。ある意味では、醒めた感性で現実社会を捉え、現実とは同化せず距離を保って生きているような感じだろうか。従って、目に見え手で触れられるような資産、名誉、名声という類いには興味が無く、価値を見出せない。それが、「異邦人」の主人公・ムルソーに対する人物評である。マルチェロ・マストロヤンニが演じたはずだ。

 映画「異邦人」を観たのは大学生の時で、確か高田馬場の映画館だったように思う。一緒に観に行った当時のガールフレンドは後日、私のことを「ムルソーみたいな人だね」と、ポツリと呟いたのを、今になって思いだした。おそらくは、感情も情熱も感じられない、醒めたつまらない男だ、と言いたかったのではないだろうか。ずっと音信不通だが、風の便りで、結婚して子どももいると聞いた。何よりであり、安堵したのを憶えている。もし、私との付き合いがトラウマになってしまい、一生結婚できなくなったと聞いたら、責任を感じてしまう。

 あくまでも想像だが、ムルソーのような人間は、非常事態に直面しても冷静沈着であり、助けが必要な人には自然に手を差し伸べるのではないだろうか。そのようなイメージがある。つまり、目に見え手で触れられるような資産、名誉、名声とは無縁の生き方なので、命以外に失うものは何もない・・・そのような心情を感じる。

 あれからほぼ半世紀近くの年月が流れた。私自身はすっかり風化してしまい、人生もいつ終焉を迎えるか分からない年齢になっている。しかし今でも、大学生時代と同じ感性・感覚が自分の中に存在していることを感じる。

 一方で、無神論的実存主義者ともいわれたサルトルとカミュの価値観に対しては、違和感を感じるようになっている。理論的に無神論を前提とした思考を展開するのは自由だ。しかし、無神論と有神論とでは視点がまったく異なる。

 サルトルは、「クリスチャンの家庭で生まれた子どもは、生まれたときから、生き方・価値観を聖書にという枠にはめられてしまっている。自由な発想が無い。」という主旨のことを述べている。その論法に対し、私は異論を持っている。

 半世紀前と比較するなら、今の時代は世界的に緊張度が高まっており、現在の対立と混乱がどのように収束していくのか、誰にとっても予測が難しいだろう。このような時代にこそ、「有神論的視点からの神学的考察」という発想も、必要なのではないかと考えている。

 そのような視点から、仕事の営業展開を考えてしまうので、すっかり時間がかかってしまっている。

 半世紀という長い年月をかけて出来上がってしまった体質なので、自分でもどうすることもできない。果たして、どのような結末になることやら。自分自身も興味を持っているぐらいだ。

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by hirune-neko | 2018-11-24 00:55 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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