長き沈黙を破り、余名ブログが更新された 毎日何度か更新確認で余命ブログを訪れていたが、本当に久しぶりで更新された。短稿ではあったが、午後10時からNHKが懲戒請求をテーマとする番組を、放送する予定だと書かれていた。 そうか、とうとう番組を制作したのか。では、もう時効なのでブログに記録として残しておこうと思う。 おそらく数ヶ月は経つと思う。NHKからだという来訪者があり、玄関に出た。事務所は周りに高層マンションが多いせいで、電波状況が悪くテレビが映らない。視聴料を払っていないのだが、屋根にはアンテナが残っているので、督促に来たのかと思った。 対面すると開口一番「昼寝ネコさんですか?」と質問された。人間の格好の時に、しかも初対面の方からいきなり「昼寝ネコさんですか?」と訊かれて驚いてしまった。「よくここが分かりましたね」と応対した。 私は秘密主義ではなく、仕事の内容も商品の絵本のこともブログに書いているし、Facebookを見れば、会社名も出ているので、その気になれば探し当てるのはそんなに難しくないはずだから、不思議なことではない。 一体、なんの用件で報道部の記者が?と思う間も無く、矢継ぎ早に質問が飛んできた。昼寝ネコのブログを読んだのだが「余命ブログについて伺いたい」、「余命ブログをどう評価しているか」、「懲戒請求には参加したか」、「余命にお金を振り込んだか」、「川崎デモには参加したか」・・・別に録音していた訳ではないので、あくまでも記憶を頼っての再生である。 どうやら話が長くなりそうだと思ったが、ちょうど絵本の検品の最中でごった返していたので、中にはお通しできない。そこで玄関先に丸椅子を用意し、まずはお座りいただいた。なんのおもてなしもできない状態だったので、麦茶を出させていただいた。 合間に質問を挟まれることがあったものの、ほとんどの時間は、私が持論を述べさせていただいた。余命ブログについては、ちょうど話題になっていた「せんたくチャンネル」とのトラブルについて、知る限りの解説をした。余命ブログが起点となって、懲戒請求の輪が拡大したという件については、そもそも朝鮮学校への資金援助が憲法違反なのにも拘わらず、それに反して資金支援をするよう法律家が声明を出し、あるいは同調したことに対して、懲戒請求したと理解している旨を述べた。本来、懲戒請求は国民に認められた権利のはずだ、とも付け加えた。k 私は、いわゆる余命ブログ信者ではないし、盲信してもいない。ブログ読者の皆さんにも、全てを鵜呑みにしないようお勧めしている・・・実際には、私のことを余命信者呼ばわりするFacebookともだちがいたが、最終的には私の記事とは距離を持っていただきたいと丁重にお願いし、その人から友だちを解除された、という経緯がある・・・しかし、初代かず先生の頃から、第一発信者にならないよう慎重に対応し、公開情報を組み立てて、種々の秘匿されてきた情報を開示している。その意味では、非常に資料性の高いブログだと評価している、とも付け加えた。 なぜ私が余命ブログからの情報を重要視しているか、について説明した。つまり、子どもの名前を入れた絵本を製作しているが、これまでに5万世帯以上にお届けしており、改めて、それぞれの家庭が平和で安全・健康で、さらには家族の絆を強めていただきたいという思いが募り、結果的に、ファミリー・インテリジェンスという概念を創出した。世界中がプロパガンダ活動を通して熾烈な情報戦争を繰り広げている。現に、インターネットで得た情報ではあるが、ある民放局が安倍総理の談話を細切れにしてつなぎ合わせ、恣意的に主旨を別方向に誘導したと非難されている、と述べた。 それを聞いた記者の方が「私たちはそんなことはしません」と力を込めた。そこで私は続けた。「NHKの報道姿勢に対しても、問題視する声が高まってますよ」と。 「私は、家庭内で家族揃って有意義な時間を過ごしていただけるよう、お手伝いしたいと考えています」というと、次男に言って「わたしの読書記録ノート」を持ってきてもらい、記者の方に謹呈した。 「どの本を誰に買ってもらい、誰に読んでもらったかを記録に残すためのノートです。子どもがいつか大きくなり、この記録ノートを手に取ったとき、自分が小さい頃から親に愛され、大事に育てられたことを実感するでしょう。」 そう説明すると、記者の方は大事そうに受け取ってくれた。 時間は計らなかったが、それなりの時間に渡ってお話しをさせていただいた。別れ際に記者の方に質問した。 「今日、NHKの記者の方がお見えになったということを、ブログで紹介してもいいですか?」 一瞬の躊躇があったが、弁護士に対する懲戒請求と、余命ブログの与えた影響というテーマで番組を制作するつもりだが、もしその主旨が公開されたにも拘わらず、中止になるとまずいので、書かないでほしいとの回答だった。私はその約束を守り、ブログでは一切触れなかった。 しかし、午後10時に懲戒請求をテーマとする番組が放送される、という余命ブログでの告知を目にしたので、解禁させていただいた次第だ。 お帰りになる二人の記者の方の背中に向かって「私は逃げ隠れしませんから」と声をかけた。話の途中で、放送される番組に私がインタビュー出演し、自分の考えを述べるという可能性に言及された。しかし、とうとうお声はかからなかったようだ。どんな意図と主旨で番組を制作しようとしたのか、私には想像すらできない。しかし、私のようなネコ人間が番組内で自説を主張するような展開は、番組制作の主旨に合わないと判断されたのだろう、きっと。 あの時の記者の方が、もし今日のブログ記事をお読みになることがあったら、そして記憶を頼りに再現した文章に間違いがあったら、是非ご指摘いただきたい。修正させていただくので。 余命ブログ関係者の皆さんにおかれては、今後ますますの神経戦になると思うが、無事・健康・安全に初志を貫徹していただきたい。私は今後も、よたよたしながら手探りで、やはり初志を貫徹したいと、思いを新たにしている。
by hirune-neko
| 2018-10-30 02:07
| インテリジェンス
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Comments(4)
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mitsu
at 2018-10-30 18:57
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さすがです。
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hirune-neko at 2018-10-30 19:13
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通りすがり
at 2018-10-30 23:41
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素晴らしい御対応ですね。誠意を持って丸く収めようと努められる御姿勢に心より敬意を表します。
さて、このところの戦後レジューム、偽りの権威主義の綻びが一層見え隠れする国内の動向を見ますと、切羽詰まった方々の悪足掻きのように思えてなりません。もしかするとパトロンというか御主人様に何か異変が? お隣の大国の国内政治事情を丁寧にアップデイトされている 近現代中国考 というブログがありまして、同ブログ情報によりますと 中 南 海 も主流(団)派による国際協調路線への回帰、政権移行に入ったのでは、ということらしいです。非常に説得力ある解説です。 どうやら露のプーさんの豪腕を真似てカリスマ的に国をまとめようとした「プーさん」が失政ということで引導を渡されてしまったのでしょうか? 随分と前から、あくまでも経済に明るい次世代ホープ李さんへのツナギだとの見立てもありましたが。「プーさん」がそういう役回りを意識して演じていたとするとやはり凄い国なのかも⁉︎
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hirune-neko at 2018-10-31 00:38
通りすがりさん
いつもコメントを有難うございます。 また、中国ウォッチャーの方のブログをご紹介くださり、有難うございました。ブックマークさせていただきます。 対応というほどのことはありません。意見の違いがあっても、人間関係は良好に維持したいというのが基本姿勢です。人から嫌われている人とも、結構親しくなれるという特技をもっています。なんの自慢にもなりませんが。 確かに、中国の動きはキーになりそうですね。素人目から見ても、圧倒的に追い詰められていると思いますし、果たして一般国民がどの程度、国家に対する真の意味での愛国心を持っているか、よく分かりません、引き続き、注視したいと思います。 昼寝ネコ
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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